長編『イデアリストの呼応』一章

長編『イデアリストの呼応』一章

もし現代の抑圧社会で、自分勝手で利己的な理想を意のままに実現できる能力者がいたら……、という発想から物語を膨らませました。週1くらいのペースで章を追加していきます。

一章『ケルベロスは見ている』

    プロローグ

「やめて! このっ……離して!」
 夏の夜。光の当たらない路地裏の行き止まりに、少女は暴漢たちに強引に連れ込まれていた。
 ビル壁に押し付けられた少女は、どうにか男たちの手を振り解こうとする。しかし足掻けば足掻くほど手足を掴む三人の男の力は強くなり、逃げづらくなった。
 男の一人がナイフを取り出し、服を切り裂いてきた。彼の目はギラギラと興奮して見開かれている。もし抵抗しようものなら殺すぞ、と言わんばかりの野性が目から放たれていた。
 戦慄した少女は硬直し、涙を流しながらその場にへたり込んでしまった。
「最初っからおとなしくしてりゃあいいんだよ」
 ナイフの男が刃の腹を少女の頬に擦り付け、その怯える様を見て大笑いした。
 すると――不意に、男たちと少女の間の地面から、何者かが立ち上がった。
 それは身長百四十センチ程度の子供だった――男の股下を潜り抜けてきたのだろう。
「うおっ」
 唐突な出現に驚いた男たちの隙を突いて、子供はすばやく少女の腕を掴み、男たちを擦り抜けて道路の方へ逃げ出した。
「お、おい待てやコラ!」
 気を取り直した男たちは駆け出し、少女の後ろ髪を掴もうと手を伸ばす。
 だが、その手は宙を掴んだ。子供が少女をぐい、と道路の方へ突き出したからだ。しかしその反動で、子供の逃げ足が遅くなる。
「はやく逃げて!」
 子供は甲高い声で少女を追いやった。少女は悲鳴を上げながら、脇目も振らずに路地裏から逃げ去る。
「クソったれが! おい!」ナイフの男が子供の肩を掴んで振り向かせた。「お? こいつは」
 道路からの灯りを背に立つ子供は、美少女だった。彼女のウェーブがかった白髪が、道路を過ぎる車のライトにきらめき、それはまるで後光を受ける天使のようだ。
「ヒュウ! こっちの方がいいじゃねーか」茶髪の男は舌なめずりする。「おいおいせっかく助けたあの女、ひでえよなあ。もう逃げて消えちまったぜ。ヒヒ」
「これでいいのです」美少女は微笑んで両手を組み合わせる。神に祈りを捧げるように。「悪党の手から救い出すことができただけで、わたしは本望ですから」
「なめてんじゃねーぞオラ!」
 茶髪は容赦なくボディブローを叩き込み、くの字に折れた少女の後頭部へエルボーを打ち下ろした。
 別の男が、うつ伏せに倒れこんだ少女の白髪を掴み、自身の顔の高さまで持ち上げる。
「なんだその面は……」
 その少女は笑みを浮かべていた。偉業を務め切ったかのような誇らしげな顔。
 男はその生意気な顔を三発殴る。たちまち頬は真っ赤に腫れ、鼻から血が垂れる。
 しかし――その微笑みは崩れない。キャンバスに描かれたままの天使のように。
「どうぞ……」少女は言う。「わたしを痛めつけてお気が済むのでしたら……」
「スカしてんじゃねーぞオラ!」地面にその小柄な体躯を投げ捨てて、その頭を踏みつける。
「おいおいもうやめとこうぜ」狐目の男がニヤニヤしながら言う。「それ以上傷つけたら、俺、興奮できなくなっちまうよ」
「たしかにそりゃそうだ」ナイフの男が笑う。「痛めつけんのはヤり終わってからにすっか」
 男が少女の着るTシャツを乱暴に裂いて剥ぎ取った――すると、胴体は包帯で八割ほど覆われており、露出する肌は下腹部だけだった。胸部に巻かれた包帯には血が濃くにじんでいる。
 よく見ると――腕にも足首にも、ほぼ全身に包帯が巻かれていた。
「や、やめようぜ、この子は……」狐目の男が怯む。「なんか可愛そうになってきたよ」
「可愛そうだあ? だからだろうがよ」ナイフの男が目を剥く。「何があったがしらねーけど、こんだけ傷をこさえてるってことは、ほとんどの痛みに慣れてるっつー証拠だろ。なら、今まで味わったことの無い最高の苦痛を喰らわしてみてえなってなるじゃん?」
 脇腹を強く蹴り上げると、白髪の少女の体は短く痙攣した。が、呻き声さえ上げない。その顔には未だに笑みが貼り付いている。人形のようだ、と男たちは思った。
「その顔切り刻んでやろうか!」
 いきなり叫んで少女の顔にナイフを当て、脅す。皮膚が少し切れて血が頬を伝った。
「ええどうぞ」にっこりと笑う。「その行為を、あなたの心が望むのであれば」
「口と耳を繋げてやる。いくぞ!? オラ!」
 口元に当てたナイフを一気に引き抜こうと力を込めた瞬間――
 少女を中心にして、突風が巻き起こった。
「な、なんだ!?」
 男たちは腕で顔を庇いつつ、なんとか状況を確認する。
 ――そこには二十代前半くらいの女が黒髪をなびかせて立っていた。白髪の少女を抱きかかえながら。
 黒髪の女がどんな手段で出現したのかは分からない。男たちはただ口をポカンと開けて圧倒されていた。何者なんだこいつは?
「しっかりつかまってて」女は少女に向けて言う「跳ぶよ」
「な、なんだてめえおい!」ナイフの男は半狂乱になりながら女へと突進する。
 女と少女は飛び立った――遥か上空へと。一陣の突風を残して。

 女の背には翼があった。緑色に輝く美しい、豊かな両翼が。
 彼女はそれをバサァ、とはためかせて、白髪の少女を抱きながらビルの屋上から屋上へとすばやく跳んで移動している。
 白髪の少女はこの非現実的な体験に目を丸くして驚くが、女の特徴的な翼や常人離れした運動能力から、もしかして、と思った。
「あなたは――もしかして都市伝説の『手負いの翼』なのですか……?」
「うん。そうだよ」
「本当に実在していたのですね! 嬉しいです、とても」
「私は了子(りょうこ)。あなたは?」女はどこか疲れたような、掠れた声で言う。
「わたしはマリィといいます。わたし、ずっと前からあなたに憧れて弱き者を救済してるのです」
「ありがとう。マリィ……綺麗な名前ね。うん……キミにぴったり……」
 了子の意識が途切れかかっていると感じたマリィは、なぜか怖くなる。
「どこかで休みましょう。了子さん、とてもお疲れのようですし……」
「だいじょう……ぶよ……このぐらい……」
 大都会のビル群の中でも一際高い屋上で降り立った了子は、腹ばいに倒れこんでしまった。ぜえぜえと息を喘がせる度に震える背中には、もう翼は無い。魔法が切れて消えてしまったかのように。
 マリィは傍に屈み込んで、その背中に手を当てる――ぬるま湯に漬かせたタオルに触れるような感触が伝わる。掌を確認してみると、赤い血でべったりと濡れていた。
 ナイフが背中に深々と突き刺さっているのが見えた。さっきの男の物だろう。
「しっかりしてください、了子さん! 救急車を呼んできますから!」
 携帯電話を持たないマリィは、血相を変えて走り出そうとするが、その手を了子に掴まれる。
「待って、行かないで……あなたに……託すべきものがあるの……」
 彼女はもう一方の手をマリィへ伸ばす。十字架のネックレスが握られていた。
「ね。受け取って……」
 マリィは目の前の命が、急速に失われていくのを感じ取った。そのネックレスを受け取らない理由なんてどこにあろうか。マリィはネックレスごと、両手で彼女の手を握った。
「その十字架は『手負いの翼』である証よ……」切れ切れに言う。「それを身に付ければ奇跡の翼を得て、悪人に捕らわれる人を解放し、自由を与えることができる」
「奇跡の翼……。それをなぜ、わたしに……?」
「確信しているからよ」了子は青白い顔に微笑を浮かべる。「キミになら……、すべての弱き人を救い出せると……あなたなら……成長……できる……」
 マリィが握る彼女の手から、じわじわ力が抜けていき……滑り落ちた。
「マリィ……あなたはいずれ……タマキという男に出会うわ。詳しいことは……彼が教えてくれる……から……」
 了子は目を閉じる。
「ああもう……ドジっちゃった……。ごめんね……タマキくん……キミは……一人じゃ……ないよ……」
 ………………………………………。

「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」

 マリィは了子の冷たい亡骸を見つめ、聖書に記された一説を唱えた。
 高さ約二百メートル。人工の光で溢れる繁華街が一望できる屋上の端に立ち、マリィは十字架のネックレスを首に着ける。
 すると――十字架は緑色に輝く。体温のように暖かい。自身の一部みたいだ。
 いや……これは既に、己の血肉と化しているようだ。彼女から託されたその時から。
 湧いてくる……。これが奇跡の力。素晴らしい。
 ――亡くなった彼女の為にも、わたしはこの翼でたくさんの弱き人々を救い出さなければならない。何よりも、自分自身の理想の為に……。
「いってきます。了子さん。どうかわたしの行く末を、天から見守っていてください」
 満月を仰ぎ、そして――
 マリィは翼をはためかせて飛び降りた。



