BLIZZARD!

初めての長編です。よろしくお願いします

プロローグ『白』

──神様とやらがここにもいるなら、それは相当俺のことが嫌いらしい。

白、白、白。見渡す限りの景色はそれだけで、色という概念が消え去ってしまったようだ。
おまけに感覚も遠い。この手が持っているものが杖代わりの棒だと、遠い感覚神経が告げている。それほど体の末端が、冷たい。

吐く息は一瞬で白くなり、鼻の下はその冷気故出た鼻水が凍る。吹く風は容赦なく彼の体温を下げていき、吹雪はその視界を更に悪くする。そして肌を刺すその冷気が、何よりも意識を遠のかせる。だが寝てはいけない。空腹、眠気、冷気。凍死の三拍子が揃った今、眠りは永遠のものになるのは間違いないだろう。

だから彼は歩き続ける。終わりの見えない白の景色で、何か変化を探すため。凍えきった足をこれでもかと動かす。靴の間に挟まった雪は足を重くする。一歩一歩が渾身の進行だ。なけなしの体力をこれでもかと酷使する。それでも、変化は訪れない。

諦めてたまるものか。そう踏み出した足が、何かに引っかかる。

──っ!

声にならない声とともに体が倒れる。瞬間、痛み。正しくはそれは白い雪の冷たさであった。

「くっ…そ…!」

罵声の言葉ももう気力が伴っていない。身体のあちこちが「熱い」。この酷寒の世界で熱さを感じるのは皮肉のようだった。笑えないけれど。

彼──冰崎(すさき)(かける)は何も雪国に住んでいるわけではなかった。むしろ都会──すぐそこに野山が見える環境を都会というかは個人の感性によるが──少なくとも太平洋側、雪とは無縁の生活を十六年送ってきた。そもそもこの雪景色の中に学ランは似合わない。雪国の住人であったとしたらそんなミスマッチはしないだろう。

ならばなぜ彼はこんな極寒の地にいるのか。その答えは簡単だった。突然飛んできた、そう言わざるを得ない。授業中に寝ていたらいきなり氷点下だ。その原理まで問われたら、彼は知るわけが無い、と怒るだろう。その気力があれば、の話だが。

だがそれを問う者もその場にはいない。周りはただただ雪景色。吹雪は耳をつんざき視界を曇らせる。だからせめて、彼はその理不尽を見守っているだろう神様とやらに叫んだ。

「…こんな異世界召喚、俺は認めねぇからな!」

しかしその叫びも誰の耳にも届かず、ただ吹雪の音にかき消されるばかりであった。

第一章01『はじめの一歩』

 ──神様とやらがこの世にいるなら、何でそいつは俺のことを作ったんだろうか

 誰もが眠くなる春先の昼過ぎ、大きな欠伸を一つしながら、冰崎翔は窓の外を見ていた。黒板ではセンセイが何かを言いながら書いているけれど、正直興味はない。

 退屈で仕方ないのだ。この世の全てが。斜に構えている、などと言われても仕方が無いけれど。この世界は見ている分には楽しいけれど、自分がその社会の中に入るなど想像も出来なかった。

 いっそのこと、何か物語の中にでも入れたらその退屈も晴れるのかもしれない。ドラゴンのいる魔法の世界か、一人一つ超能力を持つ世界か。あるいは全てを笑いに変えてしまうコメディでもいい。とにかく、この世界は退屈すぎる。誰でもいいから、この世の中を変えてくれ。それが、傲慢で幼稚な、彼の抱いている願いであった。

 ふと、まぶたが重力に屈し落ちていく。退屈な授業だ。寝るのは珍しくない。ただ何故かいつもと違う。眠りに落ちる、なんて表現にぴったりの感じだった。意識が深くに、落ちていく。

 そして、何故かまわりが騒がしい。授業中だというのに何かあったのだろうか。気になるけどもう目を開けていられない。気絶に近い眠りに入る直前、そういえば教科書を松つん、隣のクラスの友達に借りたことを思い出した。よだれつけたら悪いな。けど、もう我慢は出来なかった。

 目を閉じ、机に身を置き、眠りの姿勢を作ってからは一瞬だった。まるで水の中にでも放り込まれたかのように、自分の体が沈んでいくのを感じていた。目を開けても、それは事実、水かなにか、青い何かに沈んでいっているのが見えるだけだった。

