宗教上の理由、さんねんめ・第六話

まえがきにかえた作品紹介
 この作品は儀間ユミヒロ『宗教上の理由』シリーズの一つです。

 この物語の舞台である木花村は、個性的な歴史を持つ。避暑地を求めていた外国人によって見出されたこの村にはやがて多くの西洋人が居を求めるようになる。一方で彼らが来る前から木花村は信仰の村であり、その中心にあったのが文字通り狼を神と崇める天狼神社だった。西洋の習慣と日本の習慣はやがて交じり合い、村に独特の文化をもたらした。
 そしてもうひとつ、この村は奇妙な慣習を持つ。天狼神社の神である真神はその「娘」を地上に遣わすとされ、それは「神使」として天狼神社を代々守る嬬恋家の血を引く者のなかに現れる。そして村ぐるみでその「神使」となった人間の子どもを大事に育てる。普通神使といえば神に遣わされた動物を指し、人間がそれを務めるのは極めて異例といえる。しかも現在天狼神社において神使を務める嬬恋真耶は、どこからどう見ても可憐な少女なのだが、実は…。
(この物語はフィクションです。また作中での行為には危険なものもあるので真似しないで下さい)

主な登場人物
嬬恋真耶…天狼神社に住まう、神様のお遣い=神使。清楚で可憐、おしゃれと料理が大好きな女の子に見えるが、実はその身体には大きな秘密が…。なおフランス人の血が入っているので金髪碧眼。勉強は得意だが運動は大の苦手。家庭科部所属。
御代田苗…真耶の親友で同級生。スポーツが得意で活発な少女だが部活は真耶と同じ家庭科部で、クラスも真耶たちと同じ。猫にちなんだあだ名を付けられることが多く、「ミィちゃん」と呼ばれることもある。
霧積優香…同じく真耶と苗の親友で同級生。ふんわりヘアーのメガネっ娘。農園の娘。部活も真耶や苗と同じ家庭科部。
プファイフェンベルガー・ハンナ…真耶と苗と優香の親友で同級生。教会の娘でドイツ系イギリス人の子孫だが、日本の習慣に合わせて苗字を先に名乗っている。真耶たちの昔からの友人だが布教のため世界を旅しており、大道芸が得意で道化師の格好で宣教していた。部活はフェンシング部。
嬬恋希和子…若くして天狼神社の宮司を務める。真耶と花耶は姪にあたり、神使であるために親元を離れて天狼神社で育つしきたりを持つ真耶と、その妹である花耶の保護者でもある。
池田卓哉…通称タッくん。真耶のあこがれの先輩でかつ幼なじみ、真耶曰く将来のお婿さん。元家庭科部部長。
岡部幹人…通称ミッキー。家庭科部副部長にして生徒会役員という二足のわらじを履く。ちょっと意地悪なところがあるが根は良いのか、真耶たちのことをよく知っている。
(登場人物及び舞台はフィクションです)

1

 公民の授業で法律というものについて習った木花中三年生のあいだでは、ちょっとした法律ブームになっていた。生徒たちはいろいろな法律を読んでは、感想や意見を述べ合っていた、といえば聞こえはいいが、
「男子は十八歳、女子は十六歳で結婚できるんだ。すごいね、JKでもお嫁さんになれるんだね」
というような、恋バナの延長線のような話になるのは致し方ないお年頃である。
「でも男子でも高三で誕生日来れば結婚できるってことでしょ? 高校生夫婦とか、もしかしたらいるかもしんないよね」
「てーかウチらも来年は十六なるんだから、そのチャンスあるってこと?」
「うん。今高二の先輩たちが三年になるから、その中で十八になった人と結婚すればいいんだよ」
「へー。でも早くね? 結婚するには。つーか昔の基準じゃね? そんな歳で嫁入りとか」
「まあそうだよね。例えばさ、うちの中学で来年結婚しそうな子なんて、いる?」
「あー。確かにー。ちょっと思いつかな…」
ふと談笑していた女子の一人が何かに気づいたように無言になって、しばしの間のあと、言った。
「…真耶ちゃんと、拓哉先輩」
 いったんそれにうなずいた他の女子だったが、しばらくして、
「真耶ちゃん、戸籍では男子だよ」
と一人が気づいたことでこの話は終わった。しかし、そんな勘違いが生まれるくらいに、この二人が結ばれるという予想はみんなの間で当たり前になっていた。

2

 大して無いお腹の肉を寄せて上げてから、コルセットで締め上げる。それが朝の着替えの第一歩。元々華奢で女の子のような身体をしている真耶だが、胸の発育という生物学的に不可能なことについては補正下着に頼らざるをえない。ただ最近ではそれでも足りなくなり、ウエストを絞ったレオタード風の下着の上からボディスーツにコルセットを仕込んだものをオーダーメイドで作ってもらい着用している。
 苦しい。本人は間違いなく苦しい。だが真耶は嫌な顔や辛そうな顔をひとつも見せずに日々を過ごしている。むしろ自分の身体が女の子に近い形になってくれるのが嬉しいようだ。
 だが周囲の大人はそのことが心配でもあった。成長期の男子が無理やり身体を締め付けることは果たして良いことなのか。体幹をギシギシに固めていては運動も大変。嬬恋家のかかりつけ医である岡部医院。真耶の先輩である幹人の母であり真耶の主治医でもある彼女は、
「少なくともいい影響はないだろうな」
と苦言を呈していたが、新たな神使が見つからない以上、おいそれとやめられない。

