雨降小僧

 河童探偵3作目です。織田作之助U-18賞に応募していて(結局、3次予選まで通ったものの落ちました)、公開まで時間がかかってしまいました。作者としてはわりと気に入っている話なのですが、書き終えてから数か月後に一つまあまあ大きな穴を見つけてしまいました。でも、書き直しなしで公開することにします。

 薄暗い空からぽつぽつと雨が降りだした。梅雨なのに降っては止みの繰り返しで、はっきりしない天気である。
 平日の昼間は姉妹は学校で、その両親は仕事に行っている。居候の河童は簡単に昼食を済ませ庭へ洗濯物をとり込みに行った。
 すると突然門から顔をのぞかせている子供に声をかけられた。
「ごめんください。こちらに探偵さんがいると聞いたのですが」
 見ると古風な柄の着物を着、下駄を履いていて、一目で人間でないと分かった。傘は差していない。
「探偵は僕ですが何かご用ですか」
 その子供は入ってくると、「僕は雨降小僧なのですが、実は傘を盗まれてしまったのです」と言った。
 雨の神を雨師という。雨降小僧は雨師に召し使われている童である。彼らは普通切れ込みの入った傘を被っているものであるが、この小僧は和傘を被っていないため雨降小僧には見えないのである。
 河童は小僧を招き入れ、タオルを貸して食堂の椅子にかけてもらうなり訊いた。
「それってどんな傘?」
「和傘。木の骨に紙が張ってあって、蛇の目模様で柿渋の塗ってあるやつ。それに、顔を出すための切れ込みが入ってます」
「ちょっと古そうだね」
「ううん。まだ百年くらい」案外古かったものだから、河童は大きく目を見開いた。
「でも修理には何回も出してます」
「大事な傘なんだね」
「ええ」
「当日の状況を聞いていい?」
 肯いて、雨降小僧は語り出した。
「僕と師匠――というと雨師さまのことですが――の家は妖怪の町の外れ、商店街の外にあって敷地はそこそこ大きい方です。僕たちが普段使っている傘は和傘なので玄関ポーチの庇の下に吊して乾かします。師匠が屋外にいると雨が降るので師匠が出歩くときは必ず傘を持っていなくてはならず、近所のひとに天気を知らせる役目もあるのです。二人で合計で傘は二本しかありません。門は誰でも入れて、――入ってくるひとは少ないのですが、――用のあるひとは建物についているインターホンを押すようになっています。
 事件の当日、と言っても今日のことです。朝早くから来客がありました。傘化けと小雨坊とうわんです」
「朝だけでそんなに来たの?」
「はい。まず来たのは傘化けです。師匠と僕が朝ごはんを食べる前でした。傘化けは薄よごれていて、『体を洗いたいから雨を降らせてほしい』と言いました。傘にとって雨は気持ちがいいようなのです。師匠は優しくて、困っている妖怪(ひと)を見るとつい助けたくなるようで庭に出て小雨を降らせました。きれいになった傘化けは鼻歌を歌いながら帰っていきました。このときにはまだ傘はありました。
 そのあと、朝ごはんを食べました。ちなみにイングリッシュ・マフィンとハムエッグです」
 河童は「こら脱線するな」と思ったが言わないでおいた。
「師匠が食べ終えると、大きなノックとともに小雨坊がやってきました。僕は食べるのが遅いので玄関まで出たのは師匠です。たぶん、師匠が小雨を降らせたために来たのでしょう。実は、二人は小学校の同級生なのです。玄関で二人はちょっと立ち話をして、それから食堂まで入ってきました。そのときは少し雨脚は弱まっていたのですが、彼の服は雨に濡れていました。
 もうその時には僕も食べ終えていました。師匠によると彼は昨日から何も食べていないようだったので僕はご飯とお漬物とお茶を出しました。ここだけの話、小雨坊は僧侶なんですけど、長髪に不精ひげでどうもがらが悪そうなんですよね。最近山で食べ物を恵んでくれる人が全然いないようなのです。
 彼は頭を前後にゆらゆらして、『いやあ、君ありがとう。昨日の朝から何も食べていなかったんだ。助かったよ』と言ってそそくさと帰っていきました。
