メヌエット
最近、不動産屋さん巡りをしています。
エッセイ
『ハッピーハウス』
でも書いた様に
現在に於いて居住中の
この【六畳二間の平屋】は
とても気に入っているのですが
この物件のオーナーである
大家さんのお婆様が
最近、身体の調子が悪いらしく
かなりのご高齢ということもあり
少し先行きが不安になってきたので。
もともと
私の祖母とオーナーが女学院時代に
親友であった、
というだけの理由で破格の安値で
図々しくも好意に甘え
長年
お世話になっている借家です。
駅近
陽当たり、風通し最高
買い物も便利
建物は古いものの
しっかりした作りで
環境的にも何も不満はありません。
普通に貸し出せば
私がお支払しているより
三倍近い
家賃が取れた筈です。
もし、大家さんに
万が一の事があったとしたら
大家さんはともかく
遺された御家族が
赤の他人である私に
そこまで、
……と、なる事は容易に想像できます。
実はこの話は
大家さんが元気な時にも
何度かしています。
『気にしすぎ!大丈夫よ!』
そう
仰っておられましたが
それは
現在の所有者である
大金持ちのお婆様に
誰も逆らえないため
だと思うのです
世の中はそんなに
甘くありません
自然の摂理からいっても
順当な順番でいえば
やはり
お婆様のほうが私より先に
旅立つことに
なると思います。
もしも
その時がきて
退去を迫られたとしても
私は
借地権などを主張するつもりは
一切ありません
それは
今まで良くしていただいた事に対する
裏切りのように
感じてしまうからです。
しかし
私としても住居は必要
なので
いきなりとは言わずとも
新居を考えておくことは
必要だと考えて。
賃貸、分譲、マンション、一戸建て
アパート…。
いや、
改めて考えてみると
本当に選択肢が多すぎます。
日本は
現在、過去最高の空き家率だそうで
実際に感触としては
それなりに
物件は多いです。
とりあえずひとつに絞らず
色々なものを見てみました。
特に気になる物件には
実際に足を運び
内覧もして来ました。
実は先ほども最有力候補を一件。
これは
中古の一戸建てですが
かなり
土地が広い。
そして
陽当たり、風通しがよく
隣家が四方すべてに
それなりのスペースがある
なかなかのモノ
正直
今現在も迷っているほど。
さすがに価格はそれなりにしますが
けして
手の届かぬものでもなかったので。
と、いうのも
この物件は
元々
動物病院だったそうで
住居とするには
結構な難有り物件なのです。
一般住居では
まず珍しい
コンクリート床 (湿気対策済み床暖房なし)
民家にあるまじき
夥しいほどのコンセントの乱設
水道蛇口の多さ
防音設備の壁、窓全てに細かい鉄格子
・・・
なんといっても
玄関を入ってすぐに
受付窓口らしき設備がありますからね。
スタイルとしては
4Kにお風呂、キッチンも中々に独特の作り
唯一の和室のみ床上げ。
おそらくは
休憩室や宿直に使用されていたお部屋でしょう。
実は
私1人の浅薄な知識では不安なので
宅建資格を持つ
その手には明るい友人に
同行をしてもらったのですが
彼女曰く
『 住むには難が有り過ぎるのでは?
住めなくは無いが…
まず、陽当たりの割には寒過ぎる
これはコンクリ床からくるもの。』
その他にも
幾つか。
うーん、なるほど。
非常に勉強になります。
どうも素人である私は
メリットばかりに目が行き
玄人である友人にはデメリットばかりが
どうしても気になる様です。
私が感じたメリットとしては
最大の難点ともいえる
このコンクリ床ならば
どんなに重いモノを置いても床が抜けない
のでは?
ということ。
憧れの超重量級のマッサージ椅子も
これなら
なんなく置けます。
なんといっても
医療機器を設置していたほどの頑丈さ
そして
異常なほどに大きい換気扇も
一般には不必要となるし
奇異とも取られかねぬ
おそらくは居間になるであろう
部屋に設置された
見ようによっては
小型のお風呂にさえ見える
【大型流し台】
おそらくは患畜を洗っていたのでしょうけど。
これも
プラモデルを趣味とする私には
うってつけ
それに温水も出ますし
もし、猫や犬がきても
洗い放題
アライグマ状態ですよ!
