地獄
最後があまりにいい加減なので、あとで手直しすると思います。
今日は仕事が早く片付き、久しぶりに定時で会社を出た。私は気になっていた居酒屋へ行こうか悩みながら歩いていた。赤信号の横断歩道で立ち止まる。向かい側に私を見つめる不審な男がいた。背が高く全身黒い服を着ている。男は私が睨んでも怯むことなく私を見つめ続ける。私は恐ろしくなり、来た道を戻り、この辺をよく知っている人でないと歩かない狭い道に入った。つかつかと早歩きで会社に戻る。曲がり角を出たところで、人とぶつかった。ごめんなさいと会釈をしてその人の顔を見上げると、先ほどの横断歩道で私を見つめる男であった。私は恐怖で青ざめ、体が硬直してしまった。男は黙っている私を背負い、そのまま近くのビルの空室に連れ込んだ。
いつの間にか眠っていたらしい。もしかしたら意識が飛んでしまったのかもしれない。私は蜘蛛の巣や埃まみれの部屋で、ジャケットを脱がされて薄いベッドに横たわっていた。窓は段ボールで覆われていた。誘拐だ、強姦だ、窃盗だ!思いつく犯罪を並べて恐怖に身を震わせる。
辺りに視線を向けると彼がハイスツールに腰をかけていることに気付く。ゆっくりとこちらに近づいてきた。私は「来ないで!」と叫び、逃げ出そうとした。だが、足が動かない。よく見ると私の足はおかしい方向に曲がっていた。悲鳴をあげる。彼は無表情で私に近付いてくる。
彼は私の体に跨った。そして私のシャツを荒々しく引き裂く。全力で抵抗を試みるも、なぜか体は言うことを聞かない。だるくて動けない。絶望から、あーとかうーとか声をあげてみるも何も起きなかった。
彼は私の目を見つめて、そして彼は深呼吸をした。彼は私の胸に手をつきたてる。彼の指先は私の胸の皮膚を破り、肉を千切り、骨を折って、私の心臓を鷲掴みにした。鼓動に従って彼の手も開いたり閉じたりする。私は熱さにやられて頭をくるくると大きく回しながら彼の首元に顔を落とした。彼からは腐りかけの肉の香りがした。
彼の手に僅かに力が入る。私の心臓に緊張が走り、動きが加速する。しかし臓器全体を押さえつけられて、上手に脈打つことができない。私の心臓は窮屈な思いをして、益々働こうともがく。その度に彼の手は心臓を握った。彼の頬から汗が落ちる。熱いのはどうやら私だけではないらしい。
彼の手はゆっくりと強く握られていく。心臓の動きを阻害するように爪を立てる。私は思わず声が出てしまう。ああ!と情けない嗚咽が漏れると彼の首元の香りはより芳しくなった。ドクドクと私の身体に沿って流れ落ちる血液の匂いと彼の香りが交わって、部屋の空気が私たちに犯されているようだった。
それまで閉じていた彼の唇が開いた。
「このまま心臓を止めてしまいましょうか」
そして頬を歪ませた。笑っているらしい。
私の心臓は彼の手の中にあり、私の身体は既に限界が近い。どちらにせよ私の余命は風前の灯である。彼が何者であるかさえよく分からない。帰宅途中に突然私の目の前に現れた男性、の形をした化け物であろうか。私はただ、彼の香りと受けた屈辱に自我を手放しかけていた。
彼は無反応の私に不満を覚えたのか、心臓を握り締める手を緩めた。
「抗いなさい。まだそちらに逝ってはいけません」
矛盾することを言う人だと私は思う。顔を彼の方へ向けて、睨みつける。遠のいていた意識が戻ってきた。
「何が目的ですか」
「貴女は私に選ばれました。私と夫婦となるのです。喜びなさい」
「めおと」と私は彼の言葉を繰り返す。意味が分からなかった。今すぐにでも死にそうな女を娶るとは、どういう魂胆なのか。彼の体温がじりじりと私の体を焦がしてしまいそうなほど熱い。
彼の口の端からよだれが垂れて、私の顔にかかる。彼はそれを見てまた頬を歪ませる。私の顔につばを吐き、顎や耳、額と全体に彼の体液を広げた。まるでローションでも付けるかのように丁寧に塗った。私は体をよじらせて嫌がった。首筋に渾身の力を込めて噛みつく。すると彼は大きな声で笑い、私の心臓をまた強く握り始めるのだった。
何故か、私はそれを待っていたと感じた。彼に心臓を握られることに私の脳が歓喜していることに気付いた。目を大きく開き、無意味な声を発する。彼の唾液が顔面を火照らせて、毛穴の全てから彼の存在を吸収しようとしていた。
「たすけて」と私の口は動いた。私の理性が最後の力を振り絞って漏れ出た言葉だった。彼はその言葉に興奮したのか、舌舐めずりをした。その舌は緑色をしていた。
「私は貴女と共に地獄へ落ちよう」
朗々とした言葉の意味は理解できず、私は彼の音に幻覚を見るような思いをした。酩酊した頭で懸命に彼の音を浴びた。耳の撫でられ、鼓膜を舐められ、脳髄まで彼の手が届いているようで、私は吐息を荒くした。