 小雨坊が帰るとすぐ、僕は朝からの分の洗い物にとりかかりました。その途中で師匠はもう出発すると言いました。師匠は暫く、遠くに住んでいる友達に会いに行っているのです。見送りはいらないようでしたのでその場で送りました。いつも忙しくしている師匠にとってたまの休みですから僕はいいことだと思っています。梅雨の間ですがね。
 それで、頼みたいことがあったようでテーブルの上のメモを見ておくように言われました。師匠がメモを書くときは基本長い用事が多いのです。ただ残念なことにここで内容を言えないのは僕がメモを読めなかったからです。というのも師匠には悪い癖があるからです。メモを裏返しに置くことと、やたら水溶紙を使うことです。昔、書きかけだったラブレターを妹に見られ冷やかされたのが相当ショックだったようです。洗い物を終えた僕は一息つくためコップに入れた麦茶を運んでテーブルに置こうとしたところ、手がすべって麦茶をぶちまけてしまったのです。あんまり麦茶が多かったので溶けたメモはバラバラになってしまいました。師匠は携帯を持っていないので、――長いこと出かけることが少ないからメールと留守電でこと足りるのです――用事は分からずじまいでした。
 こぼれた水をふきとって一息ついて、本を読み始めました。矢崎入道さんの「グリフォンの足跡」です。あれ面白いんですよね。ところが読んでいる途中で、またチャイムと一緒に客が来ました。ドアを少し開けたとたん向こう側の高いところからでっかい目と口が『うわん!』と叫んだのですから腰を抜かしかけて当然です。でも僕は冷静になって『うわん!』と叫び返しました。すると彼が中に入りたそうなそぶりを見せたから入れてやりました。外はもう本降りでした。上半身裸に腰布一枚のうわんにとってはひとたまりもなかったのでしょう。それで、タオルとあったかいお茶を出して雨宿りさせました。
 ドアを開けたときに傘が見えなかったのか、と思ったかもしれませんがその時は隙間と言えるくらいしか開けていなかったのでドアの死角になって見えませんでしたし非常に驚いてもいましたから見る余裕なんてありませんでした。
 来てから確か三十分くらい経った頃でしょうか、まだ雨は少し降り続いていたのに突然うわんは玄関の方へ小走りで行ってドアを開けて『うわん!』と一声吠えたきり戻ってきませんでした。
 不思議なこともあるものだ、と思ってさっきの本の続きを読みはじめました。他に洗濯などもしました。で、お昼前になってカレーを作って食べたのですが、冷蔵庫を開けたときに師匠の好物の水ようかんが切れていたのに気づいて買い物に出ました。そのときちょっとした違和感で見上げると傘がないのに気づいて愕然としました。やはり雨降小僧は傘を被っていないといけないようで、妖怪の町では少々珍奇に見られてしまいました。小豆とぎの和菓子屋でようかんを買ったついでにそこの奥さんに相談したところ川流三十郎という探偵を教えてくれたのです。そのとき一緒に町の裏口からの行き方も教えてもらいました」
 説明し終えた雨降小僧はふう、とため息をついた。朝からの出来事と長い説明でお疲れの様子。三十郎は小僧に椅子に座ってもらいはしたものの飲み物を出していなかったことに気づき、冷たいオレンジジュースを持ってきた。小僧はそれを気持ち良さそうに飲み干した。
 三十郎は話を引き継いで、「傘化けが帰った時には傘があったってことなら傘化けは犯人じゃないんだね」
「そうです」
「そして、犯行の可能性のあるひとは限られている、と」
 三十郎は束の間、頰杖をつき下を向いていたが急に向き直った。
「雨師さまが持っていったなんてことは?」
「それはないと思います。だって、師匠なら事前にそのことを言ってくれるはずです」
「メモに書いたとか?」
「それもないはずです。洗い物中に話しかけることだってできたのですから」
「書置きは雑務の連絡だったってことだね。それなら二人のどちらかが盗んだ可能性が高くなるわけだ。盗った動機……。そうだ、小雨坊とうわんがどこに住んでるか知らない?」
「小雨坊は家から二キロくらい離れた山の麓です。うわんは知りません」
「ありがとう。……考えるだけだったら進まないだろうからお家に伺ってもいいかな?」
「ええ」

