詩 4

サルガッソー

サルガッソー

確かそんな名前の海があったはずだ

バミューダ島の南に広がる海域

船乗りたちが忌み嫌う、海の難所、「海の墓場」だ

独特の潮の流れと蔓延り漂って絡みついてくる藻が、迷い込んだ者たちを海に引きずり込む

そんな話を聞いた


私はそこに沈めたいものがある

船倉に積もり積もった塵や埃と一緒に

満身創痍、大声を上げて投げ捨てたいものがある

サルガッソーに向けて舵を取ろうか?

熱帯夜の操舵室で

ふと、そう思った

天国と地獄


そこは丘の上に建てられた豪邸

そしてそこから見下ろされる安アパート

両極端の暮らし

他人の暮らしを羨む気持ちがいつしか憎悪にすり替わり

それが生き甲斐にすらなっていた

親切な嘘よりも残酷な真実が知りたいと言って死刑に処された男は

あの世でも天国ではなく地獄を望んでいた

天国と地獄

それは人々の営みの中にある

遺品整理


故人の所有物が机の上に死屍累々と積み上がっている

故人との関係は同じ建物内で働いているという事実だけの

顔も名前もよくは知らない薄い繋がりだった

それゆえ薄情ながら特に故人を偲んで何かしてあげようという気持ちにはならなかったのだけれど

それが私に与えられた仕事の一環という事もあり

朝からその山と積み上げられた遺品の整理を手伝った

書類、カタログ、筆記用具、PCなどの精密機器から日用雑貨……

明らかに不要だと判断される物、大事に愛用されていたと見当がつく物、見るからに高価な物……

整理とか言いつつ、

次から次からへと出てくる遺品を前にそれはもはや物色を越えた発掘作業、いや、盗掘作業の大変さでもって坦々と進められた

どこかの土地の権利書なんかも出てきて騒ぎになったり

親しい同僚たちも知らなかった故人の意外な一面を垣間見る、幾らか悪趣味な玩具なんかも出てきた

故人に何の思い入れのない私は一人盗掘作業に夢中になり

戦利品として

無印のまっさらなメモ用紙と英雄に関して綴られた歴史書を故人から勝手に譲り受けた

多少面倒になって来ると、

使い古された名刺入れの端からポロリと、歪な作りのお守りが出てきた

開いてみると

赤い折り紙に幼い子供の拙い字で書いた

「父ちゃん、ガンバレッ 父ちゃん、ガンバレッ」の文字

数ある遺品の中でその手作りのお守りが唯一遺品らしい遺品のようだった


遺品整理は夕暮れになっても終わらず

手作りのお守りを何故か誰にも言えず、どうにも処理に困った私は

一息入れた喫煙所で

煙草の煙を線香に見立てて

人目を忍んで一人こっそりと思い入れのなかった故人を偲んでみたのだった

蛙茄子


薄味のスープと一緒に窮屈な土瓶に詰まった、紫色の蛙のような茄子ような物

私は今まで、目の前で友人が恐る恐る口にしている、その「蛙茄子(かえるなす)」という食物を一度も食べた事がなかった。

食べた事がないばかりか、見るのも聞くのも正直初めてで、私はその蛙茄子が放つ耐えがたい臭気と見た目のグロテスクさに、腹ペコだった食欲が著しく減退していくのを抑える事ができなかった。

何故そんな物を食べるのか?

目の前で蛙茄子を食している友人も、ほとんど無理やりというか嫌々口の中に押し込んでいる惨憺たる有り様だった。

蛙が茄子になったのか、それとも茄子が蛙になったのか?

その辺の事情は生憎定かではないが、友人が言うには成人なら月に一度は食べなければいけない食物らしい。

私はまったくそんな事実を知らなかったが、驚くべき事に国の法でもそう定められているそうだ。

友人は雌蛙の卵巣を混ぜたマヨネーズを蛙茄子の頭からかけ、ぐっと鼻をつまんで、なるべく噛まずにほとんど丸飲みにして蛙茄子を食していた。

ただまったく噛まずに飲み込むと、後で胃の中で蛙茄子がピョンピョン飛び跳ねそうな気がするから、口の中で再度殺すイメージで、いくらかは噛んでから飲み込んでやるんだ、と私に講義した。

蛙茄子はその臭いと見た目もそうなのだが、何より食感が甚だ不快だという。

生のままの茄子の歯応えの後に、粘りつくような蛙の肉の弾力があって居たたまれないらしく、自分が成人でなかったら絶対に食べたくはない、と苦々しい顔をした。

そして、成人男子が蛙茄子を喰わないのは罪だ。お前なんぞは非国民なんだぞ、と終いには声を荒げて私を抗議し始めた。

蛙茄子を食べない成人男子にはこの世の何の権利も与えられない。

蛙茄子を食べるのは成人の証で、蛙茄子を食べる事以外で成人である事を証明する手段はない。

そう断言する。

ならば私は成人ではないのだろうか?

