ゼパンの遺言

桜井明日香

 死にさいして、最後にいかんともしがたく人間に残されるのは、彼がその死の瞬間まで存在したことを、誰かに確認させたいという希求であり、同時にそれは、彼が結局は彼として死んだということを確認させたいという衝動ではないかということであった。そしてその確認の手段として、最後に彼に残されたものは、彼の名前だけだという事実は、背すじが寒くなるような承認である。にもかかわらず、それが、彼に残されたただ一つの証しであると知ったとき、人は祈るような思いで、おのれの名におのれの存在のすべてを賭けるだろう。

石原吉郎『確認されない死のなかで』より

 一つの水滴が彼の目を覺ました。彼はすでに温度を失つてゐたが、その水滴には意志を持つた冷たさがあつた。まだお前には爲すべきことがある。それは、無限の虚無の中で手渡された一本の蠟燭であつた。
 蠟燭は照らしだす。あれは間違ひなかつた。彼の耳には聞こえたのだ。矢雨の降りそゝぐ音が。戰士の鬨の聲が。彼の目には映つたのだ。塵埃と化した王都が。飜るパルサの軍旗が。
 それは預言であつた。告げなければならなかつた。普く衆生に傳へなければならなかつた。
 牢獄に横たはる彼の軀體には無數の蚯蚓腫れが走り、耳は削がれ指といふ指は折られてゐた。一晝夜にわたる拷問を受けて、彼には僅かな時間と僅かな力しか殘されてゐなかつた。その一秒一秒を愛ほしむやうに、朦朧とする意識の中で指を滑らせた。

 彼は、己の名に己の存在すべてを賭けた。

 雨が降つてゐた。こゝのところずつと雨だ。邊りは暗く、晝か夜かも知りえない。燒成煉瓦は水を含み、香ばしい匂ひが立ちこめてゐる。明採りの向かうからは、雨垂れが石疊を打つ音と拜火教徒の唱和がかすかに聞こえるばかり。今頃ヨルダン川は濁流となり、死海では洪水が起きてゐるのかもしれない。雨乞ひが通じたのか、はたまた拜火教徒が引き起こした災厄なのか。世間ではそんな風説が流布してゐるらしいが、今はそんなことはどうでも良かつた。
 歪な形をした試驗管、液體を沸騰させてゐる首長瓶、動物剝製の群れ、大小種々の鑷子や鉗子。それらは蠟燭と油燈に照らされ搖らめく。
 父上の硏究室には、地中海の向かう砂漠の向かうから運ばれた博物が所狹しと竝べられてゐる。私はその中でひとり机に向かひ兎の腑分けに勤しんでゐた。
 裁きの日、死せる者蘇り、善人と惡人とが分かたれ、善人は聖火により天に導かれ、惡人は業火により永遠に燒かれる――それが拜火教の教へらしい。
 いつもは斷頭後しばらくしてから腑分けをするのだが、今日は特別だ。遙か東方から「麻藥」と呼ばれる藥品が屆いてゐるのだ。地下で怪しげな儀式をしてゐる拜火教徒に頼んで手に入れたもので、彼らは隨分前からこれを使つてゐるらしい。なんでも強い催眠效果があり、外傷者に吸はせると痛みが和らぎ、豫め吸はせておくと皮膚を切開しても痛がらないといふ。
 もしそれが本當なら、外科手術に使へる。いくら治療とはいへ、苦痛に歪むあの顏を目の當たりにするといつも心が痛む。ましてや、重傷を負つた患者が大男に羽交締めにされて激痛に泣き叫ぶ、そこへ更に刃を進めてゆくのは、およそ人の爲すべきことではない。そして臨終のその時まで、苦悶の海を溺れる患者を眺めることしかできないのは、本當に――
 油燈が搖れる。
 鄭重に箱詰めされた瓶を開けると、乾燥された藥草の塊が現れた。いかにも東方の藥らしい獨特の匂ひがした。訝しがりながらも、書板通り、燈りから火を移して煙らせ、兎を容れた小箱に入れて密封する。
 兎はせはしく箱の中を動いてゐたが、しばらくすると足音がなくなつた。寢てしまつたやうだ。これも書板通り。恐る恐る兎を持ち上げて腑分け臺に載せる。それでも起きる氣配はない。相當に深い眠りのやうだ。
 少し息を荒げながら、刃の切先を見つめた。痛みを消す、そんな摩訶不思議なものが存在するのだらうか。舶來の書板に書かれてゐることは迷信や虚飾も多かつた。これも世を亂すための嘘だとしたら――
 兎の足をぐいと摑み、刃先を當てゝは躊躇ふ。刃に力が入らない。冷靜な思考と熱を帶びた好奇心が交錯する。
 私は、意を決して刃を滑らせた。するとどうだらう。腹はぱつくりと裂けてゐるのに、兎は微動だにしない。白衣を濕らせ額に脂汗を浮かばせながら、更に解剖を進めてゆく。誤つて切つた動脈から流れ出た血が机を濕らせる。血管を結紮し、腸、肝、胃、次々と剖出してゆくが、兎は動かない。といふよりも、爲す術もなくぐつたりとしてゐた。油燈の明かりを受けて獵奇的な色を放つこの兎を、生きてゐると表現するのが正しいのか、死んでゐると表現するのが正しいのか、私には分からなかつた。しかし、心臟は正しい調律で動き軀體は温かいのだ。この麻藥で痛みを取り除くことができるのは判然とした。
 實驗は成功だ。
「五十八號、お前!」
 突然、戸を開ける音がして、母上が金切り聲を上げた。
「何をしてゐる! こゝから出て行け、この奴隸風情が! この部屋には入るなと言つたはずだ!」
 ずかずかと研究室に押し入り、私の前に立ちはだかつた。手許から刃が滑り落ちる。カランと鳴る間もなく、廊下の燈りで黒ずんだ陰翳が眼前に迫つた。表情は分からないが、堅く握つた拳から穩やかでない將來を察知した。私は言ひ譯のやうに口を開いた。
「しかし母上、この部屋は父上が私に託した研究室でございます。私の硏究のために父上は――」
「默れ! 私はお前の母などではない! 穢れた血でヘベル樣の研究室を穢すな!」
 火に油を注いでしまつた。廊下に目を配らせると、憔悴した乳母が泣きじやくるアヒム樣を宥めてゐた。さういふことか。こゝは大人しく退散しよう。母上の爲されるがまゝ拳を受け取り、私は家を追はれた。

