父の四十九日
今年はいろいろ作品公開したいと思い、決意を固めるためにも
年始からと思ったら、公開できるのが『父の四十九日』しかありませんでした。
正月から『四十九日』というのもどうかと思ったので、三が日の明けた本日1月4日公開いたします。
。。。正月は正月なんですけどね(笑)。心持ちということで。
父との思い出を書きました。典型的な大阪のおっさんです。
今後の公開予定は二七日から四十九日まで一話ずつアップロードしていきます。
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【登場人物】(H30.1.5 追記)
安川 雄二(37)(43)(45)(46)(44)(80)……主人公。
閻魔様(41)……父の生前の行いを裁く閻魔大王代理。年齢は死亡時の年齢。
安川由香里(0)(6)(7)(9)(18)(33)(44)……安川の長女。
安川 沙喜子(40)(41)(46)……安川の前妻。
安川 修平(8)(42)(52)……安川の長男。
安川 美穂(52)……由香里の兄嫁。
看護師(35)……由香里が生まれた病院の看護師。
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【本文内の略語】
N……ナレーション
T……テロップ
初七日(しょなのか)
○葬儀場・小ホール
T「初七日」
僧の読経が響く。
親族一同、僧の後ろに座っているが、睡魔に襲われ頭をユラユラ揺らす。
その中に安川由香里(44)、安川修平(52)、安川美穂(52)の姿もある。
○冥途
モニターに映る葬儀場の初七日の模様。
スーツ姿(ネクタイはしていない)の閻魔大王(以降、閻魔様)、書類をチェックし
ている。
悔しそうにモニターを眺める安川。
安川「あいつら」
閻魔様「安川さんを見習って、昨夜はみなさん、大酒、飲んだんじゃないんですか?」
安川「不謹慎やろ。葬式に居眠りって」
閻魔様、パラパラ資料をめくる。
閻魔様「同じこと、安川さんも何回か、やらかしてますよ。これも、みなさん、見習われ
たんじゃないですか」
と、回数を数える。
安川「チッ、いちいち、嫌味な奴っちゃな」
閻魔様「事実ですよ。しかし……まともな記録ありませんね。好き放題、やりたい放題、
いい人生でしたね」
安川「やりたい放題って、しっかり働いて、家族養ってきたがな」
閻魔様「それは当たり前でしょ」
安川「せやけど、大変やってんで」
閻魔様「ええ、確かに大変ですね。私にも経験がありますよ」
安川「元から、こっちの人ちゃうのん?」
閻魔様「この姿を見て、それを言いますか」
安川「『散切り頭を叩いて見れば、文明開化の音がする』っちゅう、あれか?」
閻魔様「どういう、ことです?」
安川「分からんやっちゃなぁ。ここが西洋化したんかって言うとんねん」
閻魔様、書類をパラパラめくる。
閻魔様「昭和九年で間違いないですよね」
安川「若い時に流行りの格好したら、うちのお母ちゃんが、いっつも言いよってんや」
閻魔様「別に西洋化した訳では、ないですよ」
安川「でもテレビとかやったら、中国服みたいなん、着とおるやん」
閻魔様「いやいや、これはね、五年前に死んだ時に着てたんです」
安川「家、出る前?」
閻魔様「いいえ、会社です。徹夜して明け方、同僚に挨拶した途端、机に突っ伏してたと
思ったら呆気なく。しかし最期のネクタイの息苦しさときたら、今も忘れられません」
安川、閻魔様に手を合わせて拝む。
安川「殊勝なもんや。職場で死ぬやなんて。なんまいだぶ、なんまいだぶ」
閻魔様「大丈夫ですよ。私は、仏様に救われましたから」
安川「せやけど、過労で死んだのに、また働いてるん?」
閻魔様「仕事してないと、落ち着かなくて。閻魔大王にお願いして仕事を分けていただき
ました」
安川「遊び方、教えたろか。競馬、競輪、カラオケ何がいい?」
閻魔様、書類をパラパラめくって顔をしかめる。
閻魔様「いえ、それには及びません。仕事している方が落ち着きますから」
安川「気ぃ悪いなぁ」
閻魔様「私も、あなたくらい長生きしたかったです」
安川「言う程やないよ。わし、百まで生きようと思ってたから」
閻魔様「あなたの生への執着には、頭が下がります」
安川「長生きしたからって、ええ事ばっかりやないで」
閻魔様「それでも、せめて娘の花嫁姿ぐらい見たかったです」
安川「そんなもん、長生きしても、見れんもんは見れんがな」
閻魔様「ああ、娘さん、まだお一人なんですね」
安川「会うたびに聞いてるのに、『まだ、まだ』って……わしのせいかなぁ」
閻魔様、資料をパラパラめくり、
閻魔様「あ、娘さんから苦情来てますよ」
安川「何て?」
閻魔様「私、大阪弁話せませんのでご了承ください。『結婚、結婚ってうるさい。保育園
も満足に整備されてないのに子供産める訳がない。文句なら、国に言ってくれ』との事
ですので、安川さんのせいではないようですね」
安川「言い訳やがな」
閻魔様「事実だと思いますよ。うちの妻も子供を産んだ時には、早く職場に戻りたいと毎
日の様にぼやいてましたから。今は僕のせいで、働きに出ていますが、ブランクがある
ので、思う様な仕事には就けていないようです」
安川「あんたの所はしゃあないやん。奥さん一人で、子供、食わさなあかんねんから。何
の事情もないんやったら、女は家守っといたらええがな」
閻魔様「結局、その考えが少子化を招いた原因だと思いますよ。家庭か仕事か、どちらか
しか選べないなんて、何か不公平です」
安川「それぞれの役割やと思うねんけどなぁ。まあ、ええわ。時代の違いやし。ほんじゃ、
さっさとやってんか。わし、何の未練も無いし、成仏しても大丈夫やから」
閻魔様「無理ですよ。まだ初七日なんですから。四十九日の制度、ご存知ですよね」
安川「知ってるがな、それぐらい。何十年生きてたと、思ってるねん」
閻魔様「本当に、ご存知ですか?」
安川「せやから、知ってる言うてるがな! 毎週毎週、坊さん呼んで拝んでもらう、あれ
やろ。ほんまに面倒臭かったわ。でも、今回、わし、関係ないし」
閻魔様「いやいやいや、大ありです。あなたが、主役ですよ、安川さん」
安川「え?」
閻魔様「四十九日は、私があなたの人生を裁いて天国に行くのか、地獄に堕ちるのかを決
める重要な儀式です。単なる形式だけのものではないんですよ」
安川「またまた、夢物語みたいなこと言うて」
閻魔様「確か、仏教のどこかの宗派に属されて、活動されてましたよね」
と、パラパラ書類をめくる。
安川、不安げに考えを巡らせる。
閻魔様「あった、あった。この宗教団体で仏教の座談会してるじゃないですか。教わりま
せんでしたか? 四十九日の意味」
安川「聞いたことないよ、そんなん」
鋭い目付きで安川を見る閻魔様、猛烈なスピードで書類をめくる。
