幻影
『 幻 影 』
私の部屋の壁には、一枚の女物の民族衣装が掛かっている。
少し、古びて黄ばんでしまっているが、私には思い出深い大事なものだ。
その民族衣装はメキシコのユカタン半島にあるメリダという街で昔買ったものである。
綿で作られたワンピースタイプの民族衣装で、純白の生地に、赤・青・緑・黄と、色とりどりの刺繍が襟元、胸元、裾のあたりに施されている。
また、裾は繊細なレースで飾られてあり、とても華麗で優美な衣装である。
グアテマラの貫頭衣・ウイピルとは異なり、現地では『テルノ』と呼ばれている衣装で、ユカタン・マヤの女性が着ている代表的な民族衣装である。
メリダでは男性が着る『グアヤベラ』と対をなし、女性が正式な晴れやかな場で着る衣装とされている。
私はこの美しく繊細な衣装テルノ(私はユカタンドレスと呼んでいたが)を一人の女性に贈るために買った。
刺繍は機械では無く、全て手で丁寧に刺繍されており、刺繍もたっぷりと施されており、当時の私の収入から言っても、かなり高価なものであったと記憶している。
しかし、その女性がこの衣装に袖を通すことはついに無く、今は思い出の品物として、私の部屋の壁をさびしく飾っている。
そして、嘗ては純白を誇ったその生地もかなりの年月を経て、少し褪色し黄味を帯び始めてきているが、私の思い出は色褪せること無く、今も当時のまま、色鮮やかに私の心に残っている。
当時、私はメキシコのユカタン半島にあるユカタン州の州都メリダという街で暮らしていた。
日墨交換留学研修制度に基づき、勤務している会社から企業研修生として派遣され、メリダにあるユカタン州立大学の人類学教室の聴講生となった。
日本では既に大学の工学部を出ている私がユカタン州立大学で学んだ学問は専門分野では無く、人類学的に見たマヤの民俗学という分野であり、特に会社から命じられた研究分野も無く、約一年弱といった短い期間ではあったが、かなり気楽な第二の学生生活を送ることが出来た。
メリダはユカタン半島の北部に位置する都市で、嘗てはエネケンという麻のロープの生産でスペインの植民地時代に繁栄を誇った街であり、現在も、エネケンで財を成した商人の白亜の大邸宅がモンテホ通りという大通りを挟んで両側に当時のまま林立し、メリダの観光の一大名所ともなっている。
メリダでの滞在も約二ヶ月が過ぎ、日々の暮らしに慣れたところで私は週末を利用してメリダ周辺を小旅行するようになった。
その頃、メキシコの独立記念日を迎え、学校も二、三日ほど休みとなることが判った。この休暇を利用して、私はカンペチェに行きたいと思った。
カンペチェに関しては、特に深い思い入れは無かったが、ユカタン半島で隣接した州、カンペチェ州の州都であり、本来は港町として発展した街であるということで、日本の港町で育った者として何となく親近感を持っていたことは事実である。
そんな程度の動機でしか無かった。
私が住んでいるメリダからは高速バスで、3時間程度で行くことができた。
ユカタン半島には高い山も目立った川も無く、バスは平坦な野原を延々と走り、バスの窓から見える風景と言えば、緑に覆われたなだらかな草原、丘陵ばかりであった。
ふと、バスの正面を見たら、青い海が見えた。
海の水平線近くには、白い客船もポッカリと浮かんでいるように見えた。
まだ、目指すカンペチェには着かない時間なのに、海が見えるなんて、何か変だなあ、と私は思った。
それに、いくら走っても、見えている海には全然近づかないのだ。
近くで、エスペヒッスモ、と言う声がした。
声がした方を見ると、高校生くらいの若者がバスの正面を指で示しながら、エスペヒッスモ、と繰り返して言っていた。
私はスペイン語の辞書をバッグから取り出して、その単語の意味を調べてみた。
『蜃気楼』という言葉であった。
その内、この幻影はいつの間にか、視界から消え去っていった。
