幻の楽園 Paradise of the illusion(四)

幻の楽園 Paradise of the illusion(四)突然の雨

ヘッドライトに浮かぶ銀色に跳ね返る雨粒。

銀色に乱反射する路面に水飛沫を残して、帰りを急ぐように走り去る平凡な色の自動車の群。

僕は、雨音を静かに聞きながらたたずむ。雨の香りが包み込んで、初夏の始まりを感じる。

あの頃みたいに。

黄昏はすでに過ぎ去り、辺りは蒼い時を経て夜の闇に包まれていく。

君に。いつか。言おう。いつか、いつか、いつか......。

あの言葉を、いつか言おうと思ってた。けど、言えなかった。

遥か昔の出来事。

どうしようもない純粋な気持ち。恋心。押さえ切れない想い。悲しそう。救いようのない愚かさ。脆さ。涙。そして嫉妬。

もう、紙に描いた鉛筆の落書きを消しゴムで綺麗に消し去るようなことはできない。

雨脚は、次第に強く降りはじめる。

土砂降り。あの日もそうだった。
僕の想い出の場所。記憶は少し曖昧だけど、あの時の感覚は鮮明だ。

びしょ濡れの冷たい雨。

君のノースリーブの白いブラウス。

華奢な白い腕。

君の香りと体温(温もり)。

儚い夢を見ていたように。

どうしようもなくて、諦めて涙に濡れる君を見ていた。

幸せになれると思っていた。
でも、僕らは何故か共に不幸だ。

涙の数だけの溜息。やるせない気持ちを見えない所に押し込んで見ないようにした。

あいつが、柔らかなところに傷をつけたんだ。鋭いナイフのような物で......。

その傷は消え去らずに痛みとともに残った。

それだけのことだ。

あの日をきっかけに、僕らの歯車は少しずつ狂って来たんだ。

その時は、わからなかった。

やがて二人は、違う方向に向かう運命だった。

夜が始まる時間。

土砂降りの雨が降っていた。

海岸の駐車場に、白いセダンが停車している。

車の中には、南沢遥と川崎慶が乗っていた。

白いセダンは、遥が自宅から父親に借りてきたものだった。

二人は、午後のドライブを楽しんでいた。

夕暮れ時に、この場所へ来た時は、雨は降っていなかった。

運転席で、遥は泣いていた。

最初は、いつものように楽しく話をしていた。
自然な流れで、お互いの高校時代の頃の話をしていた。
先に、慶が話をしていたときだった。

彼女の表情が、暗く沈んだ表情になった。

「どうしたの」

「......」

彼女は、慶の問いかけにも答えずうつむいた。

車の中は、重い空気が流れた。

突然、雨が降り始めた。

最初は、フロントグラスに小さな雨粒がポツポツと落ちてきた。

「あ、雨、降ってきたよ」

慶は、フロントグラス越しにしばらく夜の空を眺めた。

それから、遥を振り返った。

彼女は、声を圧し殺して泣いていた。

「遥......」

「......」

「どうしたんだよ。何故、泣いてるの」

「あ、ご、ごめんなさい......」

彼の問いかけが合図だったように、彼女は声を出して泣き出した。

それと同じように雨脚は強まってきた。
フロントグラスの前が見えないほどの土砂降りの雨に変わっていった。

車の屋根に叩きつけるような雨音が聞こえる。

その雨音の中で、彼女はしばらく泣き続けた。

ハンドルに手を掛けてうつ伏せになって彼女は、泣いた。
とめどもなく涙を流して泣いた。

彼は、どうする事も出来ずに彼女を見ていた。少し、彼女が落ち着いてきてから再び問い直した。

「遥、どうしたの。黙ってたらわからないよ」

彼女は、ひとしき泣いて頬を濡らしたあと小さな声で喋り始めた。

「川崎君…私ね。高校の頃......担任の先生が恋人だったの…...」

慶は、驚きを隠せなかった。

彼の心の中は、狼狽していた。

叩きつける雨音が車内に響く。

遥は高校一年生の頃、クラスの担任の先生と出逢った。

夏休みに入る頃には、二人は恋人の関係になっていた。

その関係は、誰にも知れずに二人だけの秘密になった。

一年間その関係は続いた。

二年生になった夏の頃、二人で会っている所を、同級生に見られてしまった。

噂は、学校で広まってしまう。

学校側は一方的に、彼女を問題のある生徒とした。

彼女は二年生の秋に入る頃、別の学校に転校させられた。

それから、しばらく時は流れた。

偶然、彼女は、三年生の冬に街で先生と会った。

先生は、奥さんと一緒だった。

その日の夜、先生から電話がかかって来た。

