相克

相克

江戸時代(17世紀)の蝦夷地(北海道)を中心に居住していたアイヌ族の物語です。根室半島のニタリ部落で誕生したウタレという息子とその父親で酋長のナタレシとの葛藤を描きました。またその頃、松前藩が渡島半島を支配していましたが、アイヌとの衝突も避けられない事態となり、父子の運命は激流の中に投げ込まれてゆきます。

第一話 ウタレ

第一話 ウタレ

17世紀の蝦夷地。この北海道の地に広くアイヌと呼ばれる民族が居住していた。彼らは物々交換による交易を行う狩猟採集民族であり、毛皮や海産物をオホーツクや沿海州、千島列島にまで北の荒波を渡って運んだ。和人とは文化的、言語的、あるいは遺伝子的にも異なり、明治初期に完全に和人(シャモ)の直轄地となるまでの間、独自の歴史を守ってきた。ただ、アイヌ民族としての文字は持たなかったため、現在その記録は僅かしか残っていない。

1670年(寛文10年)の春、ノサップ(根室半島)のニタリという部落に一人の赤子が産声をあげた。春とは言え、まだ部落の所々に残雪が吹き溜まりのように白く積もっている。初めて生まれる子の誕生を今か今かと待っている酋長のナタレシは、火のついたような泣き声を聞きつけるや、産室に飛び込み、乳児の股に目を近づけたのだ。
「おお!男の子だ!でかしたぞ。エシカ」
安産の知らせは瞬く間に部落中に伝わった。酋長の直系に男の子が生まれるかどうかは、部落民たちの最大の関心事であることは言うまでもない。過去においては直系男子に恵まれなかったために、よその部落から婿養子として跡継ぎを迎えたこともあった。しかし直系が望ましいことは論を待たない。アイヌ民族の結束の象徴は万世一系の男子なのである。ナタレシ酋長はその重い責任を負っている。酋長が気張ってみたところでどうにもなることではないが、なんとか男の子を、と熱望するあまりあらゆる祈祷師を呼んだ。ぜひとも妻のエシカに男の子を産んでもらって、自ら帝王学を教授しなければならぬ、と気負っていた。そして熱望していた通りの男の子の誕生に父が狂喜するのも「むべなるかな」、なのである。

面白いことに、アイヌでは産まれたての赤ん坊には名前はすぐにはつけられず、その代わりにテイネシ(濡れた糞)などとわざと汚い名前で呼ぶ。こう呼ぶことで魔が近づくのを避けるのだといわれている。生後一年を経て、酋長は息子に「ウタレ」、アイヌの言葉で「勇者」という意味の名前をつけた。将来この部落を率いることになる息子は知恵や財力よりも、まずは勇気が必要だと言うのがナタレシの持論である。実際、この部落はこれまで少なからぬ危機に直面した。飢饉もあったし松前藩から圧迫を受けたこともあった。さらにはロシアとの交易に際しての衝突もあった。そういう時に狡猾な策を弄しても、荒い北の大地や海では通用しないことは、自分が子供のころから教えられてきたところだ。真正面から勇気を奮って戦うことが勝利への近道であること、この酋長一族の家訓とも言うべき一字「勇」を取って満一歳の誕生日にウタレと名付けた。

その命名式の日、部落では「イオマンテ」という儀式が厳かに執り行われた。この儀式は、生け捕りにしたヒグマを殺し、その肉を皆で有難く頂くもので、アイヌ人の間では広く行われていた儀式である。これはヒグマに一定期間宿っていたカムイ(魂)を、また天へ戻すという趣旨の一種の宗教儀式であるが、今回はウタレの祖父、コンタミの鎮魂の意味も含んでいる。無事に男の子が生まれ育っているのは天国にいる祖父コンタミのお蔭、そしてウタレはコンタミの生まれ変わりであると部落民は信じた。
部落の広場に設けられたヌサと呼ばれる祭壇に、黄色い毛布にくるまれたウタレは丁重に毛深い男たちの腕に大事に抱かれながら下ろされた。ここで赤子が泣かないことが吉兆とされるのだが、ウタレは期待通りそのつぶらな瞳を灰色の雲に向けジッとしていた。ナタレシは厳かに詔のった。
「アイヌの神、われらを守護したもう海、空、大地。ニタリの地に宿りし赤子に勇気を授けよ。名をウタレとする」
この詔を合図にヒグマが祭壇の前に引き出された、成長したヒグマの身長は2メートル、獣ながら殺意を感じているのか低く唸りながら暴れようとするが、縄を幾重にも掛けられ10人の屈強な男に固められている。やがて酋長に太く鋭い槍が渡され、ヒグマの心臓を目がけて深く突き刺した。瞬時ヒグマは鋭い叫び声を上げたが、ブルルっと体を震わせたかと思うと、大きな音を立てて前にドサッと倒れそのまま動かなくなった。即座に解体作業が始まった。肉と皮は別々に分けられ、骨も丁寧に取り除かれる。神からの恵みを感謝しながら男も女も作業を黙々と進める。やがて作業は終わり、肉の塊は竹に串刺しにされ焚火の中で焼かれた。香ばしい匂いが漂ってくる。実際、イオマンテでもなければ肉にありつく機会は滅多にない。部落民は普段は魚介類か海藻を主食としていたのだ。
肉は部落民に公平に分けられて、それぞれの胃のなかに収まって行った。折しも春を迎えようというこの季節、蝦夷の北端でも次第に薄紫や黄色い草花が広い野原に顔を出し始めている。長い冬が終わった兆しに部落民の心は蠢いた。そして何よりウタレの誕生と命名は彼らを慶ばせた。酋長の指揮のもと、平和で豊かな生活が将来にわたって永遠に続くものだと誰もが信じた。

部落の女たちは妻のエシカに気を配った。今回の出産の一番の功労者はエシカである。本来であればナタレシの母であるアシャヤがエシカを助けるべきであるが、アシャヤはあまり体が強くないので、出産直後の母と子の身の回りの世話は若い部落女に頼らざるを得ない。そこで相談の上持ち回りで母子の世話をすることになった。不平を言う女などはいない。それぞれ家庭もあり、また夫の仕事の手伝いもあるのだが、エシカの世話ができることをむしろ喜んでいる。またウタレの育児に関われることは、部落民として誇りにさえ思っているのだ。
「まぁ、なんてかわいい坊や。だけれどあなたが将来は酋長になるのよね。その時までこのバアサンたちも執念で生きているから、あなたをお風呂に入れてあげたことを忘れないでね」
そんなことを女同士でいいながら明るい表情で母子の世話を代わる代わる焼いているのだった。

ウタレは父からありったけの愛情を注がれ大事に育てられた。あまりにもウタレに構い過ぎ、酋長としての公務がおろそかになりがちになって、忠臣から諌められることもしばしばである。はっと気が付き、すぐに公務に戻るが、翌日にはまた同じように息子を執務室で遊ばせているので、周囲も苦笑いして諦め気味である。幸か不幸か、彼の側近は能吏揃いなので、そういう安心感にも甘えてナタレシは公務をおろそかにしていると陰口を叩かれる。目に入れても痛くないとはこのことだと、ナタレシは目を細める毎日であった。

アイヌの男の子は、子供用の弓矢を使って、遊びの中で狩猟の訓練をしながら育つ。まず弓矢、そして斧や槍の扱いである。弓矢で獲物を射止めても、クマはもちろん鹿やカモシカも絶命しない。そこを背後から斧や槍を使って仕留めることができて初めて一人前の猟師となれる。ノサップの地では7歳になると子供たちは野原に出て、最初は野ウサギなどを相手に遊びながら狩猟を学ぶ。これは男の子たちにとって大人への階段の第一歩であり、その自覚は伝統的に子供心にも培われている。また、木彫りの練習をしたり、イトクパと呼ばれる父方の系統を示す印の刻み方や扱い方を学ぶ。儀礼での作法や神への祈り言葉も少しずつ身につけゆく。女の子は、遊びながら、河原の砂や炉の灰の上に着物の文様を描く練習をする。幼い頃から縫い物の練習もする。その他、樹皮から繊維をとる方法や機織りの仕方、ゴザの編み方、調理など、様々なことを身につけた。地方によって違いはあるが、だいたい初潮を迎える頃から、口の周りや手の甲にいれずみを入れることになる。

