地獄の光景

 気がつくと、わしは美しい花々に囲まれていた」
「それは、極楽の光景じゃないの?」 
祖母は、額に一筋の深いシワを作って勉の言葉をさえぎった。
「人の話は最後まで聞くものだよ! お寺にある地獄の絵が、全てではないのじゃよ。お前は、わしの体験を知りたくないのかい?」
「ごめん。ごめん。へそを曲げないで続きを聞かせてよ!」
「しょうがないねー。……えーと、どこまで、話したかのう?」
「お花畑の最初だよ!」
「あぁ。そうそう。そうだった。……すみれ、ポリアンサス、ひまわり、シクラメン……など、咲く季節がバラバラの花々が咲いていた。それらの花が、見渡す限りの大地を覆っていたので、花の香りが混ざり合った悪臭にひどく悩まされた。悪臭が胃にまで入り込み、私は、何度も何度も吐いた。
何気なく空を見上げると、楕円形をした四つのルビー色の太陽があった。四つの太陽が、ジリジリと身をこがすのだ。地平線まで、見渡す限り誰もいないようだ。こんなにもわびしい孤独感を味わったのは、生まれて初めての経験だった。
その時、誰かの文章が脳裏をよぎった。
「人は、悪霊にとりつかれて死ぬのではない。誰にも理解されない孤独で、心が折れて死ぬのだ!」
 まさに、私が置かれている境遇を端的に表現している文句である。それ程までに、私にとって孤独は辛かったのだ。
私は、はるか遠方に茶色の葉を茂らせた樹木を見つけた。余りにも熱いので、日蔭のある樹木を目指して一刻も早く走って行こうとした。だが、両足は、鉛らしい重くて人の頭程もありそうな大きな玉に、クサリでつながれていたから、前のめりに倒れてしまった。しかし、何とか前に行こうとして、匍匐前進≪ほふくぜんしん≫して、少しずつ前に向かって進んだのだった。
ところが、顔中に花々がまとわり付いて来て、花と体から噴き出す汗に、体中が花にまみれたのだ。花々がまるで生きている獣のように、体中に喰らいついてきたので、前に進むのは非常に困難だった。
長い間進んで行くと、猛烈な暑さで徐々に頭が麻痺しかけてきた。更に、だるさが全身を覆ったのだ。そこで、四つの太陽の暑さに耐えながら、体を休める為に下を向いて動かずに少しだけ休憩をした。なぜ、下を向いていたのかと言えば、顔を、灼熱≪しゃくねつ≫の四つのルビー色の太陽に焼かれたくなかったからだ。暑い、暑い、暑い、暑い、暑い、暑い、暑い、暑い……。それしか頭に浮かんで来ない位に、猛烈に暑いのだ。次第に恐怖と不安に覆われて息苦しくなってきた。とは言え、少しだけだが、精神的に余裕が出て来たので、自分の体を見てみた。
すると、私は、白のハワイアンドレスのような服だけを身に付けていた。下着類はいっさい履いていない。私は女性なのに……。当然ながら、いつも、下着を身に付けているので、何か奇妙な気がしてならないのだ。このドレスにしても、私の趣味に合わない。
更に、白のハワイアンドレスには、まるで囚人服のように、黒いよこしま模様がプリントしてある。
靴下も靴も履いていなかったので、湿気で粘つく色鮮やかで様々な種類のヘビ達が、素足に絡みついてきたのだ。何度も何度もヘビ達にかまれて悲鳴を上げたが、その恐怖に満ちた大きくな悲鳴さえ、地平線すら見渡せない大地にグワンと一度だけ轟≪とどろき≫、私から遠ざかって行っただけだった。
勿論、誰も助けてくれないので、仕方なく、一人で無数に近いヘビどもに戦いを挑んだ。運よく転がっていた三十センチメートル位の棒きれで、思い切り突き刺したり叩いたりして殺した。数時間かけて、やっとヘビどもを全滅させたのだ。辺り一面には蛇の血液が飛び散り、鼻にツンとくる硫黄≪いおう≫に似た悪臭が、私を取り巻いた。幸いな事に、ヘビには毒がなかったので
かまれた痛さだけが残っただけだった。
自分の身を襲う悲運を呪って、私は大声で泣き喚いた。だが、かん高い私の悲鳴は、無人の荒れ地に吸い込まれただけだった。そう悟った途端に、四肢がブル、ブル、ブル、ブル……と震えて、長い間、魂の嘆きは止まらなかった。
まるで南極や北極に近い地方で起こる白夜≪びゃくや≫のように、楕円形をした四つのルビー色の太陽らしきものは、常に頭上にあって全然沈まないから、充分熟睡出来る夜が訪れる事はなかったのだ。毎日を、寝不足の状態で過ごさざるを得なかった。
多分、二日間位を要して、やっと樹木の下に辿り着き、その涼しい茶色い葉の樹の下で休む。
太陽らしきものから逃れて、日陰でほっと一息つけた。こんなにも日陰が有難いとは、今の今まで思いもしなかった。