閻魔様「ああ、なるほど」
安川「ほら、そんなん、無いやろ」
閻魔様「いえ、座談会や勉強会で何度か四十九日の話は出ていますね」
安川「わし、そんなん参加してないで」
閻魔様「あのね、安川さんが参加してないものが、この資料に載る訳ないでしょ」
安川「その書類が間違えてるんちゃうか」
閻魔様「人間界と違って、こちらの世界では間違いは発生しません」
安川「でも、わし、そんなん知らんで」
閻魔様「あなたの欠点の欄にこう書いてあります。『全く人の話を聞けていない』会話能
力に難あり」
安川「ほら、その資料信用できひんやん。あんたとわし、今、ちゃんと話できてるし」
閻魔様「さて、ここで問題です。私は何年前に、死んだのでしょうか?」
安川「え? あんた、こっちの人ちゃうん」
閻魔様「そこまで、話を巻き戻しますか」
安川「ああ、ごめん、ごめん。大病患って、病院で奥さんに看取られてんやったなぁ」
閻魔様「誰の話してるんです!」
安川「もう、ええやん、ええやん。で、結局、四十九日って何なん?」
閻魔様「よくない!」
安川、人なつっこい顔でニコニコしながら、
安川「そない怒らんでも、ええがな」
閻魔様、我に帰り再び資料をめくる。
ニコニコ笑う安川。
閻魔様、資料を眺めながら、
閻魔様「五分で人を怒らせる特技を持つ。しかし、持ち前の愛嬌で、その場を見事に切り
抜ける」
安川「勿体振らんと、教えてぇな」
閻魔様「こういうことか」
安川「ごちゃごちゃ言うてんと、さっさと教えんかい!」
閻魔様「そして、気が短い……これだから関西人は」
安川「あ、いっしょくたにしたら、京都の人と神戸の人、怒りよんで」
閻魔様「え? 何でですか?」
安川「あんな、柄悪いのと一緒にするなって」
閻魔様「ああ、なるほどね」
安川「あいつらが、すましてるだけやがな」
閻魔様「いやいや、大阪が特別なんですよ」
安川「せやろ! 特別、おもろいやろ。あいつら辛気くさいねん」
閻魔様「いや、そういう事でも……分かりました。ここまでの話は忘れていただいて結構
です。でも、今から話す話は、とても重要なので、ちゃんと心に留め置いてくださいね。
いいですか?」
安川「大丈夫、大丈夫」
胡散臭そうに安川を見る閻魔様。
安川「何ヵ月も酒抜いててんから、大丈夫やがな」
閻魔様「はい、分かりました。四十九日っていうのは、七日ごとに故人の生前の行いを裁
き、天国行きか地獄行きかを決定する死後の裁判です。毎週、お坊さんを呼んでたのは
故人の弁護をするためです」
安川「へぇー、そんな意味あってんや……」
と、再度、モニターを見直す。
安川、モニターを指差し、
安川「どないなるねん、これ?」
閻魔様「ご家族の弁護なしなんで減点ですね。次回は大丈夫でしょう。もう、お酒も飲ん
でないし」
安川「いや、坊さん拝んでるがな」
閻魔様「だから、ご家族の弁護が必要なんです。残念でしたね。もう後、五分程で法要は
終わります。誰かが起きる可能性はゼロな感じですね」
安川「いやいや、ちょっと待ったりや。あんた、さっきから変な事言うてるで」
閻魔様「変なこと? 私は、ここでのルールを」
安川「違うやん。さっきから減点、減点って、何の事やねん?」
閻魔様、資料を見ながら、
閻魔様「(小声で)自分が損することは聞こえてるんだ。さすが特別な大阪人」
安川「おい、それも聞こえとんで。早よ、答えんかい」
閻魔様「ああ、失礼しました。減点というのは、本審査が減点方式となっておりまして、
ゼロ以下になったら、地獄行きが決定します」
安川「それも四十九日の決まりごとか?」
閻魔様「つい最近、法改正されましてね」
安川「この世にも法ってあるん?」
閻魔様「当然ですよ。天国の人口増えすぎたんで、ちょっと辛めの審査が必要になってき
たんです」
安川「四十九日くる前にゼロになったら、どないするねん」
閻魔様「減点方式って言ってますけど、従来通り弁護の内容によっては加算されることも
ありますので、四十九日までは裁判やりますよ。四十九日の時点でプラスなら大丈夫で
す。続けるほど不利になる人もいますけどね。何らかの犯罪に関わったとか、親族や友
人知人から恨みを買ってたとか」
安川「不利?」
閻魔様「マイナスの度合いによって、地獄のレベルも変わります。マイナス点が高ければ
高いほど、地獄の強度も強まります」
青ざめる安川。
閻魔様「安川さんくらいなら、大丈夫ですよ。人間界の法に触れたのは、家庭ゴミの違法
投機くらいですから」
安川「そんなん、してないで」
閻魔様「またまた、国鉄の線路付近に」
安川「いつの話、しとんねん」
閻魔様「安川さんの人生すべてですよ」
安川「そんなん、昔は空き地だらけやってんし、誰でもやってたがな」
閻魔様「みんながやっていようが、違法は違法です。その、みんなも、ここで裁かれます」
安川「あの……ちょっと、行って来まっさ」
と、駆け出す。
閻魔様「どこに行くんですか!」
安川「すぐ帰ってくる」
と、雲の彼方に消えていく。
○再び葬儀場・小ホール(昼)
親族一同、誰も起きる様子なく頭をユラユラ揺らして眠る。
○由香里の夢・同葬儀場
安川、忽然と現れ、慌てた様子で親族一人一人を揺さぶって起こしにかかる。
しかし、誰も起きない。
安川「おい、起きろ、起きろー」
薄目で眠った振りをして、安川の様子を眺める由香里。笑いを堪えているため、肩が
揺れている。
安川、由香里に近づく。
安川「起きてるやんけ! 狸寝入りするな」
ニヤリと笑って顔を上げる由香里。
由香里「あれ? お父さん、生きてるやん。冗談きついなぁ。ハハハ。泣いて損した」
と、立ち上がる。
安川「おい、どこ行くねん?」
由香里「東京。今、就活中で大変なんよ。また上司と喧嘩してもうて」
安川「いやいや、わし死んでるねんから。最後までおりや」
由香里「いや、でも、元気に歩いてるし、大丈夫やん。前、会った時、足引きずってたし」
安川「そんなん、ええねん! もう、初七日終わってまうがな。お前らが拝んでくれんと、
わし、地獄に堕ちてまうがな」
由香里「何でなん。お坊さんが、ありがたいお経読んでくれてはるし」
安川「家族も一緒やないと、あかんねん」
由香里「どうしようかなぁ。いろいろ嫌な思いさせられたしなぁ」
安川、実力行使とばかりに、由香里の手を掴み手を合わせさせる。
抵抗する由香里。
由香里「こんなん、自分の意思でやらな意味ないんちゃうのん」
安川「やかましい! やれ」
○再び葬儀式場・小ホール(昼)
由香里、夢の続きで抵抗しながら起きる。
僧、読経を続けている。
周囲の親族気持ち良さそうに眠っている。
由香里、座り直しスマホを操作する。
スマホの画面に『四十九日』の検索結果が表示されている。
由香里、スマホの画面を食い入る様に読む。
青ざめる由香里、手を合わせる。
僧、引磬を鳴らす。
