天体測定実習

天体測定実習

実習の思い出

北国、杜の都、街から離れた山の上。

真冬の、よく晴れた、月のない晩。
空気は澄み切って、風もなく、
星も凍りついたように夜空にじっとしている。

山の上には、大学の古いキャンパス。
その中でも一番高いところにある、8階建ての古びた建物。
その屋上に、丸いボール型の屋根のついた小屋がある。

その夜、屋上に出た僕と相棒は、
小屋のドアの前に立ち、カギを開け、中へ入った。
小屋の中には、大きな望遠鏡がある。
そう、その小屋は天文ドーム。


僕と相棒は、その大学の天文学科の学生だった。
天文学科には、天体測定実習という授業がある。もちろん必修だ。その授業の課題は、学生たちは二人一組のチームになって、光を検出する部品、CCDを使った測定器を自分たちで組み立てて、その測定器を天体望遠鏡に組み付け、星の明るさを測定するというものだった。測定器の組み立てでは、ハンダ付けも自分たちで行う。
僕と相棒はそこでチームとなった。どちらも不真面目ではないものの、天文学にそれほど熱意を持っているわけでもなかった。それは測定器の品質にも表れて、できあがった測定器もちょっといいかげんだった。
各チームともCCD測定器が完成したころ、昼間の授業の中で、測定器を組み付ける望遠鏡とその天文ドームの操作説明があった。
まず手回しハンドルを回してギーコギーコと天井のスリットが開くと、低い空にある日の光が入ってきた。小春日和ののどかな日だった。
操作説明が終わって、その日の授業もこれでおしまいというとき、小柄でちょび髭の、気の良さそうな教授は最後にこんなことを付け加えた。
「これから1か月の間に、それぞれのチーム、ここで自分たちの測定器で星の測定した結果をレポートしてもらいます。月のない、よく晴れた時間帯を選んでそれぞれ測定するように。冬のこの時期は、気温が低いおかげで空気のゆらぎが小さく、星がよく見えますよ。」
気温が高いと、空気中の粒子の動きが激しくなる。夜空の星のように小さな一点の光は、そのような粒子にぶつかって散乱してしまう。星がキラキラと瞬くように見えるのは、そのためだ。ボーっと眺める分にはそれも結構だが、測定するとなると星がブレて見えてしまうので、できるだけゆらぎの小さい、気温の低い夜が向いているのだ。
このように天体観測の好条件は、生身の人間に過酷な条件だったりする。
それから1週間ほど経った、月のない、晴れた晩、僕らは、天文ドームでの初めての測定にやってきたのだった。


ドームの中に入った僕は、ドア際の灯りのスイッチを入れる。暗い白熱灯がぼんやり灯る。
相棒は望遠鏡を制御するPCの前に座って、手袋を脱いでセッティングを始める。
僕は手袋のまま、スリット開閉用のハンドルをギーコギーコと回す。スリットがゆっくり開くと、丸天井の間にぼっかり星空が現れる。
開いたスリットから流れ込んだ冷気がほほに当たる。
プログラムが立ち上がって、望遠鏡の制御が始められるようになった。
「まず、今の向きで適当な星を観てみようせ」
相棒がディスプレイ上の星図を見て、セットすると、望遠鏡がウィーンと動き出す。はじめは速く、それから次第に遅くなり、そして止まる。
望遠鏡そばの昇降機に乗った僕はステージをググググーと上げて、レンズを覗く。ピントを合わせると、ぼやけたイメージが鮮明なる。
「オーケー、見えたぜ」
僕は昇降機を下げて、相棒に尋ねる。
「で、何で測る?」
「この時期見るなら、やっぱ、“プレアデス星団”でしょ」
「そうだよな、『星はすばる』だもんなぁ」
「それにキマリ!」
相棒がPCに向かって望遠鏡の照準座標をセットする。僕は、スリットをその向きに合わせるために、コントローラーでドームルーフを回す。ゴゴゴゴーと丸天井が回り出す。
止まった望遠鏡に合わせて、開いたスリットを止めると、昇降機で上がって、まずガイド鏡から覗いてみる。ガイド鏡というのは、メインの望遠鏡のそばについている小さな望遠鏡のことで、メインの望遠鏡に比べて倍率が低いので広い範囲を見ることができるので、まずその範囲に星が見えるか確認するためだ。
見えた、見えた、青白く輝く星たちが!
宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』で「燐光を放つフラジウムの雁」とたとえ、
あるイギリスの詩人が「白銀の網にもつれる一群のホタル」と謳った天体。
これを見るといくら熱意のない学生でもハッと息をのんでしまう。