そんな感傷に浸っている時だった。
無数の何かのサナギが、頭や背中等、全身に降り注いできたのだ。鋭利な刃物で斬られるように痛いのは、鋭利なクチバシで全身にかみついてきたからだ。
何度も転がりながら身を震わせて、何とか毛虫達をつぶして退治したので、毛虫の体液でハワイアンドレスは薄緑色に染まり体中がヌルヌルになった。風呂でも何でも良いから、毛虫の体液で汚れた体を洗い流したかった。でも、これは無理な注文だろうが……。そのうちに、四つのルビー色の太陽が、ドレスや体についていた毛虫の体液を干からびさせて、カラカラに乾かせてくれたおかげで、私は、必死になってそれらを取り除く事ができたのだ。
振り返ると、樹は枝だけになっていて、まるで大空に向かって幾つもの腕を伸ばしているようだった。葉だと単純に思い込んでいたのは、サナギの群れだったのだ。常識だと、サナギの時期の昆虫は、体を大きく作り変えている途中なので、殆ど身動きしない。せいぜいピクピク動く程度なのに、そのサナギの群れが、私を襲ってくるなんて……。
そのサナギの群れがいなくなった樹の姿が、余りにも異様で奇妙な形だったので、全身がまたもや激しくブルブル震えた。こんなにも暑い環境に、身を置いているのにもかかわらず、血も凍るような寒さを感じた。
ところが、寒さが通り過ぎ、ふたたび猛烈な暑さが戻ってきたのだった。長い間、灼熱の太陽にさらされていたから、私は、激しい渇きに襲われた。しかも、飢えをも感じたのだ。
一体、どういう事だろうか? 生きている時と同じ生理現象に苦しめられるなんて……。何だか不思議な気がした。
こんなにもおぞましい恐怖が、途切れないで永遠に続くような予感がするのだった。

そんな思いに浸っている時だった。
ほんの近い場所に、砂漠のオアシスのような清らかそうな水溜りを見つけた。
そこで、重い両足を引きずり、しかも長い時を費やして水溜りに到達し思いっきり口をつけて喉の渇きをうるおした。
「ゴク、ゴク、ゴク、ゴク、ゴク、ゴク、ゴク、ゴク、ゴク、ゴク、ゴク、ゴク、ゴク、……」
これ程までに、単なる水が美味しいとは、今の今まで思わなかった。今までは、水のある生活が当たり前だったのに……。山の空気が澄みきっていて、清らかな状態を言う清澄≪せいちょう≫と言う言葉を、この水溜りの形容に無理に使いたい位に澄んでいる。冷たそうな水溜りは、見るからに浅そうに思えるし、水が澄んでいるので底まではっきり見えた。
大量の汗とヘビの分泌物を洗い流す為に、水溜り入ってみると、まるで冷泉に浸かっているかのように、体から熱気が徐々に消えていくのを感じた。私は束の間の幸せに浸っていたのだ。
だが、急に両足に激痛を覚え、慌てて水溜りから這い上がると、一メートルを越えているだろうと思われる巨大なヒルが、お互い重なる程に密着して体に吸着している。イギリスの国営放送「BBC」が撮影した、体長一メートル超の巨大ヒルが、体長七十センチメートルの超巨大ミミズを丸呑みにする様子をとらえた映像があるのだから、当然、こんなにも巨大なヒルがいても不思議ではない。それらのヒルには、色鮮やかな黄色の縦スジ模様があり、力を込めてむしり取ると足から鮮血がにじみ出した。あまりの痛さに、大粒の涙が出て、ギャーと言う悲鳴がほとばしった。
しかし、有難い事に両足をつないでいた、重い鉛のクサリが消えてなくなっており、傷跡は少しも残っていない。小躍りして喜んだのは言うまでもない。重い鉛のクサリから解放された嬉しさに、あちらこちらを飛び跳ねながら走り回ったのだ。
だが、妙な影に気づき空を見上げると、真紅の巨大な鳥の群れが目近の空を真っ赤にしていて、鋭い爪と牙を持っており、口や鼻から炎を出している。きっと、伝説のドラゴンに違いない、と思った。そんなのんきな事を考えている間に、急に巨大な鳥の群れが下降して来て、私の方に向かってきたのだ。
ふと後ろを振り返ると、私の気づかないうちに、右前方十メートル位の所には、大きな洞窟が出現していた。その洞窟は、ゴツゴツとした岩に全体が覆われている。
私は、猛ダッュで狭い洞窟の入り口を目指した。入口に入るか入らない所で、体に熱風を感じた。私は、慌てて洞窟に飛び込んだ。この洞窟は、私一人が入れるだけの狭い隙間しかなかった。ドラゴンの放った炎が当たったのだろう、着ていたハワイアンドレスがメラメラと燃え出した。焦げ臭いニオイが辺り一面に漂っている。
既に、炎は体中に燃え移っていたので、直ぐにドレスを脱ごうとしたが、体にまとわりついているので、なかなか思うようにいかない。化学繊維のようなドレスが縮んでまとわり付き、体中に大ヤケドを負ってしまったのだ。あまりの痛さに洞窟中を転げ回った。幸い深い洞窟だったから、ドラゴンが吹き出す炎は奥までは届かない。体の三分の二以上ものヤケドをして、見るも無残に焼けただれていた。もしも、生きていたのならば、大やけどを負った為に、一命を亡くしていただろう。
焼けこげた化学繊維のドレスを取ろうとすると、皮膚も一緒に剥がれて赤い筋肉が現れたのだ。転げ回らずにおられない激痛は、今まで経験した事がなかった程だ。
あまりの痛みで、私の意識は深い奈落の底に落ちて行った。