カンペチェはユカタン・マヤ語では、「蛇とダニの地」を意味する。
メキシコ湾に面する都市で、嘗てはスペイン人、フランシスコ・デ・モンテホが一五四〇年にマヤ族を征服し、建設した要塞都市であった。(因みに、彼は一五四二年に当時はティホと呼ばれたメリダも陥落させ、征服している。)
植民地時代は貿易港として栄え、富の略奪を図る海賊の恰好の襲撃地となった。
度重なる海賊の略奪に手を焼いた為政者は街を城壁で囲み、要所に砦を築き、海賊の襲撃に備えた。
一六八六年から一七〇三年までの十八年に亘る全長二.五キロの城壁建設で街は完全に大要塞と化した。(一九九九年に、この特異な街並みは世界文化遺産に指定された。)
街並みには植民地時代の面影が色濃く残っており、特に城壁に囲まれた旧市街あたりはコロニアル調の建物が多く、外国人にとっては異国情緒に満ちた街である。
私の乗ったバスはカンペチェ郊外のバスターミナルに到着した。
バスターミナルは観光客でごった返していた。
観光客を目当てに、民族衣装を着た大勢の物売りが賑やかに誰彼なく声を掛けていた。物売りの中には、若い女性も居た。
華麗なテルノを着て、微笑んでいた。
バスターミナルは、セントロ(街の「中心」という意味)から1.5キロほど東にあったが、当然歩いて行ける距離であり、私はぶらぶらとセントロに向かい歩き出した。
ただ、9月半ばの気候はあくまで暑く、しかも、蒸し暑かった。
雨季が終わり、暑さも和らぎ、乾燥する季節となる10月を待てば良かったな、と思いながらも私はセントロに向かう白っぽい道を歩いた。
頭上には雲一つ無く青く澄み切った空が広がり、原色の国の熱い太陽が容赦なく照りつけていた。
私は汗をだらだらと流しながら歩いた。
バスターミナルからセントロへ繋がる道を西に向かい、ひたすら歩いた私の目に一つの砦が見えてきた。
七つの砦の一つである、サン・ペドロ砦であった。
ここにも、大勢の物売りが居た。
中には、バスターミナルで見たような民族衣装に身を包んだ若い女も居た。
但し、砦の中には入れず、外側から雰囲気を味わうのみとなった。
城壁は高く、角は少し崩れ加減であったが、十分に往時の砦の豪壮さを偲ばせるものであった。
私から由美子に出した最初の手紙:
由美子様宛
初めて、お便りを出します。
お元気ですか。
早いもので、日本を離れてもう二週間が過ぎました。
あっという間の二週間でした。
僕たち研修生はこの間、メキシコ市から近郊のオアステペックという保養地にバスで移動し、今はこのオアステペックで研修生の仲間とメキシコ政府主催の集合教育を受けています。
教育はスペイン語でなされていますが、僕たちスペイン語に習熟していない者に対してはイヤホンによる日本語の同時通訳サービスがあり、何とか講義の概要を理解しているといった状況です。
早く、スペイン語に慣れ、メキシコ人と自由自在に会話をしたいものです。
オアステペックの説明をしましょうか。
メキシコ市はスモッグで空気が悪いところですが、オアステペックは一年中温暖なところで、何と言っても空気が綺麗なところです。
メキシコ市に住んでいる人たちの保養地ということで、各種のスポーツ施設、プールもあり、日本で言えば、伊豆高原といったところでしょうか。
そうそう、お礼を言うのを忘れていました。
由美子さんには、わざわざ駅まで見送りに来て戴き、ありがとうございました。
あれから、東京に行き、集合地点のホテルで少し時間を潰してから仲間と一緒にバスで成田空港に行き、予定通りのJALでメキシコ市に着きました。
途中、バンクーバー、ロサンゼルスを経由し、十五時間の長旅でした。
結構、疲れましたが、僕にとっては初めての飛行機の旅ということで、全てが初めての経験で面白かったのも事実です。
由美子さんはその後どう過ごされていますか。
二、三日したら、本来の研修の目的地であるメリダに移動することとなります。
