杉の樹
私は、植物界、裸子植物門、マツ綱、マツ目、ヒノキ科、スギ属の杉である。
威風堂々として、優れた才能が横溢≪おういつ≫した、我ながら惚れ惚れする存在だ。
人間どもの驚嘆と畏怖≪いふ≫、さらには信仰の対象とさえなっている。単なるそこらに群生している、ありふれた情けない存在を晒≪さら≫している杉ではない。思考能力のみならず、意思と優れた超能力を持つ特殊な存在だ。この世に生を受けて以来、約二千五百年経過しており、ご神木と崇められる由緒正しい存在でもあるのだ。弥生時代から現代まで、様々な勉学と世間のできごとを観察してきた、好奇心に溢れる老木でもある。
私が、自分自身に課した研究テーマは、宇宙物理学で「ブラックホール理論」と呼ばれているものだ。電磁波と粒子の性質を合わせ持ち、一秒間に地球を七.五回も回転できる光さえも取り込まれて、ブラックホールから逃げ出せないのだ。今なお世界中の学者が、解明しょうとしている研究だ。銀河の衝突により、星形成が起って密度の高い星団ができる。が、これら重い星の寿命は短い。ところが、最新研究によると、超新星爆発では、最大で太陽の百倍の質量を持つブラックホールができる。さらに、これらが集まって、中間質量のブラックホールが星団内に生まれ、銀河中心に集中し合体して、大質量ブラックホールが誕生するらしいのだ。
ブラックホールと反対にある概念は、ホワイトホール (white hole)である。ブラックホールは事象の地平線を越え、飛び込んでくる物質を外部へださず、全てを吸収する領域である。
だが、ホワイトホールは、事象の地平線から物質を放出するのだ。
私達、杉の木は日本固有の種であり、中生代から、南は屋久島から北は東北まで栄え、しかも、人工的に植林されたおかげで、個体数を増加させてきた。
私は弥生時代後期に生を受けた。理由は全く分からないが、誕生して約百年後から、全国にいる仲間より各種の情報を仕入れる能力を、身に付けた。私は進化の過程における、一種のミュータントに違いない。DNAあるいはRNA上の塩基配列に、物理的変化が生じることを遺伝子突然変異と言う。染色体の数や構造に変化が生じることを、染色体突然変異と言う。突然変異の結果、遺伝情報にも変化が表れて、変異を生じた細胞または個体を、突然変異体(ミュータント, mutant)と呼ぶのである。
人間が、ヒト科として現在のように繁栄してきたのは、たかが一万年前頃からである。だが、約三十五億年前にはラン類が出現し、二十億年前頃に地球にオゾン層が形成されたため、地表に達する有害な紫外線は減少した。そこで、我々の祖先は陸上進出を始めた。我々のような杉が誕生したのは、進化論的に考察しても何ら不思議ではない。
アンモナイトが繁栄を謳歌≪おうか≫し、三億年前に両生類から進化した爬虫類は、急速に多様化した。その前にいた両生類に代って世界を支配し始め、古生代半ばから中生代前半にかけては哺乳類型爬虫類が、中生代には恐竜、翼竜等が、新生代からは鳥類や哺乳類が繁栄した。恐竜が我が物顔で地上をかけ巡る頃、我々植物は裸子植物が大半であった。白亜紀には被子植物も登場した。
中生代より栄えてきた我々の花粉が原因で、最近の人類は軟弱であるせいか、花粉症とやらに苦しめられているらしい。
しかしながら、建築用木材として我々の仲間を進んで植林したのは、誰あろう人間だ。時を追う毎に、林業に携わる人間は、減少し、しかも高齢化している。繁栄の象徴たる子孫の聖なる命を奪うばかりか、森林荒廃で様々な問題を惹起≪じゃっき≫している。森林は、人間の未来を育むかけがいのない財産だ。そういう認識をスローガンとして、最近では、まだまだ少数ながら、企業が間伐、植林……などに乗り出し始めた事実に、もしも私に手があれば、拍手喝采しているだろう。
今後の活動には、大いに期待しているところだ。
風の便りで聞く、樹齢三千二百年以上の屋久島で栄えている縄文杉には、正直負けてはいる。多分、私は、この世に生を受けて、二千五百年ぐらい経過しているだろう。
幼い頃、他の樹木に光合成に不可欠な太陽エネルギーを奪われないよう、闘争に明け暮れしていたのだ。しかも、我々、杉は針葉樹で根を深く張らない。そのために、養分を周りの木々に取られないように必死で頑張った。しかも、背丈を伸ばすことに、精一杯の努力を傾注したのだ。
