泉さんまとめ

黒鉄(黒軍+隊長組)

 黒づくめの青年の足音が反響する。
 薄暗い廊下に満ちていた静寂が、彼を避けるように引いていく。学ランの襟を直しながら、長身は無機質な学校の扉の前に立った。
 ――今日も戦果は上々だ。
 彼の手によって失われた命の数など、数えるのも馬鹿らしい。浅黒い肌に僅かな翳りが差すのを誤魔化すように、天井にぶつからぬよう屈みながら、彼は報告を待つ大人たちの前で、灰色の瞳を細めて見せた。
「第二小隊小隊長、只今帰投しました」
 ――太平を超えて、日本全土は戦火に包まれている。
 突如として現れた異国人の持つ莫大な科学の力に、国は大いに割れた。日本に新たな富をもたらすであろう力に屈した者と、日本という国を他者へ明け渡すことを良しとせぬ者である。
 長すぎた安寧の代償を払うかのごとく――。
 国民全員を巻き込んだ戦争で、限りある兵力が底を尽きるのは時間の問題だった。両軍の消耗が激しくなっても、この島国を二分する戦いは、未だ終わりの兆しを見せない。
 いよいよ疲弊した軍が、新たな人材を血眼になって探すのも、当然のことである。
 学生。
 白羽の矢が立ったのは、国を担う次代であった。各地に氾濫した寺子屋は学校と言う区分で纏め上げられ、何も分からぬままに集められた子供たちに戦闘訓練が科せられる。
 軍人と同じような立場で、軍人と同じように武器を振るい、そして――。
 軍人と同じように人を殺す。
 実力をつけるだけ――人を殺せば殺すだけ――彼らの地位は向上する。小隊長に選ばれるのは何も黒づくめの青年に限ったことではなく――。
 彼らに敵対する者もまたそうであるのだ。
「小隊長も楽じゃないねえ。俺はもっと楽な仕事がしたい」
 白いブレザーの下のシャツを着崩した青年がぼやく。黒が歩んだものとは違う、最新化された設備の中を軽やかに歩きながら、彼は視線を遮るサングラスの縁を持ち上げた。
「第三勢力って潰したって聞いた気がするんだけどな。気のせいだったか――」
 鼻歌まじりの指先が新しく下された指令を中空に描く。忘れぬようにと脳に刻みつける一字一句と共に、腰の蛇腹剣が耳障りな音を立てる。
 敵が誰であれやることが変わるわけではない。
 この学び舎で教わった、人を殺すためだけの技術の粋を振るい、相手のそれとぶつけ合う。生き残った方が勝者であり、地に伏した方が敗北者だ。
 それだけのことである。
 薬莢のくすんだにおいの中、勝者たる赤いジャケットの青年が得物である大剣を持ち上げた。血の一滴も流さぬまま首の骨を折られた骸の前で、荒れた息を整えながら吐き捨てる。
「ああ――ったく、いい気しねえっての」
 ふとずり落ちたジャケットの下から生々しい傷痕が覗いた。憎々しげに眉根を寄せながら羽織り直した彼が肩を回して首を鳴らす。
 随分と自身の率いる小隊から離れてしまったような気がする。
 隊長がこんなことでは仕方がない――苦笑しながらも不安はない。元よりはぐれ者の寄せ集めであるのだから、本来ならば隊長などという役すら必要はないのだ。
 それぞれの色を纏った青年が、己の安息を求めて足を踏み出したときだった。
 背後から呼び止められて振り向く。それぞれの前に立つ己と同じ色をした存在が、彼らにいつものように問うのだ。
 ――何故戦う。
 白が笑い、黒が口元を引き締め、赤が眉を顰める。
 ――そんなもの。
 最初から決まっているとばかり、淀みなく応えるのだ。
 国を安寧に導くものに染まった白の。
「誰だって生きたいに決まってるさ。でもって」
 かつての意思を貫く鋼の黒の。
「戦いで生き残るためには勝たねばならない。そして」
 裏切り捨てられた己だけを信じる赤の。
「この世は戦いで出来てる」
 ――それぞれの描く勝利が、まだ見えないのだから。

