霊魂に好かれた男
念願の経営者にやっとなれた喜びと、今後の営業成績のみが、大袈裟に言えば、自分と家族の
生死に係るという不安の交錯した中で、大阪府の豊中市に事務所を開く事になった。
十五年務めた経理しか知らないサラリーマン人生とは、全く畑の異なった葬儀関係で、営業が主体の仕事であり契約一本に付き十万円の収入である。
文字通り、フルコミッションの腕だけが頼りのやりがいがあると言えばそうだが、何の保証もない事業であった。
当然ながら、研修期間が二カ月あって、ノルマもあり、週に一本契約を取ることが採用条件ではあった。だが、同期として研修を受けた四十四名のうち、最後まで残れたのは私を含め僅か二名のみであった。
葬儀会社との契約通り、二名とも営業所の二回の従業員募集チラシ費用、三ヶ月間の家賃と敷金のみ負担して貰った。
もう一人は、自称、館 ひろし、という男で、JR大阪駅西の阪神野田駅近くに営業所を開設した。この男は,外見は館 ひろしに瓜二つであったが、おつむの中は寂しく、自動車免許を持っていないので、毎朝、チャリコで新聞の朝刊を配っている。
冬の真只中、有る霧の濃い朝の四時頃,橋の上を通りかかった時、素っ裸の浮浪者らしき、八十歳位のおじいさんに出会ったらしい。橋の端(?)に座り、両手と髭面の顔を太陽(四時に見える筈がない)に向けて、AAAAAAAAAAAA……と叫んでいたらしい。
翌日も同じ所で、同じ人に遭うと、今度は、同じ姿勢ではあったが、昨日とは違いBBBBBBBBBB……と大声で叫んでいたらしい。
翌朝も相変わらずの格好で、CCCCCCCCCC……と絶叫していたらしい。
彼は、充血した白目をグルグル回しながら真剣に私に話した。
いくら大阪とは言え、そんな格好をしていれば凍死しているのに、作り話だ。
こんな逸話もある。
営業所長会議の時に、遅刻をして来た、自称、館 ひろしは、頭と額にポタポタと汗をたらしながらの言い訳は、
「地下鉄が大変渋滞していて遅れましたスミマセン」
であった。
頭と額の汗も、多分、洗面所で水を掛けただけだろう。なかなか、ユニークな性格というか、頭の中には、ピユーピユーピユーピユーと冷たい風だけが、吹き荒れているのに違いない。
多分、口から先に生まれて来たであろう人物で、大風呂敷を精一杯広げるのが特技であり、私自身も、その口と演技に騙されて何十万の詐欺に引っ掛かってしまった。
友達をペテンに掛けるとは……。
それでも、本気で憎めないのは、持って生まれた先祖伝来の優れたDNAの成せる技であろうか?
それとも、持って生まれた私自身の優しさと人の良さ(?)だろうか。
私の営業所には、四名のおばさん達が面接に来た。履歴書を見ると、皆、家庭の奥さんで第一印象も良かったため全員採用した。本当は十名程採用したかったのに、仕方がない。
私は、三十七歳で従業員は四十~五十歳の年上の人ばかりであり、聞けば葬式の経験は豊富であった。
順番に、一人は営業所に残って電話当番をしながら、契約書の整理をしており、他の三人は
担当エリアで葉書を配布するとともに、帰って来た葉書で見込みのありそうなお宅に訪問して
契約を結ぶのが仕事であった。
勿論、おばさん達を各エリアに車で連れて行くのも私の仕事の一部であった。
おばさん達には、一契約に付き、二万円支給し更に時給八百円を支払っていた。
月に八本の契約が損益分岐点(利益はゼロの売上高であり、この八本を超えると利益が出る)であったが、一人月一本の契約を取って来るのが精一杯であった。
しかし、葬儀係(湯灌の後、死体を拭いて綺麗に死化粧をし、祭壇を組み立て、お通夜式、
告別式の司会進行から、霊柩車の運転、斎場での世話までする)の清算等に同行すると、世間の相場より三~四割安く、しかも心の籠った立派な葬儀をして貰ったという感謝からか、必ず最低一本の契約は取れた。
言い忘れていたが、私は子供の頃より霊感が強く母(父は4歳の時にあの世へ行ったきり、未だに帰ってこない)と歩いている時に、前から来る人の死期を言い当て、背後霊も見える時があり、死者がどちらかと言うと、好きで少し皆とは違った少年であり、更に、今はその傾向は強くなるばかりであった。
だから、会社では経理課長をして、次長の席を目の前にしながら、皆に惜しまれながら脱サラ
をして葬儀関係の仕事に就いたのかもしれない。
お通夜式または、告別式には必ず顔を出し、署名すると共に形だけではあるがご香典も渡した。
名前を覚えてもらうのが狙いではあった。
お通夜の時は、軽くご焼香をして帰るのだが、告別式には、どうしても棺桶に魅入られて、ある時は、棺桶に遺族が生前好きだったからと言って酒の1升瓶を入れておくと、死んだお爺ちゃんが、美味しそうにラッパ飲みをしながら、私に白く膜のはった、クシャクシャの目でウィンクをし、またある時は、生前、余程の守銭奴であったのであろう、皺だらけの両手で孫の入れた子供銀行発行の1万円の札束を何度も何度も数えながら、ガンで亡くなったためか、殆んど肉のない顔を向け、私に見られたのが恥ずかしいのか、ニヤニヤと歯の無い口で照れ笑いをする。
たとえ、目をつむっても死者の行動は、映画を見ているかのようにハッキリと脳裏に投影された。どうしても、死者を目前にすれば、その霊魂の欲求が私の霊感に同調してしまうのだ。
