宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第七話

まえがきに代えたこれまでのあらすじ及び登場人物紹介
 金子あづみは教師を目指す大学生。だが自宅のある東京で教育実習先を見つけられず遠く離れた木花村の中学校に行かざるを得なくなる。木花村は「女神に見初められた村」と呼ばれるのどかな山里。村人は信仰心が篤く、あづみが居候することになった天狼神社の「神使」が大いに慕われている。
 普通神使というと神道では神に仕える動物を指すのだが、ここでは日本で唯一、人間が神使の役割を務める。あづみはその使命を負う「神の娘」嬬恋真耶と出会うのだが、当初清楚で可憐な女の子だと思っていた真耶の正体を知ってびっくり仰天するのだった。

金子あづみ…本作の語り手で、はるばる東京から木花村にやってきた教育実習生。自分が今まで経験してきたさまざまな常識がひっくり返る日々に振り回されつつも楽しんでいるようす。
嬬恋真耶…あづみが居候している天狼神社に住まう、神様のお遣い=神使。一見清楚で可憐、おしゃれと料理が大好きな女の子だが、実はその身体には大きな秘密が…。なおフランス人の血が入っているので金髪碧眼。勉強は得意だが運動は大の苦手。
御代田苗…真耶の親友。スポーツが得意でボーイッシュな言動が目立つ。でも部活は家庭科部。クラスも真耶たちと同じ。
霧積優香…ニックネームは「ゆゆちゃん」。ふんわりヘアーのメガネっ娘。真耶の親友で真奈美にも親切。農園の娘。真耶と同じクラスで、部活も同じ家庭科部に所属。
嬬恋花耶…真耶の妹で小三。頭脳明晰スポーツ万能の美少女というすべてのものを天から与えられた存在だが、唯一の弱点(?)については『宗教上の理由』第四話で。
嬬恋希和子…真耶と花耶のおばにあたるが、若いので皆「希和子さん」と呼ぶ。女性でありながら宮司として天狼神社を守る。そんなわけで一見しっかり者だがドジなところも。
渡辺史菜…以前あづみの通う女子校で教育実習を行ったのが縁で、今度は教育実習の指導役としてあづみと関わることになった。真耶たちの担任および部活の顧問(家庭科部)だが実は真耶が幼い時天狼神社に滞在したことがある。担当科目は社会。サバサバした性格に見えて熱血な面もあり、自分の教え子が傷つけられることは絶対に許さない。
池田卓哉…通称タッくん。真耶のあこがれの人で、真耶曰く将来のお婿さん。家庭科部部長。
屋代杏…木花中の前生徒会長にしてリゾート会社の社長令嬢、キリッとした言動が特徴。でもそれとは裏腹に真耶を着せ替え人形として溺愛している残念な部分も。しかし性格が優しいので真耶からも皆からも一目置かれている。
(登場人物及び舞台はフィクションです)

 関東平野全体がフライパンにでもなったかのような連日連夜の猛暑。わけても池袋駅前の熱気ときたら格別で、徒歩数分の高速バス乗り場へとたどり着くまでに自分の身体がステーキにでもされるかと思った。座席に着いても顔のほてりが収まらず、到着したのが発車時刻ギリギリだったのも相まって心身ともに落ち着くまで半時近くかかったと思う。
 高速道路は田んぼや小さな丘の間を縫うように伸びていく。車窓に流れていくインターチェンジの名前を見て、ああ一ヶ月前には私もこのそばで子どもたちとカレーを作ったり川遊びをしたり雨の中山登りをしたりしたのだと感慨にふけっていた。
 真耶ちゃんはその後どうなったろう。林間学校のあの日、普段冷静な真耶ちゃんが感情を爆発させ、駄々をこね、泣きわめいた。でも周囲のフォローもあって元の明るくほがらかな真耶ちゃんに戻ったように見えた。数日後苗ちゃんからメールで近況報告があって、みんなと同じように泥んこになって遊んだことでスッキリしただろうという話だった。おそらく親友の彼女が言うのだから間違い無いだろうとは思うが。
 その後、真耶ちゃんから暑中見舞いが届いた。
「あづみさん、お元気ですか? 私はすっかり元気になりました。泥んこ運動会から林間学校の時までの間ずっと、迷惑と心配かけてごめんなさい。でもそれでも私に優しくしてくれてうれしかったです。ありがとうございます。そちらは暑い日が続くと思いますが、お身体に気をつけて教員試験がんばって下さい」
真耶ちゃんの心のなかでは色々な思いが錯綜して、辛かったろうと思う。それなのに自分のことは棚上げして私に感謝の言葉をくれ、気遣ってくれる。だから、最後に書かれた言葉にも少しでも早く応えようという気になった。
「試験が終わって、またうちに来てくれることを楽しみにしています」

 高速バスを降りると、下界とは打って変わって涼風が肌をなでる。このときの気持ちよさはいつも変わらないが東京が猛暑の最中だとなお一層ありがたみが増す。そこから乗り換えを繰り返して天狼神社へ。バス停から続く石段を登る。ほんの一ヶ月前まで見慣れた風景なのに、懐かしいと思ってしまう。それだけ印象的なここでの数ヶ月間だったのだ。
 すでに教員採用試験は一段落している。なのでこれからしばらくはまた一学期同様、こちらをベースに時々東京に戻るという生活をまたすることにした。居候が長引いては悪いとも思ったのだが、真耶ちゃんのみならず苗ちゃん、優香ちゃん、花耶ちゃん…関わった子たちから次々とラブコールがあり、その上希和子さんからも、家に人が多いのは楽しいのでむしろ来て欲しいと言われた。そうとなれば遠慮なくお世話になろうと思った次第だ。
 本殿の前でぱんぱんと手を叩く。ここでは礼をしなくていいしきたりだが、代わりに神様に話しかけるのが良いとされている。
「神様、金子あづみ、戻って参りました。またよろしくお願いします」
住居は神社の奥にある。久しぶりに帰ってきたのだから、ここはあえてこう言ってドアを開けよう。
「ただいまー!」

