野良の市物語

野良猫

野良の市物語
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*** 金曜ロードショー「野良の市物語」 ***                                          
 https://www.youtube.com/watch?v=wCDiRGUTfq0

オープニング
https://www.youtube.com/watch?v=uM032eA9HD0

「おやぁ?」
 野良(のら)(いち)は足を止めると、天を仰いでまぶたをしばたいた。杖の先に、なにか柔らかいものがさわったからだ。この感触は、子供がつくった泥だんごだろうか。あるいは、腐った柿か。
「こりゃあ、犬のクソだな」
 野良の市は顔のまえで手をぱたぱたさせながら笑った。そのとき、通りの向こう、東橋(吾妻橋)のほうから〝狂犬〟の臭いがただよってきた。
「また臭せぇのが来やがったな」
 地回(じまわ)りである。近づいてくる足音はふたつ、いや、みっつ。狂犬は、ぜんぶで三匹。一匹は正面から近づいてくる。おそらく、わざと肩をぶつけてくるつもりだろう。それから肩がはずれたのなんだのとゴネはじめて、銭を巻き上げる。それがやつらの商売なのだ。もちろん、かわす気になればかわせるが、あえてぶつかってやろう、と野良の市は思った。
 そして、狂犬とすれちがったときである。
「痛てっ!」
 狂犬は痛かったようだが、野良の市は平気だった。やれやれ。相変わらず芸のねえやつらだ、と野良の市は腹の中で(わら)った。
「ばかやろう! どこに目ぇつけてやがるんでぃ!」
 と、狂犬が耳元で吠えたてた。
 目は見えずとも、声で相手との間合い、そして顔の位置は視える。
「あいにくですがねぇ」
 と、野良の市は狂犬の口の中に杖の先を押し込んだ。
「がぼっ!」
 それから狂犬の口の中で杖の先をぐりぐりと回しながら、野良の市はこう言った。
「そんな物ぁ、ハナからついちゃあいねぇんだよ」
 そして、野良の市はそのまま杖で突きとばした。
「やろォ、按摩のくせにナメたまねしやがって」
 仲間の狂犬どもが吠えると、まわりに集まった野次馬たちから悲鳴が上がった。どうやら、狂犬どもは鯉口(こいぐち)を切ったようだ。
「〝だんびら〟を抜きなすったか」
 野良の市は静かに杖を下ろし、構えを解いた。一見、無防備にも見えるが、このほうが下手に構えるより隙が見えにくいのである。
 狂犬どもは警戒しているのだろう。じりじりと二手に分かれて、野良の市を囲むようにゆっくりと間合いをつめてくる。犬のクソを口の中にねじ込まれた狂犬は、地面を転がりながら嘔吐(えず)いているようだ。野良の市は、ただジッと杖を構えていた。
「さあ、遠慮せずに噛みついてみなせえ」
 狂犬どもの動きが、にわかに止まった。一匹は野良の市の右。もう一匹は左。だんびらの鍔がカチカチと鳴っている。どうやら、狂犬どもは震えているらしかった。
「きっ、今日のところはかんべんしてやらぁ」
「おぼえてやがれ!」
 捨て台詞をのこして、狂犬どもはしっぽを巻いて逃げ去って行った。
「おぼえてやがれ、か」
 野良の市は肩をゆらした。
「アッシは、人の顔をおぼえるのが苦手でねえ」
 野良の市は御家人(ごけにん)の次男坊である。目は見えないが、剣術はそこそこ(つか)えるのだ。。父・矢坂(やさか)源四郎(げんしろう)は厳格な人物で、目の見えない野良の市を、けっして甘やかすことはしなかった。剣の稽古でも、「よいか、剣四郎(けんしろう)。目は見えずとも、剣は遣える。相手の気配を読め。殺気を感じろ。心眼を開くのだ」と、いっさい手心を加えることはなかった。しかし、ふたつ年上の兄・源之進(げんのしん)は少々気が小さく、優しい性格だった。母のお由美に似たのだろう、と父は言っていた。
 家を出たのは二十年まえ、十五のときだった。それ以来、矢坂家にはいちども顔を見せていない。父や母、そして兄の顔を見たことはいちどもない。だが、声はいまでもはっきりとおぼえている。目が見えないことにはもう慣れているが、もし叶うのであれば、家族の顔をいちどでいいからこの目で見てみたい。それが、野良の市の唯一の願いだった。
 両国橋の近くまできたとき、昼(ここの)ツの鐘が聞こえてきた。
「お、うまそうな匂いだ」
 ちょうど両国橋の袂に、そば屋の屋台が出ているようだ。
「熱いのを一本。それと、そばをひとつ。あげ玉を多めにのせ――」
「おうおう、勝手にこんなところで商売されちゃあ困るなぁ」
 野良の市の注文をさえぎったのは、またしても狂犬の声だった。
「なっ、なんですか、あなた方は」
 屋台の奥で、そば屋のおやじが怯えている。
「赤鬼一家だよ」と、もう一匹の狂犬が言った。「まさか、知らねえなんて言うんじゃあねえだろうな?」
 狂犬の臭いは全部で五つ。
「あの~」
 野良の市は狂犬どもを無視して屋台の奥に声をかけた。
「たぬきそばは、まだですかねえ。あげ玉は多めで」
「おう、按摩。ケガしたくなきゃあ、引っ込ん――」
 言いおわらないうちに、野良の市は狂犬の股の下に杖をふり上げていた。
「アげっ!!」
 狂犬の口から悲鳴が飛びだした。
「こっちのあげ玉は遠慮しときやす」
 野良の市は丁重にことわった。
「……ダ……マ」
 狂犬のうめき声が、野良の市の足元に沈んでいった。
「ヤロウ」もう一匹の狂犬が牙をむいた。「ナメたマネしやがっ――」
 狂犬の声をさえぎったのは、野良の市の杖である。のど元に杖の先を突きつけられた狂犬は動けない。狂犬のゴクリとつばをのむ音が、野良の市の耳にも聞こえていた。
「メシぐれえ、ゆっくり食わしてくれや」
 のど元に杖を突きつけたまま、野良の市は静かに凄んだ。狂犬どもは、だれも手を出そうとはしない。どいつもこいつも、怯えたようにじりじりと後退りをはじめていた。
「こっ、このままで済むと思うなよ」
 狂犬どもは、そそくさと立ち去っていった。
「いやあ、助かりました。按摩さん」
 屋台の奥からそば屋のおやじが礼を言った。
「なあに、大したことじゃあございやせん」
 そば屋のおやじは「お礼といってはなんですが」と、熱燗二本に天ぷらそばをだしながら「お代は結構ですので、どうぞ召し上がってください」
 しかし、自分がたのんだのは、たぬきそばである。そう言った野良の市に、そば屋のおやじは「たぬきの上に、エビをひとつのせました」と言って笑った。
「あの、本当にお勘定はいいんですかい?」
「もちろんですとも」
 目が見えないと、いろいろ馬鹿にされることがある。銭のかわりに〝おはじき〟を握らせられたり、となりの客に沢庵をひと切れ失敬されたり。
「それじゃあ、お言葉に甘えさしていただきやす」
 鬼もいれば仏もいる。この世も、まだまだ捨てたもんじゃねえな、と野良の市は温かいそばを舌に運んだ。