  一章『ケルベロスは見ている』
             ※ケルベロス:五十の首を持つ地獄の番犬
                地獄行きを拒む亡者を捕らえて貪り食う。(『神統記』より)

     1
 やけに満月が目立つ、真夏の夜。
 薄暗い路地の一角を長身の少年が行く。
 そのギターケースを背負った少年――切(きり)辻(つじ)練(れん)吾(ご)は、赤く染め上げた長髪をかきあげ、寝静まる廃ビルの前で足を止めた。
 今夜、この寂れた四階建てのビルが、凶悪犯罪者を地獄へ強制追放する現場となる。
 じめつく空気のせいで汗が止まらない。着込んでいる緑色の革ジャンを脱ぎ捨てたいが、そうはいかない。この目立つ緑色は欠かせないアイテムだからだ。
 そのポケットに入っているケータイが振動する。
「どうした」電話に出た練吾は、小声で言った。
「着いたぁ? 執行現場に」男の軽い声が返ってきた。
「チッ、どーでもいいことで……。犯人に聞こえたらどーする」
「いんやぁ、もしも練吾くんが怖気づいてたら、助太刀しようかと――」通話OFFして携帯をポケットに戻す。
 彼の浮ついた態度は、練吾にとって嫌がらせそのものだ。できるだけ彼とは言葉を交わしたくないのだが、そうはいかない。たまに練吾にとって垂涎の情報を流してくるからだ。
 彼の名はタマキ。自称『世界平和を夢見る名探偵』で、ピスタチオでビールを飲むのが好きだということしか知らないが、無償で練吾の目的を果たすための情報を提供してくれる便利な存在だ。
 切辻練吾の目的とは――強姦魔や殺人犯、またその両方を兼ねた犯罪者を完膚無きまでに叩きのめして二度と犯罪が出来ない身体に変えることだ。
 練吾は若干十六歳の少年であるが、その目的のためならば良心のかけらさえ捨てる覚悟がある。自らを陰惨の極みに追いやるだけの動機があるのだ。
 練吾はギターケースを背負い直し、物音を立てないよう注意を払いつつ、裏口のドアを開けて入っていく。
 足音を殺し、呼吸を静めて最小限のスピードで暗い廊下を駆けていくと、天井からドタッと物音が響いてきた。
 ――ヤツは二階にいる……!
 背に手を回し、少しだけギターケースのファスナーを開ける。武器を即座に引き抜けるように。さらに息を殺して練吾は物音の発生源へと慎重に進む。
 階段を上ると、窓からの月明かりで仄明るい廊下に出た。
 練吾はドアが連なる方の壁に、手を当てながら移動していく。
「ぎゃぁっっ!」
 その硬質な異音が――声が、女の喉から出たものだとは一瞬判らなかった。
 音の発生源は、奥から三番目の部屋!
 バン! ドアを蹴り破る。
 そこには――。
「おい……なんだよこりゃあ……」
 練吾は抑揚の無い声で言う。ただ抑えられない怒りが勝手に口から漏出していた。
 床に置かれたスタンドライトが二つの人影を照らしている。
 驚愕の表情で醜い下半身を露わにした一人の男と、仰向けに倒れている全裸の少女。
 少女の未成熟な白い身体は無数のアザで赤黒く彩られ、その頭部からは鮮やかな赤い楕円が咲いて広がっていた。ぐりん、と上に向いている目は、何を見ているのだろう。ただ、そこから流れる一筋の涙がライトに輝いている――冷たく静かな絶望を物語るように。
「選べよ外道……」静かに練吾は言う。「これからおとなしく警察に自首するか、もしくはオレに――」
 四十代ほどの男は奇声を上げて、近くのスタンドライトを練吾に投げつけてきた。練吾は即座に背中のギターケースへ手を回す。
 そこから引き抜かれたのは、金属バットだ。使い込まれてところどころ凹んでいるバットは真っ赤にペイントされており、溢れる鮮血を連想させる危険な色をしている。
 バキャ! とライトは赤いバットによって叩き砕かれ、散乱する。
 失われる光。だが、練吾にとっては光の有無など些細な問題だ。
 こんなにも犯罪の悪臭でぷんぷんしているターゲットが目の前にいるのに、どうして光など必要か。
「もしくはオレに……ゴミクズにされるかをな……!」
 素早く一歩踏み込み、バットを振りかぶってフルスイング。
 男の腕の骨が派手にひしゃげた。倒れる暇も与えずに、もう一方の腕にもフルスイングをかまして潰す。
 ホームランも余裕なそのバッティングには容赦はない。
 倒れて床でのた打ち回る男の口から断末魔が迸るが、練吾の顔には情けなど無い。その顔はまるで、ゴキブリに対する害虫駆除業者のそれだ。
「そこの女の叫び声とはな、比べモンにならねえんだよ、てめえのきたねえ声は」
 次は両足をフルスイングで潰す。
「ぎゃあああああああああ!!」
「叫べ。ほら叫べよ外道! もっともっと……。じゃねえと釣り合わねえだろ」
 床に崩れ落ちた男の手足は奇妙な角度に曲がり、ビクンビクンと全身を痙攣させている。口からは、強火にかけたまま放置した鍋のように泡がブクブクと吹きこぼれ、白目を剥いていた。
「なあ、聞いてるかおい? おとなしくケーサツに両腕揃えて差し出した方がマシだったな? でももうダメだ。ダメ。お前は敵なんだ。レイプ殺人しちゃいけませんっていう大事なホーリツを犯したってことは、つまり世界中の敵ってことなんだ。わかる? だからお前は、ブッ叩き殺されても文句言えねえ立場なんだよ。バカが!」
 バットでゴツン、と男の頭を叩く。そいつはもう身体を痙攣させ続けることしかできない。
「こいつでシメだ……」
 すうっ、と練吾は両手でバットを頭上に掲げ、そして――
 男の股間めがけて迷い無く振り下ろした。

 耳障りなサイレンを鳴らす数台のパトカーとすれ違うが、練吾はそれらに露ほども関心を見せずに薄暗いベッドタウンを歩いていく。
 数十分前、ターゲットに制裁を加えて、少女の目を閉じた後、練吾は外に出て近くの公衆電話で警察に「死んだ少女と強姦魔が気絶している」ことと住所を簡単に伝えたのだった。先ほどのパトカーは、練吾の通報をきっかけに出動したものだろう。
 練吾は長いため息を漏らした。ギターケースに収まる血染めのバットがやけに重く感じる。なぜだろうか。きっと自分の顔はかなり青白いことだろう。気分が優れない。
 誰かの気配。顔を上げると近くの街灯の下で、ホストみたいな風貌の青年がポケットに手を突っ込んでいた。なぜか薄ら笑いを浮かべている。
「やっ、お疲れぇ。切辻練吾くん。お初だねぇ、顔合わすの。ところで気分はどう?」
「『名探偵タマキ』か……? あんたには名前、教えていなかったはずだぜ」
 練吾はうんざりしていた。気が滅入っているから誰とも話したくない。
 この胡散臭い自称探偵は、六日前から練吾のケータイに犯罪者の情報を寄越してくれる謎の人物だ。いつどこで練吾のアドレスを盗んだのかは判らない。しかし彼の犯罪者情報は役立つため、その辺は目をつぶっている。
「世界平和を愛する名探偵タマキったあおいらのことさ! 何でも知ってるよ? 君がボコボコにした連続強姦魔の手口とか、ブリーフ愛好家だとか!」
 情報屋――タマキは気取った態度で頭を振り、目に掛かった金髪をどけた。
「うぜえ」練吾は顔をしかめる。
 タマキはハーフのような彫りの深い端整な顔立ちと金色の頭髪を誇っていた。年齢は二十代半ばほどに見える。赤いストライプの入った明るいスーツを着用しているせいか、歌舞伎町でチャラついてるようなホストにしか見えない。
「生憎、今のオレはてめーとくっだらねえ軽口を交わす気分じゃねえんだ。ヤツの犯行現場の情報を流してくれたことに関しては礼を言うがな」
 呟くように練吾は言い、そのまま歩いてタマキを通過しようとすると、
「本物の『血のカマイタチ』になりたくないかい?」
 耳元で囁かれ、練吾は思わずゾクッとした。
「……何の冗談だ?」
「そのまんまの意味さ」
 ――模倣者でしかない俺が、本物になるだと……?
「からかってんのかテメエ……殴るぞ」
 練吾は野性的な鋭い目でタマキを睨むが、その涼しい顔は変化しない。
「んー、ここじゃなんだ……。近くに美味い酒が飲めるバーがあるんだけど、どう?」
 タマキは親指で背後を指し、バーのある方角を示した。
「ああ? なんでバーなんだよ。やだよ。未成年だぜオレは」
「いいからいいから」

