ふるさとよ!さらば! いざ!出発―!! 25
ひとかけらの幸 25
悪いコトは続くもの。 誰だ?そんなこと云った奴は? 空気の流れさん!
そんなときゃー、さっさと不運と思って逃げる! 諦めは心の養生*!
*失敗や不運をいつまでもあれやこれやと悩んでるとメシがまずくなる、顔が悪くなる、運も愛想尽かす(見限る)。キブンを楽ちんな方へすることによって明日へのファイトも湧くってもんさ。誰が云った? 空気の流れさん!
この場合はどうだったか?
更に、1845年隣国アイスランドから始まった、原因不明の胴枯れ病の大流行でカンペキな不作に陥り、またまた追い打ちをかけるように、チフスの大流行もダブルで重なり、わずか数年で100万人以上の人たちが餓死した。ゲッ!
1840年は800万人を数えていた人口は1911年には440万人にまで減少した。国家存亡の危機である。
この100万人とは日本の都道府県一県の人口に相当する、まさにオドロキ意外の何物でもない。
結局、スコットランドとアイルランドは、侵略してきたイングランド・ビジネス軍とこの大飢饉の二つの国難から逃れるように、150万人~200万人もの膨大な人々が短期間のうちにアメリカに大移動をしてしまった。
ビュー- !!! そうそう!!やっぱ逃げだよー!逃げは弱虫ではない!逃げの勇気は二倍要る。留まる方がよっぽどの弱虫ちゃん! スィー-!!
アルテミス美神さんー!合うね、意見!
ちなみに、この民族大移動の中には、かの有名な、暗殺されてしまったが、ニューフロンティア・ビジョンを掲げた第35代アメリカ合衆国大統領J・Fケネディーの曽祖父*も含まれていました。
*着く早々、ボストンの肉体労働者からやがて港湾労働者へと転職していくうち実業家へとトラバーユ。
ついにマサチューセッツ州下院議員そして上院議員となり地元ボストンの有力な民主党員となり、後々たんまりと財力を蓄え、これを使って次々と息子たちを政界送りにしました。
意を決したアンディ一家の行動は、それぞれの思いは交錯していたが、速かった。
あれよ、あれよと、1848年、新天地を目指す実行動は素早く始動した。「オレはもう大人だ。周りの大人どもが考えていることぐらい分かる」とチト背伸びした過意識になるときもあったが未だ幼顔残る13歳、背伸びする多意識と相まって年相応多感なアンディとが交錯する年頃。
ひと目惚れして以来、アンディのハートは花柄一色。恋をすると、どなたも花や花柄を求めるようで、その恋文も花柄の便箋であった。
直接口に出して今の事情を話そうとも思ったが、ゆっくりと慎重に書くことにした。哀しい顔を見るのが辛かったからである。
読み直しては破き書いてはまた破き、ようやっと4回目にしてラブレターは完成した。
ビリーを介し手渡した。
と、その当日に、まさかのまさか、そっこー返信を持って彼が現れた。
ハアッハアッとまだビリーは息を弾ませている。ありがと!ご苦労様でした!とか云いようがなかった。
ハ~イ!アンディ!ぶっちゃけ云うとマヂ待ってたんだよ!なんでぇ?手紙なんかしないで来ればいいのに!事情は、うん、わかったから・・・・・。
読み終えたアンディの目はどこを見ているのか定まらなかった、ただ空を舞う。
金持ちになったら、必ず、必ず、絶対に、迎えに来るから待ってて!らびゅ~~。
と彼女宛の手紙でした。
待つっ!うちの王子様になって!迎えに来て!ウワキしちゃダメだぉ。手紙頂戴ね・・・。
する!する!お姫様にスル!
王子様とお姫様の約束をし合ったアンディは、このとき13歳、付き合い相手のソフィーは父をイングランド人、母をスコットランド人とする、2個上の15歳になっていた。今でいやー、中2と高1だ。
ふるさとよ!さらば! いざ!出発―!! 25