三幹部まとめ

幹部の仕事

 およそ美しい光景ではなかった。
 使い古されてくすんだ青いばけつに、埃で濁った薄茶色の水が溜まっている。浸っている布の鼠色から漂う嫌なにおいが、充分な距離を取っているはずの鼻につくようで、シュウトは眉を顰めた。
 元来、潔癖のきらいがあるシュウトである。
 彼の求める秩序には程遠い混沌の塊へ手を伸ばし、彼は眼前で雑巾を縛る赤い髪に目を移した。
「――純粋な疑問なんだが」
 その声に顔を上げたシュウゼンの三白眼が紫を睨む。怠そうな瞳の色とは裏腹に、綺麗に絞った雑巾を几帳面に床へ広げた彼に続けて問うた。
「何故、幹部が床掃除をせねばならんのだ」
「人手も経費も足りてねえんだよ。黙ってやれ」
 盛大な溜息と同時にシュウゼンの長い髪が揺れた。
 邪魔にならないのか――と思ってから、自身の髪もそんなものだったと思い出す。
 引きちぎれんばかりに絞った鼠色を床に広げる。わずかに湿った布のがさつく手触りに思わず顔を顰めた。
 それから、我関せずとばかりに何も入っていないモンスターボールを弄る少女を見やる。
「マッドサイエンティスト、貴様もやらんか」
 ピンクの髪をした科学者は、シュウトの非難に口元を歪めて、芝居がかった声で拒否の言葉を発した。
「か弱いナディアちゃんは、床掃除なんかしたら貧血で倒れちゃうんですう」
「三日貫徹でコントロールヘルメット作ったやつの台詞じゃねえよな」
「研究は別腹ですう」
「よくもまあいけしゃあしゃあと」
 シュウゼンが腰を持ち上げた。クラウチングスタートにも似た構えで、長い廊下の先を見据えた彼は、手の下に敷いた布を強く押さえる。
 その様子を嘲るように、ナディアが床に座り込んだ。気のない応援とともに手を叩く。
 一頻り足をばたつかせた少女が膝を抱えた。右手を顎に添えながら、彼女は小首をかしげて笑みを作る。
「いいんですう。私は研究がお仕事なんですよお」
「それを言うと俺の仕事も秩序を守ることであって床掃除では――」
「床掃除は秩序守ってんだよ、腕動かせ」
「なるほど、なればこれも俺の仕事」
 シュウゼンの適当な返事に納得したらしい。シュウトは眼鏡を一度押し上げると、廊下の先へ走り去った。
「馬鹿ですう」
 後に残されたナディアの嘆息にシュウゼンが頷いた。仕方がねえよあの秩序厨はと低く唸ってから、彼は雑巾から手を放して研究者の方へ顔を向ける。
 ――あの調子ならばシュウトが全て終わらせるだろう。
 既に雑用への関心を失くした彼の三白眼が暗い色を鋭く孕んでいた。鋭利な空気に淀むナディアの瞳が、まっすぐに彼を見据える。
「で、だ。実験の進捗はどうなんだよ」
「しっかりばっちりですよお。ポケモンちゃんは、ちゃあんと動いてくれますう」
 ナディアちゃんにミスはありえないんですよお。
 嘲笑めいた弧を描く少女の緑水晶が、光を歪に反射する。自己陶酔にも似た言葉尻を隠そうともせずに、若き科学者の口許が冷えた喜びを象った。
「あの調子なら、大爆発だって躊躇なくしてくれますよお、あはっ」
「相変わらず研究の腕だけはいいな」
 横合いからかけられた声に、反射的に音源を見上げた。
 片手に持った雑巾を汚らわしいとばかりにばけつへ落として、シュウトがずれた眼鏡のブリッジを押し上げる。引き結ばれた口許を緩めることすらしない彼へシュウゼンが一つ目を瞬かせた。
「雑巾がけは」
「終わった」
「あはっ、ご苦労さまですう」
 何がおかしいのか、ナディアがけたけたと笑声を漏らした。
 汚れた手をハンカチで拭くシュウトの方は慣れているようで、彼女の声に目を伏せることで応えた。
「ま、これで結構捗るんじゃねえの。全ポケモン道具化」
 一つ伸びをしたシュウゼンが天井を見上げた。安っぽい蛍光灯の光に目を細める。
 彼の行為を瞥見するや、シュウトが一つ息を吐いた。
「道具だろうが何だろうが関係あるまい。そこに在る。だから使う。秩序をもたらすために――俺にとってはそれでいい」
 お前はそうだろうよと目を逸らしたシュウゼンの視界が、蛍光灯の形に抉れた。残像のちらつきに目を指でほぐしながら、苛立ったように声を漏らす彼の隣で、研究者が立ち上がる。
「シュウトはお堅いですう。将来絶対ハゲですう」
「ハゲんわッ」
 一つ吼えたシュウトを笑いながら、ナディアの後ろ姿が軽やかに消えた。