 天狼神社は割合しきたりの緩やかな神社であるが、思春期を迎えた生物学的に男子であるところの神使については厳しい決まり事が課せられていた。簡単に言えば「女らしくあれ」ということなのだが、それを具体的に実現するとなると相当な困難が待っている。
 子供の頃はむしろルールは穏やかである。子どもの顔だちは大抵男子も女子に寄っているものだから、リボンのひとつもあれば問題ない。だからひとつでも女の子っぽいアイテム、例えばシュシュを手首に巻くだけでも実際は構わない。ただ歴代の神使がそれでは済ましてこなかったというだけで、その上真耶は杓子定規な性格なので、歴代の男子による神使よりもより熱心に女の子となることの努力をしてきた。要するにどこまで女子らしくするかは神使本人の任意なのだ。
 しかし、思春期となれば話は別。顔も体型も男女で変わってくるし、いわゆる第二次性徴というものも始まってくる。もちろんそれらは隠さなければならない。神使は女子でなければいけないのだから。そのためには今までよりも手間暇をかけて男子らしい部分を女子らしいそれに変えなければならない。体型の矯正はなかでも重要とされ、特注のボディスーツは自分では脱げないようになっている。これは着るときにも腰を締め上げるのに一人の力では間に合わず他の人に締めてもらった上で腰でしっかり結ぶため、というのもあるが、むしろ神使としての掟を破らないようにわざと脱げないようにしているというのも大きい。だから起床から就寝までこのボディスーツを着ている真耶は、すでに自力でトイレにいくことすら叶わなくなっていた。

3

 恋愛のカタチを「男女が愛し合うもの」という定義から解放し、それ以外の恋愛のスタイルを選ぶことに対して、この村は寛容だ。同性婚は日本の今の法律では認められていないが、地方自治体の中には同性のカップルに独自の認定証を発行するところも現れてきている。だがこの村には、あらゆるマイノリティーを受け入れてきた歴史がある。言い換えれば実績がある。
 だから、真耶と拓哉が「結婚」することに表立って抵抗を示す者がいるとは考えられないし、当の真耶自身の気持ちも、中三になってからも変わらなかった。
「あたし、タッくんのお嫁さんになる」

 高校生になった拓哉は、親戚の寺に下宿していた。進学した高校には木花村から通う生徒もいるが、身体の弱い拓哉は通学時間を短くするため、高校と同じ市内にあるこの寺から通うことになった。結果、真耶との空間的距離は離れてしまったわけだが、その分メールやSNSを使って連絡は取り合っていた。
 ただこのところ、その頻度が心なしか減っていることに、真耶の友人たちは気づいていた。それとなく探りを入れてみると、
「タッくんも高二だから、受験のこと考えてるんじゃないかなあ。法律とか経済とか、勉強したいこといっぱいあって悩むって書いてあったから」
と、特に心配したり寂しがったりする素振りも見せず、拓哉からの返信が表示されているスマホを見せながら答える真耶。拓哉が病気のために僧侶としての修行を断念せざるを得ないことは、既に拓哉自身から知らされていた。それでもなお、真耶は拓哉と結婚がしたかった。
「東京の大学とか行くことになっても、あたしも家は東京だからついて行けるし、少しずつ準備して、二人で部屋借りて暮らせれば…やだ、あたし、何言ってんだろ…」
話が先走りすぎていることに不意に気づいて、顔を赤らめる真耶。しかし距離があることで妄想が膨らむのも人間の性なのだろう。ともかく、真耶は拓哉との心の距離は今までより近づくことはあっても遠ざかることはないと確信していた。

4

 しかし、そんな真耶にとっては、ひどく衝撃的な場面を、この時、この場にいた中のひとりが目撃することになる。
 木花中学校の生徒達の平均学力および進学実績は、近隣の中学校と比べてもずば抜けている。生徒数が少ないぶん一人ひとりへの指導が行き届くこともあるが、自主自律の精神を校訓とする教育方針により、自ら学ぼうとする姿勢を持った生徒が多いことも大きい。わからないところがある生徒が教師をつかまえると分かるまで絶対離さない。教師の方もごまかしたりせず、質問がやってきてもそれに対峙する準備をしている。
 大人たちの意識が高いこともある。街に出るのに時間がかかるので塾通いをするとなれば大変だ。だから保護者を始めとする大人たちの有志が随時集会所などで勉強会を開く。そのメンバーには現役の高校教師や塾講師のアルバイトをする大学生も含まれており、受験に対してきわめて実戦的な学習指導が行われていた。
 生徒達も協力的だ。なかには夏休みなどの講習だけは通う生徒もおり、そこでの成果は同級生たちでシェアされる。
有り体に言えばその塾独自の教材など、出題傾向の研究結果を他の生徒にばらすということなので営利を目的とする塾にとってはたまったものではないが、通える距離に塾がないのだから仕方ない、という開き直りがある。
 その夏期講習に、この日行われた模試の結果如何では通わされそうな生徒が一人いた。

 「まぢーなー、あんな出来じゃアウトだよなー。手ごたえナッシングだもんなー」
模試を受けに行くには街に出なければならない。普段の彼女なら帰りにちょっとゲーセンでも、ってなるはずだが、今日はそういう気分でもない。模試の出来がかんばしくなかった自覚があるので、へこんでいるのだ。
 苗・真耶・優香・ハンナの仲良し四人組。その中で苗だけは「勉強嫌い」で通っている。実際、成績は決してよろしくない。体育と、渡辺が教えている社会と、渡辺が顧問であり自身も所属している家庭科部の内容と被る家庭科以外は。
 つまり「勉強が苦手」なわけではなく、「自分がしたい勉強しかやりたくない」タチであるらしいのだ。真耶との幼なじみである苗は自分たちの教師という立場になる前の「フミ姉ちゃん」である渡辺も知っているし、教師として生徒を信頼してくれる渡辺の姿勢にも共感し、慕っていたから彼女が関わる二科目は一生懸命取り組んだ。体育についてはもとより抜群の運動神経を持っているのでいい成績を取るのはたやすい。
 だが他の科目についてはあまり興味を持たなかった。当然成績は大して良くない。それを苗の両親たちは心配した。偏差値が、とか、いい高校に行けない、とかそういう問題ではなく、他の友だち三人に比べて成績に差があっては本人が肩身の狭い思いをするだろう、同じ高校に行きたいだろうに行けないだろう、そのように苗の両親は思った。
 前者のようなことは絶対にありえない、真耶たちは成績なんかで人を選り好みなんてしないことは、両親もわかっている。だが後者については、苗自身もちょっとくらいは心にひっかかりがある。せっかく仲良しになったのに、という思いが無いわけではない。

