京都の下宿での怪異
これは、私が実際に体験した身の毛もよだつ恐ろしい話である。
その怪異に満ちた出来事は、こうだ。
私は、国立K大経済学部に現役でパスしたので京都に下宿し、そこで、奇妙でおぞましい体験をしたのだ。下宿した古い民家で目撃した、信じられないような奇怪な話だ。氷の池に落ちてしまったような冷たい悪寒が、背筋を走る恐怖に満ち満ちた「怪異」そのものと言えるだろう。
まだ高校生気分が抜け切れない時に遭遇した、ショッキングで忌(い)まわしく、寒気を感じさせる心臓も凍てつくような出来事だ。どんなに豪胆な人でも、味わった刹那、意識が凍りつく恐怖談だ。
神や仏が乗り移った超自然的な感覚である霊感が、多少なりとも私に備わっている証左だ、と自負できる怪奇現象を肌で体験した。こんな出来事なんて味わいたくない、と誰でもが思う筈だ。
この古い民家の間取りは、一階に八畳、八畳、六畳、四.五畳の和室と、トイレ、風呂場があって、二階には私が生活している六畳の和室一間と、同じ間取りの和室が残り三部屋あるが、その三部屋には誰も下宿していない。更に、二階には、かなり腐食していそうな木製の物干し場がある。
キャンパスには、徒歩数分で行けるほどに近くて、しかも下宿代は近隣の下宿の半額以下である。
「こんなにも安いのに、どうして私以外誰も下宿していないのだろう?」
最初の頃は不思議に思った。この疑問は、じょじょに判明するのだが……。
私と母は、入学式の前から、大学近くの不動産さん巡りをして、格安な物件を探していた。
ここに決めた時、応対してくれた周旋屋さんの顔が、一瞬だったものの微かに曇った。この時、まるで「死神」に首筋を触られたようだ。ゾゾッと南極にいるような寒気に全身見舞われたのは、私の単なる気のせいだろうか?
家に住んでいるのは、愛想の良い七十歳代のご夫婦二人だけだ。
子供さんは、長男、長女の二人おられるが、ともに東京に住んでいて、ゴールデンウイークや盆、年末年始に可愛いお孫さんを連れて帰省するそうだ。
大学一回生になったばかりの四月上旬、強烈な恐怖でぞっとするような衝撃を受けた、おぞましいできごとがある。
人というのは、自分が信じたいものを信じる傾向にあるから、このことは恐怖好きな私の脳が、現実ではない架空話を創りだした結果かも知れないが……。
でも、繰り返し、繰り返し、悪夢のように私の脳裏に甦(よみがえ)るのだ。
この家には、苔(こけ)むした灯(とう)篭(ろう)のある広くて、手入れが良く行き届いている立派な庭があり様々な種類の木々が、葉を茂らせている。石の太鼓橋の下には、人工的でない砂を固めて造った池があって、珍しい種類の緋鯉(ひごい)や真鯉(まごい)が悠々と泳いでいる。
家は東向だったから、木々の葉が朝日を遮断したため良く眠れたので、授業に遅れそうになった時が、たびたびあった。
大学で心の通い合う友人を探しているのだが、入学して日が浅いせいか、二言三言、軽く挨拶する人がいるだけだ。友達と講義について、いや何よりもくだらない世間話をしたいのに……。
それが叶わない代償として、頭の中を空っぽにして、緋鯉(ひごい)や真鯉(まごい)が泳いでいるのを、二階からぼんやりと眺めていた。
そのことが、日頃から鬱積(うっせき)していたストレスの重い塊を分解してくれた、と言えるだろう。つまり、緋鯉(ひごい)や真鯉(まごい)が泳いでいるのを見ることで、私のストレスは解消されていた。
だが、そんな単純極まりない喜びも、ほんの束の間で消えてしまったのだ。
京都の季節が、まだ新緑の一歩手前でウロウロしている夕方、様々な鯉(こい)を何気なく見ていた。すると、大家さん夫婦が、釣り用のタモを使って色鮮やかな緋鯉(ひごい)を数匹すくい、大きな白の容れ物用バットに入れ、そそくさと家の中に入った。その間も、生命力の強い緋鯉(ひごい)は、バットの中で暴れ回っていたらしい。バタバタと音のするのが、二~三分間、二階まで聞こえていたからだ。