メリダでの住所を下に記します。
出来ればお便りを下さい。お便りをお待ちしております。
途中、大きな市場を見たが寄り道はせず、サン・フランシスコ砦に行った。
ふと、誰かに見られているような気がした。
周囲を見渡すと、民族衣装に身を包んだ数人の物売りが居るばかりだった。
気のせいか、と思った。
しかし、それにしても、カンペチェは蒸し暑い街であった。
目の前の高い城壁、砦が海からの涼しい風を遮っているせいかとも思った。
私から由美子に出した二番目の手紙:
由美子様宛:
お元気ですか。
昨日、貴女からのお手紙を受け取りました。
ありがとうございました。
職場の仲間の日常的な様子も書いて戴き、思わず笑ってしまいました。
ともあれ、職場の皆さんがお変わりなく過ごしている様子が分かり、安心しております。こちらは、月曜日から金曜日まで毎日、学校に通い、スペイン語の特訓とか、マヤ文明
に関する勉強をしています。
この間は、マヤが二十進法を採用していたことを授業の中で聞き、なるほどな、と思い
ました。
だって、物を数えるには両手、両足を使った方が自然ですものね。
それに、ゼロという概念をインドに先駆けて明らかにしたのはマヤが初めだということ
も知りました。
マヤ文明は数学、天文学の面では素晴らしい文明です。
決して、インダス文明、エジプト文明に引けをとらない文明だと思った次第です。
でも、この頃僕は少しホームシックにかかっています。
何かと言うと、どうも日本のことが、会社のことが、職場のことが思い出され、気になってしまうのです。
少し感傷的になっている自分がほんのちょっぴり嫌になってしまうのです。
どうも、文章ではまどろっこしいので、あえて率直に白状してしまいます。
貴女のことが妙に気になってならないのです。(ああ、言ってしまった。)
日本を離れるまでは、こんなに貴女のことが気になるということは無かったのですが。
出勤すれば、いつでも貴女の顔が見られたからでしょうか。
こうして、日本から遠く離れた外国で暮らして貴女に会えなくなってしまったからでしょうか。
もっと、率直に言うと、貴女が好きです。(ああ、また言ってしまった。驚かないで下さい。)
来年、日本に帰ったら、僕と付きあってくれませんか。
もっとも、貴女に今付き合っている男性が居れば、話は別です。
僕はきっぱりと貴女のことを諦めます。
こんなことを言って、貴女を苦しめるつもりはありませんが、僕のことをどう考えているか、お便りを戴きたいのです。
交際するつもりが無ければ、その旨、お知らせ下さい。
それで、貴女を恨むような男ではないと自分自身思っていますので。貴女の率直な気持ちを聞かせて戴きたいのです。
追伸:つい、勢いでお便り、お返事を欲しいと書いてしまいましたが、貴女にその気が無いならば、お返事は結構です。この手紙の内容は知らなかったことにして貰って構いません。貴女からのお手紙が無ければ、僕は貴女への思慕を絶つこととします。貴女を諦めることとします。僕のことで、貴女を煩わすつもりは全くありませんので。
サン・フランシスコ砦からサン・フアン砦に向かった。
途中、陸門と呼ばれている長い頑丈な城門があった。
高さは6~8mといったところで、壁の厚さは2.5mほどあった。
陸門には大砲が備え付けられていた。
陸門とサン・フアン砦は城壁の上で繋がっているようであったが、私は城壁に沿って歩
き、サン・フアン砦に行った。
サン・フアン砦もサン・ペドロ砦同様、内部には入れず、外からの見物となった。
ふと、上を見ると、民族衣装を着た娘が私を見下ろしていた。
私と目が合うと、その娘は微笑んだように見えた。
私から由美子に出した三番目の手紙:
由美子様宛:
お元気ですか。
今、僕は有頂天になっています。
だって、貴女のお手紙で、僕と交際しても良いと書いてあったのですから。
