椿、ひとつ落ちた
歩くのもしんどくなりそうな、ヒールのある靴が欲しい、と思った。
赤いレースアップシューズ、わかりやすく豪奢で、目を引きそうなそれに惹かれた。
「…そんなの、あっても持て余すだけな癖に、」
目の前の男は煙草をふかしながらそう言った。心底馬鹿にした言い方であった。まるで、わたしの心を全て掌握した、とでも言いたげな。
けれどわたしはその煙を毅然とした態度で受け止め、しゃらりと笑ってみせる。
勘違いしないで欲しい、わたしは死んでも、お前との逢瀬でこの靴を履いたりなどしない。わたしは、わたしのためだけにこの靴を履きたいのだ。こんな、効率の悪い靴を履くのは、自分だけの贅沢だ。ひとりで街を歩き、石畳の床に辟易としたところで、わたしは安心する。他の誰でもない、まして男ではない、自分のためだけの贅沢がこの世に存在していることに安心する。
「…そうだね。買うのは諦めることにするよ、」
死んでも、お前に買って欲しいなどとは言わない。真っ赤な口紅も長い爪も、わたしのためだ。わたしだけのものだ。わたしの体はわたしだけのもの、間違ってもお前のものではない。
「いい子だね」
その言葉に今度は、害のなさそうな顔で微笑んでみせる。
反抗なんてしない。その代わりに、わたしの体も心も、ひとつだってお前にはやらない。わたしは、わたしのためだけに生きている。
自分だけがわたしの中にいて、確かに存在しているのに、あとは全部、外に張り付くだけの何かなのだ。嬉しくも悲しくも、ひとつになどなれないのだから。あなたとは。
椿、ひとつ落ちた
おそらく、男という生き物に屈服したくないのだとおもう、
と一昨日の夜、奇しくも男に告げれば、それがすんなり自分の腑に落ちたので、たぶんそういうことなんだとおもいます。