 五十八號、それは私が奴隸として市場に居たときの名前だ。父も母も知らない。氏族も知らない。物心ついたときには薄汚い奴隸商の家で同じ境遇の者たちと助け合ひながら過ごしてゐた。友人が次々と去つて行く中、私にはなかなか買ひ手がつかなかつた。何故かは知らない。そんな私を引き取つてくれたのが、ご主人樣、ヘベル樣だ。
「君は實に賢い眼をしてゐる。文字を學び書板を讀むべきだ」
 さう語りかけ、手を取つてくださつたのを鮮明に憶えてゐる。私のまことの名も、そのとき教へてくださつた。
 ヘベル樣は、この街で一二を爭ふ名醫だつた。神殿醫として、また市民醫として、毎日忙しく往診をされ、夜は渡來した博物書物の研究に費やされてゐた。法が治めるこの國では、手術に失敗したら兩腕を切り落とされる。左腕の骨折を治せなければ左腕を折られる。しかし、ヘベル樣には傷一つなかつた。それが名醫の證だつた。また法典には「治癒せしときは銀十シケルを受くべし」ともあつて、生活の資が保障され高級職人として裕福に暮らせてゐたのだ。
 奧樣とはたいへん睦まじい仲であつたが、お子がなかつた。普通なら離縁されて當然のところだつたが、奧樣を心から愛されてゐた。そして、奴隸の身分である私ごときを、あらうことか養子として迎へてくださつたのだ。しかし、奧樣、いえ、母上は、それを認めてはくださらなかつた。思へば、その頃から母上の言動は激しくなつていつた。
「役立たずの産まず女には奴隸の子が相應しいと仰るのですか」
 さう母上が迫られると、
「さうではないのだ、愛しい我が妻よ。この齡で子をまうけるのは難しい。しかし、民草を救ふ醫術を傳へるため、子を育てゝゆかねばならぬのだ。愛しい我が妻よ、どうか分かつてくれ」
 と父上が肩を抱く。この繰り返しだつた。

 そして、半年前の雨の夜、父上は神殿の馬車に轢かれて亡くなつた。
「ゼパンに研究室を託す。醫師となり我が妻を支へ民草を救へ。そして天命を知るのだ。お前は決して死んではならない」
 さう言ひ遺して息を引き取られたといふ。
 突然の訃報と時を同じくして、母上は俄に産氣づかれた。さうしてお生れになつたのがアヒム樣だ。それからといふもの、母上はアヒム樣を寵愛なさり、私を疎外された。はじめは母上に同情してゐたが、次第に白け、感情は憐れみへと變はつていつた。
 先ほどは、夜泣きが止まらないアヒム樣に癇癪を起こして私に當たつてゐたのだ。今までも幾度となくあつた。よくあることだ。落ち着くまではもうしばらく掛かるだらう。仕方ない、夜の散歩に出掛けるとしよう。

 夜の雨は冷たかつた。細い路地を聖塔のはうへ步いてゆく。「聖塔」。路地の合間からも見える、高さ十メルテもあらうかといふ堅牢な塔。うつとりするほど寸分の狂ひもないこの巨大な直方體は、この王都の心臟だ。あの上には神殿や王宮が建ち竝んでゐるといふ。下界の民である私はその壯麗な建築の一つも見たことがなかつたが、東壁の一際高い時鐘尖塔だけは見上げることができた。時鐘尖塔のたもとではいつも夜市が開かれてゐるが、今日は雨のため閑かだ。誰も居ない。聖塔の絶壁の各所にある排水孔からは、動脈を切つたやうに水が飛び出してゐた。
 これだけ雨水に晒しても血は流れてくれないのだな。毆られた頬にはまだ疼痛がある。口の中は鐵の味がした。けれども、もはや怒りや慘めさなどは感じなくなつてゐた。すつかり濡れた白衣を絞りつゝ、何とはなしに時鐘を見上げた。流雨の中、何かが光る。目を凝らすと、刃を向けられた人が尖塔の縁に立たされてゐるやうだ。いつたい何が起こつてゐるといふのか。危機の豫感が背中を撫でる。
 瞬間、ひとつの白い光が闇夜に消えた。
 人が、人が落ちたのだ!
 私はすぐさま驅けだした。泥濘を撥ね、飛沫を上げ、夜市の本通りを疾走する。あんな高さから落ちたら、ひとたまりもない。今すぐ處置しないと、命が危ない。
 その白い光は、通りの突き當たり、聖塔の斷崖の下にあつた。白い衣は赤く染まり、碧く輝く裝具を雨が苛む。
 貴人か。氣が引けるものゝ、驅け寄つて膝をつき、仰向けに起こすと、
「セポラ樣!」
 思はず叫んだ。褐色の肌、濃い眉と睫毛、理知的な瞳、そして首に提げた王章。間違ひない。第七王女セポラ殿下だ。
 意識はない。慣れた手捌きで胸と頸に手を當てる。呼吸も脈も蟲の息だ。外傷の程度は。上等な絹衣を緩めると、全身に挫創と骨折が覗いた。嚴しい。止血が追ひつかない。咄嗟に頭を守つたため腦髓が破壞されることはなかつたものゝ、まだ息があるのが奇跡的なくらゐだ。研究室まで運ぶことができたら、或いは――
「誰か、誰か來てくれ!」
 夢中で叫んでゐた。擔架で硏究室まで運べば、縫合ができる。止血できるかもしれない。
「死にさうなんだ、今すぐ、今すぐ來てくれ」
 あらん限りの大聲を上げても、路地を見回しても、無人の夜市に應へる者はなかつた。何故誰も助けない。こんなにもお美しい殿下を、誰が、何故――。額に力が入つた。
 すぐさま絹衣を千切つて包帶とし、壓迫止血に移る。そのとき後頭部に鈍痛が襲つた。痛みのあまり、目を見開く。意識と軀體は切り離されたやうになり、軀體はセポラ樣の上に横倒しになつた。をかしい。けれど思考が追ひつかない。霞みゆく意識は、一人の影を捉へた。

 ――母上?

「ゼパン、診察室の掃除が終はつたら、獸たちに餌をやつてきておくれ。私は今から往診に出掛ける」
「かしこまりました!」
 甲高い聲で應へて白衣のご主人樣をお見送りする。布切れと桶を片付けると、とことこと裏庭へ走つてゆく。柵を開けて入ると、空腹の羊や豚が集ひだした。
 こゝの獸たちは、肉にもされないし、毛も刈られないし、乳も搾られないし、鬪ひの見世物にもならない。では何のために飼つてゐるのか、昔ヘベル樣にお尋ねしたことがあつた。

「裏庭の獸たちは、實驗に使ふのだよ。病氣になつたとき熱を下げる藥を與へたり、怪我をしたとき化膿止めの藥を塗つたりして效き目を見る。病氣で、或いは壽命が來て死んでしまつたときは、解剖をする」
「カイボーとは何でございますか?」
「解剖とは、軀體を裂き、臟物と肉と骨と皮とに分かつことだ。實際に切り分けて形と色を見ることではじめて、構造を理解することができる」
「たいへん失禮ですが、肉がもつたいないやうに思ひます。干し肉にしましたら食べられますのに」
「ははは、病氣の肉や藥が入つた肉は危險であるし、老いた獸の肉は美味ではないぞ。それに解剖は干し肉にして食べるよりずつと價値がある。そなたは羊や豚の解剖が何の役に立つか分かつてをらんのだらう」
「はい、見當もつきません」
「羊や豚の構造を知ることは、人間の構造を知ることなのだ」
「さうなのですか。――獸は人間の食物や道具として神が遣はされたものでございますから、人間の構造と關係があるとは思へないのですが」
「經典にはさう書いてある。そなたは正しい。しかし、獸とて生き物であらう。生き物が生き物たるにはある一定の仕組みが必要であり、それは人間でも獸でも變はらぬのだ。だからこそ、實驗をする。人間に得體の知れぬ藥を使ふわけにはいかぬからな」
 當時私はヘベル樣のお話にとても驚いた。預言や神託の他に正しいことがあるといふことに驚いた。人智を越えた神の思し召しはあるけれど、世界の絡繰りを紐解くことはできるかもしれない。巷には神業を謳つた怪しげな祕藥や祕術が出回り、それを盲信した患者が次々と命を落としてゐる。實驗をしたら、それが誤りであることを、ヘベル樣の處方と施術こそが正しいといふことを證明できる。

