零式さんまとめ

黒鉄(黒軍)

 黒づくめの青年の足音が反響する。
 薄暗い廊下に満ちていた静寂が、彼を避けるように引いていく。学ランの襟を直しながら、長身は無機質な学校の扉の前に立った。
 ――今日も戦果は上々だ。
 彼の手によって失われた命の数など、数えるのも馬鹿らしい。浅黒い肌に僅かな翳りが差すのを誤魔化すように、天井にぶつからぬよう屈みながら、彼は報告を待つ大人たちの前で、灰色の瞳を細めて見せた。
「第二小隊小隊長、只今帰投しました」
 ――太平を超えて、日本全土は戦火に包まれている。
 突如として現れた異国人の持つ莫大な科学の力に、国は大いに割れた。日本に新たな富をもたらすであろう力に屈した者と、日本という国を他者へ明け渡すことを良しとせぬ者である。
 長すぎた安寧の代償を払うかのごとく――。
 国民全員を巻き込んだ戦争で、限りある兵力が底を尽きるのは時間の問題だった。両軍の消耗が激しくなっても、この島国を二分する戦いは、未だ終わりの兆しを見せない。
 いよいよ疲弊した軍が、新たな人材を血眼になって探すのも、当然のことである。
 学生。
 白羽の矢が立ったのは、国を担う次代であった。各地に氾濫した寺子屋は学校と言う区分で纏め上げられ、何も分からぬままに集められた子供たちに戦闘訓練が科せられる。
 軍人と同じような立場で、軍人と同じように武器を振るい、そして――。
 軍人と同じように人を殺す。
 実力をつけるだけ――人を殺せば殺すだけ――彼らの地位は向上する。小隊長に選ばれるのは何も黒づくめの青年に限ったことではなく――。
 彼らに敵対する者もまたそうであるのだ。
「小隊長も楽じゃないねえ。俺はもっと楽な仕事がしたい」
 白いブレザーの下のシャツを着崩した青年がぼやく。黒が歩んだものとは違う、最新化された設備の中を軽やかに歩きながら、彼は視線を遮るサングラスの縁を持ち上げた。
「第三勢力って潰したって聞いた気がするんだけどな。気のせいだったか――」
 鼻歌まじりの指先が新しく下された指令を中空に描く。忘れぬようにと脳に刻みつける一字一句と共に、腰の蛇腹剣が耳障りな音を立てる。
 敵が誰であれやることが変わるわけではない。
 この学び舎で教わった、人を殺すためだけの技術の粋を振るい、相手のそれとぶつけ合う。生き残った方が勝者であり、地に伏した方が敗北者だ。
 それだけのことである。
 薬莢のくすんだにおいの中、勝者たる赤いジャケットの青年が得物である大剣を持ち上げた。血の一滴も流さぬまま首の骨を折られた骸の前で、荒れた息を整えながら吐き捨てる。
「ああ――ったく、いい気しねえっての」
 ふとずり落ちたジャケットの下から生々しい傷痕が覗いた。憎々しげに眉根を寄せながら羽織り直した彼が肩を回して首を鳴らす。
 随分と自身の率いる小隊から離れてしまったような気がする。
 隊長がこんなことでは仕方がない――苦笑しながらも不安はない。元よりはぐれ者の寄せ集めであるのだから、本来ならば隊長などという役すら必要はないのだ。
 それぞれの色を纏った青年が、己の安息を求めて足を踏み出したときだった。
 背後から呼び止められて振り向く。それぞれの前に立つ己と同じ色をした存在が、彼らにいつものように問うのだ。
 ――何故戦う。
 白が笑い、黒が口元を引き締め、赤が眉を顰める。
 ――そんなもの。
 最初から決まっているとばかり、淀みなく応えるのだ。
 国を安寧に導くものに染まった白の。
「誰だって生きたいに決まってるさ。でもって」
 かつての意思を貫く鋼の黒の。
「戦いで生き残るためには勝たねばならない。そして」
 裏切り捨てられた己だけを信じる赤の。
「この世は戦いで出来てる」
 ――それぞれの描く勝利が、まだ見えないのだから。