年輪は、自分で見ようにも見ることはできない。
多分、百歳頃に自我と共に、周りの生き残った同類を観察する余裕に目覚めた。文字通りThe survival of the fittest(最適者生存)の優れた見本のようで、誇らしくさえ思っている。
生まれてから今までの記憶を遡及すれば、正確な樹齢は分かるのだ。確か弥生時代後期に生を受けた私の根元には、幸いにも、墓である伸展葬の人間達が埋葬された。彼ら彼女らの死体が養分となり、肉と脳みそを美味しくいただき、大きく成長できたことには、今でも感謝はしている。
したがって、これだけは言っておきたい。人間には本来何の恨みもなく、それどころか衷心よりありがたく思っている、と。
弥生時代はもちろんのこと、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、戦国時代、安土桃山時代、江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代、平成時代……などの各時代を生き抜いてきた。この期間に、様々な知識と教養を身につけてきた努力は、我ながら、賞賛に値すると自負している。さらに、各種の超能力も同時に身に付ける訓練にも勤しんできた。
つまり、Precognition(予知),Clair voyant(透視)、Pschometry(サイコメトリー)、Telepathy(テレパシー)、Telekinesis(念力,観念動力)を習得してきたのである。
如何にしてそれらの素晴らしい能力を獲得したかを、説明することは、私に課せられた義務ではあろう。
我々は、日本固有種の風媒花であり、屋久島から東北まで広く生存している。日本全国の面積の約十二パーセントを占領している。そして、大量の花粉を二~四月に全国に飛ばしているのだ。それら多くの花粉には、様々な情報が詰まっている。多少のタイムラグはあるが、巡り巡って私の葉達がキャッチする。つまり、いながらにして、種々のインフォメーションを獲得できるのだ。
それらの情報は種々雑多であるが、得意の分析能力を駆使し、必要な知識だけを選別して吸収している。我々の仲間は、いたる所で成長している。図書館、大学、研究所、個人の家の近く、公園……などから情報を得ている。これを体得するには、おおよそ、百年以上生きてきた杉でなければ、とてもできない芸当ではあるが……。
私ほど研究熱心な杉も珍しく、若手からは、全権大使がそうであるように【閣下】と呼ばれ、尊啓と羨望の的になっている。
四十五億年の歴史を持つ地球の動物界で、今は頂点に立っているホモサピエンス。その歴史と、彼らが営々と築き上げてきた学問に、私は、多大の興味を持っている。人文科学、社会科学、形式科学、自然科学、応用化学……など多くの分野がある中でも、特に最近では、自然科学の一分野である宇宙科学に関心を寄せている。
特に、アインシュタイン博士の一般相対性理論と量子力学を結合させ、量子重力論を展開しているイギリスにあるオックスフォード大学とケンブリッジ大学大学院で、応用数学と理論物理学を学び、ブラックホール解明を課題にしていたホーキング博士が、提唱した【ブラックエネルギー】を研究対象にしている。彼は、千九百六十三年にブラックホールの特異点定理を発表し、世界的に有名になった。千九百七十一年に、「宇宙創成直後に小さなブラックホールが多数発生する」とする理論を発表した。千九百七十四年には「ブラックホールは素粒子を放出することによってその勢力を弱め、やがて爆発により消滅する」とする理論(ホーキング放射)を発表して量子宇宙論という分野を作った。
天文台付近の仲間を使って天体望遠鏡のCP解析を入手し研究しているが、現時点では、残念ながら、答えを見出せずにいる。
が、残る寿命の全てをこの研究に注ぐ覚悟である。
皆さんが多いに疑問を持っていることに、そろそろ、答える時がやってきたようだ。
なぜ、単なる樹木にすぎない(シャレのつもり)私が、このような文章を書けるのか?