私は窮屈な土瓶に入れられたその蛙茄子という食物を眺めながら、この世のあらゆる権利を失って、そのうえにどんなお咎めを受けようとも、決してこの蛙茄子なんかは食べないぞ、と空腹を抱えて腹を括った。

下北心中


無限地獄に墜ちた男たちの映画に感極まって

千歳船橋の女の尻を追いかけて下北で心中

しけた土曜の夜だった

すりかえられた運命に踊る男たちの結末を知らずに

人も疎らな雑踏の街路樹で首を括り

ぽっかり開いた無間地獄の入口に立つ

終焉は序曲に過ぎず

苦しみは果てしなくループする

下北の夜のそぼ降る雨の中

ライトアップされた哀れな男女の寝顔がしとしとと泣き

墜落して

そして笑った

2010年宇宙の旅


日溜まりに腰掛けて宇宙へ旅立つと

宇宙はひどく肌寒く、寂しい場所だった

無限に広いと思っていた宇宙空間はとても狭く、息をするのがやっとなほど身を締め付けるようだった

太陽系は寝袋にも満たない

銀河系は四畳半にも満たない

宇宙の果ては頭蓋骨の内側で反転して、未知への期待を抱かせずに地球への帰還を促す

そして地球に帰還した僕の姿はまるでおたまじゃくしのようだった

サルの遊び


今は亡き祖父に教わった“サルの遊び”に興じている
           
願い事が叶う、一種の呪いのようなものだが

この遊びをやる時に気をつけないといけないのは、嘘がつけない事だ

怖気づいたらお終い

建前でも本音でも、一度口にした願いは必ず叶う

蔵の奥の長持の中に隠して

祖父はこの“サルの遊び”を決して父には教えなかった


(我々が猿だった頃……)


布団に入って眠りにつく時に、人がまだ猿だった頃の思い出を手繰り寄せて、叶えたい願い事を口にする

夢の中でその願いが叶えば、近いうちに現実でもその願いが叶う


(我々が猿だった頃……)


外国の小説に「猿の手」という話があるが、あれはきっと“サルの遊び”に失敗した例だ

祖父はその事を教えてくれなかったが、もし教えてくれていたらもっと長生きしただろう


(力のある猿に群れを追い出された若い雄猿は、しばらくの間たった独りで生きていかなければならない……)


祖父の遺産は莫大なものだった

手繰り寄せた猿の思い出の中に祖父と父の確執があった


(我々が猿だった頃……)


怖気づいたらお終い

懲りずに今夜も“サルの遊び”に興じている

踊る台東区、目が廻り遊覧


天然記念物に指定されたあの娘を攫いに、天神様の細道を匍匐前進で北上

“最先端”の滑稽な姿で立ちはだかる慇懃無礼なスカイツリー、かわして飛び込む人畜無害な隅田川

タマヤァ~! カギヤァ~! と泳ぎ、再び北上

しだれ桜に掴まって上陸する北千住は戒厳令を布いて、浅草から馳せ参じた仲見世の老兵たちを束ねて棒切れを振りまわす

逃げまどい、時代遅れのしなを作る吉原に潜伏して好機到来を待ち、山谷のドヤ騒ぎに便乗していちかばちかの武装蜂起

背水の陣で望み奮闘すれば、雷門の鉄壁は完全崩壊! 花屋敷の要塞は全面降伏! 金龍山浅草寺の牙城は炎上!

浅草大混乱により手薄になったフランス座にて娘を見事奪還!!