山道

 道である。
 言い張ればそういうことになるだろう。辛うじて人は通れる。例え見渡す限り岩と石に覆われ、足許が不安定で、加えて勾配の急な場所であってもだ。
 戦闘員に与えられた、およそ登山用とは言い難い靴を鳴らして、シュウゼンは額の汗を拭った。比較的体力に自信がある彼ですらこれである。後方でしきりに眼鏡を直すシュウトの運動に向いていない体躯がいつ転げ落ちるか気が気でなくて、彼は荒い息の内に文句を織り交ぜた。
「で、だよ。何で俺たちが、こんな山を、登らなきゃ、ならねえんだ」
「我々の脅威を、潰すために、決まっておろう」
 返答があるあたり、発案者には思いのほか余裕があるらしかった。
 この乾いた山には野生のポケモンが多数生息する。それ故に多くの冒険者が挑戦する、いわば登竜門のようなものだ。彼らの邪魔をするトレーナーも十中八九此処を通るはずであった。
「相手はガキだぞ」
 シュウゼンとて彼らを潰すことに異議があるわけではない。
 だが――ここまでの労力を使う理由が分からない。
 睨むような三白眼にもシュウトの無表情は崩れない。肩で息をつきながらも鼻を鳴らした彼は、覚束ない足許を補助するように近くの手頃な岩を掴んだ。
「分かっていないな、シュウゼン」
「何が」
「大きなことをするときこそ、より慎重にならねばならん。それで、特に敵対する者がいるときの失敗原因というのは、多くが侮りだ」
 つまりだよ――ずれた眼鏡を押し上げる手袋が白く目を刺す。
「下っ端を送り込んで奴らが勝ったとする。その勝利は奴らの糧になるわけだな」
「まあ、そうだな」
「一度の経験値は微々たるものでも、それを繰り返すと莫大なものになるという寸法だ。育ちきらない芽のうちに全力で潰しておくのが、より確実で合理的なんだよ」
「はあ。参謀様は言うことが違えなあ」
 素直な感嘆だった。
 シュウトというのは頭が回る。それを否定はしない。殊、戦況を俯瞰する能力にかけては、組織随一であると言っても過言ではないだろう。
 尤も。
 それは前提として、彼が勝利できる場合の話なのだが。
「これでお前が強けりゃ説得力もあんだけど」
「そのあたりはお前が勝てば問題ない」
「ナチュラルな他力本願やめろ」
 言葉を交わすだけの短い休息に誤魔化されて、シュウゼンの足裏が地を踏みしめる。
 ――汗で蒸れたブーツを履きかえられるのはいつの話になるだろうか。
 取り留めもないことを考え始めた脳はいよいよ疲労で砕けたようだった。口内に溜まる唾を飲み干して、シュウゼンがふと歩みを止める。
 砕けて初めて――。
 分かってしまったことがあった。
「ところでシュウト、俺らは凄いことを失念してたっぽいんだが」
「何だ」
「この道、帰るんだぜ」
 振り返った先の紫は、赤と同じく今しがた昇って来た道を見詰めていた。緩やかに振り返った眼鏡の先を汗が伝っている。
 暫しの沈黙の後、無表情は徐に口を開いた。
「――頂上からケーブルカーが出ている」
「格好つかなすぎだろ。せめてハイキングコース帰るって言えよ」
「これ以上の疲弊は秩序でない」
「都合のいい秩序だなおい」
 この秩序厨めと口の中で毒づいて、重い足を奮い立たせるように、シュウゼンは頬を流れ落ちる汗を払った。