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……。
種を明かせば、至極簡単だ。
先にも述べたように、超能力を自在に操作できるから、人間界で作家と呼ばれる種類の鼻持ちならぬ偉い先生を使って、自在に意思を操り書かせているのだ。現在では、万年筆で原稿用紙に書く作家は珍しい存在で、PCを自由に操作して創作しているのが普通である。紙を使わずに済む電子書籍の時代が到来している。携帯小説が普及しており、さらには、アメリカのアップルコンピューター社に端を発した、PCとしても使用可能な機種が続々と出ているのが、現状である。
さらに、人の約三十億もの遺伝子情報を、クラウドクラウドコンピューティングで共有さえしているのだ。究極の個人情報であるから、これには種々の批判もある。クラウドクラウドコンピューティング(cloud computing)とは、ネットワーク、特にインターネットをベースとしたコンピュータの利用形態であり、ユーザーはコンピュータ処理をネットワーク経由で、サービスとして利用する。
ほんの一例だが、カーナビの膨大なデータを利用して危険な道路を改善し、相当な実績をあげている自治体もある。ビッグデータを活用しているのだ。
私自身、スーパーコンピューター【京】の演算能力の足元にも及ばない。人類が初めて作った電子式自動計算機は、アメリカで開発され、約一万八千八百本の真空管を用いて製作された。それは、弾道力学の計算問題を計算専門家が解く八千四百倍の速さを誇った。私は、電子式自動計算機と同じぐらいの計算処理能力はある。残念ながら、私の動かぬ枝では、最新のCPは直接操作できないが……。
さて、CP談義はこれぐらいにしておこう。
昭和の初期、私を取り囲むようにして神社が建立された。いつの間にか、御神木として祭られ、なぜか長寿のシンボルとされ、神主初め信者達に、熱心に拝まれた。
「どうぞ、私にご長寿の光栄をお分けくださいますように……。ありがたや、ありがたや、ありがたや、……」
しかし、私が、現在高等動物の頂点にいる人間から、あがめられる存在だろうか? ふと、そんな疑問に包まれた。いくら超能力を自由に操れても、所詮、木という存在から脱せないのだ。単なる思考力と様々な知識を持つ杉に過ぎず、この世界に何も影響を及ぼせない。つまり、私の存在意義などないのでは……。
「心理的要因が多いと思われるうつ病では、原因となった葛藤の解決や、葛藤状況から離れることなどの原因に対する対応が必要である」
と、ウィキペディアにある。
私は、様々な葛藤に苦しんでいるから、人間が罹患しやすいうつ病に悩まされているのかもしれない。心療内科か精神科の医者の助けが必要だと思うが、自分自身で克服する以外に道はない。
何とも厄介な状況だ。図書館の近くに仲間達から、超能力で治療法を見つけて、治すのが一番いい方法だろう。でも、どこに心があるのだろう。重要なことなのに、今まで一度も考えたことなぞなかったのに、今気が付いた。でも、どんな対処法も見当たらないから、無視するのがこの場合、一番いい方法だろう。たかが地球の上での悩みに翻弄されだけだ。無限大の宇宙から見れば、とるに足らない些末≪さまつ≫な悩みだ。そう思うと、気が楽になった。自分自身を過大評価し過ぎていたのだ。もうこれからは、Que sera sera/ケ・セラ・セラを座右の銘にしよう。この文句は、スペイン語に由来するフレーズで「なるようになる」の意味だ。英語では「Whatever Will Be, Will Be」である。
その後、第一次、第二次世界大戦の世になった。志願兵、赤紙一枚でお国のためと言って出征してゆく兵士の守り神となった。当の兵士はむろん、隣組の人々、軍関係者達に二拍三礼を賜った。ところが、残念だが、私の持つ超能力の有効範囲は鹿児島までだ。しかも神の如く全能ではない。昭和十八・十九年以降南方へ従軍した人々の多くは、大本営の勇ましい活躍報道とは裏腹だった。補給物資を搭載した補給船団は、護衛艦一~三隻のほとんど丸裸で、米潜水艦の標的となってしまった。船団は、ことごとく南方のエメラルドグリーンの海の藻屑≪もくず≫となってしまった。