斎場へは、普通親族だけが霊柩車の後から当社のバスで行くのだが、親族の極端に少ない場合、死者が寂しがるという理由で、止む無く同乗して行った時には、さすがの私も身も凍るほどゾーとする。
斎場専属のお坊さんの読経の後最後の別れを親族がし、愈々ガスが点火され棺桶諸共死者に
火がついた時には,アツイアツイタスケテーという声と共に、上手く死体から抜け出せなかった
霊魂が騒いでいるのを偶に目にすると、助けてあげたい気にさせられるが、私の力ではどうしょうもない。念仏を心込めて唱えるのが、私の出来る精一杯の供養だ。
二時間程して、納骨の儀が始まると、焼けずに頑張った霊魂が悲しそうに,浮遊してこの世から
去って行く先は、決まって地獄だ。意識するか、しないか、人は、必ず殺生しているからだ。
焦熱地獄、極寒地獄、賽ノ河原,阿鼻地獄、叫喚地獄……など、があり、長い刑期を終えると輪廻転生により再び、人間世界に生まれる。
但し、生まれ変わるまでには、この世の時間で二百年~八百年の後だが。
実は、私は今から約四百年前、関ヶ原の合戦に徳川方として参戦した。だが、本格的に武術と学問をその身に備えている、刀を自由自在に使いこなせる偉い侍ではない。
普段は農業に携わっていて、手柄を立てれば、今の生活も必ずや良くなるだろうと言う甘い考えで、家法の甲冑を家族全員の協力のもとに着せてもらい、勇ましい武将(?)になった様な気分で、戦に加わった。
しかし、敵味方入り混じった殺戮の現状を体感すると、歯の根も合わなく程、恐ろしくなり慌てて逃げようとした瞬間、背中のあたりに熱い激痛が走り、胸に装着した殆んど錆びて脆くなった鎧を突き抜けて、血のベットリ付いた、先のいやに尖った青竹を見てガクッと前向きに倒れ様に、今まで生きてきた中でも楽しい事ばかりが走馬灯の様に、恰も目の前で今進行している現実かの如くに瞑った瞼に映った。
無様にも、泥水の中に土下座をしているように絶命した己の肉体(死体)を、七尺離れた真上から見下ろしていると、残してきた家族の一人一人の顔が涙を伴って見えてきたが、心底からの反省の言葉を弱弱しく吐くだけで、何も自分には出来ない事に歯がゆい思いを残しながら、漆黒の闇に閉ざされた足元に、苔むした石のゴロゴロ転がっている水溜りだらけのトンネルをピチャピチャ……足音を立てながら、青白い顔をした人々(?)の列に加わり、遥か前方にある微かに霧のかかった三途の川を目指していた。
七日七晩おぼつかない足取りで歩を進め、閻魔さんにどんな判決を下されるのだろうかと、あれこれ推量しながら……。
あれから、四百年ほど地獄で修業に耐えた私は、この二十世紀の人間界に生まれ変わったが、殆んど全ての人は前世の記憶を忘れ、しかも三歳位で霊能力を失うのだが、幸か不幸かそれらの記憶をいまだに失わずに後生大事に持っており、悲しいかな、死者の霊魂についつい同情し混乱と戸惑いが全身を覆う。
一方、天国へ旅立つ場合は、亡くなる直前に幽体離脱をし、オレンジぽい色をした魂の形で
フワフワと空中を二十~三十M天に向かって浮遊し、その後この世から消えて二段階ある天国の
何れかに向かう。
現実には、病院のベッドで生死の境を彷徨っている時、真っ青な大空の下、見渡す限り綺麗な花畑の中で遊んでいると、この世のものとは思われない素敵な人が、その美しい手を振ってこちらに来ればもっと素晴らしいわよ、と招いているが、何処からともなく自分の名を呼ぶ声がだんだん大きく聞こえ、覚醒するとベッドの横で奥さんとか子供さんが、死なないでと祈願して大声で名前を呼び続けたお陰で一命を取り留めその後元気になる、という話は良く耳にする。
それは、全能なる神様のなせる御技だと思う。
しかし、果たして、その様な形で生還し得た人の全てが、天国に行けるのだろうか?
少なくとも、私の見たほとんど全ての死者は、この世に多くの執着を残し、棺桶の中ですら
お供えの饅頭やらお菓子を、まるで地獄の餓鬼のような形相でむしゃ振り食らい、中には、交通事故で即死した死者に多いが、自分の死を受容出来ずに、折角数名のお坊さん達に、有難いあの世へ無事に旅立てる読経にも反応せずに、自縛例となって事故のあった辺りを彷徨っている。
ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。
最後まで読んで下さったあなた様に感謝の意を表する、と、共にそろそろ、秘密のアッコちゃんを話す時間が来たようだ。
少しだけ私の経歴を詐称しているが、その事以外は真実を語った積りだ。
かく語って来た私も、未だに成仏出来ず、葬儀の仕事をすれば、少しでも前世, 前前世に犯した何の関わりもない十九人を殺してしまった罪滅ぼしに一役買うだろうと、密かに思っていますが、くれぐれも口外しないように……。
ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ。
すみません、つい本当の話をあなた様にしてしまった。
実は、私も、浮幽霊の仲間で、今夜あたり、あなた様の御傍に行くことに決めました。
その時は、どうぞお構いなく、ぐっすり眠って頂いて結構ですよ。
眠ることが出来れば、ですが……。
――完――
霊魂に好かれた男