呪われた玉手箱
これは私が、関西から鳥取市に転勤した時の話である。
秋も一層深まったある日、カイロを背中に入れ温かい耳当て付の帽子を被り、防寒着を着こみ釣り用の革手袋で完全武装して、一人で「酒の津港」に行った。二十~三十センチ級のサヨリを釣ろうと思い、平坦な防波堤の先端まで行った。その前十メートル位に、漁船が行き来する海道があった。
風が強く吹き晒しの防波堤で、カーボンで出来た軽い五.四メートルの長竿を、肩に担いでいた竿ケースから出す。小型リールに細長くて感度の良い三十センチの一号浮きを付ける。市販のサヨリ針を水面下二十五センチにセットして、わずか当りを五分位待っただけで、三十センチオーバーのサヨリを、二十匹程立て続けに釣り上げた。餌は、冷凍アミエビを使ったが、半解凍にしたアミエビを一匹だけ上手くハリに付けるのは、毎度の事ながら辛気臭い作業だ。
あんなにも入れ食い状態だったのに、その後二時間程、浮きに全然変化がない。サヨリの群れが去ってしまい、また回遊して来る機会まで、昼食タイムにしょうとタッパーウェアを開けた。塩コンブや鮭フレークが入った妻自慢のおにぎりと、お茶ではなくミスマッチの冷めてしまった缶コーヒーを立て続けに三本半……やけ気味に無理して喉に流し込んだ。一気に、寒気が身体じゅうを支配して、ブルブルと全身に震えが生じた。こんなに寒いのにバカな事をした、と後悔したがあとの祭りだ。
いつ回遊して来るかも知れないサヨリをあきらめて、投げ竿四.五メートルに替え、漁船の通り道の真下を選んだ。そこにいるだろう五十センチメートル以上の「年無しチヌ」を狙う事にしたのだ。オモリ三十号、一.五メートルのハリスにがん玉を付け、鯛バリ十三号に太いアオムシを房掛けにして投げた。竿先に軽やかな音色のする鈴を付け、防波堤で出来るだけ体熱を奪われないように体を丸めて、ウト、ウト……居眠りをしていた。
その時だった。
大きな鈴音が、私が見ていた楽しい夢から、寒風吹きすさぶ現実に戻したのだ。
四.五メートルの太い竿は、頭を大きく上下させている。きっと大物を釣ったと思い、はやる気持ちを抑えて、慎重にリールを巻き始めた。道糸四号が切れそうな程の強いしめこみに、五十センチオーバーのチヌに違いないと胸をワクワクさせながら、右手でゆっくりと竿をあおってリールを巻き、左手で五・四メートル伸びるカーボン製タモを出し、釣り上げる用意を万端にして、決定的瞬間を待った。
しかし、私の膨張した期待を見事に裏切る結果だった。なぜなら、タモですくったのはチヌでもなく、いわんや、魚でもなかったのだ。
縦、横、高さ 三十センチ程の、藤壺≪ふじつぼ≫がびっしり付着した薄汚い正立方体の古い木箱だ。開閉用扉が、まるで魚の口のように針をくわえていた。しかも、木箱がなおもタモの中で暴れ回っているのだ。多分、針をくわえた魚が、何らかの拍子に木箱に入ってしまったのだろうと思った。真冬なのに、全身から汗を噴出しながら、防波堤までやっとの思いで上げた。
仔細に見ると、元は美しかったであろうと思われる漆の朱塗りが、年月の経過で、その輝きを奪われ、今は剥げて傷だらけになった単なる木箱だった。とにかく、早く魚を出そうとして、木箱の蓋をカッターでこじ開けた。
すると、霧かあるいは霞のようものが、モワーとわずかに出ただけだった。肝心の期待していた大物の魚はいなかった。中には、曇って古ぼけた銅製の手鏡が、さも恥ずかしそうに自らカタカタ……と震えていた。
こわごわ、皮手袋を使って手鏡を仔細に観察したが、微かに震えているだけで、何の変哲もない手鏡である。鏡の中を覗き込むと、寒そうな自分の顔が、不明瞭に映っているだけだ。
もう釣れないと断念し、竿を竿ケースにしまい、辺りに散らかった釣り道具を片付けてデイバッグに入れ、おにぎりを包んでいたアルミホイルやコーヒー缶……などのゴミをスーパーのビニール袋に突っ込み、奇妙な手鏡が入った木箱と一緒に家に持って帰った。
妻に詳しく事情を説明すると、最初は気味悪がったが、家に置くのを渋々ながら承諾した。
私は、手鏡を入れた木箱を、手頃なダンボール箱に大事に納め、普段使用していない二階にある六畳の和室の押し入れにしまった。何だかいわく因縁がありそうで、不吉な予感を感じさせる箱であり、粗末に取り扱うと災厄が身に振りかかりそうだったからだ。
