あの夏の、ともだち

12歳、夏の日の怖いはなし。

それと出会ったのは、古い民家、うだるように暑い夏の日の午後だった。当時の私が惹かれ、ずっと記憶に閉じ込めていた、腕。中学1年の夏、親友のとみちゃんととみちゃんのおばあちゃんの家に遊びに行った時の事だ。
その民家は小さな集落の片隅にあった。当時私が住んでいた街とはかけ離れた深い山奥、田舎のさらに外れにひっそりと佇んでいた。生い茂る草木、夏のむせかえるような匂い、生き物の騒がしさ。田舎は初めてで、都会育ちの私は毎年遊びに来ているとみちゃんに案内されながら、川遊びをしたり草むらで遊んだり、早朝からたくさん外で遊んでいた。陽が高くなりいよいよ日差しの刺さる頃、体力に限界を感じたので休憩をとることにした。
「あの家で休ませてもらおう」
そう言ったのはとみちゃんだった。
畑に囲まれた木造の平屋、 大きい家ではないがそこそこ手入れされた様子の普通の民家だった。
普段であれば、簡単に他人を信用してはいけないときつく言い聞かせられていたこともあり、絶対に他人の家に勝手に入るようなことはしない。だが、田舎という身内に開かれた閉鎖空間がどこまで適応されるのかまだ測りかねていた私には、涼をとることぐらいは許されたルールなのかなとその時はすんなりと受け入れてしまった。
ボロボロの表札が掛けられた門を通り、引き戸に手をかける。一応声をかけたが返事はなかった。
とみちゃんは慣れた様子で引き戸を開け中へ入っていった。家に入ると、ひんやりと涼しい空気が肌全体に感じられた。汗がすっと引き、とても心地よい。これで何か飲み物があれば、そんなことを考えながらサンダルを脱いで家の中に入っていった。
とみちゃんはスニーカーを脱ぐ為にしゃがんだので、先に家の中へ入った。
お線香の香りだろうか、家の香りか、独特な匂いを感じながら進んでいく。
居間の奥、縁側の向こうにはお庭があり、野菜やひまわりの花が植えられているのが見えた。その他にも、庭の周りには背の高い植物や樹木が植わっており、夏とはいえ木陰が多く暑さが和らぐのを感じた。住人は庭に出ていて声が聞こえなかったのかもしれない、そう思い縁側に向かって行った。物の少ない家だったが、きれいに片付けられておりどこか居心地の良さすら感じ始めていた。
しばらく庭に目を向けていてが、ふと縁側の端に気配を感じた。
大きなリュックが置いてあった。そのリュックから人の腕が生えていた。生成りの頑丈そうな作りのリュックの上の方、口のところからすらりと細い、人の腕が飛び出ていたのだ。
しばらく目が離せなかったと思う。
リュックから生えた腕はひどく細く白く、力ない様子だった。私は初めて見るそのモノをじっと見つめていた。リュックの大きさは人が入るには十分なほどではあったが、腕の位置は不自然であり、恐怖心とともに異物に対する好奇心を掻き立てられた。しかし中を確認する勇気までは私にはなく、しばらくリュックをじっと見つめることしか出来なかった。
ふいに後ろから床板の軋む音がした。驚いて振り返るとそこにはトレンチコートを着たメガネの中年男が立っていた。男はうっすらと微笑みを浮かべながら私を見つめ、一歩また一歩と近ずいてきた。反対の廊下の先には腕の生えたリュックがあり、私は逃げるのを少しためらってしまった。目があって数秒、「やっと会えた、こちらへおいで」男はそう言いながら私の髪を撫で腕を掴むと引き寄せた。
この男を知っている。
この男は去年の冬に近所に現れていた変質者だ。小学校で先生が注意するようにとみんなに呼びかけていたが、私はその注意をろくに聞かずに公園で遊んでいるところを男に声をかけられついていってしまった。手を引かれて行った先には大きなワンボックスカーがあり、男はそれに私を載せようとした。が、車に乗せられる事に対し危機感を感じた私は手を振り払って逃げようとした。男は逃げようとする私を必死で追いかけ、捕まえると力任せに顔をなめた。驚いた私は男の手を振り払いさらに逃げようと力を入れたが、腰が竦んでしまっており、立ち上がることができなかった。後ずさる私に、男は微笑みを向けると手を伸ばした。
それ以降の事はあまり記憶にはない。目をつぶり体を小さくしていたことを覚えているが、後で聞いた話によると、近くを通りかかった人が声をかけ、警察に通報したらしい。男は車と共に去り、捕まる事はなかった。しかしその近所で不審者が出る事はそれ以降なくなった。私は最後の被害者になったのだ。一躍時の人となった私は翌日から小学校に登校するとみんなのヒーローになった。何があったのか相手はどんな様子だったのか、みんな心配するふりをしてとても楽しそうに聞いてきた。かといって車に連れ込まれたわけでもなく、手をつかまれ顔を舐められただけだったので、だんだんとクラスの友人たちは刺激が足りないと不平を漏らした。彼らはもっとひどい仕打ちを受けた同級生の恐怖体験を期待していた。私にはそんな友人たちの態度が一番ショックで、男にされたことよりも友人たちとのその後の関係の方がひどく辛い思い出となった。