 その空間が、夢か現かは分からなかった。ただ、きっとその時から彼の運命は変わっていたのだろう。

 事前に断っておくが、先の傲慢な彼も実際に「異世界」や「超能力」、「魔法」なんてものは信じちゃいなかった。そこまで夢を見る少年ではない。しかし、だからこそ、救いようのない平和な現実に失望していたのだった。

 だから、その後目を開けた時の彼の驚きは語るまでもないだろう

 ──そこはいつもの教室ではなく、一面吹雪の銀世界となっていたのだから。


「……は?」

 目を開けて直後、彼が発したのはそんな気の抜けた一言だった。まだ夢から覚め切ってないのか。勘弁してくれ、寒いのは嫌いなんだ。暑いのもだけど。

 だがそれが夢ではないことはすぐにわかった。顔も、足も、手も、冷たい。ほっぺたをつねっても痛くないように、夢の中なら吹雪の中でも寒さを感じずに済むはずだ。

 それにそれは夢というのもおこがましい悪夢だったからだ。突然吹雪の雪山に飛ばされる?そんな救いようのない夢は聞いたことがない。普通夢というのは友達が妙にリアルに、あるいは全く現実とはかけ離れて、もしくは少し違和感がある調子で生活している虚構の物語を見せてくれるものだと思う。こんなに独りで、寒くて、悲しい夢はあってはならない。

 とにかく、状況を整理しなくては。凍える体で、一つ一つ確かめていく。

 これは夢じゃない。ならここはどこだ?学校の近くに山はあるにしろ、生憎彼は小さい頃から雪合戦を夢見てきた太平洋側の人間だ。あそこに雪が積もっている所など見たこともないし、そもそも周りの景色はほんの数時間で形成されるものじゃない。

「……じゃあ、ここは少なくとも俺の町じゃないとしたら」

 ──一体どうして、居眠りをしている間にこんなところに来てしまったのだろうか。

 ふと、テレビか何かのドッキリ企画が頭をよぎる。だが、すぐにそれはないだろうと数秒前の自分を否定した。テレビの企画にしては悪質すぎるし手が込みすぎている。第一こういうのはテレビに出ているタレントやらがやるものだろう。そんな世界とは生まれてこの方液晶を通してしか縁がない彼は、そんなものに巻き込まれるはずもない。

 なら、どうして。寝相で移動したにしては遠すぎるし彼の学ランも汚れていない。最もそれは今や雪が付きぐっしょりと重さを増しているのだが。

「……まさか、これが俗に言う異世界召喚とか?」

 一瞬、こんな状況でも冗談が言える自分に驚いたが、あながちそれが冗談で切り捨てられないことに気付く。とても理不尽で、意味不明ではあるが論が通っている。何らかの影響でこの雪の世界に召喚された、ということでこの特異な状況も説明出来なくはない。

 だが、それはそれで少し疑問が残る。異世界召喚、というのなら召喚した者がいるはずだ。それがこの雪景色の中に見当たらない。それどころか人影すら見当たらない。それに彼を召喚する目的もないだろう。彼は体力や身体能力は平均的で、別に悪魔の住み着いた左手を持っているわけでも、10km先を見据える神眼か何かも持ち合わせちゃいない。そんな彼にやれ魔王やらを倒せというのは流石に的外れに思えた。

 ──だがそれでも、今の彼の推測としては

「……異世界召喚、ってことになるのか」

 そう彼はため息をついた。やれやれ。退屈な世界とは思っていたがこうも矢庭に、呆気なくサヨナラを告げることになるとは思わなかった。今では少し元の世界に感慨すら覚える。それどころかもう既に元の世界に帰れるものならば帰りたい。少なくともあちらでは、吹雪も吹いていなければ食料にも困らず、寝床もきちんと用意されてるのだから。

 だが、通例異世界召喚の類は元の世界に戻れないものが少なくない。彼もどこか、もう元の世界に帰れない気が少ししていた。こうも当然に世界が変わる体験をすれば皆がそう思ってしまうのかもしれないが。まるで気分はどこか始めていくところに旅行でもしているようだった。環境は最悪であるけれど。

 ふと、そんなことを思っていたらその場の厳しい寒さに改めて気付いた。耳をつんざく風の音、しゃくりしゃくりと彼の周りに積もっていく雪。もうそれは跪いた彼の腰のあたりまで来ていた。