嬉しくて、今ホームステイ先の部屋の中を飛び回っています。
僕の部屋の中の説明をしましょうか。
ほぼ正方形の部屋です。
広さは十畳は楽にあります。
会社の寮よりはずっと広い部屋です。
部屋の外壁側真ん中にキングサイズのベッドがどーんとあります。
ベッドの脇にはちょっと古いけれど、しっかりした作りの箪笥があります。
そして、窓際には机があり、古ぼけた照明スタンドがちょこんと乗っかっています。
ベッドの正面にドアがあり、ドアの脇に洋服箪笥があります。
これが部屋の全てです。
トイレ・バスは無く、家族共用となっています。
バスもバスタブは無く、シャワー設備だけです。
メリダは暑く、とてもゆっくりと浴槽に浸かる気分では無く、シャワーの方が手っ取り早く合理的な感じがします。
でも、今夜はとても部屋でのんびりと過ごす気分にはなりません。
折角、貴女から素晴らしい手紙を貰ったのだから、街の繁華街に行って、バルでお酒を飲もうかなと思っています。
勿論、明日の学校の授業に支障が無い程度に酒はとどめるつもりですが。
ああ、そうか。
バルの説明も必要ですね。
バルは日本で言うと、居酒屋みたいなものです。
決して、女性が傍らにつくバーではありません。
誤解無きよう。
僕のお気に入りのバルがあるのです。
そのバルには流しのバンドが何時間かおきに来て、客のリクエストに応じて生演奏をしてくれます。
多くはギターを持った三人組で、トリオ何とかと名乗っています。
女性の客にはいつも決まって、一輪の赤い薔薇がプレゼントされます。
花を貰って喜ばない女性はおらず、その女性はまた連れの男性にせがんで、そのバルを再訪することとなります。
店の常連をつくる、なかなか良い手法だと思います。
出来れば、貴女をこのバルに連れていきたいと思っているのです。
新婚旅行でと思っていますが。
果たして、そのような状況になるかどうか、神のみぞ知る、かも知れません。
今、僕はとても幸せな気分に浸っています。
勿論、僕をこのような気分にさせたのは貴女の手紙です。
嬉しいお便りを感謝しています。
貴女を幸せにしたいと思っている一人の男より
サン・フアン砦から更に西に向かい、サンタ・ロサ砦に向かった。
サンタ・ロサ砦でも私は民族衣装に身を包んだ若い娘を見かけた。
その娘は砦の上から私を見ていた。
どうも、今日はやたらと若い娘に会う。
しかし、それにしても、テルノという民族衣装はこの南国の地に映えて、美しいものだと思った。
私から由美子に出した四番目の手紙:
由美子様宛:
お元気ですか。
日本も相当暑い夏を迎えているようですね。
こちらも連日暑く、しかも夕方になると必ずもの凄いスコールが襲来する日が続いています。
スコールが去った後の蒸し暑さは日本の蒸し暑さの十倍以上はあります。
本当です。
凄い蒸し暑さで、通りに出ると僕の眼鏡なんかは完全に曇って視界ゼロといった状態になります。
そうそう、報告すべきことがあります。
この土日は、かねてから憧れていたカリブ海に行ってきたのです。
メリダから高速バスに乗って、4時間ほどでカンクーンというリゾート地に着き、そこから船に乗って、イスラ・ムヘーレスという島とコスメル島の二つの島を観光して来ました。
イスラ・ムヘーレスという島は小さな細長い島で、島の反対側には歩いて十分足らずで出てしまうほどの幅の狭い島です。
そこで、ランゴスターという大きな伊勢えびのステーキを食べてきました。
バター風味でなかなか美味しかったのですが、僕もやはり日本人なんですね、醤油でわさびをつけて食べたいものだと切に思いました。
一方、コスメル島はイスラ・ムヘーレスとは違って、かなり大きな島で、レンタル・オートバイ、これは日本のホンダでしたが、で島内を一周して来ました。
途中、道端に大きな岩がごろごろしているところがあり、横目で見ると驚いたのですが、岩の上には大きなイグアナが一匹ずつ乗っかっているのです。