 鳥越町から蔵前(くらまえ)一帯を縄張りとする赤鬼一家の元締めは、名を睦五郎(むつごろう)と言う。年の頃は五十五、六。性格は残忍非情で、しかしながら、その顔は仏のように穏やかな笑みをたたえているところから、世間では彼のことを「笑鬼」と言い恐れていた。
 ふた月ほどまえ、こんなことがあった。
 鳥越町にある口入れ屋・きじ屋の裏手を野良の市が通りかかったときのこと。
「よ~しよしよし」
 板塀の向こう、きじ屋の裏庭のほうから睦五郎の声が聞こえてきた。そう。きじ屋は赤鬼一家の店なのだ。
「よ~しよし。はい、おすわり!」
 どうやら睦五郎は、愛犬の黒い柴犬「シロ」と戯れているようだ。黒い犬にシロと名付けるたあ、いかにも悪党らしいと、野良の市は鼻先で笑った。
「親分」
 子分だろうか。若い男の声だ。
「おう、戻ったか。で、どうだった?」
「親分、申し訳ねえ。あのやろう、どうしても首をたてにふらねえんで」
 たぶん〝ショバ代〟の話だろうと、野良の市は思った。
「なにぃ? よく聞こえねえなあ」
 睦五郎は子分の返事が気に入らなかったらしい。慌てて取り(つくろ)うように子分がつづける。
「や、やつは払わねえそうです。しまいには、奉行所に訴えるなんてぬかしやがって……」
「ぁあ?」
 いよいよ睦五郎は癇をたてたようだ。
 野良の市は板塀のまえにしゃがみ込んで、草鞋(ぞうり)を締めなおすふりをしながら、じっとふたりのやり取りに耳をかたむけた。
「あんだってぇ~?」
「いえ、ですから、やつは払わねえって……」
「ちかごろ、めっきり耳が遠くなっちまってえよ。もっと大っきい声で言ってもらわねえと、よく聞こえねえだあよ」
 睦五郎が怒気をはらませた声で言った。
「お、親分。ですから、そのう」
 怯んだ子分は歯切れがわるい。
「あんだってエ?」
 睦五郎は、あいかわらずしらばくれている。野良の市は、睦五郎が片方の耳に手を添えている姿を想像した。
「や、やつぁ」と言いかけて、子分がゴクリとつばをのんだ。それから、もういちど「やつぁ」とつづけ、すーっと大きく息を吸い込んで「びた一文払わねえそうです!」と、カミナリのような怒鳴声を弾かせた。
 すると、睦五郎が「そうか、そうか」と小さく喉の奥で笑った。子分も「えへへ」と、控えめに笑っている。そして、鯉口を切る音がした。
「鼓膜がやぶれるでしょうがぁ。この、ばかちんがア!!」
 激怒した睦五郎は、子分を一刀のもとに斬り伏せたのだった。

