ある兵士の記録

1914年夏。
俺の心はドキドキしていた。軍からやっと召集令状が届いたのだ。
この時を今か今かとずっと待っていた。母も晴れ晴れとした表情で俺を見守る。
「じゃあ母さん、行ってくるよ。なぁに。クリスマスまでには帰れるさ」
俺は母の頬にキスを落とし、家の前を通る出征の軍に混ざった。
そう、その時は誰しもが本気で年の暮れまでに帰れると信じて疑わなかった……。



戦場は言葉で言い表せないほど凄惨なものだった。あちこちに体のない腕や足、頭、果ては内臓が転がり、四肢のない兵隊が呻き声をあげてただ迫りくる死に怯えるしかできない状況。錆びた鉄と死体の腐乱臭が漂い、遠くでは大砲の爆音がする。
こんなはずでは……。俺は感じている全てを疑った。これは悪い夢だ、きっと夢なのだと自分に言い聞かせる。しかし、見て感じるものがすべてである。これは現実なのだ。
俺は急かされるように壕に隠れ、肩に背負っているkar98aを構え、塹壕から微かに顔を出すヘルメットに向けて撃つ。
見事命中。しかし喜んでいる暇もなく弾は津波の如く襲ってくる。俺は夢中で引いた。やめたら今度は自分が殺される。
隣で撃っていた男が倒れる。生暖かいものが頬にかかった。敵討ちとばかりに引き金を引く。
あぁ、いつになったらこの戦争は終わるのか……。気の遠くなる時間を爆音と上官の罵声、そして長雨と共に過ごした。
クリスマスで帰れる筈だったこの戦争も、もう3回目の春。各国は遂に塹壕戦を突破し、戦車と巨大化した大砲とを駆使した大量殺戮へと姿を変えた。戦場は花の匂い…なんて洒落たものでなく相変わらず血と腐乱臭、それに加えて火薬の匂いがそこら中から湧いて出た。
俺は走った。塹壕を超え、砲弾の爆撃あとに沿って一目散に。自分がどこの誰で、どこの部隊に所属しているかなんて考えなかった。ただただ敵に向かって真っすぐに吸い付く磁石が如くただ我武者羅に走る。
戦場に出ていない、安全なところでふんぞり返っているような偉い人にはわからないだろうが、どんなに感情が豊かな人でも戦場に出ると冷淡になる。小さな悲劇にいちいち感動していては気がおかしくなるからだ。隣の死体が無数の鼠に食われていようが、顔を半分飛ばされて生死の境を彷徨っていようがどうでもいい。ただ俺は……俺は……。
刹那、全身に言えないくらいの痛みが走る。目の前にはにやりともしないフランス人と機関銃。どうやら全身を撃ち抜かれたらしい。私は目の前が真っ白になり、やがて息絶えた。
戦争は何も生まない。そう自覚したのは最初で最後のこの時だった。


99年前の1918年11月11日。第一次世界大戦が休戦。5年にわたる長い戦争で900万人以上の前途ある兵士が露と消え、2,000万人以上が心身に大小の傷を負った。

ある兵士の記録

ある兵士の記録

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-11-23

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