あんなに沢山のイグアナを見たのは初めての経験で少し恐かったけど、面白い眺めでした。
イグアナは悠然と大空を見上げていました。
貫禄十分でした。
また、浜辺で泳いでいたら、足とか腹に触れるものがあり、見たら、熱帯魚でした。
僕は熱帯魚と泳いでいたのでした。
カラフルで、いろんな形をした熱帯魚でしたよ。
これも、忘れられない思い出となりました。
しかし、正直に言うと、僕のそばに貴女が居たら、どんなにか素晴らしいことかと思いました。
前回の手紙にも書いたかも知れませんが、出来れば、新婚旅行で貴女をここに連れてきてあげたいと本当に思っています。
カリブの海は本当に綺麗です。
昼は淡い緑と青が入り混じり、エメラルドグリーンの海で、夕方になると夕陽に映えて、メキシカン・オパールを散りばめたような虹色の海となります。
とてもロマンチックな海です。
日本ではお目にかかれないような綺麗でゴージャスな海です。
沖縄も大変綺麗な海ですが、このカリブの海は沖縄の海より百倍綺麗な海です。
本当に貴女に見せてあげたい海です。
ああ、それから、お誕生日、おめでとうございます。
僕とは漸く六歳違いになりましたね。
今までは七歳違いということで僕は随分離れているなと思っていたのですが、年齢差が一つ縮まりましたね。
貴女はつまらなくとも、僕には少し喜びかな。
いずれにしても、暑い夏、お互いに頑張って何とか乗り切っていきましょう。
また、お便りを待っています。
では、アスタ・ラ・ビスタ(また、会う日まで)」
サンタ・ロサ砦から道を北上してサン・カルロス砦に行った。
城壁には大砲が数門並べられ、往時の戦闘能力の高さが偲ばれた。
この砦の博物館には中世の航海ルートや武器、それに18世紀のカンペチェ市街の模型が展示され、都市防備の歴史を知ることが出来る。
また、鋼鉄の騎士の鎧も展示されていた。
柱の蔭から、私を見詰めている女に気がついた。
そちらに目を向けると、その女、やはり民族衣装を着た若い娘であったが、少し恥じたような仕草をして、柱の蔭に隠れてしまった。
どうも、このカンペチェの人にとって、東洋人は珍しい存在なのかと思った。
このアメリカという新大陸には元来、馬とか牛は居なかったと云う。
スペインの征服者が馬とか牛を持ち込んできたということだ。
それまで、大型の動物と言えば、ジャガー程度であったのだろう。
馬を見たことのないマヤ人にとって、巨大な馬に跨った鎧騎士は凶暴な怪物のように見えたことだろう。
その怪物を目の前にしたマヤの戦士の戦意は消滅したに違いない。
私から由美子に出した五番目の手紙:
由美子様宛:
お元気ですか。
僕も何とか暑さに負けず、メリダで頑張っています。
貴女の写真、戴きました。
ありがとう。
その写真は今、僕の机の上に飾られています。
貴女の微笑みはとても素敵で、僕をしっかりと見詰めています。
今回は僕の写真も送ります。
学校のプールで泳いでいるところを仲間に撮って貰った僕のお気に入りの写真です。
横泳ぎをしているところを上手に撮って貰った写真です。
ぎごちなく笑っていますが、なかなか良く決まったポーズだと、自分では思っています。
今日は、メリダの市場のことを書きます。
メリダの中央市場はセントロにあります。
ここでは、何でも売られています。
日本の場合、市場と言うと、果物、野菜、魚介類の市場を連想しますが、メキシコの場合はそれに加えて、肉類、パン・お菓子類、生活雑貨、民芸品、宝石、装飾品、土産物といったものも含まれ、ほとんど間に合ってしまいます。
常に、買い物客で溢れ、その活気たるや凄いものがあります。
ただ、困るのは、臭いも凄いのです。
市場に充満している臭いは、何か食べ物が腐った時に発するような、饐えた臭いとでも言うのでしょうか。
