神々の冒涜

思春期まっさかりのころ、誰もが一度は考えるのかも知れないが、命やら死やらについて考え続けた時期があった。

宇宙は、ビックバンというでっかい爆発によってできたらしいのだが、ビックバン以前の、つまり物質がどこからきたか、といった根元的なことは分かってないらしい。

つまり、爆発しようにも、ガスおろか物質そのものが無いのである。


無(む)である。


無とはなにか。


それは空間も時間も物質もなにもない状態である。


そんな状態から何かが勝手に生まれるわけないではないか。

何か無作為的にしろ作為的にしろ、原因がなくては結果は生まれない。

無から有が勝手に生まれるはずがないのである。



では誰が創造したのか。



それは神だ。


神はいるのか。


創造主たる神はいる。



では神を創造したのは誰か。


もはや、堂々巡りである。


しかし、宇宙にしろ命にしろ、全知全能の何か抽象的な信仰対象は、概念的な思想の産物であったとして、宇宙そのものが未だ全くの未解明である以上、少なくとも命の在り方について「神」という存在が何を意味するのか探ってみるのも悪くないだろうと思い、僕は都内のある教会に向かった。


昔は孤児院も兼ねていたという教会は古カビ臭く、近くにサイロでもあるのか、牧歌的な香りがした。


懺悔室に入ると、僕は訊ねた。


「命を粗末にすること、それは罪でしょうか。」


箱から声がした。


「罪深いことである。」


外国訛りの日本語だった。


「なぜ、罪になるのでしょうか。」


「主から与えられた命は、平等で、ひとしく、皆尊い。」


「神から与えられた命が失われるのは、創造主にとって、本意ではない、ということですか。」


「そうではない。“死”そのものは意味を持たない。命は、必ず果てる。“死”に向かう姿勢を主は見ておられるのだ。


「それは欺瞞です。生命のはじまりである宇宙は、“無”から誕生したそうです。“無”には意志なんてない。“死”に向かう姿勢なんて、そんなものは初めから存在しないのではないでしょうか。」

「主の意志は確かに存在する。君にはまだそれがわからないのだ。」

「わかりません。」

「君は若い。祈りを捧げたことはあるか。」

「どうでしょうか。宗教的な意味合いでは恐らくありません。」

「祈ってみることだ。主はいつ何時でも君の近くに存在する。」

「命について、再度お訊きしたい。」

「続けなさい。」

「人は、命を粗末にしています。日常生活を営む上で、無限の命を踏み台にしている。文明とは、そうでしょう。」

「その通りだ。」


「では文明社会は罪深いものでしょうか。」


「罪深いともいえるし、そうでないとも言える。」


「仰る意味がよくわかりません。」


「人は、文明を興してはじめて人になった。人は、主に限りなく近い存在になり得たのだ。人は、創造し、壊し、また創造することができるようになった。しかし、」


少し間をおいて、ふぅと溜め息が聞こえた。


「人は、不完全なのだ。不完全過ぎる。」


「神だって、恐らく不完全でしょう。」


「君はなぜ、そう思うのか。」


「星は、何億、何兆という星は、勃興しては光り、衰退して消えるのみでしょう。明滅する星々は、それに意味があるのなら、無作為に消えて行く命は、こんなに無慈悲で残酷なことはないではないですか。」



「君に、ひとつ話をしたい。時間はあるかね。」


「あります。」


僕は、この用事のためだけに来たのだ。

神父は静かに語りはじめた。



生きることに意味を見出だせない少女がいた。
少女は、とてもセンシティブな感性をしていて、生きることで他の命を貪るのであれば、自分など生きる価値はない。と、成長していくにつれて思うようになった。
少女が高校生になったとき、少女、いや彼女は思った。

「これ以上肉体の成長は望めない。ただ、今のカタチを維持するためだけのために、私は生きることはできない。」

彼女は、父親にこのことを打ち明けた。母ではなく、父にしたのは、父はベジタリアンであり、少なからずこのことを理解してくれると思ったからだ。

父親は彼女の期待どおり、少なからず理解を示した。

彼女は父親に、私を殺して欲しい、と言った。

父親は困惑した。思いもよらない言葉だった。

しかし、彼女は続けて言った。

あなたに殺されたいのです。大好きなお父さんの胸で死にたい。

父親はすぐには決断ができなかった。

打ち明けてしばらく、彼女は普通に高校に通った。

しかし、彼女の身長は一ミリも伸びず、このことは彼女を苦しませ続けた。

娘の苦しむ姿を見た父親は、ついに決断をした。

娘の部屋の天井から、ロープを吊るし、娘の首をくくりつけた。

微笑む彼女を見て、あぁこれで娘も、そして父親自らも救われると思ったのだ。

しかし、父親が踏み台を足でずらそうとしたその瞬間、父親は強烈な力で突き飛ばされた。



娘自身が突き飛ばしたのだ、無意識に。



予想もしなかった出来事に、父親はカベに頭を強打した。


自分自身のこの行動に驚いた娘は、困惑し、呆然と立ち尽くした。


父親は言った。



「お前が、生きてくれるのはやっぱり嬉しい。」


と。



打ち所が悪かった父親はそのまま意識を失い、3日後に帰らぬひととなった。



ここまで話すと、神父はもう一度ふぅと大きな溜め息をついた。



「その後彼女がどうなったか。」



「どうなったのですか。」



僕は訊いた。



神父は静かに静かに呟いた。



「彼女は看護師となった。生きる選択をしたのだ」


冷たい風がカーテンを揺らし、僕は、肌寒さを感じながら、ゆらゆら揺れるヒダを暫し眺めた。
揺れるヒダは、なぜだか彼女を連想させた。



「彼女は、それで幸せだったのでしょうか。」


神父は何も答えなかった。



僕は、静かに、しかしハッキリと訊いた。



「彼女は、彼女は結局最後は、自殺したのではないですか。」



少しの間が合った。


「なぜそう思う。」



「救えない命に絶望を覚えたことでしょう。それで絶望して、、、結局は自殺した。」


僕は続けて言った。


「彼女の母親もきっと、自殺したのではないですか。娘が最愛の夫を殺したのを目の当たりにして」


神父は言った。



「君のその考えは恐ろしい。」


月の光が静かに差し込む箱の中から、真っ青な唇が垣間見えた。

※あまりに真っ青なこの色を僕は今でも鮮明に覚えている。


僕は教会を後にした。


枯葉がゆったりと暗闇に舞い、晩秋の星空は鮮やかに輝いていた。



東の空に傾く、まだ淡いオリオン座を眺めながら、僕はコートの襟を立てた。


なぜだかわからないが、涙が止まらなかった。



拭っても拭っても涙は頬をつたり、僕はなぜ自分が感傷的になったのか分からなかった。


神父のコトバと真っ青な唇が頭にへばりていて離れず、そんなことはわかっている。僕が一番そんなことはわかっている、と叫びそうになった。


涙で目の器が一杯になって、真っ白、一面真っ白に霞んで何も見えなかった。



ただただ、一筋に伸びる閃光と、瞬くたびに明滅する星空。



ふっと皮膚にあたる柔らかく、冷たい風を感じて、僕は涙の感触。その冷たさだけを左の掌で確かめた。




涙はこんなにも冷たい。


それだけは紛れもない真実だった。

神々の冒涜

神々の冒涜

神はいるのか。命とはなにか。 星空は美しく、涙は冷たい。

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  • サスペンス
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-09-01

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