 暮れ()ツの鐘が鳴った。
 野良の市は按摩笛を鳴らしながら、黒船町あたりを流して歩いた。
「ちょいと、按摩さん」
 女の声に呼び止められた。声の調子からすると、おそらく四十過ぎの大年増だろう。
「背中を揉んどくれよ」
「へい」
 野良の市は女に促されて部屋に入った。
「おかみさんは、商売のほうは、なにをしてなさるんで?」
常磐津(ときわづ)の師匠さ」
 女の名はお千加(ちか)。弟子の数は三十人ほどで、そのほとんどが大店のお内儀(ないぎ)や武家の奥方だという。
 野良の市は、布団の上にうつぶせになったお千加の背中を揉みはじめた。
「商売繁盛。けっこうなことじゃあございやせんか」
「そうでもないさ」
 と、お千加がため息交じりに笑った。
「ちかごろ不景気でねえ。先月は三人、今日も一人辞めちまったよ」
「お武家さんは、自由に商売ができやせんからねえ。なにかとやりくりが大変なんでございやしょう」
「おふじさんは、お武家じゃないよ」
「おふじさん?」
樽屋(たるや)の女房さ」
 蔵前の酒問屋・樽屋。野良の市も知っている。
「ねえ、按摩さん」
「へい?」
 お千加の背中を揉みながら野良の市は返事をした。
「そこの煙草入れ、取ってくれないかい?」
「さあ。そこ、っていわれても、アッシにはわかりやせんや」
「あたいの足のそばに転がってないかい?」
「足のそば、でやすか」
 野良の市は右手を伸ばして畳の上を探った。人や動物なら気配でわかるが、物を見つけるのはいつも苦労していた。
「見つかったかい?」
 お千加が含み笑いを押し殺したような声で訊いてきた。野良の市は「あんまり虐めないでやっておくんなせえ」と、畳の上を探りながら肩をゆらした。
 布団のそばで、指先にコツンと、なにかが当たった。
「これかな?」
 煙草入れだ。なにか、硬い小さなものがぶら下がっている。根付だ。どうやら象牙らしいが、どんな細工が施されているのだろうか。野良の市は根付を掌にのせると、指で転がしながら細工をたしかめた。
「サル……だな」
 不幸が去る。困難が去る。厄除け、か。
「あったのかい?」
 からかうような口調でお千加が言った。
「へい。たぶん、これだと思うんでやすが」
 野良の市は左手で煙草入れを渡した。
「あい。ありがとう」と言いながら、お千加はくすくすと笑っていた。
「お千加さんも、おひとが悪りぃや」
 野良の市も「へへへ」と笑った。
「おふじさんはねえ、あたいの幼馴染なんだよ」
「樽屋の女将さん、でやすね?」
 野良の市はお千加の背中を揉みながら訊いた。
「あのひとも、若いころは苦労してねえ。ようやくつかんだ幸せだってえのに」
 お千加は、いったん言葉を切って、ふーっ、と吐息をついた。煙草のにおいがする。野良の市は、お千加が枕にもたれかかって煙管(キセル)をふかしている姿を想像した。
 同情するような口調でお千加がつづける。
「番頭の与吉(よきち)って男が、博打で二千両の借金つくっちまったんだよ。あと二日のうちに返せなきゃあ、店の鑑札を赤鬼一家にとられちまうんだ」
「赤鬼の睦五郎親分、か」
「按摩さんだって知ってるだろ? あいつらぁ、表向きはまっとうな口入れ家業をしながら、裏じゃあお役人とつるんで汚ねぇクソをたれてやがるのさ」
 嫌悪を込めて吐き捨てると、お千加はぷーっ、と煙草のにおいを吐き出した。
「なるほどねえ」
 鬼が()けば民が泣く、か。
 与吉は大の博打狂いで、赤鬼一家の賭場には毎晩のように通っていたらしい。以前から樽屋の鑑札に目をつけていた赤鬼一家の睦五郎は、与吉をイカサマ博打でハメたのだ。二千両、三日のうちに耳をそろえて返せなければ、借金の肩に樽屋の鑑札をよこせ、と。
「鬼は内、福は外。世の中、あべこべじゃないか」
 と、お千加。
「おっしゃる通りで。へい」
 はすっぱな女だが、お千加は心根のやさしい女だ、と野良の市は思った。
「それにしても」
 野良の市はこっそりと笑った。
「お千加さんは、いいお尻をしていなさる」
「ちょいと。そんなところを揉んでくれなんて言ってないよ」
 野良の市の手をぴしゃりと叩きながら、お千加はおかしそうに笑っていた。