「……とりあえず、この雪を凌げるところ、探さないとな……」

 膝に手を付き、立ち上がる。そして前に進まんとした時……

「がっ……?」

 ──姿の見えない何かに、身体を思い切り押された。まるでそんな感じであった。だがそれは何もこの世界のいるかもしれない「魔物」や実在するかもしれない「魔法」なんかの仕業ではなかった。ただの「風」。なれない雪の足場にバランスが悪かったこともある。彼自身そのような突風を予期していなかったこともある。だが、それにしても、これは。

「……マジで、神様ってのは俺のことが嫌いらしいな」

 彼は元よりぬくぬくと都会(と言えなくもない)環境で育ってきた男だ。おまけに装備は教室で寝た時と同じ(学ラン、制服のズボン)。こんな厳寒の環境で、過ごしていけるはずもない。寒さを凌げる洞穴かなにかを探すことが出来るか、誰か救助が来るか、この吹雪が止むか、彼が死ぬか。

 一体どれが先に起こるのだろうか。救助に関してはこの世界に人間のような生命体がいることが前提になる。それに仮にいたとして、この猛吹雪の中歩くことの出来るものなどいるのか。望みは限りなく薄い。ならば、もう彼のすべきことは決まったようなものだ。

「……歩く、しかない」

 まだ見えぬ安息地。吹雪で視界は悪く、寒さは体力を奪う。降りしきる雪は身体を重くし、それらは全てじわりじわりと彼の心を蝕んでいく。歩くのをやめてしまえば、楽になれると。

「ふざけんな。諦めてたまるかよ」

 彼は笑った。神様とやらを煽るように。神は彼のことが嫌いらしい。ならばもうとことん抗うしかないだろう。神の書いた、運命という名のシナリオに。

 今だ強さを増す吹雪の中、彼は運命に抗うはじめの一歩を、大きく白のキャンパスに踏み出した。

第一章02『獣』

 思えばこの銀世界は小さな頃の彼にとっては夢のようなものだろうとは思った。彼──冰崎翔は雪などとは縁のない生活を十六年間してきた。数時間前の彼ならば、この雪景色も少しは楽しめていたかもしれない。

 足を雪の沼から引き抜き、前に出し、落とす。歩くとはそれの繰り返しだ。この一歩は人類にとっても彼にとっても小さな一歩であるが、それでも踏み出さなければ何も変わらない。そしてそれを積み上げなければ、希望の光など見えやしない。

 洞穴、もしくは民家か何かだ。人のようなものがいるならばそれが住む場所もあるはずだ。ひとまずこの猛吹雪を凌げる場所を見付けなければすぐに凍死してしまうだろう。食料も問題だ。この環境で、先程から彼は生物を一つも見つけていない。召喚されたのが昼過ぎだったのが不幸中の幸いといえるだろう。今はまだ空腹は覚えていない。が、それも時間の問題だろう。

 とにかく、この無限にも思える白に覆われた世界に、何か変化が訪れるまで歩くしかない。だから彼は足を動かし続ける。

 歩く、歩く、歩く

 歩く、歩く、歩く

 歩く、歩く、歩く

 歩く、歩く、歩く

 歩く、歩く、歩く

 歩く、歩く、歩く

 歩く、歩く、歩く

 歩く、歩く、歩く

 歩く、歩く、歩く

 歩く、歩く、歩く


 されど、見える景色は変わらなかった。洞穴も民家も生物も、何も見えない。もしかしてここは雪しかない空間なのではないかとまで思い始めた。そうしたらもうこうして歩くのも無駄になるが、それほど世界は理不尽でないと信じたい。

 と、そんなに弱気になってはならないと自分を一喝する。何があってもこの世界には、少なくとも今は彼しかいない。弱音を吐いても状況が好転するわけでもないし、誰かが慰めてくれる訳でもないのだ。

 拳を握りしめ、また踏み出す。

 歩く、歩く、あ……

 その時、突然浮遊感が彼を襲った。無理解のまま、彼の体は落下していく。

「あああああああああ!」

 何が、何が、考える暇もなく、走馬灯が頭の中を駆け巡る。思えば友達なんてほとんどいない人生だった。友人と言えるのは松つん、召喚される前に教科書も借りていた彼だけだった。

 松本友也。去年同じクラス、どころか小、中、高と翔と同じ道を進んだ男だ。翔とは対称的な存在で、明るく人気がある、いわば翔にとっての光だった。せめて召喚される前に、一度彼と出会いたかった。こんな自分と今まで一緒にいてくれて、ありがとうと。