 そんな遠大な計劃の一翼を擔つてゐるやうで、餌やりをさせていたゞくのは誇らしかつた。
 醱酵の匂ひに噎せながらも餌を補充し、今日も元氣かと聲を掛けながら一頭一頭の健康狀態を診てゆく。これもヘベル樣から任せられた仕事だ。一覽表には、結膜の色、毛の質感、脈の遲速などの項目が竝ぶ。私はそこに、白、乾、正などと書き込んでゆくのだ。文字が讀めるのも書けるのもこの家ではご主人樣と私くらゐだ。奧樣も奴隸仲間も、その必要がないから文字を知らない。
 獸には、それぞれ愛らしい名前がつけられてゐた。寶石、花、鳥、星を意味する異國の言葉。ヘベル樣自ら名前をお考へになり、我が子のやうに大切に育てゝこられた。裏庭の獸たちはきつと世界でいちばん幸せだらう。
 さて、一仕事終はつた。奧樣とウセルカフしか居ないので、家に居ても仕方がない。奧樣は私たちのことを番號でしか呼んでくれない。ウセルカフは奴隸仲間だが、南シナイのエジプト人で腕つぷしの強い荒くれ者。だからこそ患者の取抑へ役もこなせるのだが。この國の言葉も滿足に喋られないので、あまり關はりたくない。ウセルカフは立派な人間だとヘベル樣は仰るのだが――。
「買ひ出しに參ります!」
 さう母屋に聲を掛けて、散步に出掛けた。

 私が散步に行くといへば、東壁の市場と決まつてゐた。麺麭、麥酒、葡萄酒などの食糧、それに日用品はもちろんのこと、東方からもたらされた珍しい品々が山積みにされてゐる光景は、私の好奇心を喚起した。一步每に異國の言葉が飛び交ふ。呼び込みの聲は拔群の奏樂だ。
 商品を手に取つてはこれは何かと尋ね、その度店主に不審な目で見られた。私のやうな奴隸の童がこゝにゐるのがをかしいのだらうが、そんなことはどうでもよかつた。
 書板が粘土工場のやうに積み上がつてゐる。行きつけの書板屋に着いた。店主のご老人はいつものやうに搖り椅子にもたれゐて、限りなく細い目をしてゐるので起きてゐるのかよく分からない。そして、相變はらず客は私しか居なかつた。
「君、」
『正圓の算術』『東方曆法』『占星術』『本草學』――。書板が爛々と輝いて見える。蒙昧な現代を刷新するやうな、未來の匂ひがする。
「君、」
 寶石や細工は無學な人々を滿足させるためのまやかしに過ぎない。算學、曆學、天文學、藥學。これが文明だ。これこそが文明なのだ。書板を讀まなければ、千年前の人間にすら知識で勝てない。蠻族と同じだ。さうだといふのに、この國の人間は――
「君、君だよ。良い加減氣付いたらどうだい?」
 一際大きな聲に振り向くと、少年が私に聲を掛けてゐた。私より若干高いほどの背丈で身體はか細い。麻の頭巾を目深に被り暗がりにあつた顏が、次第に明らかになる。褐色の肌、濃い眉、切れ長の目に光る精悍な瞳。少年は眞劍な表情でこちらを見つめてゐた。
「字が讀めるのか」
 あゝ、と短く返事をすると、ふ、と不敵な笑顏を浮かべて言つた。
「君は實に賢い眼をしてゐる」
 瞬間、邊りの雜踏は消え去り、その言葉だけが内耳に傳導した。少年と私だけが照明され、汗の滲む時間が流れた。それはヘベル樣の言葉だ。
 少年は俄に私の手を取つて走りだした。腕に傳はる感觸は、今までに感じたことのない纖細なものだつた。絹の線維に觸れるやうな柔らかさ、そして芯から燃えてゐるような體溫。何が起こつてゐるのか疑問に思はないほど、これは定められた成り行きであるやうに感じた。