 だがそれ以上に、苗には思うところがあった。苗が今「おとん」「おかん」と呼んでいる人たちは、血の繋がった親子ではない。苗は実は横浜の大富豪の一人娘。しかし両親が離婚し、母親について行ったところ、その愛人たる男がとんでもない暴力を振るう人間で、その虐待から逃れるため、里親制度を利用して現在の御代田家にやってきたのだ。
「おとんもおかんも、気ぃ使いすぎなんだよなあ」
預かり手として、娘にそれ相応の学歴を持たせてあげないと実の親に申し訳が立たない。そういう気持ちも今の両親にはあるはず。そんなの馬鹿馬鹿しいと苗自身は思っていたが、せっかくそうやって今の両親が自分のことを考えてくれていることにも申し訳無さとありがたさが入り交じった複雑な感情を抱いていた。
 だから思っていた。勉強がんばろう、と。そしてたかが知れているペンションの収入から夏期講習の授業料を出してくれようとしている両親に報いよう、いや、ペンションの経営だって決して楽ではない、お金を出させないに越したことはない、だから頑張らなきゃ、と思っていた。
「うん、まだ模試はある。今度こそやっちゃる!」

 と、燃え盛ろうとしていた苗の闘争心であったが、急激にその気をそらすような光景を、彼女は見てしまった。
「あ、あそこにいるのって…おーい、お久しぶりで…って、隣の人…!」

5

 「マジなんだって! あの感じ、絶対そうだって!」
教室で、苗が力説している。幸いにも模試の方は自己採点の結果、選択肢の問題で野生の勘が働いたのか案外出来がよく、夏期講習受講は免れた。しかし苗は模試の日の帰りに見たあの光景について話すべき人に話し、それを信じさせ、対策を練って実行するという新たなタスクを背負ってしまった。
 「それは無いと思うよー。だってあんなにラブラブだったじゃん、あり得ないって。たまたま知り合いとかと二人でいただけでしょ? なんかの用事で」
「いや、絶対用事とかじゃないって! 特別なふいんき出てたんだって!」
目撃者である苗と、彼女の証言を考えすぎだとたしなめる優香。その押し問答をはたでずっと聞いていたハンナが、呆れた様子でようやく口を開いた。
「あのさあ、苗は雰囲気だけを根拠に話してるし、優香は過去の経験をもとに話してるんじゃ、いつまでたっても話はすれ違うだけだよ。苗、ひとつ聞いていい?」
「いいよ? その時のことっしょ? よく覚えてるから」
「制服だった?」
「うん」
「ふたりとも同じ学校の制服?」
「そう」
「時間は昼過ぎあたり?」
「うん、ちょうど学校が終わるくらいの時間かな」
ハンナがスマホのスケジュール帳を開いて何やら見ている。優香はハンナのたくらみになんとなく気づいた。
「…やるの?」
「当然。百聞は一見にしかず。とりあえず真耶が知るより前に事実を明らかにして手を打たなきゃ」

  「だからさー、わかんないかなー。相手の格? そういうのあるじゃん。や、顔じゃねーよ。優しいとか家事が得意とか、色々あるだろ? …ちっげーよ、オメーもそーゆーのニブいよなー昔から。オメーの大好きなソフトボールで例えればさ? ラストバッターにまぐれで打たれたヒットと、四番バッターに打たれたホームランと、どっちがあきらめつくか、って話」
斜め向かいのテーブルで、派手目のJKが力説している。地声が高いせいか、こちらの席にまで内容がハッキリ聞こえてくる。正直、ちょっとうるさい。
 「何さっきから言ってんだろ、あそこの二人。気が散るよねえ」
「決まってるっしょ。これと、これさ」
小声で愚痴った優香と、それに無言でうなずいた苗に対し、ハンナが手を壁際に持っていきつつ、親指と小指を交互に立てた。
「いきなり指なんか立てて、何のサイン、あっ…」
苗も優香も悟ったようだった。苗のシモネタ好きは学内でも有名なくらいだが、ハンナも牧師の娘にしては余りに奔放なくらいにそっちの知識は豊富だし、その二人と付き合っている優香もその辺は心得ていた。要するに、
「男を寝盗られた」
ということらしいのだ。

 「まーでも、わからんでもないねー。何にしろ勝負事ってさー、負けて悔しい奴とそうでない奴といるもんねー」
店を出て、道を歩きながら会話を続ける三人。
「わたしのお母さんとかは、イケメンの芸能人が結婚するたび『あー、この子が相手なら許せる』『えーこんなのとくっつくのー? 信じられないー』とか言ってるけど、そんな感じなのかなー」
どうやら優香の母は、ワイドショー好きであるらしい。
「そそ、そんな感じ。アタシは今のところ男子なんてどうでもいいけど、仮に自分が好きになった人がとんでもない悪女とかに取られたらぶっちゃけムカつくと思うよ」
 そういうのに興味を持つお年頃の娘三人だから、こういう話になるのは仕方ない。ただお三人さん、話に夢中になって本来の用事を忘れてしまっていたようだ。
「あーっ、もう放課後になる時間だよ、早く行かなきゃ!」

 今日は月曜日。しかし木花中では日曜授業参観日があり、振替休日になっていた。授業のある他の学校の校門前にお邪魔しても怒られるいわれはない。ただ、そこから死角になっている木の茂みに身を隠して観察するのは怪しい行動ではあるかもしれない。
 それでも、そのリスクを背負ってでもしなければならなかった。つかまなければならない尻尾があった。真耶と拓哉、ひたすら奥手の二人を何とかしてくっつけようというのが木陰に隠れた真耶の親友三人の悲願である。そして今その実現に黄信号が灯っていることがわかっているからだ。

