アスタリスク

「好きなんだ」
「そうなのかもしれない。でも断言はできないわね。ただ興味を超えた範疇にあるのは正解よ」
「私的に珍しいと思うよ。今の時代に特定の事柄に対して好きになる事が出来るって」
「それは珍しい事なの?」
「少数に入るからね。最近はそう感じる環境が少ないじゃない」
「分かったわ。私は珍しい人なのね」
「その通り貴方は珍しい人なのよ」
 メアリは私の横に寝っ転がっていた。細い髪は腰まで垂れさがり金色に光る。灰色のウシャンカを被り厚いコートを羽織っている。血行が良いのであろう頬は桃色に染まり、白い肌が雪景色の中でポウっと浮いて見えた。針葉樹が生え黒く姿を見せる。岩に張り付いた苔以外には植物は息をしていない世界。空も地も真っ白であった。風が切る音さえも冷たく私たちの体温を奪っていく。それで私は隣にいる少女を見た。メアリの青い瞳が真っ白な空間に浮かぶ小さな青空に見えた。でもその青空は絵本や物語の描写に出てくる記憶しか私にとってはなかった。もし、空が青いならメアリの瞳の様にブルーで透き通っているんだと思った。
「話の続きしても良いかしら?」メアリは口を開いた。
「どんな話の続きだった?」私は聞き返した。
「昔、歴史で学んだ内容でしょ? まだこの星がこの分厚い白い大気に覆われる前の話しよ。その後になんか偉い、昔の先生がこの分厚い白い大気は凄く遠い未来に消滅するっていう話よ」
 真剣な表情でメアリは言った。私は少し考えた後に「でもその教科書を読んで説明していた教師はこう言ったわ。『そんなバカげた話はあり得ない。とんだ理想で非科学的な話だ。現実を受け入れられない弱い人間が考え、弱い人間が自分を支える為に書いてある内容だ』とね。教師がそう言うとクラスにいた大半の人たちは教師の発言に賛同したわ」
「しかし、貴方はその何百年前に語った奴の言葉を信じている。それはどうして?」
 嫌な事を聞かれたと私は思った。何故、嫌なのか理由は分からなかったが嫌だと思った。メアリが真剣に問うから? それとも私自身がその事を漠然として考えて私にとって都合の良い様に捉えてきたからか? それでもはぐらす事は出来なかった。メアリの口元は何処からしか微笑んでいて私から出てくる言葉に期待と望みを抱いている事が分かったからだ。私は瞼を閉じて冷たい空気を吸った後に答えた。
「祖母が私に見せてくれたの」
「何を?」
「古い写真集よ」
「アルバムみたいに少し大きい奴?」
「そうそう、そんな感じで少し大きい奴よ」
「多分、色んな国の景色を撮って旅行していたカメラマンがおさめたアルバムなの」
「教科書では見た事はある。何度も見たわ。過去の風景はこんな感じで綺麗でした。って奴はね。でもそのアルバムの或るページに載っていた写真は私にとって凄く現実的になったわ。晴天のブルーに薄く浮かんでいる月。白い浜辺と波をたてる海。簡単にまとめると一方通行じゃなかった。まるで世界という彼らが私たちを待ち望んでいる。だから何百年も前に書かれた古い論文は正しいってね」
 私の言葉を聞いたメアリは頷いて下を見た。私たちは崖の上に居て見晴らしの良い場所に朝早くから此処に居た。メアリの見た先を私も続いて見た。白い大地に少しばかり生えた針葉樹はアスパラガスにしか見えなかった。
「ワタシには全部貴方が言う事が分からないわ。分からないって言うのは貴方の話が見えないとかではなくて、ワタシはバラという植物が分からない、クジラっていう哺乳類は分からない、パンとチーズと牛乳と卵もワタシは分からない、その名称しかワタシは知らないのよ。だからワタシは想像する事しかできない。だから貴方の話す青い空とか白い浜辺とか歴史の授業で習った話しは聞いていてワタシは良いと思う。良いって思うのは設計図が或るのよ貴方の中には。ワタシにはないは設計図がね。だからそれを元に基礎を造って柱を建てて梁を載せて屋根を被せる事が出来ない。でも貴方には設計図があるから組み立てが出来るの。それはとても好いと思う」
「反論していいかしら?」
 私は聞いてみた。
「何よ?」メアリは頭を傾けた。
「そもそも、その貴方の言う設計図に柱が一本でも抜けていたら建ちやしないわよ」
「そうね」
 メアリはケラケラと笑った。その笑う顔はとても幼く見えた。静かに黙っているなら蝋人形にしか映らない彼女はその対照的な性格が魅力的だと私は思った。
「記憶を辿って思い出すのよ時々」
 メアリは静かに言った。
「一番、ワタシの古い記憶よ。この場所に大勢居たわ。みんな銃を構えて一斉に打ってんの。姿勢を低くしてパチュン、パチュンってね。どうしてワタシが此処に居たかって言うとね、ただ単に人手不足よ。半年間の長い防戦の間に結構な奴らがやられたわけ。それで、そこら辺にいた子供も参戦させられてドンパッチやったわ」
「学生の時に資料で読んだわ。僅か六歳の少女が八万六千体を破壊したって、自分の身長よりも高い銃を腕の様に使い、照準器は己の目だけに頼る。小さな巨人。その最初の戦いで生き残ったのは三十四人だけ。次の防戦も応援の部隊が来ているけど殆ど壊滅。その後の戦いでもメアリだけは生き残っている。最終的にこの場所は見放され、全ての部隊は撤退。残っているのは貴方だけになってしまった」