ウタレはこうしてアイヌの生活の中で、他の子どもたちと分け隔てなく育てられた。酋長の子だからと言って特別扱いさせることはナタレシの忌み嫌うところだった。将来、部落の長たる者は、まずアイヌの普通の生活に馴染むべきであるとの固い信念がある。ウタレもまだ子供だから時々はケンカもして帰ってくるが、息子に非があると判断すれば、すぐに謝罪させに行かせた。相手の家族は酋長の子が一人で謝りに来たことに驚き恐縮し、逆に酋長の家まで謝りに来させるのだが、酋長は二人の子供の頭を撫でて「仲良くしろ」とニコニコ顔でその場を収めるのが常である。すると魔法にでもかかったように二人はまた外で遊び始めた。
やがて酋長一族としての血はウタレに受け継がれてゆく。狩猟はもちろん、船漕ぎ、算術や天候の変化、そして星座の動きも瞬く間に覚えていった。尤もこれはナタレシの肝入りで雇った家庭教師たちの厳しい英才教育があったことは事実である。ウタレは厳しい特訓によく耐えた。やがては家庭教師たちも舌を巻くほどの腕前になり、元服の時にはもはやほとんど大人、いや大人以上の能力を発揮しつつあった。

その元服の儀式が灰色の厚い雲が空を覆う中、浜辺で執り行われた。この春に満10歳となったウタレは凛々しい少年の顔つきとなっている。父親譲りのガッシリとした骨格を受け継ぎ、背は五尺四寸(165センチ)、体重は14貫(約53キロ)と他の男子を圧倒していた。アイヌに伝わるポンペイヌという相撲でもウタレの敵となる少年はいなかった。馬術や弓道、そして武器まで器用に仕上げる。部落民の称賛を集め切った感があった。
名実ともに成人として認められたウタレであるが、ここまで息子に称賛が集まると、ナタレシもさすがに心配になる。称賛には必ず反感が伴うことはナタレシ自身の人生でイヤというほど味わされてきたことだ。ウタレはあまりにも何でも出来すぎだ。しかし元服直後の男子にその弊害を分からせることはできまい。これからウタレは己の才能と努力でますます部落民と乖離してしまうのではないか。それはデキの悪い酋長より遥かに恐れなければならないことだ。
正装したウタレの前で、大勢の少年少女たちが伝統舞踊で将来の酋長の元服を祝福している。しかしこの子供たちが大人になった時も、今日と同じ気持ちを息子に持ち続けてくれるだろうか。息子は酋長である前に他人への思いやりを持った人間に育ってくれるだろうか。正面の酋長の座であぐらを組みながら、そんな懸念を強くナタレシは抱くのであった(続く)。

第二話 部族

第二話 部族

元服を終えたウタレは、日を追うごとに目に見えて逞しくなっていった。父親で酋長でもあるナタレシも、ウタレがこの部落で一番の勇者に育ってゆくのを感じた。幼児の頃のあの愛くるしい姿からは完全に脱皮している。獅子のタテガミのような頭髪、狼のように鋭く動く両目、そしてハヤブサのように機敏に動く身体はまさにアイヌの守護神の化身ではないかとさえ思える。しかし神々しいまでのウタレに畏怖の念を抱く子供たちは、だんだんと彼からは離れて行った。そしてウタレはいつのまにか一人で過ごすことが多くなる。
しかし孤独のままで過ごせるほど蝦夷地は甘くない。多くは集団共同作業で部落民は生計を立てている。その部落の長たるものが乖離していては話にならない。父親のナタレシは今になってウタレを厳しく育て過ぎたことを反省している。できるだけ早くウタレを部落民に受け入れてもらうように仕向けなければと、ウタレに対しても部落民にも申し訳が立たない。すべては自分の教育が悪かったのだと今更のように気がついた。

ウタレは極端に無口な男子になってしまっている。元服する前はそれでも子どもたちと野原を駆け巡っていたのだが、次第に仲間から孤立していった。何をやっても他の子どもたちを負かしてしまうウタレは嫌われてしまったのである。それにウタレは「勝って当然」という態度で臨むから、どんどん仲間外れにされるのだった。一方のウタレも負け続ける相手と遊んでいてもちっとも楽しくないから、一人で狩猟や釣りの腕を上げることに精進した。そういう意味では10歳そこそこで己との戦いを始めていたとも言える。ある時、家庭教師の一人から「克己」という言葉を教わって、以来その言葉がウタレの座右の銘となっていたのだ。しかし自分にも厳しいが他人にも厳しいウタレに友人はできなかった。このままでは酋長就任はおろか、文字通り村八分にされてしまう、酋長ナタレシの悩みは現実のものとなってゆく。

元服した翌年の春先のことであった。富良野河の支流は雪解け水を勢いよく川上から流していた。まだ気温は10℃前後と低いが、清流に行き交うマス釣りの季節がやって来た。部落民の男たちはこの日が来るのを待っていたのだ。燻製食物しか口に入らなかった長い冬は終わり、ようやく暖かい陽射しが部落に注ぎ始めている。今朝は雲一つない快晴である。小川のあちらこちらで釣竿と竹皮で作った籠を持った父子たちが陣取っている。不思議なもので、各父子の場所と言うのは暗黙の了解で毎年決まっている。酋長親子の場所も決まっていたが、今朝はウタレ一人で釣竿を下げてきたのだ。
彼が川べりに座ると、なぜかそこ近辺にいた人たちは消えて行った。なぜ消えたのかはウタレにはわからない。それよりも一番多くマスを釣りあげることだけを考えていた。実際、彼は大人にも負けない釣り師でもあったのだ。そんな相手の横に座りたいなどと思う者はいないのだ。
ウタレは擬餌を使った。この擬餌も器用な彼が工夫して作ったもので、ハエの形をしている。ヒューンと川の中央に投げ入れると、しばらくして当たりがあった。慎重に手首を上下に動かしながらしばらく泳がせ、ここぞというタイミングで引き寄せる。ウタレの擬餌に掛かったマスはほぼ100%釣り上げられる。
半時間もしないうちに6匹を釣り上げた。他はまだ坊主のところもあるようで、子供たちが泣いているところもある。まだまだ釣り上げられそうだが、あまり多く釣るのも、周りの手前さすがのウタレも気が引けてきた。それに乱獲は将来に禍根を残すから自戒せよ、と釣りの家庭教師から教わっていた。さて、引き揚げるか、と独りごちして立ち上がった時である。
「お~い、子供が川の真ん中で溺れているぞ!」
川下のほうで男の叫び声がした。ウタレも掴んだ籠をその場で投げ捨てて下って行った。すでに人だかりがして皆、目を皿のようにして川の中央を息を呑んで見ている。
「誰か、誰か孫を助けてくれ。ワシは足が悪くて泳げないのじゃよう」
老人が絶叫している。しかしまだ水温も低い急流の中に飛び込む男はおらず、皆はただ膝が潜るくらいのところまでしか行けない。子供は浮き沈みしながらも助けを求めているが、今すぐ助けないといずれこのまま流される。
ウタレは何も言わず躊躇なく飛び込んだ。皆はあっと驚いたが、引き留める間もなかった。
得意の泳ぎでウタレは子供に追いついた。そして小さな中州へ引き揚げた。子供の顔は水温で紫に変わっていたが、やがて呼吸も整い一人で立ち上がれるまでになった。岸部の男たちは「お~い、大丈夫か!」と絶叫しているが、中州の二人は余裕で手を振るばかりである。

ウタレの救出劇は父のナタレシを大いに喜ばせた。もちろん部落民の男の子の命が助かったこともそうだが、なによりウタレの勇気と優しさに心打たれたのだ。部落民たちも今度ばかりはウタレの勇敢な行為と優しさに敬服した。しかも11歳という年齢で命を投げ打って救出に成功したことに驚嘆している。こういう男子ならば将来の酋長として相応しいと誰もが思った。
父親のナタレシと同じように喜んだのは母親のエシカであった。エシカも息子の鉄仮面のような性格に心を痛めていた一人である。それが今度のことで、息子にも優しい心が宿っていることを知り、母親らしい言葉をかけるのだった。
「ウタレ、あなたは本当に良いことをしましたね。子供は部落の宝です。その宝をあなたの勇敢さと優しさで守ったのです。私も母だからわかります。もしその子が溺死していたらその母親はどれだけ嘆くことでしょう」
父親のナタレシも続いた。
「お前をウタレと命名したが、男は優しさも持っていないとな。特にお前は将来ワシの跡を継いで酋長となるのだから、部落民の心をしっかり掴んでおかなければ務まらんわい。ウタレ、実はワシはそのことを少し心配しておったのだ。しかし杞憂であったようだ。とにかく良かった」
両親ともにこう言いながら晴れやかに破顔した。
しかし肝心のウタレ本人は釈然としない表情で首を傾げながら、
「子供が溺れていれば助けるのは当たり前です。私は水泳ならば大人にも負けませんから躊躇なく飛び込んだだけのことです。別に勇気とか優しさとかいうことではなかったような気がしますが」
いかにもウタレらしい反応だ。しかしここで理屈を押し付けてはウタレの行動にケチをつけることになりかねないので、ナタレシはこう結んだ。
「うむ、そうかもしれんな。とにかく困った人や弱った人を助けてやるのが強いお前の使命じゃ。今回はよくやったぞ、ウタレ」