(鯉(こい)の体は、長い筒形で背から腹へかけての幅が広く、長短二対の口ひげがあり、食用、観賞用に広く飼養され、ドイツゴイ・錦鯉(にしきごい)・緋鯉(ひごい)など多くの品種がある。
鯉(こい)は昔から、「精がつく」「肺病に効く」「産後の滋養強壮に良い」と言われている。
今では研究が進み、次のような効能が発見されている。
一.アトピー肌の改善に……リノレン酸を多く含む。
二.滋養強壮に……タンパク質、脂 質、無機質、ビタミンが多い。
三.腎炎によるむくみとりの特効薬……利尿作用が高い。
四.血液循環や肝機能の改善……鯉(こい)をまるごと煮たエキスに漢方薬的な作用がある。
五.動脈硬化の原因となる中性脂肪を抑制する。
六.頭痛・冷え性・肩こりの原因となるノルアドレナリンを抑制する。
薬品とは違い、副作用の心配がない薬膳料理として大いに注目されている。
だが、残念ながら、鯉(こい)は、国際自然保護連合では、世界の侵略的外来種ワースト百の一種に指定されている)
この家では風呂は使えなかったが、トイレを自由に使用しても良かった。
大家さん夫婦が、家に入って十分ほどして階下に降りて行くと、般若のような恐ろしい顔をした大家さん夫婦は、先を争って緋鯉(ひごい)を手づかみで、生きたままのまだピチピチと暴れるボリームある緋鯉(ひごい)を、ムシャ、ムシャ、ムシャ、ムシャ……と厭らしい音を立てて、頭から丸かじりしている。
見てはいけないシーンを見たような気がして、できるだけ音を立てないようトイレに行き用を足し、二階へ上ろうとして夫婦を見ると、先ほどのようにまだムシャムシャと、さも美味しそうに、緋鯉(ひごい)をむしゃぶり喰らっている。
夫婦の両目から血と膿(うみ)のような液体を噴出させ、敷いている座布団が、紅く染まっている。まるで、でた液体を補充するかのように、緋鯉(ひごい)の生き血をすすっているのだ。
夫婦が顔の位置を変え、邪悪な赤い光を放っている目を、大きく見開きギョロリと私を睨(にら)んだ。私は、まるで背中に凍った氷柱を入れられたように、ガタ、ガタ、ガタ、ガタ……と震えて、味わった忌(い)まわしい恐怖のために、その場に棒立ちになってしまった。いくら、この場から逃げだそうと足掻(あが)いても、まるで金縛りにあわされたかのように、身動き一つできない。
老人は、悪魔のような凄絶な笑みを顔に貼りつかせて、キンキンと脳髄(のうずい)に響く声で言った。
「イヒヒヒヒ……あんたも、こちらにきてかじってみなはれ。美味しくて、病みつきになりまっせ!」
私は、恐怖と悪寒に襲われた。
全身震えながらも、何とか言葉を紡(つむ)ぎだせた。
「け、け、結構です。……お、お、お二人で召し上がって……ください!」
部屋の奥には、水色の照明に照らされている大きな水槽がある。そこから水面上で泳いでいる黒ヒキガエルを、網ですくいながら、二人は手づかみで頭から口に運んでいる。
もう緋鯉(ひごい)を食べ終わったようだ。
この季節、田んぼ等にはまだ泳いでいない、グロテスクで大きなオタマジャクシを、数匹まとめて口に押し込んでいる。多分、電気で温めてカエルを越冬させて、オタマジャクシを育てていたのだろう。
濁った大きな水槽には、ウジャ、ウジャいる無数の黒ヒキガエルと、オタマジャクシが泳いでいる。何とも奇怪で気味の悪い光景だ。体内の全ての血液が、逆流してしまったような感覚に陥り、私は、その場で何度も繰り返し嘔吐してしまった。
二人は、口からでようとして、バタバタと足を動かしているカエルを、何度も何度も咀嚼(そしゃく)しながら、無理やり食道へと押し込んでいる。
オタマジャクシは、体のほとんどが腸で、それがぐるぐると何重にも渦巻いている。オタマジャクシの腸の中には、小魚の死骸とか昆虫の溺死体なんかもある。つまり、胴体に腸が入っているというよりも、薄皮で包まれた腸の塊に、尻尾が生えて泳いでいるといった方が、正鵠(せいこく)を得ているのではないだろうか?