「何飲む?」
「カルピス。未成年だっつってんだろ。まだ十六だぞ? 酒は飲めねえ」
「あれえ。意外とお堅いのね。すいませーん! ハイボールとカルピス!」
 タマキはバーの一番奥にある個室から、カウンターでシェイカーを振るマスターへ大声で注文した。
 この小規模なバーにはジャズがステレオから大音量で流れ、かつ客が少ない。なるほどここは秘密話には絶好の場所だな、と練吾は納得した。しかし、未成年の練吾をここに誘い、ノリノリで酒を勧めてくるタマキの倫理観には嫌気が差す。
「で、今日の現場はどんな具合?」
 タマキは不敵な笑みを浮かべて訊ねてくる。
「……思い出させるな。オレより年下ぐらいの女が死んでいた……くそっ」
「そうなんだ……」タマキは表情を曇らせる。
「そんな話をしに来たんじゃねえだろ……。さっさと本題に移れ」
「分かったよ」タマキは肩をすくめて苦笑する。「つまりだ。切辻練吾君は『血のカマイタチ』の適性者として認められたんだよ」
「は? オレが適性者? どういうことだ。そもそも『血のカマイタチ』は単なる都市伝説のはずだろ。誰かヒマなヤツがでっち上げた架空の存在のはずだ」
「んでも、キミはその架空の存在に多大な影響を受けて、模倣するまでに至っている……違うかい? 想像上のヒーローに過ぎない『血のカマイタチ』になり切るほど、切辻練吾君は酔狂じゃないと思うけどねえ、僕は。ホントは信じてるんでしょ? その実在を」
「バカな。あんたはオレの何を知ってんだ? 利用してるだけだ。本当に存在してるかどうかなんて関係ねえ。オレが起こした事件を耳にした連中が、その想像上のヒーローの仕業だと思い込むようになればそれでいい。悪事を働けばその超人的で容赦のないヒーローに、ブチのめされるという恐怖を与えられれば、それでいいんだ」
 練吾が『血のカマイタチ』という存在を知ったのは二年前の冬。
 当時はまだ勤勉な中学生で通していた練吾だったが、ネット上の掲示板で『血のカマイタチ』の情報が集まるスレッドを偶然見た途端、押し隠していた暗い復讐心が噴出したのだった。
 『血のカマイタチ』とは――強姦や殺人を犯した者の前にどこからともなく忽然と現れ、真っ赤な刃を投擲してその手足と局部を切断し、二度と犯罪ができない身体に作り変える、というオカルトじみた都市伝説だ。また、制裁を加えられる前にある問いが投げかけられるのだという。
『選べ。自首して公的に裁かれるか、私に切り刻まれるか』
 そこで前者を選べば、警察へ出頭し罪を自白するまで『血のカマイタチ』に監視される。
 しかし後者の場合――つまり逃げ出したり刃向かった場合は、容赦なく四肢と局部を切り取られてしまう。
 その都市伝説の出所は不明であるが、マスコミから実際に制裁されたと思しき犯罪者の実例がいくつか報道されているため、その実在性を信じている者が数少ないが存在している。
 そして、その類の報道が増えていくと、実在するか定かでない『血のカマイタチ』を英雄視したごく一部の者が、模倣していくようになった。模倣者たちは本物に近づきたいがために、確証の無い目撃情報を頼りに凶器を真っ赤にペイントしてみたり、頭髪を赤く染めたりなどしており、それを目撃した者が「本物らしい」とネット上にその特徴を広めていった。
 そのせいで『血のカマイタチ』の目撃証言はバラつきが激しく、はたして本物はどんな外見なのか、性別さえ分からない虚構性の強いものとなっていった。
 そして約三ヶ月前から、『血のカマイタチ』の実在を支持する声が世間からぱったりと聞こえなくなった。模倣者や目撃証言もそれに比例して減少していき、ネット上でもその名が挙がることはレアなケースとなった。
 恐らく今、模倣を続けているのは練吾だけだろう。しかし練吾は最初から『血のカマイタチ』の実在など信じていないし英雄視もしていない。ただ、その存在を利用して強姦殺人者を叩きのめすことができるから、模倣者を演じているに過ぎない。
 ――このオレが、信じてもいない『血のカマイタチ』になる、だと?
「知ってることを全部言え。『血のカマイタチ』って、一体何なんだ?」
「『理想家(イデアリスト)』という、特殊な能力を持つ者の一つさ」
「『イデアリスト』? なんだそれは」
「『血のカマイタチ』以外にも都市伝説ヒーローと呼ばれる存在がネット上で囁かれているでしょ? 『やさしい掌』とか『手負いの翼』とか……。彼らを知る者たちは、『イデアリスト』と呼んでいる。そのことに詳しい友人がいるんだけど、そいつ曰く、イデアリストという概念は大昔から存在しているらしい。でも、あまりに非現実的な超常現象を起こすもんだから、世間一般には浸透せず、歴史の闇に埋もれ続けているって話だ」タマキはコップの水をあおった。「イデアリスト達は超越的な力を行使して、自身が描く理想の世界をひたすらに目指す。たとえば『血のカマイタチ』にとっての理想郷は……強姦魔や殺人鬼のいない世界、かな?」
「……はっ?」
 練吾は口をぽかん、と開いた。タマキ曰く『イデアリスト』とやらにカテゴライズされる都市伝説ヒーローは、確かにネットの掲示板でよく話題になる。しかしどれも非現実的な噂話の域を出ない作り話に聞こえてならない。
「何いってんだ? ヤツらが本当に実在するだと? まさか……」
「練吾くん、そんなこと言ってっけどさ、キミ、笑ってるよ」
 その通りだった。自分はにやり、と笑みを浮かべている。直感的にタマキのマンガじみた説明を信じている自分がおり、心が昂ぶりつつあったからだ。
「ふん、笑ってなんか! 信じられるかっての……そんなホラ話」
 慌てて仏頂面に戻して、練吾は腕と足を組んだ。
 そんな練吾をからかうようにタマキは笑い、スーツの懐から赤いケースを取り出してテーブルに置いた。婚約指輪とかに使われそうなデザインである。
「そしてこいつが『血のカマイタチ』になれるアイテム。魔法少女で言えば、変身ステッキみたいなもんだ。以前の持ち主から貰った代物さ」
 タマキはケースを開け、シルバーネックレスを取り出した。小さな剣を象ったデザインをしている。
 そのまま練吾の首にひっかけようとしてきたので、練吾は思わず後に身を引いた。
「ははっ、冗談冗談。ビビんないで」
 このアクセサリは極めて危険な代物であると本能が告げていた。それは自分を未知の存在へ変貌させ、もう元に戻れなくなるような――。迂闊に手出ししてはいけない何かだと感じた。
「寄せ付けんなよ」
「大丈夫。キミが考えてる程ヤバい代物じゃない」タマキは箱の中にネックレスを丁寧に戻した。「『血のカマイタチ』でいられるのはアクセサリを着けている時だけさ。外せば能力は解除される。つまり、いつでも元の常人に戻れるってこと。お手軽でしょ? ダメだったらすぐに返してくれればいい。先代だって、一ヶ月で飽きて今は堅気の職に就いてるよ」
「んなこと聞いてんじゃねえよ。なあ……こいつは本物なのか? 本当にこれを身に付ければ、噂話どおりの力が手に入るのか……?」
「うん。強姦殺人者を狩るのに特化した力をね。ワタシ嘘ツカナーイ」
 練吾は五秒ほど目を瞑り思考する。本能、いや第六感とも言うべき鋭い勘が、危険信号を鳴らしている。こいつは手にすべきではない。自分には超越した力を得る覚悟など……。石橋は叩いて渡れ。崩れる予感がプンプン臭う橋など。
「……断る。オレは今のままで十分だ。だいたい胡散臭すぎるんだよ。信じられねえ」
 練吾は立ち上がり、タマキに背を向けた。
「切辻練吾くん。ただの模倣者を演じるのにもさ、そのうち限界が来るよ」
 悠然とソファに腰を沈めるタマキは、小箱を練吾に放り投げた。
「なっ……!?」
 タマキの突然の行動に驚いた練吾は、とっさに小箱をキャッチした。それはまるで手に吸い付いてきたかのようだった。投げ返そうとするも、その途中の姿勢のまま躊躇する。
 ――なぜだ? なぜ、こんな無意味なものを受け取って、なぜこんなにもオレは嬉しい?
「表情筋ユルユルになってるよ、練吾君」
 くくく、と目を三日月型にして笑うタマキを、練吾は睨み付けた。
「緩んでなんか……!」
「いいから取っとけってば。そのうち君でも手に追えない犯罪者が現れるだろうさ。その時の保険だと思って懐に入れときなよ。悪い話じゃないでしょ?」
 タマキは急に真剣な顔付きになり、練吾にしっかり握られている小箱を指さした。
「ちっ……! くだらねえ。オレは、信じねえからな……!」
 と言いながらも小箱をポケットに入れ、大股で出口に向かった。
 その途中、二つのドリンクをお盆に載せたバーテンとすれ違う時に、「それ、オレが注文したヤツだよな?」と言うなりドリンクを一つ奪って一気飲みし、お盆に戻して店から出て行った。犯罪者を狩る前から、喉がカラッカラだったのだ。

   2
 それから間もなく、バーテンはタマキの席にカルピスを運んできた。
「あれ? マスター、おいらが頼んだのはハイボールだけど」
 タマキは不思議そうに、白い液体で満たされたグラスを取って眺める。
「ハイボールはお連れの方が一気飲みして帰られましたよ」
「あっそうなの。それじゃ」タマキはパンッと手を叩く。「仕切り直しだ。ハイボールを二つくれないかな」
「えっ、二つ、でよろしいのですか?」
「いいんだ二つで」タマキは笑う――寂しそうに。「あの人がここで今夜、飲むはずだった分だ」