この救出劇以来、ウタレ本人の思いとは別に、彼に対する期待は部落の中で広がって行った。子供たちにとっても憧れの英雄として祭り上げられてゆく。そしてウタレが16歳の時、ある事件が部落で起きた。隣の部落のカナム族が、突然ニタリ部落が縄張りとする山に入り込み、勝手に狩猟を始めたのである。酋長のナタレシはカナムの酋長を呼びつけ、即刻狩りを中止することを申し入れた。しかしカナム酋長は「この山はもともとカナムの縄張りであったものを、ニタリが入り込んでいるのを黙認していただけである」と主張した。言いがかりではあったが、カナムでは今年は不作で食物が実らなかったのみならず、食物を求めて獣がニタリに逃げ込んでしまったという背景があるようだ。困窮したカナムは境界を乗り越えてニタリの山で狩りを始めたらしい。
「カナムよ、同じアイヌ族は助け合うのがスジ、お前たちが困っているのであれば援助も吝かではない。だがのう、そうやって無断で武器を携えてわれらがニタリ山に入り込むのはどうかのう」
腹の煮えくり返る思いをしながらも、ナタレシは穏やかに諭したつもりであった。また相手が謝罪するのであれば助ける用意もあった。ところがカナムは言い放った。
「いま言った通り、この山はわれらが持ち物である。明日も引き続き狩りを行う」
こうして二部族の話し合いは決裂した。

ナタレシ酋長は緊急会議を招集し、主だった臣下に意見を求めた。ウタレも末席ではあるが控えている。臣下の多くは主戦論を唱えた。山を奪回するため明日挙兵すべし、との声が挙がった。ナタレシも同じ意見であったので、臣下たちの声に押されこう宣言した。
「あの山を手放しては、先祖代々われらをも守護してもらった山の神にも申し訳が立たない。そしてなにより今度はわれわれが飢えてしまう。こちらが誠意を尽くして対応したのを蹴るとは、カナムは賊である。この際徹底的に賊軍を懲らしめることとする」
車座になっていた臣下たちは大きく頷き、やがて立ち上がり勝利祈願の呪文を唱え始めようとしていた。
「待ってください。戦えば必ず犠牲者が出て血が流れます。私にひとつ策があります」
意外にもウタレが反論した。ナタレシは息子の顔をジッと見つめながら
「のう、ウタレよ。これは部族の誇りを賭けた戦いじゃ。山を奪われるかどうかの瀬戸際なんじゃぞ。お前の策とは何じゃ?」
「はい、部族の誇りにかけて私一人で明日の朝、必ずカナムを追い出して見せます。挙兵は待ってください。策について今は言えません」
酋長はもとより、その場に居合わせた臣下たちは驚きを隠せなかった。挙兵となれば犠牲者は必至、それを無血でしかもウタレ一人でカナムを敗走させることなどできるはずがない。息子は気でも狂ったのかと酋長は思った。
ウタレに興奮した様子はない。極めて冷静な目つきをし、笑みさえ頬に浮かべている。この息子は確かにこれまでいろいろと常人とは言えないようなことをやってのけてきた。もし無血で敵を敗走させることができればそれに越したことはない。ナタレシはしばらく黙考し応答した。
「よいだろう。それでは一日だけこのウタレに猶予を与えることにする。しかしもしお前の策とやらが失敗したら、その時の覚悟はできておろう」
ウタレは涼しい眼差しを父親に向けて応えた。
「もとより覚悟しております。それでは私はこれから出かけるところがあるゆえ、失礼つかまります」

ウタレは羊皮で作られたテントを後に東南の山の方へ向かって歩いて行った。残った臣下たちは茫然としてウタレを見送った。戦争になれば自分も死ぬかもしれない。しかしもしかしたらあの若い男がこの窮地を救ってくれるのではないかと心の中では思っていた
(続く)。

第三話 火の神「アペフチカムイ」

第三話 火の神「アペフチカムイ」

テントを出たウタレは、カナム族が入り込んだアペ(アイヌ語で火を意味する)と呼ばれる標高300メートルの低山に向かった。季節は晩秋、ここ数週間は晴天が続き空気も乾ききっていた。ウタレはアペ山の登り口に到着すると、まずは這いつくばって土の匂いを嗅ぎ、大量の落葉を拾って手で揉みほぐしてみた。やがて彼は登り始め、小枝の一つ一つを丹念に折り曲げ、その乾燥具合を確かめている。頂上に着くと反対側に位置するカナムの部落を一望することができた。煙突から煙の上がっている民家は少ない。やはり不作が続いているのかもしれない。カナムの男たちは明日もまた夜明け頃を見計らって反対側の斜面から登ってくるだろう。ウタレは頂上で何度も風向きを落葉を使って確かめている、そしてもと来た山道を下って行った。そして自分のニタリ部落に着くと、倉からクジラの油を大きな桶に入れて蓋をし、それを持ってアペ山に戻った。この作業を3回繰り返し、3つの桶を頂上の祠の近くに置き、落葉で隠したのだった。もう西の夕空には金星が輝いている。明日も晴天であることの印だ。ウタレは持参した熊の毛皮をかぶり、そのまま東に上った満月を眺めながら眠りについた。

卯の刻(午前6時)、判で押したようにカナム族が反対側から登り始めて来たのが見えた。ウタレは既に用意していたアイヌ儀式用の伝統衣装を纏い、顔には朱や紅、藍染め用の着色料などを塗りたくり、頭には鷲の頭部のはく製を乗せた。そして右手には大きな松明を握っている姿は、何かの化物のように見えた。
やがて10名ほどのカナムの男たちとウタレの間が1町(約110メートル)と近づいた。松明を持ったウタレの異様な姿に男たちは驚いた。まず先頭の男が叫んだ。
「汝、何者ぞ!我らはこれから神聖な狩りをするところだ。邪魔立てをすると容赦せぬぞ!」
ウタレは沈黙したままである。カナムたちは怯んではならぬと、一斉に頂上のウタレを目がけて駆け上り始めた。
その時を待っていたかのようにウタレは大声で呪文を唱え始めた。
「我こそは火の神アペフチカムイである。このアペ山はニタリのもの、汝らは今すぐここを去るが良い」
ウタレの大声にカナムの足は一瞬止まった。しかし多勢に無勢、恐れることはないと踏んだカナム男たちはズンズンと再び登り始め、頂上まであと30メートルにまで寄った。するとウタレは松明を天高く上げたかと思うとすぐに地べたに放り投げた。予め斜面に塗り付けてあったクジラ油の落葉に勢いよく火が伝わり始め、そして次には同じく木々の枝にも燃え移った。一瞬にして頂上付近の斜面は火の海となったのだ。
「汝ら、よく聞くがよい。火の神アペフチカムイの怒りはやがて汝らのカナム部落まで達し、全焼することであろう。今すぐ去れば神の怒りも収まる。もう二度とアペ山に近づくことは許さぬ!」こう言ってウタレは2杯目の油の桶を斜面に流し込んだ。折しも乾いた降ろし風が吹きはじめ、カナムの方角へ猛威を振るって巨大な炎が立ちはじめている。すでに先頭のカナムの首領らしき男の衣服にも飛び火したらしく、消火作業で皆は追われている。
「まだ分からぬか!火の神の怒りを知らぬ愚者たちよ。これで知らしめてやる!」
ウタレは最後の桶から大量の油を振りまいた。頂上から見ると炎と煙で視界はゼロとなっているのがわかる。カナムの首領はたまりかねて、退却を命じた。
「火の神アペフチカムイ様、どうぞお怒りを収めてください。もう二度とこの山には入りませぬゆえ」
カナムはウタリを本物の火の神と信じ込み、転げ落ちるように山を下って行った。無理もないだろう、登頂を目前に火の手が彼らの周囲をぐるりと上がり、のみならずウタレが声をあげるたびに突風が吹き降りてきて、カナムの狩人を焼き殺す勢いであったのだ。
カナムの首領はやっとのことで登山口まで降りてきて点呼をしたところ、全員無事ではあったが「もうこの山には入りたくない」と皆は口を揃えた。頂上を見上げると、炎の真っただ中に、アペフチカムイは仁王立ちしてこちらをまだ睨んでいる。彼らは一目散に部落へと走り逃げ去った。