 妖怪の町に昼間入るための裏口から入って、二人は商店街を歩いている。小僧の話によると、濡れていたうわんは傘を持っていなかったのだろうが、小雨坊については出入りするところを見ていないとのことである。
 さっきまで降っていた雨は、妖怪の世界に入ると突然止んでいた。パラレルワールドのようになっているので天気が違うこともあるのだ。二人は折りたたみ傘をとじて――三十郎の住む家の予備の傘である――、水滴できらきらした町を歩いた。
 家に向かう途中で事件に関する目撃情報を探そうと、猫又さんの雑貨屋に入った。実はここも商店街の中。
「いらっしゃいませ。あ、河童さん」
「こんにちは」この前に来たのはヨモギちゃんの誕生日プレゼントを買いにきた時だから一か月程経っている。ところで今日の猫又さんは白のワンピースに紺のエプロンという恰好。雨降小僧は行き場のない視線をさまよわせていた。
「そちらのお小さい方は?」訊かれて「雨降小僧です」と答えたのも三十郎。
「事件の目撃情報を探しているのですが、今よろしいですか?」お客がいることも多いが、天気が不安定なためか今日はいない模様。
「すみません、そこの鳴家(やなり)さんのレジを先にしてもいいですか?」見ると、先程は棚で隠れていたらしい鳴家が猫又さんに小さな編み籠と木のクリップを差しだしていた。彼女は小僧の腰くらいの背丈だった。
「ごめんなさい」河童は詫びた。
 鳴家がレジを済ませ帰った後、三十郎は事件のあらましを話した。
「この辺を傘を差した小雨坊かうわんが通りませんでしたか?」ここは商店街ではあるのだがアーケードがないため雨が降っていると傘を差す必要がある。
「私は見ませんでした。この店は普段からガラス戸を閉めていますし、雨が降ってもいましたから見落としもあるかもしれません。ここからもっと奥に行った……」一々書いていくと長くなるので省略するがこうして何軒かの親切な店を教えてくれて回ったものの、結局のところ成果は全くなかった。
 それもそのはず、小雨坊の家からすると見当違いの方角だし、うわんもここに来たという保証はないのある。とはいえ、少なくとも彼らが商店街に来ていないことだけはわかった。
 さて、この町は不思議なことに、町を商店街が貫いているものの一旦商店街を離れると(じき)に田畑が広がり住宅は疎らになるのである。そんな田畑に囲まれた中に雨師の家もある。
 雨師の家目指して商店街を歩いているとき、三十郎は小僧に話しかけた。
「もし、小雨坊が犯人なら師匠は共犯、少なくとも見て見ぬふりをしていたんじゃないかな? だって、雨師さまが出発したのって小雨坊が帰ってからさほど時間が経っていない頃だし、もし傘が減っていたのなら雨師さまは気づいてただろうからね」
 ふと三十郎が横を見ると小僧はいなくなっていて、代わりに五メートル程後ろにいた。花屋の方をぼーっと見ていたのだった。すぐさま三十郎は戻って手を引き、歩きだした。
 夕方、雨師の家に着いてみると丁度話のように門には扉が無くて誰でも入れる状態だった。建物は平屋で壁のペンキは煤け、蔓植物に覆われていた。
「お邪魔します」
 中は外見とは違って大分過ごしやすそうだった。
「飲み物、何がいいですか?」
「何でもいいですよ」
 飲み物の来るのを待っている間、三十郎は椅子に掛けぼんやり食堂の窓の外を眺めていた。さっきの壁の蔓植物はちょうどここの窓を覆っているようで、涼しげだった。ふと、三十郎は何かに気づいたようで窓に近づいて仔細に観察しだした。観察を終えると席に戻り考え事を始めた。
 雨降小僧はペットボトルのコーラを持ってきた。コップでちびちびと飲みながら河童が言う。
「ねえ、今朝の朝顔はきれいだった?」