   3
「くそっ、間違えた~」
 練吾は電柱に両手を当ててうずくまった。
「あんな気持ちわりいモン…….腹に入れる代物じゃねえよ、絶対……!」
 初めて飲んだアルコールのせいで、平衡感覚があやふやになって世界が回っているように感じる。練吾は身体を電柱に背を付けて座り込んだ。
 ここは小規模な商店街。真夜中なのでコンビニ以外全てシャッターが下りている。レジに立つコンビニ店員の顔がたまにこちらを向く以外、人の気配は感じられない。
 練吾はおもむろにポケットから小箱を取り出し、蓋を開けた。
 酔ってるせいかもしれない。練吾は銀のネックレスを人差し指に引っ掛けてヘラヘラ笑い出した。
「こんなもんが、オレに力を与えるだと……? くっだらねえ! ……ははははっ!」
 指を器用に動かしてネックレスを遠心力で回し、その剣を象ったデザインを見つめる。
 そうしているうちに練吾はぼんやりとしてきて、ふと、過去のことを思い出す。
 銀のアクセサリに様々な顔が映り行く――死に化粧を施された母親。鬼のような形相で金属バットを振り上げる少年。そして、痩せこけた父親のギラついた眼光……。
「なあ、親父よぉ……あの時からオレ、もうこんな生き方しかできなくなっちまったよ……。ならいっそ……」
 ネックレスを首に掛けようと、両手に持ち変えて輪を作り、顔を近づける――。
「なんてな。バカバカしい……! こんなもん、誰が信じるか……」
 練吾はネックレスを小箱に仕舞い込み、ポケットに入れた。
 ドクン! その時――胸が痛んだ。何か鋭いものが心臓を内側から切り裂いて出てくるような、鋭利な痛み。練吾はうめいて胸を押さえる。初めての痛みだった。しかし実際に肉体が痛んでいるわけではない。
 心だ。感情が暴走している。酒のせい? それに……懐かしい?
 なぜ、オレは痛みに対して懐かしいと感じている? なぜだ? なぜ懐かしい?
 ふわり、と軽やかに風がそよぐ気配がした。
 頭上だ。空を仰ぐ。
 天使がいた。
 ビル群に切り取られた四角い夜空に。
 空高く舞う小柄な天使。白い髪に白いワンピース。おそらく少女。覗く白い肌には痛々しく白い包帯が巻かれている。そしてその背には翼が――。
 いや、翼など無い。目の錯覚だ。しかし、確かに翼で羽ばたく気配があった。
 あの白いシルエットは満月をバックに、五メートルほども距離があるビルとビルの間を難なく飛び移って、視界から消えていった。
 まさか、あいつ……。
「『手負いの翼』だ! マジモンの『手負いの翼』だ! はははっ」
 と歓声を上げたのはコンビニのゴミ箱を整理していた店員だ。彼は携帯電話で何かを打ち込んでいる。おそらく目撃情報をネットに流しているのだろう。
 『イデアリスト』――歴史の闇に埋もれ続ける、超越した力を持つ者たち。
「本当に……いるのか?」
 まだ痛みの残る胸元を押さえながら、練吾はふらり、と立ち上がって夜空を見上げた。
 もう、天使はいない。あれは夢か現か酒のせいか。満月がいたずらに輝いているだけだった。

    4
 一週間後――。
 半月の夜。薄暗い路地裏で練吾は、性犯罪者の股間へトドメの一撃を食らわした。
 悪には決して容赦はしない。する必要なんてどこにある? これは正義の鉄槌なのだ。世間の連中、つまり犯罪者予備軍を脅し付けるための宣伝でもある。さあさあ皆様ごらんください。強姦や殺人を犯した方は漏れなくこーなりますよ。
 愛用の金属バットをギターケースに仕舞い、練吾はガタガタ震える被害者に顔を向けた。
 服ははだけて白い乳房が露わになっているが、強い精神的ショックのせいで何もできずにいるようだ。
 不意に母親の顔が脳裏に過ぎり、練吾は女から目を逸らして舌打ちをした。
「これから警察を呼ぶ。その前に帰って泣き寝入りするか、警察にあれやこれや詮索されて、あることないこと想像されるかは、あんたの自由だ」
 練吾は革ジャンのポケットに両手を突っ込み、両手足と股間を砕かれた男と、心を砕かれた女を路地裏に残して、立ち去った。

 いつものように適当な公衆電話から警察へ強姦事件のことを告げ口した練吾は、池袋のサンシャイン通りへ向かい、やかましい夜の雑踏に包まれた。時折、風に紛れ込む都会特有の悪臭に思わず顔をしかめる。
 人、人、人……、どうしようもないぐらいに溢れかえる人。
 練吾は緊張をほどく事無く、雑踏へ鋭い目を走らせる。
 この中にどれだけ犯罪願望を内に潜める人間がいるのだろうか。
良心に基づいて行動する善人も少なくないことを練吾は理解している。だが怖いのは、そうした善良な人間の心に黒い犯罪意識が芽生えてしまうことだ。
 普段、一般人が認識できる犯罪者は、マスメディアが公表する容疑者に限られるだろう。しかしそれ以外にも、街のドス黒い闇に紛れて、表に現れない犯罪者も大勢いる。
 自殺や行方不明に見立てた殺人の場合や、レイプ被害者が誰にも伝えられず泣き寝入りするだけの場合など……。犯罪が表に出ない手法や理由などゴマンとある。
 さらに、善良な人間が捕まらずにのうのうと悪事を働き続ける存在を知ることで、も「なんだ、あれだけやっても捕まらないんだ。じゃあ俺も俺も」と軽い気分でやってしまうケースだって少なくはないだろう。
「だからその前に、徹底的にくそったれ犯罪者を潰さなきゃいけない。徹底的に……」
 ふと、さっきのレイプ被害者の顔と、母親の顔がだぶって思い出される。
 救えなかった顔。もう癒すこともどうすることのできない、悲しいままの顔。
「オレはてめえの信念に従ってやることをやった……。できることをやったんだ、それでいいじゃねえか」
 自分は性犯罪者の両手足とイチモツをぶっ潰して警察を呼んだ。それで十分な社会的影響を世間様に食らわせることができる。結果的にマスコミによって大々的に報道されて、犯罪の増長にストッパーを差し込むことに繋がることなのだから。
 練吾は脂汗の浮いた額に手をやり、長い溜め息を吐きながらビル壁に寄りかかった。
 ――凄まじいスピードの気配!
 練吾はそれが顔面に直撃する寸前にキャッチした。
 飛来物の正体はペットボトル。カルピスウォーター。よく冷えていた。
「ストラーイク! 世界平和を愛するタマキ投手、自己最速の一五六キロを投げたぁー!」
 耳障りなホスト然とした軽い口調。聞き覚えがあった。
 練吾は殺気のこもった目でそちらを睨みつけると、自称探偵は澄ました顔でガッツポーズした。
「だってこうでもしねえと受け取らないじゃん? 練吾くん、超ツンデレだし」
 本日何度目か分からない舌打ちをし、練吾はボトルのキャップを外してカルピスを喉に流し込んだ。
「なーんか嫌な汗かいてるよ。やってきたの? これ」
 タマキは自身の両手足を手刀で叩くジェスチャーをした。
「薄汚ねえ廃ビルばっかの路地裏を散歩してたら、現場を偶然見かけてな」
 口端から垂れるカルピスを手の甲で拭いながら、練吾は答えた。
 犯罪現場を特定するのに、ネット上の掲示板やタマキの情報だけを頼りにしているわけではない。練吾は寝食の暇も無く自ら動いて街を巡回し、目を光らせているのだ。
「で、間に合ったの?」タマキは練吾の隣に近づき、同じく壁に寄りかかった。
「いや、きっちりヤられた後。野郎も既に社会の窓を閉じていた」
「でもガイシャの命は無事だったんでしょ? それだけでも儲けもんじゃないかな」
「今回の強姦魔には、ハナっから殺意などなかった。俺が駆けつけた時にゃ、スッキリした顔で帰るところだったんだからな」それからカルピスを一口飲み、「それに女がこれからどうなろうが知ったこっちゃねえ。オレはただ、犯罪者をぶちのめすことだけが目的なんだ」
「でも、彼女の――被害者の傷はざっくりと深い。これからもずっと続く傷だ――いや、場合によっちゃ、これからより深まる」
 途端にタマキの顔に陰りが生まれた。練吾はその端整な顔に潜む暗い真意を、覗き込むように見つめる。だが、すぐに軽薄な表情で彼の闇は綺麗にコーティングされた。
「……何が言いてえんだ?」
「いんや別に、何でも――ところで、だ。気晴らしにどう? 高い所に行かない? メシおごるからさ」

