クロース・ボーダー
初めましてor二度目まして!月村鏡でございます。クリスマスに向けてクリスマスらしい小説を書かせて頂きましたので掲載させて頂きます。
タイトルは『クロース・ボーダー』意味はあとがきに書きますがただの言葉遊びでそこまで拘っていません(プロット及びテキストエディタで書いている際には『ネバーモア』にしていました)('Д')
初めに、私の星空文庫では処女作『あの頃には帰さない』を閲覧して頂いた方々に深くお詫び申し上げると共に、貴重なお時間を私の作品に費やして頂き誠に有難うございました。裏話ですが、『あの頃には帰さない』のPV数が想像を遥かに超えており、私自身嬉しさが込み上げております。いやー、掲載して良かった!(笑)
未だ読んでいない方は是非長いですが一読して頂けると幸いです('ω')ノ一読の価値はあると思っています。と言うか価値が無いと思われるのが怖くて雑学多めに入れました(笑)
さて、枕はこの辺にして本作の話をしましょう。『クロース・ボーダー』の粗筋は概要に記載するので割愛させて頂きますが、有体に言えば若きサンタクロースが友達欲しさに無理しちゃう話です(*‘ω‘ *)良くも悪くも私らしいコアな内容になったと思います。
今回プロローグのみ上げさせて頂いたのは、本作が三万文字(文庫70頁)程度の短篇になる事。プロローグがお洒落に決まった事、まだラストが書けていない事等が挙げられます(´-ω-`)鋭意製作中ですのでご勘弁を……
因みに全編投稿されるのはクリスマス(出来ればイブ)の予定です。
と言う訳で、それ迄の繋ぎとして『クロース・ボーダー』執筆の際に意識した二つの出来事で締めたいと思います。
第一に宗教(*‘ω‘ *)本作プロット段階では童話チックな話にする予定でした(メーテルリンクのような)。ただ書き始めると不思議なもので、主人公のコパンがクリスチャンだと整合性が取れたのでそうしました。因みにその所為で書くの遅れました……新約聖書と解説サイト、本、動画で敬虔な信者並みの知識は付けたのでその辺はクリスチャンの方もノンクリスチャンも安心して下さい。また、前作同様に神道の要素も含まれております。(前作からの読者サービスに前作からの逆輸入も……!?)本当は神道メインでも良いのですが見た目的に違和感ありますよねサンタが神道は……仏教も然り。と言うか仏教はイスラム教より知らない……
※勿論クリスマスとクリスチャンが元は無関係な事、イエス・キリストの誕生日≠クリスマスな事は理解して書いております。
第二に奇蹟(*‘ω‘ *)クリスマスらしい奇蹟をプロローグでもちらつかせましたが、魔法についての設定はかなり掘り下げて書いたので期待してくれると幸いです。奇蹟が想いの力、プレゼント、命、信仰へと繋がります。我ながら当初の童話という予定は何だったのかと思っています(´-ω-`)
想いの力、存在を賭けた奇蹟の魔法がサンタクロースに、ひいてはコパンにどのような結果をもたらすのか。乞うご期待('Д')
余談ですけど同人の小説の良さって百パーセントを出せる点にあると思います。出版にこぎつける気が無ければ売れ線を気にせず、読者のレベルに合わせる事無く、自分の書きたい事を自分の書きたいように書く。誰がどう思うかじゃなくて自分がどうしたいか。
それを踏まえて拙著を読んで下さるとより嬉しく思います。私は常に全力で書いているので内容がハードです、すみません(笑)
※私の作品を読んだ上での質問や感想、要望、僕私も小説書いたので読んでください!或いはただ絡みたい等々は、全てTwitterに寄せて頂けると幸いです。@tukimurakagami をフォローし、適当にリプくれればフォロバしやすいのでお願いします。
最後まで読んで頂き、改めて感謝申し上げます。読者の皆様にも奇蹟が舞いおりますように。アーメン。
Prologue
スノウウィー。雪積もりを意味する北欧の街に普通の人間は居ない。この常冬の地は、特別であるが故に普通を求めるサンタクロースのコパンが拠点にするには最適な土地だ。
サンタクロースにはクリスマス以外の予定が無い。三百六十五日分の一日に、特別の力である魔法を行使して子供の眠る間に人知れずプレゼントを贈る事を業とする。クリスマスの日は大人の眼にサンタクロースが映る事は無く、クリスマスが過ぎれば子供の記憶からも雲散霧消してしまう。サンタクロースは奇蹟の体現者で、それ故クリスマス以外はその殆どを冬眠して過ごしていた。此処に居れば寒さに慣れてクリスマスに冬の寒さに凍える事も無い。此処より寒い地に人は居ないのだから。
だが、スノウウィーの中で最も若いコパンはその例に漏れた。彼は実際はサンタクロースが冬眠を必要とせず、ただ怠惰の赴くままに惰眠を貪っている事を知っている。若造だと揶揄されようが、半人前だと後ろ指を指されようが、毎日欠かさず子供達の幸せを祈る自分こそが、立派なサンタクロースであると自負していた。
スノウウィーで暮らしていると間も無く、時間と四季の感覚が麻痺してくる。辺りは山々に囲まれているが、それも視認できない程の豪雪によって毎日毎日周りの世界は変わらない。
普遍とは神であり、変化とは人間である。永遠とも言える常冬は元を辿れば人間のサンタクロースの身に余り、徐に思考を止め、そして逃げるように眠る。唯一人コパンを除いては。
サンタクロースには年に一度、十二月一日に何処からともなく指令が告げられる。それを合図に彼等は各国を飛び回り、子供達の願いを叶える準備をする。それ以外の一月から十一月はまるで価値が無い。唯一人コパンを除いては。
コパンはハンガーにかかったコートを引っ張り、戸締りをして吹雪の降り注ぐ山道を歩き出した。靴が雪を踏む音も直ぐに荒れ狂う雪の喚き声によって掻き消える。慣れていても本来人の住む地では無いスノウウィーの雪は確実にコパンの命の灯を冷まし、存在を食い潰していく。途中幾度か帰りたくなって後方を振り返るも、堪えて立ち止まらず直向きに歩を進めた。
今年で二十三になるコパンがこうして家の外を出歩くようになったのは三年前の事だ。二十歳になればサンタクロースは奇蹟の力を与えられ、子供たちにプレゼントを配る。コパンが初めてスノウウィーから出て目にした光景は、彼に感動と好奇心、及び絶望を味合わせた。自分が腫物だと思い知らされるも、自分の感動を糧にプレゼントを配る。これがコパンの仕事であり全てとなった。
身体が完全に冷たくなる前に何とか山道を乗り越えた。冬眠している年寄りのサンタクロースが生活している集落が見える。凍えるように寒かったコパンの心も、近くに同族を感じるだけで多少暖かくなってきた。
コパンのような若者と年寄りのサンタクロースは、距離を取って生活するのがスノウウィーでの掟だ。若者の感情の機微は年寄りに触れる事で大きく揺れ動く。逆も然り。コパンは立派なサンタクロースになる為に、その教えを信じてきた。だが、それも今日で終わるのかも知れない。長老達の言次第では。
chapter1 サンタクロースの集落
「冬眠中の所すみません、コパンです」
コパンは近くの家から総当たりを仕掛けた。眠っていても聞こえるように大きな声を出し、扉を叩く。叩いた衝撃で、積もっていた雪が振動に合わせて落ちる。寒さで声と手が震えるが、そうしなければいずれ震える事も許されなくなる。
同じ動作を繰り返して四軒目に変化が起きる。コパンの意識は朦朧としていたが、どんよりといかにも気怠そうな声が返ってくるのが聞こえた。声を耳にして瞬時に我に返る。ゆっくりと扉が開いた。
「入れ」
白い立派な髭を蓄えた皺くちゃのサンタクロースは、それだけ言うと部屋の中へ戻っていく。久し振りに見るデジールは随分老け込んで見えた。コパンは室内の熱に逸る気持ちを抑えながらも礼をして家主に追従した。
スノウウィーは寒い時には氷点下四十度程になる。その為か室内はとても暖かくしており、冷え切ったコパンの四肢には此処が天国かと錯覚させられた。暖炉に揺り椅子、ベッドそして壁の全てが茶色一色で飾り気は無い。この十畳がデジールの世界だった。何とも味気無く、華やかな舞台の裏側のようだ。
「身体を暖めたら出ていけ」
デジールはコパンの方を見ずにそう言うと、先程まで使用していたであろうベッドに再び潜り込んだ。基本的にサンタクロースは誰とも干渉しない。特別であるが故に普通の関係を憎悪すると言う、コパンとは正反対の思考の者も少なくない。コパンも覚悟はしていたが、飴を味わう間も無く鞭を打たれ呆気にとられた。
「待って下さい。一つだけ、僕の聞きたい事は一つだけです」
室内にはデジールの寝息と薪の燃える音だけが虚しく広がった。皆の希望のサンタクロースも、クリスマスの魔法が無ければ普通の人間以下か。コパンはそう感じた。コパンは膝をつき、神に祈るように歌い始める。
「噂を聞きました。僕達の奇蹟の力を長老様がこう仰っ《おっしゃ 》ていました。神が我々を介し、人間に幸せを配る為にプレゼントの魔法を与えられたのだと。
だがそれは違う。こ後からは悪魔との契約の産物で、無条件の奇蹟では無い。との噂です」
デジールがピクリと不自然に動いたのをコパンは見逃さなかった。デジールは依然寝たふりを続ける。この噂が真実なのか否かは、デジールの反応が暗に示していた。
「暖を取らせていただき、ありがとうございました。失礼致します」
身体の芯まで熱を行き渡らせた筈だったが、身体の奥は山を越えた時よりも凍り付いていた。
デジールの家を後にすると、コパンは長老の家を探し始めた。この集落で一番立派な建物に当たりを付けて歩き回る。吹雪のせいで思った以上に外装の判別は付かないが、数百メートル程歩を進めると長老の家は見つかった。
家と言うよりはお屋敷に近いだろうか。遥かに規模の違うお屋敷に目が付かなかったなんて、デジールの家で暖を取れなかったらどうなっていただろうか想像に難くない。自分をお救い下さった神に感謝の意を込めて、熱心に祈りを捧げた。
「アーメン」
神に拾って頂いた命を棄てないためにも、早足で長老のお屋敷の扉を叩く。屋敷内が若干騒がしくなったのを耳にして、コパンから自然と安堵の息が漏れる。デジールの家とは異なる、扉が開かれると年季の入った低く鈍い音が鳴り響いた。
「コパンか。此処はお前の来て良い場所では無い」
怪訝な顔をしたスノウウィーの長老パトロナが、首から上だけを扉の外に出した。