親族たち、寝惚け眼でキョロキョロする。
僧、立ち上がり親族に一礼して葬儀社社員Aの引率で部屋を後にする。
葬儀社社員B、親族の前に立ち、
葬儀社社員B「これをもちまして、初七日の儀を終了いたします。ご親族の皆さま、お疲
れ様でございました」
親族一同、姿勢を正すと慌てて頭を下げる。
落ち込む由香里。
由香里「遅かった」
美穂「え?」
由香里、修平と美穂にスマホで検索した画面を見せる。
美穂「へー、そうやってんや」
修平「俺、爆睡してたわ。飲み過ぎたな」
修平・美穂「ハハハ」
由香里「見舞いも行ってないし、私、二七日から自主四十九日するわ」
修平・美穂「え?」
二七日(になのか)
○由香里の部屋(夕方)
T「二七日」
低い本棚の上に設置された簡易の神棚。その横に水の入った湯呑みが供えられ、線香が白い煙を燻らせる。
由香里N「閻魔様、子供の頃、父にいろんな所に、よく遊びに連れて行ってもらいました」
○由香里の回想・宝塚ファミリーランド
安川(44)、遊園地スタッフにチケットを渡す。
由香里N「新聞屋さんから貰った遊園地のチケット。近所の枚方パークなら遠出を好まない母も一緒に行くのですが、如何せん、宝塚は私達家族にとって、遥か彼方の未開の地でした。父と私は、手に手を取り、未開の地、宝塚へと胸を躍らせて旅立ちました」
安川と手をつないだ由香里(7)、入場門をくぐる。
桜の花びらがヒラヒラ舞う。
由香里の肩から掛けた赤いお猿の水筒に桜の花びらがヒラヒラ一枚二枚と舞い落ちる。
由香里の手を繋いで上機嫌に歩く安川。
目を輝かせながら遊園地の乗り物をキョロキョロ見渡す由香里。
× × ×
由香里、コーヒーカップの乗り物やらメリーゴーランドやらに乗って大はしゃぎ。
嬉しそうに由香里の写真を撮る安川。
○由香里の回想・宝塚ファミリーランド・芝生(昼)
桜の木の下で弁当を頬張る由香里。
桜を愛でながらニコニコとカップ酒を嗜む安川。
安川「由香里、折角、ここまで来たし、大劇場のんも観て行こうか」
と、遊園地のパンフレットを取り出して眺める。
安川「一時半からやな。舞台、綺麗やで」
理解できない様子で首を傾げる由香里。
○由香里の回想・宝塚大劇場(昼)
舞台の上では劇団員たちが圧巻のラインダンスや、しなやかな日本舞踊を披露する。
満足げに眺める安川。
カルチャーショックに口を開けて眺める由香里。
○由香里の回想・電車(夕方)
座席で肩を寄せ合って、スヤスヤ眠る安川と由香里。
柔らかな夕日が二人を照らす。
○由香里の回想・安川宅・台所(夕方)
忙しなく夕飯の支度をする安川沙喜子(41)。
その横で興奮気味に遊園地の報告をする由香里。
沙喜子「え、お父さん、何してたって?」
由香里「……お、お酒飲んでた」
沙喜子、コンロの火を消すと、いきり立ってズカズカと居間に向かう。
由香里N「私は楽しかった事を報告してただけなのに、なぜか母は見る見る内に怒り出してしまいました」
慌てて沙喜子の後を追い掛ける由香里。
○由香里の回想・安川宅・居間(夕方)
寝転がってテレビを見る安川。それを鬼の形相で見下ろす沙喜子。
沙喜子「子供、連れてるのに、またお酒なんか飲んで」
安川「ちょっとだけやがな」
沙喜子「お父さんがお酒飲んででボーッとしる間に、由香里が道路に飛び出したりしたら、どないするのん」
安川「そんなん、言うてたら、どっこも連れて行かれへんがな」
沙喜子「だから! 子供と出掛けるときぐらい、お酒やめてって言うてるねん」
安川「細かいこと、ゴチャゴチャ言うな」
沙喜子「後、それと……」
安川「まだ何かあるんか!」
沙喜子「破廉恥やわ! 子供にあんなダンスまで見せて!」
跳ね起きる安川。
安川「何の、話や!」
沙喜子「女の人が足上げて、踊ってたって」
困惑の安川。
由香里N「当時の母はラインダンスを知りませんでした。如何せん、古い人間なものですから。いや、私の説明が悪かったんです……宝塚歌劇団の皆様お許しください。ん、これって、母の弁護?」
○冥土
薄ら笑いで書類を記入する閻魔様。
安川「おい、何か言いたげやな」
閻魔様「いや、いい話だなぁと思って」
安川「言う割には、小馬鹿にした顔しやがって」
閻魔様「こういう奥様だったから、安川さんと長年、うまくやってこられたんですね」
と、顔を伏せて笑いを堪える。
安川「何が、おかしいんじゃい! お前」
ちょっと待ってくれとばかりに手で合図する閻魔様。
安川「さっさと、審査せんかい」
閻魔様「いや、できてるんですけど」
と、顔を上げて安川と目が合うとまた笑い出す。
安川「失礼やろ、人の顔見て。さっさと結果言わんかい」
閻魔様、咳払いし、
閻魔様「現在の奥様の供養と、娘さんの弁護でプラスですが、子連れのお酒は前の奥さまが仰る通り減点です」
安川「チッ。余計な事言いやがって。そんなもん、誰でもやってるやろ」
閻魔様「誰でもと言われても、私、お酒飲めませんので基準が分かりません。でも大丈夫ですよ。プラス、マイナスしても今日は僅かながらプラスです。この調子でいけば、天国にきっと行けるでしょう」
安川「よっしゃ! 頑張りまっせ」
閻魔様「今から頑張っても仕方ないんですけどね。過去を裁くんですから」
安川「せや、由香里に注意してこな」
と、立ち去ろうとするが安川の行く手に駅の改札機の様な機械が現れ、セキュリティゲートで食い止められる。
閻魔様「ズルはいけませんよ。来週までこちらで、大人しくしててください。最後に(ICカードを見せながら)これを渡したら、そこを通って無事天国に向かうことができます」
安川、閻魔様の手からカードを奪おうとするが、あっさりかわされる。
安川「せやけど、あいつ余計な事ばっかり言いよるなぁ」
閻魔様「事実なんだから、仕方ないんじゃないんですか。これを自業自得と言います。これを持ちまして、二七日を終了いたします。お疲れ様でした」
と、足早に立ち去る。
それと同時に大きな扉も閉まる。
安川「おいこら、待たんかい! お前も一言余計や」
三七日(みなのか)
○由香里の部屋(夕方)
T「三七日」
由香里、腕を組んで考え込んでいる。
由香里「どうしよう。二回目にして、いいところが見つからん」
テレビにドラフト会議の模様が流れる。
何かを思い付いた様に手を打ち頷く。
由香里「今日は、これや」
× × ×
低い本棚の上に設置された簡易の神棚。その横に水の入った湯呑みが供えられ、線香
が白い煙を燻らせる。
由香里N「閻魔様、父のお陰でタイガースファンになれました。辛い時も、悲しい時も、
タイガースの試合に励まされて頑張ることができました」
○由香里の回想・旧安川宅・居間(夜)
由香里(9)、楽しそうにアニメを見る。
安川(46)、ニコニコ笑いながら部屋に入って来る。
安川「ちょっとだけ、ちょっとだけ」