 気は進まないが、練吾はタマキの誘いに乗って池袋サンシャインシティへ向かった。最上階は高さ二三九・七メートルの展望台となっており、二人はエレベーターでそこへ向かう。
「いいもんだろう? 人間でごみごみしてる東京の夜も、上から見りゃあ綺麗な大パノラマさ」
タマキは窓ガラスから夜景を眺めながら言った。ネオン街やビル群、車のライトなどが宝石のように輝き、人工的な美しさで満ちている様が一望できる。
 時刻は二十時頃。ベンチソファや窓際など、落ち着けるスペースを確保しているのは、ほとんど甘いムードを醸し出すカップルだ。練吾は正直、居心地が悪かった。夜景にも興味は無い。早くタダ飯食って帰りたいと思った。
「綺麗? お気楽なもんだな。あの街の中でどんな残忍が事件が起きてるか知れねえってのに」練吾は背中を窓ガラスにくっ付け、つまらなそうに言った。
「まあ、そうツンケンすんなってば。見ろよ、あの繁華街。老若男女、様々な人間がだいたいまとまった行動を取っている」タマキはいつの間にか望遠鏡を覗き込んでいる。「大行列が出来てるラーメン屋にわざわざ並ぶ連中とか、路上ライブに詰め寄る連中とか、このサンシャインシティに来る連中とか。見た感じ、際立って珍しい行動を取るヤツはいない。誰しもが人が多い場所に導かれて自動的に動いているように見える」
「そういうもんだろ、街ってヤツは。そーゆーつまらさの中に、平和があるんじゃねえの」
「文明社会は秩序あってこそ機能する。でも、当たり障りの無いフラットな情報で埋め尽くされた社会では、リアリティある感覚が軽蔑されて抑圧される。そうして大部分の住人は、自我を抑制されながら退屈な毎日を生きているのさ。特に日本は協調意識が高過ぎるからね。その分、野生的でリアルな感情や胸に抱く夢を内側に押し込めなければならない。で、時にそうした抑圧が、過剰な自己顕示欲を呼び起こし、世間に自己をアピールして注目を集める行動に走る。オレはここにいるんだぞ! 誰か見てくれ! って。ツィーターに刺激的な画像をアップして炎上させたりしてさ」
「それで済めば可愛いもんじゃねえか。中にはネコ殺したり、誰かを半殺しにしたり、猟奇殺人やらかして、リアリティたっぷりなスリルを感じたがる奴もいる」
「そうなんだよねえ。んでも、そこでおいらは思うんだ」タマキはずい、と練吾に接近して人差し指を立てる。「そうした抑圧されたエネルギーを、正しいことに向けるべきだと、ね。たとえば――世界平和の為に行動を起こす! とか……『血のカマイタチ』の模倣をするとか」
「なんだ結局その話かよ……。で、言いたい事はなんだ? 言えよ」
「その例のネックレス」タマキは練吾の革ジャンのポケットに目をやる。「持ってるんだろ? 肌身離さず」
「それがどうした」練吾は背中を向けて彼の視線から逃げた。「こんなもの……胡散臭くて着ける気にならねえよ」
「でも感じてはいるんでしょ? そいつが、君の宿命とやらの助けになるってこと」
 一週間前、初めてタマキと会った時に貰ったネックレスは、今もズボンのポケットに入れている。風呂に入る時以外、手放す気にはなれないのだ。
「そして予感してるんでしょ? 近いうち、そいつを自分の首に引っ掛けることを」
「知った風な口を。俺は『血のカマイタチ』になるつもりも、ヒーローになるつもりもねえ」
「でもさあ、練吾くん。やっぱ金属バッド一本だけじゃあそのうち限界ってもんが来るよ」
 タマキは腕を窓に当てて、夜景を注視する。
「中にはとびっきり凶悪なヤツや、複数人で群れている犯罪者もいる。いつまでも非力な単独犯に当たるとは限らない。こんなにも人が密集してる街なんだからさ。中にはとんでもない連中だっている」
「相手がどんな奴だろうと、ブチのめすまでだ。タマキ、俺が非力だって言いたいのか?」
「ああ非力さ」
 練吾はタマキの胸倉を掴んでグイッと引き寄せた。彼は人形のように軽薄な表情を変えない。
「あのなあ! オレにはデカい目的がある。親父から引き継いだ意志がある。どんな外道もめちゃくちゃぶっ壊す覚悟はできてる。ここに理想ってやつがあるんだよ……」練吾は自分の胸元を指さす。「他人を食い物にするバカ共を根絶やしにする理想が!」
 鋭い剣幕で言い立てるが、周りのカップルがこちらに視線を寄越したので、練吾はタマキを放した。
「頭ン中でグズってる理想だけじゃ強くなれないさ。世界大戦中の日本だって、勝てる勝てると狂って奮闘したけど、結局負けた。要は、その理想に伴う力や武器が必要なんだよ」
 タマキはよれよれになった高級スーツの胸元を直しながら言った。
「何度も言うようにね、その力がそのネックレスにある。いいかい、練吾君。金属バット一本で太刀打ちできない状況になったら、迷わずそいつを首に引っ掛けるんだ。じゃなきゃ後悔するよ」
「ウゼえ……」
 革ジャンのポケットに両手を突っ込み、練吾はタマキに背を向けて歩き出す。しかし、タイミングが悪いことに空きっ腹からくぐもった音が鳴ってしまった。
「てゆーか練吾くん、おなか減ってるんじゃないの? ステーキでも食べよーよ」
「ぐ……」
 口内で数ヶ月食べていない肉の味が蘇り、練吾は足を止めて振り返った。

    5
 ねっとりとした闇の中にいた。音も光も無い絶望的な漆黒の世界で、切辻練吾は冷や汗を撒き散らしながら全力疾走していた。
 自分が今、どこにいるのかさえわからない。ただ、とても恐ろしい何かに追われているのだ。背後にもの凄い圧迫感を感じる。音も何もないのに、ただ何かが執拗に迫ってくる――。
「くっ、くるな!」
 しかし、何か地面に横たわるものに足をぶつけてしまい、練吾は前のめりに転倒する。
 真っ青な顔で上半身を起き上がらせて、その障害物を見た。
 両手足が付け根から切断され、股間から血を流す男。そいつは芋虫のようにゆっくりと、ずるずると練吾に近づいてくる。
「ヨクモ、俺ノ手足ヲ……」
「うわああああ!」
 あまりの恐怖に総毛立ち、立ち上がって逃走しようとするも、次は直立している人間とぶつかった。
「痛イジャナイカ……手足ガ取レチャウジャナイカ……」
 積み木が崩されたように、そいつは手足がバラバラになって地面に落ちる。
 その口があんぐりと開き、練吾の足首に噛み付いた。
「はっ、離れろぉ!」
 いつの間にか右手に血染めの金属バットが握られており、無我夢中で胴体だけのそいつに振り下ろす。
 ぐちゃあ、と粉砕する胴体。しかし、その口はずっと噛み付いたままだった。
 ぎりぎり。噛む力が増す。皮膚が破けて血が足首から噴出した。
「離サナイ……。ズットズット……苦シメ……モガケ……ギヒヒヒッ」
 いつの間にか、周囲には胴体だけの血塗れな男達が、無数の芋虫のように這って近づいてきていた。
「やっ、やめろっ! 近づくな! う、うわあああああああ!」

 ガバッと布団から飛び起き、練吾は汗にまみれた顔をぶんぶん振る。
「夢かよ……。朝からゲログロ……」
 手を伸ばしてテレビの電源コードを壁コンセントに挿して、テレビをつける。練吾は百八十センチの長身であるため、四畳半のワンルームでは寝ながらでも手や足をちょっと伸ばせばだいたい届く。ちなみにこの部屋の家具は、全て練吾がゴミ捨て場から拾ってきたものだ。
 寝ぼけ眼で割れた液晶画面を見ると、昨夜の強姦事件のニュースが映っていた。
 あの被害者の女は結局逃げずに警察を待ったらしい。保護されて手当てを受けた後に警察に事件のあらましを話したようだが、練吾については一切触れていなかったようだ。
 その二十代女性は、犯人の手足が破壊されていたことについては、気が動転していてよくわからない、と供述しているとのこと。
「オレをかばった気でいるのか……? ったく! もっと世間に知らしめてくれよ。それじゃ意味がねえ。オレが鬼畜野郎をボコるのはあくまでも手段であって、目的は犯罪を抑止させることと、模倣者をどんどん増やすことなんだよ」
 テレビをつけたまま、ケータイでネット掲示板にアクセスする。
 昨夜の強姦事件のスレッドへ移ると、やはり『血のカマイタチ』と関連付けしたがるコメントが多かった。
[伝説の都市伝説ヒーロー復活キターーーー!]
[でも『血のカマイタチ』って、あきらかに過剰防衛で捕まる立場だよね? 要するに犯罪者。なにみんな盛り上がってるの?ww』
 [犯罪者だけと言わず、ヤリチン全員を不能にしてくれぇぇぇぇ!]
 くだらないコメントばかりだったが、これでいい。少なからずとも『血のカマイタチ』をヒーロー視している者がいるだけで十分。
「あとはそのヒーローの真似事をしてくれれば、少しは助かるんだがな」
 腹が鳴ったので、キッチンへ行きヤカンで湯を沸かし、マロニーを茹でた。マロニーは偉大なり。茹でれば茹でるほど膨張して腹をより満たしてくれる。それにカルシウム豊富で骨を丈夫にしてくれる。人類の味方。安価な救世主。
 練吾に金銭的援助をする者はいない。十一歳の頃に両親を失った後、しばらく新潟県に住む親戚に引き取られて生活していたが、家出するように上京した。『血のカマイタチ』の存在を知ってからは、すぐキレてケンカ沙汰を起こす赤い髪の不良少年に変貌していたため、親戚からは愛想を尽かされている。きっと問題児であった練吾が消えてせいせいしているだろう。彼らは練吾の口座番号や住所も知らない。死んでいると思っているかもしれない。
「今日は二五日。つまり給料日。っしゃあ。当分、マロニーがたくさん食べれるな」
 練吾はコンビニでアルバイトをしており、そこで得る少ない収入をやりくりしてギリギリの極貧生活を送っているのだった。
 茹で上がったマロニーを茶碗に入れ、ポン酢を入れて食べようとしたら、ドンドンとドアが強く叩かれる音が響いた。元々、チャイムが壊れている物件なのである。
「切辻くーん! 今日こそ家賃払ってもらうよ~! 三ヶ月も滞納してるんだから!」
 大家のババアである。月一万五千円の家賃をせびりに来たのだ。
「あんた、今日、バイトの給料日だったよねー!」
「何で知ってんだババア! てめえ妖怪か!?」
「かかったね! 世間じゃあ二五日は給料日と決まってるからねえ……カマかけたのさ」
「外道が!」