どの位の間、私は意識をなくしていたのだろうか?
意識を取り戻すと、直ぐに恐る恐る洞窟の外を覗えば、幸運にも、真紅の巨大な鳥の群れは空に一羽もいなかった。でも、しばらくは外の様子を覗っていたが、危険はなさそうなのを確認出来たので、洞窟の外に出て行って思いっきり背伸びをした。あいも変わらず、空には四つの太陽が頭上にあったが、にわかに大きな黒い雨雲が一つこちらに流れてきた。
(雨が降れば、涼しくなるわ! うれしいわ! 雨で体を洗えるかもしれない!)
 そう思っていると、雲がかなりの速度で私に向かって下降してきたのだ。
(雲が急速に下りてくるなんて、おかしいわ!)
 良く見ると、それらは、黒い雲のような大群になっているクロゴキブリだった。年中が繁殖期だから産卵数が多く、そのサイクルも非常に短いらしい。だから、大群になれたのだろ。明るい昼間はじっとして時間を過ごし、暗くなるとエサを探して活動を始める筈なのに、四つの太陽のもとでこんなにも活動するなんて、とても信じられない。しかもその体には、黒い艶があって体長十センチメートル程の大きさであり、生理的な嫌悪感で虫唾≪むしず≫が走った。
クロゴキブリの大群から逃げようとして、私は、全速力で反対方向に走った。すると、私の背丈の十倍以上もあるゴツゴツした岩の壁が、突如として現れたのだ。急に止まれなかったので、その壁に思いっきり体をぶつけてしまった。脳震盪≪のうしんとう≫をおこしそうな頭は、フラフラしているが、またしても何とか工夫して戦わざるを得ないのだ。
クロゴキブリの大群が、あっと言う間もなく体中を包み込んで、あちこちかみつかれて大きな悲鳴を上げ、またも転げ回ったが毛虫どものように、クロゴキブリは、そんなにやわくはなかった。体中、無数のクロゴキブリに覆われた。渾身≪こんしん≫の一撃を叩き込もうとして、薄目を開けて武器を捜すと、岩の壁から剥がれ落ちたらしい手頃なカケラを見つけた。
それを使って、体中に群がるクロゴキブリを叩いたけれども、その戦いにはキリがないようにさえ思えたのだ。大量のクロゴキブリを殺したが、体のあちこちから血が出ている。特に髪の毛に多くたかったから、脳震盪をおこしかねない程、頭を叩いた為に頭から血が吹き出し、顔中に生温かい血が流れて目にまで入って、視界をさえぎったのだ。両手で何度も何度も血を拭い、どうにか見えるようになった。
またもや、先程のドラゴンのように、突然、ゴキブリの大群は消えていた。しかし、ゴキブリの体液と血液が混ざり合い、異様なにおいが周囲に充満して、私は、何度もむせたのだった。
何時間、大量のクロゴキブリと一戦をまじえたのだろう? もう、私の体力は限界だった。だから、ほっと胸をなで下ろしたのは確かだ。
これという当てもなく、四つの太陽に身をこがしながら、唯、がむしゃらに歩いた。
大ヤケドをした直後であるにもかかわらず、私の足取りは軽く、あまりの嬉しさに周辺を走り回った。
しかし、それが予期せぬ罠だったのだ。この馬鹿げた出来事ばかりが、矢継ぎ早に起きるこの世界では、とうてい私の理解とあらかじめ起こる、まともではない事柄を予知出来るなんてとても不可能な事だ。私の持っている能力を、遥かに超えている世界に身を置いているのだ。
もしも、私に予知能力が備わっているのなら、良かったのに……。