「ワタシの事をとても良く知っているのね。けれども一つ間違っているわ。部隊は撤退なんかしていないわ。みんなワタシと共に残りワタシと戦った。それで一人ずつ、だんだんと減っていた。本当に寂しい事だわ。それで、もうこの場所から撤退して別の場所に移れって言われた、偉い奴から。でもワタシにはこの場所しか知らないの。分からないのよ。他の場所に行くって事はワタシにとって死んだ事と同じだと思うの。だからワタシは此処に残って此処で死ぬわ。それともう一つ言うと」
「貴方も死ぬと思う。こんな場所居るとね」
「そうかもね」
 私はそう言って笑った。
「ワタシは色んな人に狂っているって言われたわ。でも貴方も結構狂っていると思う。だってこんな全線で最果ての土地に一人で来るなんて」
「私からすると、こんな世界は何処も最果てよ」
「貴方、学者さんよね? 調べたい事でもあるの?」
「ええ、あるわ」
 私はクスリと笑った。
「なるほど。ならワタシが貴方の研究を当ててみましょう。分かったわ! 苔ね。だって此処、苔しかないし」メアリは笑って言った。
「残念。ハズレね。私、苔には興味はないの」少し間を置いた後に「私、気象について主に研究してるの。それで全世界のこの白い大気について調べた結果、此処の一帯が時たま薄くなる事が分かったわ。理由はまだ分からない。でもデータはそう言っているのは確か。それにこの場所を防衛している村がどんなに危害を加えられても一向に退散をしようとしない。まるで何かの執念と言うか、魅惑にと言うか、そんなモノに取りつかれている様にね」
 メアリは黙っていた。そうして身体を仰向けにして両手、両足を広げた。
「二番目に古い記憶はね結構良い思い出なわけ。長い戦いの後にワタシは何時の間にか気を失っていたわ。初めての戦いで無我夢中でしょ? 持っている全ての体力、全ての意識を集中するわけじゃない? 生きたいしね。それでも限界は或るわけで崩れた砂みたいに倒れてた。焼ける匂いも、うるさい雑音も感じなくなった。このまま消えてしまうのも良いかもって思えたわ。でも消えなかった。ワタシは消えなかった。消えていたのは銃声の音と嫌な臭いだった。無音がワタシを支配していた。それでワタシはゆっくりと瞼を開いた。そしたらね」
 メアリの頬には薄くて細い線が描かれていた。その線の先が落ちると共にメアリの口も開いた。
「白い大気は消えていた。その時、ワタシは生まれて初めて夜を知ったわ。夜よ夜。本当の夜。透明で何処までも永遠に続く夜。そして夜には闇だけじゃなかった」
 私はメアリの言葉を一つ一つを聞いていた。その言葉には私が長年求めていたモノであった。心臓の鼓動が大きくなるのは止められなかった。
「夜には闇だけじゃなかったって……」
「なんだろうねアレ? ワタシにも分からないよ。例えるなら輝く砂粒、光るビー玉、小さく漏れた光とか? どうして、この白い大気の向こう側にあんな綺麗なモノがあるんだろうって考えたけど、すぐに考える事を辞めた。考える必要がないって思ったから、きっとアレは贈り物なんだよ。それ以外に何も思いつかない」
 私はやっとの思いで興奮を抑えた。それで震える声でメアリに聞いた。
「これで核心できたよ。きっとメアリたちはその白い大気の外側を観れる瞬間が何度もあってそれを守りたいが故にこの場所を必死に防戦していたんだね」と私が述べた瞬間であった。けたたましいサイレンが鳴り響き、五百メートル先に程にあるスピーカーから音声が鳴り始めた。
『敵、接近中である。敵、接近中である。速やかに避難せよ。速やかに避難せよ。レベル10。繰り返す。レベル10……』
「あはは。まだ45時間と33分しか経ってないのに来るの早いや。ごめんね。ちょっと敵さんたち倒してくるね」
 メアリーはそう言って素早く立ち上がった。パンパンとお尻に付いた雪を掃い、少女の背よりも高い銃を肩にかけた。その後、こっちを向きニヤリと笑い崖から飛び降りた。少女が向かって行くその先には炎々と赤い靄があった。すると金属が削れる音が聞こえ始め、重たい振動が地面を通して伝わって来る。この場所に確実に進んでいる事が分かった。明らかに針葉樹ではない影がウヨウヨと列を組んでいた。少女は鞄からゴーグルを出して装着した。それで再び私の方向を見た。ブルーの瞳は昔アルバムで見た晴天の青空の様であった。しかしその瞳は徐々に曇り始め、ゴーグルのレンズの所為か歪んで見えた。私が大声で呼びかけた瞬間であった。少女は反対側へと全力で駆けて行き、その小さな姿は針葉樹の奥へと消える。
「ねぇ! 待ってよ! 話しの続きを……あと少しでいいから! 貴方たちは夜以外の景色も見たんでしょ! 晴天の空! 夕焼けの空! 太陽と月! 私にもその景色を見たいの! 青いって言う本当の空を!」

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  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-01-14

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