「まあ良い。お前のせいで暖炉の火が消えたら敵わん。入れ」
デジールと同じ言葉でコパンに入室を促す。高慢な老人にぶつけどころのない怒りを覚えるも、促されたままお屋敷に足を踏み入れた。
外装同様屋敷内はデジールのそれと較べれば月とすっぽん、レンガの家と藁の家程の差があった。入り口から入って直ぐ右手の部屋へと追従する。内装から察するにサロンのようだ。
ソファーに座る事をデジール以上に立派な髭を蓄えた顎で指示され、背筋を伸ばしてコパンは座る。パトロナは紅茶を淹れ始めた。コパンはデジールの家の時よりかは歓迎されていた。ソーサー付きの見るからに高価なカップがコパンの前に置かれる。パトロナはカップを持ってコパンの向かい側へと腰を下ろした。
紅茶のすっきりとした香りが湯気を通して鼻にぶつかる。鼻に薄く積もった雪が溶けていった。逸る気持ちを抑えながら、パトロナが紅茶に口を付けたのを確認してコパンも口にする。すると途端に一気に眠気が醒めたように五感が機能を再開した。
パトロナは飽き飽きしたように紅茶を口にしていたが、コパンにとって砂糖の入っていないストレートティーをこんなに美味しく感じたのは初めてだった。
「実は長老にお聞きしたい事があってお屋敷まで赴きました。掟に背いた事はお詫びします」
集落に入る事を若者のコパンは許されていない。お詫びを枕に、デジールに質問した内容そのままをパトロナにもぶつける。要所でパトロナの鋭い眼光が向けられて言葉に詰まりながらも、何とかコパンは悪魔との契約の噂を話した。
明らかに反応は芳しくない。話し切ったコパンが紅茶に手を付けると、既に少し冷め始めていた。紅茶から口を話すと同時に、パトロナは重い口を開き始める。
「その噂を誰から聞いた?」
「僕は、これが悪魔の力だと言うのならサンタクロースとしてやっていけません」
「その噂を、誰から聞いたかと聞いている」
パトロナはぶれなかった。コパンには彼の眼光こそ悪魔のように思えた。目を合わせていられずに、咄嗟に目線をカップへと落とす。
「……悪魔から、そう聞きました。僕達の奇蹟、プレゼントの魔法は悪魔との契約の恩恵だと、悪魔は僕に囁きました」
「ミイラ取りがミイラに、か。儂よりも悪魔の声に耳を傾けるとは」
コパンが委縮するたびにパトロナは追い詰めるように饒舌に問い詰めた。悪魔は人に干渉できないからこそ、人を誘惑し悪へと進ませるのだと。神の言にこそ耳を傾けよと。しかし、サンタクロースの力が悪魔との契約では無いと否定する事は終ぞ無かった。
判然としないコパンには確信があった。悪魔の力がサンタクロースに漏れ出すからこそ悪魔の囁きが聞こえたのだと。パトロナがコパンから目を背けていたために考えたく無いにしろ、そう考えざるを得なかった。
「さて、そろそろ戻らないと暗くなる。夜のスノウウィーがどれだけ恐ろしいか、お前にも理解しているだろう」
昼のスノウウィーですらサンタクロースで無ければ命がいくらあっても足りない環境だ。増してや夜のスノウウィーは一筋の光も無い闇の世界に染まる。悪魔よりも恐ろしい山道が立ちはだかる事になる。それでもコパンは動かなかった。
腰を下ろし、ソファーと床に身体を接着させ、パトロナから目を背けない。心の中まで見透かすような愚直さ、若さこそがコパンの世界を支える。
「まったく。お前のような未熟者のサンタクロースはこれだから……」
パトロナは大仰な溜息を吐き、徐に髭を撫で始める。顔よりも長くなった髭がコパンには氷柱のように見えた。
「日本」
観念したようにパトロナの口から独り言のようなつぶやきが漏れる。
「長老?」
「極東の島国。日本、ジャパン。小さな国だ。だが国民が、更には大勢の神々が護る豊かな幸に溢れる良い国だ」
「その日本と言う国と、悪魔に何の因果があるのでしょうか?」
「焦るな。急いては事を仕損じる、と言う日本の諺もある。日本の子供や、神に触れてみよ。そこにお前の望む真理の一端が有るやも知れぬ。
儂から言えるのはそれだけだ。お前が希望するなら、今年のルートに日本を入れておいてやろう」
話し切ったパトロナは背もたれに身体を預け首を曲げた。シーズンオフのサンタクロースには長時間の対話すら深刻な事態になりかねない。コパンはもうこれ以上パトロナに質問するのを止めにし、時間を割いてもらった感謝と日本へ行きたい旨だけを告げてコートを着直した。身体だけでなくコートにも、お屋敷の暖炉から燃える炎の熱を帯びていてほんのり暖かい。
彼がお屋敷を後にする間、パトロナは一度もその顔を上げようとはせず、ピクリとも動かなかった。
chapter2 帰宅
帰宅路を着実に進みながらパトロナの言を頭の中で反芻する。日本、とりわけ大勢の神々と言う言葉を忘れないようにした。コパンの信ずる神は唯一神である。敬虔なキリスト教信徒である彼からすれば日本の神の概念は俄かに信じ難い。
「神は真実である。その神は、あなたがたが耐え得ないような仕方で試練に会うようにはせず、むしろあなたがたが耐える事ができるために、試練とともに出口を作って下さるであろう」
サンタクロースとして子供たちを幸せにする。その中で生まれる感謝が悪魔への礼拝へと繋がってしまいかねない、そんなジレンマへの出口が日本に見えた気がした。
コパンは東洋の国に訪れた事は無かった。一般的にサンタクロースのルートは拠点からの距離や信仰、治安を考慮して総合的に判断される。東洋には危険な国が多く、コパンは専らスノウウィーから近い北欧のキリスト教諸国へ赴いていた。サンタクロースの存在意義とは言え、住居侵入で子供に発砲でもされたら無事ではいられない。
マイナスな思考とマイナスな気温に身も心も氷漬けになってくる。吹雪で前が見え無いとは言え一度通った道は感覚で憶えており、行きよりも楽に山を越える事が出来た。驚異的な土地勘もサンタクロースの適性の一つかも知れない。吐いた息は直ぐに凍り五感の殆どが麻痺しているが、呼吸は問題なく行える。風の音と、雪を踏む足音が聞こえては消えていった。
意識もはっきりしたまま、集落への小旅行を終えてコパンは我が家の前へと立つ。集落で見たパトロナのお屋敷を想像するとうんざりし、デジールの家と較べても貧相な家だ。鍵を開けて建付けの悪い扉を半ば無理矢理にこじ開ける。
雪を払う間も惜しく薪に火をつける。豪雪から身を護れるとは言え、無機質な室内にコパンの心も冷えた。全身に纏わされた雪のコートを払っていると次第に部屋も熱を帯びてくる。
コートをハンガーにかけ、ガス栓を開けて湯を沸かす。その間に書棚から日本についての書物を引っ張り出す。コパンは普段本を読まないので、本も埃が被り薄汚れている。サンタクロースになれば長老であるパトロナから世界の書物を与えられるのがスノウウィーの制度にある。最近はプレゼントのルートに居る子供達や、その国についての情報が閲覧できるタブレット端末も支給されているのだが、十二月以外には使用が出来ない。冬眠しないコパンにとっては不便極まりなかった。
コパンはものの数年で古ぼけた日本についての本を開く。目次から神についての記述を探して乱暴にページを捲り、音読し始める。
「なになに?”日本は八百万の神が存在している神の国の国である”」
日本は所謂汎神論的世界観を持っていた。唯一神の概念すら無い。パトロナの言と一致した。更に読み進めると、その奇怪な世界観に玉石混淆の集まりを見た。
最後まで読み終える前にコパンは本を閉じる。日本は悪魔の理解に必須な宗教とはかけ離れた国だった。悪魔の記述は唯の一つも無く、契約に関しても売買契約程度の記述しか無い。
日本は悪魔から目を背けていた。確かにコパンもサンタクロースの力の源泉から目を背ければ、人生を全うする事は出来るだろう。だが背ければもうそれはコパンでは無いのだ。何事にも真っ直ぐな視線を逸らさないのがコパンだ。パトロナは、サンタクロースの組織に埋もれろと暗に示したのだろうかと思案する。
きっとその方が楽だ。先程の日本について記述された本に視線を向ける。日本の社会の多くがサンタクロース社会に酷似していた。群れを成し、忠誠を誓い個を棄てる。臭い物に蓋をして生きていく。そんな日本に真理はあるのだろうか。
沸騰を示す甲高い音でコパンの思考は中断された。湯を沸かしていた事を思い出して止めに行く。もう辺りは暗くなっていた。もしお屋敷を後にするのが遅れていたらと考えるとぞっとする。夜に現れるサンタクロースも、スノウウィーでは夜に怯える憐れな仔羊でしかなかった。
chapter3 旅立ちへ
集落を訪れた日からコパンは、諦めずに我が身に宿る力の源泉を辿った。スノウウィーには時計や暦を知る物は無いが、山の積雪量から既に冬に差し掛かりかけているのだろう。山は越えるどころか、麓にすら近付けなくなっていた。悪魔からの声は聞こえないし、そもそも耳を傾ける事は罪だ。同族であるサンタクロースも信じられない。頼れるのはコパン自身と、スノウウィーという小さな鳥籠の中だけだった。コパンは常に孤独であり、周りにコパンのような若いサンタクロースは居ない。
趣向品として紅茶や珈琲は嗜むが、サンタクロースは飲食を必要としなかった。恐らく神に近い存在なのだろう。悪魔に近いのかも知れないが。人間に触れてみて、サンタクロースが唯の人間とは全く違う事を思い知らされた。コパンも人間のように支え合って生きていきたかった。
普通になりたかった。サンタクロースは特別で、プレゼントの魔法を羨む人間は多く居る。だがそれは人間の尺度だ。サンタクロースのコパンからすれば、不完全な人間らしく、毎日誰かと触れ合いながら生きていきたい。そんな当たり前の普通が欲しいだけだった。
正午、突如部屋の奥からけたましい電子音が鳴り響く。一年に一度、仕事の時間が訪れた。準備しておいたタブレット端末の電源が入り、一件のメールが受信される。宛先は不明、件名は無し。毎年十二月一日正午に一斉送信される仕事場への案内メールが届いた。コパンの持ち場は極東の島国日本のみ。去年は三ヵ国を回った為思わず拍子抜けした。強張った表情にもいくらか微笑みが混ざる。
神が出口を作って導いて下さっているとコパンは確信した。父なる神から悪魔との契約、サンタクロースの力について知る絶好の機会を頂いたのだ。
「日本人は、どんな人達なのかな」