 目立つ緑色の革ジャンを着込み、金属バットを入れたギターケースを肩に引っ掛けて、練吾はかなり不機嫌な表情でバイト先のコンビニへと向かう。
 新宿駅で電車から降り、人ごみを縫うようにしてバイト先に向かう途中、とある男が練吾の目を引いた。ニワトリのように逆立てた赤い髪。緑色のジャケット。ただ背が一五〇センチほどしかなく、しかもえらいブサイクだ。似合わない。
 おそらく、あのブサイクは噂される外見だけ真似して『血のカマイタチ』である自分に酔っているのだろう。それが不機嫌な練吾には許せなかった。
 ギロリとそいつを睨みつけていると、ブサイクは練吾に気付き、ひょこひょことニワトリのように首を前後に振りながら近づいてきた。
「ああん? なんだあ、その赤い頭ぁ。オレの真似してるぅ? 『血のカマイタチ』の真似してるぅ?」
 そいつは顔の右半分だけ器用に吊り上げて、無駄に甲高い声で威嚇してきた。
 ウゼえ。練吾のこめかみに青筋が浮かび上がった。
「別にいいぜ……。模倣してくれるのはよ……。だがな、格好だけを真似するコスプレ野郎はお呼びじゃねえんだよ。特にブサイクはな……」
「なんだぁその言い草はよぉ? コスプレはそっちじゃねえのかオイ!」
「真似するならな……覚悟を決めろ。強姦殺人犯の手足とナニを潰す覚悟をよ」
「決めてるに決まってンだろー! オレは本物だぜ馬鹿が! 質の悪いヘアカラーが脳ミソに染み込んで、イカれたんじゃねーの!?」
「脳ミソが赤く染まるのは貴様だ! ただし、てめえ自身の血でなあ!」
「えっ? ちょっ……!」
 練吾は一瞬のうちにブサイクの腕を引き寄せ、派手に一本背負いを決めてやった。
 ピクピクと地面で身体を痙攣させるそいつを指さし、練吾は言う。
「いいか? 次その格好する時は、卑劣な外道を狩ると決心した時だ。また半端な気持ちでコスプレしてみろよ……そん時はガチで頭カチ割るぞ! あと整形してこい!」
「は……はひ……すみませんでした……」
 あースッキリ、と言いながら練吾はその場を立ち去ると、その光景をぼんやりと眺めていた群集もまた、一時停止が解除された映像のように歩行を再開した。群集とはそんなものである。

「らっしゃいっせー。ありあっしたー」
 時刻は午後一時。ようやくコンビニの売上ピーク時が終わり、練吾はレジ内であくびをした。
 バイト先のコンビニは新宿のオフィス街にある高層ビルの一階にあり、客の大半は必然的にそのビルの関係者となる。そのため非常識な客が来ないので、まったりと仕事ができる。
 ビルで働く社員達は昼休みになると、浜辺に打ち寄せる大波のごとく入店し、砂をさらうように商品の大半を買って出て行く。惣菜パンコーナーがほぼ全滅していたので、補充しようと練吾は在庫置き場のあるオフィスに向かった。
 そこで店長がデスクワークしているのを見かけた。まだ若く、二十代半ばほどの青年である。いわゆる若者的なノリが通じる相手で、練吾が気軽に話すことのできるレアな人物である。
 今のうちに給料貰っとくか、と練吾は考えた。以前、店長が給料日を忘れて、その日に支給されなかったことがあったのだ。
「お疲れっす、店長」
「おやや、レンちゃんじゃないの。調子どうなの~?」
 キーボードを叩く手を休め、にやにやしながら練吾を見る。
「上々っす。ところで店長。今日、心なしかオレ、幸せな気分なんスよ……なんででしょ?」
「幸せな気分? その悪人面が言うセリフかあ? ぐははっ」
 悪人面と言われて喜ぶ人間などいないだろう。練吾は心の中で舌打ちした。
「だ・か・ら! オレ、とっても幸せなんスよ……クイズですよ……なんでしょう……かっ!」
 無理矢理スマイルを作って顔を急接近させる練吾。その不自然過ぎる表情に店長は怯えて、ホイール付きのイスごと引き下がる。
「そんな般若みたいな顔しないでよ~。レンちゃん怖いなあ」
 獲物を壁際まで追い詰め、練吾は般若スマイルで圧力をかける。
「わーったよ、慌てん坊だなあ。給料でしょ給料。今欲しいの?」
「そうっス。今っス」
 店長がデスクの引き出しから封筒を一つ取り出し、練吾に渡した。
「はい。待ちに待ったお給料だよ。これからもがんばってちょーよ」
「うーっす」
 練吾は封筒をポケットにぐしゃり、と突っ込み、在庫置き場で惣菜パンが敷き詰められたトレイを二つ持ち、店内へ戻った。
「あ、切辻くん、お疲れ様~!」
 レジに新入りバイトの女子大生がいたので、軽く挨拶をして、パンを棚に並べる作業に移った。
「ね~切辻くん。いつも髪、真っ赤に染めてるね。好きなの? 赤」
 新人の女が近づいてきて、作業を手伝ってくれる。胸のネームプレートに『小笠原庚』と書いてある。女性という存在そのものが苦手な練吾は、目を合わせずに「ええ」と短く返事をした。
「まるで、最近有名になってる『血のカマイタチ』みたい。とても強そうだし」
「偶然っすよ」
「なら良かった」ふふ、と女は笑う。「私、正直『血のカマイタチ』好きじゃなかったから」
「……どうしてスか?」
 練吾の手が止まる。
「だって、結局あの人がしてることって、暴力じゃない? いくら加害者が酷いことしたとしても、まだ更生できる可能性があるのに。それを徹底的に潰すから、私は好きじゃないの。人間、どんな人にでも、善意はあると思うし」
 女――小笠原も手を止める。
「ねっ、切辻くんはどう思うの?」
「そのとおりッスよ。俺もたぶん好きじゃないッス。でもな」握ったやきそばパンの袋が破裂し、中身が飛び出る。「仕方ねえんだよ、あいつがやってることは……。それがいわゆる常識人に忌み嫌われる行為であっても、それは殺人や性犯罪の抑止に繋がる。『血のカマイタチ』だって、その行動自体は好きじゃないかもしれねえ……だがそんなことは問題じゃねえ。その先にある目的が、強烈な理想が、その行動を選ばせる……」
「きっ、切辻くん……? や、やきそばパンが……」
 一変した練吾の様子に、小笠原は戸惑いながらも話しかけるが、何も反応がない。
 ――その時だった。
 少女が車内で拘束され、手を伸ばしていると思しき光景が視界に入った。
 練吾の視界の隅には、自動ドアを隔てて国道が映っている。その車道を通り過ぎる黒いバンの車窓に、ガラの悪い若者の顔が三人と、まるで助けを求めるように天井へ伸びる華奢な手が見えたのだ。
 反射的に練吾は駆け出す。自動ドアから外へ。路肩に止まっていたタクシーに飛びつき、開いた後部座席に体を滑り込ませる。
「あの車を追え! 黒いバンだ! 金ならここにある! 早くしろぉ!」
 練吾は叫びながら給料袋から紙幣をすべて抜き、初老の男性運転手の目の前で豪快にバラ撒いた。
「おっ、お客さんっ! ……一体、何がどうなって……」
「追えよいいから! 女がレイプされかかってるんだ! 釣りはいらねえ!」
「レ、レイプですって……!? ぐえっ」
 運転手の首をシートごと羽交い絞めにして脅すと、タクシーは急発進した。
 タクシーは法定速度を優に越えて、次々と車を追い抜いていく。目的のバンはすぐに見えた。あちらはそれほどスピードを出していない。怪しまれないようにタクシーもスピードを落とし、間に一、二台の車両を挟んで追う。
 ――あ、しまった! 金属バット忘れた……。おまけにバイトの制服のまま!
 練吾は自らの迂闊さに青ざめた。勝てるか? この状態で……。
 相手は車内にいた奴らだけでも三人……。ハイリスクだ――素手で立ち向かうには。
「お、お客さん……。もしかして、ネット上で有名な『血のカマイタチ』では……?」
 恐る恐る運転手が話しかけてきたので、練吾は「あん?」と応える。
「レイプ犯や殺人犯に制裁を与える、真っ赤な髪の都市伝説ヒーロー……そんな風に見えたので。いえ、人違いですよね、はは……」
「だったらなんだよ」
「私は尊敬してるんです……彼を。五年前、私の娘もレイプされたことがありましてね……。しかし私は、このように臆病な性分でして……。傷物にされた娘を慰めるばかりで、加害者に復讐したり訴えることに怯えて、行動できないままです。ですから、加害者に制裁を加えられる勇気を持つ彼を、私は支持したいのです」
 運転手のハンドルを握る手がぶるぶると震えていた。まるで今、娘を犯した男に報復を与える決心が宿ったかのように。
「言っとくが、俺は『血のカマイタチ』じゃねえぜ。ただの模倣者だ」
 練吾は運転手の内に秘める覚悟が、自分のそれと似ている気がして、頼もしさを感じた。
「ならば、仲間ですね……。そんなあなたに協力する私もまた、模倣者です」運転手はアクセルを強く踏み込んだ。「こんなひ弱な私にできることは、あなたを犯罪者の巣へ送り届けることぐらいですが」
「ふーん。なあ、おっさん。何か武器になるもん、ねえか?」
「武器? ああ、これなんか如何でしょう?」シートに隠れた床から、木刀を取り出す。「京都旅行で買った木刀です。近頃のタクシー業界は物騒なんで護身用に持ってるものですが、どうぞ」
「まあ、十分だ。サンキュー」
 木刀を強く握り締め、練吾は前方に見えるバンを睨む。