カナムが敗走した日、ニタリ部落ではウタレを囲んで大騒ぎとなった。まさか本当にカナムが一目散に敗走するとは到底考えられなかったので、酋長の命令でニタリでも秘かに戦闘態勢は整えていたのだ。夜明けとともに斥候を二人送り込み、もしウタリの身が危なくなったらすぐに麓で待機している部隊に連絡することになっていたのだ。斥候たちから今朝の一部始終を聞かされ、酋長のナタレシも思わず唸った。
「ウタリよ、ようやってくれた。お前の言う通り無血でカナムを敗走させたことは奇跡と言って良かろう。しかしどうやってこの策を思いついたのじゃ?」
ウタリは問われるままに淀みなく答えた。
「この季節は晴天ならばつむじ風が山頂よりカナム部落に吹き荒れることを思い出したのです。そこで鯨油を使って火を吹き下ろせばカナムはたじろぐに違いありません。しかしそれだけでは敗走まではしますまい。ここで火の神アペフチカムイを思いつき、自らその恰好をして神に扮したわけです。カナムは火の神に対する信仰心が厚いですが、本当に火の神が現れたと信じ恐怖心を抱いたのでしょう。これで彼らはもう二度とアペ山に近寄ることはないと思います」
風と火、そしてアペフチカムイまで使って彼らを無血で追い出した息子に、今度は父親のナタレシが恐れを抱いた。この火攻め作戦は古代中国の孔明という軍師が赤壁の戦いで宿敵曹操の水軍を破ったことで有名な策ではあるが、そんなことをもしウタリ自身で考えたならば孔明並みの天才軍師だと言える。しかもまだウタリは16歳である。末恐ろしい男になる。これまでは賢い息子だとだけ思いながらも、まだまだ自分が指導する立場であると意気込んでいた。しかしこの事件を境に部落会議の発言力が徐々に酋長の自分ではなく、息子へ移ってゆくのが手に取るようにわかるのだ。

ここで息子に実権を握らせてはいけないとナタレシは焦った。しかし会議では息子を支持する者たちが回を重ねるごとに増えるのだ。中には熱狂的、狂信的に息子を褒め称える臣下まで出てきた。
「ウタリよ。この前お前が火を放った山の斜面だがのう。カナムを敗走させたまでは良かったが、おかげで斜面の半分が黒焦げになってしまい獣も寄りつかないそうだ。これでは今まで通りに狩猟ができまい。食料不足にもなり兼ねないぞ」
臣下からのカリマス性を奪われつつあるナタレシは、やっとのことであら捜しをしたつもりだった。ウタリはここぞとばかり演説を始めた。
「はい、その事でございます。確かに今は黒焦げで獣も寄りつきません。しかし今回のことを奇禍としてこの斜面を焼畑としてはいかがでしょう。すなわち焼いた木々を肥料にするのです。あの斜面は南に向いているので、焼畑農業に適したヒエ・アワ・ダイズ・ムギ・サトイモ・ダイコンなどを栽培するのです。焼畑は周期的に行えるので、一年中食料を供給できる長所もあります」
臣下たちはどよめいた。実は彼らも内心黒焦げの斜面をどうするのか、懸念していたところなのだ。それをウタリが焼畑にするなどと思いも寄らなかったのだ。ナタレシはウタリを追い詰めるつもりが思わぬ反撃をくらい、顔をこわばらせている。ナタレシの忠臣たちも同様で目を伏せている。緊張した空気の中でようやく酋長は口を開いた。
「なるほど、焼畑か。しかしそういった野菜の種など簡単に手に入るものかのう。言うは易く行うは難し。何か目算でもあるのか」
「はい、カナム部落では焼畑を実施しています。彼らと協働でやってみればどうでしょうか」
ナタレシの顔色が変わった。
「ウタリよ、馬鹿も休み休み言え。カナムとは先月山を巡って対峙したばかりの仇ではないか。そんな奴らと協働などできるわけなかろう。上手く行くはずがない」
「酋長、お言葉ですがあの時無血で彼らを敗走したのはこの私です。今回の私の策、もし失敗に終わるのならば切腹してお詫び申し上げます。今、カナムは喉から手が出るほど食料を欲しています。南斜面を協働で開発し、その成果物を分け合うことは両部族の平和維持にも貢献するはずです」
ナタレシはまたもや顔をこわばらせた。この息子、どこまで奥深く物事を考える知恵者なのだろう。自分など到底思いも寄らぬ案を次々と出し、そして実行する。しかしウタリの案に皆が賛成するものかどうか。
「そうか、そこまで腹を決めているならばやってみるがよかろう。家臣の者たちも部落も一丸となって焼畑を成功に導いてくれ。ワシもできるだけのことはするから何でも言ってくれ」
ここでようやくウタリは微笑んで言った。
「酋長、一つお願いがございます。まずは酋長がカナムまで出向き、この話を直接あちらの酋長に伝えて頂きたいのです。酋長同士で話が決まれば、後はわれわれ下々の者が鍬や箒を携えて山に入りますゆえ」
こうして最後になって酋長である自分の手柄にさせようとするところが、またしても末恐ろしい。しかし何でも手伝うと公言した手前、首肯せざる絵を得ない。
「よし、分かった。善は急げだ。これから山向こうのカナムまで行こう。ワシとウタリの二人で行けば十分だ」

二人は熊肉の燻製を手土産に草鞋を履き山麓まで来た。頂上まで登ると確かに反対側は黒焦げのままである。
「ウタリよ。それにしても焼畑とは良いところに知恵が廻ったの。ニタリでは焼畑はやっていないが誰から教わったのだ。随分詳しいようだったが」
父と頂上からカナム部落を見下ろしながらウタリは言った。
「私は元服して以来、友もおらずずっと一人でおりました。将来の酋長として今のうちに見聞を広げておきたくて、隣のカナムにもしばしば出入りしていたのです。その時に焼畑のことや火の神アペフチカムイへの盲信のことなどを知ったのです。父上にしてみれば父上の了解なしに勝手なことをしているとお思いかもしれませんが、私には私の道があろうかと思うのです。たとえそれが父上のお気に召さなくとも」
ナタレシは自分の心の奥を覗かれたようで気味が悪かったが、一度深呼吸をして言った。
「いや、お前の能力や実行力は大いにワシも認めておる。20歳になればお前に酋長の位を与えるつもりでおる。ワシのやり方など真似する必要はないが、相談にはいつでも応じるぞ」
ナタレシにしてみれば精一杯息子に譲歩したような言い方であった。ところがウタレはこう応えた。
「いえ、父上から学ぶことなど何一つありません。」
冷たく言い放つ息子に少し鼻白んで言った。
「しかしウタレ、カナムの酋長が焼畑協働の話に簡単に首をタテに振るだろうか。何しろ山は自分たちの所有物だと主張しているからな」
「心配ご無用です。彼らにとって食料増産は喫緊の課題です。焼畑農業の効用も周知しています。一方でこの前の私の演出で火の神アペフチカムイを恐れているところですから、我々と協働であの斜面を開拓することは渡りに舟のはずです。まずはカナム酋長に我々の誠意を見せ、両者が利を得ることを説けばこの話はまとまるでしょう」

やがて二人は黒焦げの斜面を下り、カナムの酋長宅へと入った。ナタレシは息子の作文した「両者が利を得る」ことを説いたところ、カナム酋長は驚いたような表情を見せた。
「かたじけない。先日は無謀にもアペ山に入りアペフチカムイ様の怒りを買ったところです。ナタレシ酋長の協働開発は願ってもないこと、ぜひともこちらからもお願いしたいところです。作物の苗や種はできるだけ用意させますゆえ」

ナタレシは驚きが止まらなかった。息子の予言通りに話が進んでいる。わが息子ながらなんという恐ろしい男なのだろう。驚嘆すると同時にこの息子と決定的に対立、いや激しく衝突することが将来起きる悪い予感がしてならなかったのだ。

第四話 ハモテ

第四話 ハモテ

アペ山の南斜面は初夏の頃から作物が育ち始めた。陽ざしを大きく採り入れるために、斜面の杉は根本から伐採された。伐採仕事はニタリ部落、植えつけ作業はカナム部落に役割が自然と分担され、お互いに競うように働いた。カナムの男たちはこの焼畑のアイデアはナタレシ酋長によるものだと信じている。
「そうか、ここは絶好の南斜面だから焼畑という手があったんだな。灯台もと暗しだった。かえって隣人の方が良い考えが浮かぶものだ。さすがはニタリの酋長だ」
もちろんニタリの男たちは息子のウタレのアイデアであることは知っているが、あえて否定はしない。酋長の冠はまだナタレシがかぶっているのだ。収穫の秋を迎えると、期待以上の農作物が双方の倉に納められた。食料増産だけではなく、両部族の信頼関係が強化されたことも大きかった。カナムの酋長は収穫をすべて終えた日にニタリを訪れ、部落民の前で厚く礼を言った。そしてナタレシには「良い息子さんを持っておられる」と礼賛した。焼畑のアイデアが息子によるものであることは、この頃にはカナム衆に広く知れるところになっていたのだ。