コパンの口から不意に独り言が漏れる。有体に言えば悪魔の力か否かは重大であるにせよ、知った所でなるようにしかならない。集落から戻ってコパンはそう考えるようになった。
差し当って彼の重大事項とは、繋がりだった。特別の力故に普通になれないジレンマ。率直に、友達が欲しかった。
年代も文化も思想も違う。それなのに共に喜怒哀楽を共有できる存在をコパンは渇望した。その為なら彼は敬虔な信徒であるにも拘らず、悪魔に魂を売る行為も辞さない姿勢でいた。
”友達”と言う響きにコパンは破顔する。期待を胸に急いで準備に取り掛かる。事前にいつでも動けるように準備はしてあった。サンタクロースの衣装と、クリスマス以外に着る私服を詰めた大きな鞄。サンタクロースの袋になら幾らでも物が詰められるが、ただの鞄は着替えだけではちきれそうになってしまった。タブレットをサイドポケットに入れて持ち上げるも、重たくて足腰に響く。この感覚も丁度一年ぶりだ。
多少ふらつきながらも家を出て戸締りをし、用意されているトナカイに荷物を積める。当日にならないと気分も乗らないトナカイ達もコパンの荷物が重そうだ。多少頼りないが、新米サンタクロースの日本旅行は危なげ無く始まった。
chapter4 平和の国
日本は思ったよりも近かった。日が暮れる前に上陸し、その暖かさに安堵の息が漏れる。吐息はほんのり白くなるが心地良かった。此処まで運んでくれたトナカイに感謝と一時の別れを告げる。
人気の無い場所から陸続きに繁華街へと駆り出す。街は既にクリスマスムードに溢れていた。色とりどりの電飾がお店だけで無く木々や道路にも施されており、コパンの見てきたどの国よりも人々が幸せそうに見えた。平和な国、それが日本に対する第一印象となった。
観光も程々に、コパンは早速子供達へのプレゼントの用意を始める。タブレット端末を開き、サンタ協会が用意している最寄りの家へと入り込む。サンタ協会は仮の住処を用意する手厚さで、外側からサンタクロースの仕事をフォローするのが務めだ。日本用に着こんだ少し薄手のコートを手近のハンガーに掛けながら、尚もタブレット端末を操作する。サンタ協会の最大の支援は、子供達が靴下の中に入れた手紙に記述された欲しいものをリストアップする点にある。気の早い子供達は既に手紙を書き終えていた。殆どのサンタがリストに沿ってプレゼントの魔法を機械的に発動させるが、コパンは人間的な手法を取る。リストをタップする事でサンタクロースへの手紙の内容を閲覧する機能がある。この誰も使わない機能を用いて、コパンはひたすらスクロールとタップを続けた。
「さんたちんともだちがほしいです」
最初に見つけた願いをタップして内容を読み上げると、コパンの顔に微笑みと悲しみが浮かんだ。これを書いたのは四歳か五歳くらいだろうか。ミミズが躍るような拙い十五文字は、誤字もあって決して読みやすいものではない。だがその十五文字に、コパンは水鏡のように自分を写していた。幾度もその十五文字を読んでいると自然と涙が流れたが、コパンはそれにも気付かず夢中で読んだ。
この子のような物的な願いではない無形の願いは、善良なサンタクロースを世界中で常に悩ませ続けている。ぬいぐるみや対話ロボットをプレゼントしてみたり、一人用の玩具やゲームをプレゼントするのが妥当だが、もし願いにそぐわなかったらと心を痛ませるサンタクロースも少ないが存在する。コパンがその代表だ。
「僕が君の友達になるよ」
コパンの純朴な想いを声にすると、それは虚しく室内を響き渡った。一年に一度、しかもクリスマス一日しか憶えてもらえないサンタクロースが友達になったところで虚しいだけだ。心の動揺とリンクして、コパンは所在無げに室内を歩き回る。スノウウィーの実家に比べると、この部屋はとても広々としていてコパン一人の手には余る。日本は暖かい国だが、コパンの心はスノウウィーに居た頃と変わらず寒々としていた。
その後も休憩を挟みながらリストの中で気になる願いをタップした。日本ではゲームが流行っているようで、子供達の願いも最新のゲーム機や携帯端末が大部分を占めている。最新家電や鉄道模型と言ったマニアックな物もあるが、先程の子のような無形な願いが少ない点からも日本の豊かさが見て取れた。途上国に赴くとなると、この願いの比率は逆転する。未だに古代のような生活を強いられている人々の願いは、健康に準ずるものが非常に多かった。水や灯りに仕事、母の病気を治す為の薬と書いてある手紙も決して少なくはなかった。
もしその子供達が日本の文明を見たら、サンタクロースや異星人並みに特別なものだと思うのだろう。コパンの望む皆が友達で居られるような世界は、特別な彼の力を持ってしても現実では有り得ない夢物語でしかなかった。
ふと目が醒めて、自分が眠ってしまった事に気付く。コパンは気怠そうに眠気眼を擦る。脳がぼんやりと目醒め、思い出したようにタブレット端末で時刻を見た。
朝八時三十分。サンタクロースは普段時刻を見る事が出来ないので、その時刻が起床時間として早いのか遅いのかはコパンには良く分からない。
老人のような動作で顔を洗って歯を磨く。近いと言えどスノウウィーからの来日はコパンの体力を、友達を欲した子供の手紙はコパンの精神を確実に蝕んでいた。
chapter5 神社
外に出ると、陽の光が空を照らしていた。コパンは昨日の繁華街へと戻る。朝と夜の違いを見たくなったのだ。ぼんやりとした脳も陽の光と心地良い冬風のお陰ですっきりとしてくる。何て過ごしやすい国だろう。コパンはすっかり日本を気に入ってしまった。
繁華街は夜と全く異なる表情をしていた。人通りが多いのは依然変わらないが、お洒落な恰好の若者メインの夜に比べて朝はスーツを着た男性と、落ち着いた服装の女性の姿が多く見られた。とても真面目な国なのだろう、皆焦るようにテキパキと歩を進めている。その横顔には、近い将来への苛立ちと遠い未来への不安が見え、彼等に笑顔や幸せは殆ど無かった。
まるで戦場に赴く兵士だ。日本の社会人は何と戦っているのだろう。こんなにも陽の光が心地良く、空が綺麗だというのに。
コパンは自然と出勤中の人々から距離を取って歩き出した。逃げるように人込みを避けていると、大きな赤が視界に入り込んだ。コパンはその赤に魅入られ、姫と運命の出会いをした王子のように、赤から一秒たりとも目を逸らせなかった。不思議な力があると、コパンは確信する。目が飛び出る程に見続けると、赤は少しくすんだ朱っぽい色をしており、左右の十字架を傘で覆ったような形をしている事に気付いた。
この赤は宗教的なシンボルだと当たりを付けてタブレット端末で検索を行う。コパンの予想通り、これは鳥居という人間と神の住処とを隔絶するための結界だった。形からすると門にも見える。クリスチャンのコパンからすると複雑な心境だが、此処から非自然的、神的な要素が流れてきているのを肌が感じている。なので目を背けられなかったのだ。
コパンからすれば異端の鳥居に導かれ、恐る恐る鳥居を潜る。鳥居について記述されたサイトには鳥居を潜る際には会釈をするものとあったが、偶像礼拝を懸念してそのまま潜った。鳥居が頭上に来た際、コパンの皮膚に軽い電撃が走った。全身に静電気が来た程度だったので問題なく境内に入れたが、コパンは自分が結界に弾かれた事に心を痛めた。
越えた鳥居を振り返ると、コパンはふと違和感を覚えた。コパンは鳥居が自分を境内へと導いていると思っていたが、鳥居を背にしても尚も奥へと導かれている気がした。振り返った今は後ろから引っ張られている。
「こっちへおいで」
冷たく乾いた風に乗って、暖かく柔らかな声が聞こえる。コパンは本殿の方へと歩を進める。正中は愚か手水舎すら知らないコパンは、声を頼りに脇目も振らずに社へ達した。
「……凄い」
荘厳な拝殿がコパンを迎え入れる。敬虔な信徒であるコパンですら、日本人は此処に住む者によって護られているのだと納得した。神とは異なるものだと心を律しようとも、拝殿のそのまた奥の本殿から流れ出てくる神聖なエネルギーが、熱病に侵されているかのようにコパンを惹き寄せる。
「やっぱり、私の声が聞こえていたのね」
その場で立ち竦んでいると、本殿の方から一人の女の子が足音も立てずに近付いてきた。独特の白っぽい装束が、無垢そうな彼女にとても良く似合っている。
コパンは金縛りにあったように動けなかった。次第に女の子はコパンのすぐ近くのお賽銭箱を隔てて向かい合う。
「初めまして、かしら?。お若く果敢なサンタクロースさん。まだ立派なお髭は生えていないのね」
女の子は恭しく礼をし、顔を上げると柔らかな微笑みを添えた。キスもハグも、シェイクハンドすらしない日本流の礼儀は神社の雰囲気に整合している。
「初めまして。僕の事を知っているという事はサンタ協会のお嬢さんですか?礼儀が行き届いていて将来がとても楽しみですね」
コパンは驚きを作り笑顔で隠してそう応じた。幼かろうが老け込もうが、コパンの女性に対する態度は大変行儀が良い。女の子の真似をしてコパンもお辞儀をする。
「サンタ協会とは関わりないけれど分かるのよ。だって貴方の悩みの声が聞こえたのだもの。私でも解決出来そうな悩みのようだし、ね?」
女の子は腰を軽く屈めてウィンクした。コパンは再び吃驚した。人の心を読むだなんて、この子は悪魔か悪霊の類では無いだろうかと、」コパンは悟られないように警戒を強めた。
「そんなに怖がらなくても良いのよ。この神社に居るとね、少しだけ悩みや願いに敏感になるの。貴方はご存じないかも知れないけれど、此処はそう言った自分では何ともならない事を何とかしてもらいに赴く場所だから。」
急に難解な話になってコパンの思考はぼんやりと霞がかった。どうもサンタクロースを意識しないとコパンの脳は回転しない。コパンは身体を仕事モードへと切り替えた。
「そう言えば、君の名前は?」
「あら?名乗れと言われたら先に名乗らせてもらうわね。私は紫亜。しがない神使よ」
「神使ですか?」
「サンタさんの信仰に訳せば神の御使いかしら。さぁ、私は紹介したのだから次は貴方の番」
コパンは随分久しぶりに自らを名乗った。サンタクロースは同族とは多くを語らず、子供達からはあくまでサンタクロースでしかない。彼はコパンである以上にサンタクロースだった。
「ええ、コパンさん。良い名前ね。フランス語で”友達”かしら?ふふっ。コパンさんの悩みが名前に表れているわよ」