 ファイルを閉じた指先がそのまま口に咥えた棒を握った。
 口の中で飴を転がす少女が、黒い軍帽を被りなおしながら、眼前の無表情を見上げる。
「こんなところです、隊長」
「了解した。助かる」
 浅黒い肌の隊長と呼ばれた青年――甘津秀助の灰色の瞳は、彼と同じ色の瞳をした少女――雨燕を瞥見してファイルの表紙に注がれる。武骨な指が確認するようにページを捲った。
 紙の擦れる音の間で沈黙する。
 元より言葉の多くない二人である。空気にも似たように訪れる静寂の中に、緩やかな時間の流れだけを数えているうち、秀助の瞳がふと持ち上がった。
「夜牙」
 無感動な声が低く大気を震わせる。
 ややあって、机の影がぬらりと割れた。蛍光灯の光に照らされた黒髪の下で青年が笑う。温厚な容貌に陶酔の朱が差して、開いているのかも分からぬ目がますます喜悦に持ち上がった。
「私の気配に気づいてくださるなんて流石は隊長です! ああ何という幸せ」
「夜牙」
「隊長が私の名前を呼んでくださる!」
 呆れたように頭を抱えた秀助に雨燕が苦笑する。
 秀助の椅子に纏わりつく夜牙に目を移して、彼女は手元の書類を叩いた。耳障りな紙の音でこちらを見た糸目に不敵に笑う。
「大体の作戦は総隊長に提案してありますから、そのうち正式に指示が出ると思います。夜牙先輩も頼みますよ」
「ええ。負けることに関してはお任せください」
「――勝ってください」
「雨燕さんも私と手合わせしたことあるじゃないですかぁ、やだぁ」
 私ってば弱いんですよ――。
 手を合わせて笑う袖から細く白んだ腕が覗いた。どうにも返す言葉がなくて、雨燕は先程と似たような苦笑で視線を泳がせるしかないのだ。
 ――彼が弱いのは真実である。
 再び隊長へと意識をやったらしい夜牙と、無表情に彼をあしらう秀助に軽く一礼をしてから、閉じられていた教室の鍵を開けた。
 予想より大きな音を立てる古びたドアの向こうに赤がある。
 生気を失ったような白い髪と白い肌が、唯一の異彩を瞬かせた。手に書類を抱えた小さな体が真っ直ぐに雨燕の目を見詰めている。黒い眼帯で片目を覆った、ともすれば年下にも見える姿を見下ろす。
「伊織先輩」
 名を呼ばれて小首を傾げた伊織が訥々と言葉を発した。
「イオ、でばん、ある?」
「今回は――俺の作戦ではありません」
 頷いた彼女に無言で用を促す。
 命があれば即座に暗殺部隊として秘密裏の処理を行う伊織も、平時は雑用係として軍の会計を担当している。その立ち位置上、彼女が走り回っているからといって急を要するわけではなかろうが、軍内の状況を可能な限り把握しておくのも司令塔たる雨燕の役目だ。
「零式が、夜牙、に、ようじって。秀助のとこ、たぶん、いるから」
 黒翼零式。
 ――その名に浮かぶ笑顔に、つい視線を外した。
「碌な用事じゃない気がしますが」
「イオ、も、そう思う」
 俯いた口から無感動な声が漏れる。直後に背後の教室から派手な鋭い音がした。
 夜牙の悲鳴とにこやかな声の狭間で、二人はそれが窓硝子の割れた音だと知った。顔を見合わせた彼女らの騒々しい沈黙は、雨燕の溜息で遮られる。
「伊織先輩。今月は」
「まっかっか」
 開かれた帳簿のマイナスを見た。
 残念ながら――黒軍の予算はそう多くない。ただでさえ長すぎる戦争により国内の貨幣流通が滞った状態であるのに、それを全国の各校に分配しているのだから、一校あたりが管理できるのは雀の涙にも満たぬ数字だけだ。
 それを。
 大きく扉を開いた黒づくめの長身が、胡散臭い程の清々しい笑顔で今破壊したわけである。
 首を大きく持ち上げた伊織が、四十センチ以上の差のある黒髪を見上げて首を傾げた。
「夜牙、いた?」
「ええ、ありがとうございました。お陰様で日課の夜牙くんいじりが捗ります」
「勘弁してくださいよ、頼みますから」
 零式の後ろで心なしかやつれたような顔をした夜牙が首を横に振った。自身の後ろに隠れたきりの彼を一瞥して、彼らの騒々しさを尻目に内容を理解したらしい秀助が、雨燕に向けてファイルを差し出す。
「作戦は把握した。いないのは」
 暫し沈黙する。
 恐らく軍内で任務に出ていない主要な面々はここにいる。一つ瞬いた伊織が細く無機質に声を上げた。
「忌世と、真と、燕が、かえってきてない」
「花房先輩と猿麻もまだ帰投していませんね」
 雨燕の声に再び周囲を見渡した秀助が、灰色の瞳を細めた。真剣な面持ちに僅かに張り詰めた空気に、戦場を焼く火薬のにおいを微かに感じて、全員が彼の声を待つ。
「全員が帰ってくるころには正式に作戦も下されるだろう。それまでは、各自休息を」
 各々の返事が重なる。解散していく背を見送りながら、秀助は学ランに隠れた己の足に触れてから、一度息を吐き出した。
 ――全員が。
 生きて帰って来られるかも分からぬ戦場で、全てを握っているのが、彼の指揮だ。秀助の背負った信頼と重責を笑い飛ばすように振る舞う彼らとて、彼と同じように命を奪い、奪われようとしている。
 灰色の目を瞼の内側に仕舞う。
 鋭く息を吸い込んで、再び開いた瞳にいつもの覚悟を宿し、彼は足に遣っていた手を離して歩き出した。