 この邊りで大丈夫だらうと言つて、陋巷の路地で足を止めた。顏は上氣してゐるが息は上がつてゐない。ついて行くのが精一杯だつた私とは大違ひだ。少年は不遜にも足を組んで壁にもたれ掛かり、言つた。
「名は何といふ」
 手を膝に當て息を落ち着かせながら名を名乘ると、彼はとても決まりの惡さうな顏をして、どうしてその名なんだと訊いた。私はそんな質問をされるとは全く思ひもしなかつたから動搖した。
「ご主人樣がさう名付けてくださつたんだ」
「その主人といふのは誰だ」
 矢繼ぎ早に問ひかけられ怯む。しかし負けては居られない。どこの氏族とも知らない者に低く見られては、ヘベル樣に申し譯が立たない。意を決してこの上なく尊大に名乘り口上を切つた。
「我がご主人樣は、畏れ多くも譽れ高き神殿醫にして清貧なる市民醫、王都一の名醫といへばこの御方、ヘベル樣なるぞ!」
「ヘベルか。奴も醉狂なことをするな」
 簡單に應へられて拍子拔けだ。しかし、醉狂だと?
「ヘベル樣を侮辱する者は許さないぞ!」
 口上邊りから堪へてゐる樣子だつたが、こゝで少年は聲を上げて笑ひだした。ひどく愉快さうだが、何がをかしいのかさつぱり分からない。
「ごめんごめん。この國の人間なのに奴隸で、奴隸なのに字が讀めて、氣になつたから聲掛けたんだ。君は案外たいしたことないな――けど、面白い。育て方次第で伸び代はありさうだ」
「申し譯ないけれど、狀況が掴めない。そなたはいつたい何なのだ?」
「あゝ、あたしはしがないパルサの流れびとさ」
「パルサ人がなぜこの國の言葉を話せる?」
「このくらゐ話せて當然さ、パルサは國際都市だからね」
 パルサはペラト川の東にあつた王國だ。東方世界と西方世界を結ぶ交易都市として大いに榮えた。しかし、十一年前の事變に續くパルサ戰役により、かの街は降伏し我が國に屬する邊疆となつた。今では多くのパルサ人が奴隸となりこの王都で使はれてゐる。彼もその一人か。けれども、なぜ奴隸がこんな綺麗な身形をしてゐる? どうしてこんな暗い路地まで走つてきた?
「逃げてきたのか?」
「まあね、そんな感じ」
 これはまた厄介な人と出會つてしまつた。この狀況で見つかりでもしたら、私は他人樣の奴隸を匿つたとして罪に問はれるだらう。惡いことは言はない、歸つてご主人樣に謝罪するんだ。或いは、それでは濟まないやうなことをしてしまつたのか。考へが巡り巡つてゐると、少年は輕やかに口を開いた。
「君の方こそ、どうして書板屋なんかに居たんだ?」
「いやいや、そんなことより大丈夫なのか? こんなことをしてゐて」
「あゝ、自慢ぢやないけどこゝが取り柄でね。ついでに君のやうに足が遲いこともないからね」
 自分の頭を輕く叩きながらそんなことを言つた。いちいち癪に障ることを言ふ人だ。少し睨み返してから、質問に答へてやる。
「好きなんだ、考へるのが。書板は諸國の賢人の教へを傳へてくれる。その教へはどれも普段の生活からは考へもつかないことだ。當たり前として過ごしてしまひさうなところに、神の御業とも言へる世界の美しさがある。それを知り、夢想するとき、私は本當の意味で自由になれると思ふのだ」
 ふうん、と彼は心底樂しさうに笑みを溢した。そしてそはそはと小さく圓を描きながら步き、こちらに向き直つた。
「問題を出さう。小麥の穗一つにはいくつ實る?」
 また豫想もつかないことを言つてきた。しかし、問題を出されたら答へざるを得ない。
「廿くらゐか」
「では種を百粒蒔いたら何粒收穫できると思ふ?」
「乘算か。簡單だ、二千粒だらう」
「この國では正解かもね」
「どういふことだ?」
「この肥沃な大地と優れた灌漑技術があればできるかもしれないけど、パルサの瘦せた土では蒔いた百粒を收穫できれば良い方。食糧生産力の低さを交易と外交で補ふのがパルサの生存戰略だつたのさ。この國の人間は良いよな、何も考へなくても食べてゆけるんだから」
 彼は少し目を細めた。
「――さう思つてゐたところに君がゐた。好奇心は旺盛だけど、まだまだ甘い。育て甲斐があるつてものさ。これからいろいろ教へてやらう」
「そなた、奴隸でありながら政治まで學んでゐるのか。いつたいどこで學んだのだ?」
 私は素直に驚いたのだが、にこやかな彼の眉間に皺が一つ走つた。
「一つ勘違ひしてゐることがある」
 さう言つて頭巾を脱ぐと、長い亞麻色の髮が流れ出た。叮嚀に手入れされた髮は雨に濡れた鳥のやうな光澤があり、人間のものとは思へないほど美しかつた。呆氣にとられてしばらくの間言葉が出なかつた。
「女であつたのか」
「まあ、さうだが、それが氣になるか?」
 期待してゐた言葉ではなかつたやうで、彼女は戸惑ひの表情をした。
「それはさうだ、女で文字を解する者、算術を知る者など聞いたことがない」
「君も古い人間なんだな、輕蔑するよ」
 急に興を失つた樣子で吐き捨てた。頭巾を再び被る。私は逃げる者を追ふやうに、辯解のやうに付け加へた。
「いや、見聞の狹さゆゑかもしれない。私の周りの女人は、文字など讀めなくて良いと言つて、教へようとしても頑なに拒むのだ」
 彼女は外してゐた目線を再び合はせ、短く問ひかけた。
「ぢやあ、あれはどう思ふ?」
 彼女は、路地の向かうを指差した。人が列をなして步いてゐる。全員婦人だ。なんだあれは。
「分からない、移送中の奴隸のやうに見えるが、繩で結ばれてもゐない」
「あれはパルサ人奴隸さ。ついてきな」
 再び手を引つ張られ、婦人の列に從つて步いてゆく。婦人たちはパルサの言葉で賑やかに話してゐる。きつと世間話だらう、時折笑ひも聞こえた。とてもこれから賣られる奴隸のやうには思へない。この先は樂園にでもつながつてゐるのだらうか。
「パルサではかつて女は客人を歡待し、男は客人を暗殺するのが仕事だつた。上客が離れないやうに、そして約束を良い條件に持ち込むために女が働き、約束を果たさなかつたり暴利を吹つ掛けてきたりする者を制裁するために男が働いた。交易や外交の取引で優位を保つためにはどちらも重要だつた。パルサの女は、相手を喜ばせることは知つてゐても、相手を疑ふことは知らない。刹那を生きてゐるんだ。でも、少なくとも今この瞬間においては、それがいちばん幸せなのかもしれない」
 がやがやと街を賑はせながら、婦人の隊列は一つの建物に吸い込まれていつた。
 あの建物には見覺えがある。
 急に惡心がして、そのまゝその場に嘔吐した。
「どうした? ――もしかして君は」
 私はあの薄汚い奴隸商の家で、男の相手をさせられてゐた。
「思ひ出さなくて良い」
 幻影は腦裡を離れず、嘔きが止まらない。彼女は私の肩を抱き、娼館から遠ざけた。東の市場近くの路地まで肩を貸してくれて、やうやく幻影が落ち着き、日陰に腰掛けられた。
 しばらくして、彼女は水を持つてきてくれた。
「嫌なことを思ひ出させてしまつて、本當にすまない」
「どうか氣に病まないでほしい。そなたは惡くない」
 さう――と少し間を置いて彼女が應へようとしたとき、ガランゴロンとけたゝましい鐘の音が鳴り響いた。明星の鐘だ。
 彼女は慄然と立ち上がり、急にしおらしい物腰で言つた。
「ごめんなさい、行かないと。上弦の正午にこゝでお會ひしませう」
 足早に歸らうとする彼女の裾を、無意識に掴んだ。彼女は向き直らず、たゞ足を止めた。
「まだそなたの名を聞いてゐなかつた。そなたの名は?」
「――セポラ」
 消え入りさうな聲でさう言ふと、背中を向けたまゝ遠ざかつてゆく。

 セポラ樣!
 自分の聲だ。なぜ「樣」なんて付けてゐるのだらう。いや、セポラ――どこかで聞いたことのある名だ。さうだ、あれから月每に東の市場で落ち合つて、算學や天文學を語り合つて――雨の日――白い光――落下――

 セポラ樣!

