第一印象の悪化、或いはフローズンの溶解
「恋の足音」とのコラボレーションとなります。君島さんの「Bit By Bit」→http://bbyb.web.fc2.com/
コロン。頭上で小さな鐘が音を立てて、自分たちの来店を知らせた。木目の目立つ床に、重厚なカウンターが鎮座する喫茶店は、見慣れた風景だ。そのカウンターの内側に立つ、小柄な店長の姿も。彼がこちらを向いて、反射的に笑顔を作り上げるのだけは、何度見ても慣れないが。
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
「どう見えてるんだよお前には。三人だ」
悪気ゼロの装いでそう言い放つ店長に、先頭に立つ金髪が指を三本立てて見せた。その指を見て、店長、相沢光の顔面から笑顔が消えた。
「てめえらは本当に、人が働いてる所に現れるのが好きだよな。ふざけんな」
「居心地がよくて仕方ない店を作るお前が悪い。コーヒー、ホットチョコレート、期間限定一つずつな」
金髪の男、坂井京助が、カウンターに肘をついてそう笑った。目を細めた笑い方は、意地の悪さが前面に押し出されている。軽く鼻を鳴らして、光がこちらに視線を向けた。
「そう毎回期間限定が当たりだと思うなよ、雄一。あえて冬にストロベリーフローズンだ」
「受けて立とう」
光の釣り目に睨みつけられた黒縁眼鏡の男、仙道雄一は、表情を崩さずに頷いて見せた。その後ろで、色素の薄い天然パーマをヘアピンで止めた立花晴香が欠伸をかみ殺す。ち、と光が舌を打って、カウンターの奥へ引っ込んでしまった。勢いよく冷凍庫などを開ける音が聞こえる。きっとキンキンに冷えた苺が取りだされていることだろう。受けて立とう。雄一はもう一度頷いて、覚悟を決めた。
「いらっしゃいませ。お席にご案内します」
そう声をかけられて振り向くと、カウンターの前に、一人の青年が立っていた。明るい茶髪をツーブロックにした髪型の彼は、光と色違いのエプロンを身に着け、にこやかに笑っている。三人は目を丸くして、彼のつま先から頭までを眺めた。
「あれ、知らない顔がいる。いつものバイト君は?」
いつも客を出迎えるのは、癖の付いた長髪を一つに結った、漸次というミステリアスな青年だ。接客業だというのに表情筋を殺しきった彼が、本日の店内には見当たらない。代わりに登場したのが、この爽やか青年。冷凍庫から戻った光が、ああ、と青年を見て口を開いた。
「そう毎回漸次をこき使う訳にもいかねえからな。雇った」
いかにも、今どきの大学生然とした男だ。何かスポーツをしているのか、体は引き締まっており、制服姿が様になっている。身長も、京助と肩を並べるほどには高い。こちらの会話に首を傾げて、店長のお知り合いですか? と問いかけて来た。
「俺ら、こいつの同級生だったんだよね」
京助がカウンターに肘をついたまま、ヘラりと笑う。愛想笑いの塊だ。
「堀住、よく来る奴らだから紹介しとく。金髪が坂井、眼鏡が仙道、天パが立花だ。もれなく有害だから、気を付けろ」
「え、有害なんすか」
光の言葉に、青年は眉を顰める。聞き捨てならないな、と雄一が光を見るが、彼はこちらを見もしない。凍って白くなった苺を、ミキサーに突っ込んでいるところだ。固い物が削られる音に、室内にも関わらず寒気を感じる。
京助は、訝しげな表情をする青年にケタケタと笑って見せた。
「無害だよ。無害無害! 男には本当に」
「こいつは確かに有害だが、俺は無害だ」
「こんなこと言ってるけど、こいつだって相当悪質だよ。んじゃ、バイト君二号、俺らどこ座ればいい?」
青年が、むっと口を結んだのがよく分かった。こういうところが有害なんだ。雄一はひっそりと溜息を零す。それを咎めない自分も自分だし、心ここに非ずといった背後のもう一人も同罪だ。