終わりの果てに

 月光に照らされながら立てつけの悪いドアを開けた。
 何しろ借家である。嫌な音を立てる内開きのそれには目を瞑って、シュウトは肩掛けのバッグを持ち上げた。
 帰宅を告げる声を投げ入れれば軽やかに駆けてくる足音がする。独特の語尾で歌うように彼を歓迎したナディアが、閉まる扉の嫌な音を掻き消すように声を上げた。
「ブラッキーちゃんは元気してるですぅ」
「そうか。助かった」
「レベルで言うと二くらい育ったので三百円ですぅ」
「育て屋かお前は」
 軽口を叩きながら靴を脱いだ。踵に指を入れれば拍子抜けするほど滑らかに玄関へ落ちる。
 六年間履き続けた冷えたブーツとは。
 全てが違う。
 未だに慣れない感覚を押し殺すように立ち上がる。シュウトを出迎えたときと同じリズムで揺れるピンク色の髪を見下ろしていると、ふと彼女の緑水晶が瞬いた。
「何持ってるんですかぁ」
 繊手が差した先のビニール袋を思い出したように持ち上げる。
 そういえば――土産だったのだった。
「ナディアの要望のミアレガレットだ」
「わあい、シュウトは気が利きますぅ。何個入ってますぅ?」
「一人九つの計算で買ったから――二十七だな」
 確かそのつもりだ。
 とはいえ、朝方の呆けた脳で約束を思い出して、そこから並んだのだ。正確な数を伝えられたかも記憶に曖昧である。
 まどろみの底で揺らぐ記憶の断片を掴みながら唸るシュウトの言葉に、途端にナディアの口許が不平を模った。眉を吊り上げて肩に力を込めた姿は、見目よりも幼く蛍光灯に照らされる。
「わたしの食べる分が三つじゃ足りないですよぅ」
 なら俺の分を食べればいいと提案すれば、眼前の大きな瞳が無邪気に笑った。
 光の漏れる居間の扉をナディア越しに開く。机で髪に向き合っていた赤髪の三白眼が持ち上がって、次いで相好を崩すと同時に左手が揺れる。
「出張、お疲れさん」
「そっちこそな」
 机に置くや力を失うビニール袋の中身をシュウゼンが覗きこむ。
 中の菓子の数を数えて、途端に輝く瞳が椅子を引く紫の髪を見上げた。
「俺の分もあんのか。戦争だったろ」
「朝から暇だったんだ、問題ない」
 椅子に腰かけるや走り寄ってくるブラッキーを撫でながら、シュウトの指先がモンスターボールのボタンを押した。早速とばかりに自身の分を皿に流し込んだナディアが上機嫌に足をばたつかせている。
 それで、シュウゼンも書類を仕舞い込むことにした。
 机に止まってシュウゼンのミアレガレットを狙うバルジーナを制しながら、シュウトが一つ息を吐く。それで注目を集めた彼の口が動く。
「――意外と支障がないな」
 流れるような低い声だった。
「もう少し白い目で見られるものだと思った」
「ああ、それは思う」
 独り言のつもりだったのだろう。
 シュウゼンの方も応える気はなかった。
 暫し顔を見合わせた二人は、そこでようやく相手の存在を思い出したように頷いた。頬張った菓子を飲み下し、傍らのバタフリーの口許へガレットを運んでやりながら、シュウゼンが続く言葉を探す。
「思ったより平和なんだよなあ」
 それしか出てこなかった。
 そうとしか――言いようがなかった。
 この世界は思いの外平和に惚けている。元悪の組織の幹部であるからと三人が手配されることもなく、職から弾かれるわけでもなく――至極まともな生活を送っている。
 或いは。
 それは彼らが捨てられたからであるのかもしれないが。
「二人とも頭がお堅いですぅ。ほんとにハゲますぅ」
 盛大な溜息を吐いたナディアが、机に肘をついた。足許のデリバードが上機嫌に菓子を頬張るのを横目に、無邪気な弧を口許に描いて、彼女は自身の皿に残った最後の一つに手を伸ばした。
「いいんですよぅ。マトモな人生歩けなかったわたしたちは、これからマトモな人生送っていいんですぅ」
 少しばかり遅いかも知れない。
 理由がどうであれ――少なくとも、取り返しのつかないことに加担したのは事実だ。
 それでも。
 彼らは捨てられてしまった。
 悪から捨てられ善にも染まれなかった彼らは、これから先、何にも縛ってはもらえない。
 だから――まともに生きるしかないのだ。
「――そんなわけで、マトモな女の子のナディアちゃんは甘いものが大好きなので、シュウゼンのガレットももらいますぅ」
「何でだよ。太るぞ」
「いつも頭を使ってるナディアちゃんの新陳代謝はガンガンなんですぅ。太りません」
 奪われていった焼き菓子の破片が、白い皿に跳ね返った。前よりは使っていないだろうと不平を漏らせば、使っているとこれまた根拠のないくぐもった返事がある。
 せめてもう一つを奪われることは避けたかった。口の中に欠片が残った状態で持ち上げたざらつく手触りを口許で泳がせる。
「シュウトって明日は暇だっけか」
 ブラッキーを撫でていた手が止まった。持ち上がった穏やかな瞳が頷く。
「ならどっか行こうぜ。俺も仕事休みだし」
「ナディアちゃんは海が良いですぅ」
 横合いから投げられた溌剌とした声に今度は逆らうことなく、シュウゼンは三白眼を緩やかに細めた。

