僕はもう一度キスをした。

僕はもう一度キスをした。

僕は、許されるでしょうか…。


 青空が夕焼けに覆われた真冬の夕方、部屋のチャイムが鳴った。
 チャイムを鳴らした人物に心当たりがあった僕は覗き穴を見ずそのままドアを開けた。案の定、長めの白いコ-トを着た真由が「こんばんは」と小さな笑顔を作り立っていた。
 やっぱり…。
 心の中で呟き「何考えてんだよ」と叱りたい気持ちをぐっと堪え言った。
「病院から抜け出して来たの?」
「…うん。でもやっぱり、迷惑だったよね」
 軽く口の端を持ち上げ、すまなそうな顔をしながら「じゃ帰るね…」と呟いた。このまま何も言わず帰らせた方が良いと思いつつ「ココアで良いなら入れるよ」と言っていた。
「え?」
「どうぞ…」
 玄関のドアを大きく開け招き入れた。真由をリビングに通しながらコ-トの袖が変色している事に気づき、僕は少し考え言った。
「腕見せて?」
「何で?」と怪訝そうな顔をする真由。
「止血しないと。点滴の針、無理矢理抜いたんだろ?」
「無理矢理じゃないよ。針が刺さってる方向にちゃんと抜いたよ」
「どっちにしろちゃんと止血しないとバイ菌が入るだろ。まぁ自然に固まれば良いけど、そうでもないって自分で分かってるんだろ?」
「うん…」
「じゃコート脱いでソファーに座ってて」
「うん…」
 僕は薬箱を持ち戻って来ると、真由はコートを脱ぎソファーに座っていた。着ていた水色のYシャツの袖は赤く染まり未だに出血していた。僕はゆっくり袖をめくった。真由のやせ細った注射針の痕ばかりが残る腕を見慣れてるはずなのに何故か痛々しくて、真由に気づかれないようにしかめながら腕に触れた。
 冷たい…。
 僕は薄めた消毒液をガーゼに浸し刺し傷を消毒し始めると「イターイ」と真由は叫ぶ。僕はそんなことおかまいなしに続けた。
「家、良く分かったね。病院からここまで何で来たの?」
「バスに乗って…。探したよ家…」
「怪しまれなかったの?」
「たぶん…」
 真由は黙り出し、僕はガーゼを貼りちょっと不機嫌気味に「終わったよ」と言った。
「ありがとう…」
 真由は意地を張る事が多いが根は素直だ。
 両親に長い間高額な入院費を払わせ迷惑をかけ続けているといつも負い目を感じていた。
「謝ることじゃないよ」
「うん…」
「しっかし、来たって病院と同じだろ…。消毒臭いし…」
「同じじゃないよ。笑顔だし…」
「まるで俺がいつも怒ってるように言うんだな」
「違うの?」
「おい!」
 真由は邪気の無い笑顔を見せる。僕はキッチンでミルク多めのココアを二つ入れリビングに戻った。
「はい」
「ありがとう…」と両手でカップを受け取り冷えた手を暖めながら言った。
「部屋の中、意外と綺麗だね…。狭いけど」
「うるさい…」
 ニヤっと笑い、フーフーと形の良い小さな唇で湯気のたつカップに息を吹きかけ一口飲んだ。
「甘ーい…」
 その笑顔を見て急に僕の胸の辺りが痛んだ。
「疲れてる時は糖分取った方がいいと思ってさ…」
 と僕は真面目に言ったつもりなのに真由はクスッと笑った。
「何だよ…」
「…あの時もそんなこと言ってなかったっけ?」
「いつ?」
「初めて先生に会った頃…」