「堀住です。堀住結城」
青年が、左肩の少し下、エプロンの肩掛け部分に取りつけられた名札を指さしてそう言った。ほりずみ。雄一は口の中で彼の名前を復唱した。なんとなく、口当たりのいい名前だ。
「うん。なるほど。じゃあバイト君二号だ」
なにがなるほどだ。堀住青年が、隠そうともせずに眉間に皺を刻んだ。京助は、そんな彼の不機嫌さが愉快で仕方ないのか、ニマニマと意地悪く笑っている。
「おい、バイトいじめをやめろ。席なんか、いつものところでいいだろ。これも持っていけ。堀住、こいつらには接客とかしなくていい」
軽い音を立てて、カウンターの上にトレイが置かれた。三つのカップが並んでおり、そのうち二つは湯気を立てている。雄一の頼んだ期間限定ドリンクは透明なグラスに入れられており、冷え冷えと冷気を上げていた。悪いな、と言いかけた言葉が、京助の声にかき消される。
「えー、俺バイト君二号に接客してほしいなー。お近づきになって、店長の愚痴とか聞いてあげないと」
「ここはお前が行くような店じゃねえ。指名制度は無い」
「俺が行く店って何!? い、いかないから! 指名とかしたことないから!」
はいはい。言いながら、雄一は京助の背中を押して、いつもの定位置に向かう。堀住はため息一つ残して、別の客への対応に行ってしまった。後ろから、トレイを持って立花晴香が続いてくる。
「京助さ、本当にイケメンが嫌いだよな」
カウンターの更に奥、観葉植物に隠れたいつもの席について、晴香が第一声を発した。奥側に晴香が座り、手前の席に並んで京助と雄一が腰を下ろす。晴香の言葉に、京助はパタパタと手を振った。
「適当なこと言うなよ晴香ちゃん。お前は何にも分かってない」
「そうだぞ、晴香。こいつはイケメンが嫌いなんじゃない。ただ新人いびりが好きなだけの有害物質だ」
「雄一、フォローするならちゃんとして」
「してない」
味方のいなくなった京助は、唇を尖らせてホットコーヒーのカップを手元に引きよせた。雄一も、冷え切ったグラスを手に取って、太いストローを咥える。軽く吸い上げるが、中で固まってしまっているのか、一向に管を上がって来る様子が無い。諦めてそのグラスを少し遠ざけて置いた。
イケメンが嫌いなんじゃなくて、女の影がありそうな奴をからかいたくて仕方ないだけなんだよな。新人いびりは普通に好きだろうけど。そう思って、チラリと先ほどのバイト君の方へ目を向ける。初々しくもあるが、根底に染みついているのか礼儀正しさが感じられる。今も、一人で訪れた女性客ににこやかな笑顔など浮かべている。大学一年生くらいだろうか。雄一の浅はかな経験からくる視点から見ても、彼女の一人や二人、いない訳がない。
「見るからに、幼馴染に淡い恋心を抱き続け、高校生くらいで成就したような顔しやがって」
「京助とは正反対だな。純愛」
「俺だってピュアピュアだよ。いつだって」
やけに具体的な京助の言い分に、晴香がくつくつと笑った。京助も言い返すが、それに返す言葉は無い。いつもの流れを終えて、テーブルには沈黙が落ちた。
「俺にも」
一口、コーヒーを飲み込んだ京助が、打って変わって真剣な声色で呟いた。チラリとそちらを見ると、京助も雄一に目を向けていた。しばらく目を合わせた後、がくりと頭を落とす。
「俺にも、可愛い幼馴染がいればなあ」
悪かったな。言葉にせず、雄一はストローに齧り付いた。ずず、と音がして、少し薄ピンクの液体が管を上って来る。すぐにそれは止まり、時期尚早であると伝えてくる。ストロベリーフローズンはまだ溶けない。
幼馴染。どれくらいの年齢からの関係を指示しているのかは定かでは無いが、雄一と京助の関係を語るうえで、これ以外の言葉は無いだろう。両家の母親同士が旧知の仲であり、彼女らの思惑の元か、隣同士の家に住んでいる。なんの因果か、二人が生まれ落ちた年も同じで、生まれる前から共に過ごしたと言っても過言では無い。まるで兄弟の様に育ってきたが、兄弟のような関係かと言われればそうでは無い。惰性で30年近く一緒にいるような、幼馴染だから、で全て済ませる間柄だ。