鬼気(泉)

 鎖の音で目が覚める。
 冷えた箱の中に霜が降りていた。腫れた足先の青紫は、痛みさえ失って動かない。手足に括りつけられた鉄が擦れて、既に赤く腫れ上がった手首に、ちりちりと痛みを走らせた。
 泉は四季を見たことがない。
 きっと外ではこの寒さを冬というのだろう――とは知っている。もしかしたら封じられた窓の先には、白く雪が降り積もっているのかもしれない。
 見えないのだから意味がないのだけれど。
 泉は母を見たことがない。暖かな掌はおぼろげに脳を揺さぶるが、ともかく今は側にいない。
 その代わりに鬼がいる。
 彼は気紛れに訪れて、泉の体に傷を刻んでいく。生々しく赤黒い塊の錆びた味で碌にない胃の中身を吐き戻したことも、細く白い煙を吐き出す煤が丸い跡を残していくのに泣き叫んだことも、一度ではない。
 薄暗い灰色の箱中に広がった黒い染みが少年の半生だった。このまま一生をここで終えるつもりはないけれど、かつて一度だけ見た空の青さを再び見るために画策するけれど、鬼は一度逃げ出した彼を許してはくれないのだ。
 この鎖をどう解けばいいのか。
 この腫れあがった体でどこへ向かえばいいのか。
 分からないから、泉は暴れることをしない。その分だけ体力が削られて、彼の悲願が遠のいていくのは分かっている。
 頭を使わねば――。
 ならないのに。
 上機嫌な足音が聞こえた。反射的に思考が止まる。強張る体で鎖が鳴るのさえも向こうに届いているような気がして、震える体を堪えるように目を閉じる。
 もうじきあの扉が開く。分厚く泉の世界を閉ざす鍵が外れて光が差し、流れ込む空気が停滞した箱の中を攫っていく。
 にこやかな笑顔の。
 大きな掌の。
 ――鬼が来る。

盾(いづティナ)