 自分の叫び聲に目を覺ますと、手足の自由が失はれてゐた。
「やつと起きたか、ゼパンよ」
 正面から泰然とした聲が響いた。
「またこの名を呼ぶことにならうとはな」
 顏を持ち上げ見上げると、そこに居たのは、大神官だつた。私はその御前で、手足を縛られて芋蟲のやうに轉がつてゐた。
「セポラ――殿下はどちらに? 大變です、大神官殿! 殿下が聖塔より落下され瀕死の重傷を負はれてゐます。今すぐお手當てをいたしますので、繩をお解きください!」
 永く眠つてゐたようだ。どうしてこんなときに暢氣に昔の夢など見るのだ。ふざけてゐる。頭痛がひどい。セポラ樣、どうかご無事で――。
「何を言つてゐるのだ、白々しい。お前が殿下を殺めたのだらう」
 瞬間、身體が凍り付いた。間違つてゐることが二つある。殿下が亡くなつたといふことと、それを私がやつたといふことだ。どちらも俄に信じられることではなかつた。困惑して邊りに目を回すと、そこは間違ひなく聖塔南面の大階段の下の廣場で、大勢の市民や神官たちが私を取り圍んでゐた。これは裁判だ。
「殿下は本當に亡くなられたのですか――」
「まだ言ふか。殿下が倒れてをられたところにお前は居たのだ。お前は大逆の罪、内亂の罪、竝びに外患の罪で公訴されてゐる。何か述べることはあるか」
 何を言つてゐるんだ、この人は。あの場で私は手當てができたのに。それができなかつたのは、毆られたから――あれは母上のやうに見えたが、そんなはずがない。母上は家で癇癪を起こしてゐた。あゝ、誰なんだ。誰がこんなことを仕組んだんだ。セポラ樣を返せ。私の無實の罪を晴らせ。
「これはどういふ仕打ちですか、大神官殿。私は醫者です。患者を傷つけることなどするはずもありません。殿下を心より敬愛してをりますし、私は氣を失ふまで治療をしてをりました。そこを何者かが――」
「そんなことを聞きたいのではない。拜火教會から、そしてパルサから何を指示されたのか。お前の間諜行爲を詳らかに答へよ。證人、前へ」
 私の怒りは斷ち切られた。間諜? 何のことだ。意味が分からない。
「申し上げます」
 神官の間から聲を上げたのは、他でもなく母上だつた。
「この者は、拜火教會と通じてをります。度々地下の禮拜堂に足を運んでは、藥品を持ち歸つてきました。その藥品は、『麻藥』でした。人を狂亂させ人を耽溺させる、そして拜火教を淫祠邪教たらしめる、あの『麻藥』です。初めは少量で多幸感を味あはせ、徐々に麻藥なしには生きられないやうにさせて、麻藥と引き替へに教會のためにあらゆる働きをさせて、最後には廢人にして捨てるといふのが拜火教の手口です」
 母上は途切れることなく滔々と語つた。外野はだんだんと騷がしくなつた。
「手に入れた麻藥を自ら使ふに飽きたらず、この者は善良な市民をも藥漬けにしようとしてゐました。私はこの目で見たのです。飼つてゐた兎に麻藥を嗅がせて狂はせ、皮を裂き臟物を取り出してほくそ笑むのを! 正氣の沙汰ではありません。市民に使ふ練習をしてゐたに違ひありません」
 違ふ。外科手術の鎭靜鎭痛に用ゐるためだ。そもそも自分に使つてなどゐない。醫學の何も知らないくせによくそんな妄言が言へたものだ。しかしこんな言説が支持される譯がない。私は醫師なのだから。どちらが正しいかは火を見るよりも明らかだ。そのはずだつた。
 醫者失格だ、狂つてやがる。罵聲が轟く。それは市民の口々から放たれたものだつた。
「そしてつひにあの晚、あらうことか殿下をほしいまゝにするために使つたのです。この者はかねてより殿下と親交がありました。思慕してゐたやうです。しかし思ひ通りにならず、麻藥で反抗できないやうにして犯さうとしたのです。その證據に、衣服は亂れ御身は露はになつて倒れてをられました。あゝ、おいたはしや、セポラ樣――」
 死を! 死を! 死を!
 市民の聲は大合唱となつて降り注いだ。それを聞きつけて人が人を呼び、譯も分からず叫びだす。市民の目はどれも血走つていた。
 違ふんだ。脱がせたのは創傷の確認のためで、衣を裂いたのは壓迫止血のためだ。第一、あのやうに危險な麻藥を外に持ち出してなどゐない。私は、セポラ樣の聰明さに心から敬服してゐる。その去り際を穢すやうなことは、これ以上許されない。
「待つてください、大神官殿。私が見たものを、見たとほりお話しいたします」
 手足の自由がない中で、必死で身體を搖すつて訴えた。續けろ、と大神官は短く命じた。麻藥の醫學的な效能、拜火教會の樣子、そしてあの晚起こつたことを嘘僞りなく申し上げ、最後にかう付け加えた。
「證人は全く見當外れの陰謀を語つてゐます。聰明なあなたがたなら判つていたゞけるはずです。私は無實です。どうか、一刻も早く、眞犯人の搜査をお進めください」
 群衆の叫びは相變はらず續いてゐた。誰も私の訴へなど聞いてゐなかつた。
 大神官はひどくつまらないといつた樣子で首を振つた。證人、何か言ふことはあるか、と尋ねると、母上は滿を持して答へた。
「お前がどんな死に顏を見せてくれるか樂しみで仕方がない」
 母上、さうまでして私を消したいのですか。ウセルカフ、何とか言つてくれ。母上の傍に立つてゐるウセルカフは假面のやうに表情一つ變へず、たゞそこにゐた。
 傍に控へる神官たちからは下劣な笑ひ聲が漏れ聞こえた。大神官の目配せで銅鑼が鳴らされ、裁判は決した。
「被告人ゼパンを大逆、内亂、外患の罪により磔刑とする」

