旅の終わり
新幹線に乗って山を越えた。雪が降る風景に少し色が戻ってきた。いつもなら震えているように見える枯れ木だが、今日は凛として見えた。辺り一面、白に染まっていた場所に一日滞在しただけで、今まで過ごしていた土地に違和感を覚えた。
車内のどこからか幼い子どもが「うんち~」と可愛らしく言った。そうね、うんちって言いたくなるね。でもここはおうちじゃないよ、ママに怒られるよと目を閉じたまま心で返事をする。彼女は次の言葉を告げた。
「うんち~。うんちがおしりからでる~」
私は思わず声を出して笑った。車内には緊張が走った。彼女のお尻は、今どのレベルでうんちの接近を感知しているのか。もはや出てしまう直前なのか。今日は一月三日。翌日から仕事始めの人もいるだろう。車内は満席で立っている乗客もいた。新幹線にトイレはもちろんあるが、鮨詰めの乗客が通路を阻んですぐにはトイレに辿り着けない。彼女のお尻事情と新幹線の客の人数に不安を抱える。私はどうか間に合ってくれと神社で買ったお守りに祈ることしかできない。
右手に持つスマートフォンを眺めたまま固まっていた乗客たちが皆上を向く。そして体を座席に傾けて、赤いコートを着た女の子とその母親を通らせる。母親が乗客への申し訳なさと子どもへのイラつきで眉間にしわを寄せたまま頭をぺこぺこと下げている。その状況を私には関係ないと言うかのように、子どもは変わらず「うんち~」と言っている。
うんちはいつでもお尻から出る。自明の事実。うんちが出ると聞けば、おしりから出てくることを想像する。しかし、彼女は「うんちがおしりからでる」と言っていた。もしかしたら彼女はお尻以外にもうんちが出るのかもしれない。鼻や耳、目からも出るかもしれない。彼女にとって体外に排出される固形物は全て「うんち」と解釈しており、目やにや鼻くそもまた、大便と同じなのだ。だからこそお尻から出ることを強調したのだ。
と、馬鹿なことを考えていると子どもの声をきっかけにざわついていた車内が平穏を取り戻していた。
新幹線のドアの上部にトイレマークがあり、それが点灯している間はトイレを利用している人がいることを表わしている。さっきまで消灯していたマークが点灯した。女の子と母親は無事にトイレに辿りついたようだ。車内にはうんちの匂いが漂っていない。座席で用を足す最悪の悲劇は免れたようだが、パンツの中では玄関を突破して外の世界に挨拶しているかもしれない。間に合っていてほしい。
新幹線は××駅に着いた。私はスーツケースを荷物棚から下ろし、脱いでいたコートを羽織る。ペットボトルやお菓子を片付けた。立っている乗客の隙間を体を小さくして通る。駅に停車するたびに邪魔者扱いされる客たちの表情は暗く曇っていた。
私の席に目が釘付けになる客がいた。荷物を投げて座席に置いてでも席の確保をしたい様子だった。他の客はその威圧に負けて、空席になるシートを見て見ぬふりをしている。これがクールジャパンだ。その男性は荷物を多く持っており、子ども用の小さなリュックサックや帽子を手に下げていた。どうやら子どものために席を取りたかったようだ。
デッキにまで客が密集して立っていた。こんな中、終点まで乗るのかと思うとご苦労さまですと声をかけたくなる。すると人の群れの間からひょっこり小さい頭が表れた。赤いコート。さっきのうんちの子だった。
「降りるの?」
そう一言女の子が言うと、私が返事をする間もなく母親に連れられてまた人の群れの中に消えていった。
私はやっとの思いで、新幹線から降りた。2時間ほど乗っていた新幹線に愛着が湧き、ホームから出ていくところを見送ろうと思った。
扉が閉まる直前でさっきの女の子が顔を出した。周りの乗客にぶつけながら手を大きく振り、私を見て「ばいばい」と言った。私もその場で手荷物をホームに落として、手を振り「じゃあね」と言った。扉が閉まる。女の子はまだその場を離れず、私を見つめている。ガラスに彼女の指紋や顔の脂がくっついた。そして新幹線は次の駅へ向かって行った。
さっき私の座っていた席に着席した男性は女の子の父親だったのだろうか。彼女は自分が座る席を私が譲ってくれたと思って慌てて別れの挨拶をしてくれたのだろうか。いや、そんなことは考えているはずがない。新幹線で「うんち~」と言える逸材だ。彼女はいつでも自分の便意を恥ずかしげもなく主張ができる。降りる乗客、同じ新幹線に乗っていた仲間に手を振るのも彼女の中のひとつの常識だったのかもしれない。
顔を撫でる空気がどこか暖かかったのは、山を越えたためか。あるいは彼女に出会ったためであろうか。旅の終わりの素敵な出会いに胸を弾ませて、私はエレベーターでコンコースへ降りた。
旅の終わり