 しくじった。
 せり上げてくる咳を吐き出すと、鉄錆の味が口中に広がる。吐き戻した赤が地面に染み込むのを半ば現実逃避的に見遣る。
 ティナは囲まれている。
 このままでは死は免れないだろう。存外に不甲斐ない拳を握り締め、次の一打を待つ。
 死にたくないとは言わない。父を喪い、壊れた母を置いて戦場に出てきた以上、そのくらいの覚悟はとうにできている。
 ただ――なるべくなら痛みのない方がいい。
 硬く目を閉じて、振り下ろされるであろう最後の一撃を受け容れようとして――。
「馬鹿野郎」
 ――いつか聞いた声がした。
 目を開いた先に赤いジャケットがある。大剣をかざし、いとも容易く敵を弾いた彼が、血塗れのティナを一瞥して眉根を寄せた。
「隊長――さん」
「エルナに無茶すんなっつわれたろうが」
 臨戦態勢に入る敵軍を捌きながら、呆れめいた余裕を孕む声音がティナを包む。本拠地で眉尻を下げる銀髪の、ひどく心配げな言葉が脳裏をかすめて、彼女の体が自然と震える。
 ――どうして。
「何でですか。何で皆、そんなに私を――」
「忘れたとは言わせねえぞ、ティナ」
 敵を弾き返した大剣がティナの視線を奪う。地に向けられた切っ先が鮮やかに陽光を反射する。
「俺たちは少数精鋭だ」
 風に揺れる赤茶の髪から、金のピアスが覗く。背筋を伸ばして彼女の前に立つ背が濃く影を落とす。
「――勝手に死ぬのは許さねえ」
 一瞥した紺碧の瞳が澄んでいる。
 ティナを――守る意思に。
 永遠めいた一瞬の中で、確かに彼女は守られていた。その背に抱えられて、己の背負う十字架の重みを、その腕に預けたのだ。
 だから。
「分かったら立て。見たところ、まだへばるような傷じゃねえだろ」
「当然です」
 まだ立てる。足が言うことを聞かずとも、拳に力が入らずとも、潰れそうなほどの重さはもう彼女を苛まない。
 ――弱さは罪ではないのだから。
 背中合わせに立った腕が剣を構える。低く小さく呟く声は、確かに彼女の耳に届いている。
「最低限の敵だけ倒せ。切り抜けたら走れ」
「隊長さんはどうするんです」
「お前の後を引き受ける」
 思わず見詰めた瞳が自信に満ちていた。一瞬の交錯の後に逸らされた紺碧は、しかしティナの脳裏に強く焼きつく。
 普段とは違う低い声に鼓動が早まるのは、何も緊張感のせいではない。
 どちらかというなら――安堵だ。
 彼がいれば大丈夫だと、根拠のないままにそう思った。
「エルナのとこに行け。どうにかなる。――いいな」
 その手短な囁きが、華奢な肩を彷彿とさせた。弱くて小さな存在だ。ティナの――一番嫌っていたような。
 けれど。
「――はい」
 力強く頷く。拳の力が増した気がして、唇に笑みを描く。
 ――大丈夫だ。
 走り出した泉の背を、ティナは確かにそう信じた。

夜桜城(黒軍・赤軍)

 はらりと舞い落ちた薄桃を摘まむ。
 見慣れた指の先に見る堅牢な石垣は、月明かりに深々と沈んでいた。連れ立った闇が蠢くのを押し殺した空気の中で感じながら、泉は目を閉じる。
 凪いだ風が一陣舞った。
 黒派第二高校本丸――墨俣一夜城。
 四月の初めとは思えぬ凍てつく空気が泉に纏わった。疲弊しきり、最早かつての栄華となった堅牢な檻の中に身を隠すしかなくなった黒軍を、彼らが終わりにする。
 重苦しく垂れこめた灰色の雲を裂くように警鐘が鳴る。物見櫓の人影を瞥見した泉が大剣を抜き放つや、影を割った赤が馳せた。

 舞い散る桜の孕む光が鎖鎌に触れて削げ落ちる。昂ぶる金にちらつく黒を易々と斬り伏せ、己の得物を一振りした蓮華が目を上げた。
 木造の床に刺さる大振りの太刀を浅黒い手が支えている。鼻と目元に入った朱が不敵に侵入者を笑っている。
「てめェの狙いは俺だろ」
 その穏やかな殺意に、蓮華が目を剥いた。剥き出しの牙の間から獣めいた唸り声を漏らす彼と仇の間を、風に舞いあがった薄桃の壁が阻んだ。
「ここで仕留める――花房虎親ァ!」
「望むところだ。来やがれ」
 灰色の曇天に乗る薄桃が、野太刀の刃に煌めく。

 覚束ないまま殺した足音が止まる。
「てめェ、赤軍か」
 少年じみた色の残る声の威圧にすら、箕島タイガの肩は震えた。敬愛する蓮華との合流だけを考えていた頭を不快な敵がかき乱す。
 ふらつく指先が押し殺すようにホルスターをなぞった。目の前で構えられた拳に焦点を合わせられずに、唇が戦慄く。
「こんなときに押し入ってきやがって。許さねえぞ」
 タイガの恐怖には目もくれず、怒りを湛えた猿麻の大きな瞳が眼前の少年を睨む。仄明かりを遮る花弁の一枚すらも邪魔だとばかり、彼の純粋な殺気がタイガを射抜いた。
 唾を大きく飲み込んで、震える手で黒塗りの鉄塊を構える。月光にぬらりと浮かぶ拳銃の昇順が桜の先にある額を狙う。
「ぼく――俺は確かに赤軍です。ここに来た役目、果たさなきゃ」