1689年(寛文29年)、ウタレは19歳となった。彼は部族会議でも大きな発言力を持っていた。彼はこれまで伝統的に行われていた占いによる農産物の植えつけ時期や狩猟の方角などを廃し、気候・天候の周期や動物生態学などを駆使した科学的農法を編み出したのだ。ウタレの知識や見聞に基づいた観測はかなり高い確率で的中し、部落の生活向上に大いに役立った。一方で占いを先祖から受け継ぎ生業としてきた占い師たちは部落を追われることになった。部落の生産高が上がっている事実は認めざるを得ないので、ウタレの提案にナタレシは反対できなかった。それどころかナタレシ酋長よりも指導力を発揮し、確実に成果を上げているウタレを崇拝する者も多く出てきている。その者たちにとっては、ウタレの提案や指示に従ってさえいれば少なくとも物質的な幸福度は保証されるのだから、自分たちがあれこれと知恵を絞る必要もなく楽ができる、と思っている。
この風潮をナタレシは恐れていた。これでは近い将来、ウタレの独裁となってしまう。息子の実力が抜きんでているのは認めるが、部落全体がそれに頼ってしまっては、いつか大きな禍根を残すことになる。独裁制はいつか必ず破たんすることは、ナタレシが他の部族の歴史から学んでいるところだ。しかし息子への部落民の信頼は厚くなる一方であり、それと反比例して自分の存在感は低下していった。

その翌年、ウタレは二十歳となった。アイヌの掟ではまずは長男に酋長の座を譲ることになっている。しかしナタレシはウタレに禅譲したくないと思っている。ただでさえ自分の存在感が希薄となっているのに、ここで名実ともにウタレが酋長となれば自分の居所が亡くなる。他の部族では引退後も長老として厚遇するのが慣例だが、ウタレはきっと自分を無視、いやもしかしたら部落から追放するかもしれない。そういう恐れがナタレシを支配した。ナタレシは妨害工作を腹心の部下たちと始めたのだ。家臣の中にはやはりウタレの独善的なやり方を快く思っていない者もいる。彼らは盲目的に温厚で信義に厚いナタレシに忠誠を誓っている。暗黙の裡にニタリはナタレシ派とウタレ派に二分されていていった。

ウタレの戴冠という重要会議が開かれた。
そこでナタレシは苦肉の策で、「ウタレにはまだ嫁がいない」という理屈をつけてみた。確かに酋長になる男は、妻を娶っているのが普通だ。妻のいない男は一人前ではないという伝統的な考えはアイヌ部族の中で脈々と受け継がれている。しかも妻となる女は父親の承認が無ければならないという慣習も色濃く残っている。ナタレシとすれば切り札を最初に投げた形となった。会議の席ではウタレはあの涼しい目をしている。そして言った。
「酋長、報告が遅れて申し訳ございませぬ。私は既にハモテという女を娶っております。実は今日その報告をここにいる皆様にしようと思い、外で控えさせております。」
ナタレシは怒りで体をワナワナと震わせた。言語道断な振る舞いである。父に相談もなく勝手に妻を娶って、事後報告で済まそうというのか。
「いや、ワシがその女に会うまでもなかろう。どんな女であろうとお前の妻としては認めぬ。そしてワシの目に適った女が出てくるまで、お前に冠は譲れぬ」
ウタレは父のその声を聞くと、立ちあがって後方の布扉を上げ女を中に入れた。その女がハモテであることは紹介するまでもなく明らかであった。
「父上、こうして私は今ハモテを妻として迎えました。報告が遅れたことを衷心よりお詫び申し上げます」
ウタレとハモテはナタレシの前で跪き頭を地に着けた。
「このたわけ者!お前などに酋長をさせたらニタリは不幸のどん底に落ちるわ。今すぐその女とこの部落を出て行け!お前の顔など二度と見たくないわい!」
10名の臣下たちはこの父子の葛藤を震えながら見ていた。まさかウタレが結婚していたなど誰も知らなかったし、そのハモテという女の素性も知らなかった。
「そうですか、やむをえません。それでは父上にここを出て行って頂きます。部落を出なくても結構、いつもの家でお暮しください」
ナタレシの怒りが頂点に達した。
「閉じ込めるつもりか?ワシは出て行かぬわ。このバカ者!」
ナタレシが前後見境なくウタレの襟首に掴みかかろうとしたその瞬間、大テントの幕がすべて上げられた。ナタレシが思わず振り返ると武装した男たちがズラリと周りを囲んでいる。軍事クーデターをあらかじめ企てていたのである。ナタレシは状況をすぐに察し、やがて静かに言った。
「ウタレよ、アイヌの神たちから呪われるがよい。今日はこのままにしておくが、いずれお前に天誅が下るだろう。それをよく覚えておけ」
ナタレシは言い終わると静かに出て行った。3名の家臣もそれに従い出て行った。

テントの中にはウタレを含め7名の者が残った。もちろん彼らは全員ウタレ派である。彼らはウタレの酋長就任を挙手で認めた。そして最長老の家臣が厳かに宣言した。
「われらがニタリの僕(しもべ)は、この善き日にウタレに冠を授ける。そしてその妻ハモテを崇め、良き子を産むことを願う」
予め用意してあった藁で作られた冠をその最長老の男がウタレにかぶせた。その真横にはハモテが堂々と家臣たちを見下ろしている。物事に動じない女のようだ。しかし誰もこのハモテという女を知らない。
形ばかりではあったが結婚の儀式がその場で執り行われた。まずは結婚した証拠として女の口の周りには男の髭のような灰色の化粧がされる。これは墨と石灰を混ぜ合わせた粘液である。化粧が一通り終わると夫から妻に下紐が授けられた。これは腰のまわりに結う紐で取り外しは簡単にできるが、一種の貞操帯の意味が込められている。この下紐は他人には絶対に見せてはならず、夫への貞操を誓った印しと見做されていた。
儀式が終わるとウタレはよく通る声で皆に誓った。
「ナレシモの第一子にして男子のウタレは、いまこの瞬間よりニタリの酋長となりて、このハモテを娶った。」
短い言葉ではあったが、テント内の家臣たちは一斉に唱えた。
「ウタレに勇気を、ニタリに繁栄を!」
二十歳の若き酋長とその妻ハモテを囲んで鬨の声が高らかに響いた。

他方、息子に追い出された形となりこの上ない屈辱を味わったナタレシである。家に戻ると早速3名の家臣たちと酋長奪回の策を練った。まず現状の客観的把握が改めて行われた。10名いた家臣の7名がウタレ派であることがわかった。残りの3名がナタレシ派である。明らかに劣勢である。部落民たちの意向は直接個別に調査できるものではないが、これまでウタレが随所で快挙を成し遂げたこと、また食料が安定して供給できているのはあの焼畑のお蔭と口を揃えて言っていることから、ここでもナタレシ派は劣勢と見るべきである。隣のカナム部落もウタレになびく者は多いであろう。まさに四面楚歌である。重い空気がナタレシ宅で流れた。このままではナタレシ一派は部落内で幽閉同然の暮らしを余儀なくされるかもしれない。あのウタレという男はそういう男だ。

その中で一人の家臣が膝を打って声をあげた。
「そうだ、松前藩がまだ残っているではありませんか。松前とナタレシ一族は三代前から友好関係が続いています。最近でこそ商いの量は大きくありませんが、以前は我々の扱った魚介類、毛皮類の仲介で彼らは大きな利を上げていました。ついこの前の時候の挨拶でも、挨拶とはいえかなり丁重にナタレシ酋長を気遣っていました。彼らはまだこのニタリ部落に経済的な魅力を引き続き持っているはずです」
松前藩は足利時代に成立し、江戸時代からは蝦夷地の渡島半島をも領有し、本土やアイヌとの交易で栄えた藩である。
この言葉にナタレシは大きく頷いた。
「そうであったな、松前藩とは思いつかなかった。なにしろシャモ(和人)の国だからな。彼らと手を組めばウタレ一派を一掃できるかもしれぬ。しかしその方法となると…」
具体論となると皆は黙ってしまう。しかし「窮鼠猫を噛む」でもよいから、なんとしても劣勢を挽回し、息子に鉄槌をくらわしてやりたいという炎のような思いがナタレシの心の中に広がっている。いや、これは私怨ではない、義憤だと自分で自分に言い聞かせた。
皆が悩みながらあれこれと話をしているところへ、意外にもナタレシの妻エシカが入ってきた。
「女の私が差し出がましいとは思いますが、いっそのこと松前の殿様のところへ身を寄せてはいかがでしょうか。幸い私は松前の大奥様と細々でありまするが親交がございます。病弱の身なれど、その暁にはお供つかまります」
ナタレシはもとより家臣は驚いた。前代未聞の亡命政権、まさか妻エシカから提案されようとは思いも寄らなかった。ナタレシは沈思黙考ののち静かに言った。
「エシカよ、その大奥様に今の話を包み隠さず手紙で知らせてやってくれぬか。そしてもし松前が承諾してくれるならば、我らだけで藩に身を投じようではないか。このままではニタリで囚人扱いされて終わりだ。一かバチの勝負に出るほかあるまい」

