奈楠さんまとめ
因果(景晶+奈楠)
戦いは因果応報で出来ているらしい。
晶にはよく分からない。人が凶弾に斃れる理由が応報であるとするなら、医者は随分と因業な職業だということになってしまう。
そんなことはない――。
と。
思うから、晶は今日も不実な仕事を続ける。適当な名前をつけたカルテを捲り、毒に侵された黒い男を助けんと、人目を避けて戦場に立つ。
それを人は裏切りと呼ぶらしい。
彼女の知ったことではないが。
裏切りだというなら、助けられるはずの命を見捨てることこそをそう呼べばいい。罵られるべきは晶ではなく、この不毛な戦争そのものであるべきだ。
焼け焦げた草のにおいを吸い込む。重苦しく地に吸い込まれた鉄錆が、足に絡みつくようだった。静けさを孕む森の開けた場所で、医者は患者を待っている。
ふと――。
足音がした。一瞬だけ輝かせた瞳は、しかし即座に怪訝を浮かべる。
聞き慣れた重みがない。不規則で踊るようなそれは、およそあの男に似つかわしくはなかった。
敵か。
――敵だろうな。
今の晶にとってみれば、自分と患者以外は全員が敵だ。
果たして、樹々を破って現れたのは、華奢な少女だった。茶色の髪の奥で見開かれた眼差しが真っ直ぐに晶を捉えている。手にした三又の槍に、鈍く日差しが反射している。
話は。
恐らく通じない。
「こんなところまで何の用だい。迷ったなら、ボクが案内してあげようかァ」
ゆっくりと、地面に突き立てた大鎌へ手をかける。装いからして戦闘兵であろう彼女に救護兵が敵う道理はないが、抗うことをやめるのは癪だ。
眼前の少女は応えない。代わりに、ひひ、と喉を震わせた。
「あ、あなたに、用が、あるの――!」
振りかざされた槍の穂先に、言葉が無駄であることを知る。
紙一重で右手を持ち上げる。服を掠めた一撃には容赦がない。思わず伝う汗を拭う隙も与えられず、晶は鎌を握り直す。
金属音と共に衝撃が走る。腕力で競り負けた体への追撃は、まともに左腕へ突き刺さる。
零れ落ちる赤に歯を食いしばった。睨みあげる先の少女は、恍惚と歓喜に満ちた嗜虐の笑みで顔を歪ませている。
万事休すか。
ゆっくりと穂先が臓腑を向く。陽光を遮る死神が、少女の影の形をして晶を覆う。目を閉じて最期の息を吸い込む彼女の耳に届く――。
――金属音。
「ひひ、き、来て、くれたね、や、やっぱり!」
狂気じみた歓喜の声音に目を開けた。
見慣れた背中が野太刀を無造作に構え直している。一瞥する隻眼に声を失った。
最低最悪の最期を切り払った、白刃のような男が――晶を庇うようにそこにいる。
言葉はない。ただ、あの茶髪の少女を斬り伏せるべく立つのだと、野太刀に漲る殺気が告げている。
俄かに戦場の空気を帯びた木々の合間に、少女は後退する。構え直された穂先から滴る赤錆色が、待ち望んだ獲物との戦いに飢え、跳躍せんと地を蹴る。
その。
刹那に。
響き渡る銃声を理解するまでに、数秒を要した。
目の前に立つ、名も知らぬ患者の体が崩れ落ちる。俯せになった体から、鉄のにおいがじわりと滲む。
「――な」
情けない声が漏れた。頭痛を加速させる呼吸音が耳障りで、思わず耳を塞ぎそうになる。
――けれど。
医者としての晶は、それを決して許さない。震える手で鞄を漁り、包帯と止血剤を引きちぎるように取り出す。力を失った体を仰向けに持ち上げて。
それで。
後悔した。
撃ち抜かれた胸からおびただしい赤が流れ出ている。土気色の顔に呼吸はない。光を失った瞳孔は開ききって、既に何も捉えてはいない。
彼は。
――いや。
「生きるんだろ」
止血剤を彼へぶちまけ、包帯を巻く。心臓に体重をかけて、逃避じみた蘇生を試みる。
それでも肉塊は肉塊だった。
――因果も応報も、この戦場にあるという。
ならばこれが因果か。
晶の成したことへの報いか。救うべき命に向き合い続ける裏で、寝台の上の赤黒い肉塊を金に換えて生きてきたことへの罰か。
――なら、巻き込むなよ。
「死なせない、キミはボクの患者だ、なあ、生きるって言ったろ、起きてくれよ、ボクはまだ、キミの名前も――!」
震える声で叫ぶ晶に。
影がかかる。
振り向く紫の瞳に、迫る死神の穂が映る。
「景光くんを、殺した――あなたの、計画、なんでしょ?」
振り下ろされる刃の鋭さに目を閉じる。傍の肉塊の手に触れれば、残った生温さが体中を駆けた。
――キミ。
――カゲミツって言うんだ。
赤く染まる医者の体から無造作に槍を引き抜いて、奈楠は表情を憎悪に歪めた。
振り上げた刃に力を込める。もう一度、少女の死体を嬲ろうとして。
二度目の――。
銃声が鳴る。
倒れ伏した奈楠の沈黙を後に、白のブレザーが、規則正しい足音で踵を返した。
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