「この景色を二人で見られたことを幸運だと思うべきなのでしょうか」
「分かりませんわ」
 諦めたように首を横に振ったアグネリアが、対峙する愛しい黒を見上げた。儚い桃色に包まれて髪を留める十字架が揺れている。
 掌に落ちた愛らしい薄膜を握り締めて、彼は眉尻を下げたまま、それでも尚笑って見せるのだ。
「貴方は侵入者。私は迎撃者。今回ばかりは、愛を囁くことも許されなさそうだ」
 冗談めいた悲壮が二人の間を遮る。
 今すぐにでも手を伸ばしたい衝動を振り払うように首を振って、アグネリアは手にしたナイフの切っ先を愛する男へ向けた。
 ――大丈夫だ。
 傷つくのは今だけだ。拳を構える彼はきっと、彼女と共に生きてくれるのだから。
 だから――。
「いつかこの景色を手を繋いで見られるように、零式様――お覚悟を」
 手が震えることはない。

 扉を開いた黒がへらりと笑った。
「侵入者はっけえん。燕ガンバ」
「貴方も頑張るんですよ、真」
 小さな体を不安げに名無しへ寄せていた恵真が恐怖に震える双眸を名無しへ向ける。汗で滑る右手を刀に掛けながら、動じる様子もない仮面の友人に弱々しく囁く。
「ナナシ、エマどうすれば」
「下がってるの。自分が全部終わらせるから、目を閉じてればいいの」
「そんなの嫌なのだわ。おともだちに任せるのは駄目」
 手にした兎の縫いぐるみを地に落としながら叫ぶ恵真を見詰めていた燕と真が顔を見合わせた。
 ――ここは戦場だ。
「お話してると俺らが先手取っちゃうぞ」
 交錯するように身の丈ほどのチャクラムを構えた二人が同時に馳せる。狙いは――。
 見開かれた紺碧を庇うように、恵真の目の前を横切る桜の花弁がトランプに撃ち抜かれた。
 燕の頬を掠めたそれを気に留める様子もなく、冷静に距離を置いた彼が、シルクハットをかぶり直した仮面の少女に武器を向ける。
「随分と不思議な力をお持ちで」
「友達の――家族のために使う力」
 一瞥。
 それで彼の意図を理解したらしい真が、体勢を立て直した恵真に向き直った。
「手、震えてるけど大丈夫?」
「心配はご無用なのだわ。エマはナナシのおともだちなのだわ」
 鈍い銀に、堪えきれずに天から降り落ちた白が光った。

「いお異邦」
 後ろを向いたきりののえるが、夜桜を見詰めながらようやく声を発した。
 隻眼の少女が無表情に首を傾げる。手にした大斧が不愉快な金属音で少女の声を引き裂いた。
 だから、のえるは大きく声を上げる。
「あたしたち、おともだちになれましたか」
「うん、なれたよ」
「ならいいんです。思い残すこと、ありません」
 向き直った彼女は笑ってなどいない。
 目に涙を溜めて、恐怖に震える足を奮い立たせて、諦めたような敵軍の友人を見据えている。
「行きたいところがたくさんありました。でもそれももういいんです。あたし、いお異邦と――伊織ちゃんとおともだちになりたかっただけなんだって、分かりました」
 両手を大きく広げる。舞い散った桜が月光と雪に白く滲む。
 美しい――この夜に。
「わたしも、そうおもってた」
 伊織は再び、親友に斧を振るう。

 敵の城ながら素晴らしいと遙は思う。
 後方の気配に無防備な背を貫きながら、彼はゆったりと振り返った。その先にいる長身の女が咥えた棒を引っ張り出している。
「知ってっか。桜の木の下には死体が埋まってんだとよ」
「そうらしいですね」
 引きちぎられたような黒いセーラー服の端を揺らして、凍てつく白が吹き込む。再び口に戻った飴を転がして、雨燕は掴みあぐねる敵を見据えた。
「墨俣一夜の夜桜城――っつって、粋じゃアねェか。後は伝説が本物になりゃ完璧か」
 肩を竦めた遙が笑う。
 そのある種の不遜さに麻痺していた本能が揺さぶられた気がして、雨燕も唇を吊り上げるのだ。
「埋まるのはそっちと相場が決まってるでしょう」
「理由を訊こうか」
「桜は赤を吸ってこそ美しく咲くんです」
 抜き放たれた清澄な銀に、白く溶け落ちる花弁を重ねて、彼女は馳せる。