会社を背負っているような気になって仕事をこなし、鳥取駅発の最終午後十一時三十九分の列車で帰宅する日常生活に戻った。少しの時間、等級試験に関する勉強をしてから、深夜のTVニュースを見ながら、食事と軽く晩酌をして寝る生活だ。
だから、手鏡の入った木箱は、極自然に忘れ去った。
いつもの生活パターンで二週間程過ごしていた日。朝からどんよりとした黒い雲が、大空で幅を利かせている休みの日だった。
震える鏡が入った木箱が、何だか妙に心に引っ掛かり、妻を誘って二階の押し入れから取り出し、二人で手にとって、長い間、様々な角度から仔細に観察をしたが、何ら新しい発見(?)はなかった。私の単なる杞憂だったのだろうか?
その年は暖冬気味であった。
ようやく師走も中頃になって、雪おこしの雷が二,三度耳をつんざいたかと思うと、漆黒の雲に占拠された空から、しんしんと真っ白な牡丹雪が落ちて来た。瀬戸内海に近い実家では、こんな機会には滅多に巡り合わないから、嬉しくて外に出て空を仰いでいた私の顔に、次々と雪が降り注いだが、顔の熱気で直ぐに溶けてしまった。
休みの日、一階にある和室八畳間で、のんびりと横になってTVニュースを見ていた時、天地を揺るがすような雷鳴が轟き、真っ青な顔で耳をふさいだ妻は、私にピッタリと引っ付いて来た。
翌朝、出勤しょうと玄関の扉を押し開けようとした。が、一センチすら開かず、一階の和室のガラス戸を開けると、眼が開けられない位まぶしい白い雪が、八十センチほど積っていた。
仕方なく色気ない黒の長靴を履き、一階にある窓から出て、純白の雪と格闘しながら駅に着いた。ところが、いつもは二,三分遅れて到着するのに、こんなに雪の降っている日にもかかわらず、ピッタリ時刻通りガタゴトと喚きながら、列車が駅に入って来た。
晴れた日には、いつも二~三分遅れるのに、大雪の日は必ずと言って良いほど、定刻に到着した。そうなるのは、一体なぜだろう? いくら考えても答えを見出せなかった。
更に、雪の日には、信じられないような出来事が、必ず私の身に降りかかった。それも、楽しくて胸がわくわくするような出来事とは、真逆だった。
大雪の日に列車に乗っていると、何か得体の知れないおぞましい複数の突き刺さるような【視線】を、常に感じて身震いが止まらなかった。胃から未消化の朝の食事がせりあがり、嘔吐感に悩まされた。だが、鳥取駅に到着した刹那、まるで嘘のようにその【視線】は消滅したのだ。
幼い頃より他人に比べて、霊感は少しだけ強い方だったから、私には彼等の姿が見えたのだろうか? 恐らくそうであろう! 気味悪い霊達だったから、その日は一日中、仕事に集中出来なかった。会社のトイレの鏡に写った顔には目の下に隈が出来、憔悴しきった自分自身が見えた。
――明治三十五年一月に日本陸軍第八師団の歩兵第五連隊が、八甲田山で冬季に雪中行軍の訓練中に遭難した。雪が積もっている日には、列車に、いつも、その事故(事件?)の参加者達が、悲しそうな表情をして座っていた。凍傷でただれた顔のみならず、軍服までもが凍った雪に覆われている全員が、生気のない目で、恨めしそうにジィーと私を見つめていたのだ。
それだけなら、怖い思いをするだけだから、まあ良いとしょう。だが、彼等は、死への恐怖を、私に押し付けて来たのだ。真っ赤な血に染まった口を耳まで開け、緩慢な動きで私に向かってかじり付こうとして、襲ってくるのだ。私は、ハアハア……あえぎながら、二両しかない列車を逃げ惑った。ところが、二~三分経過すると、まるで今まで何事も起きていなかったように、人々が座っており、吊革に片手をあずけて新聞、雑誌等を読んでいる人々がいる、平常な世界に戻るのだった――
一体、何だったのだろうか? 幾ら頭をひねって考えても、原因は霊界の闇の中にあって、解明なんて無駄なあがきに違いない。
(八甲田山での遭難の詳細は、生存者によって異なる。戦争に向けて民間人の軍部への批判を逸らすため、軍部が数少ない生存者に間違った事実を述べるように強制をした。更に、様々な情報操作をして、真実をゆがめた。二百十名中百九十九名が死亡するという大惨事であったから、『軍隊が行進する音』、『青い発光体』、『兵士の幽霊』……などが現れる。遭難死した兵士達の幽霊が出るのは、紛れもない事実だ。だから、面白半分で訪れてはならない。聖なる心霊スポットなのだから!)