その男が今目の前に立っている。同じように腕をつかみ私の頭を触り顔を舐めようとしている。私はあの時と同じように振り払おうとしたが、やはり力が入らず男の手は降り解けなかった。その時、遠くでとみちゃんの声が聞こえた気がした。男が一瞬気をとられた隙に私はその時出せる1番強い力で男の手を振り解き、部屋の中を走って逃げた。襖を開け畳をかけ、敷居をまたぎまた襖を開け、どんどん先に進んでいった。とっくに入り口に辿り着いているはずなのに、なぜかなかなか壁にも玄関にもたどり着けなかった。何回部屋を走ったのかわからないが、男はずっと追いかけてきていたし、部屋の終わりが見える様子もなかった。家に入ったときにはそんなに広い家とは思わなかったので絶対に何かがおかしいと思いながらも、ただあの男の舌の感触と掴まれた時の腕の痛みを思い出し、もう一度捕まることだけはなんとしても避けなければと足ばかりを急がせ、家の中を走り続けた。何度も襖を開けたし何度も後ろを確認した。男の姿は見えるようで、なかなか私に追いつかず、足音はしているものの走っている様子はなかった。なぜ、あの時のように捕まえないのか、私は逃げきれるのか、この家は一体どこまで続いているのか。何周したのかわからないが息も切れ、行く先を一度確認しようと言う余裕が出てきた頃ふと思い出すことがあった。あの腕のとび出たリュックだ。あの場所に行けばあそこから庭に降りれば、きっと外に逃げられるはずだ。あそこは外へ逃げる唯一の道なのだと、そう思い私は走って来た道を振り返り、走り出した。男が引き返した道にいる様子はなかった。どこへ行ったんだろうと不思議には思ったが横の部屋でおぉいと私を呼ぶ男の声がした気がした。そうかあの男も同じように部屋の中をぐるぐると移動し、出られなくなってしまったんだ。あの男は今私を見失っている、とその時はなぜか冷静に考えることが出来た。
そして私は縁側へとたどり着いた。
腕がとび出たリュックが変わらずそこに置いてあった。私は早く逃げなければと言う気持ちはあるもののどうしても中身を確認したいと言う衝動を抑えられなかった。後ろ振り返ると男はまだ来ていない。少しだけ腕のとび出たところをめくれば中を確認することができるはず。私はリュックへ近づくと、閉じられているその口を開いた。詰められていたのはとみちゃんだった。顔がこっちを向いて、助けてと小さく呟いた。私は力任せにとみちゃんの手を引っ張ると、縁側から引きずり下ろした。庭に降りたその時、男が近く気配がした。足音が大きくなり、自分を呼ぶ声がする。走って逃げると見つかってしまう。仕方なく軒下にとみちゃんを引っ張って入りしばらくそこに身を隠すことにした。男の足音が聞こえてきた。どんどん強くなる足音は、恐怖心をあおったが、1人ではないという心強さから声を上げずじっとしていることに成功した。しかし、なぜか足音は増えていった。もはや一人の足音ではない。複数の人間が自分達の真上を歩き、探している。心臓の音が速くなり、自分の心臓の音なのか男達の足音なのかどちらか区別がつかなくなってきた。とみちゃんの手を握った。リュックから生えていたそのては緊張しているのかひどく冷たくそして汗ばんでいた。声をかけたいが見つかるといけないので我慢した。
それから私は男達の足音が遠ざかるのを確認し、無我夢中でとみちゃんの手を握ったまま庭を横切り二人で道路の方へと駆け出した。
そこから先の記憶は病院で目が覚めたところから始まる。一体何があったのか、周りの大人は教えてくれなかった。私の体は特に怪我をした様子はなかったが、とてもだるい日が続き悪い夢をたくさん見た。知らない病院に不安を感じ何度も逃げ出したいと思ったが、許可は下りずとても辛かった。どうしてこうなったのか、とみちゃんはどうなったのか気になったが、とみちゃんとはそれ以来、会うことを許されなかった。病院に迎えに来た両親は、ひどく混乱しており、とみちゃんのご両親は私の家族に対し頭を下げ涙を浮かべるばかりだった。私はしばらくその病院に入院したが、自力で歩けるようになった頃地元の病院へ転院した。そして中学1年の夏休みが終わった。
その時の事は変質者に出会ったこと以上に口に出すのをタブーとされた。とみちゃんは家族と一緒に遠くの街へ引っ越したらしいと人伝に聞いた。今となっては、SNSを使えば簡単に連絡先を見つけることが出来るが、あの時の記憶、ひどく恐ろしかったこと、また周囲の大人が口に出すことを禁じたことから私はとみちゃんと連絡を取ろうとは思わなかった。
そして先程、全容を理解することができた。もうあの夏から10年が過ぎていた。
とある山村のさらにまたその奥、小さな集落の空き家で役10年前に殺害されたとみられる白骨死体が6体出てきた。マスコミは、このセンセーショナルな事件に群がり、連日連夜事件の報道を行った。テレビでその民家が写し出された時、私は驚きで声を失ってしまった。大学に入り、一人暮らしをしていた私は、すべての記憶を呼び起こすまで数分間動くことができなかった。実はその報道を目にするまで、全て夢だったのではないかと当時の記憶を疑うこともあった。口に出すこともなければ思い返すこともなく、ただ、夢にたまに出てくる嫌な思い出として処理していた。