 …。

 誰も居ない。

 家の中はしんとしていて、人の気配がない。おかしいなぁ、大体誰かしら居ることが多いんだけど…。それにしてもドアに鍵もかけずに出かけるなんて、いくら田舎とはいえ無用心なんじゃ…。
「おっ、あづみちゃん久しぶり」
不意に後ろから声をかけられた。それは聴き慣れた声。一瞬驚いたがすぐ心を落ち着けて振り返る。
「希和子さん、お久しぶりです」
 両手両足にスパッツをはめ、軍手と長靴、麦わら帽子。右手に持った鎌が一見物騒だが、左手に持った野菜をたくさん入れたカゴを見て安心する。
「畑に出てたの。毎日バンバン熟しているから今夜ご馳走するわね」
庭の一部を家庭菜園にして野菜を育てていたのは知っていた。寒冷な気候だから私がここを去った頃には小さかった野菜たちも、豊かな実りを迎えていたのだ。
「あとお米もだいぶ育ってきてるの。あとで見てね」
神道とお米は切っても切り離せない。北海道並の寒さなので栽培は難しいのだが、寒い地域でも育つ品種を庭の一角に植え、収穫されたものの一部は神様に捧げられる。これも大事な神社の仕事なのだ。
 なるほど、希和子さんは自分ちの庭で農作業をしていただけだから、施錠の必要もなかったってわけ。でもそうなると別のことが気になる。
「あの、ところで、真耶ちゃんと、花耶ちゃんは…」
お手伝い大好きな良い子のふたり。希和子さんだけ暑い中(といっても東京に比べたら全然涼しいけど)外で仕事させることは無いはずだ。まだ外にいるのだろうか? それとも何か用事があって出かけたのか?
 でも希和子さんの返事は私が予想していなかった、でもよく考えたら納得できる、というものだった。
「ああ、二人とも学校。今日から新学期だから」
東京では小中学校の夏休みは七月下旬から八月いっぱいというのが標準。しかし雪国などでは冬休みを長くしてその分夏休みを短くするのだ。木花村も冬は結構な雪が降るらしいので、むしろそれが自然だろう。そういえば一学期の終わりも私は見届けていなかったがこれもおそらく遅めなのだろう。
「そっか、夏休みが短いこと言うの忘れてた。でも短縮授業だからすぐ帰ってくるはずよ」
それは良かったと思った。できれば早く真耶ちゃんに会いたい。それは心配とかもあるが、それよりもまず。

 謝らなければならない。

 リビングに招かれた私は麦茶と水ようかんをいただきながら希和子さんの話を聞いた。夏休みの間も色んなことがあるのだという。ついこないだは天狼神社の例大祭があったそうだが、誰もそんな呼び方はしない。村の人達は大体神降りとか、神宿しとか呼んでいて、その言葉の由来は天狼神社の神使である真耶ちゃんが、天から降りてきた神様を自らの身体に宿し、一夜を明かすためだ。いわば真耶ちゃんの身体は神様の依代というわけで、神様の器となるべく天から遣わされたとも考えられる。
 私はその神使様お手製のお守りを持っている。
「あづみさん、私がお守り作りますから、良かったら持って行ってくださいね?」
泥んこ運動会の前、真耶ちゃんが普通に元気だった頃の話だ。私はありがたくその行為に甘えることにした。
 神聖な儀式なので、威儀を正し、うやうやしく事は行われる、わけではない。私も真耶ちゃんも普段着、いつものリビングのいつものテーブルで、右手にサインペンを持った真耶ちゃんが、私の差し出した筆箱、これはしっかりした造りなので中学の時からずっと使っているものだ、それを左手で包み込むように持つと、
「あづみさんが先生になれますように、あづみさんが先生になれますように」
とお祈りを始めた。私も言われていたとおり目をつぶると、同じ事を心のなかで念じる。そして真耶ちゃんは私の筆箱を開けると、その内側に、
「目指せ教員採用試験合格
 神様、金子あづみさんをお護りください
 嬬恋真耶」
と書いてくれた。
「これで大丈夫。あとはあづみさんの努力次第ですよ。でもあづみさんならきっと実力で受かると思います」
嬉しいことを言ってくれる。さらに、
「あたしにそんな力あるかなんて、ホントはわかんないですけど、でもうちの神様はちゃんと力貸してくれると思うから…だから合格したらそれはあたしが偉いんじゃないです。あづみさんが頑張ったんです。それで頑張ってるあづみさんに神様が力をくれたんです」
謙虚で、相手を立てる。真耶ちゃんは本当に良い子だと思う。それなのに、私は真耶ちゃんの心づかいを無駄にしてしまった。

 夏の間に相次いで行われた、公立学校の教員採用試験。筆記試験についてはすべて通過したのだが、面接が良くない。別に自分ではそうしくじった自覚も無かったのだが、どこかで踏み違えているのだろう。でもそれが具体的に何なのかは分からぬままだった。
 真耶ちゃんはがっかりするだろうな。いやそれでは済まない。あたしの祈る力が足りなかったんだ、そう言って私の力不足を棚上げにして自分を責めると思う。いやそうに違いない。
「成功は他の人の手柄、失敗は自分の過失」
とばかりに。
 「…あづみちゃん? 怖い顔してるよ?」
希和子さんに言われて我に返った。自身への怒りが表に出ていたようだ。慌てて大丈夫ですと取り繕うがもう遅い。
「何か、悩み事でもあるんじゃないの? 私で良かったら聞くわよ?」
できれば希和子さんには心配掛けたくないと思っていたけどもう遅い。全部話した。

 「そう。大変よね試験って。特に面接って相手のあることだから余計そうよね。でもまだ終わったわけじゃないでしょう? 秋からは私立の試験もあるし、なんだったらフミ姉とかにアドバイスもらってもいいじゃない? あ、真耶ちゃんは心配ないわよ? 願い事が叶わないこともあるけどそれはあなたのせいじゃないっていつも言い聞かせてるから」
希和子さんはそう言ってくれるが、やはり不安は拭えない。浮かない顔をしている私に、希和子さんはこんな提案をしてくれた。
「そうそう、今度真耶ちゃん達が職場体験するから、一緒に行ってみたら? 気晴らしにもなるし、真耶ちゃんも喜ぶと思うよ」

 午後になって、花耶ちゃんが帰ってきた。相変わらず元気だ。しばらくして真耶ちゃんが帰ってきた。試験で苦戦していることを告げるとちょっとがっかりした顔になったけど、私がしょげずに頑張っていると伝えたら安心したようだった。それはそれとして職場体験に同行したいという話をしたら、真耶ちゃんは一瞬戸惑ったけど、喜んでくれた。ただ私はちょっと疑問があった。
「でも、職場体験に私が行ってどうするの? あ、何か手伝うことあるならするよ?」
希和子さんはなぜ私にそれを薦めてくれたのか。あと、真耶ちゃんは喜ぶのだろうか。
「いえ、そういうことじゃなくて、あづみさんが来てくれることが嬉しいんです」
それはむしろ私のほうが嬉しくなるセリフだ。そしてもう一つの疑問の答えもすぐに出た。
「あと行き先はテーマパークだから、あづみさんも楽しいと思うんです。実は…」

