縛(ばく)
今回は夏向きの物を書いてみました。不気味さが出ていますでしょうか。
うおぉぉ! 落ちる、落ちる。パラシュートの開かないスカイダイバーの様に真っ逆さまに空から落ちて行く。地面に激突する瞬間、思わず目を閉じた。相当な衝撃を覚悟していたが何のショックも痛みもない。
無痛という事は、やはり死んだという事か。
恐る恐る目をあけると、頭から落ちたのに立った状態で着地していた。しかし、体は動かない。動くのは首だけだ。ゆっくり首を動かすと、荒涼とした石ころだらけの大地と、灰色の雲が覆った空の狭間で大勢の霊が右往左往しているのが見えた。
奇妙なことに手や足、首のない霊がいる。
急に消えたり、現れたりする霊もいたが同一人物では無さそうだ。
霊たちに向かって、
「誰か! 聞こえていたら返事をしてくれ!」
何度も叫んでみたが一人として振り向いてくれない。
諦めかけていた時、黒髪を腰まで垂らし、白い浴衣を着た女の霊が歩いてきた。
「あんた、さっきから大声出してうるさいよ」
えっ?
「ぎゃあぎゃあ喚いたって仕方ないだろ、あんたは地縛霊になったんだからさ」
血走った目をギラギラさせながらしゃべる口には、サメのような鋭い歯が生えている。
今、なんて言った? 俺は地縛霊になってしまったのか。
「黙ってないで何かしゃべったらどうなのさ」
ああ、そうだ。考え込んでいても仕方ない。
「頼む、体が動くようにしてくれ」
「それは条件しだいだねえ」
ヨダレを垂らしながら俺を見る目が不気味だ。
「どんな……、どんな条件なんだ」
腰が引けたような声で聞くと、
「うーん、頭を喰わせてくれたら動けるようになるよ。あんたの頭、旨そうなんだよね」
と答えた。
ちょっと待て、俺の頭を喰いたいだと。冗談言うなよ。しかし、女の顔は冗談を言っている様には見えない。嬉しそうな顔で、今にもかぶりつきそうだ。
「どうするんだい、喰わせてくれるのか、くれないのか、はっきりしておくれ」
「頭を喰わせると、動けるようになるという保証はあるのか」
「ククク、あるよ。あそこを見てご覧」
女の指さす方向にいたのは、さっきの首のない霊だ。
「ね、ちゃんと歩いているだろう。あの男も地縛霊だったんだよ。あたしが頭を喰ったんで動けるようになったのさ。頭が無くても見えるから心配しなくてもいいんだよ。だから、あんたも安心してあたしに喰われな」
霊を喰う霊。そんなのがいるのか?
「ああ、言っとくけど、あたしは霊じゃないよ。業喰鬼(ごうしょくき)さ」
業喰鬼? この女、鬼なのか。
疑問にかられて、なぜ霊を喰うのか聞いてみた。
「理由かい? いいよ、それを知ればあんたは喜んで頭を差し出すだろうからねえ。あたしが喰うのは悪業が溜っている部分さ」
悪業を喰うといわれても理解できないぞ。更に説明を求めると業喰鬼は話を続けた。
「つまりねえ、何かをするとそこに業が溜まるのさ。良いことすれば善業が、悪い事をすれば悪業がね。例えば人の物を盗んだり万引きなんかすると腕に悪業が溜まるし、逆に、手を使って何か人の為になる事をすればそこに善業が溜まる。善業が多いほど、次に生まれたときは頭が良くて丈夫な体になるけど、悪業が多いとその逆になるんだよ」
そして、悪業が溜っている部分を喰って取り除いてやれば、比率的に善業が多くなって、ちゃんとした人間として生まれるという。また、消えるのは生まれゆく霊で、現れるのは死んだ人間だと言った。
「悪業を喰うあたしって、良い鬼だろ」
はあ? こんな凄い顔して善鬼だと。
「あんた! 鬼を見かけで判断するんじゃないよ」
こいつ、俺の心を読んだぞ。油断できんな。
それにしても、今の説明だと悪業が多いと頭と体に不具合を持って生まれる事になる。これはヤバイぞ。急に焦りを覚えた。
「あんたは生きてる時に相当悪い事をしたね。頭にいっぱい悪業が溜まってこぼれ出しそう。それがまた、旨そうでいいんだけどね」
俺は生きている時、ヤクの売人をやっていた。「ヤク中」で頭がおかしくなった客が何人もいたが、そんな事は知ったことじゃない。儲かりゃいいと思っていたが、知らないうちに悪業が溜まっていたんだな。俺自身も中毒になって死んじまった。
「頭を喰わせると、普通の人間として生まれる事が出来るのか」
業喰鬼は自信たっぷりに「もちろん」と答えた。
「頭が無くなれば悪業が減るからねえ」
しかし、あんなサメみたいな歯で喰われて痛くないのか。いやまてよ、地面に激突した時は何の痛みも無かった。考えてみたら、俺は死んだのだから痛みなど感じるはずがない。
「分かった、喰ってくれ」
痛みは無いはずだ。
もう一度自分に言い聞かせた。
「ううん、旨そうな匂いだ」
業喰鬼は両手で俺の頭を押さえた。
サメのような歯が迫って来たかと思ったら、目の前が真っ暗になった。
「ぎゃあ!」
痛い、痛い。どうしたんだ、痛くてたまらないぞ。
「助けてくれ!」
阿鼻に近い叫びを上げると、無関心だった霊たちが何事かと集まって来るのを感じた。
「どうした、しっかりしろ!」
耳元で男の声がした。
「早く、こいつを引き離してくれ」
鋭い歯が頭蓋骨に食い込む。
「隊長、どうしますか。激しく頭を揺り動かしています」
「もっときつくベルトを締めろ。暴れ出したら手が付けられないぞ」
俺の体が益々動かなくなった。
「あなた、しっかりして!」
うう、妻の声だ。しかし我慢できない。
「うおぉぉ!」狂ったような自分の叫びを聞いて、ぼんやり周りが見え出した。
「隊長、目をあけました」
俺の目に、白いヘルメットを被った二人の男と、妻の顔が映った。
「もうすぐ救急病院に着くから頑張れ」もう一人の男が言った。
ゴトゴト揺れるこの感覚は、救急車か?
「あれほど薬物は止めるって言ってたのに」
涙を流す妻に、
「そうか、幻覚だったのか」
と言うのが、精一杯だった。
終
『縛(ばく)』 ©座布団一枚
執筆の狙い
縛(ばく)