 翌日。
 野良の市は旅籠を出ると、鳥越町に足を延ばした。きじ屋の様子を探りにいくのだ。
「お天道様は、出ているな」
 野良の市は、天を見上げてほほえんだ。ものは見えずとも、光を感じることはできる。柔らかな、陽のぬくもりも。野良の市は、ときどきふと思う。お天道様は、いったいどんな顔をしているのだろうか。空は、どんな色をしているのだろうか。野良の市が知っているのは、真っ暗な夜の色だけだった。
 ――よ~しよしよし!
 きじ屋の近くまで来たとき、睦五郎の声が聞こえてきた。愛犬のシロと戯れているらしい。
 野良の市は、懐から手拭いを取りだして頬被りをすると、裏庭の板塀のまえでそっと耳をそばだてた。
 ――親分。
 店の中から子分の声が聞こえた。足音が五つ、裏庭のほうへ近づいてくる。
「親分」
「おう、早かったな」
 睦五郎は子分に答えながら、シロと戯れている。
「煎餅食うか? まて。まだだぞ~。はい、よし!」
 シロの「ワン!」という返事と同時に「痛たっ!」と睦五郎が悲鳴を上げた。つづけて「……くないよ~」と、睦五郎は穏やかな口調で言った。煎餅と一緒に手も食われたな、と野良の市は口もとで笑った。
「お、親分。平気ですかい?」
 子分が心配そうに言う。
「大丈夫、大丈夫。痛くないから」
 と、睦五郎は陽気に笑い飛ばした。しかし、シロはまだ睦五郎の手に食いついたままらしい。睦五郎は、穏やかな声で「よ、よ~しよしよし。よ~し……よ……し」と、歯を食いしばったような口調でなだめている。シロは「ウウウ~、ウウウ~」と、怒ったように唸っていた。
 にわかに、気まずい沈黙が降りた。聞こえてくるのは、じゃりっ、じゃりっ、と土の上で鳴る睦五郎の草履の音と、興奮したシロの唸り声だけである。
「よォ~しよシ」
 睦五郎の声も、しだいに殺気を帯びはじめてきた。
「今日……は……お馬鹿さんっ!!」
 睦五郎が優しい声で怒鳴った。と同時に、「ゴツン」という鈍い音が、板塀の外まで聞こえてきた。
「ゲンコツでも食らわしたか」
 野良の市は気の毒そうに(かぶり)をふった。シロの「キャイン、キャイン」という切ない鳴き声が、庭の隅のほうに走っていく。
 睦五郎がハア、ハア、と荒い息をしながら「で、もってきたのか?」と子分に訊いた。すると、子分は「へぃ?」と調子っぱずれな声で返事をした。
「鑑札だよ鑑札」
 睦五郎が声を荒立てる。
「樽屋の鑑札はもってきたのか?」
「へ、へい。それが、明日までまってくれって……」
「明日になったら、鑑札をよこすのか?」
「いえ。明日までには、なんとか二千両、工面するそうで」
「おま……」
 睦五郎は舌打ちすると、あきれたようにため息をついた。
「それじゃあ意味がねえだろう」
 睦五郎がいらいらした口調でつづける。
「狙いは樽屋の鑑札なんだよ。だから、与吉の野郎をイカサマでハメたんじゃねえか。わかるぅ? オレの言ってること、おまえらわかるぅ?」
「へ、へい。それじゃ、利息を千両、上乗せしやす」
 そう子分が取り繕うと、睦五郎は「そうよ。はじめっからそうすりゃあいいのよ」と、ようやく態度を和らげた。
「鬼は外、か」
 あまり殺生は好まないが、もはや退治する以外に道はなさそうだ。風に追われて、落ち葉がかさかさと逃げていく。野良の市の耳元で、秋の風が空しく泣いていた。