温もりのこと

 シュウトというのは馬鹿である。
 頭が回ることは誰しもが認めようし、一度も勝てぬまま軍師として幹部に抜擢される才覚だけで説明するなら寧ろ真逆の言葉が出て来よう。
 かといって。
 聡明でない――訳ではない。少なくとも馬鹿と形容されるほど人より劣っているとは思わない。
 ならば何が彼を暗愚たらしめているのかと言われれば――。
 ストーム団を訪れたことであると。
 ナディアはそう答える。
「シュウトは馬鹿ですぅ」
 唐突な貶し文句にシュウトの眉間の縦皺が増える。頑なに組んだ腕が不機嫌を伝えている。
 けれど――その腕は決してナディアを拒んでいるわけではないのだ。ナディアという研究者の所業への恨み節であって、縦皺に込められたのは少女自身に向けられた怒りでも、憎しみでもない。
 その心は食せば甘いだろう。甘味を好むナディアでさえ、いっそ吐き気がするほどかも知れない。
 滑らかで。
 柔らかくて。
 絹のような――寒気がするような――。
 そういう男なのだ。
 悪意の刃で簡単に切り裂ける。その傷を不器用に縫い付けて生きている。引き裂かれて少しずつ破片を失って――。
 ――どうなるのだろう。
「そんな顔してまで、研究室に来るような馬鹿ですぅ」
「進捗を訊くよう仰せつかっただけだ」
 冷えた声だった。頑固に引き結んだ唇も、吐き捨てるような台詞も、ナディアの緑の瞳が反射するリノリウムよりは恐らく硬い。
 氷のようだと思った。
 およそ氷というのは脆い。温もりに触れただけで消える。ノミの一突きでも形を失う。
 だから――。
 ノミも温度もないナディアとシュウゼンを頼るのだ。
 立ち上がった研究員の足が踊るように床を撫でるのを、氷の目が追っていた。
 冷えてしまえば凍えに気付かないのだろうか。
 ――気付かないのだ。
 ナディアがそうであるように。シュウゼンがそうであるように。
 シュウトもまた、凍えを凍えで誤魔化している。脈打つ心臓が冷え切って動きを止めてしまうまで、そのまま冷え続ける。
 綿にノミを突き立てながら――悪意の鋏に切り刻まれながら――。
 彼もまた悪意を手に入れようとする。
 目の前の紫を見下ろす。
「ナディアちゃんがミスなんかするわけないですぅ。最高に順調ですぅ」
「――そうか」
「複雑そうな顔するのはやめるですぅ」
 片眉を持ち上げた氷が口許で解けた。あからさまな悲哀を刻む唇はおよそ悪の組織に向いていない。
 そう言ったところで。
 彼に行く場所などないのだろうけれど。
 辛苦に身を縛ることなど分かっていたのだろうに、彼はここを選んだ。愛するものを守るために愛するものを傷つけることを容認する矛盾に気付かぬほど彼は馬鹿ではない。
 だから――馬鹿なのだ。
 誰も憎めないくせに。
 誰も傷つけられないくせに。
 彼の愛する全てを傷つけ続けるナディアさえも温めようとするくせに。
 ――彼は悪から逃れられない。
「やっぱりシュウトは馬鹿ですぅ」
 呆れの溜息で貶し文句を紡いで、ナディアは綿花の温もりを拒んだ。