「はい。小雨は降っていたのですが、鮮やかな紫色の花が本当にもう、幻想的で良かったです!」紫色と白の花、淡い赤紫色の線、雨の中に浮かんでいたのもさぞ綺麗だったろう。
「それで一つ仮説を立てたんだけどね、全部で三つある仮説を言っていくから間違ってるところを訂正してほしいんだ。一つめ、小雨坊が傘を必要として持っていった説。でもこれだとさっきも言ったように雨師さまが黙認していたことになるんだ。それに雨に濡れていたとしても、小雨とはいえ雨の日に傘を差さず三十分も歩いてきたのは雨が好きで当たりたくてたまらない変態の可能性だってあるんじゃないかと思うんだ。傘をなんらかの目的で盗むつもりでも傘を差して来ることだってできるからね。二つめ、うわんが持っていった説。これは確かに土砂降りで傘を持ってこなかったのは何なのかわからないし、考えようが無いから持って行った可能性を否定はできないね。三つめ、これはさっき思いついた少し毛色の違う説。ほとんど推測なんだけど、雨師さまが君の傘を修理に持って行った、または、同じサイズの新しい傘、それも特注のを作ってもらいに行ったという可能性。もちろん無断で大事な傘を持っていくはずはないから一度は確実に言ったはず。例えば朝食の時。君は花が好きなようだけど、窓の外の朝顔に見とれている間に雨師さまが傘を持っていくという話を切り出したなら、君が傘を盗まれたと思っても仕方ない。もしそのとき無意識に生返事して雨師さまがそれ以上確認しなかったとすれば、これだって捨てたものじゃないと思うよ」
 窓から見える蔓植物は朝顔だったらしい。
「あ、言われてみれば、師匠が何か言っていたような気がします。三つめの説が真相らしいですね!」
「あ……でも、うわんは傘がないのにどうして在宅を確認したんだろう?」
「電気がついていたからじゃないですか?」
「なるほどね。でも、あとできることと言えばただ雨師さまを待つことだけだよ」
「僕は待ちますよ。だって盗まれたんじゃない可能性がでてきたんですから」
 雨降小僧は上機嫌だったが河童は心配そうな顔をしていた。
 その日はそこで話を終えて帰った。
 一週間経って、同じような雨の日の同じような時間帯に雨降小僧が来て話したことによると三番目の仮説が正しかったそうだ。雨師が会いに行っていたという友人は傘職人をしているので遊ぶついでに修理を頼みに行っていたらしい。ところが百年も使った傘は劣化していたらしく作り直しを勧められたようで、新しい傘は二か月後に届くという。今朝帰った雨師は自分がいない間に起こったことを聞いて呆れたようで謝礼と桐箱入りの大量のようかんを持たせたらしい。ようかんは三十郎が居候先の家族と一緒に仲良く消費した。例の溶けたメモはようかんを買い足してほしいという用事が書いてあったのだとか。
 最後に、新しい傘のことを付け加えておこう。事件から二か月程経った朝、郵便受けに写真入りの葉書きが入れられていた。それは傘を被っている雨降小僧の写真だった。紺地に白の水玉が描かれている何とも奇抜な和傘だったが写っている雨降小僧の顔はとてもにこやかだった。



参考文献 鳥山石燕「鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集」(角川ソフィア文庫)

雨降小僧

雨降小僧

河童探偵3作目です。梅雨の話です。初めて公募に出した作品です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-17

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