なかなか慣れることの出来ない臭いです。
始めはこの臭いが嫌で市場の中を歩くことが出来ませんでした。
しかし、この頃は少し慣れて、いろいろと買い物が出来るようになりました。
この間なんか、仲間と開いたパーティーのために、西瓜を買って来ましたよ。
メキシコの西瓜は日本のように球形ではなく、楕円形の形をしているのです。
僕が買った西瓜は十キロの西瓜で四百円程度でした。
十キロの西瓜は紐では持ちづらく、且つ重くて、持ち帰るのが大変でしたが、とても甘くてみずみずしく美味しかったです。
仲間にもかなり好評でした。
西瓜はそのまま切って食べても美味しいのですが、僕はよくジュース屋で西瓜のジュースを注文して飲みます。
日本では西瓜のジュースは聞いたことがないと思いますが、このメキシコでは一般的なジュースの一つです。
市場の話に戻りますが、この間はハンモックを買いました。
魚網みたいに網目の細かいハンモックで夜は部屋で早速使っています。
なかなか、寝心地は良いですよ。
ハンモックの場合は、引っ掛ける場所が無いとセット出来ないのですが、メリダの場合は標準装備というか、普通の部屋にも壁に引っ掛ける吊り具が付いているのです。
僕の部屋にもその吊り具が両側の壁に付いており、それに結わえ付けて使っているという状況です。
このハンモックもお土産として日本に持ち帰ることとします。
ハンモックは熱帯の地方では必需品なのですが、実は弊害もあるのです。
それは、メリダの人の体を見れば判ることです。
首が肩にめり込んだように短くなってしまうということなのです。
首の短さにはびっくりしてしまいます。
ハンモックを多用することによる弊害と思っています。
今日はこれから、研修生の集まりがあるので、筆を置きます。
また、お便りを下さい。
(貴女のお手紙は僕にとっては何にも優る栄養剤です。お便り、待っています。)
サン・カルロス砦から東に向かって歩き、海門と呼ばれる城門を見物して、ラ・ソレダー砦に行った。
ラ・ソレダー砦はソカロの北側に建っている砦である。
ソレダーという言葉はスペイン語で「孤独」を意味する。
命名の由来は分からないが、他の砦の名前が全てカトリックの聖人の名前に由来していることから見たら、少し異質な命名であった。
ふと、オアハカにあるラ・ソレダー教会の孤独の聖母像が脳裡をよぎった。
まだ観たことはなかったが、いつかは訪れてみたい教会であった。
数百のダイヤモンドと大きな真珠をふんだんに使って飾られたこの聖母像は実に豪華な衣装に身を包まれてはいるものの、その表情は深く沈鬱な孤独の哀しみに包まれていると云う。
この砦の博物館はマヤ石碑博物館となっており、入場料を取られたが、マヤの石碑やレリーフなどが展示されていた。
砦の上にも登ることが出来た。
眺めが良く、カテドラル(カトリック寺院)、海門が一望出来た。
海門には通路で繋がっていた。
気持ちの良い海風が吹いていた。
私は思いっきり深呼吸をした。
ふと、下を見ると、テルノを着た娘が居て、私の方をじっと見ていた。
どこかで、見たような顔立ちであった。
私から由美子に出した六番目の手紙:
由美子様宛:
お元気ですか。
今日は少し、貴女を喜ばせたいと思っています。
貴女にお土産を買ったのです。
実は、メリダの洋品店で、手刺繍のたっぷり入ったテルノという民族衣装を買ったのです。
少し高かったのですが、思い切って買ってしまいました。
きっと、貴女に似合うと思っています。
僕は僕で、その洋品店の脇にあった洋服屋で、グアヤベラを自分のために買いました。
グアヤベラというのはメリダの男性の正装ということで通用する白い開襟シャッツです。
少し、刺繍のあるお洒落なシャッツです。
貴女がテルノを着て、僕がグアヤベラを着て一緒に写真を撮りたいものです。
僕に似合うかどうかは判りませんが、貴女にテルノはきっと似合うはずです。