 一時間ばかり走行すると、目標の黒いバンは渋谷区の住宅街にある、三階建ての一軒家の車庫へ入っていった。コンクリート打ち放しで形状が四角柱のため、遠目だと大きな鉄箱に見える。
「サンキューおっさん。ここでいい」
 タクシーはその箱のような建築物を通り過ぎ、角を曲がったところで止まった。
「しかし、あなた……どのように攻め込むおつもりで?」
 心配そうな表情で運転手は訊く。
「さあ? とりあえず、今の状況を利用するさ」
 練吾は着ているバイトの制服に書かれているロゴを確認する。『ヘブンイレブン』と書かれており、丁寧に『切辻練吾』と書かれた名札も付いている。
「とりあえず、ドアを開けてくれりゃこっちのもんだ……」

 練吾は玄関のチャイムを鳴らした。その手には茶色い紙包みが抱えられており、ちょうどコンビニ弁当ぐらいのサイズだ。中身は空である。
 今の練吾を警戒する者はいないだろう。コンビニの制服に、運転手から借りた分厚い老眼鏡をかけ、赤い長髪はまとめて白い帽子で隠している。どこからどう見ても模範的なコンビニ店員だろう……。と練吾は自己評価した。
「はぁい。どなた?」
 インターフォンから野太い男の声がした。
「あっ、近くのヘブンイレブンの者ですが……。ご注文の幕の内弁当を四つお持ちしました」最近のコンビニはデリバリーサービスもやってるのだ。
「あ? なんだよこんな時に……。頼んだ覚えねーよ」苛立たしげな声。
「え? でも確かに……」練吾は携帯電話を耳に当てる。「ええ、ええ、はい……やはり、お間違いないとのことですけど、店に確認したところ」
「るっせーな! とにかく帰れ!」
「えー、ではお客様……。この幕の内弁当は、このままですと廃棄することになりまして……。私も上司から相当しかられます。ですので、タダで差し上げます。お金は私が全額負担しますので……」
「……あー、ちょっとまってて」
 練吾はちょろいな、とほくそ笑む。
 ガチャリ、とドアが開き、髭面の男が顔を出した瞬間――練吾は紙包みを落としてドアノブを一気に引き、前のめりになった男のみぞおちに強烈なボディブローを喰らわせた。
 男の図体が少し浮いて、練吾の拳にその全体重がかかる。口から泡を吹いて気絶していることを確認し、そっと玄関に横たえる。
 帽子と老眼鏡を捨てて、ざっと天井を見回す。監視カメラが無いことを確認。どうやらセキュリティ面にはまったく気を遣っていないようだ。馬鹿な連中。
それから背中に隠した木刀を抜き、足音を立てないように靴を脱いだ。
 細長い廊下が前方にあり、すぐ右側に二階と地下に繋がる階段がある。他には、左側に部屋が二つ、右側に一つ。突き当たりには『WC』と札がかけられたドアがある。一階には全く人の気配は感じられない。
 練吾は直感的に、たった今誘拐された少女は地下に囚われていると踏んだ。異様な気配が、地下への階段から漂ってきている。
 上の階にも囚われている女がいるかもしれない。が、たとえそうだとしても、上からは物音や気配は何も感じられない。
 おそらく敵は全員――下にいる!
 足音を殺し、そっと階段を下りていく。床の材質が固いリノリウム質のおかげで、足音は全く響かない。
 階段を下りた先は、黒い鉄扉で塞がっていた。
 気のせいか――ズボンのポケットに入れている例のネックレスが、熱を帯びてその存在性を発している。練吾の鼓動と合わせ、脈打っているようにも感じる。
 いや、錯覚だ。
 攻撃的なテンションが異常に高まっているせいだ。練吾は首を振る。
 そっとドアに耳を当てて、内側の音を拾う。良質な防音壁を使った建物らしいが、微かに女の叫び声が聞こえてくる。
「いやああああああああああ! いやだ! やだ! やだあああああ!」
 ――ビンゴ!
 ドアノブを回し、ヤクザキックで派手に蹴り開ける。
 五人の男が驚愕の形相でこちらを見る。
 ソファに座っている男が二人。立っている男が二人。ダブルベッドで少女に覆い被さる裸の男が一人。
 ――スピード勝負だ! 全員一発でブチのめせ! じゃないと数にやられる!
 跳躍し――一番近くの男の頭に木刀を振り下ろす。
 男の頭を割った――しかし木刀も一緒にボキッ、と折れてしまう。頭から血を噴出させながら倒れる男と共に、折れた京都の木刀の先が落ちる。
「クソ京都ー!」
 京都に対する恨みを襲い来る男にぶつけるように、折れた木刀を投擲する。
すこーん、と見事に額に命中。仰向けに倒れた。
 その時――背中に大きな衝撃。体が前へ吹っ飛ぶ。
 ラグビー体型の男のタックルを食らったのだ。うつ伏せに倒れたところを踏みつけられ、背中がみしり、と軋む。激痛。
「ぐえっ!」
 カエルのような呻き声と唾液を吐き出す。
踏まれているせいで立ち上がれない。顔だけ上げて、奥の部屋へと逃げる全裸の男と、捕らわれた少女を視界に映す。
「待てっ……! ちくしょう……くそっ……」
 両手をもう一人のトレッドヘアの男に掴まれ、封じられる。
髪を掴まれ、ゴン、と床に強く叩き付けられた。視界が真っ赤。鉄の味。額からドクドク流血。
「うおおお!」
 びしょ濡れの犬のように頭をブンブン振り、血しぶきをトレッドヘアの男にかける。目に入ったようで、練吾の手首をつかむ力が弱まる。これを払いのけた。
 それからの練吾の行動は、まったくの無意識であった。窮地を脱して強姦魔をブチのめす力を、ただ純粋に――本能が求めた。
 ズボンのポケットから、例のネックレスを取り出し、首にかける。
 タマキ曰く――『強姦魔や殺人鬼を狩るのに特化した能力』を得るために。
 剣の形をしたネックレスが赤く輝く。LEDランプを埋め込まれた宝石のように。
 体の芯から、マグマのような熱い力が湧き上がる。
 爆発的なパワーを発揮して、背中を踏み付ける足を跳ね上げ――すぐに起立する。トレッドヘアとラグビー体型の男は呆然とした表情で突っ立っていた。練吾の動きがあまりに速過ぎたせいだ。
 今の行動は、練吾の意思によるものではない。全て自動的だった。本能や無意識といった次元ではない。何か強制的で大きな力に動かされていたのだ。
 練吾はこの能力の詳細を理解した。赤く輝くネックレスから、原理は分からないが、その情報が脳内へ仔細に伝わってきたのだ。
 練吾はいつの間にか一振りの刀を手にしていた。
 刀身がネックレスと同様、真っ赤な美しい輝きを放っている。
 ――この刀には『切れ味』などという概念は無い。あるのは、ターゲットを二度と犯罪のできない体にする、という目的のみ。そのためだけの存在。
 そして練吾の肉体も刀身と同様――その目的を達成するための装置に過ぎない。
「選べよ外道……」
 練吾は静かに問う。これは紛れも無く、練吾の自我から発せられる言葉。
「自首してその罪に見合った罰を受けるか……俺にダルマにされるか」
「何言ってんだ? てめえ……。オモチャだろその剣! ピカピカ光らせてよぉ……」
 ラクビー男がへらへら笑いながら、ナイフを手に立ち上がった。
 練吾の体は、自動的に動き始める。
 最も効率的で――最短かつ最速スピードの攻撃プロセスを開始するために。
 部屋内の男達は、練吾が消えたと錯覚しただろう。練吾が突風のごとく縦横無尽に室内を駆け回り、己の手足と性器を赤い刀で斬られたことは一ミリほども知覚できていなかっただろう。
 練吾自身、自分の動きを十分に知覚できていない。その自動行動はあまりに速過ぎたからだ。気付けば床に男が四人転がっていた。
 その間、約二秒。
「うう……なんだこりゃあ……手足が、うっ、うごかねえ……あ、アレの感覚もねえ……」
 うつ伏せになっているトレッドヘアの男が、真っ青な顔で首だけ上げて練吾を見る。彼は怯え切っていた。冷や汗にまみれた顔。
 手足を切断したはずでは――? 確かにこの赤い刀身は奴らを斬った。しかし男達の手足もくっついているし、股間も多分、血が出ていないからそのままだろう。
「これが……『理想切断(ケルベロス)』……」
 それがこの能力の名称だった。使用者――練吾の身体能力を爆発的に強化させ、その体を自動的に動かし、発現した赤い刀で傷付けることなく対象の四肢や股間の感覚を封じる。それを可能とする絶対的手段――
 それが『理想切断(ケルベロス)』。