紫亜はコパンの目を優しく見つめて上品に微笑んだ。コパンの心臓が高鳴り、心に浮かんだ感情と、それがまだ発育途中の少女という背徳感に気が気じゃなくなる。
この短い間に、話のイニシアティブは完全に紫亜のものだった。紫亜が上手く誘導してコパンの人生の顛末を語らせる。コパンの拙い告白を、紫亜は熱心に受け止めようとしていた。殆ど初めてとは言え、心を奪われた女性に心の底を話す事に抵抗を感じるだろうか反語。
「話すのが下手ですみません。結局のところ、友達が欲しいと言う一点に帰着します」
コパンは話し切ると忘れていた呼吸を慌ててするように溜息を吐く。サンタクロースは長時間話す事にも慣れていないので、若干喉も枯れた。
「話してくれてありがとう」
丁寧なお辞儀と共に、紫亜は今迄よりも少し笑みの口角を上げた。
「コパンさんの真摯な想いは私の心奥深くに届いたわ。それに、貴方の悩みも解消して差し上げられるでしょう。私はサンタクロースでは無いけれど、些細な願いくらいは叶えなきゃね」
「些細な願いですか?」
コパンは、初めて紫亜が姿を現した時以上の驚きを顕わにした。コパンやきっと歴代のサンタクロースが長年悩み続け、普通の人間の子供も未だ悩み続ける悩みが叶うには、神に触れるような奇蹟を要すると考えてきたからだ。
紫亜は笑顔を少し穏やかにし、コパンの瞬きの内に彼の隣へと移動し、徐に口を開いた。
「コパンさんの帰着した友達が欲しいという願いは既に叶えられています。幸せは探すから掴めないだけで、探さなくても身近にあるものです。ほら」
紫亜の口調が敬語に変わり、コパンを啓もうする。そしてコパンの手に紫亜の手が重なった。人間の感触は子供の寝床にプレゼントを置く時触れた事があるが、それとはまた違う不思議な感触が手を包んだ。
「でも紫亜さんは僕を忘れてしまいます。僕はクリスマス以外では視界から離れれば人々の記憶から消えてしまう。クリスマスでは大人の目には映らなくなってしまう。記憶はクリスマス一日しか残らないのです。
紫亜さんにしてもらったこの特別な施しを、僕は生涯忘れずに胸に仕舞い続けますが、紫亜さんが仕舞っていられる時間はこの瞬間だけです」
コパンの言う大人とは、サンタクロースを信じない者の事だ。コパンがクリスチャンになったのも、自分の無力さと万能への希求、信仰の条件下での救いが肌にあった事による影響が少なくない。コパンは終始辛い想いで言葉を紡ぎ、それを紫亜は真剣に聞いていた。そして紫亜はコパンの事を忘れないと約束する。
「子供達が忘れてしまうのは自然の摂理なの。人は神様じゃないのだから。なら忘れたら忘れたままなのかって?そんな事は無いわ。コパンさんの信仰に合わせて言えば、神は人に思い出す力を与えられたの。人らしい不完全な力よね。でもその不完全さのお陰で忘れる気楽さを、憶え憶えられる満足感を賜ったの」
まるで傍観者のような外側からの言葉も、コパンの心に響かせるには充分過ぎる説得力があった。
「辛い事は忘れてしまえ、大切な事は忘れても思い出せ。コパンさんはこれから、初めて思い出してもらえる喜びと憶えてもらえる満足感を同時に得られるようになる。考えるだけで幸せな事でしょう?これ以上ないくらいに。未練が残らないくらいに」
「確かに。それが本当ならなんと素晴らしい事でしょう。でも僕にはそれが許されません。何故なら僕は、サンタクロースなのだから」
「それはコパンさんが勝手にそう決めつけているだけの話なの。貴方は努力したかしら?忘れられない努力を。そして、忘れても思い出してもらえる努力を」
勿論したに決まっていると口を開きかけるも、コパンは胸に手を当てる気持ちで今迄の短いサンタクロース人生を振り返った。直ぐに口にしなかったのは、具体的に努力していなかった事を思い知らされたからだ。掟という形でプレゼントを配る機械と化していた。自ら起こした抵抗は普通のサンタクロースが見ない手紙の内容を見る程度のとてもささやかなもので、とても努力と呼べるようなものでは無かった。
スノウウィーに居た頃の強がりの仮面が外れ、コパンの本質が馬脚を現す。
「努力をしても友達は出来ません。だって僕はサンタクロースで、プレゼントの魔法は奇蹟では無く悪魔との契約の産物だから。変に期待を持っていましたが、もう忘れられっ放しで良いんです」
コパンは、戦場に赴く兵士と揶揄して避けた日本の社会人と、サンタクロースである自分とが同じである事に気付いてしまった。所詮敷かれたレールの上を進むだけの存在。多少脱線しても直ぐに元のレールへと戻る。その行く末が崖である事も知らないで、努力も敬虔さも陰に隠れた。。
暗く翳ったコパンを察してか紫亜が再度コパンと手を重ねる。丁度二人の手が神社でお参りをする時のように重なり合う。
「忘れられっ放しで良いだなんて、サンタクロースだからこそそんな事は言わないで。自分を追い詰めないでも良いの。そんな悲し過ぎる事を考えるくらいなら、友達を作る事だけ考えていた方が良いわ」
「でもそんなのは綺麗事です。屁理屈です詭弁です。そんなものは悪魔の証明でしかない」
「レールから外れても、自分の信じる道を行きなさい。もし道に迷ったら、思い出してコパンさん。貴方は何を願いサンタクロースになったのかしら?」
コパンは過去の自分の願いを思い出す。コパンはプレゼントを通して人々に笑顔を渡したかった。幸せの象徴になりたかった。皆の幸せが、自分の幸せになると信じていた。それを叶える為に、コパンはサンタクロースの道を選んだ。
「思い出した?コパンさんの進む道は険しく困難かも知れない、私には見当もつかないわね。でも行いは単純な事で良いの。
”想い続けなさい”。”想われ続けなさい”。
”笑顔になりなさい”。”笑顔にしなさい”。
”幸せになりなさい”。”幸せにしなさい”。そして、
”信じなさい”。”信じられなさい”。
子供たちが幸せでも、コパンさんが幸せでないなら意味無いわ。自分が幸せじゃないのに、他人を幸せになんて出来る訳無いじゃない。
それにしても、貴方は綺麗な涙を流すのね」
コパンの目からは優しい涙が流れていた。声も上げず、コパン自身それに気付かずにただ静かに涙を流した。
紫亜がお母さんのようにコパンの涙を拭く。紫亜の袖が目許に触れ、漸くコパンは自分が泣いている事に気が付いた。そして年下の女の子に母性を感じる自分に恥ずかしさを覚える。
「長話も無粋だから最後にもう一つだけ言わせて頂戴ね。
強く生きる為に、
”貴方の生き甲斐を見つけなさい”。
”貴方が生き甲斐になりなさい”。
大切なのは心と行動よ。結果以上に子供達はそれに突き動かされるの。昔は小さな木のおもちゃ一つで子供達は大喜びしていたしね」
紫亜の言葉を一言一句漏らさないように聞き入り、コパンは大き頷く。既に涙は止まっていた。紫亜も真剣な顔から少し気が抜けたように安心した表情になる。
「ありがとうございました」
日本式のお辞儀を添え、それだけ言うとコパンは神社を後にした。言葉をぶつけ合った後は、余計な言葉など無粋だと考えたのだ。これこそが友情で、紫亜とは友達になれたのだと、悩みは解決されたのだと確信した。コパンはこの記憶を忘れないように、紫亜が忘れていても思い出してもらえるよう尽力する事を誓った。
ただ一つ、コパンの心に引っかかる小骨があった。紫亜が最後にした、小さな木のおもちゃの件である。各国を渡り歩いたコパンが見るに日本は随一の先進国だった。プレゼントのリストも殆どがゲーム機等の高度機器がメインになる。では、紫亜の言う昔とはいつ頃の話だったのだろうか。
鳥居を潜ると、入る時に感じた電撃や違和感はもう無くなっていた。帰り道、コパンは紫亜に言われた一言一句を忘れないように反芻し、心の奥から全身に至り染み込ませた。
木のおもちゃをプレゼントに添えるのも良いな。そうコパンが考えていると、控えめな電子音が鳴る。画面にはメールの受信が示されている。コパンは初めてのメールと電子音に些か吃驚しながらメールのアイコンをタップした。
chapter6 幕間
「確かに、”行いは単純な事で良いの”よね」
神社を後にするコパンの背中を見ながら、紫亜は優しい微笑みを若干品無く崩す。
紫亜にはコパンが神社に来る事は分かっていた。コパンを導いた犯人は紫亜の力だった。
紫亜は真っ直ぐな人間を振り回す事が大好物だ。唯一の趣味とも言っても良い。コパンの愚直さと迷った心は、紫亜の極上の餌となる。
「さて、この物語はどのような物語となるのかしら?喜劇かしらね、それとも……ふふっ」
紫亜は拝殿から本殿の方へと戻っていく。罠にかかった憐れな子羊の行く末を傍観する事ほど愉しい事は無い。紫亜は何処からともなくタブレット端末を取り出す。コパンのそれと同じモデルだった。
特注の筈のタブレット端末で文章を打ち込む。送信完了が端末に表示されると、紫亜は新しい玩具を手に入れた子供の様に無邪気に、そして残酷な笑みを浮かべた。
chapter7 工具店と木のおもちゃ
コパンは最寄りの工具店に来た。目当てのサンドペーパーを両手に持ち、しゃがみ込んでかれこれ半時間はにらめっこをしている。
物静かそうな職人気質の店長も、奥から顔を出した店長夫人も、呆れ顔でコパンを見つめている。声をかけるタイミングを失い、気まずい空気が流れていた。コパンだけは自分の世界に入り込んでいる。
「これだ!」
大声と共にコパンは立ち上がる。半時間分の疲労がコパンの足腰を襲い、彼は軽くふらついた。そうでなくとも疲労が溜まりっ放しなのだから無理もない。
「大丈夫かい?」
手を差し伸べたのは店長だった。五十代そこそこの良い歳の取り方をした店長が、コパンにはとても輝いて見えた。
「あっ、ありがとうございます!これとこれと、これも下さい!」
「商品よりも自分の心配をしなさいな。まいどあり」
三種類のサンドペーパーを夫人が受け取りレジに通す。上手な距離の取り方をする夫人だった。
「それにしても随分悩んでいたな。兄ちゃんの場合仕事柄って訳でも無さそうだが……」
「い、いえ!そうでも無いんですけど、その……あはは」
コパンは一般的な青年と較べてかなり細身である。だが仕事柄必要なものではあったので不器用に誤魔化す。
「いや、詮索したい訳でも無いんだ。すまねえな、外は寒いから気を付けろよ」
