泡沫の夢

 えゝ、夜、時計の針がこっちこっちと音を響かせる頃のこと。草木も眠る丑三つ時、今で言う午前二時の頃。昔はこの時間になると人々は皆眠っていたわけでございますが、今では夜勤だ徹夜だなど言って、起きている人も多いご時世。思えば、トマス・エジソンが電球というものを発展させてから人々には夜すらも昼となった次第で、文明の発展というのは恐ろしいものですな。自然の摂理に反するなんてこたァ、江戸の昔にゃ考えられもしませんでした。最近では落語なんて見る人々もいなくなって、歌舞伎だ演歌だ、そんなものは古い古い。今の世の中J‐ポップだ、韓流だ、お笑いだ、騒ぐ阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら騒がにゃ損損。そんな日の本の人々でございますが、闇夜を跋扈する魑魅魍魎は変わることが御座いません。彼らは今でも夜に生き、人間どもよと楽しんでおります。悠久の時を過ごす彼らにとって、人間にとっての大きな変化も些細なもの。これから皆様にお聞かせしますのは、春のうららを楽しむ妖怪どものお話で。……
 時は平成、場所は北九州の片田舎。ぬりかべや猫娘といったキタロウ妖怪はおりませんが、付喪神やら、名前もないような有象無象が今日ものんびりと暮らしております。ここは田中さん家の寝室、草木も眠る丑三つ時、家主一家は五人兄弟の末の子まで眠ってしまいました。家具ががたがたと震えております。化粧台に、それに乗ったオルゴール、本と共に並べられた木彫りの鷹。家主を起こさないように、彼らは小さな声で話します。
「やあタっちゃん、今日も君の首は長いねぇ」
「それほどでもないよ、ダイくん。君の装飾は今日もイカすね」
 話す二人に、オルゴールがカタカタ揺れて怒ります。
「あら、私を忘れてもらっちゃ困るわ。あなた達、いつも私を置いてけぼりにするんですもの」
「あら、オルゴオルちゃん、これは失敬。まだ目覚めたばかりでよく目が働かないや」
「タカの癖に、何馬鹿言ってるのよ」
「僕は夜行性じゃないんだぜ」
「あら、嘘おっしゃいな。ダイの事は起きてるってすぐ解るくせして。それに、何度も言うけど私の名前はオルゴール、オルゴオルなんて古臭い呼び方良してちょうだい」
「まあまあ、そう怒らずに。さ、今日も曲を聞かせておくれよ。僕は君の柔らかい音色が好きなんだ」
「あら褒め上手。どこかの誰かとは大違い」
「少しいじわるしただけじゃないか、怒らないでくれよ」
「ま、やっぱり解っててやったのね。もう知らない、このマヌケ、ドジ、あんぽんたん。さ、ダイさん、曲は何がいいかしら。そうね、春夏秋冬なんてのもいいかもね」
「いいねえ、聞かせておくれよ」
 オルゴールが音を奏でます。紡がれる音は聞くひとを安らぎに包んでくれます。ぽん、ぽぽぽん、ぽん、ぽぽぽぽん、……懐かしい音色に、化粧台もタカも目を閉じて、昔を思い出します。
「そういえば、何十年か昔、ここに住んでいた子供はここに済む付喪神が見えたと言うね」
「ええ、霊感があったとか」
「いいわねぇ。一度私も会ってみたかったわ」
「縁があったら会えますよ」
「そうだといいわねえ。……」
「おや、どうしたことだろう」
 突然タカが大きな声を出しました。びっくりして彼らはタカを見ます。
「なあオルゴールちゃん、どこかでしくしく泣く声が聞こえないかい?」
「あら、ホント。あなた耳も良かったのね」
「あ、演奏、やめないでくれよう」
 化粧台の言葉も聞かず、オルゴールはタカに尋ねます。
「ネ、見える?」
「ああ、どうやら姐御らしい」
 彼の言う姐御は、ここに住む家主さんのお嫁さんのことであります。彼らは息を潜めて、彼女の声に耳を澄ませます。
「ああ、いったいどうしてこんな悲しいのかしら。あんなに憎い兄だったのに、いざいなくなると寂しいったらありゃしない。……」
 どうやら、彼女の兄貴が亡くなったようでした。思わぬ話に彼らは顔を見合わせます。彼女は布団を抜け出し、化粧台の前に座り込んでしくしく泣きます。オルゴールと化粧台は、静かに彼女を見ております。一方タカは化粧台に動く姿が映ることに気付き、万が一姐御に見られても気付かれないようにと動きを止めました。けれどマヌケでドジであんぽんたんなタカは考え及ばず明後日の方向を向く格好になってしまいました。普段ずっと下を向いているため、どうにも首が痛い。出来たときからこの格好ならばなぁ、どうにかして戻したいなぁ。ああもどかしいなぁ。そうひとりごちて、彼は姐御の話を聞きます。
「昔はよく喧嘩して、結婚式には来てくれたけれど、それ以来口も聞かなかったねぇ。ああ、どうしてそんな馬鹿なことをしたんだか。今になって悔やんでも仕方ないのに、これじゃあ後悔しか残らないじゃないか……うう」
 しくしくと、彼女はひとり泣き続けます。オルゴールも化粧台も、今にも泣きそうな気色の中、ああ、もう限界だと言って、タカは棚から転げ落ちました。
「わっ、ばか」と思わずオルゴールが言いました。
「誰、そこにいるのは」
 姐御は言います。落ちたタカの置物が起き上がるのをみて、彼女はわっと驚きました。幸いなことに家族は起きませんでしたが、こうなってはもう仕方ありません。彼は姐御に向き直ると、翼を畳んで一世一代の大芝居を始めました。
「よう、俺だよ、お前の兄さんだ」
「エッ、兄さん?」
「そうだ、俺だ」
「でも兄さんは、自分のことを僕と呼んだけど」
「ええい、細かいことはいい。ともかく時間がない。言いたいだけ言うぞ。お前は昔から思い悩む癖がある。俺だって、お前と喧嘩別れしたのを後悔してたんだ。けど、さっきお前の言っていた言葉を聞いて嬉しかったよ。だからもう泣くな。俺のことは、もう思い出にして、旦那とよろしくやりなよ」
「兄さん……」
「それじゃ、あばよ」
 そう言うと、タカは一声ピイッと大きく鳴いて、いつもと同じ格好にもどりました。
「まさか兄さんが私のために出てきてくれただなんて、まるで夢みたいだわ。口振りはまるで兄さんじゃないのが少しおかしかったけど、おかげで気が楽になったわ」
 タカを元に戻して、彼女は眠り始めました。まさか夢の中で本物の兄貴に会うとも知らずに、ぐっすりと、眠ったんだとさ。

泡沫の夢

泡沫の夢

ここは九州の片田舎、春のうららを楽しむ三人(匹?)の妖怪たちと、彼らの住み着いた家の嫁さんのお話でございます。創作落語風に仕上げた作品です。

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-09-01

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