 話は夏休み前にさかのぼる。帰りのホームルームで渡辺先生が注意を促した。
「職場体験の希望、終業式までに出すように!」
中学校には職場体験というのがある。生徒が実際の企業等を訪問して見学したり、ちょっとした仕事を体験させてもらったりする。私も中学生の時行った。学校が見つけてきた体験先もあったが自分で見つけてくる子もいて、私は父の勤める町工場を選んだ。たぶん一週間くらいだったと思う。
 木花中の場合、本格的にやるのは二年生になってからなので、一年生は一日だけ。どんなものか知るためだけの、いわば体験の体験なのだ。しかし生徒の方はそう割り切ってはおらず、本気で行きたい職場を探している。元々子どもが積極的に家業の手伝いをする土地柄で、友達の家に行ってもそこの仕事を見聞きしたりときには手伝ったりすることもある。だから都会の子供に比べてはるかに「仕事」というものとの距離は近いのだ。
 真耶ちゃん、苗ちゃん、優香ちゃんの仲良し三人組も実習先選びに余念が無い。だがこのグループ、結構苦戦しているようだ。
「ここはどう? ペンションで料理作ったり部屋の掃除したり」
という優香ちゃんにすかさず苗ちゃんが突っ込む。
「それウチじゃん」
ボケてないで真面目にやろうよ、と言いながら、別の候補を挙げる。
「農業体験」
「それウチだってば」
今度は優香ちゃんが突っ込んだ。
 自分の家が何かの事業を経営していて、職場体験の実習先に立候補しているという生徒も多い。自分の家で職場体験することが禁止なわけではないが、せっかくのチャンスだから自分ん家以外でやりたいというのも人情だし、普段体験できないような仕事に触れて欲しいというのが教師側の思い。となるとこのグループの残り一人も、ボケツッコミゲームに参加できるわけだ。優香ちゃんがネタ振りをする。
「宗教法人。宗派は神道。主に境内の掃除や神様へのお祈りなど」
「…いやそれ」
と、ネタ振りされた三人目の子が突っ込もうとした時、
「それやりたーい!」
「わたしも!」
「わたしもー!」
と、一連のコントが繰り広げられていたことに気づかず「神社」という単語だけに反応した周りの子が乱入するという意外なオチになった。やはり村人の信仰を集め、神使にして学校のヒロイン(?)である真耶ちゃんがいる天狼神社のこと、人気が高い。話し合いが持たれ、決まらなければ抽選という結果になった。
 それはそれとして、相変わらず実習先を決めかけている三人組。
「つか、実習先少なくね?」
リストの行数を指さして数えながら苗ちゃんが言う。
「なんか不景気で協力できないってとこも増えてるみたい。生徒数に対して実習先が不足することはないけど、希望通りの職種が選べるとは限らないって」
真耶ちゃんが渡辺先生に聞いた話を伝える。

 「でも協力してくれる会社とかが無いわけじゃないでしょ? 自分の家と違うお仕事も結構あるんじゃ?」
真耶ちゃんの回想に思わずツッコミを入れてしまった私だったが、真耶ちゃんがそのリストを見せながら、
「そうでもないんですよ」
と。見ると、
「農場」
「農場」
「農場」
「ペンション」
「民宿」
「旅館」
「寺」
「教会」
なるほど、三人の家と似たような業種が多い。観光と農業が主産業である村では自然なことなのだろうに都会の視点で見ていたことを反省する。
 もちろんそれ以外にも選択肢はある。消防や郵便などのお役所的なところや、飲食店、小売店、工場など。でも、
「例えば農家の子は農家以外に行きたがるでしょ? でも農家の子は結構多いから、農業以外の職場は早く埋まっちゃうの。旅館とかの子もそう」
確かに観光と農業が主産業の村ではそうなってしまうだろう。そのせいで特に役所系の職場などでは十人近くの生徒がひしめくケースもあるという。そういうところは来る者を簡単に断れないからだが、かといって一人あたりの実習の質が下がるのもあまり良くない。
 ただ、そこは自主自立の精神が強い木花村の子どもたち。行きたいところがなければ自分で探せばいいとばかりに、自力で村内の事業所に「営業」をかけて実習先を決めてくる生徒も少なくない。それでいて自ら協力を申し出た実習先は一箇所もあぶれることなく生徒を受け入れているのだから、元々協力してくれている事業者がそれなりに少ないとも言えるのだが。
 というわけで。

 「こうなったら、自分たちで探すしかないね。いっこやりたいことあるんだ」
突破口を開いたのは苗ちゃんだ。
「どんな仕事? できれば子供相手がいいな」
世話好きの優香ちゃんらしい希望だが、苗ちゃんは自信を持って答える。
「大丈夫」
「人前に出るの緊張する」
控えめな性格の真耶ちゃんは恥ずかしがりでもあるようだ。でも苗ちゃんは意味が分かるような分からないような理由を答える。
「平気。人前だけど人前じゃない」
「でも平日でしょ? 子どもいないんじゃない?」
再び疑問を出す優香ちゃんと、それにうなずく真耶ちゃん。でも苗ちゃんはちっちっと指を振る。
「まだ都会の学校は夏休みじゃん?」

 「嬉しいわぁ~、真耶ちゃんたちがウチで職場体験してくれるなんて」
と目をキラキラ輝かせながら話すのは元生徒会長の屋代杏さん。三年生なので生徒会は引退したが、真耶ちゃんを溺愛しているのでしょっちゅう部室には遊びに来る。まるで家庭科部員に転向したかのように。今日も今日とて真耶ちゃんをかわいがりにきた屋代さん、そこを狙って苗ちゃんが頼みごとをしたのだ。先輩のところで実習させてください、と。
 屋代さんのところの家業は、いや家業というレベルではないかもしれない。屋代家は数軒のホテルやレジャー施設を運営する会社の経営者一族。だから彼女は社長令嬢。もちろん今回の職場体験にも社をあげて大いに協力してくれているが、苗ちゃんが狙っているお仕事はリストに入っていなかった。
「でもどうしてテーマパークはリストに入ってなかったん? みんな喜ぶだろうに」
こちらは現部長の池田くんことタッくん。三年生は部活も引退しているはずの時期だが、本人の希望で夏休みいっぱいは顔を出すつもりだという。家にいるより勉強がはかどるのだそうだ。家がお寺なのでお盆の前後は来客が多く、集中のためにそれを避けたいのもあるだろう。
「入ってるよ? でもこの子たちが希望した仕事内容は想定外だったってこと。それに場所はうちのテーマパークだけどその仕事は別の会社がやってるから」
屋代さんはそう答える。テーマパークに出入りしている会社ってことだ。でもそうだとすると苗ちゃんはイチから交渉を始めることになるだろうか、それはすごい。もっとも、
「私からも交渉のサポートはするし、弊社のスタッフがヘルプする予定だけどね」
ということだったが。

