Fate/defective c.27

 ボタボタと、エマの心臓から赤が垂れて床に落ちる。
「――――――っ」
 少女は、胸に突き刺した剣を、更に抉るように深く心臓へ潜り込ませる。グシャリと肉や血管が引き千切れる音と共に、肺から噴き出た鮮血が喉を通って口蓋から零れ落ちる。
「……ッ、エマ!!」
 アリアナの悲鳴が上がる。駆けだそうとした彼女を、エマは制止した。
「来ないで!」
「……!」
 十歳の少女とは思えない剣幕に、アリアナの足がすくむ。エマはそのまま体を仰け反らせ、震える指先を一息に剣傷の中へ押し入れた。
 佑、アリアナ、那次はその光景をただ凝視していることしかできない。アーノルドは無表情で呟く。
「……ホムンクルスの……心臓か」
 エマの指が胸の傷から出てくる。その血に濡れた手の中には、角砂糖ほどの大きさの、金色の無機質な立方体が握られている。
 震える身体でそれを天に向かって差し出しながら、少女はとぎれとぎれの呼吸の間に、言葉を紡ぐ。
「大いなる父ら、……大いなる、ただ一人の母、よ……」
 がくり、とエマが膝をつく。唇は震え、顔は死人のように青い。胸から溢れる血だけが生命のように赤い。だが、少女は遠のく意識の中で必死に脳を動かし、喉を震わせる。
「わたしは呼ぶ――――百年の贋作と、金剛は、呼応する」


「わたしは願う――――聖杯の、奇跡の、再来はここに至る」



「わたしは開く―――――立方をほどき、すべて、全て、は、回帰する」


 アーノルドが目を見開き、咄嗟に床に落ちていた剣を拾い上げる。
「いけない。やめろ!」
 そのまま、立方体を握ったまま天に差し出された、少女の片腕を切り落とした。
 エマは噴き出す血をものともせず、最期の力を振り絞って叫ぶ。


「――――わたしは捧げる――――『疑似聖杯(アルス・)英霊再臨(パウリナ)』――――!」





 金色の光が弾けて、辺り一面を覆い尽くした。立方体が輪に変形し、波のように広がる。
 その中でアリアナは目を覆いながら、エマの方へ手を伸ばした。
「エマ、エマ……! どこにいるの? 眩しくて……何も……!」
 光しか見えない霧の中のような光景の中、少女の声が残響のように小さく聞こえる。
「ブロードベンドの、父達の『とっておき』。受け取ってね、皆さん―――――――――……さよなら。
 大丈夫、上手くやったから、あとのことは心配しないで―――――――――」

 声が止んだ時、光も消えた。後に残ったのは、ビーストと、その主、数百人の『理想の人』、三人の魔術師、そして、
「令呪だ」
 那次が呟いた。彼は自分の左手を見下ろし、目を細める。アリアナも自分の右手を見下ろして、唇を噛んだ。
「……『英霊再臨』だと。そんなくだらないことに、あんなに貴重なものを捧げるなんて」
 アーノルドは声を震わせる。チカチカと明滅する浅葱色の刺青が、引きつる頬の筋肉に合わせて歪んだ。
「疑似聖杯の起動詠唱に、魔術王のレメゲトンの一部を冠するとはね。奴の考えそうな、大仰なことだ。それもホムンクルスに埋め込み、心臓として使った後、こんな……こんな事に使うなんて! もっと、もっと早く……気づいていれば……」
 固く握りしめた拳を泥に打ち付け、彼は三人に言い捨てる。
「あの愚かなホムンクルスは、百年かけて人間が心血を注いだ贋作を一瞬で溶かしたぞ。お前たちに、もう一度サーヴァントを召喚させるためだけに! あれは、ただの贋作じゃなかった。疑似聖杯の名前をつけられるほど、真に迫った、魔術師が喉から手が出るほど欲しがった一級品の贋作だ!
 さあ、召喚するがいい。聖杯の力を以て、この無意味な抵抗と、何の価値も無い欲望の為に、もう一度サーヴァントを喚んでみせろ、旧人類!」
 苦渋の表情に顔を歪めたのは、御代佑だった。三画の令呪が刻まれた左手を前に突きだし、言葉を紡ぐ。
「もう一度。もう一度ハルに会えるなら、僕は何だってするだろう。欲望のためだって言われても仕方ない。でも―――」
 彼は迷いを振り切るように頭を振って、叫んだ。
「人は一人じゃ生きていけない! 何も願わずに、何の希望も持たずに、誰からも期待されずに、誰にも期待せずに生きていたって、そんなの本当の人間じゃない。だからアーノルド、君の願いは間違っている!」
「……佑……」
 那次が小さく呼ぶのと同時に、アーノルドは眉をしかめた。はっきりとした嫌悪を浮かべ、言い放つ。
「一人じゃ生きていけないのは、君が弱いからだ。綺麗事の面を被って生きていると、何も考えない馬鹿に潰されるぞ、御代佑」
「……っ」
 佑は目を固く瞑った。何も言い返せない彼の代わりに口を開いたのは、天陵那次だった。
「確かに、アーノルドの言うことは正しい。まったくもって同感だ」
「ちょっ……那次!? 何言って……」
 憤るアリアナを目で制して、令呪の再び現れた左手をさする。
「だけど、まあ、悪くはない。僕も意地汚く生の欲望にしがみついた一人だし、この世に生きてる全員そうだ。みんなでみっともなく蹴り落としあって、いっちばん上を何度もとっかえひっかえしながら、凡人っていうのは生きてる。……天才には生きづらい世の中か? アーノルド。お前は全員を統一して、王になって、その先には何があるんだ」
 軽く首をかしげた那次を、アーノルドは暗い目で睨み付ける。
「全く、さっきまで本気で鞍替えをする気だったのに、令呪が戻った瞬間こうだから、お前という人間は下らない」
「言ってろ、天才気取りが。――――――素に、銀と鉄」
 言い始めた那次の声に、佑の声が重なる。
「礎に石と契約の大公」

