傀儡、或いは人形
一つ前の時代を見ていれば、洋館や屋敷に置いて在るのは珍しくもなく、今にしてわたしは、自分と同じ系統のものを見なくなった、と気づいた。
透き通る箱に入れられて飾られていたこともあれば、着飾り見世物として置かれた事もある。
いつしか和服以外も着せられたこともあったか。いや、あれは何かの間違いだったのでしょう、着てからすぐに脱がされたそれを服とは呼べませんから。あれはわたし以外の誰かのものでしたのね。
窓の外を見ることは珍しくもありませんでした。
軒先の風景や行き交う人を見続けるのも苦ではなかったのですよ、なにしろほかに何もしないものでしたから。ええ。とても楽しい思い出なの。
さて、いつからか人が話す言葉を聞いてわかるようになりました。それもまた良いことでした。世間話を主流に、政治、世論やらとタネが尽きませんこと、まこと不思議で仕方ないものでした。
けれど、ね。いつかはおざなりにされたわ。それはそうなの。だってわたしはもう要らないとされたのだからね。でも逆らうことも出て行くことも出来ません。ただじっと待って、またわたしを見る人が現れるのを待つのよ。ええ。・・・楽しくはなかったわ。
けれど、時代が移ったからか、わたし、随分貴重とされたの。嬉しかったわ。見る人の目が昔よりも真剣に、けれど面白がって見る人もいたから、とにかく自由にわたしを見てくれた。あれがきっと、わたしの本懐なんでしょうね。
そして、今はこうして語り草を呟いているの。ええ。二百年は過ぎたようなの。私が目を覚ましてからね。ほら、古い物には魂が宿るのでしょう?
なら、二百年余年を過ごした私が喋れるようになっても、可笑しくはない話よね?
ただ、人形とは、もう呼ばれないのよね。人とは呼べないのでしょうし。傀儡なんて、あら、知らないの?なら忘れて。聞いてもいいことではないのは確かなのだから。うん。わたし、名前が欲しいわ。
人形として、人として、半ばなわたしには呼称なんてないのでしょうけど、どちらにも言えるのは名前があることよ。だからわたし、名前を欲しがるわ。
私だけの、宝物にするから。だからお願い。一緒に考えて欲しいの。わたし、なんて名前なのかしら。
傀儡、或いは人形
最初と最後の言葉遣いが違うのは、時代錯誤のような物です。もっと言葉遣いを練習すべきでした。古風な言い方って難しいです。