エシカはその場を去り、松前の大奥に向けて筆を走らせた。エシカも同じ思いであった、このままでは息子に夫ともども幽閉される、その前に息子を倒さなければならないと(続く)。

第五話 松前矩広

第五話 松前矩広

第五代松前藩主の矩広(のりひろ)は、アイヌ女からの一通の手紙を蝋燭の炎に照らしながら先ほどから黙読している。そこには息子に追放同然となったニタリ首長の窮状が切々と女の文字で綴られていた。できれば松前藩に身を寄せて、地位を回復する機会を窺いたいとも記してある。
矩広にしてみれば唐突なアイヌ部族のお家騒動など関心はないし、ましてや巻き込まれることなど御免蒙りたい。即座に謝絶の返書を奥方の鳴子に書かせようかと思ったが、もう少し考えてみようと書き始めていた下書きを止めた。もしかしたらナタレシを使って松前の権益を拡大する商機があるかもしれない、こう矩広は考えたのだ。ナタレシと松前の関係は現在でも良好ではあるが、ここ数年の取引は以前ほど大きくはない。ニタリ部落の位置する根室は千島列島にも近く、その近海で捕獲できる鯨や助惣鱈、それに甲殻類を本土に持ち込めば利益は大きい。今回のクーデター事件を奇禍として、根室半島一帯のアイヌ部族を支配する踏み台にできるかもしれない。

翌朝、松前城内の御前会議が終わったのち、矩広は二人の家臣をその場に残るように命じた。昨夜アイヌから届いた書状についての相談である。二人とも矩広の側近中の側近であり、先代から重鎮を務める信頼の最もおける人物たちである。矩広はまず書状を二人に読ませた。そして二人の意見は案の定分かれた。
筆頭家老の内村忠義は即刻謝絶せよと具申し、年寄職の東屋助三郎はまずは呼び寄せてみて様子を見たらどうか、という意見であった。
「殿、ご承知のとおり藩内は緊縮財政で、至るところで出費を抑えているところでござりまする。まずは藩の財政を安定させることを眼目とすべきであり、アイヌの内輪もめなどに関わっている場合ではございません」
内村の具申は至極もっともである。この松前藩は慶長九年(1604年)に徳川家康から安堵状が与えられ、蝦夷地の領地権、徴役権、交易の独占権を得て成立した日本最北の藩であるが、領内での米や農産物の生産に乏しいため、専らアイヌや遠くアムール河沿岸や千島列島らに居住する北方民族との交易で得た収入が藩の主な財源となっていた。しかし、昨年にアムール虎の毛皮に大きく投資し本土に持ち込んだところ全く売れず失敗に終わった。また同じく昨年、寒さに強い稲の栽培に着手したがこれも失敗し大きな損失となってしまったのだ。この二つの失敗は藩の財政を揺るがし、今年は投資や出費は控える方針となっていたところであった。
内村の具申に目をつむりながら大きく頷いた。
「そちの申すこと、正鵠を得ておる。さて、東屋、そちはどう思うか」
東屋は昨年家老の身分を退き隠居すべき年齢となっていたが、藩の知恵袋として残しておきたいという矩広の強い意向で、年寄という名誉職を授けられた人物である。
「さて、内村殿の申されることはもっともでござる。されどニタリとの交易を再開することは我らが東へ進出する糸口となりまする。まずはナタレシ一派を預かり様子を見たらどうかと存ずる。拙者の見るところ、倅のウタレは今でこそ日の出の勢いですが、ああいう唯我独尊の若僧はいずれ部族内で孤立するのではないかと見ております。その機が来れば預かったナタレシを旗印に一気にニタリ部族に軍馬を走らせれば、意外と脆く落ちるかもしれませぬ。さすればウタレシを傀儡酋長とし、根室一帯を掌握する商機が訪れます。
内村殿、今すぐにウタレを潰しにかかるわけではござりませぬ。いずれ自滅すると見ています。それまでの一時、ナタレシ一派を預かるだけのこと、財政にも大きな負担はかけますまい」
内村は大きく首を振った。
「いや、それは見方が少し甘いと存じます。ウタレを見くびってはなりませぬ。歳こそ二十歳ではあっても、これまで何度も部落の窮地を救っており、民からの支持は絶大だと聞いております。追放された父親などを隠し預かって松前に益はもたらしませぬ」
二人の議論は半時ばかりも続いたが、結局意見の一致は見られない。矩広の決断の時が来た。
「期限を区切って預かり申そうではないか。一年、そしてその間はニタリに対して中立を保つという条件で返信してはどうか」
二人は主君の顔を不満そうに見上げた。どうもスッキリしない折衷案にも思えた。矩広にしても迷っているのだ。しかし緊縮で淀んだ藩内の空気をナタレシを使って取り払いたいという積極的な気分になっている。それに一年もあればナタレシが役に立つかどうかの目途は立つだろう。ダメならば放り出すだけのことだ、という腹積もりでいる。

早速、返信が準備された。内容短く草案された。内村がその案文を差し出すと矩広は頷いた。
「ご苦労であった。この書状の宛名はナタレシの奥方であるが故、本状は鳴子に書かせることにする。それと江戸から取り寄せた簪(かんざし)も一緒に届けてやれ。」
本状がしたためられ、簪と一緒に選りすぐりの飛脚が松前の門を出発した。おそらく明後日の夕刻には届くことになるだろう。この飛脚は藩内で斥候をも務めており、万一ウタレの妨害に出会っても切り抜けるだけの才覚は持ち合わせている。矩広はナタレシなどに一片の同情心など抱いていない。ただ追放された元酋長を道具として松前藩を盛り立てたいという野心だけが心を占める。しかしこの野心が引き金となり、後に「シャクシャインの戦い」と呼ばれるアイヌと松前藩との空前の武力衝突になろうとは矩広は想像してもいなかった。

ニタリ部落ではナタレシが返信を一日千秋の思いで待っている。妻のエシカも精根傾けて書いた鳴子への書状に対する返信を待ちわびていた。ナタレシ夫妻は、もし謝絶されたら生きる道はない、と覚悟している。生き恥を晒しているくらいなら自決しようと二人は申し合わせていた。
「エシカ、本当に申し訳ない。ワシの教育が間違っていた。ウタレに立派な酋長になってもらいたい一心で厳しく教育し過ぎた。幸か不幸かウタレは生まれつき能力が異常に高かったがゆえに、すぐに何でも覚えてしまった。酋長たるもの、知識や経験だけではなく情操教育も必要であったことをずっと後になって気付いた。そして今回のクーデターもどきの暴挙を食らったのはすべてワシの責任じゃ」
エシカはむしろ冷静であった。
「私はウタレをもはや息子だとは思っていませぬ。ああいう男はいずれ転びます。松前様もきっと同じ考えだと存じます。きっと良い返事が参りますよ」
「うむ、そうであれば良いがのう。返信が待ち遠しいわい」
ナタレシ宅は意外なことにウタレに監視されていない。さすがのウタレも、まさか自分の母が松前藩の鳴子に書状を書いて送ったとは思ってもみなかった。あの日のクーデターで両親は戦意を喪失したものと信じていた。ウタレの側近には「ナタレシ宅を監視すべし」と具申した家臣もいたが、ウタレは退けた。監視するということは、ウタレがまだナタレシを恐れているということだと部落民に思われることを嫌ったのである。鉄壁の要塞のようなウタレではあっても、やはり水漏れはあったのだ。

その翌日の夕方、黒子を纏った飛脚がナタレシ宅に忍び込んできた。ナタレシは人目見て松前の飛脚であると察し招き入れた。飛脚は黙って書状をエシカに差し出した。エシカは震える手で受取り、目を見開いて読み始めたが、読み終えると満面の笑みを浮かべて夫に言った。
「良かった!松前様は私たちを受け入れてくださると仰っています、ほら御覧なさい」
ナタレシはすぐに書状に目を落とした。
「うむ、二つ条件がついておるが、とりあえず受け入れてくれるようだな。よし、これからが挽回だ。エシカ、お前の思いつきで救われた。いや、われわれが救われただけでなくニタリ部族が救われたのだ。お前を妻に娶ってよかったわい」
ナタレシも踊り出したいような気分であったが、飛脚の前なので控えた。
顔も黒い布で覆った飛脚は持参した袋から紙包みを取りだし、エシカに無言で渡した。
「あら、簪じゃありませんか!あぁ、鳴子様はなんというお優しい方なのでしょう。今すぐにでもお礼が言いたいわ」
ナタレシは我に返って言った。
「そうだった、感謝の返信をしたためなければならない。今すぐ用意するゆえ、しばしそこで待たれよ」
ナタレシは飛脚の申しつけ、短い感謝状をエシカに書かせた。
「よし、これで決まった。明日の朝、松前城に向かってわれわれ夫妻と臣下3名を引きつれ出向くこととしたい。ご苦労だが、早速この書状を松前殿、いや鳴子姫に届けてはくれまいか」
飛脚は書状を受け取ると、風のように消え去った。