そんな身の毛もよだつ経験は、二度でコリゴリしていた。つまり、うかつにも、もう一度同じ恐怖感を抱いた。だから、天気予報で雪が積もりそうな前日には、車の後輪にチエーンを巻き、当日早めに起床し、愛車を店に近い駐車場に預ける。いつも二台分の駐車スペースを借り、真ん中にベンツをデーンと偉そうに止めて置くのは、修理費が国産車の約三倍もかかるからだ。横に駐車した車にドアーを一度凹まされ、板金と塗装に莫大な(?)金額を支払ったからだ。一ヶ月のサラリーを全て注ぎ込んでも、まだ足りなかった。トホホ……トイレに隠れて、上司に叱責された以上の男泣きをした。いや、ホンマでっせ。
朝から雪が積もっている日は、店に着くと直ぐに制服に着替え、大通りまで約五十メートルある道路を、ほとんどの男子が、角スコを使って雪かきをし、ダンプに放り上げる肉体労働を、冬なのに汗をかきながらする。市の予算内ではあるが、ダンプに雪を満杯になるまで積み上げ、運転手は近くある市の指定する川へ、山積みになった雪を捨てた。
その後、営業中にもかかわらず、屋上に道路と同じ位に積もった雪の処分を、シフトを組んで二十名で行う重労働もあった。屋上の雪を指定された川に捨てに行かないと、最上階の天井に歪みが生じる恐れがあるからだ。
その年は暖冬ではあったが、「率先垂範」も社訓の一つである為、そのキツイ肉体労働を四回、私も強いられた。
正月休みは二日間あった。先ず妻の実家に挨拶に行って一泊してから、私の家に行くのが恒例だった。関西から、商品を運んで来る運転手に教えてもらった道を行けば、かなりの時間短縮になるらしい。ほとんどの主任は、大阪府、兵庫県に里帰りするので、カーナビよりもそちらの方を選んでいた。
これは、私が実際に経験したカーナビのいい加減さだ。
和歌山県へ妻と一緒に旅行に出かけた時の話だ。
宵闇迫る時刻、ナビ通りに愛車のベンツを転がしていた。ところが、道はだんだん狭くなり、舗装していない山道を数時間もかけて、やっと目的の所に着いた。車内で地図を確かめると、なるほど最短距離を案内していた。しかしながら、舗装された国道を走行する方が、ベストだと分かった。単に、不安と肩こりを、私にもたらしただけだった。もっとも、技術革新が日に日に進んでいるから、未来のカーナビは、そのような馬鹿げた案内をしないだろうが……。
その時だった。
車の周囲に、突然、重苦しくおどろおどろしい異様な雰囲気がただよい、心臓も凍るようなイヤーナ予感を、私は感じたのだ。この時、山道の両側には木が高く茂り、案の定、私は無数の幽霊を見た。それぞれの木々に、白い紐で縊死しょうとしている人々が、苦しくて両手両足をバタ、バタ……させ、皆が血走った目でこちらを睨み、早くも乾き始めた鼻水は、少し強い夜風にあおられ綿のようにあちこち飛んでいた。
(ははーん、この道路は、霊に占領されているな!)