 「あ、終わった」
学校が放課したようだ。じょじょに校門付近が生徒達で賑わってくる。目的の人物は、ほどなく見つかった。そして都合の良いことに、校門を入ったところにある木の下でたたずんでいた。人待ち顔をしながら。
「意外とアッサリだったね。タッくん先輩やっぱ目立つよなあ」
三人は拓哉が下校の途につくのを待っていた。場合によっては尾行するリスクも考えていたが、居ながらにして見張りが出来るこの状態は好都合だ。
「待ち合わせ、だろうね。お姫様と」
だが、三人は別の意味で裏切られた。

 そこに現れたのは、お姫様なんかではなかった。

 そして、ずっと校門の内側に注がれていた三人の視線だったが、その視線の端に見えるものに気づいた苗は、絶句した。

 (なに…してんの…真耶…)

6

 新幹線の開通により、一両か二両のディーゼル車が時々やって来るだけだったローカル線の一駅は、小洒落た駅に変身した。駅の中や駅前でお土産を買ったりお食事もできれば、お茶ができる店もある。そのカフェの席に、苗・優香・ハンナの三人はいた。
 「ね、間違いないっしょ? 鉄板だよ。あれ付き合ってるってば」
「だね。背格好とかも、どことなく真耶に近くない?」
「顔が似てるかは見えなかったけど、雰囲気が真耶ちゃんっぽいよね。犬みたいに誰かを慕う感じとか」
「そりゃ真耶はオオカミの神使なんだから当たり前でしょ、犬っぽくたって、ってクリスチャンのアタシが言うのもなんだけど。でもそういう行為って、ひとつ間違うとあざといんだよね。なんていうか、真耶がやってるから可愛くけなげに見えるところがあるじゃない」
「そうなると奴のわんこ的忠誠心が本物かどうか見極めたいね。まあそれで真耶に勝てる奴なんてそういないと思うけど」
「その、真耶ちゃんだけどさ…」
優香が、心配そうな顔をして言った。
「やっぱり、気になって見に来てたのかな。こそこそのぞき見するのって良くないよって、前に自分で言ってたよね」
「うんうん、覚えてる。希和子さんの元カレ現旦那さんのデートを覗き見した時でしょ?? あいつ、珍しく自分に甘いのな」
「そうじゃないでしょ?」
優香の言いたいことを汲み取ったハンナが、割って入った。
「ああいうのあんま良くないって、今も考え変わってないと思うよ。真耶ってああ見えて相当頑固だもん。それを承知でやってるってことは、相当な覚悟なんだよ」
「うん、それはわかる。しかも一人でうちらに相談もせずに来たってことは、自分で何とかする覚悟だよ。だからウチらも反射的に、見つかったらまじーぞ!? ってんで隠れて逃走して、こうやってわざわざ別の路線の駅まで来ちゃったわけじゃん。でもさ、あそこまでやったってことは、絶対次は、尾行とか…でも…」
苗は口ごもってしまったが、他の二人にも言わんことは通じた。三人の台詞が、ユニゾンになった。
「真耶のことだから、ぜったい、ぜーったい見つかってる」

 見つかった。

7

 「ねー? 言ったとおりだったでしょ? つけられてたでしょ?」
尾行の基本は、電柱やら看板やら物陰に隠れながらターゲットに付かず離れず。例えばターゲットが左折したら素早くその角まで移動してそこから覗き込み、機を見計らって物陰から物陰へと八艘飛びのようにして距離を縮める。またターゲットが左折したら同じことを繰り返す。さらにターゲットが左折する。以下同じ。そしてまたターゲットが左折したならば、同じように曲がり角に近づき、塀などの影からそっと顔を出し、

 てはいけない。

 「こんな古典的な方法で尾行ばれちゃうなんて、よっぽど初心者だねー。四回左に曲がったら元の場所に戻るって、気づかなかった?」
くすくすと笑いつつ、その子は真耶に種と言うほどでもない種を明かした。すぐ横に立ち尽くす背の高い細身の男子と腕をからませながら。
 真耶のうろたえようと言ったらなかった。しかし拓哉が自分以外の子と腕を組んで仲よさそうにしていることにはショックを感じたが、不思議と涙は出て来なかった。
「…やっぱり…そうだったんだ…なんか最近、メールとか返事遅いし、SNSも既読スルーとかあるし…」
そう小声でつぶやいてからすぐにハッとして、
「ご、ごめんなさい! あたし、待ち伏せした上にあとをつけるなんて、先輩たちに失礼なことしちゃって! もう二度としませんから! 本当にごめんなさい!」
真耶は彼女にしては最大限の早口でまくし立てると、くるりと身をひるがえして、走り出そうとした。だが、
「ちょっと待った」
拓哉とさっきまで腕を組んでいた子に、手首をぐいっとつかまれた。その力は小柄な身体には信じられないほど強かったが、つかんでいる手の感触は柔らかかった。
「お、おい、よせよ」
瞬間、拓哉の顔が気色ばみ、その手を引きはがそうとしたが、その子は拓哉の右手をパーにした左手で優しく止めると、
「大丈夫、危害を加えるとかそんなんじゃないから。そっか、この子が例の神使さまなんだ、タッくんが話してた」
タッくんという、自分だけが使っていたはずの呼び名を他人の口から聞いた途端に真耶は全身から力が抜ける感覚を覚えた。

 「さっき、待ち伏せしたり尾行するのはやめるって言ったよね」
その子は、力の割には優しく諭すように尋ねた。よく見ると小柄なだけでなく、顔も可愛らしい。制服についた校章にはローマ数字の一が付いていたから真耶の一学年上で拓哉の一学年下だ。
「あきらめる、ってこと?」
その子は単刀直入に切り込んできた。真耶は、何も答えられない。
「知ってるよ。君、タッくんの幼なじみの真耶ちゃん、でしょ? ひと目見てすぐわかったよ」
そう言うとその子は、ちょっとご機嫌斜めと言った表情をわざと作って、
「タッくんがさんざん君の話をするからね。楽しそうに。妬けちゃうんだよね、正直」
拓哉はさりげなく視線をよそにそらした。
「ま、面白いからいいんだけどさ」
その子のほうは、まるで余裕といった顔だ。