 ファイルを閉じた指先がそのまま口に咥えた棒を握った。
 口の中で飴を転がす少女が、黒い軍帽を被りなおしながら、眼前の無表情を見上げる。
「こんなところです、隊長」
「了解した。助かる」
 浅黒い肌の隊長と呼ばれた青年――甘津秀助の灰色の瞳は、彼と同じ色の瞳をした少女――雨燕を瞥見してファイルの表紙に注がれる。武骨な指が確認するようにページを捲った。
 紙の擦れる音の間で沈黙する。
 元より言葉の多くない二人である。空気にも似たように訪れる静寂の中に、緩やかな時間の流れだけを数えているうち、秀助の瞳がふと持ち上がった。
「夜牙」
 無感動な声が低く大気を震わせる。
 ややあって、机の影がぬらりと割れた。蛍光灯の光に照らされた黒髪の下で青年が笑う。温厚な容貌に陶酔の朱が差して、開いているのかも分からぬ目がますます喜悦に持ち上がった。
「私の気配に気づいてくださるなんて流石は隊長です! ああ何という幸せ」
「夜牙」
「隊長が私の名前を呼んでくださる!」
 呆れたように頭を抱えた秀助に雨燕が苦笑する。
 秀助の椅子に纏わりつく夜牙に目を移して、彼女は手元の書類を叩いた。耳障りな紙の音でこちらを見た糸目に不敵に笑う。
「大体の作戦は総隊長に提案してありますから、そのうち正式に指示が出ると思います。夜牙先輩も頼みますよ」
「ええ。負けることに関してはお任せください」
「――勝ってください」
「雨燕さんも私と手合わせしたことあるじゃないですかぁ、やだぁ」
 私ってば弱いんですよ――。
 手を合わせて笑う袖から細く白んだ腕が覗いた。どうにも返す言葉がなくて、雨燕は先程と似たような苦笑で視線を泳がせるしかないのだ。
 ――彼が弱いのは真実である。
 再び隊長へと意識をやったらしい夜牙と、無表情に彼をあしらう秀助に軽く一礼をしてから、閉じられていた教室の鍵を開けた。
 予想より大きな音を立てる古びたドアの向こうに赤がある。
 生気を失ったような白い髪と白い肌が、唯一の異彩を瞬かせた。手に書類を抱えた小さな体が真っ直ぐに雨燕の目を見詰めている。黒い眼帯で片目を覆った、ともすれば年下にも見える姿を見下ろす。
「伊織先輩」
 名を呼ばれて小首を傾げた伊織が訥々と言葉を発した。
「イオ、でばん、ある?」
「今回は――俺の作戦ではありません」
 頷いた彼女に無言で用を促す。
 命があれば即座に暗殺部隊として秘密裏の処理を行う伊織も、平時は雑用係として軍の会計を担当している。その立ち位置上、彼女が走り回っているからといって急を要するわけではなかろうが、軍内の状況を可能な限り把握しておくのも司令塔たる雨燕の役目だ。
「零式が、夜牙、に、ようじって。秀助のとこ、たぶん、いるから」
 黒翼零式。
 ――その名に浮かぶ笑顔に、つい視線を外した。
「碌な用事じゃない気がしますが」
「イオ、も、そう思う」
 俯いた口から無感動な声が漏れる。直後に背後の教室から派手な鋭い音がした。
 夜牙の悲鳴とにこやかな声の狭間で、二人はそれが窓硝子の割れた音だと知った。顔を見合わせた彼女らの騒々しい沈黙は、雨燕の溜息で遮られる。
「伊織先輩。今月は」
「まっかっか」
 開かれた帳簿のマイナスを見た。
 残念ながら――黒軍の予算はそう多くない。ただでさえ長すぎる戦争により国内の貨幣流通が滞った状態であるのに、それを全国の各校に分配しているのだから、一校あたりが管理できるのは雀の涙にも満たぬ数字だけだ。
 それを。
 大きく扉を開いた黒づくめの長身が、胡散臭い程の清々しい笑顔で今破壊したわけである。
 首を大きく持ち上げた伊織が、四十センチ以上の差のある黒髪を見上げて首を傾げた。
「夜牙、いた?」
「ええ、ありがとうございました。お陰様で日課の夜牙くんいじりが捗ります」
「勘弁してくださいよ、頼みますから」
 零式の後ろで心なしかやつれたような顔をした夜牙が首を横に振った。自身の後ろに隠れたきりの彼を一瞥して、彼らの騒々しさを尻目に内容を理解したらしい秀助が、雨燕に向けてファイルを差し出す。
「作戦は把握した。いないのは」
 暫し沈黙する。
 恐らく軍内で任務に出ていない主要な面々はここにいる。一つ瞬いた伊織が細く無機質に声を上げた。
「忌世と、真と、燕が、かえってきてない」
「花房先輩と猿麻もまだ帰投していませんね」
 雨燕の声に再び周囲を見渡した秀助が、灰色の瞳を細めた。真剣な面持ちに僅かに張り詰めた空気に、戦場を焼く火薬のにおいを微かに感じて、全員が彼の声を待つ。
「全員が帰ってくるころには正式に作戦も下されるだろう。それまでは、各自休息を」
 各々の返事が重なる。解散していく背を見送りながら、秀助は学ランに隠れた己の足に触れてから、一度息を吐き出した。
 ――全員が。
 生きて帰って来られるかも分からぬ戦場で、全てを握っているのが、彼の指揮だ。秀助の背負った信頼と重責を笑い飛ばすように振る舞う彼らとて、彼と同じように命を奪い、奪われようとしている。
 灰色の目を瞼の内側に仕舞う。
 鋭く息を吸い込んで、再び開いた瞳にいつもの覚悟を宿し、彼は足に遣っていた手を離して歩き出した。