 だがそんな走馬灯が、衝撃とともに途切れる。痛い、ようでそれほど痛さは感じなかった。雪がクッションになったのだろうか。上を見上げると、さっきまでいたであろう高さの地面が遥か上にあった。

 なるほど、吹雪で崖に気付かず落下したということか。雪のクッションがなかったら骨は折れていたであろう高さ。今だけは雪に感謝した。

 が、その時に気付いた。ポケットに入れていた携帯がない。あの時落としたのだろう。どの道既に充電は切れている。果たして拾いに行く余裕があるのか。

 と、その時、彼は二度目の浮遊感を感じた。が、それは走馬灯を見る暇もなくすぐに終わる。先程いた場所もまた崖のようになっていた。というよりも、これは切り通しに近いようだ。先程落ちた雪の地面の下に、もう一つ切り開かれた道があったのだ。

 ──そしてそれは、まるでこれから彼が進む道を示すかのように、まっすぐと切り開かれていた。

「……なんじゃ、こりゃ」

 このような「道」は到底自然にできたものだとは考えられない。ならばこれを作った「誰か」がいる。この道を作った、人に近い知的生命体がこの世界にはいるという事じゃないか。

「……少しは、希望が見えてきたのかね」

 ため息とともに、立ち上がる。ひとまずはこの切り開かれた道に従って進む他ないだろう。もしかしたらその先に、人がいるかもしれない。下は凍った道だった。もちろんその上に絶え間なく雪は積もっていくが、それでも先程までの、崖の上の環境よりは歩きやすい。

 しばらく進むと、彼は先程の、この世界の知的生命体の存在について確証を持てるようになった。目の前に氷で出来た「階段」があったからだ。こんなものを作れるのは、ほとんど人くらいのものではないだろうか。それともここは異世界だから「魔法」かなにかで出来るのかもしれないが、いずれにしよ知性を持った生物がいる確証はもてた。

「……とりあえず、少しは前進、か」

 階段を上ると、先のような殺風景な雪景色に戻った。戻ることが出来たのならひとまず携帯を救出しよう。それからどこか、身を休めることの出来る場所を探して…

 と、そんなことを考えていたその矢先、

 耳をつんざくような、叫び声が一体を揺らした。

「ああっ!」

 とっさに耳を塞ぐ。少し耳の奥が痛み、見ると血が出ていた。鼓膜が破れてしまったのだろうか。人の体の膜の中では修復可能な類だった気がするからよしとしよう。

「……けど、さっきのはなんだ?」

 まるで先程までの風の鳴き声とは全く違う。明らかに「生物」の鳴き声。人のような知性のあるものかは分からない。野獣のような危険な生物であるかもしれない。だが少なくとも、この世界で初めて、生物に接触できる。

「だとしたら、行ってみる価値はあるな」

 そこに落ちていた携帯を拾い、声のした方へ歩き出す。走ることの出来ないのがもどかしい。この無限に思える白の世界で、やっと生物に会えるというのに。

 だが数分後、彼はそんな高揚した気持ちを忘れていた。鳴き声の元にいたのは、二「匹」の「獣」だった。

 その獣は、身体を剛毛で包み、そのもの特有の長い「鼻」と、その両脇に生えた「角」を武器としていた。その巨躯は彼に無条件に恐怖感を与え、その四つ足のどれかに踏み潰されたならばここまで足掻いてきた彼の命もすぐに儚く消えてしまうだろう。

「なんなんだ……? 全く
 ここは氷河期だとでも言うのかよ……」

 そう、そこにいた生物はマンモスの他に見えなかった。先程の叫び声もこのマンモスによるものだとしたら納得もする。問題は、何故こんな生物がここにいるか、ということだが。

 そして、その場にいたもう一匹の「獣」については

 ──「匹」と表現するのが正しいのか分からない、人形のフォルム。事実その生物は一見人間に見えないこともなかった。この猛吹雪の中で、もう少し彼の目が曇っていたならば、この異世界で同種の生物を初めて見つけた歓喜に暮れていただろう。

 だが、それは「人間」というにはあまりにも野性的であった。頭には猫かなにかの耳が生えており、体毛は全体的に多く、茶色。そして先のマンモスと向き合う目は大きく見開かれ、獲物を倒すそれのように敵を見据えていた。人獣、と称するのが適していそうなその出で立ちは、マンモス同様彼を戦慄させた。

