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ああ受験シーズンか。なんて思いつつ

君に出会えたこと、僕は忘れない

歩道の脇、雪が解けきらずに埃を被っている。
僕たちは無言でその道を歩いていた。
君と知り合ったのは、三年前、高校を入学したばかりのころ。
君はテニス部で、眩しいくらいの笑顔を見せていた。
帰宅部だった僕はそんな君を見ていたくて、男子部へ入部をしたんだ。
今まで怠けていた分、僕の躰は悲鳴を上げた。
足を引きずるように帰る僕を見て、君は初めて声を掛けてくれた。
「痛そうだね」
突然のことで、僕はすっかり動揺してしまう。
なんて返していいのか分からない僕は、つい、うるせい、なんて悪たれを吐いてしまった。
どうしょうもない僕さ。
当然君は怒って、僕に文句を言ってきた。
「人が心配して言ってあげたのに、何その態度?」
見かけによらず怖い君を知って、僕は口をパクパクさせる。
「そんなのひと月も経てば、慣れるよ。じゃあね」
君はわざと僕の足をラケットで突っついてきた。
そのいたずらっ子のような笑みに、僕は怒りながらも癒されていたんだ。
それからだった。君と話す機会が増え、夏の大会、僕は思い切って君に告白をした。
「どうしようかな?」
勿体付ける君に、僕は半分あきらめかけていた。
「じゃあ、ハーゲンダッツのアイス奢ってくれたらいいよ」
はい?
唖然とする僕を見て、君はニカッと歯を見せる。
「ほら行くよ。もう朝から食べたかったんだ」
冗談のような本当の話だ。
それからというもの、君の意外な一面を見せられ、僕は驚かされてばかりだった。
自分でも知らなかったけど、僕にもテニスの素質があったみたいだ。
三年になるころには、僕は試合に出させてもらっていた。
そんな僕を、君は複雑な思いで見ていたようだ。
それを知ったのは、三年の夏休み最後の日。二人っきりで出かけた時だった。
「何か何かね。私、自信失くしちゃった」
「急にどうした? 誰かに何か言われたのか?」
問いただす僕に、君は大きく首を振って見せる。
「私、ヒロ君に似合う女になりたい」
「充分なっているだろ? 何がいけない?」
「だってさ、ヒロ君なんだかんだ運動神経が良くってさ、勉強だって出来るじゃん」
「由香だって、テニス上手いし、かわいいし、頭だって悪くないだろ」
その言葉がいけなかった。
由香は黙り込んでしまう。
それから少しずつ距離ができ、寒くなり始めた朝、由香が僕を待ち伏せる。
話したいことがあると言うのだ。
心臓が口から飛び出しそうだった。
「ヒロ君私、東京へ行こうと思う」
一瞬僕は黙ってしまう。
「大学のこと?」
由香は大きく首を振る。
「私ね、ずっと夢があったんだ。だからそれにかけてみようと思う」
「夢って?」
躊躇いがちに由香は僕を見てくる。
「私、歌手になろうと思う」
言われてみれば、由香は歌が抜群にうまいことを僕は思い出す。
それでも僕はすっとんきょうの声で訊き返してしまっていた。
「歌手?」
コクンと頷く由香の瞳はまっすぐ僕を見詰めていた。
それだけで由香の決意は伝わって来ていた。
「頑張って来い」
そう言って由香の背中を押してやるのが、男の、僕の務めなんだろう。だけど僕には、その言葉を言うことが出来なかった。
行かないで欲しい。
「無理なんじゃねぇ。狭き門だぜ。マジ、もう少し考えた方が良いって」
そんなことしか言ってやれなかった。
月日が流れ、風のうわさで、由香が親を説得したことを僕は知る。
受験どころじゃなかった。
そんなある日、由香が僕を校門の前で待っていた。
「ヒロ君、これ上げる」
差し出されたのはお守りだった。
「あまりこういうの得意じゃないから不恰好になっちゃったけど、ヒロ君が大学に合格するように、私、目一杯祈りこめといたから」
そう言って、屈託のない笑顔を見せた由香だった。
僕は恥ずかしくなった。
僕は何をしているんだと思った。
僕は由香をぎゅっと抱きしめる。
「ありがとう。由香も頑張れ」
やっと言えた僕に、由香は涙を浮かべながら微笑む。
「ありがとう。私、絶対に負けないからね」
それでもこの日を迎えるのは辛かった。
駅が見えてきて、僕は由香に何か言ってあげなきゃと言葉を探す。
改札を抜け、由香が小さく手を振る。
今でも、こんな日が来なければいいのにと思っている。
でも、僕に由香を引き止める資格はない。
「いつでも電話して来いよ。話ならいくらでも聞いてやるから」
「うん」
「寂しくなったら俺を呼べ。何時だって行ってやる」
「うん」
「それとそれと」
「ヒロ君ありがとう。一つだけお願いがあるの。わたしのこと、好きでいてね」
僕は言葉が出なかった。
ポタポタと涙が地面を汚し、僕の淡くて切ない初恋は終わりを告げた。
思い出すのは、楽しいことばかりじゃないけど、僕は肩を窄め、歩き出す。
進んで行くしかないのだ。

前へ

一つが終わればまた一つが始まる。それの繰り返し。ただそれだけ。だから前へ前へ進むしかない。と思った。

前へ

初めての恋。初めての失恋。春待つ街で、僕はそれでも前へ進んで行こうと思った。まだまだ愛には手が届かない恋。だけどこの一歩が大切。

  • 小説
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更新日
登録日
2017-12-26

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