戯れのこと

 今日初めて扉が開いたのである。
 その先にあった赤い髪に笑いかける。先程から睨んでいた化学式の集合体を机へ投げ捨てて、ナディアはペンを置いた。
「今日の初めてのお客さんはシュウゼンですぅ。最初に来た人には自分でお茶を出す権利が与えられるのですぅ。おめでとうございますぅ」
「それは権利って言わねえよ」
 小気味いい返事と共にソファに腰かけた三白眼を尻目に立ち上がる。嫌な音を立てた回転椅子の継ぎ目に気を遣るでもなく、少女の足許が軽やかに床を叩いた。
 大きな試験管に指先を這わせる。
 ――冷たい。
 満ちた緑の液体の中でフワライドが眠っている。中身の柔らかさを包む殻は厚く硬い。
 そうやって――。
 中身を吸い上げていく。
 空になった心に堅牢な壁を敷いて、このポケモンがフワライドであった証を奪っていく。残る形骸が飛行とゴーストの複合タイプであるポケットモンスターでしかなくなるまで、装置は動きを止めない。
「シュウゼンはどう思いますぅ?」
 何がと問われた。研究がと応える。
 非道だ。
 あまりにも非道であるということくらいは彼女にも分かる。
 けれどナディアは悪である。
 悪だから心は動かない。寧ろ喜びすらする。
 ポケモンが苦しむ姿に――というよりは、自身の研究が進むことにであるが。
 彼女の行動の意図を理解したかは知らないが、三白眼が振り返った緑水晶を睨むように見た。組んだ腕は拒絶というよりは癖のようで、吐いた鋭い溜息も恐らくその類だ。
「別に――どうとも。多かれ少なかれそれが目的で入ってきてるんだぜ、ここの連中は。俺は生憎、研究は専門じゃねえし、とやかく言うようなことは何もねえ」
「マトモですぅ。マトモすぎてつまんないですぅ」
 大げさに息を吐いた。
 呆れのようで安堵に似ている。
 その質問は。
 只の挑戦だったと言われれば、そこまでだ。
 本心を剥き出しにしてしまえば三人の歪なバランスは崩れてしまう。本質が決定的に違っているから、遊ぶような言葉尻でお互いを繋いでいるに過ぎない関係なのだ。
 それを。
 続ける気があるから。
 ナディアは嘯いて、シュウトは眉間に皺を寄せて、シュウゼンは優等生のような回答を続ける。
「腹ァ括ってんだよ」
 吐き捨てるような台詞はやはり悪の組織には似つかわしくなかった。
 括る腹などない。そんなに覚悟を決めるようなものではないのだ。
 悪は――。
 悪だから――。
 もっと狡猾であるべきだ。骨をうずめるような覚悟でここにいるような存在は、それこそ――。
「シュウゼンって馬鹿ですぅ」
「何だよ、藪から棒に」
「馬鹿だから馬鹿って言っただけですぅ」
 けれど。
 そういう馬鹿は――嫌いではない。
 リノリウムと蛍光灯の間を舞う桜は、ブーツに覆われた足で一つ床を叩いた。