 刹那の攻撃に辛うじて大剣を抜くことに成功した夜牙が、目の前の闘争心を見据えて苦笑した。
「見付かってしまいましたか。これは私死にましたかね」
 金属に阻まれた足をこともなげに引き戻したティナが鼻を鳴らす。夜牙の困惑は一層深まる。申し訳程度に構え直した大剣がどこまで通用するかも分からぬというのに、素早い彼女を相手取らねばならないというのだ。
 チャイナドレスの裾を撫でる白雪を掬い上げ、殺意を孕んだ指先が退路を探す夜牙の糸目を睨んだ。
「御託は必要ありません。武器を構えてください。私は泉様のところへ行かなくちゃいけないんですから」
「おや――そういうことなら話は別です」
 撤退先を求めた瞳がティナを射抜いた。ゆっくりと開かれた赤い瞳が、獰猛な獣の牙で彼女を狙う。
 重苦しく冴える空気を月明かりに照らして、桜の花弁を易々と斬り落とした切っ先がティナに向けられた。
「隊長を一目拝むことも許さねえ。ここでくたばって――花見の肴にでもなっちまえ」

 雪ごと桜を握り締めた手が痛いほどの冷たさで頭に回った。
 鮮やかな――雪桜。
 その中に佇む浅黒い肌の指揮官を見据えて、泉の手が背の剣を撫でる。
「もう分かってんだろ。俺らがここに来た理由。襲撃相手に黒を選んだ理由なんかよ」
「ああ」
 秀助がゆっくりと頷いた。耳元で揺れる金に天守閣の窓から吹き込む白が触れて消える。
「それでも諦める訳にはいかない」
「何でだ」
「俺たちは勝つ。もう誰も犠牲にはさせないと、決めたからだ」
 真っ直ぐな。
 意思だけを孕む目が泉に迫る。
 求めるものだけを求める覚悟を決めた灰色が紺碧を見詰めている。
「その邪魔をするなら――泉、ここでお前を」
 その先を言うことはなく、秀助が拳を引いた。腕に装着されたボウガンが軋んだ音を立てる。
 何もかも――。
 分かった上で、彼は泉の前で立っている。誰に縋ることもせぬその尊い瞳にこそ、泉は笑えた。
「受けて立ってやらァ」
 抜き放つ武器に桜が吹き付ける。白と混ざって床を埋める薄桃の光の中で、赤と黒は己の武器をぶつけた。

抉る傷(泉+李人)

 目の前にいるのは誰だったか、思い出すのに時間がかかった。
 刀を構えてこちらを睨む女を組み伏せて殺す。そうすれば虎親が救われる。幾度も繰り返した時間の中で、泉はそれを良く知っている。
 遠い昔の最初の時間に――李人という少女が旧友であったとしても、どうでもいいことだ。
「お前、何で」
 月明かりでぬめる黒軍の室内で、いるはずのない男を緑の目が見据えている。緩やかに細めた焦点の合わぬ瞳を射る。
 それが――。
 ひどく底知れぬ。
 擦り切れた記憶の裡にある彼女は、もっと単純な人間だったはずだ。真っ直ぐに伸びた刃先のような印象こそ変わらずともこんなにも心を穿つような目はしなかった。
 彼女が変わったか。
 ――或いは己が。
 どちらでもよかった。目的を遂行するためには、その頚に手を掛けねばならない。見据えられて近寄れ ぬならばやることは一つだ。
 持ち込んだ縄――虎親を押さえつけるために使うそれを後ろ手に構える。ゆらりと近寄る影にも似た男に李人が身を強張らせた刹那、その体が自身の部屋の床に叩きつけられる。衝撃で詰まる息と見開いた瞳に、腕を拘束する痛みと碌に整えてもいない赤茶色の髪が映った。
 縄が食い込む動かぬ腕に力を込めて、救いの一手を求めて部屋を走る李人の視線を、男性のそれにしては細い指先が遮った。
 近づいてくる――。
 反射的にきつく瞑った上下の瞼に圧がかかった。左の指が、決して痛みを感じさせぬ緩やかな動作で、抵抗する柔らかな遮蔽物をこじ開ける。
 泉から逃れようとする球体が月光にぬめったとき――。
 右手の指先が伸びる。
 長い睫毛を掠めて、弾む吐息に引き攣れた悲鳴が混じった。湿った緑に触れてますます強くなる。
 肉と。
 ぬめりと。
 その――。
 間を。
 割いて、指がぞろりと瞼の内側を這う。
 噛み締めた口許から押し殺した女の悲鳴が漏れている。耐え切れず流れ出したかのように、赤い液体が涙に似た軌跡を描いている。
 親指と人差し指の内側に。
 その柔らかな場所に。
 硬い――。
 弾力のあるものがぎちりと収まる。
 引いて――。
 抜けば。
 ずるりと。
 吐き出された球体の向こうで、細い糸の束が音を立てる。少女の口から溢れた唾液が悲鳴と混ざって不快な音を奏でた。
 煩わしい。
 だから――もう一つ。
 忌々しい視線に射抜かれぬために、早く。
 汚れた指先が滲みるのか、今度は透明な液体が流れた。それもすぐに赤く穢れて、頼りない月の光の中で弱々しく影になる。
 ああ――。
 ――良かった。
「これで」
 虎親は。
 泣き叫ぶ心臓へ無表情のままに突き立てたナイフから、鮮紅が弾けた。