そして、一体メインではどう見えるのだろうと期待に胸を躍らせて、メインの接眼レンズを覗く。
「アレ……?」
メインの望遠鏡では倍率が高すぎて、覗いた場所には何も見えない。そう、肉眼でもある程度の大きさに見えるプレアデス星団は、倍率を上げすぎるとレンズの視野に星団全貌をとらえることができなくなる。後で知った話だが、プレアデス星団を眺めるのは双眼鏡くらいがちょうどいいそうだ。
「チッ、しかたネーなー」
手元にある望遠鏡のコントローラーで微調整して、やっとひとつの星が見えた。
「よし、これでオッケ。測定器、つけるか」
望遠鏡の接眼部にCCD測定器を組みつけて、昇降機から降りる。
暗い星の光に露出させておくため、僕らはしばらく待った。
地球の回転に合わせて、望遠鏡を自動追尾させる台座、赤道儀のジーという音が静かに響く。
よく晴れた晩は冷え込みのも早い。夜も更けてきて、もうじき氷点下だ。

「今夜は、冷えるな」
「あぁ、そんな日をあえて選んで来たんだからな」
「なぁ、おまえ、なんで天文なんて選んだ?」
「合コンで、『俺、天文学やっているんだ』って言ったら、カッコいいと思ったから」
「俺も!」
「だけど、結構、苦労して天文学科に入った割には、そのセリフ、使う機会も少ないし、あっても効果を感じたことって、ほとんどないよな。」
「激しく同意!」

しみこむような寒さに足踏みする。
相棒もキーボート操作のために脱いでいた手袋をまたはめた。
「そろそろ、いいんじゃないか」
「あぁ」
昇降機で上がって、測定器を取り外し、測定値を見る。

「あっ、スイッチ入ってなかった!」
「オイ!」
「スマン!」
「じゃ、またやり直しか」
スイッチを入れて、やり直す。

凍えるような時間がまた過ぎた。
「もういいじゃないか」
「あぁ」
昇降機で上がって、測定器を取り外し、測定値を見る。

「……ん?、全然、反応してねぇな」
「エーッ!ちゃんと動いているのかよ」
「……うーん、ちょっと待って」
薄暗い白熱灯に測定器をかざしてみる。
「一応、白熱灯には反応している」
「じゃあ、星が暗すぎるんかな」
「さすがに、星団のひとつの星だけ観るんじゃダメだったかな」
「んじゃ、一番明るい星にしようぜ」
「んだな、まずは、シリウスだな」
相棒がPCに向かって、全天で一番明るい星、シリウスの座標を設定する。
望遠鏡が動き出す。ウィーーー …… ーーン。
僕は望遠鏡の向きに合わせて、ドームルーフを回す。ゴゴゴゴー……。

測定器をまた組み付けて、再測定開始。
凍りつくような時間。鼻水が垂れてくる。
「もう、いいんじゃないか」
……反応なしだ。

「一体、どうなってんダヨ!」
「やっぱ、おまえのハンダ付けが甘かったんだよ」
「とりあえず、もっと長めに露出させてみようぜ」

もう一度、測定器を組み付けるとき、手袋をつけたまま、作業をしていたら、留め具の締めが甘くて、ストンと測定器が抜け落ちた。二人とも凍りつく。幸い、上がったままの昇降機の上で、粉々にならずに済んだ。
「おい、俺のハンダ付けに文句つける前に、おまえの雑な取り扱いだって、気をつけろ!」
「うるせー!」

「ったく、今夜は晴れだからって、曇っていたらいくつもりだった合コン断って、やってきたのに、これかよ」
「ホント、ツイてネーな」
長い待ち時間、二人で狭いスリットから覗く高い夜空を眺めていた。


結局、露出時間を倍にしたところで、結果は変わらなかった。このまま、測定を繰り返したところで切りがないし、もう月が出始めたので、その晩はひとまず引き上げることにした。
望遠鏡や機器を片付けて、ドーム内の戸締りをする。
ドームの外に出て、ドアのカギを閉めた。
屋上のドームと反対の方には、山の下の平野が広がっている。遠くに街が見える。クリスマスの電飾も加わって一層陽気な街灯が煌々と光っている。街の上空は白みがかって、星は見えない。
街の夜景を眺めながら、誰ともなしにこんなことを口にする。
「今からでも間に合うかな?」
「いや、もう遅いだろ。今ごろ、それぞれイイかんじになっているか、シケて帰っているか、どっちかだろ」
「きっと、シケてるよな」
「あぁ、俺たちがこんなところで、こんなことしていたんだから」
街の夜景を後にして、反対側の空をふと上を見上げる。
街灯りの下では、かすんで見えなくなってしまうような小さな星たちがジーっと静かに輝いている。
視界いっぱいに、そんな星たちが散らばる、暗い夜空が広がっていた。


翌日、昼間に測定器の基板を見直した。そして、また晴れた夜を狙って、僕らは天文ドームに行ったが、相変わらずいい結果は得られなかった。
他のチームは順調だった。そんな他人の結果を横目で気にしつつ、僕らは再測定を繰り返した。
結局、最後の測定で、なんか反応したような、しなかったような……、そんなあいまいな結果をレポートにして、その場はしのいだ。
僕らの天文学への態度はその後もこんな感じで、なんとか大学は卒業できたものの、二人とも天文の道には進まず、それぞれ別の道に進んだ。相棒ともそれっきりだ。