せめて、霊感が一切ない妻を怖がらせないよう、同時に気を紛らせようとして能天気なCDのボリームを少しだけ上げた。ところが、その事が、彼等にはお気に召さなかったのだろうか? 顔が醜く歪められ、二本の長い黄色い歯がある口を、顔以上に開け、まるで絶滅した「ニホンオオカミ」が、昔、遠吠えしたであろう鳴き声を響かせ、静まり返った夜の闇を引き裂いた。
(ちなみに、ニホンオオカミは、明治三十八年に捕獲された若いオスが、確実な最後の生息情報である)
遠吠えのような、お互いの話し声すら聞こえない工場地帯でおきる騒音が、辺り一面を支配した。首に白い紐をなびかせながら、化け物(悪霊)達が、ガリ、ガリ……と愛車をメクラメッポウかじり出した。
なのに、居眠りから目覚めた妻は、音楽に合わせて敢えて(?)下手くそに歌っている。霊感がないのは、この世では幸せだ。妻を羨む自分が、惨めになる。悪霊退散の不動明王の真言を心の中で九回唱えた。
「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」……。
すると、蜘蛛の子を散らすようにして、全ての化け物達が、空中を飛んで逃げて行った。
この真言は、一般には、不動真言の名で知られる、小咒≪しょうしゅ≫、一字咒≪いちじしゅ≫とも呼ばれる。
ブレーキをかけ、外に出て車載しているハロゲンランプで確認したが、愛車の黒いベンツには、何の傷もない。妻は歌うのを止めて、車外に出て訳の分からない体操をしながら、私に尋ねた。
「何かあったの。汗中、顔だらけよ、ああ違った、顔中にいっぱいの汗よ。一体どうしたの! 顔色も良くないし……ここで悪霊に出会ったのね! もういない? だったら、車内でコーヒーでも、飲みましょう」
「もういないから、安心しろよ。それより、こんな場所に霊道が存在するとはなぁー。縊死した霊のパーティーでもあったのかなぁ? 解ったよ、お前が持参金と新車の黒いベンツを持って来たのが、原因だよ。奴らは、それを妬んだに違いない、と思う。しかも、闇に溶け込んだベンツの黒さが奴らを招いたのだろう!」
その後は何の障害にも遭遇せずに、目的の和歌山県南部に到着した。既に夜九時を過ぎているので、観光は翌日の楽しみにして、適当に食べ物と箱に入った日本酒を調達し、ラブホに入った。妙な旅館より安くて、内装が豪華であるからだ。
あくる年の節分の日だった。
朝から降り続く小雨が止まないので、休みではあったが釣行をあきらめて、一階にある和室で、配達された日経新聞と地元紙の山陰中央新報を読んでいた。
その時だった。
二階にある例の和室から、まるでポルターガイストのようなラップ音が、耳をつんざいた。
ふいに、私の体がぶるぶる……震え出した。妻を見ると、ラップ音が聞こえていないのか、鼻歌を歌いながら包丁で何かを切っている。
「二階にある和室から、妙な音がしたろう?」
「ううんん。何にも聞こえなかったわよ。貴方の空耳じゃないの?」
少しムッとして、声を荒げて言った。
「まぁ、とにかく俺の言った事を信じろよ!」
声に圧倒されて、妻は静かに告げた。
「ハイハイ。貴方に逆らっても何の得にもならないわね」
先程まで、キッチンで昼食の準備をしていた妻と共に、二階の和室へと慌てて上り、ダンボールから木箱を出すと、中にある手鏡が大きく振動しているらしく、まるで木箱から出たそうな意思を、私は脳内で感じた。
「お前は、この木箱を見ても何も感じないか?」
「何も感じないわ。貴方は霊感体質だから、私には何も感じられない事も分かるのだわ! 霊感が身に備わっている貴方が、私に尋ねても……私には全然答えられないわ。そうでしょう?」
「そうかも知れないなぁー。まあ、取りあえず手鏡を出してみよう」
私は、得体が分からない恐怖感に全身を包まれて、またしてもぶるぶる……と震えが止まらなかった。しかし、自分を鼓舞して勇気づけ、恐る恐る手鏡を出してみた。
すると、あんなにもくすんでいた手鏡は、まるで金の延べ棒のような黄金色にキラキラと輝き、眩しくて目を開けていられなかった。あたかも、その存在を誇示しているようだった。
長い期間、その存在を忘れていた。カタ、カタ……震えている手鏡の持ち手を強く握って、妻に尋ねた。
「まり子は、この黄金色の手鏡をどう思う? つまり、何のために存在している、と思う?」
色白のコケティッシュな顔が、ぱぁと頬に赤みがさし、歓喜にあふれた様子をしたのは、なぜだろうか? 何かいい考えが浮かんだのだろうか?