翌朝は東方より太陽も輝き、空高くトンビが舞う旅日和であった。臣下3名には昨夜の吉報を既に伝えてあったので、士気はすこぶる高い。草鞋を履いた5名の亡命者は部落の境界である小川の橋を渡り部落との別れを告げた。しかしいつかここに戻り、王政復古を成し遂げてみせるという意気に燃えている。松前までは徒歩で約一週間の距離、途中に日高山脈を越えねばならず決して楽な旅ではない。エシカの体力が気になるところだ。しかし驚いたことに5人のうち、一番元気活発だったのは他ならぬエシカであった。病弱だったはずのエシカであったが、自分のアイデアが実り、部落が救われるという夢が大きな支えとなり、むしろ旅路を楽しんでいるようにさえ見えるから不思議だ。この調子で行けば難なく松前藩の門を叩き、エシカと鳴子が抱き合って再会を喜ぶ姿を目の当たりにできそうだ。3人の臣下たちは命を賭してでも夫妻を護るという気概でこれまで仕えてきた者たちである。この3人で百人力なのだ、裏切ってウタレに従った7人などは最初から不要だ。この三人は防衛、財務、商務をそれぞれ担当していた優れた家臣である。松前藩でも使い道があるのではないかと期待される。
今回松前藩が5名を受け入れた背景には根室での商圏拡大を狙ってのことだというくらいは、ナタレシにも想像はつく。ニタリの長として長年にわたる情報蓄積や人脈を持ち合わせており、この点はウタレより数段上であると自負している。機が熟すればニタリに松前藩とともに進軍、王政復古の名の下にウタレを追放、そして松前藩の圧力に乗じてニタリも更に蝦夷東部に勢力を拡大したいという目論見を持ちながら、一路西へと一行は急いだ(続く)

第六話 ナタレシ

第六話 ナタレシ

ニタリ部落を出立した五人は麗らかな初夏の陽気の中、若葉の萌える山道を歩き、せせらぐ小川を幾度も渡りながら快適な旅を楽しんだ。亡命者が旅を楽しむというのは奇異に聞こえるが、実際この五人の心は今までになく弾んでいた。特に妻のエシカは部落で生まれてこのかた、ほとんど外に出たことがなかったので、まるでアゲハチョウのように飛び回っては野花を摘み、果実類をもいでは小猿のように齧った。エシカの快活な姿を見るなり男たちの顔は緩んだ。彼女の病弱の原因は陰気に閉じこもりもっていたことにあったに違いないと思い始めた。難所の日高越えではエシカが先頭を歩み男たちを引っ張る役割を演じているのを見て、ナタリシは積年心に宿った暗い雲を一挙に吹き飛ばすような爽快感を覚えた。息子がクーデターを起こさなければこんなこともなかったろうに、と思うと少し複雑な気持ちにもなった。

五人は笑い声を絶やすことなく、松前藩の北の関所である熊石に到着した。ここはアイヌと和人の境界線でもある。ナタレシたちはそれぞれ持参した通行証を門番に提示した。関所内では番人によって検分が行われた、四人の男たちはすぐに藩内通行が許可されたが、エシカだけは別室で何やら時間がかかっているようである。江戸幕府の関所の検分は女に特に厳しいとは聞いていたが、アイヌの女など問題にならないはずだと軽く見ていた。一刻あまり経ってもエシカは出てこないので、番人にたずねてみた。
「あの女は入藩差し止めとなった。アイヌ女は特別の許可証が無ければ通行させぬことというお達しが出たのだ」
信じられない返答であった。やっと松前藩との境界にまで来たのに追い返さるなどあまりにも酷である。そこで臣下の一人が鳴子姫から届いた書状の事を思い出し、すぐさまそれを番人に渡した・
「われらが五人は畏れ多くも鳴子姫様のお導きがあってこれより松前城へ向かっておりまする。ご覧くだされ、鳴子様の直筆でエシカに書状が宛てられてござりまする」
番人たちは代わる代わるその書状に目を通していたが、やがてある若い番人が蒼い顔をして番所に戻ったかと思うと、一通の書状を携えて戻ってきて関所主に見せた。主も蒼くなって五人に言った。
「誠に申し訳ござりませぬ。松前藩主から御一行を丁重にお迎えするようにとの通達が今朝ほど届いたところです。さてさて、ご無礼つかりまつった。松前城までは丸一日の旅程、今夜はむさ苦しいところなれどここでお休み頂き、明朝に若い者を案内につけまするゆえ」
番人たちは卑屈なまでも土間に頭をこすりつけて詫びている。アイヌ五人が少なくとも今のところは丁重に扱われていることがよくわかった。
「こちらこそ恐れ入りまする。それではお言葉に甘えて明日は松前城内へご案内いただきとうございます。」
五人は草鞋を脱ぎ、倉屋敷と呼ばれる客棟に案内された。和人の国らしい石庭が渡り廊下から望め。また池には錦鯉が悠然と泳いでいる様はアイヌの朴訥とした造りとは趣を異にしている。エシカなどは荷物を広間に下ろすなり、中庭に降りて一人で歓声を上げていた。よほど和国が珍しいのだろう、ナタレシもつられて中庭に降りてみた。
「ねぇ、ご覧になって、あの見事な錦鯉。色彩も見事だけどあの悠然とした泳ぎ方は王者の風格だわね。ニタリで獲れる魚ってホッケとか鮭、それに鯨なんかこの錦鯉に比べたら品格が下がるわ」
ナタレシは苦笑している。
「おいおい、エシカ。お前は随分とシャモびいきになったもんだな。なにも魚で対決することも無かろう」
「いいえ、鳴子様とはまだ一度しかお会いしていないけれども、私たちの窮状を救ってくれた恩人だもの。これからは私もシャモとして生きるつもりです」
エシカは松前矩広の魂胆など気付くはずもないし、また知らしめたところで何にもならない。しかしエシカが鳴子姫と仲睦まじくすることは大事なことである。女同士がいがみ合ったら、まとまる話もまとまらなくなるからだ。

夕食の膳は広間に運ばれた。四名の男藩士、そして関所主の奥方も同席した。海産物を中心とした馳走であったが、アイヌにとっても馴染み深く食しやすい。また松前特産の米酒も振舞われた。元来が酒好きな男たちは、この珍しい米酒の杯を重ねた。旅の疲れから解き放たれ、杯を重ねるごとに酔いは廻ってくる。奥方とエシカも意気投合し、しきりに二人の笑い声がしてくる。どう見ても亡命者たちの宴会には見えない賑やかぶりである。宴たけなわとなった頃に、関所主の改まった声が座敷に響いた。
「いやはや、今宵は実に愉快な宴会でござりますな。さて、ナタレシ殿。松前藩主の矩広から一つご伝言がござりまして」
関所主のやや高く響いた声にナタレシも膝を整えて関所主に向き直った。
「はい、一年間の期限ということと、中立を守るという二つはすでに承っておりまするが」
関所主は頷きながら答えた・
「実はたった今届いた別の書状に、もう一つ条件があるので伝えよ、ということでござった。少し厳しいものかもしれませぬ。エシカ様をわが藩主の妻として迎えたい、というのです」
ナタレシは一瞬何を言っているのか解せなかった。ナタレシは今年五十歳、矩広はおそらく三十くらいであろうか。母ほどに年齢の違うアイヌの女、しかも亡命者の妻を娶って何をしようというのだ。矩広の真意が諮りかねた。
「矩広殿のお申し出、恐れながらその真意を諮りかねます。何かの間違いではござらぬか」
関所主は無言で懐から書状を取りだし、ナタレシに渡した。震える手で受取り読んでみると確かに関所主の言う通りであった。
エシカは怒りに狂ったような声で叫んだ。
「どんなことがあろうと、私は夫と離れるわけには参りませぬ。どうしてもとおっしゃるならこの場で自害致しまする」
関所主は氷のように目でエシカを見つめた。
「どちらを選ぶかはエシカ様、貴女次第でございます。ナタレシ様とよくご相談なされるのがよろしいかと」
ナタレシはいくら考えても矩広の腹がつかみきれない。
「わかりました。明日私が直接矩広殿の御心をお訊ね申し上げます。今夜の伝言はしかと承りまつりました」
「さすがはニタリの酋長殿、場をよくわきまえておられる。われらはこれで今夜は失礼つかまりまするが、まだ酒も料理もふんだんに用意してござりますゆえ、ごゆるりとなさってくだされ。それでは」
松前側はこの言葉を合図に宴席を辞した。残ったニタリ側で話し合いが即座に話し合いが始まった。もちろんエシカを妻として差し出せという矩広の真意についてである。
やはり皆の結論は一つであった。松前藩に忠誠を誓う証拠としてエシカを人質に獲る、ということなのであろう。ナタレシがいつまた寝返って松前藩に息子とともに反旗を翻さぬとも限らない、そう矩広は危惧しているにちがいない。いつまた松前を裏切っても不思議ではない、と思っているのだろう。

