月があんまりおおきいから

月があんまりおおきいから

 
 あふれてゆくから、とめようとした。そんな出逢い方だった。

「朝露さん」

「深鶴さんでしょう」

 私はくすくす笑った。だって、ほんとうに深鶴さんだったから。うんと昔から、ともすれば私が私じゃないくらい前から、ずっと会いたかったひとだった。

 私と深鶴さんは、なんの意向のすり合わせもなく、町のはしっこにある喫茶店へむかった。

「あそこは、オムライスがおいしいんですよね」
「チーズカレーもなかなかですよ」

 川縁をふたりであるきながら、なんだか墨汁のにおいがしますね、と笑った。川なのに、墨汁のにおいがするなんて、へんなの。笑いながら、白鷺がひらべったい岩に載っているのをみた。かわいいですね。あんなにずっととまってるの、おかしくないですか? おかしくないですよ、かわいいんだから。

 深鶴さんは私が話すたび、からからと笑った。五月の風みたいなひと。私よりもすこしだけ歩幅のおおきな深鶴さんが、るるるるるん、とうたった。
「その、るるるるるん、てなんですか」
「意味などないのです。それがよいのです」
 深鶴さんはそう笑いながら、ふわりふわりと慎重に縁石をのぼった。こんどは、たららららんとうたっている。

 チーズカレーは、やっぱりなかなかにおいしかった。熱くとろけたチーズが、カレーにたっぷりかかっている。深鶴さんはスプーンで黄金色のオムライスをすくうと、卵がとろとろとほぐれます、とにこにこ笑った。大窓からはあかるい陽がさしていて、遠くにある海はそのたびにきらきらと光った。まぶしくて、私たちはときおりまばたきしながら、お水を飲んだ。銀色の水差しまで春に溶けてゆくみたいだった。

 お店をでると、大きなスワンボートをみつけた。のりますか、と深鶴さんがささやくように言うので、私は一も二もなくうなずいた。
 湖はおだやかで、人はまばらだった。ボートを司っている白い髭のたくましいおじいさんが、乗りかたをていねいに説明してくれた。それなのに、私たちはとんでもなくへたくそだった。ごつごつした岩にぶつかりながら、そのたびにふたりで笑いあった。
「息がそろいませんね」
「まったくです。いち、にー、ですすんでみましょうか」 
 いち、にー。がるるるるる。 
「いま、へんなかけ声をいれたでしょう。深鶴さんったら」
「おまじないです。このほうが、ちゃんと漕げるような気がしませんか? ほら、朝露さんもいっしょに。がるるるるる」
 私と深鶴さんは、がるるるるる、ととなえながら漕いだ。すると、嘘みたいにするすると進んでゆく。おまじないの効果はばつぐんだった。


 しずかに日は暮れていった。夜になって歩道橋をわたると、なんだかびっくりするくらいなけてきた。深鶴さんが、朝露さんはなきむしですねと、ふわり笑った。

「だってだって、深鶴さんは、さみしくないの?」
 私はお酒に酔ったひとのようにだらだらとなさけなくなきながら、深鶴さんに言う。すると深鶴さんは、うん、とあっけなくこたえた。
「だってだって、また逢えるでしょう? こんなにすばらしい日がいちどあったんだから、つぎもあるでしょう」

 深鶴さんはやけに胸を張って言った。そんなもんかなあ、と私がこぼすと、そんなもんだよお、と深鶴さんはまた、からからと笑った。

「じゃあ、誓いましょう」
 チカイマショウ?
 深鶴さんはまるで異国のことばを聞いたみたいにくりかえす。
「深鶴さん、おうむみたい」
「それはすばらしい。おうむは、すきです」
 深鶴さんがにこにこする。その顔をながめていると、なんだか私までつられて、だいじょうぶだという気になってくる。
「深鶴さん。チカイマショウっていうのはね、ここで、なにかに、約束するってことです。また逢いましょうって、やくそくすることです。だから、反故にしちゃいけないの」 
「ほご。朝露さんはむずかしいことを知っていますね」
 深鶴さんはふむふむうなずいてから、ぽんと柏手をうった。
「わかりました。また、朝露さんに逢うことを、やくそくすればよいのですね」
「そう! 深鶴さん、百点です。満点です」
 深鶴さんは、はずかしそうにえへへとわらった。
「月があんまりおおきいから、照れちゃいます」
 深鶴さんは、照れかくしなのか、よくわからないことを言った。空をみあげると、たしかに月はまんまるくて、のみこまれそうな程におおきかった。
「それでは、月に誓いましょう」
 つきにちかいましょう。私のことばを、深鶴さんはかみしめるようにとなえている。

「また、逢いましょう」
  深鶴さんは私の手をとると、きょうのうちでいちばんきれいにわらった。
「はい。またね。きっとね」
 
 ふたりで笑うと、ふかい紫色の空から、月がひゅるんと墜ちてきた。深鶴さんはそれに乗って、私にいつまでも手をふった。つぎは、あの喫茶店で、プリン・ア・ラ・モードをたべましょう。スワンボートにもういっかい乗って、あたらしいうたをうたいましょう。

 あのオムライスみたいな黄金色の月のうえで、深鶴さんはくるくると回転しながらおどっている。私は歩道橋のうえで、深鶴さんにならっておどった。るるるるるん。またいつか。

月があんまりおおきいから

月があんまりおおきいから

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 児童向け
更新日
登録日
2018-01-02

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