ラブ&ヘイト 見習い天使と見習い堕天使の物語(2)

第二章 堕天使の部屋

 ここは、いまはやりのLEDではなく、定期的に、だが不連続に点いたり消えたりする蛍光灯が点った場末のバーのような部屋。部屋の壁は黒。床も黒。おまけに天井も黒。六面体全てが黒の部屋。その部屋の中には、グラスを片手に、何をするわけでもなく、うつろな焦点で、天井を見ながら、ベッドに寝転がっている老人が一人。その傍らでは、ぞうきんやチリトリ、箒を持って、ちょこまか、ちょこまかと掃除をしている若者が一人いた。
「おい、見習い。もうそんなことはしなくていい。早く、ここに座って、酒でも飲め」
「はい。堕天使様。でも、このテーブルの上を拭いたら、掃除は終わりです」
「そんなに一生懸命しなくていいぞ。どうせ、汚れるんだ。適当にやっておけ」
「はい。でも、最後まできちんとやらないと気持ちが悪いんです」
「だから、お前はいつまでたっても、見習い堕天使のままなんだ」
「すいません」
 見習いと呼ばれた男は工事現場の看板に描いてある責任者代理のように頭を下げた。
「まあ、いい。他人に何かを説教するなんて、わしの柄じゃない。お前の好きなようにすればいい」
「はい。ありがとうございます。堕天使様」
 見習いと呼ばれた男は、引き続き、ちょこまか、ちょこまかと、部屋の掃除を続けていた。ある程度、片付けが終わり、
「堕天使様、お酒のお代わりはどうしましょうか?」
「おお、よく気がつくな。もう、一杯もらおうか。いやいや、そこがお前の悪いところじゃ。酒なんか、ほっといても、飲みたきゃ飲む。わしに、気なんか使わんでもいいんじゃ」
「はい、すいません。堕天使様」
「それに、わしに様なんつけなくてもいい。様なんて呼ばれたら、背中がこそばくなってしまうわい。堕天使で十分じゃ」
「それなら、背中でもお掻きしましょうか、堕天使様?」
「もうええわ」
 すると、今まで、ベッドに寝転がっていた堕天使が急に置き上がった。
「お前も、ここでずっといるから、変な気ばかり使うんじゃ。よし、お前に暇をやる。一度、下界に降りてこい」
 見習いは、堕天使の前で、正座をした。師匠の前で、棒立ちだなんて、見習いとして許されないからだ。
「地上ですか?」
「そうじゃ、人間界じゃ」
「地上に降りて、何をすればいいのですか」
「それを考えるのが、お前の仕事じゃ、お前、堕天使になりたいんだろ?」
「はあ」
「何と、気のない返事じゃ。それが、お前が、相変わらず見習いのままの原因なんじゃ。と、言いながら、わしも、それでいいと思っているがな」
「ありがとうございます」
「礼はいらん。だが、いつまでも、お前を見習いのままにしておくわけにはいかん。お前も、いつかは、わしの後を継いで、堕天使になるんじゃ」
「はあ」
 見習いは、別に、堕天使になりたいなんて思わなかった。このまま、見習いで、堕天使様の世話をして、一日、一生を送ることができればいいと思っていた。
「その向上心のなさが、いけないんじゃ」
 見習いはびくっとした。心の中を読まれている。
「すいません」
「まあ、わしも、お前に説教するほど、偉いわけじゃないけどな。とにかく、下界に、人間界に降りて、修行してこい。修行と言う名の遊び。いたずらをしてこい。そして、立派な堕天使になるんじゃ」
「はあ」
「さあ、正坐なんかやめて、立ち上がれ。わしが、これからお前に課題を与える。この課題はクリアすれば、お前は立派な堕天使じゃ」
「はあ」
 相変わらず、正坐姿の見習い堕天使。
「地上に降りて、人間界に入れ。そして、仲のよさそうな二人、親友の仲を、お前の甘言を弄して引き裂いてこい」
「はあ」
「一組じゃ試練にならんから二組、三組、うーん、四組かな。もう、考えるのがめんどうくさいから、四組でええわ」