 最高だ。練吾は震えながら笑みを浮かべる。
「てめえ、俺に、俺たちに何しやがった……」
 床で身動きのできないトレッドヘアは、消えかけの意識を振り絞って言った。
「疲れてんならさっさと寝てコンディションを整えろ。じゃなきゃ、生涯付きまとう地獄を存分に味わえないだろう? なあ、外道よ」
 練吾はそう言い残し、ゆっくりと奥の部屋へ向かう。
 ドアを開けた先には、下着姿の少女を人質に取った全裸の男がいた。怯えた少女の首を腕で抱えて盾にし、もう一方の手でナイフを突きつけている。お決まりの人質シチュエーションである。
「うっ、動くんじゃねえ! 少し前に出てみろ! さもないと女を殺すぞ!」
「おい外道! 断言するぜ――。そのナイフが女を切り裂くよりも先に、オレがてめえを斬る」
 強力な能力を得たせいか、気が大きくなった練吾は言い放った。
「くっ……う、うるせええ! 俺は本気だああ!」
「やれよ」
 少女の涙が床に落ちる――それが合図となり、練吾は自動行動を開始する。
 瞬時に助走を終えて、床と平行に射出された銃弾のように体を右回転させながら跳ぶ。
 最も効率的で――最短かつ最速スピードによる攻撃。
 錐揉み状になりながら、ターゲットの横を通過するタイミングで、練吾の赤い刀は少女ごと男の手足と股間を斬る。
 『理想切断(ケルベロス)』の斬撃はターゲットにしかダメージを与えない。だから少女は無傷だ。刀身は、対象外の者には何の影響も与えずに、素通りするだけなのだ。
 ナイフが男の手から落ちるより先に、練吾の頭が壁に激突した。
「ぎゃあああああ! いてえええええええ!」
 頭から血を噴出させながら床にのたうち回る練吾。
手足の感覚を失ったショックで気絶した男。
非現実的な光景を目の当たりにして、ぺたりと座り込んだ少女。
「ひっでえ。この力……目標を達成した後のことは一切考えてねえのかよ……」
 両手で頭を強く押さえ込んで止血を試みながら、練吾は立ち上がった。
 すると、少女が童顔の割りにとても大きな胸を手で隠しながら、こちらを見つめてきた。目からは大粒の涙がぼろぼろと零れている。
「あのぅ、あなたも、もしかして……イデアリスト……?」
 イデアリスト――? そういえば、タマキもそんなこと言ってたっけ、と練吾は思い出す。能力者のことを便宜上、イデアリストと呼んでいる、と。
「なんでその言葉を知ってんだ――?」
 少女はぱっ、と花のような笑顔を咲かせる――が、すぐに渋面に変わった。
「ウチ……最低です! 卑劣です!」
「はあ!?」
 いきなり大声で自虐し始めた少女に、練吾は唖然となった。
「もうレイプされた女の子がいるのに……ウチだけ無傷なまま助かって……それに、かっこいい男の子に助けてもらって、嬉しくなってる……。ウチは……結局、自分だけ助かればそれでいいって思ってるんだ……。最低だよ……。本当にレイプされなきゃいけないのは、ウチの方なんだ!」
 嗚咽を上げながら言い切った少女に練吾は面食らったが、そのうち怒りが沸々と湧いてきた。血が上り、頭部の傷口からピュウ、と血が噴き出す。
「おい馬鹿ガキ……どうやら脳ミソに行き渡るはずの栄養が、胸と尻にしか行かなかったようだな。なんだ? レイプされなきゃならないのはウチ、だあ? お望み通り今すぐブチ込んでやろうかテメエ!」
 練吾は少女の長髪を掴み、顔を引き寄せる。少女はひっ、と顔をゆがめた。
「無事助かったからって自虐ってんじゃねえぞ……。世の中には理不尽にレイプされた挙句、殺される女が大勢いる。心を激しくぶっ壊されながら、いたぶられる地獄を、てめえは想像したことがあるか……? なめるなよてめえ……結局誰かに可愛そうだって思われたいだけじゃねえのか?」
「ウっ、ウチっ、ウチは……」
 少女は鼻水と一緒に涙をダラダラと流す。
「ウンチウンチうるせえ! このクソッタレが! てめえはなあ! 素直に助かって喜んでりゃいいんだよ!」
 少女の髪を放し、練吾は頭部の傷口を両手でぐっ、と塞ぐ。もう顔は赤ペンキをバケツ一杯かぶったように真っ赤だ。シャレにならん。
「おい、他にも誰か捕まってるんだろ、きっと。早く助けに行くぞ」
 練吾は少女の手をぐい、と引っ張ると、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、立ち上がる。
 ――唐突に、風がふわりと吹いた。全てを軽やかに包み込むような、どこか甘い風――
 練吾の傍にいたはずの下着姿の少女が消えていた。
「なっ? どこいった!」
 背後に気配を感じて振り返ると、そこには天使がいた。
 正確に表現すると――背中から緑色に輝く大きな翼を生やした少女がいた。教会に仕えるシスターのように修道服を纏っている。目鼻立ちが整った美少女で、ウェーブのかかった儚げな白髪が特徴的だ。翼の光を受けた白髪が、神々しくきらめいている。
 そして、首には緑色に輝く十字架のネックレス。
 練吾はなぜか、自分の剣型のネックレスが彼女と共鳴し、弱々しく震えている気がして、自分のそれを握り締めた。
 そして――胸の奥が痛む。苦しい。脂汗が噴き出す。
「泣かないで……もう大丈夫ですよ。可愛そうな女の子」
 突如現れた天使ばかりに気を取られていたが、そこに下着姿の少女もいた。
 下着姿の少女が、背後から天使に両手と翼で優しく抱擁されているのだ。
 あの天使が目にも留まらぬスピードで、瞬時に接近し、下着姿を抱え込んだのだと理解するのに数秒かかった。
「えっ? ええっ?」
 戸惑う下着姿の少女。
「わたしを信じてください……。わたしはあなたを安全な場所へ救出する為の使者なのですから。もう怖がることは何一つないのですよ。わたしはあなたの味方です。せめて今は、苦しみを忘れて……」
 それから天使は目を細め、下着姿の顔に唇を近づけ――唇同士が触れ合った。
「えっ? ええええ!? こっ、これって……キっ、キ……」
 顔を真っ赤にする下着姿。
「さあっ、逃げましょう……上の階で捕らわれている子と共に」
 深い慈しみに溢れた笑顔を湛え、天使は下着姿を抱えたまま消えた――。いや、高速でどこかへ移動したのだ。遅れて甘い風が吹いてくる。
「……なんだあいつ? あいつもイデアリストというヤツなのか……?」
 『理想切断(ケルベロス)』という強力であるが謎に満ちた能力を得たばかりだというのに、また厄介な謎が生まれてしまった。
 十秒ほど呆然していたが、練吾は気を取り直して、建物内を隈なく捜索することにする。
 しかし、他に捕らわれている女は一人も見つからなかった。あの天使が救出したのだろうか?
「気味の悪い女だ。あの押し付けがましい異常な慈愛……。しかし、なんだ? この感覚は……」
 練吾は胸に手を当てる。苦痛と、温かい感覚が同時に、胸の奥から込み上げてくる。
 なぜ、こんなにも、懐かしい、と感じる……? なぜだ?
 あらゆる疑問を抱きながら外に出ると、先ほどのタクシーが停まっているのを見つけ、そちらへ向かった。

長編『イデアリストの呼応』一章

長編『イデアリストの呼応』一章

舞台は現代の東京。『イデアリスト』と呼ばれる少年少女たちが、己の理想世界を追いかけるライトノベル。彼らは『イデア・エフェクト』という精神波を生み出し、人々に己の理想を波及させる力を持っていた。主人公である少年『切辻練吾』の理想は、強姦魔や殺人犯を撲滅すること。ヒロインである『マリィ』の理想は、悪人に束縛される全ての弱者を救出し自由を与えること。 それぞれの理想は全く異なり、誤解し合い、争いながら成長していく。そんな中、東京中を無法地帯に陥れようとする悪のイデアリストが現れ、主人公たちは彼らと対立していく。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
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  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-06

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