あの堀住青年に、幼馴染から転じた彼女がいるのかは分からない。だが、京助の中ではそう確定してしまっているようだ。あーあ、とこちらが気落ちするような声を上げている。
「一つ言っておくとすれば」
晴香が京助を指さした。眉間を撃ち抜くような形に、京助が顔を上げる。相変わらず、晴香は無表情だ。
「例え可愛い幼馴染がいたとしても、坂井京助に恋愛は出来ない」
「……その心は?」
「お前が、それを望んでいないから」
ああ、的を射ている。雄一は一人納得し、無言で頷いた。彼女が欲しいとでも言いたそうな言動だが、京助がそれを望んでいたような事は一度も無い。フェミニストで、女性を見れば甘ったるい言葉をかけずにはいられないが、そのどこにも京助の本気は無いのだ。ただの一度を除いては。
身もふたもない。京助は、そんなことない、などともごもご言い訳をしているが、晴香には届いていないようだ。
「もー、お前らほんと俺をなんだと思ってんの! もう! ちょっとバイト君! バイト君!」
長い腕を高く上げて、京助は堀住を呼ぶ。観葉植物からにょきりと生えた腕は、彼にも見えていることだろう。晴香の目線が、雄一らの後ろを見ながら動く。足音が聞こえてそちらを見ると、堀住があきれ顔で近づいてきた。無視するでもなく、一応、呼び掛けには応じてくれるらしい。
堀住は、手に持っていた水差しを、重い音を立ててテーブルに置いた。重い音は立ったが、見るからに、どうやらそれは、空っぽだ。一人分の余剰も無い。
「水はセルフサービスとなっておりますのであちらの水道からどうぞ」
「聞いた事ないよそんな水道水システム。いや、水じゃなくてね。バイト君に聞きたいことがあって」
「俺、名乗りませんでしたっけ」
「知ってるよ。堀住結城くんね。で、バイト君二号はさ」
「堀住です」
「……もしかして二号が気に入らない? でも、君も知ってると思うけど、一号は先輩の漸次だから」
「バイト君って呼び方をやめてください」
「……で、バイト君二号はさ!」
ああ、湧いてきた。雄一は不毛な争いから目を逸らして頭を抱えた。湧いてきた。罪悪感が、だ。まるで怖い物知らずの五歳児を抱える親のような気分だ。うちの子がすみません、とでも言いたくなる。これが幼馴染という関係に課された業だと言うのか。
大人になれと、大学生の若者に、三十路に片足を突っ込んだ男が要求するこの光景程、痛々しいものはない。諦めるな、堀住青年。そしていい加減にしろ、京助。言えば更にこの争いに不毛が乗算されそうで、雄一は口を噤む。
「俺の見立てでは、君には可愛い彼女がいるらしい。幼馴染の」
堀住の反論を押しのけて、京助はしたり顔で言い放った。堀住の目が、丸くなる。
「お兄さんもこの年になると、若者の恋愛事情が楽しくて仕方ないわけだ」
「自分は不純な性生活しかしてないからな」
「アドバイスとかしたくなるんだ。頼まれてもいないのに」
「聞かないほうが良い。ろくな結果にならないぞ」
「……晴香ちゃん、俺のこと嫌い?」
「そこそこ」
堀住が、困ったように目を泳がせる。嘘の付けない青年だ。その泳ぐ目が、チラリとこちらを見た。堀住を眺めていた雄一とそれが交わり、まるで助けを求めるようだ。
罪悪感を晴らす時だ。雄一はその視線にしかと頷き、テーブルに備え付けの砂糖瓶を手に取った。
「そこで、俺は是非君の恋煩いから今に至るまでを根掘り葉掘り聞きたい! もちろん、聞かせてくれた暁には呼び名を変えることも検討しよう!」
「京助、コーヒー冷めるぞ」
「んえ? あ、うん。飲む飲む」