「祖には、遥かなる金剛と黄鉄」

「降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国にいたる三叉路は循環せよ」

閉じよ(みたせ)。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ―――――繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

「―――――――――Anfang(セット).」

「―――――告げる」

「――――告げる。汝の身は再び我が下に、我が命運は再び汝の剣に。百年の贋作とあれど、その寄る辺に従い、この意、この理に従うなら応えよ」

「誓いを此処に。
 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

「汝三大の言霊を纏う七天、
 抑止の輪より来たれ、天秤の護り手よ――――――!」




 

 そして、二尾の雷霆が降った。



「これは、少し予定外だったなァ、マスター」

 目を開けると、目の前には見慣れたはずの紫紺が見えた。
 赤々と燃えるように輝く槍。穂先から垂れる劇毒の雫。艶やかな三つ編み、そして片方だけのルーン石のピアス。
「……そうだね、ランサー」
 佑は詰まりそうになる声でやっと言った。視界が、何故だか滲んで仕方がない。
「なんだ、泣いてんのか? 大仰だな。……ま、それがお前らしいといえば、そうだが」
 コン、と槍の穂先で聖堂の床を叩く。ランサーはやれやれと首を振り、佑に背を向け、ビーストの方を振り返る。
「記憶なし、信仰なし、幸運なしの俺に人類悪退治なんて似合わねえが、まあ、呼ばれた以上は仕方ねえ。それがお前の答えって言うなら……最後まで付き合うまでだからな、マスター。ビビッて逃げ出すんじゃないぞ」
 そう言うランサーの声は心なしか軽やかだった。佑は少し微笑んで、頷く。
「もちろん。ハルだって、今度こそは、きっちり働いてもらうからね。途中退場なんて、二度とごめんだ」



「ライダー」

 彼女が口を開くより先に、那次は呼んだ。
「はい。お呼びですか、マスター」
 右手に鈍った斧を握り、凛と立つライダーはそう答えた。その表情は静かで、曇りが無い。
「やることは、分かっているな?」
「ええ、疑似聖杯によって記憶は正しく設置されています。……あの監督役は、最後まで信念を曲げなかった。貴方は、どうしますか。マスター」
 那次は一瞬答えに詰まった。
「……お前、どうせ分かっているんだろう」
「もちろん。貴方は迷いやすく、不確かで、脆い。今なら、あちらに付けば貴方の『世界征服』という夢がかないますよ」
 ライダーはそう言って軽くウインクした。花弁のようにふわりと軽い笑みが口元に宿る。
 那次はふっと息を吐いて笑った。
「一度座に還ると、冗談の一つも覚えられるのか」
「そうですね。そうかもしれません。ですが冗談は一つで結構です。……さあ、マスター。行きますわ」

Fate/defective c.27

Fate/defective c.27

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-27

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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