 石張りの床に投げ込まれた。頬が床を滑る。聖塔の地下は牢獄になつてゐたやうだ。蠟燭一本の僅かな明かりが狹い虛空を照らしてゐる。振り返ると格子の外には看守の奴隸が槍を光らせ、官吏が靴音高々に巡回してゐた。
 こゝで狂亂して淺ましい姿をさらすのは恥だ。この國は法治國家。きつといつか、正當に裁かれるときが來る。さう自分に言ひ聞かせ、差しあたりの目標として腕と脚の繩を斷ち切らうと藻掻きはじめた。しかし強く結はへられた繩は解けさうもない。おい、繩を切つてくれ、牢の中だから良いだらう、賴む、と看守に言つたが、看守は見向きもしない。一切の交涉には應じないつもりらしい。仕方がない。尖つたものはないものかと牢の中を見回してゐると、綠色の球體が二つ、闇に浮かんでゐた。ひつ、と小さく叫び聲を上げた。
「よお、新入り。お前は誰を殺つたんだ?」
 さう言ひながら、ぬう、と綠眼の男が現れた。歳は廿と五六あたりだらうか、鬚をたくはへ、綠色の瞳を光らせてゐる。パルサ人だ。
「誰も殺してゐない。無實の罪でこゝに連れてこられたのだ」
「あゝ、さうだらうなあ、こゝは政治犯の牢獄だからな。しばらくよろしく賴むぜ、同居人。俺のことはヤロクとでも呼んでくれ」
「――綠。自嘲のつもりか?」
「これは驚いた。さうさ、イスラエルの言葉で綠はヤロク。お前、學があるんだな。名は何といふ」
「ゼパンだ。醫師をしてゐる」
 ヤロクは目を見開いて動きを止めた。
「お前がゼパンか――ありがたう、妹の最期を看取つてくれて」
「妹? 誰のことだ?」
 まあ、さう急かすなよ。さう言つてヤロクは慣れた手つきで繩を解いた。牢の奧のはうへ行き、泥まみれの杯を二つ持つて戾つてきた。
「ちよいと汚ねえが、こいつで我慢してくれ。祕藏の代物を開けるからよ」
 今度はどこからともなく德利が出てきた。手品師か。袖で泥を拭つて酌み交はす。なんて芳醇な葡萄酒だらう。しばし自分の置かれてゐる狀況を忘れて醉ひにまかせた。
「歡待ありがたう、しかし、そなたは何者なのだ?」
「俺はパルサの第一王子、セポラの父親違ひの兄さ。國が亡びてからは密偵としてこゝの神官に成りすましてゐたが、ばれちまつた。お前も知つてゐるだらう、あの事件のことを」
 さうだ。外患の疑ひで母上が廢妃となる、と最後にお會ひしたときセポラ樣が淚ながらに仰つてゐた。ミトラ樣はパルサの王妃であつたが、その美しさのため助命され、第四王妃に列せられた。そこにお生まれになつたのがセポラ樣だ。といふことは、この男は、パルサ戰役以前に生まれた、ミトラ樣とパルサ王との子か。聊か信じがたい。
「連中は母上が叛亂を指揮してゐたといふが、そんなはずはない」
「どうしてさう言へるのだ?」
 あんな訊問を受けたせゐか、私は少し猜疑的になつてゐた。ヤロクは眼を細めて答へた。
「母上はそんな人間ぢやないさ。母上は綠の多い北方出身で、政の都合でパルサに嫁いできた。しかし砂漠の王國には馴染めなかつたのだらう、滅多に口を開かず、每日祖國を思つては靜かに淚してゐたさうだ。そんな母上のために、父上は空中庭園を造つた。北方の森に似せて造らせた庭園だ。父上の愛は深かつたが、それでも母上の心を埋めることはできなかつた。常に心こゝにあらず、何にも屬さず、執着もせず、大いなるものに振り回され續ける、それが母上なんだ。きつとこれからも――」
 ヤロクの表情は、母思ふ子の憂ひそのものであつた。榮華を極めた國の王子が、このやうな薄暗い牢で閉じ込められることにならうとは、誰も思ひもよるまい。
 俄に顏を上げて、ヤロクは言つた。
「けど、パルサが叛亂を計劃してゐたといふのは本當さ。俺が母上とセポラをこの王宮から脱出させて、セポラを女王に立ててパルサの自治を取り戾す算段だつた。それがこの樣さ」
 叛亂組織制壓の大義名分として、セポラ樣は神官から刃を握らされたといふ。事變を起こせ、と。平和的な自治權回復を目指されてゐたセポラ樣はしかし、これを拒否された。そこで神官と口論となり、脅迫、威嚇され、聖塔の端まで追ひやられた。すべてを悟つたセポラ樣は、御身の潔白を守るために、そしてパルサの誇りを守るために、身を投げられたのだといふ。
 なんと素晴らしい、立派な最期だらう。御身を犧牲にしてパルサの名譽を守られ、民に範を示されたのだ。義の人として生き拔かれたのだ。
 それなのに、ヤロクは拳を床に突き立て齒軋りをしてゐた。
「セポラ樣は立派な最期を遂げられたのだ。妹君を誇りに思つてやれないか」
 優しく聲を掛けたつもりだつたが、きつ、と鋭い目つきでこちらを睨んだ。
「生きてさへゐれば、俺が助けてやれたのに。誇りなど溝に捨てゝしまへ。國などどうでも良い。そんなもの後から何とでもなつたんだ。生きてさへゐれば。生きてさへゐれば――」
 大の男が號泣するのを見るのは初めてだつた。縋りつく先もなく深くうなだれて、唇を噛んでゐるやうに見えた。
 しばらくして、すまねえ、取り亂しちまつた、と苦笑ひをして言つた。私は、セポラ樣の死をどう考へたらよいのか分からなかつた。名譽と尊嚴を稱へるのがいちばんの弔ひだと思つてゐた。かうやつて全身で悲しんで良いんだ。兄君が悲しむのは當然だが、私も淺からぬ付き合ひで永い時間をともに過ごしともに語らつた間柄だ。それなのに、冷靜を裝ふなんて。私には人の心がないのだらうか――。
 しかし、王子といふ立場の者から誇りを捨てよと言はれるとは思はなかつた。さきから氣になつてゐたことを尋ねた。
「そなたがパルサの第一王子であるなら、どうしてそなたが王とならない? なぜセポラ樣を女王に立てようとしたのだ?」
「知らないか? 『忌み子』といふパルサの習はしさ」
 長子は母の穢れを一身に背負つて生まれてくる。それゆゑ、その者は自分に生を與へた母親に必ず復讐する。拜火教の舊い言ひ傳へだ。パルサでは、この難を逃れるため、長子は「忌み子」として、みな死産するのだといふ。産聲を上げる前に産婆が赤子の口を塞ぎ、遠くへ隱す。そして母親には、お氣の毒でございます、死産でございました、と告げるのだ。しかし、その赤子はひそかに拜火教會で育てられ、奴隸として流通する。パルサ人の奴隸なのだから、パルサに叛旗を飜したりはしない。つまり質の良い忠實な奴隸を安定供給することができて、教會の大きな資金源にもなつてゐる。宗教や因習さへも經濟活動にしてゐるのだといふ。
「だからといつて王の子を奴隸にする譯にはいかねえ。王家とは異なる者――『月の者』になるんだ。表に出してはいけない、闇の異人。俺はさうして、明るみにできない仕事をしてきた。それゆゑあの戰爭で私と母上だけが生き殘つたんだ。でも、國民はおろか、母上ですら俺が實の息子であるといふことを知らない。俺が何者なのか、誰も知らないんだ。まあ今更それを明かしても、忌み子として石を投げられるだけなんだけどな」
 なんといふことだ。唯一の肉親がそこに生きてゐるのに、天涯孤獨の悲劇を生きてゆかなければならないといふのか。そんな習はしで誰が幸せにならう。
「ははは、すまねえ、またたくさん喋つちまつた。歳をとるとこれだからいかねえ。もうそろそろ夜だらう。寢るとしようか」
 ヤロクは努めて明るくゐた。
 寢る支度といつても、そこに橫たはるだけだ。氣の利いた寢具があるはずもない。寢心地の良ささうな場所を見つけて、そこで寢轉がつた。目の前の埃が氣になつたから吹いてみた。すると、蚯蚓のやうな、くねくねとした何かがいくつかあつた。何かしらの意味がありさうだ。文字か。楔形文字でないとすると、アラム文字か。子音字と母音字の組合せであるから、ええと、
「――ぜ――ぱ――ん」
 ゼパン? どうして私の名がこゝに?
 聲に出てしまつてゐたやうだ。どうした、とヤロクが應へた。譯を話すと、
「こゝだつたのか、お前の親父さんが亡くなつたのは」
 私の父だと?
「ヘベルから聞いてねえのか? お前の親父さんはお前と同じ名のゼパンといふ神官だ」
 さういへば、ゼパンといふ名について、ヘベル樣は何も語らうとされなかつた。まだそのときではない、とその度に仰つてゐた。
 神官ゼパンは、パルサ戰役前夜、唐突に開戰反對を表明した。神の教へに立ち返れ。戰端を切れば神の怒りによりこの王都が火の海になる。さう預言を受けたといふのだ。この國では預言は絶對だ。預言に從はないといふことは、神に背くといふことだ。しかし、もはや誰にもそれを止められなかつた。ゼパンを支持する神官は一人として居らず、パルサに通じた國賊として血祭りに上げられた。戰役は完勝に終はり、王都から敵影を見ることすらなかつた。全くの妄言であつたといふことだ。たいていの神官はさう考へ、ゼパンは人々の記憶から消えていつた。
 私はその話を聞いても、何も思ひ出すことはなかつた。怒りや悲しみすら覺えなかつた。それがひどく悔しかつた。私は實の父の名前すら知らなかつた。私は何も知らないんだ。
 母について何か知つてゐるかと尋ねたが、ヤロクもそこまでは知らないといふ。
 私の父は神殿の神官で、國賊として死んだ。惡い夢物語のやうだ。私はいよいよ自分が何者なのか分からなくなつた。

