感想「芥川龍之介の『奉教人の死』を読んで~虚飾を捨てた一つの在り方」

たかなみ なと

1)
芥川龍之介の短編小説、「奉教人の死」を読む
(集英社文庫)。この作品は、大正七年九月、
作者が26歳の時に、三田文学に発表された。
尚、同年の五月には、「地獄変」を大阪毎日
新聞に発表している。この作品の主題は、
「奉教人の死」のそれとは正反対であると言っても
よいくらいに、異なるものである。誰が書いた文章で
あったのか、自分は忘れてしまったが、「奉教人の死」の
主題は、一切の虚飾を捨てた人間の在り方である、
という内容の文章を読んだ記憶があった。それで、
自分はこの作品を読み直してみた。次は、自分が
まとめたこの物語の概要である。

2)
かつて、日本長崎の「さんた・るちや」という
「えけれしや」に、「ろおれんぞ」という少年がいた。
少年の出生等は不明だが、天童の生まれ変わりと
思われるくらいに、その信仰心は堅固なものであり、
たくさんの人々に愛された。特に、「いるまん」衆の
一人、「しめおん」という者は、「ろおれんぞ」を実の
弟のようにもてなした。「しめおん」はある大名に
仕えた身の丈も抜群な剛力者であった。

三年程が過ぎた頃、怪しげな噂が長崎の町に広まった。
町方の傘張りの娘が「ろおれんぞ」と親しくしている
という噂である。やがて娘が身篭ったという騒ぎが起こった。
娘は父に、腹の子の父親は「ろおれんぞ」だと告げた。
「いるまん」衆一同の談合により、「ろおれんぞ」は
破門を言い渡されることになった。欺かれたという
腹立ちのため、「しめおん」は「ろおれんぞ」を
打たないではいられなかった。

その後の「ろおれんぞ」は、町外れの貧しい小屋に
起き伏しする、あまりに哀れな乞食であった。
しかし、「でうす」の無量無辺の慈悲と慈愛は、
常に山の木の実や海の魚介などのその日の糧を
恵み与えた。このような境遇にあっても、「ろおれんぞ」は
信心を全く失わず、ひそかに「さんた・るちや」に
行って祈りを続けた。「ろおれんぞ」の破門の後、
間もなく傘張りの娘は女の子を産み落とした。

それから一年程の年月が過ぎた頃、夜中に、長崎の町の
半ばを焼き払った大火事があった。傘張りの娘の家は
風下にあったため、すぐに炎に包まれた。父と娘の親子は
すぐに逃げ出したのだが、娘の子の姿が見えなかった。
恐れ喚く親子の前に、剛力者の「しめおん」が立ち現れ、
激しい炎の家に向かった。しかし、あまりの火勢に
逃げ出すしか術は無かった。娘の子の命を諦め掛けた時、
「ろおれんぞ」が乞食姿のまま人々の前に現れ、
まっしぐらに炎の家に走って行った。やがて、髪を
振り乱した「ろおれんぞ」が、両手に幼子を抱いて
飛ぶ炎の中に現れたが、燃え尽きた家の梁の一つのが
崩れ落ちたため、その姿は見えなくなった。しかし、傘張りの
娘の両手には、幼子が抱かれていた。崩れる梁に打たれながらも、
必死の力を持って、「ろおれんぞ」は幼子を投げ送ったのである。
焼け爛れた「ろおれんぞ」は「しめおん」の手によって
救い出された。

風上の「えけれしや」の門前に「ろおれんぞ」が横たえられた時、
傘張りの娘は思いもよらない「こひさん」をした。日頃、
恋い慕う「ろおれんぞ」様の態度は、堅い信心のため、
あまりにつれないものであり、恨み心が出て、幼子を
「ろおれんぞ」様の子と偽ったと言うのであった。
また、「ろおれんぞ」の息が刻々と短くなっていく時、
その焼け破れた衣の間から見える上半身により、
「ろおれんぞ」は少年ではなく、女であることが判った。
その刹那の尊い恐ろしさは、「でうす」の御声が遥か遠い空から
響いてくるようであった。そのような感動の心の群集の前で、
「ろおれんぞ」は微笑とともに静かに息を引き取った。

3)
傘張りの娘が、腹の子の父親は「ろおれんぞ」様だと
偽り、「いるまん」衆から侮辱を受けた時、「ろおれんぞ」は
本当の自分の姿を皆に証して、誤解を晴らすことは出来たはずである。
しかし「ろおれんぞ」はそれをしなかった。そして、そう
しなかった「ろおれんぞ」の心理の描写も無い
(ただ、作品中の次の一文が参考になるばかりである。
それは、「『ろおれんぞ』は、罪人を哀れむ心から、御主
『ぜす・きりしと』の御行跡を踏んで、乞食になるまで
身を落とした。」)。その様な「ろおれんぞ」を思う時、
この物語と類似の出来事は、現代においても生じているように
思われる。

極めて曖昧にしか書けないのだが、
何らかの事情で職場の望むような仕事が出来ない、
自分の事情を理解してもらうにも限界がある、
周囲の者からは敬遠される、
やむを得ない場合には職場を去ることもあるだろう、
思い悩み苛立つ、
しかし決して道を踏み外すことなく静かに一生を送る。

このような考えを「奉教人の死」という小説から
抱くことは、作者の意図するところでは無いのかもしれない。
作者は、深い劇的な一瞬の光に生きることの意義を求めたからである。
作品中に、「なべて人の世の尊さは、何ものにも換えがたい、
刹那の感動にきわまるものじゃ」と作者は書いている。
しかし、「奉教人の死」が発表された当時の作者の実生活が、
社会的にも経済的にも安定していた事を思えば
(大阪毎日新聞社社友から社員になり、出勤の義務は無く、
年数回の小説を書き、報酬は月額百三十円であった。)、
この物語を現代のよくある出来事に重ね合わせる事も、
許容されるのではないだろうか。

感想「芥川龍之介の『奉教人の死』を読んで~虚飾を捨てた一つの在り方」

感想「芥川龍之介の『奉教人の死』を読んで~虚飾を捨てた一つの在り方」

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日

CC BY
原著作者の表示の条件で、作品の改変や二次創作などの自由な利用を許可します。

CC BY