雄一の行動の一部始終を見ていた晴香が、息を潜めたのが分かった。京助は、言われるままカップを口に運ぶ。雄一も、そして堀住も、じっと彼の動作を見つめていた。そして一口、むせる。
「な、げほ、なんで、なんでえ! 甘い! 甘い! 殺される! 死ぬ!」
「罰が当たったな」
はん、と鼻で笑いながら言ってやる。京助が恨めしそうに、じとりとこちらを見た。彼の持つコーヒーはまだ少し残っているが、もうこの男に飲める物は無い。
「雄一ぃ……お前神にでもなったつもりか……」
「なんのことだか。若者に絡むおっさんを見てられない神がいたんじゃないか、この辺に」
「覚えてろよ……バイト君、水ちょうだい」
「セルフサービスですので」
「マジで水道水システムなのこの店!?」
京助が机に突っ伏して、晴香がくつくつと笑って、思わずと言った風に、堀住も笑いを漏らした。雄一も、肩の力が抜けて背中を丸める。やっとか、とストローを吸い上げれば、そちらもまろやかに溶けだしていた。シャリ、と舌の上で氷が擦れる感覚が心地いい。苺の酸味が脳まで染みるようだ。窓の外は冷たそうな風が吹いているが、もちろん店内は空調が効いて暖かい。冬のフローズン、いいじゃないか。やっぱり期間限定はいつも当りだ。そう思って店長の方を振り返れば、そこまで声が届いていたのか、眉間に皺を刻み込んだ光が、腕を組んで仁王立ちをしていた。静かにしろ、と目が物語っている。あちらの溶解は、時間がかかりそうだ。
そこからは落ち着いたものだ。堀住に絡むことはやめ、雄一はフローズンを飲み、晴香は新しくケーキセットを注文した。京助はコーヒーを頼み直し、先ほどまでくるくると回っていた口をしっかりと閉じた。BGMのベース音まで聞こえてくる静寂。時たま発せられる声はひそやかで、他の客の声が遠く聞こえた。
ごちそうさまでした。晴香が両手を合わせたのを見て、伝票を片手に立ちあがる。レジでは堀住が、別の客を送り出しているところだ。
「ごちそうさまでした」
「あー……ありがとうございます」
「今日は悪かったな。あいつ、悪い奴ではあるけど、たまには良いところあるから」
一応、といった形のフォローに、堀住は目線を迷わせ、悩むように唸った。これほど説得力の無いフォローが未だかつてあっただろうか。いや、ない。
「……次に会った時に決めることにします」
その言葉だけで十分だ。光の店の従業員に嫌われたとあっては、次回から足が遠のいてしまう。それはよろしくない。四人で集まれる、こんなにも居心地のいい空間はなかなか無いのだ。うち一人は勤務を強いられる点を除いて。
「えっと、仙道さんでしたっけ。ありがとうございました」
はにかむように言われて、悪い気はしない。雄一は曖昧に返事をして、コートのポケットから財布を取り出した。ごちです、と後ろから声が聞こえたが、ふざけるなと一蹴する。
三人分を纏めて、紙幣を三枚出して支払った。たどたどしい手つきで、細かいお釣りが渡される。レシートを後ろの二人に渡すと、小銭が交換で差し出された。
「じゃ、頑張ってね、バイト君」
無意識で雄一が零した言葉に、堀住が目を見開いて、口元を歪めた。慌てて口を覆っても、出て行った言葉は戻らない。後ろで京助が、弾けるように笑った。ごめん。言おうとした言葉よりも先に、堀住が光の方を向いて声を荒げる。
「店長! あの人たち出禁にしないんすか!」
「おー俺もそう思う。要注意人物として張りだすか」
不穏な会話から逃げ出すように、小走りで店を出て行った。京助が気味の悪い笑顔を向けてくる。やっちまったな、と晴香が呟く。雄一は膝に手をついて息を吐いた。詰めが甘い。次に出会った時、京助よりも嫌われているのは自分かもしれない。まあ、次も出会えたら、の話ではあるが。
END
第一印象の悪化、或いはフローズンの溶解