彼女は泣きながら、先生と別れを告げて受話器を静かに置いた。

「黙っ...てて、ごめん...なさい......。私、悪い子なの......」

慶は、付き合い始めて間もない恋人が、酷い目にあった事を初めて知った。

泣く彼女を慰めようとするが、同時に失望とやるせない気持ちが込み上げてくる。

僕は、遥をもて遊び都合が悪くなるとさっさと切り捨てて責任を全て彼女に押し付けて逃げた人を許せない。

そうした気持ちとは裏腹に......。

彼は切ない気持ちが、少しづつ強くなった。

僕は、彼女を救いたかった。

失望感。

やるせない気持ち。

憎しみ......。その後の嫉妬。

いまさら逢うはずもないその先生に酷く嫉妬した。

彼女といけない関係だった相手の先生に......。酷く......。執着してしまった。

明るい彼女の心に陰をおとす深い傷を知ってしまった。

僕は、今、どうしょうもない軽いショックを受けている。

忘れよう。忘れよう。忘れよう。

もう、こんな事......。忘れたい。

二人で、新しくやり直そう。

この叩きつけるような雨に全て流してしまおう。

話を聞いている間に、雨は次第に強くなっていた。
フロントガラスが見えない程に、雨が叩きつけている。
車内に、彼女の泣き声と、雨の叩きつける音だけがした。

土砂降りの雨の車内で、この世界は二人しか居ないような気がした。

泣いてる彼女に、慶はこう言った。

「泣きたい時は、泣けばいい。涙が枯れるまで泣くなら、君の側に居るよ」

彼は、精一杯に大人のフリをして彼女に言った。

泣きながら遥は、彼に抱きついた。

慶は、彼女を抱きしめて雨の叩きつけるフロントガラスを見ていた。

彼女のうなじから甘い香りがした。

切ない気持ちが込み上げて、心が揺れる。

このまま、雨が止まなければいいのに…...。

彼女は、泣き続けた。

どのくらい時間が過ぎ去っただろうか…...。

彼は、どうしようもない失望感を抱えながら雨音の響く中で彼女を慰めた。

どのくらいの時間が経ったのだろう。

ふと気がつくと雨も止んでいた。

彼女が、泣き止む頃には、

先程の雨が嘘のように夜空に星が輝いていた。

「ねえ遥。もう忘れよう」

「......そうね。もう、忘れる」

慶の胸元に顔を押し付けて黙っていた彼女は、小さい声でそう応えた。

「さあ、雨も止んだし帰ろう」

彼女は、虚無な瞳で慶の瞳を覗き込んだ。

「......うん」

二人は、静かに離れてシートに座りなおした。

慶は、エンジンを始動してFMラジオをつけた。

真夜中になる時報が鳴った。

Welcome to the midnight lounge. Ocean Bay FM.

皆さん、今晩わ。葉月 夏緒です。

早速、今夜の一曲目。

Squall the Indigo

" あなたは突然に降りだした雨ね
 私の涙さえ見えない程に

 愛した事さえも氣付かないままに

 心の奧の棘を抜いた

 you like a squall
 squall in my heart

 ねえ、急かないで

 squall
 squall in my heart

 ねえ、焦らないで "

曲が終わり彼女のナレーションが入る。

皆さんは、嫌な思い出をどうされてますか?
捨て去りたくても記憶に刻まれて捨て去れない悲しい過去。
それは、それを糧に前に進むしか道はないのです。
人は、残った記憶を綺麗に消し去る事は出来ない。
身体も心も癒すには時間がかかる事は沢山あると思います。人の心は、弱く不安定ではかないものなのです。

それでも、強く前に進むしか道はない。私は、そう思います。

僕達は、ぼんやりとラジオを聴いていた。

一旦は、幸せなな恋人に戻った気がした。
だけど、二人の見えない心の奥底には、この時の傷が癒えることはなかった……。

Squall the Indigo

Songwriting 岡田美樹 市川祐一

幻の楽園 Paradise of the illusion(四)

幻の楽園 Paradise of the illusion(四)

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-29

Copyrighted
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