テレビの画面に映るその小さな民家は、当時よりも古ぼけた様子ではあったが、確かにその当時私ととみちゃんが入った家であり、そして変わらずに、きちんと手入れがされている様子だった。その映像を見て以来とても不安な気持ちにかられ続けた。実家に住んでいたなら、両親が報道を耳にすることを禁じたであろうが一人暮らしをしていたので自由に情報集めることができた。今はインターネットですぐに事件の真相を知ることができる。不安を払拭する為にニュースを追う事にした。殺されていたのは、当時汚職事件を追っていた検察官と、その家族であった。中には小さな子供と老人も混ざっており、犯人は捜査対象となっていた官僚に雇われたプロであると言うのが1番有力な説だった。
報道された当初は違和感ばかり感じた。私は腕のとび出たリュックと冬に出会った変質者しか見ていない。6人も人はいなかったし、あの男は人殺しではなくただの変質者であった。私の記憶に間違いがあるのか、それとも何か情報が足りていないのか、だんだんと真相をきちんとした形で知りたいと思うようになった。しかし両親は当時のことを絶対に教えてはくれない。それは昔も今も変わらないだろう。特にこんな残忍な事件に関わっていたことが私の心の中にトラウマとして残っているのであれば、親として遠ざけておきたいと言うのは至極当たり前の意見だ。そこで私は唯一当時のことを知るであろう人、当事者である人に確認を取ろうと思った。小学校の時の同級生から、SNSを通して、とみちゃんに連絡をとってもらうことにした。彼女もきっと、この報道を見て当時のことを思い出しているはずだと確信したからだ。「ニュースは見ましたか?お久しぶりです。私を覚えてる?」この文面に対し、とみちゃんからの返事はたった一言「忘れるわけない」だった。
「無理に会おうとは思っていないよ。当時の事はあまり覚えていないの。何があったのか誰も教えてくれないし…。とみちゃんが覚えていることを教えてくれないかな。」
「本当に覚えていないの?」
「覚えている事はあるけれど、不思議なことばかりで…。とみちゃんの覚えていることを教えてくれないかな。」
とみちゃんが教えてくれた話はこうだ。あの日私ととみちゃんは民家の中に入ると、死体を解体している男たちと遭遇した。男たちは土間に死体を並べ、レインコートを着て解体作業に当たっていた。畑に埋め、誰にも見つからないようにするために。その当時男たちは、大麻を吸うことでその重労働の苦しみを和らげようとしていた。とみちゃんはその煙を玄関先で靴を脱ぐ間に大量に吸い込んでしまいそのまま気を失った。なのでここから先は、後に大人たちが考えた仮説あるが、私はその後煙を吸い、幻覚を見ながらも、男たちから走って逃れたのではないか、というものだった。
玄関先で気を失なったとみちゃんは、目を覚ましたとき男の1人に何を見たか聞かれたそうだ。とみちゃんはほとんど何も覚えておらず、土間で白い大きなお化けが遊んでいたと思ったらしい。それを確認し、男はとみちゃんのおばあちゃんの家まで連れて帰った。病院で検査を受けた私たちは、大麻の陽性反応が出たことで、警察の捜査の対象となったが、どこで何をしていたのかまるで見当がつかず、捜査は打ち切りとなってしまった。
私が見たあの変質者と腕の生えたリュックは、薬がもたらした幻覚だったのではないか。それが私がとりあえず行き着いた答えであった。
だが時が経てば経つほど、今まで記憶の中で蓋をされていたあの腕のある光景が頭に焼き付き、とても幻覚とは思えなくなっていった。
事件のニュースは、2週間もすると報道の頻度も減り、集められる情報も少なくなっていた。しかし、マニアの集まるサイトでは変わらず真相の究明が続けられており、真実は海底で薄明かりを浴びるように明かされていった。それにより、私の残酷な真実も悟ることができた。
そのサイトによると、死体はすべて白いビニール袋に包まれて捨てられていたらしい。遺体の欠損はほとんどなく、きれいな状態のまま白骨化していたようだ。ただ1つ欠けていたのが、殺された家族の長女の腕だという。警察の発表によると、肩から先のみ9年前に川下で発見されており、軒下に薄く残された血痕から犯人の一人、もしくは獣がいたずらに流したものだろうということだった。

あの夏の、ともだち

……という悪夢を見たので成仏させるために。

あの夏の、ともだち

白くてきれいで少し怖い、12歳の時の夏のはなし。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-11-19

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