夫婦は、そんなことなぞ一向に構わず、小魚の死骸や昆虫の死体をさも美味しそうに、ヨダレをだしながら、むさぼり喰っている。
老人にしては、とても信じられないほどの凄い食欲だ。
そんな光景を見ていた私は、胃がひっくり返ったようになってむかつき、その場で、ゲロ、ゲロ、ゲロ、ゲロ……とカエルの鳴き声に似た音を立てて、またしても、何度も何度も嘔吐した。遂には、胃液もなくなり、少量のツバやヨダレしか吐けない乾嘔(からえずき)をした。
黒い斑紋(はんもん)があるカエルを飲み込んで、お爺さんが、血走った眼をして言った。
「なあに、心配しなくてもよいぞ! 初めは食べにくいが、すぐに慣れるもんじゃ。なあー、ばあさん。この味は最高じゃよ! あんたも、わしらと一緒にどうだい。この世で最高の味じゃよ。わしらも最初は吐いたが、慣れるとだんだんと美味を舌が感じだしたのじゃ。さあ、さあ遠慮せずに、こちらにきて、あんたも気楽に食べなはれ!」
「け、け、け、結構です! さ、さ、さ、さようなら!」
そう言うが早いか二階に上がり、わずかな荷物をまとめてバッグに押し込んで、下宿から逃げだそうと慌てて一階に降りた。すると、とても老人とは思えない強い力と素早さで、お爺さんに両足をつかまれてしまった。必死に両手を振りほどこうとしたが、どうしても離れない。お婆さんも、私が着ている服を剥がし、吸血鬼のような鋭く尖った歯で、胸の肉をかみ千切ろうとして、私に抱きついてくる。
お爺さんに足を引っ張られて、その場に倒れてしまった私に、お婆さんが馬乗りになり、鬼のような形相をして、かぶりついてくるのだ。
夫婦の存在そのものが悪霊だ。
私は恐怖のあまり、まるで体の筋肉や神経が麻痺(まひ)したような感覚に陥った。が、何度も何度も繰り返し暴れ、やっと自由の身になれたので、その家から飛びだして、一切後ろを振り返らずに、大学近くにある最初に訪れた不動産さんへ、息せき切って飛び込んだ。
応対してくれた得体の知れぬ寒気を感じさせた老人に、憤懣(ふんまん)やるせない苦情を、洗いざらいぶちまけようとしたのだ。
ところが、大きなタオルで顔を拭き拭き現れたのは……。
残り少ない髪の毛をきれいに整えた、五十歳代ぐらいの中年太りして、日焼けしたオジサンだった。その太って貫禄のあるオジサンは、不審な目をして、私の頭の天辺からつま先まで、ギロリと睨(にら)んだ。
きっと、私の頭からは、大量の湯気がでていたに違いない。
「あぁ、……以前、ここで周旋屋をしてはりました、お爺さんでっしゃろか?」
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……え、え、えぇ、そうです。そ、そのお爺さんは、ここにおられますか? おられたら、……も、も、も、文句を言ってやりたいのですが!」
苦しくて苦しくて、今にも息が止まりそうだったので、そう言うのが精一杯だった。まだ、恐怖心、胸の動悸と怒りが、鎮静していなかったからだ。
「えろー、汗かいて、ハァ、ハァ言っとりますなー。まあ、その椅子に座りはって、ひやっこい麦茶でも飲みなはれ。ちょっと待ってておくんなはれや」
私が、奇怪なできごとを話している途中なのにもかかわらず、オジサンは奥に行き、冷たい麦茶の入った大きなグラスを、私の前にあるガラステーブルの前に置いて、私の話を最後まで真剣に聞いてくださった。
私は、麦茶を一気飲みしたので喉の渇きは潤せ、長々と言いたいことは全て言えたから、フウーと一つ安堵の溜息を大きく洩らした。
人の良さそうなオジサンは、沈鬱(ちんうつ)な表情をして、のーんびりした口調で語りだした。
「あの爺さんでしゃろかな? 気の毒に四月四日の晩に亡くなりはったわ。寂しい一人住まいの古い家で、鴨居(かもい)にロープを使って首吊り自殺したらしい!」
「ま、ま、ま、待ってください。そ、そ、そ、そ、その話は本当ですか?」
「どうしはりました? えろー青白い顔しはって!」
「私がここにきたのは、えーと、……確か四月五日です。その時、応対してくださったのは……。そ、そ、そのお爺さんです。と言うことは、ゆ、ゆ、ゆ、幽霊と、は、は、は、話をしたのですか?」
「ほぅー。……真面目一筋の爺さんだったから、わしが店番にくるまで、多分、お客さんに応対してくれたんでっしゃろ。あり得ることでんなー。ええーと、まだ話は途中でんねん。……なぜか分かりまへんが、お医者さんの話だと、口からたくさんのオタマジャクシが、でてきたらしいですわ。わしも救急病院の地下にある、線香の匂いが充満している死体安置所で、冥福を祈って拝みましてん。と言うのも、わしは爺さんの親戚でおますからなー。それに、若い頃は、えろー迷惑をかけましてのう。まあ、そんなこんなで、この物件を相場よりもずーと安い値で、爺さんに貸しておったんですわ。爺さんが亡くなったんで、わしは仕方なくここの店番をしとりますんや。わしは、北山、今出川、烏丸(からすま)、五条……などに周旋屋を九店舗経営しとりますが、急には人の手配がつかんから、店番をせにゃならんのですわ。朝日、読売、産経、京都等の全紙に折込む求人情報誌に、募集をだしておりますが……。このご時世、宅建免許を持つ人材が、一人でも応募してくれはったら、そりゃ御の字でっせ!」
ていねいに応対してくださったお爺さんが、自殺をなさったのを聞き、しばらくの間、オジサンとともに両手を合わせて、心からのご冥福をお祈りした。
オジサンは信用できそうなので、別の下宿先を探してもらい、新しいところに引っ越した。以前下宿していた場所より、キャンパスから少し離れていたが、オジサンのご好意で家賃は相場よりずいぶん安くしてもらった。
そこはまともな下宿であったので、四年間、お世話になり平穏無事な大学生活を過ごせた。
―完―
京都の下宿での怪異