元々がそういう作りなので
ペット好きには
流し台以外にも色々と使い勝手が
良いでしょうね。
まー、
ペット自体の目線から見れば
動物病院はあまり
好きではないでしょうけど。
それに
一応は
内外装ともに
フルリフォーム済み
そして
庭には何も植木がなく
駐車スペースが
普通乗用四輪車でさえ
5台分は取れそうです。
これも
バイクを複数台所有する私には
とても魅力的。
同不動産業者が扱う
この直後、見に行った
ほぼ同価格の
普通に小綺麗な如何にも
今風の
築浅二階建て物件より
ずっと魅力的に私には見えました。
が、
友人がいうには
『やはり、貴女は少し頭がおかしい…。』
そう言っていました。
彼女的には
圧倒的に今風物件を推していました。
『ここは茶室もあるんだよ!
これ、ちょっと凄いよ!
作りも凄く丁寧だし!』
そう言って
動物病院の魔法にかけられた
私の目を覚まそうと
躍起になっていました。
だって
今風は
目の前が大型スーパーである上に
隣家との間にほぼスペースがない、
本当にブロック壁がようやく一枚あるだけ。
それに
庭もほとんどない。
陽当たりもいまいち…。
だいいち
私は茶道など嗜みませんし。
隣家との恐ろしい程に狭い
通路をようやく
つたって
その上に
わざわざ
にじり口?
なんですか
そのせせこましさは?
それが
茶の心
というやつなのですか?
うーん
とはいえ
快適設備には
天と地ほどの差があること位は
私の目にもハッキリとわかります。
茶室以外にも内部には
ふんだんに使用された高級感まるだしの
ウォールナットのような壁材
トイレもちょっとしたホテルの様
間取りも部屋数を減らし
2SLDK+茶室とはいえ
ひとつひとつの
お部屋がひろい
オール電化
築10年も経たぬ清潔感
不動産屋さんの説明では
それなりのお金を持った
前居住者である小金持ちの独居老紳士が
こだわり抜いて作らせた
【 独り暮らし専用一戸建てspl.ver 】
なのですって。
友人曰く
通常の三倍程の手間が掛かっていて
それ以上の価値はあるそう
外壁を専用色の赤に塗り替え
TVアンテナをツノ形状デザインにすれば
完璧ですな。
それに比べ
動物病院を頭を少し病んだ
私のような人間向きに
リフォームしたものは倍の築20年を
軽く越しています。
でも、ほら!
長く住むなら、さ!
元病院だから一般住宅より
頑丈なはず!!
その私の言葉に
友人は無言で無表情でした。
・・・。
私がやはり
間違っているのでしょうか…?
友人が薦めるのも道理。
普通に考えればやはり
今風の家の方を選択すべきなのでしょう。
さてさて
ずいぶん
長くなりましたが
ここからは
少し昔話を。
まずは
お茶でも煎れて下さい。
今回は長くなりますよ。
━━━━━━━━━━━━━━━━☆
それは
私がまだ
山の麓を生息圏としていた
小学生の頃
某流 忍者の里
忍術発祥の地
と、さえ
云われている
我が故郷では
昔からの居住者が殆どで
新しく越してくる
新住民などいう方は
少なくともあの頃は皆無でした。
今では判りませんが
当時は
街起こし的な目的なのか
公費で建造された
忍者屋敷があり
ここで
役場の若手が忍者ショー等を
行っていました。
どうも役場に勤めるには
事務的能力より
バク転・バク宙が出来る者が
優先され採用されている・・
そんな噂が当時はまことしやかに
裏で囁かれていたものでした。
私も
マット運動が
わりと得意でしたので
『将来は役場で公務員かな?』
そんな事を言われたりして
将来の保険に考えていたりしていました。
まー
それでも田舎なりに
少し距離を置けば
都会の大金持ちさん達の
別荘地でもあったのですが。
さて、
そんな辺鄙な場所に
珍しく
小さな家が建てられ
誰かが越してくる、
との噂がたちました。
別荘ゾーンでもなく
どちらかといえば原住民ゾーンに近い
それでも
それまでの居住区となる場所ではなく
少なくとも360度視線の先には
民家が見えぬ場所にです。
こんな所に
家を建てるなんて!
変わり者に違いない!
そう
地元民たちは
くちさがなく
噂していたのを覚えています。
そうして
ほどなくして
その人里離れた小川のほとりに
一軒の家が建ちました。
けれど
家、というよりは小屋に近い。
あ、そうそう
アニメのサザエさんのエンディングで
家族がゾロゾロと
小さな家に入って行くじゃないですか。
本当にあんな感じです。
それと
この小屋は
私の通学ルート上に措かれていました。
どんな人が越して来たのだろう…?
