ロレトルまとめ
ひとたらぬもの
小柄な体についた大きな瞳が、ディストルクの右腕を見据えていた。
ぶら下げた腕を長い袖で覆い隠し、青い髪の下で同じ色をした目が瞬く。丸く愛らしいそれの中に、独特の形をした瞳孔を浮かべて、ローレンは天使の翼を広げている。無邪気な嗜虐に満ちた喜色で、彼とも彼女ともつかぬ存在は大笑した。
「いつも思ってたけど、それ、きれいな腕だよね! ねえ、僕にちょうだい!」
返答はしない。代わりに無表情のまま拳を構えた大男へ、少女めいた見目の怪物は、尚も笑う。
「くれないの? みんな、ちょうだいって言ってもくれないんだね」
ローレンが一つ言葉を発するたび、耐え難い腐臭がディストルクの鼻を衝く。思わず顰めた眉根には気付かず、邪気のない獣は上機嫌に翼をはためかせた。
――浮き上がる体は、支えているはずの翼には連動しない。
「いいよ! それなら、動かなくしてからもらってあげるから!」
無垢な青水晶が瞬いて。
放出された魔力が砲弾のように地を抉る。咄嗟に飛び退いた先の岩が崩れ落ちる。思わず目をやった青の怪物は、玩具を見つけた子供の如き仕草で、再び自身に巡る魔力を高め始めた。
逆巻く風が形を成す前に走り出す。
頬を掠める不可視の刃の隙間を縫う。踏み込んだ地を揺るがし、ディストルクの拳がまともにローレンの体を捉える。
いとも容易く吹き飛んだ小さな体が、土を抉って二度跳ねた。
漏れ出た悲鳴に思わず眉を顰める。普段の甲高い声を食い破るように、無数の怨嗟が渦になって、小さな唇から吐き出された。
そこに至り――。
ディストルクは、ローレンという怪物の根源を漠然と掴んだ。
「――ただの寄せ集めか」
「うるさい!」
低く独りごちた声に、溢れた宝石の涙を振り払ったローレンが気色ばむ。激情を乗せた青い瞳に宿った険の先で、動揺と悲哀がありありと揺れた。
「これは僕のだ。全部、全部、僕が見つけたかわいいものだ!」
拒絶の咆哮がディストルクを打つ。音波が腹を抜けていく感触を煩わしげに振り払い、彼は徐に目を細めた。
「お前は人間にはなれない」
以前のそれより確信めいた声に、怪物は一層強く吠えた。
地中
青い草が生えている。
雑草の中に埋もれたそれを突つく。ふわふわと指を飲み込んで、真ん中から二つに割れた。手を離せばすぐに戻る。
――ローレンの髪である。
そのふかふかとした感触の前でしゃがんで、アルティアは無表情な大男を見上げた。人型の化け物の体を地面に埋めた張本人たるディストルクは、静謐な眼差しで彼女らを見下ろしている。
血のように赤く浮き出た目尻の紋様を見つめ、アルティアは問う。
「ローレンって咲くの」
「知らん」
「水でもやってみようかしら」
魔女として森の奥に住み始めて久しい。植物を育てるのは得意だ。ローレンに花が咲くのかは分からないが。
「お水はやめて……」
再び突いた登頂の一房の下で、弱り切ってくぐもった声がする。人の皮を被っているだけで、そもそも呼吸を必要としているのかも分からない怪物には、土の中でも関係はないらしい。
ディストルクが慣れた調子で目を逸らした。アルティアも立ち上がる。桃色のドレスの裾を払う。
「実でも成ったら面白いわね」
ローレンを根として、髪だった部分が伸びていく。茎の代わりに高く伸びたそれの先に蕾がつく。花が開いて、枯れた後の実が落ちれば、そこから無数のローレンが這い出し――。
軽い恐怖映像のような光景を思い浮かべたか、ディストルクの眉間に深い縦じわが刻まれた。腕を求める無数のローレンの相手をする彼にとっては、無間地獄よりも酷い拷問だろう。
無言で交わされる地上の応酬には気付かず、渦中の怪物は先より幾分か元気そうな声を上げた。
「お花ってかわいいやつだよね。咲けるように食べようかな」
「人間に花は咲かない」
「そうなの?」
そうだ――と心なしか投げやりな返答が地中に埋まる。再び気力を失った草に紛れる濃青の一房を一瞥し、森奥の魔女は目を細める。
「いつもここ持ってるけど、抜けたりしないの」
「しない」
抜けても生えてくるだろう。
憶測にしては確信の篭った声音である。思わず見上げた先のディストルクは、やはり静寂を湛えて、埋まった異形の先を見ていた。
「出して……」
弱々しく漏れるローレンの声には、誰も応えなかった。
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