姫金魚草の彫刻
悲しんでいる女の子の涙の視点と、その女の子の中の人。
姫金魚草の彫刻。
嫋やかなる一輪の乙女はまた泣き濡れる。それは密やかに、内に込めた憂いをさめざめと。
ぱた。
ぱた。
唯二粒のその痛み。
頬を伝う悲しみは少女の掌の古びれた書物のインクを朧げに隠す。
涙は零れ、黄金色と橙色が綯交ぜになった物悲しい虚空の色彩を作り出す。
滲みた刻印はその短い間だけでもと、たった一度だけでもと、夕日の小さな恩寵を受ける。
あたかも街を、世界を、地球をその光彩で濡らすようなそれは、また部屋の片隅の痛みさえも耀かせる。
――私はここに在る。
確かに私は少女の清き痛みを表した存在。
この少女の想う誰かに、私は何故手が届かない。
嗚呼、私が風の雲であったならば、
拐される落ち葉であったならば、
その肩に、頬に、髪に。
降りて行ける雨であったなら、
雪であったなら、
陽射しであったなら。
涙は切と願う。どうかこのか弱き少女の痛みを、世界の端で起きる小さな出来事で終わらせることのないよう。
ただただ、さめざめと泣くこの少女の恋心を、執拗な執着心と誤解されないよう。
決して人前では涙しない、奥ゆかしくも気高い彼女の無垢な心に傷をつけ、自らの色を塗り、
染め上げた先には呆気なく離別していくチューベローズに溺れた彼女を。
臑の傷を必死に隠そうと懸命に膜を張り付け、己にヴェールを被せることで成り立つ地位に失望しながらも、失敗を繰り返す不器用な彼女を。
神はまだお許しになりませんか。これでもまだ足りないのですか。
貴方様は何故に、この幼気な少女の行く末まで、鈍色に変えてゆけるのですか。
どうか。
私を姫金魚草に。
私を彼女の諸手に摘ままれる、
一輪の姫金魚草に。
丸みを帯びた顎がつと宙に弧を描く。己の双眸に映りこんだのはこの心そのものであった。
痛みも苦しみも悲しみさえもすべて包含し、内に内にと秘めようと必死に黄金色に隠すのに、
されど悲しみは溢れ出て橙色の光彩は昼の名残を惜しみ、夜の帳を拒むかの如く物悲しげに煌めく。
虚栄心を暴くように、靉靆に美を感じる歪んだ感性のように、それは醜かった。
夕日の美しさも、儚さも。
今自分の瞳に映るもの全てが醜悪で、穢れた情景と化すばかり。
耳を傾ければ小鳥の冷笑。嘲笑。私の穢れた自嘲の声色。
今、眼球を抉り出し、この耳を引き千切ることができたならどれほど幸いなものか。
愛しい人に愛撫されることのない肌を、唇を頬を。繊指を、髪を、爪を。
瞬く間に虚空に飛ばし逝かすことのできるなら、どれ程の痛みから解放されることか。
悦楽に浸るも虚しく、壊死脱落に至るのもまた空虚である。
私の行く末を照らすのは、一体何の耀きであろうか。
ただ其処にうねるのは、一様に蠢く闇の帳。
恒久の中の小さな呼吸もまた朧月夜に呑み込まれ、嫋やかなる少女はまた、双眸を閉じる。
物悲しい耀き。横たわる肢体。煌めく涙が鼻梁を伝われば、皮肉にも冷酷なその大地は癒えてゆく。
痛みを悦楽とするのも、痛みが治癒に変貌を遂げるのもまた、同様に麗しいのだろうか。
私が涙することはそんなにも神々しいのか。私が痛みに悶え煩悶を胸に抱くのはそんなにも滑稽か。
私とて人の子だ。決して微笑を絶やさないわけではない。
嫉妬も執念も執着も憎悪もなにもかも。
貴方達とすべて、一緒なのに。
何故にあなたたちは私を、そこまで崇高な人物と見做し崇めては慈悲を請うの?
ああ、リナリア。
私の可愛い姫金魚草。
貴方も何時かは枯れる刻が訪れるのでしょう。
だったら今、私はこの身をかなぐり捨ててでも。
貴方を刻みましょう。私の胸にあなたを。
姫金魚草の彫刻を。
愛おしい貴方が、私を取り巻く環の中から消えてしまっても大丈夫なように。
姫金魚草の彫刻
中の人のナルシズムがすごい(笑)