 さて、そんなわけで。
 私は真耶ちゃん、苗ちゃん、優香ちゃんを連れて、屋代さんの家の会社が経営しているテーマパークに向かった。他にも同じ場所で実習するグループがいるので私は引率役のようになってしまった。
 せっかくテーマパークに行くチャンスなんだから楽しんできなさい、それが希和子さんの伝言。
「とりあえず現地まで連れて行ってくれればいいよ。それさえ済んだらあとはあづみちゃん自由に園内歩き回っていいから。ストレス解消になると思うよ」
とも言ってくれたし。でも予想外のやるべきことが降り掛かってくるのは悪い気持ちがしない。自分が頼られている証であるから。
 「ところで、テーマパークでの職場体験って、何をやるの?」
急な事ゆえそれを確認していなかったので苗ちゃんに聞いてみた。というかゆうべ真耶ちゃんに聞いたら恥ずかしそうにしていて、結局はぐらかされた。
「ふっふーん」
と言いながら苗ちゃんは、資料をリュックから取り出した。

 パエリアファイブ。
 十年前に始まった「ふたりでパエリア」を皮切りに日曜の朝の名物となった女の子向け戦闘アニメ、パエリアシリーズの最新作。始まった頃すでに私は小学校高学年だったが、弟が好きな特撮ヒーロー番組の後にやっていたのでなんとなく知っている。今回の最新作はレッド、ブルー、グリーン、イエロー、ピンクの五人が悪と戦うというパターン。ただし女の子向けの配慮として主役はピンク。
 苗ちゃんから引き続き解説をされたのだが、それにしてもかなり詳しい。登場人物の相当細かい性格とかまで覚えている。彼女に弟や妹がいるとは聞いていないし、なんで子ども向けのアニメについてこんな長いこと語れるのだろう?
 「苗ちゃん、こういうの見るの?」
「ああ、ミィちゃんオタクだもん」
優香ちゃんがさらりと言った。ミィちゃんとは最近ついた苗ちゃんのニックネームで「苗」という字に獣偏(けものへん)を付けると「猫」になることから猫っぽいあだ名がよく付けられるのだ。それにしても優香ちゃんもハッキリものを言うなあ。ミィちゃんこと苗ちゃんは素直に肯定しちゃってるけど。
「うん。アニメとかゲームとか大好きでさ。パエリアも全部観てる。無印のときはさすがに幼かったからあとでDVD借りて観たけど」
「苗ちゃんの薦めてくれるアニメはどれも面白いの。夜中にやってるやつも録画して観てるよ。あとあれはゲームなの? 違う? 緑の髪の女の子が歌ってくれるやつ。あの子に母さんの歌とか歌ってもらってるの」
真耶ちゃんもそれなりに影響を受けているようだ。でもまぁ中一なら別にオタク属性無くてもそれなりにはアニメを観ていると思うが、それにしては出てくる用語や作品名がかなり専門的に思える。しかし私が思い抱くアニメ好きな子のイメージと程遠いところにいる苗ちゃんが実は、というのが意外だった。アニメが好きな子ってもうちょっとインドア派で運動とかあまり好きでなくてオシャレもあまり気も使わなくて…というのは偏見だろうか。いやこれは弟の友だちを観察して思ったことにすぎないのだが。女の子だと違うのかな?
 「で、このパエリアファイブは分かったんだけど、これに関係する仕事ってどういうこと? これのオモチャとか売るの?」
「ううん、あづみさん知らない? キャラショーってやつ」

 バスがテーマパーク前のバス停に到着すると、出迎えてくれた人がいた。
「おはようございます、木花中の職場体験の皆さん。これからグループごとに分かれて実習してもらいます」
って…。
「何やってるんですか、杏先輩…」
半ば呆れた顔で真耶ちゃんが言う。三年生は職場体験が無い。今日も授業のはずだが、なぜかテーマパークの入り口で出迎えをしている。
「家の仕事が忙しいからお休みして手伝ってるの。本当は学校行きたいけど人手が足りないんじゃ仕方ないじゃない?」
って、絶対嘘だと思う。家業が忙しくて手伝うためにやむなく学校を休むというなら大義名分は立っているように一見思えるが、家業というには規模が大きすぎるし、第一観光シーズンのピークは過ぎたのだから忙しいわけではないだろう。よって、
「杏先輩…真耶の着せ替えごっこが目的っしょ」
苗ちゃんの分析が正しいと思われる。

 キャラショーとは、アニメなどの登場人物を模したお面というか、フルフェイスのヘルメットのごとく頭全体にかぶるマスク(これを着ぐるみというそうだ)を着用し、そのキャラクターになりきって演技をするお芝居のこと。イメージが沸きやすいのは特撮とか戦隊ヒーローとかのショーだろうが、女の子向けのアニメでも存在し、特にパエリアショーは小さい女の子たちの人気を集めているという。
 このテーマパークでは夏休み期間中、そのパエリアファイブとがっちりコラボ。連日握手撮影会などを実施、土日にはステージも行われる。期間は八月いっぱい。東京の学校の夏休みに合わせているのだ。それが幸いして、今回職場体験に組み込まれることが可能となったというわけ。
 「では改めて。本日皆さんの職場体験にお付き合いします屋代です。よろしくお願いします」
すっかり乗り気の屋代さんが担当として付くことになった。それとは別に私たちのお世話をしてくれるのがこのショーを請け負っているイベント会社の社員さん。
「後藤と申します。今日はよろしくお願いします」
優しそうな感じの人だ。私たちが来たことで余計な仕事が増えたんじゃないかと思っていたがそうでもなく、キャストの人たちにお休みが与えられてよかったと言っていた。感謝されるのは何よりだけど、後藤さんは予定通りお仕事というわけであり、それについては感謝の他無い。
 屋代さんと後藤さんによって私たちは控え室に案内されたのだが、
「きゃっ」
思わず声を上げてしまった。
 生首。
 のごとく、可愛らしいアニメのキャラクターを模したマスクが並べてあるのだ。
「これをかぶって演技するの」
屋代さんがそのうちのひとつを手にとって解説する。そのかたわらには衣装がある。原色のキラキラした素材だ。普通に着ると恥ずかしいと思うけど、なるほど確かにさっき苗ちゃんが言った通り、このマスクをかぶってしまえば、人前に出ても誰か分からないので恥ずかしくはないかもしれない。それらに歩み寄った優香ちゃんと苗ちゃんはは興味津々でそれらを見ている。真耶ちゃんはちょっと引き気味だが。
 「はいはい、では配役発表しまーす」
キャラクターの簡単な紹介をしつつ、屋代さんがそれぞれの役に相当する衣装一式とマスクを配布し始めた。
 レッドは熱血漢。苗ちゃんが演じる。
 グリーンはスポーツ万能、というところだけ聞けばこっちが苗ちゃん向きとも思えるが、優香ちゃんが演じる。
 イエローは内気で泣き虫、外見も性格も幼い。真耶ちゃんが演じる。
 ブルーは気品高いお嬢様。ちゃっかりキャストに入り込んだ屋代さんが演じる。
 「配役は身長で決めたの。実際のキャラクター同士の身長の比率を反映させたの」
屋代さんが番組宣伝のポスターを指さしながら言う。これだけ綺麗に身長差を揃えられるのは珍しい、と得意げだ。ショーのキャストさんもアルバイトだったりするので、同じ身長の人ばかり集まるなんてこともあるんだそうだ。ちなみに一番背の低いキャラクターを真耶ちゃんが演じるわけだが、男子のほうが成長期の訪れが遅いというのを差し引いても成長が遅れているように感じる。ただ前述したとおり、幼さが強調されたイエローの役柄にはピッタリだ。