本人は完璧なポーカーフェイスだと思い込んでいたので少し気分が下がり調子だ。夫人にお金を払い、夫人からは商品を受け取って笑顔で店を出る。お金はサンタ協会が用意した家に財布が置いてあるので使用した。サンタクロースも生活にお金は必須である。その辺は一般社会の言う経費が手厚い。
「「ありがとうございました」」
夫婦の仲睦まじい重なった声に照れつつも、軽く会釈をして店を後にする。予想外な時間の浪費だ。だがこれも必定と言えよう。
コパンには普通の人間の大人と話す経験が圧倒的に足りない。コパンのようなサンタクロースが活発に行動するのは一年に一日、クリスマスの日を置いて他に無い。肝心のクリスマスにはサンタクロースは大人には視認されないので話す機会も無い。紫亜とは気軽に話せて忘れていたがコパン含めサンタクロースの大多数は極度の人見知りを抱えているのだ。これも同族同士がコミュニケーションを取らない理由の一つである。
「大人も、優しいんだな」
慣れない家路につき、早歩きのように歩を進める。コパンが大人に優しくされたのはこれが殆ど初めてだった。クリスマスに偶々起きていた子供から感謝される事はある。その子供は眠ればコパンの事なんて忘れてしまうのだが、どんな子供も「サンタさん!ありがとう!」と満面の笑みで言ってくれた。コパンはもっと人々と触れ合いたくなった。一度得た会館は留まる事を知らず、夢幻に増え広がっていった。
家の鍵を開け、仮住まいの自宅へと足を入れる。静かではあるが、穏やかな温もりがコパンを迎え入れた。
着替える間も惜しく、真っ先に袋に入ったサンドペーパーを並べる。買い物は買う物を悩む時、買う時、開ける時に三重の楽しみがあってコパンは好きだった。おまけに素敵な店員さんとの一期一会もある。年に数える程しかない買い物の時間を、コパンは非常に大切にしているのだ。
三種類のサンドペーパーを開封した後に、タブレット端末を操作した。メールボックスから既読のメール一件を選択する。履歴にはそれしか無かった。
「差出人:紫亜
宛先:コパン
題名:若々しいサンタクロースさん
本文:”木のおもちゃを添えるなら角をきちんと磨いた方が良いわよ”」
まるで主の預言のようなピンポイントの指摘が、神社を出たところで送られてきていた。添付の地図を元に先程の工具店へ行き、今に至る。
コパンはクリスマスの日に本来のプレゼントに加え、魔法の力で生み出した木のおもちゃを添える事に決めていた。魔法と言えど、元来プレゼントの魔法とは受動的な奇蹟に過ぎない。子供達の想いを形にする以上、願ってもいない品物をプレゼントする事は出来ず、その行為は禁忌とされている。子供の感受性は大人の想像を絶する為、夢を与えるサンタクロースが悪影響を与えない為の配慮だろうとコパンは推測する。
だがコパンには、自分の考えが悪い事とは到底思えなかった。だからプレゼントの魔法を乱用する。自分の想いの力を、日本中の子供達に届ける為に身を削る。
想いの力は生きる力だ。無くなればどうなるかは未熟な若者であるコパンでも想像に難くない。木のおもちゃの前に、コパンは本来の役目である子供達の欲しいものに沿ってプレゼントの魔法を発動する。仄かな光と共に何処からともなくプレゼントが現れる。
コパンに笑顔が生まれた。クリスマス一日の為に生きているコパンからすれば、プレゼントの魔法を使うのは子供にプレゼントを渡す事の次に幸せな瞬間だった。調子に乗ってどんどんプレゼントを生み出す。タブレット端末に映し出された欲しいものリストは、コパンが魔法を使う度に量が減っていく。
「今何時だろう」
最新ゲーム機や携帯端末を中心とした形有る物を生み出し終えた。コパンの額には汗が滲み、息は大きく乱れている。力の乱用の代償が顕著に表れていた。子供達の無尽蔵な想いの力を借りても、サンタクロースとして自分の思いも込めなければならない。普通は三週間かける作業を一日で済ませてこの程度なのは運が良く、日頃サンタクロースにしてはエネルギッシュに生きていた賜物だった。
タブレット端末で時刻を確認する前にコパンは地面に突っ伏す。ベッドに移動する気力も残せなかったコパンは、そのまま深い眠りにへと落ちた。
chapter8 消滅と誘惑
十二月も十日を過ぎ、キリスト降誕とされる日迄二週間を切った。
あれからコパンは丸二日眠り続け、起きてからも長い間ベッドで眠ってしまった。体調は悪くないが、未だに気力が戻らずに慢性的な怠さが抜け切らない。眠らないようにブラックのコーヒーを淹れ、ちびちび飲みながら木のおもちゃをプレゼントの魔法で作り始めた。魔法を使えば想いの力を物に込められる。普通のプレゼントを贈るよりも、コパンの存在を子供達にアピールするには最適だ。
魔法の力を絞り出して子供達への愛情や普通の人間への羨望、ありったけの想いを込めて木のおもちゃを連想した。
「うっ」
突然、力の限り鈍器で殴られたような痛みが腹を中心に全身を襲う。コパンはあっさりと前のめりに倒れた。
「あっ、あぁぁ」
声にならない声が漏れる。一週間程前の乱用から副作用は想像していたが、まさか一度の魔法で筆舌に尽くし難い痛みを覚えるとは終ぞ思っていなかった。
身体を転がして魔法の成果を見る。プレゼントの魔法は成功しており、素朴ながらも暖かい木のおもちゃが生み出されている。おもちゃに触れると身体が芯から暖かくなる。コパンは思わず破顔した。
何とか起き上がって出来栄えを見てみると、案の定角の細かい部分に少し引っ掛かりを感じる。手許のサンドペーパーでやすると滑らかになった。綺麗に磨くだけで優しい印象になる。
魔法によって穢れた心が、生み出した木のおもちゃに触れる事によって洗われるようだった。穏やかで真摯な心の塊にコパンは元気付けられる。再度生成を試みた。
続けていると不思議なもので、プレゼントの魔法の副作用をあまり苦しく感じなくなっていた。実際には同じ苦しみを感じている為、慣れの力は恐ろしい。限界が来たらサンドペーパーで角を磨き、苦しみをさらに誤魔化す。癒しの力のお裾分けを受けているようだ、とコパンは思った。
もう冷めてしまったコーヒーを口に含む。先程迄は趣向品に意識を注ぐ事なんて考えてもみなかったが、漸く心の余裕が生まれてきた。だが、身体は正直とは言い得て妙である。
「あれ?」
コパンは違和感を感じた。再度コーヒーを口へ持っていく。今度は珈琲の深い苦みを意識して味わった筈だった。だが、温い水を飲んでいる時との差を感じられない。
「味が、しない?」
一呼吸置くと、真冬にも拘らずコパンの全身から忘れたように汗が噴き出してきた。震える手を鎮めながら部屋の奥の倉庫へと駆け込む。棚から葡萄酒一瓶を抱え、一目散に開封してカップへと注いだ。コーヒーカップだったがお構いなしである。
震えが全身に回り、カップに入った葡萄酒を溢しながらも両手で無理矢理口の中に落とし込む。アルコールの気配は若干感じるも、葡萄酒自身の味は全く感じなかった。
コパンは瞬時に悪魔の契約の代償を想像した。これだけの奇蹟だ。神にも近い奇蹟の体現者となるのなら、味覚の消滅など当然の代償と言えなくもない。コパンは焦りを止めた。葡萄酒を片付け、カップを流しへ置く。
木のおもちゃ達の前へと戻る頃には、普段の平静なコパンに戻っていた。おもちゃに触れると微笑みも戻る。コパンには経験が無かったが、まるで我が子を抱くような感覚がそこにあった。
「”人はパンのみにて生くるにあらず”だ」
コパンは福音の非常に有名な一節を口にする。この一節でキリストは悪魔の誘惑を乗り切り、我々が生きる為の物は神が備えて下さる事を説いた。コパンは信徒として、これも出口ある試練と解釈する。
そもそもサンタクロースならば味覚はさほど重要ではない。全く物を口にせずに生活をしている者も多く、コパンのように趣向品を頻繁に口にするサンタクロースの方が少ない。コパンは悪魔の囁きに流される事無く、自らの信ずる道を進む事に決めた。
深呼吸をして再びプレゼントの魔法を使う。コパンの生体エネルギーを媒介にして木のおもちゃが作られる。コパンは安心して軽く息を吐く。味覚の消滅が魔法の消滅に繋がってはいなかった。
chapter9 揺れる心
日本では天皇誕生日として今上陛下の御生誕を祝う十二月二十三日。コパンは大勢の子供達と同じ数のプレゼントと、それより一つ多い木のおもちゃを完成させていた。
形の無い願いをする子供には、「僕が君の友達になるよ」と勇気を出して言う予定である。紫亜がコパンの初めての友達になってくれたように、コパンが子供達の初めての友達になりたかった。
コパンは日課としていた祈りを久し振りに捧げた。プレゼント及び木のおもちゃの作成に追われて、ここ最近は祈りを捧げる暇すらも無かった。本当は教会に足を運びたかったのだが生憎今日は土曜日だ。殆ど全ての教会は日曜礼拝を採っている。タブレット端末で再度曜日を確認し、枕元へと投げ置いた。
クリスマスイブが二十四日なのは大変素晴らしいのだが、残念な事にサンタクロースは二十四日の時点で既に姿が消える事になる。教会の門を開いても日本人からすれば幽霊にしか思われず、幽霊を信じないクリスチャンからすれば悪霊共の仕業と思われても止むを得ない。
コパンは諦めてベッドに寝転がった。未だ身体は本調子ではない。感覚的な事なのだが、もう二度と元の元気な身体には戻れないのではないかとコパンは思っていた。プレゼントを作り終えた段階では、辛い体調不良程度の苦しみだったが、木のおもちゃを作る毎に自分の心と身体とが離れる感覚に陥る。クリスチャンにとって心と身体の分離は死を意味する。これが最後の冬になるかも知れない。コパンはそう覚悟し、ゆっくりと目を閉じる。
しかしコパンは眠れなかった。心身共に十分過ぎる疲労は溜まっているが、脳ははっきりと起きていた。寝返りを何度か打つも、その度に得も言われぬ不快感が襲うだけだった。
枕元のタブレット端末をそのままの姿勢で探る。腕だけを布団から出し、当たりを付けてまさぐるが中々見当たらない。
まさぐる事自体が面倒になって疲れた身体に鞭を打ち、無理矢理上半身を起こす。直ぐ目の前にタブレット端末は見つかった。コパンは溜息を吐きながら徐にタブレット端末を手に取ると、慣れた手付きでメールボックスを確認した。
コパンがプレゼントの魔法を使っている最中も、紫亜からのメールは最初の物を除いて六件届いていた。スノウウィーについてを教えた時の感想、紫亜が神社からは殆ど外へ出ない事、昔あった不思議な夢の経験を送りあっていた。