貴女が着て、喜ぶ姿を見たいものです。
そうそう、民族衣装と言えば、メリダには毎週定期的に開催されるセレナータ・ユカテカという民族舞踊と歌が披露される音楽会があるのです。
そこに出演する男性は必ずと言っていいほど、グアヤベラを着ますし、女性陣はやはり必ずと言っていいほど、このテルノというユカタン・ドレスを着て出演するのです。
男性はともかく、女性は全て艶やかに見えること必定です。
白地に沢山の刺繍がなされている華麗なワンピースです。
テルノを着た貴女はとても優雅で綺麗だと思います。
踊りも素晴らしいですが、歌も素晴らしいですよ。
もともと、セレナータと言うのは、英語で言えばセレナードでしょうが、夜、恋人の家の窓辺で求愛する男性が歌う歌のことを言うのだそうです。
女性は窓辺で歌を聴き、求愛を受け入れる場合はカーテンを開け、窓を開けて姿を見せるというのがルールらしいです。
求愛を拒否する場合は、カーテンも開けず、窓も開けない。
その場合は、男性は静かに立ち去ることとなります。
昔の習慣だよと言う人も居れば、いや、今も続いている求愛の儀式だよという人も居ます。
どうなんでしょうか。
日本でこんなことをやったら、大変です。
狂人と思われ、警察を呼ばれてしまうかも知れませんね。
日本の社会はあまりロマンチックな社会ではありませんものね。
実は、僕はギターが弾けるのです。
セレナータに合うような歌を学んで帰り、貴女のために歌いましょうか。
(これは冗談と思って下さい。僕は歌が苦手ですから。)
また、貴女の近況をお知らせ下さい。それでは、また
ラ・ソレダー砦から港に行き、レストランで遅い昼食を摂った。
香味野菜が入った牡蠣と海老のカクテルと海老入りご飯が美味しかった。
特に、ご飯の方はオリーブオイルで炒めた一種のチャーハンだったが、米よりも海老の量が多いくらいだった。
私は窓際のテーブルに座り、目の前に広がる海を見ながら、ボエミアという銘柄のビールを飲んだ。
レストランの中の冷房は効き過ぎるほど効いており、長時間居ると体が冷えてくるくらいであった。
私は少し身震いしながら、そのレストランを出た。
少し、海を見ながら港を歩いた。
港の建物はオレンジ、ライトブルー或いは黄色とカラフルに塗られており、見慣れた日本の港の風景とは異なり、異国情緒に溢れていた。
ソカロに戻り、市庁舎を見物した。
その後、宿泊しようと思い、歩く中で見かけたホテルに都度立ち寄って、部屋を取ろうとしたが、どこも満員で部屋は取れなかった。
今日は、独立記念日で周辺から観光客が集まっているとのことだった。
宿泊を諦め、見物するところは全て見物して帰ろうと思って、まずカテドラル(カトリックの寺院)を見物した。
カンペチェのカテドラルはメリダのカテドラルよりはスケールとしては小さいとのことであったが、白亜の二本の鐘楼を有し、メリダ同様、かなり豪壮な寺院であった。
それから、サンチャゴ砦に行った。
中は、小さな植物園となっていた。
また、テルノを着た若い娘が黙然と立っていた。
少し、淋しげだった。
私から由美子に出した七番目の手紙:
由美子様宛:
お元気ですか。
僕はこの頃少し不機嫌で苛々しています。
その理由は、貴女からの手紙がこのところ着いていないからです。
いつも、ほぼ一週間おきに着いていた手紙がこの二週間ほど着いていないからです。
何か、病気にでも、と心配でなりません。
日本に国際電話をかけてみようかとも思いましたが、思い過ごしだったら、余計な心配よと、貴女に笑われそうな気がして電話はやめにしてここに、いつも通りの手紙を書いています。
しかし、心配ですので、この手紙が着いたら、僕に折り返し至急お便りを下さい。
どうも、日本はあまりにも遠すぎます。
日本のニュースもほとんど入らない外国に居ますと、心配もつのるばかりで、何ともしようがありません。