 そして、主役のピンク、なのだが。屋代さんが眉をしかめて言う。
「えっと、困ったことにですね、人数が足りません。後藤さんは握手会の司会と私たちのサポートをしてくれるので無理ですし…」
えっ? それってまずいんじゃ? さすがに主役がいないんじゃ子どもたちも不満なのでは。キャストを変更して誰かがピンク役を…。
「そういうわけにはいかないんです。作品コンセプトはあくまで五人が協力することで友情の大切さを訴えるというものだから。だから是が非でも全員揃えないと…」
…でも、役者が足りないんだったらそれは仕方ないのでは…
「いるじゃん。一人、ここに。ねぇ?」
何かを察したような苗ちゃんの一言にみんなうなずく。でもここにいるのはすでに配役の決まった四人とスタッフが確定している後藤さん。そして私。
 ということは…。

 「中の人の肌を見せないのが絶対のルールだから」
苗ちゃんはすでにチャックを上まで上げて、両目だけが見えている状態。早速衣装合わせが始まったのだが、なんと最初に着るのが肌色の全身タイツ。お笑い番組とかを連想して、なんか恥ずかしい。
 結局ピンク役は私ということになった。まぁゆうべ私が同行することになった時から決まっていたのだろう。悪く言えば、はめられたというか…。まぁそれは私の誤解だとあとで分かるのだが。
「でも助かったわ。最初三人って聞いてたから今日お休みあげたキャストの子呼び出さないといけないかと思ってたけど、そうしなくて済んだから」
安堵の表情を浮かべる後藤さん。キャストのスタッフさんは五人とも労働時間を揃える契約になっているので一人だけ呼び出すと色々面倒なんだそうだ。私が断った場合、屋代さんの会社の社員さんが着ることになるが、そうすると今度は休日出勤になるのだという。それを聞いてはなかなか断れない。
「全身タイツも色んな形があってね。目鼻口が出るように顔面部分を繰り抜いているやつ、バラエティ番組とかでよく見る形のものもあるけど、うちはこのスタイル。中にはまったく穴の開いていないタイプもあるのよ。ストッキングを頭からかぶったみたいになっちゃうけど、実はこれがいいって人もいるわね。汗かいても布が多いほうが吸ってくれるし、開口部があればあるほど高価になるのね。タイツ素材ってくり抜くとその分手間賃がかかるのよ」
すっかり慣れた言葉遣いになった後藤さんが解説を続ける。
 もちろん私も全身タイツを着る。結構恥ずかしい。Tシャツと借りたショートパンツだけになってから、両手両足をタイツに入れる。この場合も下に着るものは人それぞれで、水着だったり、中には何も着ない人もいるそうだ。背中のチャックを優香ちゃんに上げてもらう。これは頭頂部まで続いており、髪の毛が挟まらないように頭には水泳キャップをかぶっている。私も女だから足にタイツやストッキングを履くことは普通にある。ただそれが上半身となると別だし、ましてや首から上となると不思議な肌触りがする。目とそのまわり以外肌色のツンツルテン状態。なんか笑いがこぼれてしまうが、これからみんな可愛いキャラクターに変身するのだ。
 まずは白いインナー。上はスリーブレス状だが下はちょっと丈が短めのスパッツになっている。その上から各自キャラクター色のスパッツを履き、さらに上下セパレートの衣装を着る。これがアニメの中で出てくる変身後の姿に当たる。各々のカラーを基調としており、さらに胸にリボンがあしらわれるなど女の子らしい意匠が凝らされている。無論スカートだしフリル付き。腰には変身のためのツールが付いていて、スマホみたいな形をしている。子供の頃観たときは折りたたみのケータイみたいな形だったが、時代は進むものだ。一応戦闘服なので手甲(てっこう)というものを手首にはめている。足元はブーツ。チョーカーを付けて、首から下は完了。
 「さ、いよいよ面をかぶるわよ?」
マスクのことを面と言うらしい。手にしてみると結構重みを感じる。
「なんか、ドキドキするね」
優香ちゃんがそう言う。苗ちゃんはすでにやる気満々。確かにそうだ。自分が自分でなくなる瞬間。変身開始なのだ。
「顔の部分を上にしてかぶったら九十度回転させるの。乱暴にやると破けちゃうからね」
面の表はプラスチックかなんかだが(FRPという素材なんだそうだ)頭頂から後頭部はネット状の布に髪の毛が植えてある。そのネットの部分を自分の後頭部にかぶせるようにして、ゆっくり慎重に頭を入れていく。透明の衣装ケースを買ってきてすぐ開けた時と同じ匂いがした。石油製品独特のものなのだろう。
 さて、かぶってはみたが微妙にズレているらしく目の前が真っ暗。後藤さんの手が出てきて、のぞき穴と目の位置を合わせてくれたが、それでも視界がすごく狭い。歩くのも大変だ。
「うわー、ちょっとしか見えない」
「おおー。これでアクションやるんだからプロのキャストさんってすげーなー」
皆くちぐちに感想を言うが、やはりこの狭い視界が驚きのようだ。
「あの…あんまりしゃべったりしちゃいけないんじゃ…」
と、か細い声が聞こえた。小さいのぞき穴からは黄色い髪の毛しか見えないが、そこから首ごと下に動かすと(そうしないと目線の移動ができないのだ)、
「か、可愛い…」
そこにイエローがいた。いや、イエローになりきった真耶ちゃんがいた。イエローは気弱で泣き虫で甘えん坊、心身ともにまだ幼い。そのあたりの演技がうまくできていて、両手をちょこんと握って口の前にやるしぐさなどすっかりサマになっている、ように見えたが、そういうことではなかった。
「み、見ないでください、恥ずかしい…」
私の視線を感じた真耶ちゃんは両手で面、いや顔を覆うとしゃがみこんでしまった。どうやらこの格好をすることに抵抗があったらしく、恥ずかしがる様子がキャラクターの性格とシンクロしたのだ。私がゆうべ何をするのか聞いた時にちゃんと答えられなかった理由もそういうこと、自分たちが何をするのか言いたくはなかったのだ。
「今更恥ずかしがることもないのに…」
自分のことを棚に上げてそんなセリフを思わず吐いてしまった。私だって相当に恥ずかしいのだが、でも真耶ちゃんはこういうの平気な気がしていたのに。なんでも天狼神社の神宿しの儀式では真耶ちゃんは狼のぬいぐるみを着て参拝客を出迎えるのだという。それができるのだったらこれもできるのでは?
「やっぱいつもと感覚が違うんだと思うの。狼はずっと幼い頃からし慣れてる格好だからいいけど、真耶ちゃん基本恥ずかしがりだから」
屋代さんが解説してくれた。確かに控えめだし自分が表に出るタイプではないから、チヤホヤされたりするのは苦手なのかもしれない。もっとも屋代さんによればそれでいて堂々としたところもあるというのだが、私はまだその場面に遭遇していない。
 「それはそれとして…」
屋代さんの声が真面目モードになった。面の中からだからぐぐもってはいるのだけどその割に通る声だ。人前でしゃべる経験の多い生徒会長の実力だろう。
「真耶ちゃ、イエローの言うとおり。これからは必要最小限しゃべらない、これで行きましょ? 私も黙るから」
屋代さんの一言で皆、パエリアのメンバーになる覚悟ができた。素晴らしいリーダーシップ、と思ったところで、
「でもその前に。やっぱり真耶ちゃん可愛い~! 似合う~!」
ブルー事こと屋代さんがイエローこと真耶ちゃんを後ろから思い切り抱擁した。なんだかんだでいつもと変わらなかった。