と、由香里の前に立ちはだかり、テレビのチャンネルをガチャガチャ変える。
由香里、安川の服を引っ張り、
由香里「お父さん!」
安川「ちょっとだけ、ちょっとだけ」
由香里、膨れっ面で側にある漫画を読み出す。
由香里N「ちょっとではありません。延長も含めて試合終了までです。当時、他局の延長
が三十分のご時世に、この某ローカル局は試合終了まで放送していました。今のCS放送
並みのことをしでかしていました。そのお陰で、私はアニメを邪魔する野球が大嫌いで
した」
× × ×
上機嫌の安川。
テレビの画面では、ヒットを売った後で走塁する野手たちと応援で盛り上がるタイガ
ースファンが映し出される。
画面ではタイガースに点が入りスコアボードに「1」の文字が表示される。
六甲おろしが賑やかに流れる。
安川「よう、やった掛布! よっしゃ、よっしゃ」
と、拍手する。
不服そうに安川を睨む由香里。
由香里の視線など、お構いなしに食い入る様に試合の行方を見守る安川。
× × ×
不機嫌な安川。
テレビ画面に映るスコアは「9回裏 阪神1ー大洋9」。
安川「ちっ!」
怯える由香里。
テレビ画面では、相手チームのヒーローインタビューが始まっている。
安川、勢いよく立つと階段をドカドカと、うるさく駆け上がる。
《ピシャリと扉の閉まる音》
由香里、肩をビクリとさせ、二階を見上げる。
由香里N「所が、あの優勝の年から、こんなにも毛嫌いしていた野球が、無くてはならな
いものになっていました。それには、こんな根深い理由があったようです」
○由香里の回想・小学校・教室(昼)
『1-6』の教室札。
教室の中では生徒たち、一生懸命に合唱曲を練習する。その中に由香里(7)もいる。
恥ずかしそうに周りを見ながら歌う。
由香里N「私は音痴でした。実際に音も外れていたし、ずっと正真正銘の音痴だと信じて
疑いませんでした。所が、ある日、その事実を一瞬だけ覆す事件があったのです」
○由香里の回想・由香里の部屋(夜)
テレビに映し出されるタイガースの試合。応援団やファンが豪快に旗を降ったり、応
援歌を歌う。
由香里(33)、ビール片手にテレビを見る。
由香里N「十八年ぶりの優勝の年。そして、あの瞬間」
テレビでは打球が大きなアーチを描いてバックスクリーンまで飛んで行く。
アナウンサーの声「ホームラン! ホームラン!!」
由香里「よっしゃー!」
と、拳を上げる。
テレビでは塁にいた選手が次々と戻ってくる。
応援団とファン、狂喜乱舞で六甲おろしを歌う。
テレビの前の由香里、大声で歌う。
由香里「(歌)六甲おろしに、颯爽と」
由香里N「誰に教わった訳でもないのに、歌詞も見ず、音も外さず歌える……いや、外そ
うとしても外れませんでした。歌のみならず、伴奏やファンファーレまで歌える! ど
うなってるんだ、私! 音痴よ、どこへ消えたー」
嬉しそうに何度も歌い続ける由香里。
由香里N「すべての謎が一本の線に繋がったのは、ある科学番組を見た時のことでした」
× × ×
テレビには木の切り株が、映し出されている。
科学者の声「この様に人の記憶は、木が年輪を内側から一本づつ増やしていくように、人
の記憶も脳の中心から外側に向かって、一つづつ順に記録されていきます」
由香里、食い入る様にテレビの画面を眺める。
由香里N「そう、なんです。私の脳の中心には、六甲おろしと阪神ファンの声援が容赦な
く刻み込まれていたのです。根拠? それは私が夏に生まれたから……一番最初に聞い
た音は六甲おろしです。間違いありません」
○由香里の回想・旧安川宅・居間(夕方)
安川(37)、嬉しそうにテレビを見ながらビールを飲む。
修平(8)、スイカを頬張る。
テレビの横のベビーベッドで眠る由香里(0)。
テレビでは大歓声と共に六甲おろしが歌われている。
由香里N「私に歌う自由はない。ただひとつ許された歌、それは……『六甲おろし』。絶
対音階が『六甲おろし』……神様! 何故に私は、この様な試練を与えられるので
すか? 神様ー!」
○由香里の部屋(夕方)
手を合わせる由香里。
由香里N「これって弁護? 愚痴? ……ま、いいか」
○冥土
しかめっ面で腕組をしてモニターを見る閻魔様。
安川、モニターの前に立ちはだかり、
安川「ちょっと、よろしいか」
と、閻魔様の机に置かれたリモコンを取り上げチャンネルを変える。
安川「あれ? これ東京のチャンネル?」
閻魔様、ニヤリと笑い。
閻魔様「ああ、それ、どのチャンネルも巨人戦しか流れないんです」
安川「それやったら、阪神の試合も流れてるやろ」
と、チャンネルをめくるめく変える。
モニターに映し出される阪神・巨人戦。
安川「あった、あった。しかし、古い試合やなぁ」
モニターにスコアが映し出される。
『六回表 阪0ー巨19』
安川「何や、これ!」
閻魔様「ああ、いい忘れてました。そこに流れている試合は僕の趣味で巨人の勝ち試合し
か入ってません」
安川「な、何ちゅう、悪趣味な」
閻魔様「阪神の負け試合を集めたのではなく、巨人の勝ち試合を集めたんです。巨人ファ
ンの方には喜ばれるんですけどね。伝説化した様な試合のオンパレードですから」
安川「巨人の勝ったとこ、見て何がおもろいねん。けったくそ悪いなぁ」
閻魔様「僕はその逆ですよ。阪神が勝った試合を見ても、気分がダダ下がりになるだけで
す」
安川「何やと!」
閻魔様、書類をパラパラめくり、
閻魔様「そろそろ始めますか」
安川、モニターに向き直り阪神・巨人戦を見て苛立ちながら貧乏ゆすりする。
安川「何しとんねん! そんなへなちょこフライ落とすな! このボケなす」
閻魔様「安川さん、安川さん」
安川「ちょっと、待っとくんなはれ」
閻魔様「負け試合って、分かってて何で見るんです?」
安川「習慣 や、習慣。こっちの方が、しっくりくるわ」
と、モニターを睨み付ける。
閻魔様、懐からリモコンを取りだしモニターを消す。
安川「何個持ってるねん」
閻魔様「それでは三七日、始めましょうか。今日は完全にマイナスですね。今の奥さまの
供養差し引いてもプラスにはなりませんよ。次週こそは、しっかりお願いしますね」
安川「何があかんねん!」
閻魔様「それは……あなたが、タイガースファンだからです!」
ニコニコ微笑む安川。
閻魔様も負けじと微笑む。
安川「中々、おもろい冗談言うようになってきたやんけ。ほんで、今日はどないやねん?」
閻魔様「僕は冗談が嫌いです」
安川「何を言うとんねん。意味、分からんなぁ」
閻魔様「(吐き捨てる様に)子供まで、応援の道具にしやがって」
安川「わし、何にもしてへんがな」
閻魔様「ええー、以上を持ちまして独断と偏見の三七日を終了いたします。お疲れ様でし
た」
と、一礼して大きな扉の方に歩き去る。
安川「何、開き直っとんねん! やり直さんかい。 裁判官が偏見って何や、偏見って!