終わったこと(泉)

 随分と死んだと聞いた。
 そうか、と思った。当たり前だ、とも思った。
 あれは――戦争だった。
 己の歳さえ忘れて血に塗れた武器を振るい、赤い幻影に惨めに吐き戻しながら生き残ってきた泉も、戦いが終わってみれば只の少年に過ぎない。無二の親友たちを看取って随分と経ったつもりで――まだ二十の誕生日も迎えてはいなかった。
 だから、終わってしまえば他人事のような陰惨な戦場の記憶さえ、嘆く気にはなれなかった。
 嘆けるほど大人ではない。手放しに喜べるほど子供でもない。
 受け入れられて――いない。
 自分が見詰めてきたいくつもの死は、「随分」の中の一つに過ぎなかったのだな――。
 きっと今もどこかで死んでいる。泉が奪った敵と、奪われてきた同胞の数など、無数に折り重なる無名の屍のほんの一部であった。物言わぬ山の上に、泉はただ生きている。
 今もって鮮明な傷跡も、何れは古傷になっていくのだろう。己の体の一部として、時折鮮明な痛みを思い出しながら――。
 ――埋もれていく。
 窓の外に走る陽光を見る。そういえば太陽は明るいものだった。空は青いものだったのだ。戦場はいつも重苦しい曇天のような気持ちだったから、忘れていた。
 本当の色など――覚えていない。
 明るい空でも心が重かった。かつての同胞に牙を剥き、その最期を看取ることさえ許されなかった身に、彼に似た光の一筋など見ることは叶わなかった。戦いの場には語るべき色も、光もなかった。
 ――今更のように空の青さを思い出したところで遅いのだけれど。
 時計を見ればすでに昼時だった。そういえば腹が減っているような気がする――意識したとたんに得も言われぬ倦怠感が身を包む。
 ようやっと布団から這い出した体を、いつかの青空が刺すように迎えた。

勧誘(一二三+泉)