 「なんか、オトコの娘ってやつ、やってんだって? しっかしよくもまあこんなうまく化けたねー。こんな近くにいるのに、全然男だってわかんないもの。相当研究してんだね、女子の仕草とかクセとかさ。よっぽど好きなんだ」
「す、好きでやってるわけじゃ…あたしの家、神社で、男の子で産まれても女の子として育てないといけない場合があって、それが、あたしで…」
真耶の声がだんだん小さくなっていった。眼の前にいる拓哉の恋人の顔が、自分が言い訳をすればするほど余裕の表情になっていくように感じたからだ。
「くす、くす…」
必死だね、君。そう思われていることが真耶には伝わってきた。だからといってその子は真耶に対して手をゆるめてはくれなかった。
「とりあえずその言い訳、好きで女装してる人に失礼だよ、本当に仕方なくやってるのなら、ね。つーかさ、その言い訳ちっとも意味わかんない。えっと、神社のオキテとか、しきたりとかってやつ? そんなのに縛られて平気だっていうのが、超意味わかんない」
真耶はいちいち反論したかった。女装が趣味の人の努力には敬意を自分なりに払っているつもりだし、掟やしきたりがいかに大切なものであるかとか、熱く説明してあげたかった。でも拓哉の隣りにいるその子は、他人が口を差し挟む余地を与えないくらいスラスラと言葉をつむぎ、それらが全て真耶の心に刺さってくるような鋭さを持っていた。
「君、自分の意志とか、ないの? 親に反抗したことある? 無いでしょ。そういう子嫌いなんだよね。そういうのに縛られた振りして、自分で決めなきやいけないことから逃げてるんだよ」
「お、おい、そろそろいい加減に…」
見かねた拓哉が止めようとしたが、さえぎられた。
「タッくんは黙ってて。悪いようにはしないからさ。真耶ちゃんが泣き出しでもしたらやめるから」
すでに真耶の目には涙が溜まっていた。でも不思議と、こぼれ落ちては来なかった。メソメソ泣くよりも、それをこらえて、踏ん張って、意地悪な言葉の一つ一つを受け止めたかった。
「こっちはさ、自分の意志でタッくんを好きだと思って、アタックして、まずはお友達から、そんでそろそろカップルでもいいんじゃね? ってトコまで持ってきたわけ。君とタッくんって幼なじみでしょ? しかも近所にほかの子どもがいなかったし、家どうしがつながり強いから仲良くなって、それがずるずる続いてたんでしょ?」
図星を見事に射抜かれた気がした。確かに真耶はいくつもの有利な条件のもとに、拓哉と付き合ってきた。自分だけスタートラインがゴールラインに随分と近づけられた徒競走のようなものだ。けれどそんなハンデをものともせず、拓哉の隣というゴールにアッサリ到達した「カップル」の片割れは、まだモタモタ走っている真耶に決定的な言葉を投げかけた。
「ボクは、異性の制服なんて着ない。でも、彼女より彼氏が欲しい。全部自分で決めたことだよ。周りがなんと言おうと知ったこっちゃない。ホモだの何だの言ってからかってくる奴には聞き耳持たない。まあ、たまにコテンパンにしてやることはあるけどさ。あ、電車の時間だ。君も乗るんでしょ? 僕らと一緒じゃ気まずいだろうから、百数えてから来なよ。大丈夫。間に合うから。ボクは良い子でいるつもりなんて無いけど、嘘つくのは嫌いなんだ」

 拓哉の彼女、いや、彼が言う通り、電車には十分間に合った。ボクらは一番前に乗るからと言い残されていたので、真耶は一番後ろの車両に乗った。ただ木花村ゆきのバスでは拓哉と鉢合わせしそうだったから、真耶はいつもの駅で降りずに次の駅まで行ってしまった。
 駅から近いコーヒーショップ。木花村の生徒は制服でこういう店に寄ってもおとがめなしであることは隣町でも知られていたので、そう珍しくもない風景だ。ただ、
「深煎りのやつください。ミルクは結構です」
その注文は、普段の真耶なら絶対しないやり方。こう見えて真耶は苦いものも辛いものも平気だし、強いて好き嫌いを挙げれば、ファストフード全般が苦手なくらい。ただ、まだコーヒーには砂糖を入れたほうが美味しいと思う年頃なので、運ばれてきたコーヒーをブラックのまま香りと味を楽しく間もなく、いつもより少々長い時間カップに口をつけてのどへと注ぎ込む動作は、彼女なりに平常心を失っていたと見ていいだろう。
「あたし…別に流されてないもん。あたしだって、あたしが女の子でいたいから女の子のままでいるんだもん」
ちょっと熱いと思いながら一口目のコーヒーを飲み込むと、真耶はそうつぶやいた。自分は、流されてなんかいない。それは自信を持っていいと、真耶は自分で自分を鼓舞した。
 しかし、それは拓哉の彼とて同じこと。本当の問題は、拓哉は真耶と一緒に帰ることを選ばなかったこと。強気で、口が悪くて、でも真耶を言葉で責める中にも優しさを混ぜる余裕がある。
「タッくん、本当はああいう子が好みだったんだ…」
真耶が物心つくかつかないかの頃から積み上げてきたものを、彼はほんの数ヶ月で築きあげた。だがそれは自分が努力したからってできるものではなく、拓哉に自分を選んでもらうことで初めて完成する。
 そして、真耶は選ばれなかった。