おい!」
閉まる大きな扉。
安川「こら! 話聞かんかい!」
ガックリ肩を落とす安川。
安川「わしが閻魔になったら、巨人ファンみんな地獄送りじゃ。わし、絶対、閻魔になっ
たる!」
四七日(よなのか)
○由香里の部屋(夕方)
座卓の上で紙にペンを走らせる由香里。
書き終わると、ニヤリと笑い、
由香里「これでスムーズに四十九日ができる」
紙には『お父さんの良いところリスト』と記されている。
由香里、リストを繁々と眺める。
由香里「何か……父親参観の作文みたい。しかし、初七日に、気付かんで良かった。一個足りんとこやったわ」
× × ×
T「四七日」
低い本棚の上に設置された簡易の神棚。その横に水の入った湯呑みが供えられ、線香が白い煙を燻らせる。
由香里N「閻魔様、父は社交的でした。それをほんの少し引き継いだ私は、いろんな所で役立てています」
○由香里の回想・バー(夜)
薄暗い店内。
古びた内装に、古びた家具。
マスター(38)と安川(45)、談笑する。
由香里N「父は素直で明るいから、誰とでも友達になれました。初めて行ったお店でも」
安川の目の前に魚拓と焼酎の水割りが置かれている。
安川「そら、楽しみでんなぁ。こんなん釣れたら、うちのお母ちゃん、喜びよるわ」
マスター「じゃあ、来週の土曜の夜から行きましょうか。釣り船、予約しときますから」
安川「頼んまっさ」
と、上機嫌に焼酎を飲む。
○由香里の回想・旧安川宅・居間(夜)
ぼんやりテレビを見る由香里(8)。
由香里N「ついに約束の日がやってきました」
《けたたましく鳴る黒電話のベルの音》
二階から慌てて降りてくる沙喜子、受話器を持ち上げる。
沙喜子「はい、安川です」
沙喜子、次第に表情が曇り出す。
沙喜子「……今、出かけてまして……え! 釣りの約束?」
一層青ざめる沙喜子、相手の話に相槌を打つ。
沙喜子、頭を下げながら、
沙喜子「ほんまに、すんません。帰ったら、よう、言うときます……はい、ほんまに、すんませんでした」
と、そっと受話器を電話に戻し、深いため息を付く。
由香里「どないしたん?」
悲しそうに由香里を見る沙喜子。
由香里N「どうやら父は約束をすっかり忘れて、別の飲み屋に出掛けていたらしいのです。バーのマスターはカンカンに怒って、釣り船のキャンセル料の事を散々愚痴っていたとか」
× × ×
安川をコンコンと叱る沙喜子。
安川「ほんまに、すんまへん」
沙喜子「私に謝っても、しゃあないやん」
安川「明日、謝って来るわ」
沙喜子「もう二度と顔、見たくないねんて」
安川「えらいこと、してもうた」
沙喜子「遅いねん!」
と、怒って二階に上がる。
安川「やってもうた」
と、うな垂れる。
○由香里の部屋(夕方)
手を合わせる由香里。
由香里N「その愛想の良さを引き継いだ私もその場のノリで約束して、後で後悔する事が多々あります。しかし、私は約束を破りません。無理な時はちゃんと連絡します……まあ、当たり前の事なんですけどね。次の遺伝子が進化しただけでも、マシだと思っていただければ幸いです」
○冥土
口を開けて呆れた様子でモニターを眺める閻魔様。
安川、朗らかに笑っている。
安川「あった、あった。あの時は、えらいことしてもうたわ」
閻魔様「反省するとかって、ないんですか」
安川「だから、反省してたやん。あいつに謝りに行ったけど、口も効きよらへんし、どうしようもないやん」
閻魔様「あの」
安川「人間、小ちゃいと思わんか」
閻魔様「いえ全く思いません。マスターの態度は然るべき態度です」
安川「え! 謝りに行ってるのに?」
閻魔様「すでに前提が間違ってますね。何の弁護か吹っ飛ぶ程の珍事でした」
安川「社交的やったのを引き継げて幸せや、言うてたがな」
閻魔様「幸せではなく、役立ったです。あ、思い出した。確かに、次の遺伝子が進化して何よりでしたね。百歩譲って、反面教師と考えても……マイナスですね」
と、書類にペンを走らせる。
安川「ちょっと待て、今の嫁はんが、今日も拝んでるんちゃうんか」
閻魔様「全く足りません。このままで、行くと地獄行きもやむを得ませんよ。以上、四七日を終了いたします。お疲れ様でした」
と、大きな扉の方に歩き去る。
安川、閻魔様を追い掛けながら、
安川「審査、偏り過ぎやろ! おい」
大きな扉が少し開き鋭い目で安川を睨む閻魔様。
閻魔様「今日のは誰がやっても同じですよ。まあ、前回のは阪神ファンが裁いたら分かりませんがね」
と、再び大きな扉が閉まる。
安川「やっぱり、片寄ってるやんけ!」
五七日(ごなのか)
○由香里の部屋(夕方)
冷蔵庫に磁石で貼り付けている『お父さんの良いところリスト』を眺める由香里。
× × ×
T「五七日」
低い本棚の上に設置された簡易の神棚。その横に水の入った湯呑みが供えられ、線香が白い煙を燻らせる。
由香里N「閻魔様、父は天真爛漫で素直な美しい心を持っていました」
○由香里の回想・公民館(夜)
葬儀が行われている。
由香里の伯父の遺影が祭壇に飾られている。
棺桶の蓋が開かれている。
葬儀社の社員、参列者に棺桶に入れる花を配る。
安川(71)、寂しそうに伯父の顔の側に花を置く。