踊る台東区

カモフラージュの三社神輿に乗り、逃亡
吾妻橋から東京湾に櫓を漕ぎ、亡命
進路を太平洋の遙か彼方の未だ見ぬ新天地に取って、遊覧

果ては二人だけのパラダイスか? なにはともあれ、これにて一件落着

浪花、ともあれ


無神論者が唯一拝んだり縋ったりしていい神様があるとすれば、それは「ビリケンさん」じゃなかろうか?
散々酔った千鳥足で新世界へ辿りついた我輩は、そう思い立って朝焼けの通天閣を素手で登る。
やっとこさ登りきると、浅黒いエビス顔のビリケンさん。
おはよ~さん、ごくろ~さん、と、けったいな酔っぱらいのド阿呆でお馬鹿な我輩を陽気に労う。

せやかてアンタ、勘違いしたらあきまへんで。わては確かに“ビリケンさん”ゆうて、ここいらの皆からごっつエライ神様みたいに思われとるけどな。
ホンマはそんな大したもんやおまへんねん。
わてはアンタもよう知ってはる“資本主義”ゆうて、わざわざ米国からこの浪花の地に新しい金儲けっちゅうのを吹き込みに来た、言わばがめついビジネスの宣教師みたいなもんやな。
せやさかい、なんぼほどわてを熱心に拝んだかて商売繁盛を必ず約束するなんて事はようでけへんで。
わての務めは商才のないヤツに夢のあるホラ吹いて商売繁盛を強制する事やねんから。
こうして毎日ニンマリ、ニタニタと笑ろて、不景気な顔なんかようしまへんわ。
わての母国の商人根性を日本人にも見したらな思て、とにかく陽気に笑ろとかなしゃあないのよ。
せやさかいアンタ、わてへのお賽銭はタップリ弾まなあかんで。5円や10円が相場やゆうてケチっとったら罰当たるぞ。
福沢さんの一枚でもほってくれたらな、そりゃわてかてそれなりにご利益あるよう、そらアンタ頑張るがな。

陽気でシビアなありがたいお言葉である。
我輩はなけなしの有り金を全部と柏手を三べん打ち、ビリケンさんにペコリと頭を下げて通天閣から飛び降りた。
メリケン粉がそっと受け止めてくれる淡い期待を胸に、頭をポリポリ、小賢しい世間の忌々しい痛点を掻く。
見渡す新世界の春風に乗った潔さに、
浪花、ともあれ!

エツ


深々とボタ雪が降る夜更けに、またエツが電話ボックスで暖をとっている
こたつに潜っている僕の部屋にテレフォンカードが押し戻されるピピピ、ピピピ、という微かな機械音が何度も響くから、気になって窓の外をそっと覗くと、エツが白い息を吐いて受話器に微笑んでいた

曇りガラスの電話ボックスでエツは一足先に春を見つけたのかな?

着こんだダウンコートが透けて妙に艶かしかった

「テレクラ」も「援助交際」もエツにとってはただの手段で、その記号が持つ後ろめたさには無頓着なところがあった
丙午に生まれた女の呪縛と華奢な身体にのしかかる過酷な雪国の事情が起こした衝動にただ身を任せているだけ
だからエツが言い訳としてつぶやく「退屈」の二文字は切実だ
ジャラジャラしたアクセサリーに一つだけお守りを混ぜてぶら下げては何かを期待している

事が発覚したエツは家族が揃った茶の間の団欒の檻に入れられ、反省を促され、今後二度と運命に逆らわない事を約束させられた
幼馴染の僕にしか擁護できないアマノジャクな気質がエツなんだ、そうみんなに納得して欲しかったけど、エツは春に「ふしだら」というあだ名をつけられて学校を追われた
そのうちエツに会わなくなり、その姿もあまり見かけなくなったけど、全然寂しくはなかった
むしろいなくなって、人知れずどこか遠くへ逃げてくれればいいなと思った
僕には幼馴染の勘があるからエツを探し当てるのは簡単だ
エツを逃がしてやる事の方がよっぽど難しい

生真面目で気難しい雪国で生きるには、エツは天真爛漫すぎる
絵津子だったか、江都子だったか、どっちか忘れたけど、いつも悦に耽ってるからエツだろう、って半分冗談でそう呼ぶ事にしたんだった

また深々とボタ雪が降り出した頃、いないと知りつつ僕は夜更けにそっと窓の外を覗いてみる
エツが使わなくなった電話ボックスは無用の長物で、降る雪にまかせてただ埋もれていくばかりだった

詩 4

詩 4

粕谷栄市氏の詩と町田康氏の詩に憧れています。

  • 自由詩
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-01-22

Public Domain
自由に複製、改変・翻案、配布することが出来ます。

Public Domain
  1. サルガッソー
  2. 天国と地獄
  3. 遺品整理
  4. 蛙茄子
  5. 下北心中
  6. 2010年宇宙の旅
  7. サルの遊び
  8. 踊る台東区、目が廻り遊覧
  9. 浪花、ともあれ
  10. エツ