「手鏡にお願いすると、きっと、それが叶えられるのよ、神様から賜った宝物だわ! アラビアンナイトに出てくる魔法のランプみたいな……」
「まり子の説だと、願い事を実現してくれる手鏡だね。……うーん、そうかも知れないなぁ。それに賭けてみようか? でも、何を願ったら良いかなぁー?」
約半時間、二人で真剣な討議を戦わせた結果、三つの願いに集約した。
「二人で手鏡に、心を込めて三つのお願いをしてみよう!」
「賛成よ! その通りにしましょう」
「OK。じゃあ、息を合わせて願おう」
二人で、早速手鏡を見つめ心を込めて、三つのお願いを唱和してみた。
「一つ、一カ月以内に昇進出来る事。二つ、しかも阪神地区に転勤する事。三つ、一カ月以内にまり子が懐妊する事。以上よろしくお願い致します!」
ワクワクしながら、書き込み可能な大きなカレンダーに印を付けるのが、その日からの妻の日課となった。
しかし、一カ月もとっくに過ぎたのに、なんの変化も生じなかった。
既に、桜の咲く頃で、私達の心は、ウキウキしているのに……。
やはり、単なる振動するだけの奇妙な手鏡だ、と夫婦ともども納得したのだった。
私は、その後も相変わらず、同店で課の業績を伸ばしていった。
営業企画担当次長の仕事もこなし出した頃、店改装の計画が持ち上がった。私を、認めてくれている店長が、最重要である店全体の改装コンセプトや改装後の利益計画を考案するように命じられた。
そこで、等級的には次長に匹敵する私が中心となり、全課の主任を集めて、主に計算と諸々の計画を主導したのだ。もちろん、店長、営業企画担当次長、後方担当次長とも緊密に計画のすり合わせを行ないながら業務を遂行した。店長や次長にプレゼンをし、更に、大学の先輩である山口エリア長(数十店舗を監督、指導する、店長よりも一つ上の職位)と、直に店の改装コンセプトについて議論を交わした。
主任代行は、衣料品課を全て経験して来ているから、私よりも衣料品販売には、たけていたので、課の仕事をほとんど彼に任せて、私は店改装に打ち込んでいた。
ところが数か月後、ある問題で山口エリア長と意見の相違が出てしまったのだ。彼は、普段とても温厚な紳士なのに、その時は口角泡を飛ばし、顔面を真っ赤にして、私の意見に真っ向から反対をした。
当然、それまで流通業の改装関係に関する書物を熟読し、勉強を重ねて来たのだ。あまつさえ、日本よりも十年先を進んでいる、と言われるアメリカの書物(もちろん原書)を読破してきたのに……。
私は怒りがおさまらず、家に帰って事の顛末を妻に細部に至るまで話した。すると、彼女は、いきなり私を木箱の前に座らせ、未だに小刻みに震えている金色に輝く手鏡を出して、言った。
「きっと、これは、幸せな願いを実現する手鏡じゃなくて、その反対だと思うわ。不幸、または呪いを、現実に引き起す事が出来る、悪魔から届いた手鏡かも知れないわよ。きっと、きっと、そうだわ!」
豊満な胸を精一杯前に突出し、まるで悪魔の御託宣のように、自信に満ち満ちた険しい顔をして言い放った。
「男は外に出ると七人の敵がいる」とは言うが……。もしも、妻の解釈が間違っていなければ……。ほんの軽い気持で、しかも半信半疑ではあったが、私がこの世から消えて無くなり、黄泉の国に行ってしまえば良いと思っている人物を、手鏡に向かって、思わず大声で叫んでいた。
仕事上のストレスが、何層にも堆積していたのであろう。後に、天に向かい懺悔≪ざんげ≫したものの、到底ゆるされない愚かな行為だった。
妻の言う通り、四日後には、手鏡に名前を叫んだ九人全員が、心疾患、脳血管疾患、肺炎、交通事故、自殺、喧嘩……などの様々な原因で、あの世へ旅立った。
私は、彼等が亡くなった知らせを耳にした時、膝が小刻みに震えるのを、なかなか止められなかった。バックヤードの椅子に、まるで根が生えたようになって、長時間座り込んでしまったのだ。私の様子見た課員達は、話したい事も話さず、一様に見てはいけないものを見てしまった、という顔をして急いで立ち去った。
(まさか……本当に死んでしまうなんて!)