その後に続いて、修平(42)と由香里(34)もポロポロ涙を流しながら伯父に花を添える。
更に参列者も、順に花を添える
由香里N「水と油ぐらい性格の違う伯父と父は、いつも兄弟喧嘩ばかりしていたそうです。だが、流石に、この時ばかりは父も落ち込み、とても寂しそうでした……しかし」
○由香里の回想・公民館(朝)
安川が位牌を持ち、由香里が遺影を持っている。その横に親族一同、参列者の前に並び深々と頭を下げる。
葬儀社社員「それでは、ご遺族の皆様、バスの方に」
安川「すんまへん! 便所」
修平「(小声で)我慢できんのん?」
安川「できる訳、無いやろ!」
あんぐり口を開けて、安川を注目する親族一同と参列者。
由香里N「いわゆる空気を読めない男である……トイレだから、仕方ないのですが」
修平「早よ、戻ってきぃや」
安川「分かってる、分かってる。(親族に)すぐ、戻ってきまっさ」
と、トイレの方に走って行く。
× × ×
会食の席。
葬儀社社員「皆様、お骨上げのお時間は一時半となります」
安川、修平、由香里、親族はめいめいの場所に座り懐石料理を楽しむ。
安川、赤ら顔でニコニコしながら、
安川「今日は皆集まって嬉しいなぁ」
由香里N「う、嬉しい?」
修平「(安川に)おい」
安川、立ち上がり、
安川「よっしゃ、皆、乾杯や!」
修平「何が、めでたいねん!」
大笑いの一同。
由香里N「献杯です。斯く言う私も、この日まで知りませんでしたが、流石に葬式の席で『嬉しい』だとか『乾杯』には違和感を覚えました。しかし、父だけでなく、伯父もまた親族が集まることを強く望んでいたらしいので、父の失言は、きっと笑って許してくれているでしょう。いつものことでしたし」
テーブルの片隅で、一同の様子を眺めて微笑む伯父の霊。
○再び由香里の部屋(夕方)
手を合わせる由香里。
由香里N「天真爛漫過ぎるが故に、人に不愉快な思いをさせたことも多々ありましたが、父の明るさに癒された人も多くいたと思います。私も程々に父を見習って周囲の人たちを笑顔にしたいと思います」
○冥土
カリカリ書類に結果を記述する閻魔様。
安川、不安そうに閻魔様の書類を覗く。
体で書類を隠す閻魔様。
安川「あれは、ついポロッと言うてもうただけやん。特に悪いことしてないやろ」
閻魔様「いつも、ポロッとなんですけど。そういえば、初七日で親族のみなさんの事、葬式なのに失礼とか何とか言ってませんでしたっけ?」
大笑いして誤魔化す安川。
安川「言うた、言うた。ハハハ」
胡散臭そうに安川を眺める閻魔様。
安川「確かに葬式は難しいな。普段と違うから」
閻魔様「まあ、今日のはお兄さんも、みなさんが集まることを望んでらしたのでプラスマイナスゼロの現状維持です。次、マイナス要素が入るとゼロを下回りますからね」
安川「せやけど、由香里、見習うって言うてたやん」
閻魔様「安川さん、あのね、大人の世界には社交辞令というものがございましてね。いい大人が社交辞令を真に受けるのも、如何なものかと思うのですが」
安川「あれ、嘘や言うてるん?」
閻魔様「愚痴になってしまったのを、苦し紛れに、締めくくった感が否めませんね」
安川「あんた、ひねくれてるわ」
閻魔様「お嬢さんが、仰る様に安川さんが底抜けに天真爛漫なだけなんですよ。以上。これにて五七日を終了いたします。お疲れ様でした」
と、足早に大きな扉の方に歩いて行く。
安川「底抜けまで、言うてへん!」
六七日(むなのか)
○由香里の部屋(夕方)
冷蔵庫に磁石で貼り付けている『お父さんの良いところリスト』を眺める由香里。
由香里「六七日、六七日……家族のために一生懸命働いてくれた……特にオチ無いなぁ」
腕を組んで考える由香里。
× × ×
T「六七日」
低い本棚の上に設置された簡易の神棚。その横に水の入った湯呑みが供えられ、線香
が白い煙を燻らせる。
由香里N「閻魔様、父は会社を休むことなく毎日毎日、家族の為に一生懸命働きました」
○由香里の回想・製薬会社・物流拠点(昼)
積み荷を大型トラックに運び込む運転手。
配送する薬品のリストを見ながら、荷物の確認をする安川(43)。
道路を挟んだ歩道を歩く沙喜子(40)と幼稚園の制服を着た由香里(6)。
沙喜子、由香里に話し掛けながら、安川を指さす。
由香里、嬉々として安川の方に手を振りながら、
由香里「お父さん!」
安川、由香里に気づいて笑顔で手を振る、
安川「由香里!」
○再び由香里の部屋(夕方)
神棚の前で手を合わせる由香里。
由香里N「父の仕事のイメージはこれくらいです。仕事人間というより、人生そのものを
楽しんでいた人でしたので。あの日、私が見た父は一生懸命に仕事していました。私達、
家族の誇りです……あ! そうそう、他にも格好良かった父の姿を思い出しました」
○由香里の回想・旧安川宅・居間(朝)
テレビをつける由香里(9)。
壁を這う黒い虫。
強ばる由香里。
由香里「ギャー!」
と、走り去る。
○由香里の回想・旧安川宅・台所(朝)
忙しなく朝食の準備をする沙喜子(43)。
由香里、バタバタ走ってくる。
由香里「お母さん、ゴ」
由香里N「ちょっと、待ったぁ!