悪たるものども

 モンスターボールである。
 天才科学者の生み出した禍々しい黒色のそれは、例え他人のポケモンであっても無理矢理に主から引き剥がして脳を作り替える。
 副作用のない麻薬のようなものだと――。
 ナディアは言った。どこだかの地方で扱われていたスナッチの技術と、今となっては広く普及したゴージャスボールを応用して、ポケモンに主人の命に従うのと同様の快楽を与え続ける。無理矢理の洗脳では想定外の反逆に勝てないから、彼らの抱く違和感を極力小さくすることで想定外を潰したのだという。
「そもそも科学者に想定外なんてあっちゃいけないんですぅ。想定外を想定するのが、天才科学者ナディアちゃんのお仕事ですぅ」
 というわけで。
「生意気なクソガキのポケモンちゃんも、このボールには逆らえないってわけですぅ」
 眼前の名も知らぬ少年二人へ突き付けた黒色の向こうで紫水晶が弧を描く。渾身の表情で放り投げた球体が、太陽を冷たく拒絶して黒い手袋に覆われた彼女の手へ再び戻った。
 彼女の後方で顔を見合わせるシュウトとシュウゼンには――意味が分からない。
 科学者の仕事を語るならば実験室にいるべきである。まかり間違っても、戦闘員たる二人の前に颯爽と現れ、その手にある技術の結晶を自慢げに翳すことなどあってはならない。例え相手が年端もいかぬ少年二人であっても――だ。
 つくづく破天荒な娘である。諦めたように紫の髪の奥で眼鏡を押し上げたシュウトが、腰のホルダーに手をかけた。
「――小娘が何故ここに来た、というのは、後で訊くとしてだ」
「坊ちゃん二人に恨みはねえけど、こっちの軍師様が芽は早ェうちに摘み取れって煩いんでな。俺らとしても仕事場荒されんのは困るってわけだ」
 続くシュウゼンの手の中で、ナディアの発明品が待ちかねたとばかり膨らんだ。
 彼としては、幼気な子どもを幹部クラスが三人で潰すというのに一抹の複雑さを抱かずにはいられぬ――のだが。
 シュウトの立案が致命的な結果を招くことは一度もない。無勝の軍師は戦闘指揮を任せさえしなければ非常に使える男である。実力でのし上がってきたシュウゼンにとっては腹立たしいことこの上ないが――この男の頭脳というのは眼前の若き天才に引けを取らない。
「大の男が二人揃ってごちゃごちゃ煩いですぅ。さっさとポケモンちゃんをもらって、さっさと撤収すればいいんですよぅ」
 間延びした口調でボールを構えるナディアが目を細める。無造作に投げやったモンスターボールが地に跳ねて――。
 凍てつく咆哮が大気を揺らした。
 長い首に主を乗せる氷と岩の竜は、その足元で鳴く赤と白の氷鳥を一瞥して、眼前の敵を睨みやる。
「喧嘩っ早いこって。まあいいか、本気でいいんだろ、シュウト」
「秩序のためだ。好きにしろ」
 掌から零れ落ちた容器を爪が裂く。赤い稲妻を走らせた金の瞳と、青月の輪を思わせる耳が光った。
「アマルルガちゃん」
「ザングース」
「ブラッキー」
 主の冷笑に応える悪の咆哮が、振り下ろされた手を待ちかねたように牙を迸らせた。

三幹部まとめ

三幹部まとめ

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-21

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 幹部の仕事
  2. 山道
  3. 終わりの果てに
  4. 温もりのこと
  5. 戯れのこと
  6. 悪たるものども