毀る零(夜牙+零式)

 影に紛れて夜の廊下を進む。
 軋む扉を極力小さな音で開けて、その隙間に滑り込み、零式は木の板一枚を隔てた外気を感じた。冷えた夜風に身を委ねようと引き戸に手を掛けたところで――。
「どこへ行かれるおつもりですか」
 影が割れる。
 振り返った先の人のよさそうな糸目が笑った。探るような無垢を装って、夜牙が首をかしげている。
 だから、零式も慣れた微笑を繕った。
「どこに行くということでもありませんよ。少し外に出てくるだけです」
「そうですか。では急ぐほどのことでもありませんね」
 一歩。
 近寄る背で金属音がした。重量のある大剣を軽々と背負った細身が、緩やかな速度で間合いを詰めてくる。今まで幾度も手合せをした眼前の弱者の姿が、零式にはひどく穏やかな強者のように映った。
「――少し昔話をしましょう」
 歩みが止まる。
 逃げることも向かうことも出来ぬ距離を保ったまま、月明かりに照らされた白い肌が微笑を描いた。
「一年前に、そう言って出て行ったきり戻って来ない方がいらっしゃいます。隊長とは何かお話をされていたようですが、非常に残念ながら私は内容を深く知りません」
 夜牙もよく見知った赤茶の髪の彼は。
「赤軍、というところに、行ったそうです」
「それがどうかなさったのですか?」
 零式は既に覚悟を決めている。人知れず握った拳で腹を突いてやれば、眼前の細身くらいは簡単に沈むであろうことも理解している。
 表情は崩さない。最後まで零式を貫き通した末にこそ、武力があるのだ。
 その様子を暫しの沈黙と共に眺めやっていた夜牙が笑みを消す。天井を見上げたまま長く細い息を吐いた。
「貴方が出ていくことを私が止める理由はありません。仲間だからなんて言ったところでどうにかなる理由ではないでしょう。でもきっと隊長は悲しむ。またしても自分が仲間を止められなかったと嘆く。それは許しがたい」
 抜き放たれた大仰な武器が月光にぬらりと光る。
 開かれた赤い瞳が獲物を見詰めて嗤っている。
 ひたりとも動かぬ空気が凍てつく温度で零式を包む。月の仄明かりにこそ己の戦場を見出し、武器を抜くその姿が、まさしく――。
 ――夜の牙。
「医務室あたりで寝ててもらおうか」
 低く大気を揺らす声を聴くや、零式は拳を固めて跳躍した。

砕く(零式+景光)

 訓練は訓練である。実戦に向けての実技練習としての意味合いも勿論あるが、己の得意武器ばかりを使っていても仕方がない。
 それで零式は木刀を手にしている。
 眼前に立つ男の手にも全く同じ規格の得物が握られていた。安っぽい照明に煌くのは景光の愛用する野太刀ではない。見るからに脆そうなこれを己の力で打ち合わせていれば、その刀身が無残に宙を舞うのも必然――手にしているのは五本目であった。
 零式が刀を握るのはこれが初めてだ。普段は拳で敵を武器ごと叩き割る。己の体のみを類まれな武器にまで磨き上げてきた彼にとって、本来ならばこんな玩具を手にする機会などないはずだったのだ。
 それでも手に取ったのは。
 ――旧懐が故だろうか。
 景光の振り下ろす木刀を、ここにはいない男を思い出しながら捌く。幸いにして武芸に秀でる零式である。一度は本気で拳を交えた相手の技は、見るだけでも充分に会得できた。
「面白い捌き方をするな」
「光栄です」
 笑って握った刀を構える。恭しい一礼の間にも一切の隙は見せないまま、零式は目を上げた。
 花房虎親という男は。
 既にこの世を去った野太刀の使い手は。
 ――こうして踊ったのですよ。
 その褐色の面影に己を重ね、零式はふと得物を得意げに持ち上げた。そのまま数度肩を叩いては、首を鳴らして切っ先を相手へ向けるように振り下ろす。
「其れは如何云う心積もりだ」
 のんびりと笑う景光に、零式もまた笑みを返すのである。
「旧友の真似事ですよ」
 私の剣技は全て。
 聞こえないように呟いて地を蹴った。骨ごとかち割るつもりで振り下ろす刀に景光の得物が重なって――。
 五度目の破砕音が響く。
「脆いな」
「脆いですね」
「埒が明かねェ、真剣で戦るのは如何だい」
「良案です。しかし、私は貴方の名刀に敵うような得物は持ち合わせておりませんので、こちらで」
 持ち上がった拳と抜き放たれた野太刀に、切羽詰まった教官の放つ止めの号令が響いた。

零式さんまとめ

零式さんまとめ

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-22

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 黒鉄(黒軍)
  2. 毀る零(夜牙+零式)
  3. 砕く(零式+景光)