えらくならなくて いい

なにものにも ならなくて いい



むかし 父はそう言った



ぼくは そのとき
じぶんには

なにもないのだと
なにも できやしないのだと

そう 言われた
そんなきもちがした



父はいった

えらくも
なにものにも

成らないことを 貫けと



なにものにも成らない

ただ 生きる

それでいい



だからこそ


にんげんは
なにかを

かならず つかめる と



そう言った


父は逝った

ぼくのなかには

父の あお白い頬と
凍りついたよう 冷たい手

ただ それだけが

たしかに 遺った


なにものにも成らず

えらくもならず

父 ただ 父


なにものにも成らず
えらくもならず

さいご

じぶんへと 成った


父 ただ 父


ぼくは

父の 頬が 酒で紅色に染まった
あの ただの 日常
あの あたたかな 生活

ただの 日常の きおくを
すべてを
美しく いとおしく

こころに もっている

やけどしそうなほどに
冷たくなった
父の 手を 握ることも

できていた



このまま

なにものにも 成らず

えらくも 成らず

じぶんへと 成ること


その意味を

空へと還る 煙を見上げ

ただ ただ 理解した

父 ただ 父

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-20

Copyrighted
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