それから彼の手は何度も私の心臓を掴み、緩ませ、掴み、また緩ませた。私はその度に意識を混沌とさせる。最早自分が生きているのか死んでいるのか分からなかった。だが、心臓を掴まれる快感を何度も味わった。心臓から手を離されることが惜しいと感じた。感じたい。ぼろぼろになった私の内部、深く深く奥底から声が聞こえてくる。感じたい。それは確かに私の声だ。だが、私ではないような粘着質で艶美な声色だった。私は快楽が全身を蝕むのを待っている。彼がなぜもっと私を掴んでくれないのか不愉快に思い始めるまでとなった。
「ああ!あなた、早く私の心臓を握り潰してください!」
私は耐え切れず、最期の力を振り絞り叫んだ。大きな声を出したつもりだったが、聞こえてきた音は息が漏れ出る僅かな囁き声だった。もう本当に死んでしまうかもしれない。
彼の顔は悪魔のように変形し、私の唇に口づけをした。否、噛みついたと言った方が正しいかもしれない。鋭い歯で私の上唇を噛んだ。私は思わず体を仰け反り、避けようとしたが、彼は強く私の頭を押さえつけるためそれは出来なかった。口から鉄分の味がする。腐った肉の香りがする。
彼は私の口を犯し終えた後に、満足そうに語った。
「人間は永遠を誓うとき、接吻をすると聞きました。だからしてあげました。これから我々は永遠の時に閉じ込められます。貴女がこの運命を受け入れて下さり、大変嬉しいです。私たちの世界では永遠を誓うとき、お互いの心臓を与えあいます。ですが、私と貴女は種族が異なりますので、地獄にしか行けません。許して下さい」
彼の勇ましく恐ろしい表情が少し寂しげに見えた。私は永遠だの地獄だの、全く興味が無かった。とにかく更に強い刺激を与えて欲しかった。
彼は私を強く抱きしめた。私の全身の骨は砕かれる。彼の体温で私の皮膚が焼ける。私の顔は先ほどの誓いのキスと塗布された唾液の所為か、爛れて元の形状が分からなくなっていた。ドクドクと血液が流れ続けている。心臓はまだ動こうとしていた。
彼はゆっくりと慎重に私の心臓に手を伸ばし、彼の指先が優しく心臓を撫でた。私の体が再び熱を帯び始める。彼は私の耳元に顔を近づけて何かを呟いたが、私の聴覚はもう仕事をしてなかった。
そして彼は私の心臓を握り潰した。
その瞬間、私は全てが美しく思えた。目の前が光に包まれて、全身の痛みから解放された。彼が私の心臓を包む感覚が全身の響き渡り、私の体は彼の手の中に在るかのように感じた。彼の匂い、彼の熱、彼の肌触り、全てが愛おしく私は彼とひとつになれたことを実感した。
これが彼の言う地獄なのだろうか。天国の間違いではないだろうか。多幸感に包まれて私の気持ちはふわふわ浮いていた。心地よい眠りから覚めたようなまどろんだ瞳が光の中に浮遊する可愛らしい虫たちを見つけた。それを私は追いかける。こっちにおいで、こっちにおいでと聞こえてくる声は彼の声に似ていた。点々と周囲に赤い色が見え始めたが、光がまぶしくてすぐに消えた。虫の行く方向には、彼が横たわっていた。私は私の周りに彼がいると思っていたのに、彼はどうしてここの中にいるのか不思議に思ったが、私は嬉しかった。また心臓を握ってもらえると思ったからだ。
虫がくすくすと笑い声をあげる。
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
虫が彼の周りを囲んで飛ぶ。
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
虫が私の周りを囲んで飛ぶ。
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
虫が彼と私の間を行ったり来たりして飛ぶ。
虫の羽音が不快だったので私が飛んでる虫すべて叩いて殺したが、その声はまだ頭の中に響いた。
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
私は響く声を無視して彼の方を揺さぶる。彼は起きない。強く頬を叩いてみる。が、起きない。
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
私は思わず、返事をした。
「何故彼は返事をしないの?」
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
「あなた、それしか言えないの!役立たず!!」
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
「知ってるなら教えなさいよ!」
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
「ねえsねえ、そのひお、どうなったk知りたい?」
「dねねえね、そのひと、どうなったかりしたい?」
「ねえねえ、その人、どうなったか知りたい?」
「ねえねねmsの人、どうなったか知りたい?」
「ねえんええその人、どうなったか、死痛い?}
「sねんえん、えそのひと、どうあったkしりたい?」
彼は死にました。私は生きました。永遠の孤独、永遠の別離、永遠の苦痛。我々は地獄へと落とされたのでした。
地獄