「はあ。でも、どうやって友だちの仲を引き裂くのですか。また、友だちの仲を引き裂くのは、あまり、よくないことだと思います」
「何べんも言うようじゃが、だから、お前は見習いのままなんじゃ。人間どもの仲を引き裂くんなんて簡単なものじゃ。それに、それくらいできなくてどうする、堕天使の名がすたるぞ。まあ、そんなこともどうでもいいけどな」
 見習いは、堕天使に出世したいなんて思わなかったが、師匠がどうしても、と言うので、従うことにした。
「ああ、いいものがあったのを思い出した。そこのカウンターの本棚に一番下に、ノートがあるだろう」
 見習いは、さっと動いた。この本の塊は、師匠の大事な物だから、片づけはしていなかった。その積み重ねられた書物の中から一冊のノートを取り出した。まだ使っていないので、古びてはいない。
「このノートですか?」
「そうだ。わしが、昔、見習いから堕天使になる時に、同じ課題をこなすために作った物だ、何しろ、わしは、無口で、うまく言葉をしゃべれないからな。実際は、このノートを使わず、ほっといても、課題はクリアできたけれどな」
「はあ。このノートをどう使うんですか?」
 見習いは、ノートを大事そうに胸に抱いた。
「何、簡単じゃ。仲の良い二人に名前を聞いて、このノートに書き記せば、友人同士が喧嘩するわけじゃ」
「はあ。名前を聞いて、このノートに書けばいいんですね」
「そうじゃ、簡単だろう」
「どんなふうにして、名前を聞きだせばいいんですか?」
「そんなの簡単じゃ。女性ならば、きれいだと、可愛いだとか、モデルさんですか、女優さんですねとか、おだてあげて、ぜひ、サインをくださいなんて言って、名前を聞きだせばいい。男性ならば、いかにも知り合いのようなふりをして、適当な名前を言えば、違うと言って、本名を言うはずだ」
「わかりました」
 見習いは、ノートをパラパラとめくった。白いページが四枚程度あった。
「まあ、そのノートを使わなくても、うまくいくはずだけどな」
「はあ」
 見習いは、自信なさそうな返事をした。
「まあ、とにかく、やってみろ。うまくいかなかったら、うまくいかなかった時のことだ。そのまま、一生、見習いのままでもいいぞ」
 見習いは、堕天使の最後の言葉聞いて、少しは安心した。
「駄目でもいいんだ」
 その言葉を繰り返し呟きながら、見習いは堕天使様の部屋を出ようとした。すると、堕天使が声を掛けた。
「ああ、言い忘れたことがあった。仲のよい二人を喧嘩別れさせることに成功すれば、西の空に文字が浮かぶからな。その四文字が揃ったら、お前の仕事は完了だ。その言葉を覚えておいて、わしに報告してくれ」
「その四文字とは、何ですか?」
「それを探してくるのが、お前の試練じゃ。先に答えを教えてはいかんだろう」
「わかりました」
「そうじゃ。それに、試練には、期限が必要じゃ。まあ、今日一日の期限をやる。それでやってみろ」
「一日ですか?」
「うまくいけば、一時間もかからないだろう。まあ、とにかく、出来ても出来なくても、どうでもいいから、一日立ったら帰ってこい。頑張れよ」
 師匠から、励ましのような、慰めのような言葉を受け、見習い堕天使は、黒部屋を出ると地上へと降り立っていった。

ラブ&ヘイト 見習い天使と見習い堕天使の物語(2)

ラブ&ヘイト 見習い天使と見習い堕天使の物語(2)

見習い天使と見習い堕天使が、天使と堕天使になるための修行の物語。第2章 堕天使の部屋

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-09-08

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