自責の念と、自分が起こしたであろう、呪の具現化に対する恐怖に満ちた醜い塊に、押し潰されそうになった。入社以来、初めて専用の用紙に適当な理由を記入し、店長に許可を頂き昼前に早退し、一目散に家に帰った。
チヤイムを何度も鳴らして、妻の名を繰り返し呼んだが、ふと車がないことに気づき、多分買い物に出かけたに違いない思い、いつも持っている鍵でドアーを開け家の中へ入った。
その途端、卓上電話の軽やかな呼び出し音が鳴った。私は、いつもの癖で、ハイハイと言いながら、子機をなぜか汗ばんでいる手で取った。電話の相手は、かなりの早口で、
「自分は県警の捜査一課警部補の上田と申しますが、旦那様でいらっしゃいますか?」
という問いに、ハイと震える声で答えた。すると、彼は、低い声で言いにくそうに、しかも、馬鹿ていねいに、一言、一言かみしめるように話し出した。
「実は……奥様が運転していた車が……賀露港の岸壁から海中へダイブされました。電話で複数の目撃者より、119番や110番に通報がありましたので、パトカーと救急車、クレーン車で現場に行きました。ですが、海底より引き上げた車の中の奥様は……既に心肺停止状態でした。その場で応急処置をし、急いで救急病院に運びICUで延命処置を続けましたが、十四時十四分、残念ながら……お亡くなりになりました。ダッシュボードのポーチにありました免許証から、お名前や住所……などが判明しましたので、お宅様に連絡させて頂きました」
ていねいな説明を、まるで他人事のようにボンヤリと聞きながら、摂氏零下四十度以下にまで冷凍出来る棺桶型冷凍庫のマグロストッカーに全身入れられたようだった。――歯がガチガチと鳴り続け、その直後、身内よりブルブルと音を発して、身体全体が震え出し、心も体も、暗い闇に引きずり込まれたような感覚が、私を襲った――
本来なら、担当刑事が連絡してくるのだが、たまたま同じ海岸で釣りをして気安くなり、妻を伴って、お宅を何度か訪れた県警警視正である横田氏の計らいで、捜査を指揮する担当警部補から直接連絡が入ったに違いない。
『人を呪わば穴二つ』
と、言う格言が脳裏に浮かび、それが思考の全てを支配した。と、同時に、ハイチのブーズー教の超自然的な魔力を、信じられるような気がしてきた。
早速、タクシーで病院に着くと、担当の辻本刑事に案内され、地下にある寒々とした霊安室で、身体全体に白い布を掛けられた妻に、対面とする事になった。
(普通なら顔だけ白い布を掛けるのに!)
と、疑問に思いながらも薄暗い中で、なぜかいつものまり子でない雰囲気を感じながらも、遺体に近づいた。突然、脳裏に老婆の映像浮かんだ。霊感、予知?
