おじさんまとめ
修理工と傭兵
銃を抱えてフロントサイトを外す。
油にまみれた手袋が不快な音を立てるのに気を取られて、手にした小さな部品が地を転がった。古びた鉄の下へ隠れたそれに手を伸ばそうとして――。
ジヴェルハイゼンの前に彼女より一回り大きな手が差し出される。
「ほれ」
「あ、ありがとうございます」
声の主を振り返ることはできない。一瞬で頬に熱が溜まって、声が裏返りそうな動悸を抑えこむ。部品を持ち上げる刹那に指先が掠めた掌の温もりが、低体温気味の体に染み込んで、あれだけ明瞭だった頭の回転が鈍ったような気がした。
垂れ目がちな緑の隻眼が隣にあると思うと、油臭い作業着を今すぐ脱ぎ捨てたくなる。
ジーンといるといつもそうだ。
いつでも規則正しくいるつもりなのに、何故だかすぐに調子が狂ってしまう。鼓動で震える掌は見ないふりをして、再び小さな部品を捻ると、一度油のにおいを肺中に吸い込んでから、ジヴェルハイゼンはようやく振り返った。
「どうしたんです。ジーンさん」
無精髭を一撫でする、戦士の指先に目が行く。普段は煙草を咥えている口許に火の気配はなかった。
「調子を見に来たんだよ」
先程までジヴェルハイゼンが向き合っていた銃を指さす。
確かにこれは――彼の愛機なのだ。
いつになく彼女が集中していた理由もここにある。ジーンの武器が担当になると、普段の仕事より躍起になってしまう。勿論、他の兵士やパイロットの機体を見るからといって手を抜いているわけではないのだが、こと彼の銃のメンテナンスとなると、恐らく二割は集中力が増す。
何故かは――分からないのだけれど。
急に言い訳をしなくてはいけない気分になって口を開いた。けれども何に対して言葉を発せばいいのか分からない。仕方がなくて、ジヴェルハイゼンは己の口許を指さす。
「煙草。吸ってないんですね」
「メンテ室だぞ、流石に油があるとこじゃ吸わねえよ」
「あ、そうですね」
当たり前である。
気恥ずかしくなって集中するふりをした。彼が沈黙を保ってくれるのが嬉しいような、救いにならないような気がして、遮るように話題を探す。
「――任務帰りですか」
結局、行きつくのはそこである。
頷いた顔を瞥見した。見詰めることはできない。動機と眩暈が激しくなる。
万一にも手元が狂ったら困る。
「見えないところで怪我してるかもしれないから、ちゃんと医務室行かないと駄目ですよ」
「おう。心配かけるな」
からからと笑う声がするのに微笑んで、やはり強くなった眩暈に頭を抱える。
ひどく優しい心地がするのだけれど、こうまで手元を狂わされると困る。近くにいてほしいような、早くこの場を離れたいような、いたたまれない気持ちで銃に向き合った。
集中は出来そうにない。
――何故かはわからないけれど。
消ゆ命のこと
焦土の淵で銀色が転がっている。
気が遠くなるような鉄錆のにおいの中で、肺に煙草の煙を溜めこむ。黒と赤の肉塊の中で、その銀だけが鮮やかに目に刺さった。
昨日までジーンの背を追っていた彼女だと、判別がつくだけまだ幸福なのかもしれなかった。
投げ出されたままの四肢から赤黒い体液が流れ落ちる。中途半端に開いた唇の奥が凍りつくほどの鮮紅で淀んでいる。千切れた眼帯の奥に黒い空洞が広がっている。胸の傷跡をなぞるように突き刺さったナイフに触れると、冷えきった赤が零れ落ちた。
見慣れた――死体だ。
掌に触れる。手の甲にできた潰れたような裂け目が土と擦れて、浅黒く水気を吸った粒に汚れる。
その呆気なさが、紛れもなく兵士の死だった。かつては前線に出て戦ったのだと語る声がまざまざと蘇って、ジーンは初めて、彼女がまさに一人の兵であったことを知った。
つけたばかりの煙草を土に落とす。燻る煙を踏みつけて、動かない体を抱える。
いつだかに抱えたよりも重みのあるそれがひどく虚しかった。指先でなぞった白い頬に、かつて彼女が兵であった頃の傷痕が浮かんでいる。
――気にしたこともなかった。
――これからも気にしない。
目を逸らすように閉じて、鉄錆の色をした唇に口付ける。
土臭い肉塊の中で交わす煙草のにおいと金属の味が、静寂に沈んで消えた。
おじさんまとめ