アドレスが分からないとメールは出来ない筈なのだが、コパンにとってそんな事は取るに足らない。メールの内容を何度も読み返し、多少極端ではあるが普通の人間のような感情を紫亜とのメールに見出している。
「差出人:コパン
宛先:紫亜
題名:今から行っても良いかな
本文:”明日にはサンタクロースとしての仕事があるから、当分会えなくなる。だからその前に一度会えないかな?”」
気が付けばコパンはメールを送信していた。送信完了が見えるや否や、コパンはベッドから飛び起き、瞬く間にコートを引っ張って準備を整える。
この短い期間の内に、コパンも紫亜に敬語を使わなくなった。勿論初めて会ったきり面と向かってはいないので、メールの中の話である。
さあ家を飛び出そうという時に、鞄に入れたタブレット端末が受信を知らせる。コパンは慌ただしく鞄の中からタブレット端末を引っ張り出してメールアイコンをタップした。
「差出人:紫亜
宛先:コパン
題名:Re
本文:”鳥居においで”」
コパンは瞬時に自宅を後にした。鍵を閉める間ももどかしいが、プレゼントを失う訳にはいかないので施錠する。タブレット端末を走りながら仕舞い、一目散に鳥居を目指した。
紫亜はメールを読み、声に出しながら笑っていた。
「”愚かな知恵者になるよりも、利口な馬鹿者になれ”と言うけれど、愚かな馬鹿者もいるものね。ふふっ」
紫亜は自身の言葉の響きにまた失笑する。普通の人間を貶めるのは彼女にとって簡単すぎてつまらない。特別な存在であるサンタクロースは、紫亜にとって美しく、汚したくなる存在となっていた。
「コパンさんったら、どれだけ興奮しているのかしら?私も急がないと」
紫亜は歌い、踊るように本殿から鳥居の方へと向かった。
「少しは待たせた方が良いかしら?ふふっ」
chapter10 繋がる心
コパンは汗を拭き、鳥居の前で紫亜の到着を待っていた。
コパンは考えると長いが、動くと決めれば行動が非常に早い。だが紫亜は神使と言えども女の子で、女の子は準備に時間がかかるものだとコパンは知っていた。
まるで催促しているみたいじゃないかと、コパンは急いで出てきたのを少し後悔した。だが、逸る気持ちを抑えきれなかった。コパンは一刻も早く、そして一刻でも長く紫亜と同じ時間を共有したかった。普通の人間と同じ感情が生まれている。
十分程すると、奥の方からゆっくりと音も無く見知った少女が歩いてきた。上品な歩き方にコパンは見惚れる。今日の紫亜は黒の装束に身を纏っていた。神社の雰囲気からは浮いた色だが、コパンには白い装束よりもずっと似合って見えた。依然は少し遠くに感じた紫亜が、昔から傍に居てくれた身近な関係に思えた。
「コパンさん?」
「わっ!?」
気が付けば紫亜はコパンを目の前に捉えていた。距離にして十五センチ、反射的にコパンは後ろに飛びのく。
「ふふっ、面白いコパンさん。ほら、こっちへおいで」
紫亜は此処で初めてコパンに言った言葉でコパンを中へと迎え入れる。コパンは紫亜より半歩後ろを素直に追従した。
程無く拝殿が見えてくる。二度目にも拘らずコパンはその荘厳な佇まいに嘆息を漏らした。しかし紫亜は拝殿から外れ、社務所の方へと歩を進める。初めて二人が出会った拝殿では、必然的に立ち話になるのだ。
「適当に座って頂戴。お茶でも出すわ、ってコパンさん味覚が無くなっちゃったのよね。でも安心して?日本のお茶は味が全てじゃないんだから」
社務所に入り、紫亜はお茶を淹れる。コパンは紫亜に味覚の事を話した記憶が無かったので、狐につままれた気分だった。聞こうにも、紫亜の後ろ姿が質問を許さない雰囲気だった。
気にしてもキリがないので、社務所の中を物珍し気に見回していると、紫亜は湯のみを置いてコパンを正面に捉えた。二人の目が互いを映し合い、瞳が揺らめいた。
「えっと僕、今日が日本で自由に暮らせる最後の日だからさ、それなら紫亜、さんに会っておきたいなって思ったん、です」
数十秒で見つめ合いに耐えきれなくなったコパンが口を開く。心なしか紫亜は不機嫌そうだった。
「ごめんなさい。迷惑でしたか?」
紫亜は些か驚いた表情で口を開いた。
「そうじゃないわ。顔に出てたわよねごめんなさい。コパンさんの言葉遣い」
「言葉遣い?」
「そう。メールの時に敬語は無しって決めたでしょう?勿論直接話す時も敬語は禁止よ禁止。まるで他人行儀じゃない」
そりゃあ他人だからとコパンは思ったが、そんな野暮な事は言うべきでは無いと悟った。他人の粗探しに精を出すのは愚かな行為だと、コパンは知っていた。
「そうだね、紫亜。何せ僕達は友達なんだから。友達に気兼ねは無しだ」
コパンの調子が戻り、お互いを見つめて笑い合う。コパンの知り得る限り最高の関係がここにある。日本の神様が祝福してくれているようだった。
「その通りよコパンさん。先程のきょどった口調も収まったようね」
「……そんなに僕、変だった?」
「変って訳じゃないのだけれど……いえ、変だったかしら?変だったわね」
おどけた紫亜がお茶を啜る。それを尻目にコパンは軽く項垂れた。これではまるで遠足前に興奮して寝られず、当日有頂天になった子供だ。
「そんな事より」
「そんな事!?」
「そんな事よ。だってコパンさんはきょどった自分を見せる為に誘ってくれた訳じゃないでしょう?それはそれで面白かったけれど」
コパンは、自分が思った以上にパニックになっていた事を実感した。パニックのままでは、紫亜との会話も楽しめない。呼吸を整えて、紫亜の真似でお茶を啜った。音はならなかったが、日本茶は味が分からなくてもコパンの心を落ち着かせた。
「そうだった。僕は紫亜と話したかったんだ。だって僕にとっての紫亜は初めての友達で、日本なんてちっぽけな島国だけじゃなく、スノウウィーも、僕がこれまでに行った世界も全てを覆うような広い世界で唯一の繋がりなんだ」
熱の入ったコパンの弁を真正面に受けて、紫亜は頬を主に染めた。口許ははにかみ、嬉しくも恥ずかしい事を物語っている。
「流石にコパンさんも外国人ね。そんなにも真っ直ぐな想いを聞いたのは此処に居る私でも初めてよ」
「日本人は、素直に想いを伝えないの?」
「日本人は特にそうよ。腹の中では欲望に塗れている癖に、多くの人がそれを口にはしないものなのよ」
紫亜は再度照れるように笑った。
「日本人って変だね。伝えなければ分からないじゃないか」
コパンの純粋な質問は、紫亜を深く思案させた。紫亜は顎に手を当てて数瞬考える。
「恐らく、言霊ね」
「コトダマ?」
コパンは首を傾げ、紫亜は軽く頷いた。
「ええ、日本に古くから言い伝えられている事の一つね。有体に言えば、口にした事は現実になるって信じられてきたの。それが全てでは無いにしろ、言霊の概念が現在に至る迄伝わってきているからではないかしら?」
コパンは紫亜の話を聞いて納得した。キリスト教にも同じ概念がある。と言って話を続ける。
「”初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。”」
「『ヨハネの福音書』」
紫亜はポツリと呟き、コパンは大きく頷く。コパンは紫亜がヨハネを知っていた事に興奮する。共通の話題が、コパンを更に紫亜へとのめり込ませていた。
「他にもこんな福音がある。”すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。”」
「それもヨハネね」
紫亜はコパンの言いたい事を察した。キリスト教と神道、海を隔てた二つの宗教の間の大切な概念にも繋がりを見出せる。
「まるで言霊は、僕と紫亜だ」
「海を隔てても、繋がる事がある?」
コパンは笑顔で頷いた。もう出会ったばかりのきょどりは米粒程も感じられない。
「そう!僕の場合は空から来たんだけどね」
「サンタクロースさんだものね。日本迄はトナカイを連れてソリで?」
「そうだよ。トナカイに会えるのは年に二回なんだ。一回目は此処へ移動する時。二回目は―」
「プレゼントを配る時?」
コパンは笑顔で頷いた。紫亜の察する力が、言葉のキャッチボールを円滑に行わせる。お互いが話す度にお互いが笑顔になり、幸せが生まれる。こんな経験は初めてで、コパンには夢のように思えた。コパンと紫亜を、幸せの青い鳥が取り持ってくれているようだ。
「そう言えば、木のおもちゃの準備は万全なのよね?」
長時間話し倒し、空も翳り出した頃に紫亜が伺うように聞いた。コパンは待ってましたと言わんばかりの、自慢げな顔で応える。
「お陰様でね!大変だったけれど無事に子供達の分を用意出来たよ」
「あら、それは何よりだわ。今から子供達の喜ぶ顔が目に浮かぶわね」
紫亜は本当に子供達の笑顔が見えているかのように目を細める。コパンもクリスマス当日が楽しみになっていた。そして、コパンは覚悟を決めて紫亜を見つめる。
「ん、どうしたのかしら?明日の今頃は忙しいのだしそろそろお開きに―」
紫亜の言を右手で制す。その隙に空いている左手をポケットに捻じ込んで木製の小さな箱を取り出した。
「これ。少し早いけれど紫亜にもクリスマスプレゼントだよ」
「コパンさん!」
紫亜はコパンに飛びついた。紫亜は誰かにプレゼントをもらうのは初めてだったのだ。本心からコパンに感謝を伝える。
「開けてみても良いかしら?ふふっ、箱の外からでもコパンさんの気持ちが伝わるわね」
「良かった。恥ずかしいけど、他のどの子供達へのプレゼントよりも心を込めたからね」
紫亜は木箱をスライドさせて開ける。箱の中から横滑りするペンギンのおもちゃが出てきた。コパンの想いの力が外に溢れ、社務所の中が温もりに包まれる。
「可愛いわね。このペンギン、とても可愛くて暖かいわ。ありがとうコパンさん。私大切にするから」
今迄で一番の紫亜の満面の笑みに、コパンは報われた想いでいた。もう少し日本に居られれば、この感情も少しは変わったかも知れない。だが、それにはあまりにも時間が足りなかった。コパンはサンタクロースだから。あくまでも今は、ファンタジックな存在でしか無いのだから。
「それじゃあ僕は家に帰るとするよ。会えてよかった。紫亜の事忘れないから」
「今生の別れじゃあるまいし。コパンさんとはまた会えるわ」
「そうかな?」
「そうよ。近いうちに必ず、ね?」
そう言うと紫亜は早速コパンから貰ったペンギンを転がして遊び始める。二人の間は笑顔で繋がっていた。