過去…。

 
 真由は僕の患者だった。いや今だって患者だ。
 初めて医師として生活し始めた頃、先輩に連れられ一人しかいない大部屋に向かった。いささか張り切ってる僕を横目に先輩は言う。
「これから会う娘は君が担当する患者さんだけどコミュニケーションを取ろうとは思わない方がいいわ」
「え?」
「まぁ話せば分かるよ」
「はぁ…」
 ノックし引き戸を開け室内に入ると一番奥の窓側のベッドに誰かいるのが分かった。先輩は「河野さん」と近づいて行った。僕は緊張しながらその後を追うと、ベッドには長い黒髪で中学生ぐらいの少女がいた。
「河野さん今度から研修医の林原君が担当になることになったんですよ」
 言われ読んでいた本から目を離し少女は僕を見ると上目使いで軽く頭を下げ再び本を読み始めた。ネイムプレートを見ると僕とほとんど変わらないような歳だった。

 それが河野真由との初めての出会いだった。
 真由は今では考えられないぐらい、勘ぐり深く、医者を嫌っていた。だからと言って診察を拒絶する事も、看護婦を困らせる事も無かったが、ただ医者を嫌い、無口だった。

 3週間が過ぎたある日の夕方、僕は睡魔に襲われていた。
 ヤバイな…。最近まともに寝て無かったし…。
 確かあの部屋、誰も近づこうとしないし、ベッド開いてたよな…。
 他の先生や看護婦にバレないように僕は真由のいる部屋に入り「どうですか、具合は?」と決まり文句を言いながら近づいて行った。真由は何も言わず読んでいた本から目を離し僕を見た。いつもの事だから返事を期待していなかったが「それなりに…」と小さな声で呟いた。
「そう…」
 僕は隣のベッドに寝転び「5分だけ寝かせて」と真由の顔を見ながら言うと「うん…」と頷いた。嬉しかったが、睡魔に勝てずそのまま僕は眠ってしまった。
「…先生…」
 身体を揺すられ目を開けると真由が僕の顔を覗き込んでいた。
「あぁそっか時間か…ありがとう…」
 僕は大口を開けあくびをすると「カバみたい…」と真由は呟いた。
「そんなに口大きくねぇよ」
「大きかった…」と真由は笑った。
「笑った顔可愛いね」
 真由は照れくさそうに下を向いてしまった。

 その日からだった。意外と真由と気が合うらしく良く本を貸したり借りたり…。
 自分のしてる事が間違いだともっと早く気づけば今みたいな関係にはならず、医師と患者で居れたのかもしれない…。

ある日の回診で。
「おはよう。体調はどう?」
「それなりに元気かな…」と微かに顔をほころばせながら応えた。
「そっそれは良かった。看護婦さんとはうまくいってる?」
「…まぁまぁ」
「へー」
「そっちこそがんばり過ぎるとまた倒れますよ」
「分かってるよ、ありがとう。あっそうだ…さっき看護婦さんからもらったんだ…」
 僕は白衣のポケットから二つキャンディを取り出し真由の柔らかい手にのせた。
「ありがとう…でも…」
「でも?」
「運動して無いから太るかなって」
「適度に糖分を取る事は大切だと思うよ」
「そうかな…」と笑んだ。
 決して僕は「そのやせ細った身体で糖分を取り過ぎたら糖尿病にはなれるかもしれないけど、太ったり何かはしないよ」とは冗談交じりだとしても、口が裂けても言えはしなかった。思いたくもなかった。思ってしまった自分を恥じた。それほど真由の病状は進み最初に会った頃に比べ更に真由は痩せて来ていた。
 僕は真由の点滴の量を調節していると「ねぇ、先生…」と真面目な顔をしていた。
「何?」
「私いつ死ぬのかな…?」
 僕はじっと真由の不安だらけの瞳を見つめながら言った。
「死なないよ」
「うん。…じゃ答えなくて良いからさ…」
「え?」
「ホントに答えなくて良いから」
「あぁ」
「私先生が好きです」
 少しの間静寂した。
「…俺は、キミを愛せるか…」
「良いの。ただ、私が先生を好きなだけだから気にしないで…」
 気にするだろ…。
 良い娘だとは思うし、気にはなってはいた。でも、遅かれ早かれ死ぬ娘を愛せるのかと自問自答を何回も何十回も繰り返し、決めたじゃないか…。