その結果、孤立した兵隊達は、カエル、ネズミ、ミミズ、草の根……など、口に入るもの全てを食べざるを得なかった。それでもなお、上層部の命令通り戦おうとした。だが、圧倒的なアメリカ軍兵力の前では、小さな蟻ほどでの軍備しかなかった。しかもむごいことに、大半の兵隊達は、鬼畜米英と闘うこともなく、マラリア、赤痢,疫痢……などに襲われたのだ。果ては死人を食らえども、(お母さん)と言う元気もなく、見知らぬ地の泥濘≪ぬかるみ≫で、その生涯を終わらせねばならなかった。事実、今でも夜中になると、うなされるほど、私の心は痛むのである。
戦争と言えば必ず、昭和十八年四月、前線視察のためブーゲンビル島上空で,アメリカ陸軍航空隊のP-三八戦闘機に撃墜され戦死された真の武士。山本五十六≪やまもと いそろく≫元帥を尊敬の念とともに、彼が行ってきた優れた業績に、想いを馳せてしまうのは、私だけではないだろう。彼は、明治三十七年、日露戦争時、装甲巡洋艦で人差し指と中指を失ったが、泣き言一つ言わず軍務に復帰し、海軍大学校を出た後、第二次世界大戦の前に中将として連合艦隊司令長官に就任した。日独伊の三国軍事同盟に異を唱え、アメリカとの国力差も充分理解しており、日米開戦に強く反対をしていた。
が、皮肉にも、第二次世界大戦遂行の任を仰せつかり、短期決着を見込んで航空機に力を注ぎ、パールハーバーアタック(真珠湾攻撃)を成功させ、大東亜戦争初めを日本軍有利の戦況を創り出した。ところが、昭和十七年のミッドウェー作戦に大敗を期し、以後、日本海軍は、負け戦を強いられた。
しかし、彼に対する畏敬の念に微塵も影響を与えない。なぜなら、彼は優れた軍人ではあったが、全能の神ではなかったのだから……。
さて、日本は敗戦国となったが、私が御神木として祭られてなのか、戦後急速に経済発展した。世界から、西ドイツと並んで脚光を浴びる国にまで、成長を続けたのだ。歴代首相の元で、私に言わせれば、乱開発と公害を撒き散らしながら、高度経済成長の道を突き進んで行った。
牽引役を担ったのが、戦後二~五年して産まれた,いわゆる団塊の世代である。彼等は、幼い頃より過当競争の中で育った。今ではとても想像もできないほど、同じ年の人がいて、一クラス五十~六十人、一学年十二~十五クラスもあった。高校、大学進学率、競争率は跳ね上がり、T大を目指して猛勉強に励んでいたこの作家も、高三の終わり頃にはノイローゼ気味となった。浪人生活を二年送って、やっとT大の文1に滑り込んだのだった。
当時は、学生運動もすこし下火になっていたが、彼も念仏のように、安保反対、安保反対、安保反対、安保反対……と唱え、角棒と火炎瓶で、重装備の機動隊を相手に闘争した。でも、所詮、政府を倒せなかった。逮捕は免れたが、それが与えたトラウマに長らく苦しめられた。つまり、立ち直るのに、かなりの年月を要した。あれほど長く伸ばしていた髪もバッサリと切り、商社マンとして世界を股にかけて活躍し、サラリーマンとして役付きにまで登りつめた。定年となった今でも、関連会社でCEOとして、一万人強のトップとして君臨している傍ら、小説を書いているのだ。
また、【金の卵】と重宝がられた中学出卒業したての人達は、世界に比類なき熟練工になった。彼等の物作りが、日本の製造業を支えてきた。そのため、都市部への人口集中と農村部の過疎化を招来した。グローバル化の波に溺れまいと、年率二パーセント代のマイルドインフレーションを目指す国が、我々樹木へ及ぼす影響は計り知れず大きい。局所豪雨による地滑り、酸性雨、温暖化による気候変動……などだ。
しかし、これは地球規模での偏西風の蛇行に変化がないことが、原因だ。
化石燃料からでるCO2が由来の地球温暖化なんかとは関係なく、地球は、間違いなく氷河期に向かっている、と私は、確信している。
ところで、サルトルは即自と対自という対概念を導入した。これは物事のあり方と人間のあり方に分けて対比させたもので、即自である物事とは、「それがあるところのものであり、あらぬところのものであらぬもの<l‘être est ce qu’il est et n‘est pas ce qu’il n‘est pas>」であるとした。これは物事が、常にそれ自身に対して自己同一的なあり方をしていることを意味し、このようなあり方を即自存在<être-en-soi>という。
我々のことだ。