8

 何日かが過ぎた。
 教室は何事もなかったかのように、時が流れていた。真耶も、何事もなかったかのように明るく振る舞っていた。苗も、優香も、ハンナも同じだった。
 だが、真耶以外の三人は胸にモヤモヤする、吐き出したい一言を抱えていた。それは単刀直入に、
「で、どうだったの。タッくん先輩、そいつと付き合ってたの? どんな奴?」
と、言うことが聞きたいわけではない。前半部はもうほぼ確定だとわかっているし、後半は本題とは関係ないから。それよりも、
「で、真耶はどうすんの?」
それをはっきりさせたかった。だが、踏み切れなかった。単純に聞きづらいのもあるが、それよりも、
「周りがどうこう言う問題じゃない、真耶本人が決めなきゃ」
という思いも、三人は共有していたから。

 一学期の期末テストが近づいてきている。中三生にとっては内申点アップのラストスパートの時期。真耶は何事もなかったかのように試験勉強と受験勉強をバランス良く進めていた。
「うわー、また真耶ちゃん全問正解? 問五なんか絶対みんな引っかかるやつだよ~、わたしもだけど~」
小テストの時間、優香が隣の席の真耶の分を採点して嘆息した。それは優香が問五の罠にはまって満点の真耶に一点差で負けたから、ではない。
(真耶ちゃん、こないだのことそのままのはずなのに、なんでこんな平然と勉強できるの? わたし達のほうが心配して勉強手につかなくなっちゃうよ)
と言っても、優香はこう見えて案外肝が据わっているのでひとはひと、と割り切って勉強している。でもこのまま放っておいたら、噂なんてひょんとしたキッカケですぐ拡散するし、そうなると学年全体に影響する、今でも真耶をクラスのアイドル視する女子は少なくないのだから、そう考えると放ってはおけない。優香は、あえて鬼になった。
「真耶ちゃんさあ、わたしと、ミィちゃんとハンナちゃん、最近、勉強が落ち着いてできないの」
付けたくても勇気がなくてつけられないケリを、それは承知で実行してくれという遠回しな催促。こないだの待ち伏せのことは真耶に告げていないが、珍しく空気が読めた真耶は三人も拓哉の件を知っていることを察していた。
 もっとも、優香は煮え切らない真耶の背中を押してあげたとも言える。どのみちいつかは通らねばならない道なのだから。

 木花村の一番奥にある集落。そのさらに一番奥の高台には天狼神社があり、そのふもとは深い森を挟んで照月寺の境内になる。はるか昔には寺と神社を結ぶ直線の参道が通っていたのだが、明治の神仏分離のさいに両者の関係を断つ目的で道を通行止めとし、天狼神社までは新たに大きく迂回する道が開かれ、敷石までもが撤去された旧参道は草木に覆われ森との区別がつかなくなってしまった。もっとも、村人が神社に参るさいにはいちいち遠回りなど面倒くさいとばかりに、照月寺本堂の脇から森に侵入してヤブをかき分け直進するのが常で、いつの間にか踏み跡となり、ちょっとした小道が出来ていた。
 真耶は、小学校にかよっていた頃は徒歩だったので、この道を使って通学していた。花耶は今でもこの道を使っているし、神社に用事がある近所の人にもこの道は欠かせない。
 あの日以来、真耶はこの道を避けていた。もとより通学は自転車だから大回りする車道を普段から使っているのだが、週に何度か来る行商のトラックは照月寺の境内を借りて停車するので、そこに買い物に行くときなどはちょうど良い近道となる。嬬恋家ではお使いは子どもたちの仕事だったが、最近はもろもろの事情を察した花耶がもっぱら代わりにお使いをしていた。
 照月寺の山門をくぐり、真正面にある本堂の裏に回るようにして、小道は続いている。この寺も質素を旨としているので本堂と言っても小さなものだ。そのささやかな本堂の斜め前に、すっくと立つ真耶がいた。優香に背中を押されてから数日後の、雨の日。

 レインコートのフードから、水滴が次々としたたり落ちていた。あたりはすっかり暗くなり、境内はいくつかの照明を残して闇に包まれた。本堂以外の施設や池田家の母屋は奥の方にあるので真耶がここにいることには誰も気づいていない。
 あたりは雨音だけが空間を支配していたが、時々山門の向こうにある車道からシャーっと水をはじく音とエンジン音が聞こえてくる。そしてひときわ大きい音が近づいてきたかと思うとそれは少しずつ勢いを失い、やがて消える。だがその直後にパタンと扉の開く音とプーという電子音がほぼ同時に聞こえ、再び扉が閉まると再度エンジンがうなり始め、そのまま遠ざかっていった。
 バスから降車した客は一人だけだった。その人影は山門に近づき、前に止まって一礼すると、一歩一歩真耶の方へと、いや正確には奥の母屋を目指して歩いていった。だが彼は雨の中立ち尽くす真耶に気づくと、明らかに狼狽した様を見せた。もしかして真耶は怒っているのではないか、と思っていたから。
「週末は下宿先から帰ってきてるって聞いてたから、タッくん。ごめんね、待ち伏せとかそういうの良くないことだってわかってる。でも今日が最後だから」
拓哉の予想とは裏腹に、真耶の口調はいつもと同じ穏やかなものだった。フードの奥でにぶく光る瞳からも険しさや怒りの感情は読み取れなかった。ただ、拓哉の口から本当のことを聞きたいという強い意志は、雨に濡れた真耶の両手をグッと強く握らせていた。
「ふがいないなあ」
拓哉が独りごちた。
「こんな雨の中女の子に待ちぼうけさせるだなんて、本当にふがいないし、情けないよ、自分が」
「やめてよ。あたしが勝手にやってることなんだから。しかも人ん家の庭に勝手にこそこそ入り込んでさ」
「違う」
拓哉の声が少し大きくなった。
「コソコソしてたのは俺の方だ。あいつの存在を、本当は真っ先に真耶に教えるべきだったんだ」
拓哉が今でも真耶を大事に思ってくれていることは真耶にも伝わって来た。でも同時に、拓哉が告げるべきことを告げ終わった瞬間、自分は拓哉にとっての特別な人では無くなる。それも分かっていた。
「もう説明する必要もないと思うけど、俺、今あいつと付き合ってる。一学年下でチビだけど、運動はすごい得意で、性格も積極的でさ。時にはワガママも言うし、バカにされるとすぐケンカしたりもするけど」
拓哉はひと呼吸おいて、覚悟を決めて言った。
「それも含めて可愛いんだ」