 「けっして大きなテーマパークじゃないし、びっくりするようなアトラクションがあるわけじゃないけど、人と人のふれあいを大事にしたいの」
結局屋代さんは色々としゃべっている。まぁ案内役でもあるので仕方ないだろう。未来の経営者としての才覚とか風格とかがかいま見える。
 三十分ほどのお芝居形式でショーをやりたいという希望もあったが、さすがに演技をするのは素人には難しいということで今日のメインは握手会。一応二回あるが、それが終わっても随時園内を練り歩くという、最近流行っているというスタイルを採用している。
 しかしこの装束、歩くだけで一苦労だ。前を向いていると足元が見えないし足元を気にしていると前を歩いている人にぶつかる。顔全体が何まわりか大きくなっている格好なので、車で言うところの車両感覚みたいなものがつかめない。何度か壁に面をぶつけてしまい、その都度苗ちゃんに怒られた。
「女の子は顔が命だよ? あづみさんは今ピンクなんだからこの顔を大事にしなきゃ」
早くも芽生えているプロ根性に後藤さんが感心していた。
 しかしだ。ひょんなことで私が主役だなんて。緊張する。金子あづみとしての姿は分からないと理屈ではわかっていても、舞台袖の時点で会場の熱気が伝わってくると、否応なしにドキドキが高まる。
「みなさーん、こんにちわ~」
司会のお姉さんに変身した後藤さんが会場に呼びかける。
「こんにちわ~」
会場から可愛らしい挨拶が返ってくる。割れんばかりの大音声だ。それなのに。
「おやおや~? もっと元気に挨拶できるよね? もう一度、こんにちわ~」
司会のお姉さんは更にあおる。これがお約束のパターンであるらしい。子どもたちもそれに反応して、
「こぉんにぃちぃわぁ~~!!」
となお一層元気な声での挨拶が返ってくる。大きな声で挨拶できるのはいいことだが会場のテンションが倍加されるのはちょっと怖い。
「さあ、行くわよ」
屋代さんことパエリアブルーがささやくと、みんな自然と円形に集まる。そして全員の手を中央で重ねて、アニメの決め台詞をささやく。一拍遅れて私も参加する。
「パ~エ~リ~ア~、ファイト!」

 私たちが舞台に出た瞬間、会場全体がそれまでに無い大歓声に包まれた。さっきの挨拶だって相当元気だったと思うが、まだこんな底力を子どもたちが残していたなんて!
「それでは並んでくださ~い。順番はキチンと守って、押さない、走らない! 時間はたっぷりありますからね~」
子どもたちは素直にそれに従ってはいるが、秘めた熱気はただものではない。それに気圧される感じもしたが、グッとこらえる。一応年長者だ。模範を示さねば。
「あづみさん、あさっての方向見てる」
ところが私よりよっぽど冷静な優香ちゃんに小声でささやかれた。視界が狭いので、どのへんに子どもがいるのか分からない。
「ほら、ここここ。手を出せば、子どものほうから握手しに来てくれるから」
続いてお姉さんこと後藤さんがささやく。言われた通り右手を見えない体の前にそっと差し出すと、ぎゅっと柔らかい、ちっちゃい手に握られた。一瞬ひるんだが、そっと握り返す。
「ありがとー」
可愛い声でお礼を言われたので、つい返事しそうになったがすんでのところでとどまり、とっさに左手を振ってバイバイする。後藤さんにほめられた。
「うんうん、それでいいよ」
 ふと横目で、と言っても視界が無いのでほとんど気配しか感じないけど、他の子たちがちゃんとやっているかを気にする。今のところうまくやっているようだ。というか、私より慣れているんじゃ? と思うくらい。当初緊張が心配された真耶ちゃんだったが、いざ始めてみると心配は無く、次第にサマになってきていると思える。むしろ私のほうがやばいかもしれない。ドキドキはまだ収まらないし、それに結構体力的にきつい。子どもの身長に合わせてしゃがんでるから足に来るし、でも同じくらいの身長の子ばかりではないので高さを上下する必要がありまるでスクワットだ。

 「はい、それでは握手会一回目は終了とさせていただきま~す。午後から二回目もありますから楽しみに待っててくださいね~」
一回目の握手会は何とか終わった。かなりの重労働だと思っていたので正直ホッとした。
「はぁ~、疲れた~」
椅子に座り込むのが早いか、面を取るのが早いか。お姉さんの声を後ろから聞きながら控え室に引き上げると私はぐったりとなった。全身タイツの顔を覆う部分はすでに汗でぐっしょり。早く頭部だけでも解放したい。ところが。
「それと、このあとパエリアのみんなが園内を歩きまわりま~す! みんな握手したり写真撮ったり、まだ出来ますからね~? バラバラに動くので、誰と会うかはお楽しみで~す」
そんなお知らせがステージの方から聞こえた。え、ええ~? ようやく休憩できると思ったのに…。
 「ようし、じゃあちょっとお休みしたら園内に繰り出しましょう!」
お姉さんモードを解いて戻ってきた後藤さんにそう言われたが、素直にハイとは言えない。
「あ、しっかり休んでからでいいよ?」
と後藤さんは言ってくれたが、私以外の四人はすっかり乗り気だ。みんな面を被ったまま、
「ハイ!」
と元気に返事した。