とは
気になってはいましたが
ある日までは
とくに
関わることもなく
田舎の閉鎖的な気質も手伝い
その方が住み着いてからも
しばらくは
なにも交流はありませんでした。
しかし
と、ある日の学校の帰り道に
それは
起こったのです。
ポロン♪、ポロン♪
と、
それまでには
聞こえなかった
ピアノの音が
その小屋から
聴こえてきたのです。
とても
綺麗な曲で
そのメロディーは
幼い私の心を鷲掴みにしました。
━━なんと素敵な・・!
しばらく
その小屋の横で聞き惚れていると
突然
音が止み
ガラリ!
と ガラス戸が開きました。
そこへ
顔を出したのは
とても
優しい笑みを浮かべ上品そうな
お婆ちゃんでした。
そうですね
感じでいえば
女優の松原千恵子さんのような方でしたか。
『学校の帰り?』
━━はい。
『気をつけておかえりなさいな』
━━━はい。
最初の会話は
そんな感じであったように
記憶しています。
それからも
学校の行き帰りの度に
その小屋からは
色々な曲が聴こえてきました。
この通学路は
学童では私しか通らぬ道でしたので
他の人達は
この事をあまり知らなかったようです。
わたしも
学校でそんな話は
しませんでしたし。
なんだか
この地元で
悪口をいわれがちな
お婆ちゃんは
誰にも迷惑を迷惑をかけていないのだし
そっと
しておいてあげたかった
そんな風に当時の私は
考えていたように思います。
ピアノどうのこうの
が
また格好の悪口ネタにされそうで
嫌だったのでしょうね。
さて、
何度か
挨拶を交わすうちに
私は
彼女宅である
この小屋に時折
立ち入るようになっていました。
特に
学校が早く終わる土曜日とか。
この小屋の中は
とても変わっていて
作りは質素そのもの
八畳ほどの一間に小さなお風呂
それに簡単な台所があるだけ。
その八畳の大部分を占める
不釣り合いな
立派なピアノ
お婆ちゃんは
そのピアノのすぐそばで
寝食をすべて賄っている
スタイルの様でしたね。
日中は
押し入れに布団が入っているので
実際には
よく解りませんが。
私が遊びに寄ると
一人暮らしである
お婆ちゃんは
やはり寂しさが紛れるのか
とても
やさしくして頂きました。
いつも弾いているピアノを一旦中断し
コーヒーとお菓子
『今日は学校で何があったのかしら?』
そんなとりとめの無い会話
そして
わたしを膝に乗せて
またピアノを弾きはじめる
これが
土曜日や早上がりの日のお約束
そうして
しばらく経ち
どうやら
私が上がりこんでいるらしい
そういう噂を聞き付けた
我が家の祖母が
と、ある日
私の知らない間に
このピアノお婆ちゃんの家に
何やら
お邪魔したようです。
祖母は借りを返さなくては
気がすまない気性でしたので
私がご馳走になった
お返しと
目下、不審人物と噂される
ピアノお婆ちゃんの実際のところを
確かめにいったのでしょうね。
そして
祖母が私に伝えた事は
お邪魔するときには
必ず家に1度帰ってからにすること
遠慮を忘れぬこと
あまり煩くしないこと
などで
ピアノお婆ちゃんの小屋に立ち寄ること
その事自体は
反対されませんでしたし
怒られもしませんでした。
ピアノお婆ちゃんは
その後も
地元民達との交流は殆どなく
私の祖母が唯一
そちらに
時折立ち寄るくらいであったと
記憶しています。
ピアノお婆ちゃんには
不思議なことに
普段から口うるさい我が祖母も
なにやら
一目おいているような
言動をしていましたね。
これは
ずいぶん後から聞いた話ですが
ピアノお婆ちゃんは
若い時分からとても御苦労なさった方で
終の棲み家として
少し縁のあったこの地に
好きなピアノを
ただ1日中弾いて暮らす
ずっとずっと夢だった
そのためだけの
家を建て
それ以外の目的は
すべて捨てて
この地にやってきたのだそう。
私は様々に奏でられるピアノの曲
それ自体も楽しみではあったのですが
なにより
このお婆ちゃんがご馳走してくれる
コーヒー!