 五つ目の白を殴り倒す。
 泉の手にした大剣は人を斬れない。柄と重みで殴り倒し、体に流れる赤を見ないようにするための武器である。鈍器のように振りかざしたそれを容赦なく叩きつけて息を吐いた。
 ――拍手の音がした。
 獣めいた眼光で振り返り、半ば反射的に血の一滴も纏わぬ切っ先を新たな影へ向けた。睨みやる木陰に白がちらつく。
「やあ、大立ち回り。凄いねえ」
 サングラスをかけたまま、腰元の武器を手にするでもなく近寄ってくる男が、戦場にあって不釣り合いな軽快さを孕む声を上げた。警戒心を重く纏う泉に対して溜息を吐いた彼が腰に手を添える。
「大丈夫、今日はビジネスの話――あ、ビジネス、ってか、横文字わかる? 仕事の話がしたい」
 泉の重心が移動する刹那。
 彼は自身の武器を地において、両手を上げて見せた。
「俺は一二三。この辺の白軍の部隊長ってやつだ。ああ、あんたは名乗らなくていいよ、こっちの一方的な話だから」
 畳みかけるように口にして、グラス越しの瞳が値踏みでもするように泉を捉えた。
 ――不愉快な奴だ。
 部隊長と言ったが事実かどうかは分からない。こんなところで仕事の話などするなどと頓狂なことを言い出すことのリスクを考えるなら――。
 罠である可能性さえある。
 故に切っ先は降ろすが武器は手放さない。硬く握られたままの大剣を満足げに一瞥した一二三と名乗る男は、単刀直入に言おうと前置きをしたうえで、泉の瞳を真っすぐに射抜いた。
「お前、白軍に来る気ない?」
 低く。
 その言葉尻とは裏腹に、ひどく冷淡な声音が耳を打った。
「お前くらい頭のキレるやつがこんなとこにいたら、宝の持ち腐れで終わっちまうと思うんだ」
 指差したのは――赤軍特有の私服である。
「うちなら備品にも人員にも困らない。お前さんみたいな軍師が一番輝けるのは、こんなとこじゃないと思うんだけどな」
「話が長ェんだよ」
 単刀直入に――と彼が言い出したのだ。
 鼻を鳴らした泉が得物を構え直すのを見据えた一二三の瞳が、サングラスの奥で緩やかに細まるのを見た。静かな殺気を漲らせた知りもせぬ男に呆れの息を吐く。
 ――武力交渉ってか。
「俺たちと協力して黒軍を倒さないか」
 白軍の部隊長だと名乗る男は、上げた腕を降ろして赤を見た。一片の軽薄さも宿さぬ声に、しかし泉の返事は決まっている。
 黒軍も。
 白軍も。
 泉にとっては――どうだっていい。
 それに黒は嫌いではないのだ。あの服装は見るたびに嫌な心地を生み出すが、いい思い出も相応にある。
「――猶更、興味が湧かねえな」
 少なくとも白よりは余程ましだ。
 向けた刃の切っ先で、一二三が再び首を横に振ったのが見えた。得物を拾い上げる手に躊躇も隙も見えない。
 そもそも泉に剣を振るう気などないのだ。
「残念。交渉決裂か。逸材だってのに惜しいなあ」
 距離を取る彼の構えが決して己の命を狙ってはいないことを、彼はその所作一つに見出した。低く惜しむ声に軽薄さを取り戻した笑みが遠ざかる。
 次に会ったときは。
「――あんたを殺さなきゃなんないんだなあ」
 ただそれだけを言い残して。
 白が木々の合間に消えた。

腹の行き所(泉+遙)

 手にした得物は本物だ。
 これは模擬戦であっても訓練ではない。手にした大剣の先に飴を噛み砕く音を見据えて、泉は遙を見据えた。
「やるかィ、隊長さん」
 刀を手にした少年が獰猛な狩猟者の牙をちらつかせて笑う。無言のまま剣を構えることで応えとした隊長に向けて、その足が地を蹴る。
 響く剣戟の音を咎める声はない。首を狙う刃に剣を打ち付け、足を裂かんとする切っ先を刀がいなす。無言のまま叩き付ける武器の間に交錯する瞳が敵意を孕まぬ殺意で互いの心臓を狙っていた。
 幾度目か――。
 鋭い音とともに切り結んだ金属に、遙が口に残る飴玉の欠片を噛み砕く音がした。
「あんたが何を悩んでるかは知らねえが」
 振り抜かれた刃を避けるように泉が後退する。膝をついたまま追撃の先端を弾き、その先にある心臓に峰を叩き付けんとする。
 敵意なき刃は果たして獲物を捕らえることなく、遙の姿もまた視線の奥へ遠のいていく。立ち上がり体勢を立て直す泉はしかし未だ声を上げることはない。
「俺は何も言わねえ。ここはそういう連中の集まりだからな」
 その代わり切り結ぶことはできると笑って、彼は肩で息をするまま刀を担ぐように持ち上げた。
「ま、どんな理由があろうと、俺ァお前に付いてくだけだ」
「そうか」
 ようやくの声とともに、泉の剣もまた殺意を失う。笑んで見せる隊長の、その表情の奥にある影を見透かすように、補佐たる彼は息を吐いた。
 近寄る体を無防備にしまった大剣で見る泉の眼前へ、徐に手が差し伸べられる。
「心配しなくても、そう簡単に離れちゃやらねェよ」
 俺は隊長補佐だからな。
 笑った遙の表情に、泉もようやく心底から笑った。

泉さんまとめ

泉さんまとめ

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 黒鉄(黒軍+隊長組)
  2. 鬼気(泉)
  3. 盾(いづティナ)
  4. 夜桜城(黒軍・赤軍)
  5. 抉る傷(泉+李人)
  6. 終わったこと(泉)
  7. 勧誘(一二三+泉)
  8. 腹の行き所(泉+遙)