それに対して、対自<pour-soi>である人間とは、「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるもの」とした。人間は、何をやっている時でも常に自分を意識することができるので、物事のように自己同一的なあり方をしていない。AはAであるといわれるのは即自存在においてのみであって、対自においては、AはAであったとしか言われえない。
対自は、仮に存在といわれたとしてもそれ自身は無<néant>である。これは人間があらかじめ本質を持っていないということを意味する。このことについてサルトルは「人間とは、彼が自ら創りあげるものに他ならない」と主張し、人間は自分の本質を自ら創りあげることが、義務づけられているとした。
人間は自分の本質を、自ら創りあげることができるということは、例えば、自分がどのようにありたいのか、またどのようにあるべきかを思い描き、目標や未来像を描いて実現に向けて行動する「自由」を持っていることになる。
ここでのサルトルのいう自由とは、自らが思い至って行った行動の全てにおいて、人類全体をも巻き込むものである。自分自身に、全責任が跳ね返ってくることを、覚悟しなければならないものである。このようなあり方における実存が自由であり、対自として「人間は自由という刑に処せられている」というのである。(人間は自由であるように呪われている。<condamné a être libre>)。
いずれにせよ、サルトルの言う、(即自存在たる)我々は、(対自存在)の人間とは異なる。この世界の核心にアンガージュ(参加)することさえ許されない存在だ。彼が創作した作品の主人公ロカンタンが木の根っこで嘔吐(これが題名だが)する場面がある。が、サルトルは、我々の存在を、真の意味で認識していただろうか?
意思ある私は、決して、彼の考える「即自存在」ではないからだ。
話が、あちこちと飛んでいるのは、この表向きの作者……。え~と名前が出てこないぞ……私も随分生きてきたから、認知症が進んでいるのかなぁー? 話にまとまりがなくなってきた原因は、私の思考が混沌の渦に呑み込まれているからだ、と思う。これを書いている作家を責めるのでなく、樹木たる私の超能力が衰ええていることにこそ、責めを受けるべきだ。
気がつけば、いつの間にか、ご神体として真っ白なしめ縄をかけて、拝んでくれた人々が集った神社も朽ち果てている。国道のど真ん中にさらされている。私としては、尊厳をないがしろにされ、まるで心に大きな空洞ができたような辛さに襲われて、もし目があるなら大粒の涙を流して、悲しんでいただろうに……。
片側二車線の国道は、私を避けて工事してあった。排気ガスで段々と苦しくなってきた。思考もまともではなくなってきた。【閣下】と呼ばれていた私なのに……。
数年間、我慢してなにごともないような姿で、すっくと立ってはいた。が、私の存在が邪魔になってきたのだろう? 土建屋が国道を通行止めにして、根に近いところを、特大のチエーンソーで切り始めた。私は、正直驚き、痛みは筆舌に尽くしがたく、わずかに残っている超能力を使い、関係者全員、即、ある者は心筋梗塞で、ある者は脳卒中で、ある者は交通事故で、退治してやった。近所の人は口々に、御神木の祟りだ、と噂しあう声は良く聞こえた。が、私には、積極的に攻める方法はなく、というより、太古の昔より先制攻撃をできない遺伝子が、邪魔をしているのだ。
その後は何の変化もなく、四十年程経過した。しかし、西暦二千五十九年だと思うが、南南東から、大きな橋梁がこちらに向かい徐々に迫ってきた。
多分、リニアモーターカーの建設が、私がそびえ立つ東北州にまで進展してきたのに違いない。
当然、私の存在が邪魔になるだろう、という予感に打ち震えたが、何の抵抗もできない。
巨大なクレーンで釣り上げられ、根も土からはがされて、野原に無造作に転がされた。
しかも、ロボットアームの巨大な裁断機が、私の巨体を切り刻みだした。が、機械に超能力が通じるはずもなく、二千三百余年の寿命は風前の灯となった。激甚≪げきじん≫な痛さを感じ、ギィヤアー、ギィヤアー、ギィヤアー、ギィヤアー……と叫んだ。
動けぬ仲間達が助けてくれないのは、良く承知しているが、それでも叫び続け……。
――完――
杉の樹