 「なんか、わかっちゃった」
しばしの沈黙の後、真耶がつぶやいた。
「タッくんにとって、初めてでしょ、そういうタイプの子、あ、あたしより年上になるのか、じゃあ、そういうタイプの、彼」
「彼自体初めてだってば。今さらだけど、真耶は彼女だって思ってたから。でも知っちゃったんだ、自分がほんとうに求めているタイプに。真耶が俺のことを慕ってくれるのはとても嬉しかった。でも、あいつは同じように俺を慕いつつも俺から欲しいものをもらっていこうとする。やっぱ積極的なんだよ。そうやってグイグイ引っ張ってくれてさ、でも俺が立ち止まりたいときには立ち止まってくれる、俺があっちに行きたいと言えば賛成してくれるけど、嫌なときは嫌ってハッキリ言ってくれる。俺を先輩として見てくれているけど、言うことは言う。それが俺にとっては、とても気持ちいいんだ」
「…完敗だね」
真耶は少しだけうつむいて言った。でも、すぐ顔を上げ、拓哉の顔をしっかと見据え、
「おめでとう」
精一杯の笑顔で言った。顔は雨で濡れているが、その中に涙が混じっているようには見えなかった。
「自分にピッタリ合った彼と巡り会えたんだね。ちっちゃな村の、一番奥にたまたま近い歳の子どもが二人だけいて、選択肢がないままズルズル行っちゃったんだもんね。タッくんは、世界が広がったんだよ。それって、素敵なことだよ」
拓哉は正直混乱していた。真耶のことだから泣きじゃくったりするのかと思っていたし、真耶に何も言わずに新しい恋人に乗り換えたのも良くないこと。でもそれも責められなかった。
「言いづらかったんだよね。だいいち、下宿しててあんまりこっちいないもんね。大丈夫、あたし、気にしてないよ。タッくんがいまの彼氏さん好きなんだったら付き合ってくれた方があたしも嬉しいし、我慢してあたしと付き合ってくれても嬉しくないもん」
珍しく、真耶は雄弁だった。早口でこそ無いが、拓哉が口を差し挟む余地が無いくらいにはするすると言葉が紡ぎ出されてきた。
「でもね」
フードの奥の真耶の顔が、急に引き締まった感じを、拓哉は感じた。
「タッくんが選んだ人が、女の人だったら、たぶん軽蔑してた」

 「やっぱり、男同士で恋愛するって良くないことだと思うんだ、真耶は本当は男だからこれ以上付き合えない、とかなんとか言って来たとしたら、あたし、生まれて初めて人のことビンタしてたよ。タッくんにとっては、恋とか愛とかって、そんなものなの? そんなに心が狭かっただなんて、見損なった、って」
「ちょっと待った、あ、怒ってない、怒ってないから」
拓哉がようやく口を挟んだ。
「白状するなら、過去形では思ったことある。というか心の隅でずっと思ってた。男同士の恋愛のままずっと行っちゃうのってまずいんじゃないか、って。俺自身は恋愛に性別なんて関係ないって思ってる。でも親に怒られないかとか、檀家から苦情が来るんじゃないかとか、そういうこと思うとさ。情けないだろ? 殴りたかったら殴ってくれよ」
真耶が口をとんがらせたのが、拓哉に見えた。二人はいつの間にかそれだけの距離に近づいていた。
「ビンタ、って言ったでしょ? でも安心して、ぶたないよ。それはしょうがないものね、タッくんのお父さんお母さんはあたしにお嫁に来て欲しいって子どもの頃よく言ってたけど、世の中ってそういうの嫌がる人のほうがまだ多いもんね。だから、タッくんが心配してたのも分かるし、だけどその理由が分かって、安心したの。やっぱりタッくんはすごいなって。世の中の人がどう思うかなんて気にせず、自分の好きを貫ける人なんだ、って」
「あいつから好き好きアタックされたとき、ときめいちゃったんだよ。それでもう世間体がどうのとかいう心配なんかどうでも良くなってさ。他人がどう言おうが関係ない、そんなの無視して、俺は俺が好きな奴と一緒になりたい、そう思ったんだ」
「負けた」
真耶がつぶやいた。
「あたしが変えられなかったタッくんの気持ちを、あの人一発で変えちゃったんだもん。男の子と男の子が付き合ったって、女の子と女の子が付き合ったっていい。あたしもそう思ってる。でもあたしは、女の子の格好いつもしてるから男の子と女の子のカップルにしか見えないんだよね、タッくんといても。タッくんの彼氏さん、女の子の格好しても似合いそうなくらい可愛いけど、ちゃんと男の子として学校に通って、堂々とタッくんと付き合ってるんだもん。勝てないよ」
「真耶だってできるだろ? その気になれば、男装して俺とデートするとかさ」
拓哉はつい真耶を弁護してしまった。なんだかんだで十数年付き合ってきた仲同士だ。そう簡単に言葉を切って捨てる事はできない。
「無理だよ。だってタッくん、男の子の格好した男の子と現に付き合ってるじゃない」
拓哉は優しい性格だから、真耶をなんとかフォローしようとする。でも真耶はさえぎるように言った。
「みんなに優しすぎるのって、恋人持ちの男子は禁物だよ。その分彼氏さんに優しくしてあげてよ。あたし、これで帰るから、じゃあね。彼氏さんによろしくね」
天然で幼いようで、真耶はしっかり思春期の女の子の感覚を身に着けていた。そのことに驚いた拓哉。
「真耶、成長したんだな。もう俺がいなくても…」
「大丈夫だよ。心配無用ってやつ」
そして自転車にまたがり、ゆっくり前進しながら、拓哉に告げた。
「さようなら」