二口目のココア…。

「そうだっけ…」
 僕はそう言うと真由は「そうだよ」と言いながら二口目のココアを飲んだ。
「暖かい…」
 僕は真由の笑顔をじっと見ながら「あとで送るから病院戻ろう」と言うと真由はずっと黙ったままカップを見つめ、僕の顔を見ると「…うん」と小さな声であきらめたようにうなずいた。その雰囲気が嫌で僕は何か言わなきゃと思っていると、ブーブー…とテーブルに置いていた携帯電話が震えだし僕は表示を見て真由を一瞥し「ちょっとごめん」と携帯を持ち寝室で電話に出た。
「はい…」
「もしもし、林原先生…」と声の主は焦っているようだった。
「はい…」
「河野真由さんがいないんです…。何処か行き先に心当たりありませんか?」
「…」
「先生?」
「…ありま、せんね…」
「そうですか。あの娘点滴の針を無理矢理抜いたみたいで、止血しないと…」
「僕も探してみますよ」
「休日なのに悪いけど、お願いします…」
「はい…」
 電話を切り僕はベッドに座った。
 どうして嘘をついてしまったんだろう…。
 リビングに戻ると疲れていたらしく真由はソファーに寄りかかりながら眠っていた。真由の身体にコートをかけた瞬間真由はハッと目を覚ました。
「起こしちゃった?」
「ううん。寝ちゃったんだ…」
「らしいな」
「電話、彼女から?」と真由は遠慮がちに言った。
「彼女なんて居ないよ。病院から。君を探してるって」
「そう、なんだ…言ったの? 私がここにいるって」
「いや…」
「言えばよかったのに…」と少し震えていた。
「何で?」
「迷惑なんでしょ。ホントは…」
「そんなこと…」
「そうだよ! 絶対…」
 僕は真由と目を合わせじっと見つめていたが、真由は目線をそらし「いつ死んでもおかしくない我がままな患者に休日まで奪われて俺ってついてないって思ってるんでしょ?」と目に涙を浮かべながら言った。
「思ってないよ…」
「早く帰れって思ってる。…早く死ねって」
 パシンッ!!
 部屋中に響き渡る。
「いい加減にしろ!」
 思わず真由の頬を叩いていた。真由は叩かれた頬に手をあて下唇を噛み涙を堪えていた。
 何やってるんだ俺は…。
 そう思いながら僕はキッチンに行きタオルを濡らすと真由に渡した。真由は赤く腫れてきた頬にタオルをあて冷やし始めた。僕は無言のまま真由の隣に座り静かに抱き寄せ「思ってねぇよ…」と呟いていた。
「ごめん、なさい…」と真由の声が震えだし涙を流し始めた。
「…痛かった? ごめん…」
「ううん…」
「俺さ、そんな目で真由のこと見てたのかな…?」
「ううん…違うの。ずっと…いつ死んでもいいと思ってたのにあなたに出会ってまだ生きていたいって思っちゃったの…。でも、あの部屋に一人でいると怖くて…。あなたが休みの日が怖くて…。私どうなっちゃうんだろう。怖いよ…」
 僕は手を伸ばし涙で湿った真由の頬に触れ、小さな形の良い唇に触れ、顔を近付けて行った。震える唇と重なった瞬間…。
 分かったんだ。
 真由を愛せるかどうかじゃないって。
 僕が真由を好きなんだと。
 僕はゆっくり唇を離し驚いている真由と目を合わせた。
「どうして…」
「普通は聞かないだろ」
 納得行かない顔で「うん…」と頷いた。
「愛してるよ…。ずっと真由が好きだった」
「うん…」
 今までに見た事のない笑顔の真由に、僕はもう一度キスをした。

                                 -end-

僕はもう一度キスをした。

僕はもう一度キスをした。

青空が夕焼けに覆われた真冬の夕方、部屋のチャイムが鳴った。チャイムを鳴らした人物に心当たりがあった僕は覗き穴を見ずそのままドアを開けた…。※続きは本文へ。

  • 小説
  • 短編
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更新日
登録日
2018-01-16

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  1. 僕は、許されるでしょうか…。
  2. 過去…。
  3. 二口目のココア…。