 「これも毎日やってるの。やっぱり時間に制限なく子どもと向き合える方がいいでしょ?」
私たちは園内を愛嬌振りまきながら歩きまわる。手を振ったり、写真を構えられたらポーズ取ったり。ときにはメリーゴーランドとかに子どもと一緒に乗ってみたり。
 一人歩きは危険なので、サポート役の社員さんが一人ずつ付く。私には後藤さんが付いてくれる。それ以外はテーマパークのスタッフさん。いつものキャストさんではない、いわば素人である私たちのエスコートはさぞ大変だろうとも思うがそこはプロ、手慣れたものだ。でもブルーだけはいつの間にかそのサポート役のスタッフさんの一人が着ていて、ブルーの中身だった屋代さんはちゃっかりイエローのサポートに付いている。これも役得なんだろうか、事あるごとに密着している。というかキャストの代わりいるじゃないと屋代さんに文句を言ってみたが、ピンク役にふさわしい身長のスタッフがいなかったの、とあっさり返された。
 パーク内で別の仕事、切符のもぎりとかフードショップの店員さんとかを体験している生徒の子も寄ってくる。
「うわぁ、かわいい~」
中身は私だと知ってか知らずか、いつも見慣れた子たちが握手してきたり抱きついてきたり。なんだかメロメロになる。ちなみにイエローの中が真耶ちゃんだというのだけは何故かみんな気づいたらしく、真耶さま素敵~、なんてことを言いながらハグし合っている。仕草で分かるのかもしれない。
 それにしてもやっぱり主役が一番人気だ。子どもたちがどんどん寄ってくる。とにかく私は必死にさばいているという感じ。それにひきかえ、遠目に見える真耶ちゃんのスキルの高さと言ったら。女の子を抱きしめたり、だっこして持ち上げて写真に一緒に収まったり。握手会は順番なので一人あたりに取れる時間は少ないが、ここではタップリと時間をとっている。その持ち時間をフルに活用してサービスしている感じだ。さっきの恥ずかしがっていた姿はどこへやら、思い切りイエローになりきっている。
 私も必死に真似しようとするが到底ムリ。恥ずかしさは薄れてきた、というか恥ずかしがってる余裕がなかった。それでもなお、カメラや携帯でパシャパシャやられると表情がこわばる。まぁ外からは見えないけど。後藤さんのサポートがあってやっと何とかサマになっていた。

 お昼。テーマパークオリジナルのお弁当が振舞われた。しかし休憩時間はたっぷりあるのに誰も衣装を脱ごうとしない。さすがにトイレの時は全身タイツだと用が足せないのだが、必要最小限脱いですぐさま衣装を着たのか、戻ってくるとまたパエリアの格好だ。
「だって本当は着られないような服を着られたんだから脱ぐなんてもったいない」
苗ちゃんの説明は分かるような分からないような。コスプレとかも興味あるのかな。状況を楽しんでいるであろう他のみんなもうなずいている。
 私はちょっとした疑いをかけていた。実は私がピンク役であることは決まっていてそれを伏せていたのだと。だがその疑いはすぐ払拭された。希和子さんからメールが来たのだ。
「楽しんでる? パエリアのみんなとは会えた? あづみちゃんも着させてもらえばいいのに」
誰がどの役をやるかは真耶ちゃんにも話が行ってるはずだし、そうすれば私がピンクを演じることは希和子さんの耳にも入るだろう。それに人をだましたり引っ掛けたりすることは天狼神社の教義でご法度だと聞いている。なので、
「もう着てる」
とメールを返した。すると、
「ああやっぱり」
という返事。一応予想はしていたみたいだ。

 午後の練り歩きが始まった。相変わらずすごい人気だ。しかも高原とはいえそれなりに暑くなってきた。もっともこんな格好のせいで午前中の時点ですでに暑かったのだがそれはそれ。ますます汗の量が多くなる。このまま握手会となると大変だと思っていたら、遠くからゴロゴロという音が。すぐさま後藤さんが管理事務所と連絡をとる。そして園内に放送が流れた。
「雷が鳴り始めました。屋内の安全な場所に避難して下さい。また、このあと二時からのパエリアとの握手会は、場所を変更して屋内イベントスペースで行います」
雷の多い土地柄なのでその対策は抜かりがない。私たちも建物の中に緊急移動。でも空調の効いた屋内にもかかわらず熱気は伝わってくる。
 やっているうち、さすがに私の心境にも変化が出てきた。子供が喜んでくれるのがうれしいのだ。いつの間にか、自分の顔が面の中でほころんでいるのが分かった。
 「いい顔してるよ」
後藤さんが私に耳打ちする。楽しさを表に出すことが出来たのだろうか。
「優れたスーツアクターは面に表情を出すことができるの」
さっき後藤さんがそんなことを言っていた。私もその足元にだけでも近づけたなんてことがあったら、嬉しいことだ。
 もっともそんな嬉しい思いとは別に、一回目の握手会もここでやったほうが涼しくて良かったのでは、とは思うが。

 いよいよ握手会もフィナーレ。最後の子が全員と握手を終え、戻っていった。
「それでは、これを持ちまして握手会を…」
と言った時、子どもの中からこんな声が。
「ダンスは?」
「そうだ、ダンス無いよ」
「私こないだダンスしたよ?」
いつの間にかその声があちこちに伝染する。次第にそれは揃ってきて、
「ダンス! ダンス!」
という大合唱になった。
 「ど、どういうこと?」
隣にいたレッドこと苗ちゃんに小声で尋ねる。
「ああ、アニメのエンディングでキャラがダンスするの。普通はそれもステージでやるんだけど、あづみさん練習してないっしょ? だから省略したんだよ。でも子どもって結構ショーの流れとか覚えてるんだよね」
数年前からアニメの終わりの曲に合わせてキャラクターがダンスするのがパターンとなり、その有名振付師が考えたダンスをショーでもみんなで踊るようになった。そのお約束が無いからみんな騒いでいるのだという。
 そんなことを聞いている間にも会場はどんどん騒がしくなる。その雰囲気が次第に殺気立ってくる。子どもはいいんだが、問題はむしろ大人だ。同じ入場料払ってるのにサービスが足りないのはどういうことだ、ってことだろうか。外で鳴っている雷の音すらしのぐ勢いにすら思える。
 正直、恐怖すら感じる。といって私に何ができるものでもないし…。