シワだらけの手に例の手鏡をきつく握りしめた右手が、白い布からはみ出していた。いやーな予感に襲われながら、顔に掛けられた白い布を、思いきって一気にめくると、
「ギヤァァァァァァァァァァァァァァァァー……」
と大声で叫んだのは、私ではなく辻本刑事であった。
友人達も羨んだ、少しふっくらし色白で愛らしい、女神ビーナスが人に化身すれば、ギリシャ風の彫りが深い美さの極致とも断言し得るような、普段見慣れた妻ではなかった。
妻の顔は、老婆のようにシワだらけだった。かもし出す雰囲気は、まるで、元禄時代に起こったとされる、夫である伊右衛門≪いえもん≫に惨殺され、幽霊となって復讐を果たした四谷怪談のお岩さんのようだ。自慢の黒髪はほとんど抜け落ち、顔は赤黒い大きな腫れに覆われていた。窪んだ眼には、赤と白の入り混じった小さな魚眼のような目玉が、左右反対の方向を睨んでいる。鼻には、ゾロゾロ……とフナ虫が出入りし、耳の近くまで、黒くなった唇が裂けていた。紫色に変色した歯茎に、先が尖った四本の茶色い歯を見た時、溢れていた涙も凍る寒気と驚愕≪きょうがく≫に、私は、ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。他人から見れば、私の顔は絶望感で醜く歪められていただろう。
大きなショックを抱えながらも、両方の両親始め、親戚、会社に連絡し、翌日には近くの立派な葬儀会館で、無事お通夜式を終えた。翌日の午前十一時には告別式を営み、何事も無く無事に終える事が出来た。ただし、色々と理由を付けて、まり子の顔と身体を、絶対に見せないように苦慮はしたが……。
喪主の私が、告別式で列席者に挨拶をした後、霊柩車の後から両親、親戚を乗せた葬儀社のマイクロバスで、斎場へと向かった。朝から、まり子の死を悲しみ涙するかのような雨が、しと、しと……暗く沈鬱な空より落下し続けていた。
斎場専属のお坊さんの読経を十五分程聞いた後、我々が数珠片手に拝んでいる中、スルスルと釜に棺桶が入り、ガスに点火されて、強い炎に包まれたであろう。
「熱いわ、助けてー、助けてー、助けてー助けてー、助けてー、助けてー、助けてー……」
そんな妻の今にも殺されるような、苦悶をはらんだ絶叫を聞いたのは……私だけだろうか?
完全に白い骨になってしまうまでの約二時間、豪華な会席料理と瓶ビールとに、皆は箸とグラスをせわしなく口に運んでいたが、私は一口も喉を通らなかった。
その折に、湯灌≪ゆかん≫と死に化粧をして下さった女性に、
「亡くなったのは、ご主人様のお祖母様ですか?」
と聞かれた。が、まさか真実を言えないので答えに窮して黙って頷いた。葬儀社の担当者達は、当然、私の妻である事は知っていたのだが……。
何度も、何度も、ねぎらいの言葉を多くかけて頂いた。
「和夫さん気を落とさずに。……疲れの出ないよう気を付けてね!」
だが、心ここにあらずの放心状態であったから、まともな返事さえ出来ずに上の空で聞いていた。約二時間後、喉仏から順に主な骨を骨壷に収めた後、急用があるからと皆に言って、タクシーで誰もいない寒々とした家に帰り、一階の和室で骨壷を前にすると、堰≪せき≫を切ったように大粒の涙が出て止らなかった。ただ、ぼんやりとして一時間ぐらい座っていた。
が、ふと思いつき、壁に掛けてある額に入れた二人の新婚旅行の写真を、目近で見ようとして、立ち上がった時、突然、異変に気付いた。
羽がなく脚は棘だらけの、体長九センチ以上もある真っ黒なゴキブリが、家中に這い回っていた。壁、畳、天井、……などが隠れてしまう程の無数のゴキブリが、家を占拠しており、私に向かってゾロゾロ集まって来た。外に逃げようとしたが、足から鋭い痛みがはしった。その後も何とかしてゴキブリどもから逃れようとしたが、奴らに徐々に食べられとうとう頭まで来た……。
最後の瞬間、遥か遠くに閃光が私の脳を貫いたようÑØæ●▼。
例の木箱の中で手鏡が暴れ回り、低くてかすれた合成された音のような怨念に満ちた声(?)を出した。
【人を呪わば穴二つじゃ、イッヒヒヒヒー……】
だが、手鏡が発した無機質な言葉(?)は、雑音に紛れ周囲に小さく響いただけだった……。
――完――
呪われた玉手箱