夜の世界は真っ暗で、誰が何処にいるか分からない。それでも二人の繋がりは、強固で離れなかった。きっと国を跨いでも、心は離れない。
chapter11 クリスマスイブ
夕刻、コパンはタブレット端末でトナカイに電話をかける。着々とクリスマスの準備が進んでいき、自然と声が跳ねた。
「綺麗だなぁ」
日本のクリスマスイブは派手さでは欧米諸国には敵わないものの、華麗なイルミネーションと若い女性を中心にしたコスプレイヤーが目に付いた。やはりサンタクロースのコスプレが多く、加えて日本のアニメ文化に合わせたクリスマスにアレンジされている。
本物のサンタクロースであるコパンはもう子供達にしか見えず、コスプレしたサンタクロースが皆の視線を集めている。コパンにはそれが皮肉めいて見えて苦笑した。
「コパン」
トナカイがソリを持って現れる。トナカイも視認されない為、喋っても歩いても人間に驚かれる事は無い。
「やぁトナカイ。少しだけ見て回っても良いかな?最後に、日本を目に焼き付けておきたいんだ」
「分かりましたよ。やはり貴方は変わっている」
サンタクロースの多くは普通の人間の営みに興味を持たない。あくまでサンタクロースは傍観者で、決して首謀者にはなれない。普通の人間という鳥籠を外からしか覗けないサンタクロースは、いつしか中身に興味を示さなくなった。唯一人コパンを除いては。
足許から崩れ落ちそうになるも、コパンの足取りは軽やかだ。歩けど歩けど、日本の街並みは華やかだった。特にコパンは、人々が笑顔な点に注目した。カップルの笑顔は割れんばかりで、同性同士の集団は、同性だからこその激しいノリで盛り上がりを見せている。一部ではカップルを批判している人達もいたが、コパンにはそのどれもが天に輝く星々のように見えた。
「コパン、そろそろ」
「もうそんな時間か」
イルミネーションに照らされていたから気付かなかったが、既に空は真っ暗だ。
「僕達の時間だ」
「はい」
一度コパン達は家に戻る。サンタクロースのモチーフである大きな白き袋を取りに行かなければならない。この時期になると、過去にプレゼントを配った子供達の顔が鮮明に浮かんでくる。
眠れない夜が怖くて、大きなぬいぐるみを欲しがった子供。
大好きな物語の世界にどっぷり漬かれる冒険ものの本を欲しがった子供。
愛情や友情、信頼といった無形のものを欲しがった子供。
今年はどんな子に会えるのかを考えるだけで、コパンは歩く力が湧いてきた。サンタクロースはクリスマスの夜が過ぎれば忘れ去られてしまうけど、想いの力は忘れられないと信じて、コパンは家の扉を開ける。
プレゼントを持って準備は完了した。最終確認でタブレット端末を開くと、一件のメールが届いていた。
「差出人:紫亜
宛先:コパン
題名:真っ直ぐなサンタクロースさん
本文:”頑張って。応援してるから”」
コパンは軽く端末を弄り、笑顔のまま家を出た。
chapter12 コパンサンタ
トナカイにソリを引いてもらいながらコパンは空を踊る。今どきの家屋、ひいては日本家屋には煙突が無い。しかし、幼い子供にしか視認されないサンタクロースは多くの人間からはぶられている。この世の背景とされたサンタクロースは窓から侵入する事が出来た。幽霊のように、その気になればすり抜けられる。コパンは部屋に入る前に改めて、手鏡で自分の身なりを確認する。夜で暗いとは言え、サンタクロースが野暮ったいと百年の夢も醒めかねない。
コパンは記念すべき一軒目の窓に手を当てた。空気が入り込むようにコパンの身体も通り抜ける。マンションの一室であるこの家は窓から直ぐ右手に寝室があった。
年齢は五歳でプレゼントは最新のゲーム機の男の子は、生憎夢の世界を旅している。
「メリークリスマス」
コパンは男の子の幸せを祈り、プレゼントと木のおもちゃを置いた。すると男の子は寝言と共に起き上がり、焦点の合っていない目でコパンの方を見つめる。
「ふわぁ、サンタさんだぁ。やっぱり、サンタさんは居たんだね」
眠そうな目をこすりながらも、男の子の目はコパンを映してキラキラと光輝いていた。その輝きは、クリスマスの夜景にも決して負けていない。
「そうだよ。僕はコパンって言うんだ。サンタクロースだよ」
「僕ね、あのね……あ!プレゼントだ。ありがとうコパンサンタさん!」
男の子がプレゼントを見つけ、小躍りしてはしゃいだ。そして、木のおもちゃの方にも興味を向ける。コパンには、男の子の頭上に?が浮かんでいるのが見て取れた。
「どういたしまして。そっちの木のおもちゃはサンタクロースとしてじゃなくて、コパンとしてのプレゼントだよ」
「凄いよこれ……とっても暖かい。大切にするね!」
「ありがとう。良ければ僕と友達になってくれるかな?サンタクロースは寂しがり屋なんだ」
「うん、良いよ!僕の名前は風太!サンタさんとはもう友達!明日ママとパパに自慢しよーっと!」
男の子は間髪入れずに応えた。胸には木のおもちゃを抱えており、コパンにはそれが何より嬉しかった。
「よろしくね風太。僕の事、忘れないでね?」
「忘れないよ!コパンサンタさん!」
コパンは微笑むと、風太に合わせていた目線を上げ、立ち上がる。
「もう行っちゃうの?」
「そう、皆にもプレゼントを配らないとだからね。お休み。良い夢を」
すぐさま風太は、木のおもちゃを抱きかかえながらすやすやと眠りだす。
マンション内の子供たちにプレゼントを配り終え、外で待っているトナカイの下へ戻る。トナカイはコパンの明るい顔に安堵した。
「子供達はどうでしたか?」
「うん。我慢して起きている子も居たし、眠っていても起き上がってくれる子も居たよ。皆友達になってくれたんだ」
コパンは終始にやけ顔だった。ソリに乗って東へ西へ、南へ北へと空を駆ける。多くの子供達の家に訪れれば訪れる程、コパンの中で幸せが大きく膨らんでいった。
「日本の子供達ってとっても優しいんだよ。良い子達ばかりで、皆友達になってくれた。木のおもちゃも、勿論プレゼントも喜んでくれてさ、嬉しいなぁ」
「大人になっても優しい心を忘れないで欲しいですね」
コパンは頷いた。日本の大人がとても暗い顔で通勤していた事を思い出す。
「大丈夫だよ。その優しい心を忘れないように、僕達サンタクロースが頑張れば良いんだから」
「サンタ協会にとって喫緊の課題ですね」
夜はどんどん更ける。地上で遊んでいた大人達も次第に減り、夢のような夜も終わりを迎えつつあった。それに応じてコパンの身体も限界が近付いてきていた。身体の不自由さから、クリスマスの奇蹟と共にコパン自身も散ってしまうだろう事を察する。もうコパンの中には、一人で生きていく力が残されていなかった。
コパンの事を子供達が憶えていてくれるかは神のみぞ知る。コパンの行動の結果がとんだ無駄死にになるかも知れないし、その方が確率としては高い。近代化した日本では木のおもちゃの素晴らしさは忘れ去られてきた。それでもコパンは、クリスマスの奇蹟とサンタクロースの魔法と想いの力、そして何より子供達の笑顔を信じた。サンタクロースが多くの人から信じられるように。大切なのは心と行動だと言ってくれた紫亜の言葉を噛み締める。
「さぁトナカイ。もうひと頑張りだよ」
誰よりもボロボロのサンタクロースは、この世の他の誰よりも輝いていた。
chapter13 アリスのお屋敷
「此処が最後の家、ですね」
トナカイがそう訝しげに呟いたのは、そこが家と言うよりも寧ろお屋敷と言うにふさわしい佇まいだからである。和と洋が丁度ミックスされている荘厳なお屋敷は良い意味で年季が入っており、紫亜とあった神社にも負けず劣らずの美しさがあった。大きな門を空から見下ろし、窓から見えるクマのぬいぐるみから子供部屋を推測する。
「中の感想教えて下さいね」
トナカイが中に入りたげだが、それは許されていない。動物はアレルギーの危険もあり、窓の外で待つ決まりになっていた。コパンはパートナーの細やかな願いを聞き入れて、子供部屋へ入る。
外から見る以上にお屋敷内は大きく広々としている。下手な家のリビングよりもよっぽど広い子供部屋は、贅沢の限りを尽くしているがそれ以上に寂しい印象が付きまとっていた。部屋の隅にはベッドがあるが、寝ている筈の女の子の姿は無い。
「貴方が、サンタさん?」
背後から女の子に声を掛けられ、コパンは驚かないように振り向く。恐らく、既に日が変わっているにも拘らず女の子の目ははっきりとコパンを捉えた。
「初めましてお嬢さん。僕はコパン。サンタクロースだよ」
コパンは恭しく礼をする。
「礼儀正しいサンタさんですね。あたしはアリス」
よく見るとアリスは純粋な日本人ではない。欧米圏とのハーフのようなスマートな顔立ちをしていた。
「アリスの欲しいプレゼントは―」
「生きている、理由が欲しい」
アリスはコパンの言葉に被せ、綺麗な瞳を大きく見開いた。コパンがアリスの家を最後にしたのは、手紙の文面の時点で殊に切実な願いである事を物語っている事を悟っていたからだ。コパンはアリスに目線を合わせ、紫亜の言を思い出す。
「強く生きる為に、
”貴方の生き甲斐を見つけなさい”。
”貴方が生き甲斐になりなさい”」
「サンタさん?」
アリスが怪訝な顔をして初めて、コパンは紫亜の言葉をそのまま口にしていた事に気付いた。だがそれこそ、真に伝えたかった事なので後悔はしない。
「アリス。少し難しいかも知れないけれど、賢い君なら分かる筈だ。生きている理由が自分の中に無ければ、誰かの為に生きてみたらどうかな?君が誰かの生き甲斐に……生きる理由になれば、それはとても幸せな事だよ」
子供には難し過ぎる内容だったが、受け取った手紙の段階でアリスが賢い事は分かっていた。現にアリスは納得したように頷いている。彼女は暫くの間、黙って深く思案した。
「あたしには、その誰かが居ないんです。あたしね、こんな家に住んでいるでしょう?お金は沢山あるんです。でもママもパパもお友達も、あたしの事なんて見てくれないんです」
幼気なアリスの悲痛の叫びがコパンに鋭く突き刺さった。「この子は僕と同じだ」と直感的に悟る。
「僕が助けるよ」
考える前に言葉が出ていた。
「僕が、コパンがアリスの手助けをする。勿論ずっとじゃないけど、これから先の未来に、絶対君の前にも生きている理由が生まれるから。
答えは君の手の中にきっとある。だからそのヒントを、僕が君にプレゼントしよう」