今までとは違って、地面には美しい花々が咲き誇り、花弁が柔らかな風にかすかに揺れている。その地面に大きな砂溜り見つけ、私は砂に郷愁を感じて思わずピヨンと飛び乗った。すると、まるで底なし沼に落ちたように、全身が徐々に砂の深部にまで沈んでいくのだ。砂のない大地に上ろうとして体を動かすと、ますます沈んでいく。鼻や口にまとわり付いて来る砂を取り除き、呼吸をしようとして必死でもがいた。私は、あたかも地獄の底に落とされるような恐怖と不安で気が狂いそうになったのだ。緊張の為に唾を呑み込んでしまった。
その時、ぬるりとして冷たい液体が、左足に入ってきたのだ。あたかも、注射器で薬液を注入されているような感触だ。その途端に、左の足が激甚な痛みにみまわれ、またもや意識が暗い奈落の底に吸い込まれていったのだった。
一体どれくらいの間、私は気を失っていたのだろうか? 気がつくと、強烈な楕円形をした四つのルビー色をしている太陽の光が、降り注いでいるお花畑にいたのだ。立ち上がろうとした。だが、両足に鋭い痛みを感じて、その場に座り込んでしまった。ギザギザに食い千切られた両脚の付け根から、いまだに鮮血が噴き出しているのだ。アリクイらしい化け物にかじりつかれたのだ。本来、アリクイは細長い舌を持っていて、粘着力のある唾液を付けてエサを舌に粘着させて捕るのだから、歯なんて殆どない筈なのに……。
当然、立てない。またもや、出血多量で少しずつ意識が薄れていく。
その時だった。
馬の蹄≪ひずめ≫の音が次第に近づいてきたのは……。
それは――白骨化した馬に乗っていて、黒いボロボロのローブを身にまとっているミイラ化した【死に神】だった。右手には銀色に輝く鋭利で重そうな大鎌を持って、ジーと私を見下ろしている。低音の陰気な笑い声が、腐ってシワだらけの口から漏れ出た。その刹那、大鎌が私の体を切り裂いた。恐怖でうち震える余裕すらなかった。
そう――これが私にとっての【地獄】だったのだ。
私が、最も苦手とする極寒地獄の代表的なものに、「八大地獄」がある。
頞部陀≪あぶだ≫地獄
八寒地獄の第一、寒さで鳥肌が立ち、全身にはアバタができるのだ。
刺部陀≪にらぶた≫地獄
八寒地獄の第二、鳥肌がつぶれて、全身にアカギレができるのだ。
頞听陀≪あただ≫地獄
八寒地獄の第三、寒さによって「あたた」という悲鳴が出るのだ。
臛臛婆≪かかば≫地獄
八寒地獄の第四、寒さのあまり「ははば」という悲鳴が出るのだ。
虎々婆≪ここば≫地獄
八寒地獄の第五、「ふふば」という悲鳴が出るのだ。
嗢鉢羅(うばら)地獄
八寒地獄の第六、全身が凍傷のためにひび割れて、めくれ上がるのだ。
鉢特摩≪はどま≫地獄 P
八寒地獄の第七、ここに落ちた者は酷い寒さで、皮膚が裂けて血を流すのだ。
摩訶鉢特摩≪まかはどま≫地獄
八寒地獄の第八、八寒地獄で最も広大であり、ここに落ちた者は、厳しすぎる寒で体が折れ裂けて流血するのだ。
何百年、何千年、何万年、あるいはそれ以上の年数を、焦熱地獄、極寒地獄……などで苦しむ筈なのに、私の抱いていた深い怨念を、優しい閻魔≪えんま≫様が、きっと理解して下さったのだろ!? 幼い頃から仏教を教えられてきたし、私も、心から仏様を信仰していた。
ありがたや、ありがたや、ありがたや、ありがたや……。私のお話は、これでおしまいだよ」
勉は、優しく祖母の顔を見て手が赤くなる程、精一杯の拍手をしたのだ。

                      -完―

地獄の光景

地獄の光景

自分の身を襲う悲運を呪って、私は大声で泣き喚いた。だが、かん高い私の悲鳴は、無人の荒れ地に吸い込まれただけだった。そう悟った途端に、四肢がブル、ブル、ブル、ブル……と震えて、長い間、魂の嘆きは止まらなかった。私はその他の様々な恐怖に遭遇する・・・。

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-01-22

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