 その夜。
 野良の市は、きじ屋の賭場へもぐり込んだ。顔を見られないよう、頬被りもしている。赤鬼一家の子分の中には、自分の顔を知ってるやつが何人かいるからだ。そして、賭場にもぐり込んだ目的は、ただひとつ。睦五郎の〝始末〟である。
「さあ半方(はんかた)ないか、半方ないか」
 中盆(なかぼん)の威勢のいい声が耳にひびく。
「それじゃ、半」
 野良の市は、もちコマをすべてつぎ込んだ。
「丁半、コマそろいました」
 勝負、とツボ振りの男が声を張り、ツボを開ける。
ニロク(二六)の丁!」
 中盆の声が弾けた。歓喜の声。そして、ため息。儲けたやつもいれば、損をしたやつもいる。しかし、博打というものは、たいてい胴元が儲かるようになっているのである。
「ちょいと、(かわや)へ」
 野良の市は厠にいくふりをして、そっと中庭のある部屋のほうに向かった。赤鬼一家の賭場は初めてではない。野良の市は、睦五郎の部屋がどこにあるのか知っているのだ。
 店の中は静かである。子分たちは、ほとんど賭場がある奥の部屋にいるようだ。気配に注意しながら廊下を進むと、女の声が聞こえてきた。中庭をはさんで反対側の部屋からだ。おそらく、睦五郎の女だろう。
 野良の市は、カベに身を隠してそっと様子をうかがった。
「早く戻るんだぜ?」
「あいよ」
 部屋を出ていったのは女のほうである。どうやら、女は風呂場へ向かったようだ。
「それじゃ、鬼退治といくか」
 野良の市は障子の外から「ごめんくださいやし」と声をかけた。
「だれだ?」
「按摩でございやす」
「按摩ぁ? オレぁ、按摩なんか呼んだおぼえはねえぞ?」
「へい。こちらの若い衆から、親分さんはだいぶお疲れのようだから、と頼まれまして」
「そうかい。それじゃ、ちょっと揉んでもらおうかな」
 野良の市は部屋に入ると、布団の上でうつぶせになっている睦五郎の背中を揉みはじめた。
「もうちっとつよく揉んでくれ」
「へい。こんなもんで、いかがでしょうか?」
 野良の市は、ある秘密のツボに親指をつよく突きさした。
 すると、睦五郎は「痛い!」と背中を反らしながら「……くない」と、やせ我慢をした。
「かっ、からだが……動かねえ。て、てめえ、ナニをしやがった?」
「何をしたかって?」
 野良の市は眉間にしわを寄せた。
「そういうテメエは樽屋の番頭さんに何をしなさった?」
「な、なんだとお?」
「鬼は、おとなしく地獄に()ぇんな」
 野良の市は笑鬼の首をゴキンとへし折った。
「もう、戻ってくるんじゃねえぜ?」
 野良の市は〝あおむけ〟になった笑鬼のあたまを枕に寝かせると、胸の中で念仏を唱えながら静かに手を合わせるのであった。

    ―― おわり ――

野良の市物語

エンディング
https://www.youtube.com/watch?v=I-xZgp6_Dv8


野良の市のテーマ「野良の市が行く!」
https://www.youtube.com/watch?v=BDHFJZ3KTeQ

BGM
https://www.youtube.com/watch?v=uspa3ChY-KA「狂犬」
https://www.youtube.com/watch?v=hPIXOzBBjDY「鬼殺し」(睦五郎暗殺)

野良の市物語

時代劇コメディです!!

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-11-30

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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