 「!」
急に袖を引っ張られた。後藤さんだ。
「えー、失礼しました。これからダンスを始めますが、準備がまだ整っておりません。申し訳ありませんが、少々お待ち下さい。その間パエリアのみんなも一旦下がります。良い子のみんなー! 待ってて下さいね~。なお、外は雷が鳴っていますので、中でお待ち下さい~」
はーい! という子どもたちの元気よい返事を背中に聞きつつ私たちは引き上げる。さりげなく雷という単語を入れることで、天候の急変で会場が変わったせいで準備が遅れたのだという思い込みを観客にさせるあたりさすがだと思いながら。すると後藤さんが、
「脱いで!」
えっ、な、何? と抵抗する間もなく、面を脱がされ、服もはがされた。ただただパニクっていると、後藤さんが冷静に言う。
「私が出るから」
 間もなく後藤さん演じるピンクを先頭にパエリアの五人がステージ上に再集結。会場にアニメソングが響き渡り、それに合わせて五人も観客の子どもたちも踊りだす。いきなりのことで動じずに対応する後藤さんはさすがだと思うが、それよりもいつの間にダンスの練習してたのあの子たち…。
 私は呆然としつつも、彼女たちのスキルの高さに舌を巻き、そしてダンスの可愛さにいつの間にか見とれていた。いきなり身ぐるみ剥がされてバスタオル一枚になっていたことはあまり気にならなかった。

 雷雨も収まり、二度目の握手会も無事終了。お客さんは三々五々帰っていく。私たちキャストも引き上げる。ようやくホッとした心境になった気はする。
「ふぅ」
結局、テーマパークに来ていながら心底遊んではいない。でもパエリアピンクになって園内を練り歩くことで、ストレス解消という目的は達成できた。楽しかった。けど、さすがに一日やるとお腹いっぱいな気分。ただみんなは、やり足りない顔をしている。
「職場体験がもっと長ければいいのに~」
最初は恥ずかしがっていたはずの真耶ちゃんがそんな不満をこぼす。すっかりハマってしまったようだ。
「神宿しも楽しいけど、これも楽しいね」
「真耶ちゃんは子どもと相手することに慣れているんだね」
楽しいと言う言葉を連発する真耶ちゃんに対してそんな感想を言ってみた。すると、
「それだけじゃないわよ。真耶ちゃんが輝いている理由は」
屋代さんが言う。
「真耶ちゃんには、優しさがあるの。子どもへの優しさ、それが演じる上でプラスに作用している、と言えばいいのかな」
中三とは思えないほどのしっかりした論理立てで話す。それを聞いていた後藤さんが、
「その通りだと思う。優しさとあと、楽しむ気持ち。それが着ぐるみで演じることにはすごく大事。それさえあれば技術は後からついてくるわ」

 「それにしても、物足りないなぁ~」
苗ちゃんはまだそんなことを言っているが、すでに全員普段着に着替えている。
「ところで、九月になったらこれって終わるんですか?」
私はふと聞いてみた。月が替われば東京でも新学期が始まる。要は夏が終わるのだ。そう思うと不意に寂しくなった。夏休みの終わりとイベントの終わりが相まって。苗ちゃん達も心なしか寂しそう、そして不完全燃焼に見えて。中学生のアルバイトを奨励するわけではないが、また機会があったらみんなでステージに上るのも悪くないと思ったのだ。今度は私もちゃんとダンスを覚えて。
「うん。今週で終わり。幸い今年は暦が良くて九月の頭が土日なぶん二日だけ余計にできるけど、そのあとはしばらくお休み。次は秋の連休あたりかな」
そうなると休みの日だけの勝負になるので、子どもに体験させるどころではなくなる。それにこのテーマパークもパエリアのイベントだけやっているわけにはいかないし、イベント会社とて他の会社との取引もある。
 一同、寂しい顔になったのが分かったのだろう。後藤さんも同じ顔をした。だが、そのあと彼女から告げられた提案に一同びっくり仰天した。
「だから、パエリアの衣装一式はしばらく使わないの。その間貸してあげる。今日頑張ってくれたお礼」

 「やったぁーーーっ!」

 一瞬の沈黙の後、私を除く全員が狂喜乱舞した。
「公の場所ではダメだけど、クラスとかでやるのはオッケー。学校のみんなにも観て欲しいでしょ?」
後藤さんのアドバイスに再度皆が歓声を上げる。確かに、クラスの他のみんなとかにも観て欲しいというのが苗ちゃんたちの本音だろう。
「ね、ね、どうしよう、どうしよう。ああもう、早くみんなの前で踊りたいよぉ」
真耶ちゃんが懇願するように言う。聞けばここでの職場体験が決まってから連日ダンスの練習をしたんだとかで、その披露の機会が一回では物足りなくもなるだろう。
 「良かったね、みんな。またパエリアできるよ」
私は率直な気持ちを言った。だが、
「あづみさん、他人事みたく言ってるけど、ピンクは相変わらず空席だからね?」
優香ちゃんの冷静なツッコミで我に返る。確かにさっきは「機会があれば」なんて思ってたけどそれが現実になると話は別。苦笑いを浮かべていると苗ちゃんがアニメのセリフで追い打ちをかける。
「五人で一つ、パエリアファイブだよ。分かってる?」
「観念しないとダメね」
と言う屋代さんに続いて、
「大丈夫、時間はあるから練習すればできるわよ」
と、後藤さん。
「というわけで、あづみさん、一緒に頑張りましょうね」
真耶ちゃんの言葉がとどめを刺した。私はしばらく、ダンスの練習に精を出すことになりそうだ。

宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第七話

 というわけで、ついに真耶達に着ぐるみを着せてしまいました。かなり早期から構想には入っていた話です。もっとも真耶は狼の着ぐるみは毎年夏には着ているわけですけどね。
 キャラクターショーは時々観に行きます。買い物のついでに珍しいもの見つけたみたいな体で行けば案外恥ずかしくないものです。もちろん子供を押しのけて前に、とかはやりませんよ。スタッフさんの内幕も知る機会があったのでそのときの記憶も頼りにはしていますが、なにぶん昔のことですのであとは想像で書いています。その点はご承知願います。
 しかし最近はレベルアップが著しいというか、演ずる人はアクションもダンスも出来なきゃいけないのですから大変ですね。しかもヒロイン物も大人数化しているので「アクションとダンスが出来るキャストを五人」というオーダーを常にこなさなければならないのだから人集めも大変だと思います。まぁあれっておそらく、必ずしも外身と中身の性別は一致しているとは限らなくて…いえ何でもありません。

宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第七話

村のはずれの神社に住まう嬬恋真耶は一見清楚で可憐な美少女。しかし居候の金子あづみは彼女の正体を知ってビックリ! 職場体験が始まったが真耶たちは行き先を決められずにいた。でもその選択過程で苗の意外?な趣味が発覚。久々に木花村にやってきたあづみも巻き込んで、(大方のメンツには)夢の様な一日が始まる。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-09-04

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