「……なんなんだ、なんなんだよここは……!」

 そう呟く彼のことなど気にも留めず、目の前では二匹の「獣」が、向かい合い戦闘を始めようとしていた。

第一章03『ヒーロー』

 彼──冰崎翔の目前で睨み合う二匹の獣。彼のマンモスに比べ人獣は大きさでは劣っているように思える。が、その気迫はマンモスに劣っていない。まさに「獣」と形容するのが正しい。人の形をした、残忍な獣だ。

 翔はそこに立ちすくむことしか出来なかった。目の前の戦闘に介入することなど出来るはずもない。ただこの戦闘の傍観者となることしか出来ない。だが、それでも彼の心は高揚していた。

 目の前で行われるこの戦いは、彼のいた「日常」では到底見ることの出来ないものだったから。

 人獣がマンモスに飛びかかった。

「迅い……!」

 人のようなフォルムではあるが、人のような顔の作りをしているが、人とは違う作りのようだ。そしてそのままマンモスに飛び付き、その牙を突き刺した。

「ふぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 マンモスが雄叫びを上げ、その牙を退けようと暴れるが、人獣はその巨体に噛み付き離れない。あの小さな体で巨大なマンモスを苦しめるその姿に、翔は興奮する。

 だが、氷河の大王はそれほど易くなかった。マンモスは噛み付く人獣を押し潰さんと、なんと片足を大きく上げ、自らバランスを崩す。

「……!」

 人獣はそれを察知しマンモスから離れんとする。が、一拍遅かった。倒れ込んだマンモスの身体と氷床に、人獣の片足が押し潰された。

「!!!!!!」

 声にならない人獣の叫びがその場に響く。翔は前の世界にいた時にテレビで聞いた象の体重を思い出す。あのマンモスはその象よりも重い。それに足を潰される激痛など、想像するに耐えない。

 だが、やはりあの巨体だ。自ら起き上がることはあまり得意ではない。人獣に分がある、と思われたその時

 マンモスがその長い鼻を鞭のように使い、足を潰し逃げる術のない人獣を打ち始めた。

 翔はそれを見ていられなかった。人獣は獣のようであるとはいえ姿形は人に近い。そんな存在があれほど鞭打たれ、何も感じないはずはない。

 それでも人獣はマンモスの身体に新たな歯型をつけ、勝負を諦めない。するとマンモスは、鼻の鞭を止め、また体をもごもごと動かし始めた。

 ──まるで、そのまま身体を横に一回転しようとするように。

 そのまま回転をすれば、数トンの重さが足の挟まった人獣にかかり、恐らく潰れてしまうだろう。

 ──その結論に至った翔は、迷わず走り出していた。

 生身の人間が、あんな大きな生き物相手に勝てるはずもない。仮にどうにか出来たとして、あの人獣が翔を襲わない確証はない。その事を考えていなかったわけではなかった。だが走った。目の前で人のようなものが死ぬのは、ガマンできない。

 ふと、足がなにかにつまづいた。それは人の頭ほどの大きさの石だった。丁度いい。マンモス相手の武器としては貧弱だが何も無いよりはマシだ。それを片手に持ち、マンモスに走る。

「!!!!!○△☆!!」

 人獣は押しつぶされる激痛で言葉にならない言葉を叫ぶ。いや、もしかしたらそれは翔に通じないだけで何か意味を持つ言葉なのかもしれない。だがそれは分からない限り、ただの意味を成さない叫びにしか聞こえない。だがそれが苦しんでいるものであるのは、疑うまでもない。

 ならば助ける。助けたい。雪原を駆け、翔はその石を振りかぶる。そして──

「ああああああ!!」

 それを全力に振り下ろした。こんな武器で戦うにはしっかりとダメージを与えられる、弱点となる場所に当てなければならない。今や横に倒れているマンモスの弱点は、素人目に分かる限りでは「目」だった。

 視界を失えば、とりあえず逃げる暇くらい作れるかもしれない。安直ながら、その判断をすぐにすることが出来たのが功を奏したのだろう。人の頭ほどのその石はマンモスの右目をぶちゅりと潰した。

「ふぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 マンモスは怒り狂い、倒れた体をジタバタとさせた。その動きでまた人獣が苦しそうにした。翔は少ししまった、と思いながらマンモスから離れ大回りして人獣に近付く。