このコーヒーが美味しくて
とても楽しみでした。
当時、
我が家では
子供はコーヒー禁止でしたので
『秘密だよ』
そう念を押されて
お婆ちゃんにご馳走してもらえる
コーヒーを飲むと
なんだか少し
大人扱いされたようで
嬉しかったのですよね。
おそらく
今、思い返すに
甘い甘いほぼホットミルクのような
コーヒーとは言えぬような
しろものではあったのですが。
そして
いつも一度は
わたしがリクエストする
楽しいような悲しいような
あの不思議な曲
『教えてあげるから弾いてみなさいな』
そう
膝の上に乗せられ
手を重ね
その曲は穏やかな時間の中に
流れていったものでした。
小さく拙い指の動きに
けして怒ることもなく
なんども
なんども
丁寧に教えてくれました。
そんな日々を重ねる
と、ある夏の日
夏休みに入り
しばらくご無沙汰していた私は
久しぶりに
ピアノお婆ちゃんの様子を見に行きました。
山中に響きわたる
蝉の鳴き声
照り付ける太陽
燃えるような緑
静かに流れる小川
涼やかな風
ピアノお婆ちゃんの小屋の窓は
開け放たれ
白いカーテンが
窓の外にまで
飛び出し
まるで踊るように揺れていました。
お婆ちゃん、きたよー
風を通す為か
これもまた
開きっぱなしのドアを抜け
お部屋に入ると
ピアノお婆ちゃんは
ピアノにうつぶせ
寝入っていました。
起こしてはまずいかな…
とは
思いつつも
何度か
小さな声で呼び掛けると
ピアノお婆ちゃんは
少しだけ
口元を緩め
笑っているようにも
見えました。
そして
家に帰り
祖母に
お昼寝してたよ
そんな事を伝えると
祖母は顔色を変え
忙しなく玄関をでると
ピアノお婆ちゃんの小屋に
向かっていきました。
血相をかえて
すぐ
家に戻ってきた祖母が
なにやら怒鳴るような口調で電話をすると
やがて遠くから聴こえてくる
救急車のサイレンと
大人達の喧騒
私はまだまだ
幼くて
それまで
ちゃんと
人の死
というものに
向き合ったことがなかったのですよね…。
お婆ちゃんは
大好きなピアノに
身体を預けるように
亡くなっていたのです。
その後まもなく
身寄りもなく
亡くなったお婆ちゃんの部屋から
最期の時の為に、と
したためられていた
遺書のようなものが
出てきたそうで
書いてあった
電話番号に連絡すると
事後の事を頼まれていた、という人が来て
地元民たちの手を煩わせる事もなく
その方が
一切のことを処理したそうです。
ピアノは
遺書により学校に寄付され
小さな小屋は
取り壊すも
山の作業小屋として
使って頂くのも
お任せいたします
と、され
すべての権利は
役場に寄付されたそう
その長い人生の大部分を
苦労で通してきたであろう
この
はたから見れば
孤独なピアノお婆ちゃん
家族もなく財産もなく
その最期を山の中で
ひとりきりで
迎えた老婦人
それでも
幼い私の目には
ピアノを奏でる為だけの粗末な小屋に住む
そのお婆ちゃんは
とても幸せそうに見えました。
その音色は
人生を物語るような
とても深いもので
それでも
悲しみだけに
満ちたような
そんな音では
けして
ありませんでした。
今でも
思わぬところで
時折
耳にする あの曲
【メヌエット】
いえ、これも大人になってから
解った事ですが
おそらく
あの曲は メヌエットを元にした
アメリカ往年の黒人女性グループ
【The Toys 】
━━A Lover's concerto ━━
だと思うのです。
お婆ちゃんが一人で弾いていたリズムと
私に教えてくれていたものは
微妙に違う気がします。
幼い私に覚え易いように
きっと
まずは原曲ともなる
バッハのメヌエットを
教えてくれていたのでしょう
それが
ラバーズコンチェルトの
つらく長い時を越えながらも
大自然と人間愛を賛美する事を忘れぬような
歌詞の意味を知った時には…もう…。
このメヌエットのメロディーラインを
耳にするたびに
あの
お婆ちゃんの温かな手の感触
そして
もう思い出の中にしかない
あの景色が目に浮かぶのです。
本当の棲み家とは
生きたいように生きられる
【 自分の居場所 】
なのかもしれません。
メヌエット
そんな訳で
この曲のみ弾けたりします。
いわばピアノお婆ちゃんの遺産。
・・・
私は
【プラモデルお婆ちゃん】
に成るのでしょうか。
小さな子向けのキットを用意しなければ。
ゾイド( ´△`) …トカハ?
うん、良いかも。
初心者から上級者用まであるし
組んで動いて楽しく
カッコいい
ナカデモ…セイバー (*´ω`*)b タイガー ガオススメ!
だけど
低学年にはキツイかなぁ。
マスター (´д`|||) ピース
お子様まっしぐらで
感動する事うけあいなのです…
ホント
もの凄いギミックですよ。
まー、いずれ
いつの日かね。