動きの止まる由香里と沙喜子。
由香里N「私は物心ついた頃から、黒い虫が大嫌いでした……年々、その度合いが酷くな
り、黒い虫の本名すら言えなくなっています。あの名を聞いただけで、身震いする程で
す。なので以降は、黒い虫と呼びます。角の無い方です。続きをどうぞ」
動き出す由香里と沙喜子。
由香里「黒い虫が出た!」
沙喜子「お母さん、忙しいねんから、お父さんに取ってもらいぃな」
膨れっ面の由香里。
○由香里の回想・階段下(朝)
由香里、上に向かって、
由香里「お父さん、お父さーん!」
安川(46)、ドタドタ降りてくる。
安川「何や」
由香里、居間の壁に貼り付く黒い虫を指差し、
由香里「あれ!」
安川、目付き鋭く黒い虫を見て、
安川「よっしゃ!」
○由香里の回想・旧安川宅・居間(朝)
安川、手際よく古新聞を棒状にクルクル丸め黒い虫の方にソロリソロリと近づくと、
黒い虫の動きを目で追い狙いを定める。
緊張した様子で見守る由香里。
安川、黒い虫目掛けて新聞で作った棒を振りかざす。
安川「おりゃー!」
安川の一撃で黒い虫、畳の上に転がる。
安川、すかさず新聞を広げると黒い虫を拾い上げて、その新聞をギュッと握る。
惚れ惚れした様子で安川を眺める由香里。
由香里N「後にも先にも父が男前に見えたのは、この時だけでした……あ! 毎日、一生
懸命働く父も格好良かったんですよ。ええ」
安川、勝ち誇った様子で由香里を見る。
由香里N「『そうだ! 勇者を称えなければ』……そう思った私が慌てて口にした言葉は」
由香里「こんな時だけやなぁ。お父さん、役に立つのん」
ムッとする安川。
安川、笑顔で、
安川「由香里」
由香里「何?」
安川、手に持った黒い虫を包んだ新聞を広げて由香里に見せる。
由香里「ギャー!!」
由香里N「閻魔様、悪気は無かったんです。なのに父の大人気のなさと言ったら……あ!
ごめんなさい、お父さん。思わず殺生したことを、告発してしまいました。閻魔様、
黒い虫の話は記録から抹消してください。何卒、よろしくお願いいたします」
○冥土
書類を前に頭を抱える閻魔様。
安川、腕を組んで勝ち誇った様に微笑む。
閻魔様「黒い虫の前までだったら、プラスだったんですけどね」
安川「いやいや、今日は文句なしで最高得点やろ。英雄やんけ、わし」
閻魔様「そんな事ないですよ。これじゃ、今日もマイナスで、地獄行き、仮確定です」
安川「何でやねん」
閻魔様「お嬢さん、何か意図があるんですかね。あまり日常で使わないでしょ。殺生なん
て言葉。しかも記録が、どうとか」
安川「どういう事やねん!」
閻魔様「殺生は仏教界では大罪です」
安川「大罪って……ゴ」
閻魔様、口に人差し指をあて、
閻魔様「これ以上お嬢さんを怒らせると、次回、もっと、とんでもない報告をするかかも
しれませんよ。しかも潰したの見せちゃってるし」
安川「せやけど、記録から消してくれって言うてたやんけ」
閻魔様「一度、記録されたものは削除できません!なるほど、都合の良いところは、ちゃ
んと聞こえてるんですね」
安川「どんだけ要領悪い仕組みやねん」
閻魔様「それぞれの人に合わせて都合よくルールを変えてたら、ルールの意味がないでし
ょ」
安川「しかしやなぁ、ゴ……いや、黒い虫、生かしといたら不衛生やろ。子供の事思って
やったのに」
閻魔様「それは人間の都合です。それなら生かしたまま掴んで表に逃がすという手もあり
ます」
安川「気色悪いなぁ、お前」
閻魔様「芥川龍之介の『蜘蛛の糸』で、そういうのあったじゃないですか」
安川「蜘蛛とゴ……黒い虫は全然違うやろ。蜘蛛は家、綺麗にしよる。奴等を食って」
閻魔様「同じ尊い命ですよ」
安川「そんな事したら、今度は、よそが困るやろ。そっちの方が、自分勝手や」
閻魔様「いえいえ、それこそ黒い虫は人間の方が自分勝手だと思ってますよ」
安川、落ち込んでしゃがみ込む。
安川「わし、どんだけ娘に嫌われてるねん」
閻魔様「いや、嫌ってるんじゃないと思いますよ。あなたと前の奥様の子供だから、ちょ
っと、おとぼけが過ぎるだけですよ。四十九日にオチまで用意するとは、流石としか言
いようがないですね」
安川「そのオチで、わし、地獄まで墜ちてまうやんけ」
閻魔様「なるほどね」
と、カラカラ笑う。
安川「笑うとこちゃう!」
閻魔様「でも、後もう一回ありますから。最後で挽回できれば天国に行けますよ。現状、
仮確定とは言え、僅差です。お気になさらないで、気を強く持ってください」
安川「持てる訳ないやろ。他人事やと思って気軽に言いくさって」
閻魔様、コソコソ書類を片付け、
閻魔様「それでは、六七日を終了いたします。お疲れ様でした」
と、立ち上がり大きな扉の方に消えていく。時折、チラリと心配そうに安川の様子を
見る。
背中を丸めて落ち込む安川。
静かに閉まる大きな扉。
四十九日(しじゅうくにち)
○由香里の部屋(夕方)
育児記録を微笑みながら眺める由香里。
表紙には赤ん坊のイラストが大きく描かれており、その下に『安川由香里』と記され
ている。
由香里「今日こそは挽回せな」
× × ×
T「四十九日」
低い本棚の上に設置された簡易の神棚。その横に水の入った湯呑みが供えられ、線香
が白い煙を燻らせる。
由香里N「閻魔様、私が生まれた日、父は飛び上がるほど喜んでくれました」
○冥途
閻魔様、モニターを微笑ましい様子で眺めている。
体を丸めて部屋の隅で落ち込む安川。閻魔様に背を向けている。
閻魔様「見ないんですか? これでお嬢さんとも最後ですよ」
と、書類に結果を書き込む。
安川「もういい、あんな奴。あいつは、わしを地獄送りにするために四十九日しよってん
や」
閻魔様「地獄に行きたいんですか?」
安川「行きたい訳ないやろ」
閻魔様「ご覧になるなら、再生しますよ」
安川、閻魔様の方に近づき、
安川「もう、いいから、さっさと行先き教えてくれ」
閻魔様「ほんとに、いいんですか?」
安川「ええ、言うてるやろ!」
閻魔様「そうですか。でも、正直、今日のは堪えました」
と、書類に目を落とす。
書類の文字が閻魔様の涙で滲む。
驚く安川。
安川「どないしてん?」
閻魔様「今日は安川さんに学ぶ事が沢山ありました。私は仕事にかまけて、子供が産まれ
る日に立ち会う事もしませんでした」
安川「忙しい仕事しててんやったら、仕方ないやろ。昔と今じゃ、働く時間が全然違うし、
働き過ぎや言うて、政府まで動き出しとおるがな」
閻魔様「それでも子供の産まれる日は、とても大事な日だったんです。安川さんが書き残