つい、良くないことばかり、あれこれと考えてしまいます。
愚痴はこの程度にしておいて、・・・。
話を変えます。
メキシコには独立記念日という国民祭日があります。
革命記念日と並んで、メキシコ国民が大事にしている祭日です。
独立記念日は今週九月十六日で、その前後で学校が休講となります。
この休暇を利用して、隣の州であるカンペチェ州(以前は、ユカタン州の一部でしたが)の州都であるカンペチェという港町を旅行して来ようかと思っています。
貴女が住んでいる街も港町であり、僕も港町の何とも言えない風情が大好きでよく波止場を停泊している船を見ながら歩きました。
来年になりますが、初めてのデートの場所は、貴女さえ良ければ、貴女の住んでいる港町にしましょうか。
こんな勝手な想像をしながら、時を過ごすのは結構楽しいものです。
言葉の方はメキシコに来て、まる二ヶ月となり大分話せるようになって来ました。
この頃は学校のメキシコ人学生とも日常会話程度は何とかこなせるようになりました。また、以前はレストランに行ってもなかなかメニューが読めず注文もままならなかった
のですが、今は流暢とまではいきませんが、不便を感じない程度まで語学力は上がってきたものと自分では思えるようになりました。
英語と違い、スペイン語は発音が楽で、十分相手に分かってもらえるというのも案外嬉しいものです。
今回のカンペチェ旅行では堂々と日頃の学習成果を発揮してくるつもりです。
カンペチェで綺麗な絵葉書を沢山買ってきて、貴女に葉書を出すこととします。
どうか、楽しみにしていて下さい。
お便りを待っています。
喉から手を出して待っていますので、宜しく
私は歩いてバスターミナルに戻り、バスに乗ってメリダに帰った。
メリダのセントロにある公園の中では独立記念日の行事が開かれており、大勢の人でごった返していた。
私は公園のベンチに座り、独立記念日の行事をぼんやりと眺めた。
公園の中央に造られた舞台では、民族舞踊が披露されていた。
テルノを身に纏った若い娘が何人か踊っていた。
中に、カンペチェで何回か見かけた娘とよく似た娘が居た。
どことなく、由美子の面影を宿していた。
やがて、踊りが終わり、踊り手たちは微笑みを振りまきながら、舞台を去って行った。
その娘、由美子の面影を宿す娘と視線が合った。
悲しげに微笑んだように思えた。
ホームステイ先に着いた私に一通の手紙が待っていた。
一瞬、待ちに待った由美子からの手紙かと思ったが、兄からの手紙だった。
兄からの手紙
雅彦宛
元気で暮らしていることと思う。
メキシコでの暮らしも大分慣れたことと思うが、時々は母親に手紙を書いて欲しい。
いつも、雅彦から便りが来ないと愚痴をこぼしているから。
僕なんかは、便りがないのは良い便り、と思っているが、母親となるとまた別なんだろう、この頃はうるさいくらい、雅彦はどうしてる、元気か、まさか病気でもしているんじゃなかろうかと心配ばかりしている。
メキシコはテキーラが有名だ。
しかし、あまり飲み過ぎないよう。
飲み過ぎると、僕みたいに胃潰瘍になってしまうから。
雅彦がメキシコに行ってから、会社関連の社報とか社員への配布資料が僕のところに着くようになっている。
今日は纏めて今までに着いた書類等を君に送ることとする。
それから、訃報も入れて送る。
何でも、君の会社の女の子が交通事故で一週間ほど前に亡くなったそうだ。
ご両親の名前でご不幸通知が送られてきたのでこの封筒に同封しておく。二十二歳の若い女の子だそうだ。
雅彦も顔見知りと思うので。
メキシコは暑いと思うが、健康には十分注意して暮らすよう。
では(母親に便りを出すように!)
その後のことは、どうもよく覚えていない。
後で、ホームステイ先のセニョーラが私に語ったところに依れば、青ざめた顔をしてふらふらと家を出たきり、朝方まで帰ってこなかったそうだ。
完
幻影