コパンは立っているのもやっとの身体で、最期の力を振り絞って想いの力をかき集める。足許から頽れそうになるのを歯をくいしばって耐え、アリスに細やかな魔法をかけた。
すると、コパンの想いの力がアリスの髪に髪留めを付けた。鍵型にハートの付いた可愛らしい髪留めだった。ポケットから手鏡を出し、アリスに向ける。
「可愛い。これ、サンタさんが!?」
「うん。これがコパンサンタからの、クリスマスプレゼントだ」
コパンの手鏡の中で、アリスは目をキラキラさせながらポーズを取り、髪留めに見入った。
「大切にします。コパンサンタさん、ありがとうございました」
先程迄の顔が嘘のように満面の笑みを浮かべた。顔をぐしゃぐしゃにして喜ぶアリスを見るに、もう心配は無いだろう。ここから先は、アリス自身が舞台の主役だ。
「あぁ、時間だ」
アリスの笑顔を見て、コパンの心の中の未練が洗われていくのを感じる。子供達と友達になれたのに、予想通り憶えてくれているかを確認する術は無かった。紫亜との再会の約束も叶わない。
しかしコパンの心は満たされていた。幸せなまま逝けるというのは悪くない。クリスチャンとして神の御許に行き、再び生を受ける時は今度こそ幸せに長生きしよう。そう思う頃にはコパンの意識は外界から閉ざされていた。
「サンタ……さん?」
アリスはコパンが急にいなくなった事に驚くも、サンタクロースだったのであまり深く考えずに納得した。
アリスは夜更かしして眠くもあったので、枕元に髪留めを大切に置いて寝床に就く。この夜アリスはヘンテコでない、とても幸せな夢を見る事になるのである。
chapter14 サタンクロース
コパンが逝ってからというもの、極東の島国日本では他国と比べて大きな変容を遂げた。その中でも文化的な側面が大きい。子供達の間に空前のおもちゃブームが発生し、とりわけ木製のおもちゃが一世を風靡した。
他にもクリスマス以降、全国で子供達が一斉に「サンタクロースと友達になった」と発言するようになった点もメディアを騒がせた。
初詣に神社に訪れる子供達も木のおもちゃとサンタクロースのコパンの話をしている。紫亜はその騒がしい声を一歩引いて聞いていた。
季節が過ぎる毎に子供達の興味も他のものへと移ったが、クリスマスが近付くにつれてサンタクロースの話題が再燃した。
「思い出してもらえる喜びと憶えてもらえる満足感、感じている?コパンさん」
紫亜はペンギンのおもちゃに向かって話しかける。するとおもちゃが仄かに暖かくなり、喜ぶコパンの心が透けて見えた。
「貴方も残酷ね、長老さん」
紫亜は声だけをパトロナに向ける。パトロナが困った顔をすると、皺くちゃな顔が余計に皺に覆われた。
「いえいえ。全ては貴方様が誘い、彼が行動した結果でございます」
「それが貴方達の、サンタ協会のやり口なのよね。成る程。悪霊共よりも、悪魔よりも質が悪いわ」
「悪霊が言うと冗談に聞こえませんな」
紫亜は顔を歪める。コパンが聞いた噂もあながち間違いでは無かったのだ。強いて言うなら悪魔より下位に位置する悪霊とサンタクロースとの契約ではあったが。
「それにしても、良かったのですか?貴方様はコパンの事を特別に想っていたのでは?」
紫亜はパトロナの下品な顔つきに心底うんざりする。心の汚れたサンタクロース程質の悪いものは無い。パトロナは自分が世界の中心でしかものを見られない。
「人間的な価値観で計らないでくれるかしら?私はいいとこ取りをしただけよ」
紫亜の企みの大元は彼がクリスチャンである事にあった。神を信奉するクリスチャンに悪魔を礼拝させる。それが悪魔の、そして全ての悪霊の悲願なのだ。
「悪霊を礼拝するサンタクロースが子供達に夢を配る。そうすれば私達が信奉され、神にとって代われるもの」
「私としては、資金と怠惰。ついでに名声さえ工面して下されば何でも構いませんが」
意地汚いパトロナに嫌気が差した紫亜は、パトロナを無視をして退けさせる。その場には紫亜とペンギンのおもちゃを媒介としたコパンだけが残った。
「神使とは動物に対して用いる言葉。私は貴方に悪霊だと暗に示していたのよ?」
紫亜は呟くも声は返ってこない。しかし二人の心は通じ合っていた。
「そうね、唯一の誤算は貴方の心の清々しさよ。どうせ永遠に離れる事は無いのだし、仲良くしようじゃないの。あながち悪いものじゃないでしょう?」
紫亜はコパンと同じ型のタブレット端末を弄る。最後に受信したメールが一年前、既に保護され、何百何千と目を通していた。
「差出人:コパン
宛先:紫亜
題名:本当にありがとう
本文:”さようなら。僕の初めての友達”」
ペンギンのおもちゃが途端に暖かくなる。冬なのに寧ろ熱いくらいだ。
「”またね”にしても良かったのに。コパンさんは照屋さんよね」
紫亜は悪霊失格の幸せそうな笑顔を彼に向けた。
epilogue
来るクリスマス。日本の子供達へのプレゼント配送を後任する事となったデジールは、規定通りに機械的にプレゼントを配る筈だった。
何十年もやっているように窓から室内へと入り込む。迅速にプレゼントを枕元に置こうとしたものの、その前にデジールは子供と目が合った。
「サンタさんだ!一年ぶりだね、待ってたよ!」
何処の家に行こうとも子供達は起きていて、デジールと目が合う度に感謝の言葉を告げてきた。
サンタ協会にどっぷり漬かり怠惰な生活を暮らしてきたとは言え、デジールもサンタクロースに違いはない。最初は厄介に感じた子供達の甲高い声も、次第に彼の凍り付いた心を溶かして過去の熱い想いを再燃させていった。
「去年のサンタさん!えっと、コパンさんからもらった木のおもちゃ!まだあるよ!」
何処の家の子も枕元には、去年の同じ日にコパンが添えた木のおもちゃが置かれていた。そのどれもが黒く汚れ、シミが付き、マジックペンのインクが付いたものもある。それだけ大切に使われていた事が見て取れた。
こうして日本を中心に、少しずつサンタクロースを憶えている人々が増えていった。そして、退廃されたサンタクロースの心も子供達の心も暖まっていった。その温もりは大人になっても消えず、大人の立派な知性と、子供の純粋無垢な心が同居する。今迄以上に世界は素敵な人々と、平和な世界が続くようになった。
「ただいま」
「お帰りなさい。子供達はどうだった?」
「今年も良い子達ばかりだったよ」
クリスマスには奇蹟の魔法がかかる。真面目なサンタクロースが増えた頃のクリスマスの日に、日本中に散らばったコパンの想いの力が収束されて彼は一年に一日だけ身体を取り戻せるようになった。その貴重な一日の殆どを、コパンは今もプレゼントを配る事に費やしている。クリスマスが過ぎれば消える身体とも、今では折り合いをつけていた。
またとないと覚悟していても、心を込めた単純な行い一つで存外奇蹟は簡単に起きたりする。紫亜の企みを知った上でコパンは抵抗するでもなく、自分のやれる事を全力で行っていた。
仕事を終えたコパンの想いと身体はおもちゃの中へと戻っていく。消え行く意識の中で、紫亜の姿が曖昧になる。
ぼやけた紫亜は蝶となり、飛んでくる彼女はとても凛々しく、綺麗な紫色をしていた。
クロース・ボーダー
※感想、質問、要望等大歓迎ですので、読了してもしていなくても、面白くてもそうでなくても、Twitterの方でリプかDM頂けると幸いです。
皆様と交流できる事を、心よりお待ちしております。
↓ここからあとがき
「ハッピーエンドかどうかは、物語を何処で終わらせるかによって決まる」
これは映画監督オーソン・ウェルズの格言ですが、本作は正に何処で終わらせるかで全く印象が違う話に仕上げてみました。
私が彼の事を知ったきっかけは、敬愛するウィリアム・シェイクスピアです。彼の戯曲を映画で観たいと思い調べていると、『マクベス』『オセロー』をオーソン・ウェルズが手掛けていました。
拙著『あの頃には帰さない』にも多少共通するのですが、私が執筆をする上で特にこの格言を意識して書いています。
多少ラストが雑多になりますが、敢えて多元的な展開にする事で、読者の皆様に楽しんでもらえたら幸いです。
さて作品の中身に入りますが、正直私はこれがクリスマスの作品で無ければエピローグを丸々変更していたと思います(笑)ただ流石に聖夜に暗い話はどうかな?と言う事で(子供が読んでいたら泣きかねないしね)一粒だけ希望を持たせたつもりです。
物語全体を通しての話に入ります。今回一応一作の(少し長い)短篇とさせて頂いておりますが、実際は三部構成で作っています。お気づきの方もいらっしゃると思いますが、紫亜の登場回とその前後で三つに分かれております。
具体的には、①コパンとサンタ②コパンと紫亜③コパンと子供
です。理由としてはただでさえサンタクロースをファンタジカルに書いているのに、神社で悪霊まで混ぜ込んだら重たいので止むを得ずこうなりました。未だ結構重いと思いますがそれは一重に私の力不足で申し訳ありません。面白いと思って頂けたら是非リプ飛ばしてくれると幸いです。
舞台についての話です。兎にも角にも”スノウウィー”ですが、これは常夏はよく聞くのに常冬は聞かないなーと思って創作しました。月村鏡個人的には、床秋の地があれば永住したいです……そして、敢えて直接的な記述は減らしました日本についてです。序盤にパトロナがコパンに日本にヒントがあると仄めかしましたが、単純にサンタクロースとの契約者が紫亜だからです。何故紫亜が日本に、しかも神社に居たのかは拙著『あの頃には帰さない』を読んでいると納得できるかと思います(口調の似たあの子です)。最後の一行を似せたので、前作からの読者様は気付いたかも知れませんね。
最後に、短篇でしたので余り多くを解説しないように文中では心掛けて書きました。少々やり過ぎが祟ってしまったかも知れませんが、生憎私には純粋な感想をくれる友人がおりません……冒頭にも書きましたが、些細なことでも素朴な疑問でも、Twitterにてご連絡頂ければ誠心誠意お返しいたしますので、もし頂ければ幸いです。
果たして何人の方に読了頂けるかは分かりませんが、これまで私、月村鏡作品に触れて頂いて誠に有難う御座いました。
メリークリスマス!そして、新年も近いので良いお年を!更に、続編も随時更新していく予定ですのでお待ちください!最後の最後に、私事ですが来年就活です。叱咤激励お待ちしております!有難う御座いました!月村鏡でした!