した文章で、それに気が付きました」
安川「何の事や?」
閻魔様「カメラやビデオに子供の記録を残すのもいい事ですが、案外、親の自己満足だっ
たのかもしれませんね」
安川「え? わしも、仰山、写真撮ったで。みんな通夜の晩、喜んで見てたわ」
閻魔様「何で、そんなこと知ってるんです?」
安川「通夜の夜に由香里が一緒に帰ろうって言うから、前の嫁はんの家について行ってん」
閻魔様「写真の話をしてるんじゃないんですよ」
安川「何が言いたいねん、お前は! いっつも、奥歯にものの挟まった、もの言の言い回
ししやがって。直球でこいよ、直球で。これやから、東京もんは」
閻魔様「だから、育児記録ですよ! 安川さんが書いた」
安川「わし、そんなん書いてないで」
閻魔様「覚えてないんですか」
安川「ちゅうか、知らんよ、そんなん」
閻魔様「もう、いいです。とりあえず、これ見てください」
と、リモコンを操作する。
安川「いやいや、その前に、わしどこに行くねん」
閻魔様「これを見終わったら、お渡しします」
と、ICカードを見せる。
安川「地獄行きか?」
閻魔様「これ、最初に見せましたよね」
と、ICカードをヒラヒラ振って見せる。
安川「知らん」
閻魔様、呆れてポッカリ口を開けたまま固まる。
安川「何、ボーッとしとんねん。ちゃっちゃと仕事せんかい」
閻魔様、頭を振って我に返り、机を叩く。
閻魔様「地獄に堕ちるなら、手を煩わせません。そのまま、堕ちますのでご安心くださ
い!」
安川、身震いする。
安川「しかし、何、怒っとんねん」
閻魔様「後ろをご覧ください」
改札機が設置されている。
首を傾げる安川。
閻魔様「このカードを、あの機械にピッとすれば天国への扉が開きます」
安川、満面の笑みを浮かべる。
安川「よっしゃー! ほんじゃ、見ようか」
と、モニターの前に座る。
モニターには、夜闇に大雨が降りしきり、時折、雷が光る。その光が病院の外観を不
気味に映し出す。
安川、顔を曇らせ、
安川「怪奇もんか? わし、あかんねん、ああいうのん」
閻魔様「まあ、日付と曜日はそうですね」
安川「え?」
○由香里の回想・総合病院・分娩室前の廊下(夜)
窓に叩きつける雨。
遠くで光る雷。
椅子に座っている修平(8)、怯えた目で窓の外を眺める。
修平の目の前を行ったり、来たり落ち着きなく歩く安川(37)。
安川「(呟くように)男、女、女、女」
《雷鳴が轟く》
修平「ひー!」
と、耳を押さえて体を縮こませる。
安川「(修平に)男のくせに雷ぐらいで、ビービー言うな!」
《大きな産声》
《再び轟く雷鳴》
雷鳴と共に一斉に蛍光灯の灯りが消えて、
真っ暗になる。
修平の声「お、お父さん、どこ?」
安川の声「チッ、また停電か。こんな時に」
修平の声「お父さん?」
安川の声「じき、電気、点くから、待っとけ。弱っちょろいなぁ」
病院スタッフの声「誰か、自家発電の電源入れてー!」
《病院スタッフがバタバタ走り回る足音》
修平の声「そういえば、今日、十三日の金曜日やんなぁ」
安川の声「それが、どないしてん」
修平の声「『十三日の金曜日』って、アメリカのホラー映画やん。一晩でいっぱい人殺し
た殺人鬼の話。ジェーソンがやって来るって、テレビでコマーシャルしてるやん」
安川の声「そんな気色悪いもん、知るかいな」
修平の声「……なぁ、あの子、もしかして、悪魔の子ちゃうん?」
《げんこつの音》
修平の声「痛っ!」
安川の声「わしの子や」
パラパラと再び明るく灯る蛍光灯。
安川と修平、眩しそうに俯いてパチパチと目を、しばたたかせて、灯りに目を慣れさ
せる。
二人の目の前に立っている看護師。
安川・修平「(看護師に驚いて)わー! 出たー」
看護師「何が出たんよ! 失礼や!」
安川と修平、何度も首を横に振る。
看護師「ほんまに、もう」
安川「まあまあ、落ち着いて。あんたの顔がまずいとか、そんなん、どっちでもええねん、
わしが知りたいんは」
ギラリと安川を睨む看護師。
修平「お、お父さん」
安川「あ、すんまへん。つい」
看護師、膨れっ面でプイッとそっぽを向く。
安川「そない、怒らんと。今のん、うちの子やろ。女? 男? どっち?」
看護師、そっぽを向いたまま反応しない。
安川「そんな顔するから、余計、不細工に見えるねん!」
看護師、涙目で安川を睨む。
怯む安川、体を縮めて修平の背後に回る。
修平、看護師にハンカチを渡し微笑む。
修平「男、女、どっち?」
看護師、ハンカチを受け取り涙を拭う。
修平「ごめんな、お父さんが」
看護師、ようやく微笑み、
看護師「女の子よ! おめでとう」
安川と修平、顔を見合わせて微笑み合う。
大喜びで飛び上がる安川。
由香里N「生まれた瞬間、男か女か題目を唱えながら女の子であれば良いのにと願ってい
ましたら、看護婦さんが『女の子よ。お目出度う』と云われた途端、私は嬉しくて嬉し
くて飛び上がりました……父が残してくれた育児記録の原文です」
○由香里の部屋(夕方)
神棚に手を合わせる由香里。
由香里N「この文章は私の人生に最大の自信をもたらしてくれました。閻魔様、どうやら
私、父の事が大好きだった様です。どうか、父を成仏させてやってください」
○冥土
モニターの画面から画像が消え砂嵐が映し出されている。
開いたままの改札のセキュリティゲートを穏やかな光が照らす。
【完】
父の四十九日
【三七日あとがき】(平成30年1月6日)
今朝、星野監督の訃報を知りました。
タイガースファンのことを、よくテレビでお話されていていました。
お話の内容は全く我が家の父にも当てはまるものばかりで、いつも苦笑いしていました。
そんな虎親父たちや私たちファンのために、タイガースを勝利に導き私たちを歓喜に湧かせてくださったこと。
心より感謝しております。
私が野球好きになったのは、父のすり込みだけでなく、星野さんが監督されていた中日の試合を見てからでした。
父の無意識のすり込みが効いて、中日を好きになることができなかったのですが、
星野さんがタイガースの監督に就任されて、ようやく野球を心の底から好きになることができました。
今じゃもう……目の当てられない虎子と化しています。
星野監督と父に捧げます。。。こんなの捧げられても困りますかね(笑)。
星野監督のご冥福心よりお祈り申し上げます。
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【参考文献】
・2時間でわかる 図解 仏教のことが面白いほどわかる本/田中 治郎(中経出版)