「おい、お前! 大丈夫か!」

 言葉が通じるとは思えない。だが無意識にそう呼びかけていた。

「とりあえず挟まってる足を抜くぞ!
 力、入るか!?」

 その問いかけに、偶然か必然か、人獣はコクコクと頷く。通じているのか、肯定しているのかは分からないが、ひとまず信じることにした。

「よし! じゃあ次に象が身体を起こそうとしたら…」

 その先の言葉は継げなかった。何かが翔の腰に巻き付き、宙に持ち上げた。

 それは間違いなくマンモスの鼻であった。そしてその鼻は、翔を離さないまま勢いを付け氷床に叩き付けられた。

「がっ!!」

 身体に衝撃が走る。肋骨がどこかが折れた音もした。そして尚もその長鼻は翔を掴んで離さない。

 痛い、痛い、痛い──!

 畜生、こんならしくない事しなければ良かった。この人獣が、一種だけの生き物とは思えない。つまり人獣という種族はこの世界のどこかにいるはずなのだ。この目の前の人獣を助けずとも、どこか漂流していればそのうち巡り会えたはずだ。

 なのに、何故、こんなことをしているのだろうか。全く合理的ではない。目の前で困っていたから、救いを求めていたから、なんてヒーローみたいな理由はあるはずはない。むしろ翔はヒーローに救われる側の人間のはずだ。

 翔の学ランには大抵カッターナイフが忍ばせてあった。右の手首にはうっすらと何本か切り傷が走っているし、学ランには実は色んな奴の靴の跡が染み付いている。要するに翔は虐められていたのだ。そしてそれに抗うこともなく、最低な現実の日々の中に翔自身救いを求めていた。あの世界にいるはずもない、ヒーローという救いを。

 だから翔はヒーローなんかじゃ決してない。なれる訳もない。だが戦わなければいけない。目の前のそのものを、救いたいと願ったならば。

 マンモスが再び鼻を振り上げんとする。もう翔は迷わなかった。例えそれが過去の翔の「弱さ」の象徴でも、今では「武器」として使えるのなら。

 左のポケットに手を入れ、カッターナイフを取り出す。刃が通るかどうかは分からない。通らなかったら冰崎翔の人生は幕を閉じるだろう。この世界に来てから翔は運に恵まれず神に嫌われていると思っていた。だがその刃がその鼻に通った時、翔は初めて神に感謝した。

「よし、よし……!」

 鼻の拘束力は力なく消えていき、翔はその縛りから逃れた。そして力なく鳴くマンモスを横目に人獣へ走った。

「おい! 死んでないよな?」

 人獣は力なくこっちを見る。その足は未だ抜けていないようだ。

「俺も手伝う! 合図で引っ張るぞ!」

 言葉が通じないであろうと踏んでいるのにそう喋るのはどこか変な気もしたが、今はそんな暇もない。

「いっせーの、せ!」

 合図とともに足を引っ張る。ぐちょり、と嫌な音がしたが、もう歩けない、というほどの傷には見えなかった。ほっと安堵をしつつ、人獣を担ぎその場から逃げようとしたその時

「ふぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 そのマンモスの雄叫びがその場に響いた。見れば既にその巨体は身体を起こしている。その左目は痛々しく潰れているが、もう片方の目は恨みを持って翔と人獣を睨んでいた。

 逃げなければ、そう脳は指示を出した。しかしもう、その指示に従うことの出来る力は、翔の身体には残っていなかった。

 マンモスから逃げ、走り出そうとしたその時、彼の身体は膝から崩れ落ちた。

「あ……れ?」

 思えばこの軽装備で慣れない雪の足場を数時間歩き、高さ十数メートルのところを落下し、あのマンモスの目を潰した石を持ちながら走り、そしてマンモスの鼻によって地に叩きつけられたのだ。所詮翔は平凡な高校生。蓄積したダメージは少なくない。彼の身体が動かなくなるのも、無理はないだろう。

「……結局、ヒーローにはなれなかった、ってことか」

 目の前に迫り来るマンモスという脅威に、翔はもう対抗する術はない。そして自然に疲れからか、彼の意識は落ちていった。

BLIZZARD!

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  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-01

Copyrighted
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  1. プロローグ『白』
  2. 第一章01『はじめの一歩』
  3. 第一章02『獣』
  4. 第一章03『ヒーロー』