 真耶はあらかじめ、帰りが遅くなることを家に連絡していた。ますます強くなっていく雨の中、天狼神社とは逆方向へ自転車を走らせ、集落を出外れた所で曲がる。ペンション村と呼ばれるこのあたりも余りに奥地なうえにバブル時代のずさんな計画で作られたためか、一軒を残して全て営業をやめてしまった。そして真耶は、ペンション村の一番奥にあリながらスキー場に直接出られることなどで生き残ったただ一軒のペンションに向かった。
 
 多くの灯りが消えているところを見ると今日は客がいないらしい。平日の梅雨時なので珍しいことではないが、真耶にとっては好都合。ガラガラの駐車場を横切ると、建物の横に自転車を停めた。そこには鉄製の簡素な階段があり、非常階段を兼用している。真耶はその階段の下の雨が当たらないところに行くと、SNSでメッセージを送った。
「苗ちゃん今大丈夫?」
「あ、真耶。とこにいゆ?」
どこにいる、と書くつもりが間違えて字を打ったことに気づかず送信してしまったところに、苗が真耶のことを待ちわびていたことがわかった。別に決行日を相談していたわけではないが、やるなら拓哉が照月寺に帰ってくる今日だと確信していた。
「階段の下。いきなり来てごめんね」
ほんの数秒で、二階の非常階段上の扉がパタンと開いたが、苗は思い直したようにゆっくりと扉を閉め、音を立てないように、それで且つ急いで階段を降りていった。
「真耶!」
下に降りてきた苗はウィンドブレーカーの上下を着ていた。すぐ外に出られる格好で待っていたらしい。
「苗ちゃん…」
しばらく無言が続いた。結果は苗にも察しがついている。だが何と言って言葉をかけようか。まるで思いつかなかった。
だから、行動に出た。思い切って真耶ににじり寄った。そしてグッと真耶の腰に両腕を回すと、自分の方へと引き寄せた。
 苗より低かったはずの真耶の身長は、わずかながら苗を越えていた。華奢な身体どうしが支え合うような姿勢から、真耶の身体が震えはじめた。
「うっ…うっ…」
レインコートからこぼれ落ちる雨粒とは明らかに違うものが、真耶の頬を一すじ、二筋と流れ始めた。
「…泣いて、いいんだよ。思いっきり、泣いていいんだよ。ここならおかん達にも聞こえないし、ウチ、これくらいのことしか出来ないし…」
苗がそう言うと、真耶は苗の胸に顔を埋め、
「うわあああああん」
激しい嗚咽を始めた。苗もは両手で真耶のことを抱きしめながら、やがてポロポロと涙をこぼした。
「忘れちゃえよ…グスン、あんな薄情なやつ…グスン、もっといい男、ヒック、世の中にいっぱいいるんだから…」
「…タッくんの悪口いわないでええっ! ああああん、うえええん」
「ごめん、ごめんね…タッくん先輩よりいい男なんてそういないよね…ごめん、あたし、なんて言っていいかわかんないよ…う、う、えええええん」
とうとう苗も泣き出してしまった。その代わりに抱いている腕には一層力が入り、二人の涙が涸れるまで、それは続いた。

9

 翌日。雨上がりの青空に、木々からしたたり落ちる雨粒の名残りが光を反射する。
 いつもの待ち合わせ場所。ほとんど同じ時刻に、真耶と苗はやってきた。
「おはよ。真耶、平気?」
「うん、泣いたらスッキリしちゃった」
「どうするの? これから」
「ん? しばらく好きとか嫌いとかそういうの無しでいいや。受験も近いしね。神社のお手伝いだって…あ、でも恋愛のお願い事、うちじゃ効かないってことかも」
「ちげーんじゃね? あのバカ拓哉をバカップルにしてやったじゃん」
「あっ、そうか。誰でも彼でもくっつけるのが神様のおしごとじゃないもんね」
運命の赤い糸。恋愛成就祈願。相反する二つの要素だが、実は神様の仕事は複雑に交差し合う赤い糸を手繰り寄せることだけなのかもしれない。

 「先生、さようなら」
校門をくぐる真耶・苗・優香・ハンナの四人。家の位置関係からどうしても二人ずつのコンビが余計に仲良くなる傾向はあるが、そんなの髪の毛一本位の差だと思っているので、最近は必ずと言っていいほど四人揃って帰宅の途に付く。三年生は部活動も自由参加になり、みんな第一志望の高校に入るべく遊びはほどほどに家路を急ぐ、そんな日々が始まった。
 だが。

 「…う、嘘だろ、これ…」
彼女たちの担任、渡辺史菜は古ぼけた史料を前に唖然としていた。そしてやがて冷や汗がタラリ、タラリと流れ始めた。
「もう、人間じゃ無くなってしまえってのと同じじゃないか」
教員をしつつ木花村の歴史を研究している彼女だが、その史料は今まで見たこともない、壮絶な内容だった。

宗教上の理由、さんねんめ・第六話

 なんだかんだで前作から半年経ってしまいました。毎度毎度ごめんどうなことではありますが、連続して読んでくださっている方がもしいらっしゃったら、時々前に戻りながらでも読んでいただければ幸いです。
 で、とうとうミ真耶と拓哉の関係を清算いたしました。色々と伏線めいたものをばらまいてはいたのですが、これでかなり回収できたかな、とは思っておりますが、これからいよいよクライマックスが待っている予定です。なるべく早く、書きたい、今度こそ…。

宗教上の理由、さんねんめ・第六話

約五ヶ月ぶり、待望(誰が?)の続きが書き上がりました。結構メロウな話になってますのでご覚悟の上お読みくださいね。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-11-19

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