 なかなか寢付けず、蠟燭の搖れをひたすら眺めてゐると、格子のはうから聲が聞こえた。
「殿下、これが焔硝でございます。――えゝ、首尾は上々です。――明日がその日のやうです」
 パルサ語のさゝやきが漏れ聞こえる。間者は間者を呼ぶといふことか。しかし、エンシヨーといふものは何だらう。缺伸して眠りに就いた。

 翌日のゼパンは昨晚とは見違へるほど活發だつた。
「父上が預言を教へてくれた! 父上は確かにいらつしやつた! 父上は嘘つきではなかつたんだ!」
 興奮氣味に、さつきからそればかり繰り返してゐた。きつと夢に親父さんが出てきたのだらう。
「さうだ、昨晚君は何者かと話してゐたな。エンシヨーとは何なんだ? 火に關係するものか?」
 聞き耳を立てゝゐたのか。それにしても勘が鋭い。もう最後だ、一切を教へてしまはう。
「さうさ、焔硝は東方からもたらされた新兵器の原料。砂漠で採取された焔硝に、木炭と硫黃を混ぜ合はせれば黑色火藥の完成さ。これはその試作品つて譯だ。こんだけあれば、尖塔の一つくらゐは爆破できるだらう」
 さう言つて、粉末が一杯に入つた箱を誇らしげに見せた。ゼパンは少年のやうに眼を爛々と輝かせて見入つてゐる。
「これを使つて反攻作戰に出る。もうこの街にはパルサの叛亂組織が拜火教會として網の目のやうに潛伏してゐる。俺が號令を掛けた日には、すぐにこの王都は火の海になるだらう。そして、今日がその日だ」
「火の海――なんと素晴らしい! こんな街、そなたの手で燒き拂つてくれ。そなたの作戰は必ず成功する。安心して良い。預言がそれを示してゐる。私もそなたもこれで晴れて自由の身だ、ははは」
 自分の國がなくなるといふのに。昨日俺が話しすぎたからだらうか。ゼパンは氣ををかしくしてゐた。君も堪へられなかつたか。

 私はやつと、心から信じられるものを見つけた。そして復讐すべきものを見つけた。さあ、始まるが良い。あゝ、そなたたちがどんな死に顏を見せてくれるか、樂しみで仕方がない。

 晝九つ頃、事が動いた。黑服の男が音も立てずに看守たちを倒してゆく。それは間違ひなく暗殺者の仕事だつた。彼はヤロクに近づいて、ミトラ殿下が刑場へ向かはれてをります、こちらへ、と言つた。ヤロクは默つて肯いた。簡單に格子の扉が開き、足に付けられた鎖も外された。自由だ。その自由を噛みしめる間もなく、ヤロクに手を引かれた。迷路のやうに複雜な廊下を曲がりながら走る。走る。
「お前、瘦せつぽつちの割に走れるんだな」
「そなたの妹君に鍛へられたんだ」
 さうか、とヤロクは誇らしげに笑つた。
 やつとのことで外へ出た。北の刑場だ。刑場の前は人集りができてゐて、あゝ、ミトラ樣が連行されてゐる。
「ゼパンは北の城門へ逃げろ。こゝはじきに火の海になる。お前は生きろ」
 さう言ふと、ヤロクは一瞬笑顏を見せて、――お前は大丈夫だ、と言つた氣がした――私を階段から突き落とした。あまりにも不意の出來事だつたので、私は豪快に地上まで轉げ落ちた。手をついて立ち上がり階段の上を見ても、そこにヤロクの姿はなかつた。きつと彼は、ミトラ樣を救ひ出して叛亂組織に大號令を掛け、祖國を復興させるのだらう。英雄的な革命家だ。かうしてはをられない。早く逃げなくては。
 そこに、計算したかのやうにウセルカフが現れた。
「ヤロクからはなしきいてる。こゝもえる。にげる。ついてこい」
 どういふことなんだ。しかし永くこの王都に住んでゐるが、北の街區は不案内だ。荷物や患者を運ぶのが仕事のウセルカフのはうが、この邊りの街路を熟知してゐるだらう。ひとまずはついて行くことにした。
 しばらく步くと、群衆の叫びと男の高々とした聲が聞こえた。あれは――ヤロク? ウセルカフを無視して、群衆の中に分け入つた。刑場の中心には、崩れ込むミトラ樣をヤロクが抱きかゝへてゐた。
「我が名はラフシヤーン。パルサ先王の第一王子である。パルサは滅びぬ。何度でも蘇る。誇り高きパルサの戰士よ、起て。己が國を取り戾さうではないか。我と母は光となりて道を示す。神と一體となるのだ。我に續け! ――神は偉大なり!」
 閃光を放つて、ラフシヤーン――ヤロクは白い光と煙の中に消えた。爆熱が眼を燒いた。直後、爆音が轟く。
 群衆は神が現れた、裁きの日だと叫び、大聲で經典を唱和した。
 彼は、光になつた。
 
 嘘だ。
 嘘だ。群衆は誤つた眞實を見てゐる。私は、見たのだ。彼が火を點けるのを、見たのだ。自らに火を點けるのを、見たのだ。私は、知つてゐる。私は、自慢氣に語る彼を、知つてゐる。焔硝の威力を自慢氣に語る彼を、知つてゐる。私は、誇りなど捨てよと言つた彼を、知つてゐる。生きてさへゐれば良いと言つた彼を、知つてゐる。私は、母を愛する彼を、知つてゐる。忌み子として疎まれても、母を愛する彼を、知つてゐる。私は、聞いたのだ。彼の口から、聞いたのだ。
 なぜだ、なぜ彼が自死を撰ばなければならないのだ。

「おい。こつちだ」
 群衆の中からウセルカフの手が伸びてきて、私の腕を掴んだ。私は光の痕を見つめながら、たゞその力に引かれた。人々は混亂してゐる。群衆は秩序なく走り回り、あらゆる場所で叫び聲が響く。それに混じつて、黑服の男たちが、經典を唱和しながら家々や聖塔に次々と火を放つてゆく。そんな末期の混沌を尻目に、北の城門を目指した。
 さすがに城門近くは閑散としてゐた。ウセルカフは、こゝでお別れだと言つた。
「オレじゆう。シナイかへる。オマヘじゆう」
 どうして私を助けてくれたのだらう。私はウセルカフと距離を置いてゐた。彼もそのことは分かつてゐたはずだ。
「ヘベルさま、やくそく。オマヘいきる。オマヘ、オクサマまもる」
「母上は既に城門の外にをられるのか?」
 さうだ、と相變はらず假面のやうな表情で答へた。なんて忠實な人間なのだらう。ヘベル樣の仰つてゐたことがやつと分かつた。
 堅い握手をして互いの無事を祈る。別れの挨拶をして、ウセルカフはシナイへ遠い旅路を行きはじめた。私も行かう。彼にあんなことを言はれてしまつたんだ。せつかく手に入れた自由だが、まずは母上を搜さねば。城門の兵士に話しかけようとしたそのとき、轟音を響かせて、城壁がゆつくりと――倒れてきた。