振り返れば

それから十数年後、僕は家に引きこもっていた。何カ月も誰とも会わずに、部屋でただボーっと過ごしていたある日、学生時代のこの思い出がふと思い起こされた。そして、なんか無性に書き起こしたくなった。
別に何かを特別なことを成し遂げたわけでもなく、何か大切なものを得たわけでもない、バカバカしい青春時代の思い出話。他人にとってどうでもいい話にもかかわらずだ。
こんな話、著名人の小エッセイとして新聞なんかにあると、このあと期待される展開は、たいてい「このときの経験が後に役に立った」とか「このときの出会いが後々重要になった」とか、その後の人生にどうつながったかという意外性をつく話だ。仮に明示されていなかったとしても、社会的に成功したその人の経歴から、その出来事の重要性を憶測させるものだ。
だけど、これはそんな経歴なんてない、一介の引きこもりの、ただの思い出で、どうだっていい話だ。こんな話を読んで、「で、だから、なんなんだよ」って突っ込みたくなる人もいるだろう。思い出したとき僕自身もそうだった。あの実習に何の意味があったんだと自嘲している冷やかな自分もいた。だけど、どうしても書きたくなった。それで書いてみたんだ。

そして、実際、自分で書いてみて、わかった。


なんの変哲もない青春時代の思い出、
その瞬間、特別情熱を傾けていたわけでもなく、
その場で何か目立った成果を上げたわけでもなく、
その後の人生に重要な意味を持ったわけでもなく、
ただ必修科目だからといって、ただやっていたこと、
今から思い返しても、バカらしくてもう一度やりたいわけでもない、
そんなことでも、振り返れば、
当時、熱中したこと、楽しんだ時間、印象深かった出来事とも同じくらい、
懐かしく、愛おしい時間になるということ。

これまで、
「貴重な時間を大切に使わなければいけない」
「日々を、人生を、楽しく、実りあるものに充実させなければならない」
「一生懸命、生きなければいけない」
「情熱を傾けて生きよ」
「天職、ライフワーク、いきがいを持たなければいけない」
「今、この瞬間を輝いたものにしなければいけない」
心のどこかでそんな思いに駆り立てられて、
今、この瞬間、あるいは未来を輝かくものにしようと、躍起になってきた。
それは、砂時計からこぼれ落ちる砂をなんとか手ですくおうとしても、
手のひらから砂が流れ落ち続けていくのを眺めるしかない、
そんな絶望的な心境だった。

そんな絶望の中で、かつての必修科目のことをふと思い出したとき、
こんな取るに足らない、どうでもいい話でも書きたくなるくらい、
愛おしい時間だったことに気づかされ、
そんな強迫観念からようやく自由になった。

人生、熱中しているときもあれば、
ただやらなければならないことを淡々と、
時に不満タラタラ、あるいはブーブー言いながらやっているときもある。
実は、いずれの瞬間も変わらず輝いているのだから、
あえて充実させようと焦ることもない、
それがようやくわかった。


実は、今、僕には人生をかけて追い求めていることがある。
が、正直なところ、その進捗はあまり芳しくない。
例えるなら、今、レンズを覗いてもぼやけて何も見えない、
全身整備不良の「望遠鏡」を前に、
ひとつひとつ部品をばらし、磨いてみては、
組み立てることの繰り返しの日々。
うまくいっている他人のことが目や耳に入っては、
ただただ自信を失うばかり。
だからといって、
他人の「望遠鏡」を借りて見ることは絶対にできない。
ひたすらやり続けるしかない。

そう覚悟した上でも、どきどきよぎる不安:
不器用でセンスのない自分は、一生追い求めたとしても、
一目見ることさえできずに、一生が終わるかもしれない。
こんな不安がよぎると、絶望的な虚しさに駆られて、
居ても立ってもいられなくなる。

だけど、あの実習のことを思い出して、
こう思うようになったんだ:
その場で期待どおりの結果になろうとなるまいと、
その後、意味があろうとなかろうと、
そのとき、楽しく愉快に過ごしていようといまいと、
情熱をもって取り組んでいようといまいと、
そう、今、この瞬間は輝いているものなんだ、ってね。

たとえなにひとつモノにならなかったとしても、
自分にとって愛おしい人生、
一生を終えるとき、
そんなふうに感じるんだろうな、ってもね。


……と、なんの意味もないはずの思い出が、
今、重大な意味を持ってしまった!
こうなってくると、一体、死ぬときまでに自分は何を見るのだろう?
死ぬのが楽しみだ。

とまぁ、こんなことでも書きたくなるほど、
この人生はどの瞬間も愛おしい時間で満たされている。

同じように、
今、愛おしい瞬間を生きているみんなも
幸せでありますように。

祈りをこめて
2016/04/27 てつろう

天体測定実習

天体測定実習

数か月、誰とも会わず、家に引きこもっていたどん底のある日、ふと思い出した、学生時代の必修科目にまつわる笑い話

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-06

CC BY-NC-ND
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CC BY-NC-ND
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