 硝煙の匂ひが鼻をつく。やけに埃つぽい。何度か咳をして、上體を起こした。
 そこは、瓦礫の原野であつた。私は死んだのだらうか。乳白色の濃淡しかない、何もない世界。こゝこそ神のおはします約束の地なのだらうか。あちこちで小さな炎が燃えてゐる。建物といふ建物は塵埃と化し、辛うじて聖塔と城壁の一部がそこに立つてゐた。さう、こゝは王都だ。夢で父上が語つたとほりの光景が目の前に廣がつてゐた。
 ウセルカフ! 母上! アヒム樣!
 氣付けば叫んでゐた。その聲に應じる者はなく、その聲が響くこともなかつた。聲が虛空に吸ひ込まれてゆく。
 ヤロク! ミトラ樣! セポラ樣! ヘベル樣!
 ――父上! 母上!
 もう亡くなつた人も、こゝにはゐる氣がした。こゝでなら會へる氣がした。
 そんなことをしながらしばらく步いてゐると、弱々しい呻き聲が聞こえた。生きてゐる人が居るのか! すぐさま聲のしたはうへ走りだした。醫師の本能がさうさせるのだ。驅け寄ると、その人は城壁に全身を挾まれて顏だけが見えてゐた。待つてください、すぐに出しますから、さう聲を掛けて、城壁を力一杯押した。びくともしない。方針轉換。すぐ近くに落ちてゐた槌を拾ひ、城壁に打ち付けた。燒成煉瓦の壁だ。すぐに罅が入る。よし、この調子で――何か言つてゐる。その人は何か言つてゐた。口元に耳を近づけると、サナト、と言つてゐた。意味が分からない。きつと極限狀態による妄言だらう。間を置かずに槌を打ち付ける作業へ戾つた。壁が割れた。もう少しですよ、頑張つてください、と聲を掛けたが、さきまであつた反應がない。まさかと思ひ口と頸筋に手を當てると、既に亡くなつてゐた。槌が手からするりと拔け落ち、私はその遺體の前で立ち盡くした。また助けられなかつた。いつたいどうしたら良かつたんだ。サナトとは何だつたのか。――もしかすると自分の名前なのではないか、と思ひ當たつた。私はその名前をもう一度呼び、祈りを捧げた。
 それから何人も、同じやうな人を見た。兵士も、市民も、みな口々に自分の名前を言つて死んでゆく。見知らぬ人に名前を告げて何にならう。私にどうしろと言ふのだらう。
「そこの兄ちやん、すまねえがこの脚に載つてる石を何とかしてくれないか」
 そして見かけた兵士は、よく喋る人だつた。私は力一杯押したり引いたり、棒を差し込んで梃子の原理で石をどけようとしたが、何度やつても石は動かなかつた。
「兄ちやんすまねえな、ありがたう、おらあこの石と仲良くするよ。それよりこの老ひぼれの話を聞いていつてくれ」
 彼はパナト川の上流出身で、傭兵としてパルサの抵抗組織に雇はれたのだといふ。今回の作戰は飛び拔けて高い報酬が約束されてゐた。どんな嚴しい戰場なのか、どれほど劍を振り回せるのかと期待してゐた。しかし、作戰は常軌を逸したものだつた。傭兵隊を城内へ突擊させて戰場を攪亂、後詰のパルサ本隊が擲彈を投げ込み、味方の傭兵ごと爆殺した。
「もとからおらたちを殺す氣だつたんだ。そのための大金だつたんだらう。パルサらしいや」
 その人は鼻で笑つた。パルサ人とはさういふ人種だつたのか。信じたくはない。
「おらあゾテフつて言ふんだ。行けよ。おらあこのとほりだから逃げらんねえ。西の城門からなら追手もつかねえだらう」
 何もできず立ち去るのは申し譯なかつたが、ゾテフが背中をばんばんと叩くので、步き出すことにした。數步行つて振り返ると、彼は倒れてゐた。激しい頻呼吸をして、みるみるうちに全身が青ざめてゆき、苦悶の表情で絶命した。何も手當てができないほどの早さだつた。私は彼の名前を唱へて祈りを捧げるしかなかつた。
 氣付けば私は、助けを求める腕を振り解く人間になつてゐた。なぜ生きるべき人が死んで、なぜ私が生きてゐるのか、分からなくなつた。私の視界の中では、樣々な死が演じられ、無事の者は熱心に追ひ剥ぎをしてゐたが、その一切に興味がなくなつてゐた。
 瓦礫の中に、辛うじて原形を留めた建物を見つけた。橫になるのに良いかもしれない。扉を開けると、赤子を抱いた女が部屋の隅に坐つてゐた。女は目を見開き、戰慄して叫んだ。
「どうか、この子だけはお救ひください!」
 母上、何を仰るんですか、搜してゐたんですよ。母上もアヒム樣も無事で本當に良かつた。
「どうか、この子だけはお救ひください!」
 裁判のことは、もう良いのです。母上は母上の守らねばならぬものがあつたのですから。
「どうか、この子だけはお救ひください!」
 その聲が、張り詰めた絲を切つた。心にもないことを言ふのは、もう止めた。私は足許にあつた劍を取り女の頸に宛がつた。
「さうだ、その顏だよ、私はずうつとその顏が見たかつたんだ。お前の生き死には私の一存だ。もつと鳴けよ、なあ!」
 部屋にあつた甕を蹴り壞した。
「お前はあれほど永い間身籠もらなかつた。お前は夜の相手にならなかつたんだ。お前の夫は男色の下種だつたんだよ。お前より私のはうが好みだつたらしいぜ。吐き氣がする。なあ、その赤子は本當に夫との子なのか? 夫の浮氣相手を息子に持つのはどういふ氣持ちだい? なあ、教へてくれよ」
 女の腕の中で、赤子がこちらを見てゐる。
 いゝや、どれも本當なんだ。
「君は實に賢い眼をしてゐる」
 私は劍を投げ捨てゝ膝をつき、赤子に語りかけた。
 死にゆくものに手當てするのはむごいと思ふかい。
 生きながらへるのは卑しいと思ふかい。
 この世界は救ふに値すると思ふかい。
 愛することは美しいと思ふかい。
 守りたかつた者を守れなかつた。尊敬する人のことすら踏みにじつてしまつた。そんな者が生きてゐて良いと思ふかい。
 赤子は滿面で笑つた。

 父上、一つは間に合はなかつたけれど、もう一つはこれからきつと果たします。
 そしてもう一人の父上、私はこの名を背負つて生きます。あなたを遺すために。あなたがあなたとして生きたといふ證を遺すために。

「兄樣、これは何です? 遺言だなんて物騷な」
「あゝ、アヒム。それは私であつて私でない人のものだよ」
「謎かけですか? 全く、診察臺の上では寢ないでくださいね。母上、また兄樣が――」
 アヒムは診察室を出て言ひつけに行つてしまつた。やれやれ、また母上にお小言を言はれてしまふな。しかし、そんなことで惱めるやうになるとは思ひもしなかつた。
 これを語り繼ぐかどうかは、そなたたちに任せる。
 机に置かれた書板の冒頭には、かう書かれてゐた。

 ゼパンの遺言、と。

ゼパンの遺言

おことわり
この物語は虛構です。登場する人物・團體・名稱等は架空であり、實在のものとは關係ありません。また、現代では差別語や不適切語とみなされるものもありますが、當時の時代背景を鑑みたものであり、著者にその意圖はありません。

ゼパンの遺言

  • 小説
  • 短編
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  • 時代・歴史
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