アイヌ側の五人は押し黙った。何事も自分たちの思惑通りには行かぬ。しかしここまで来た以上、断腸の思いでこの三つ目の条件を受け要らざるを得まい。もうエシカも腹を決めている。もう女でも妻でもない、復習を誓った鬼女と化している。

息子、ウタレを身ごもった夜、カムイ神からお告げがあったことをエシカはよく覚えている。
「汝は知と邪の化身を身ごもれり。ニタリ部落の救世主にして魔王、汝とその夫は追放されるであろう」
何とも気味の悪いお告げであったが、エシカは決して夫にも黙しウタレを産み落とした。ウタレは病気一つせずすくすくと丈夫に育ったが、幼児の頃からあまり笑わない子ではあった。その代わりに大人たちの行動、例えば狩猟や魚釣り、それに料理や洗濯まで興味を持つ不思議な子であった。ある日のこと、ウタレがまだ四歳だったころ、寄り合いがあることを急に思い出し、竈に火をくべたまま出かけてしまった。寄り合い所で火をくべたままであることを思い出し、すっ飛んで帰ってみると竈の前でウタレが座っている。それのみならず鍋に入れたキノコや野菜類を踏み台を使ってしっかり調理していた。
「ウタレ、どうして竈の火のことがわかったの?お前は今日は川釣りに父さんと一緒だったはずでしょ?」
エシカは火災を免れたこともさることながら、なぜウタレが戻って来たのかが不思議だった。
「母上、カムイ神が川面から浮かび上がり、私に家に戻るように言いつけたのです。もう少しで火事になるところでした。ついでに料理も仕上げておきました」
カムイ神という思いがけない息子の言葉にエシカは驚いた。自分が身ごもった時と同じ神ではないか。自分だけに秘めておくことができず酋長である夫にすべてを話した。
「ウタレは生まれた時から尋常ではないとは思っていた。ワシの執務室で遊ばせておいても、最初は可愛く振舞っているが、そのうちワシのほうをジッと見つめてまるで観察しているようなのじゃ。あいつは将来とてつもない男になりそうだ。吉と出て救世主となってくれればよいがのう」
我が息子ながら二人は恐れおののいていた。しかし恐れは的中し、エシカも夫と一緒に部落を追放される身となった。

「ナタレシ酋長、もう賽は投げられたのです。私はウタレを倒すためならば何でもします、松前のところにも人質になります。ここで怯んではなりませぬ」
エシカは気丈にも言い放った。ここまで来れば藩主の要求を受け入れるしかないことは男たちにも分かっていた。
「うむ、お前にだけ苦労はさせぬ。いつの日にか再びニタリに攻め入りウタレを討ち取った暁には、必ずお前を松前から身請けするゆえ、それまでの辛抱だ。すまぬ、エシカ」
今まで妻の前では涙など見せたことのなかったナタレシも、この日は家臣とともに男泣きに泣いた。エシカは固く口を結んだまま天井を見上げるだけであった。この五人の広間での様子はすぐに早馬で月明かりの中、使者によってその日の夜半に伝えられた。矩広は使者からの話を聞くと大きく頷き、ナタレシの覚悟のほどを知ったのであった(続く)。

第七話 松前城

第七話 松前城

松前藩は北海道の南端に位置する渡島(おしま)半島の大半を領地とした。拠点の松前城は松前半島の日本海側に位置する。北海道内では唯一の日本式城郭であるこの城郭は明治八年、廃藩置県とともに取り崩されたが、昭和35年には天守、本丸御門、本丸御門東塀等が復興され、現在は観光名所として有名である。

さて、熊石の関を翌朝出立した五人は松前半島を藩の若い男の案内で一路南に向かった。藩道は比較的平坦で整備もされており、歩行に苦しむことはなかったが皆は無言であった。昨夜の一件が皆の者の胸に重くのしかかっていたのである。しかしもう後戻りはできない。あとは前進あるのみ、松前の人質になるエシカのためにも男たちが意気消沈しているわけにはいかないのだ。
松前半島の中央にそびえる大千軒岳の麓を迂回し、小高い丘や平野を進むと突然眼下に蒼い海が広がった。ニタリの荒いオホーツクとは違って柔らかな陽射しを受け白く光っている。そして遥か彼方に城壁らしき灰色の壁と、白い天守閣が海を背景に美しく望める。
「皆様、ご覧の城が松前城でござります。松前家の初代藩主・松前慶広がこの地に築城したのは、1606(慶長11)年のことでした。爾来、今では五代目の矩広殿が城主となり、この藩を治めておりまする」
シャモ(和人)の城郭を見るのは皆もちろん初めてであった。アイヌの要塞などとは雲泥の差である。強固な城壁に四方を見渡せる天守閣、そして城の至る所から弓矢や砲弾が放てる造りになっているとの説明であった。もしアイヌとシャモが戦ったら、遠目から見ても到底アイヌに勝ち目はないように思える。
松前の圧倒的な武力をもってすれば、ウタレのニタリ部族など赤子の手をひねるようなものだと思う。自分自身で酋長をしていたからよく分かっている。アイヌの武器など、動物の筋や骨で作った弓矢、石斧、あとはせいぜい荷台を改造したちゃちな戦車であろうか。裏を返せば、アイヌ民族同士で大きな諍いもなくおおむね平和に暮らしていたことの査証でもある。ましてやシャモと戦争になったことなどはなかったので、強力な自衛団を組成する必要もなかったのである。

しかしその平和な歴史を塗り替えようという共通の企みを矩広とナタレシは抱いている。東のアイヌの有力部族であるニタリを制圧して根室一帯を勢力範囲に置こうと目論んでいる。矩広は藩財政の躍進という目的、ナタレシは息子ウタレへの復讐と王政復古という目的で両者の腹は奇しくも一致している。同床異夢とはまさにこのことだ。
陽が日本海に沈むころ、一行は無事に松前城の門をくぐった。そのまま城内に案内され、控えの間で旅装を解き、湯に浸かったあとで用意されていた浴衣に着替えさせられた。シャモの着物など初めてではあったが、麻で作られていてすこぶる肌触りが良い。今夜、矩広は外出中ゆえ帰城が遅くなるので奥方の鳴子姫が応接した。
「ナタレシ殿、エシカ様、そしてお伴の皆様方、遠路遥々お疲れ様でございました。皆様のお越しを今か今かと矩広ともども首を長くしてお待ち申し上げていたのです。この松前までお越しになった訳はエシカ様のお手紙で承知しております。心から同情申し上げます。この松前をご自分の家と思っていただきとうございます。何か御不自由があれば遠慮なくお申し付けくださいね」
エシカも慇懃に挨拶を返した。
「ご親切なお言葉、痛み入ります。奥方様からは簪(かんざし)まで頂戴しましてお礼の言葉もございませぬ。また、熊石関所でのご配慮、大変に恐縮しております。お陰様で案内人の方のお導きで快適な旅を楽しんでまいりました。これもすべて鳴子様のご配慮かと存じます」
鳴子は少し微笑んで言った。
「それはようございました。エシカ様、われら二人は今日から矩広の妻となりまする。正直に申します。後からつけた三つ目の条件は私が殿に具申しました。最初は殿も躊躇されておりましたが、私の言い分に屈し承諾しました。可笑しいでしょ?普通は自分の夫君に別に妻を娶れ、と具申する女はいないでしょうから。しかし今回はナタレシ様にその御覚悟がなければ松前としても支援はできかねるのです。ナタレシ殿ならばもうお分かりですよね」
ナタレシは大きく頷き真っ直ぐに鳴子を見つめた。
「もとより覚悟はできております。このエシカを矩広殿に差し出すことはエシカも承知しております。私を捨て公儀に生きることこそが酋長の天命かと心得ます。しかしながら、エシカも今年五十歳、殿は三十歳くらいかと存じますが、年齢差が相当にありますな」
鳴子は大声で笑った。
「あははは、あら、大声で笑ってすみません。殿には側室が五人おりますが、エシカ様はその側室たちと仲良くしていただければ十分です。何も閨までエシカ様と一緒したいとは殿も申しますまい」
なるほど、そういうものか、とエシカとナタレシは顔を見合わせた。女の操を捧げてまで、と肩に力の入っていたエシカはホッとした表情を見せた。ナタレシも自分の母親くらいの女を抱こうとは矩広も思わないだろうな、と今更ながら納得した。要するに人質として隔離するという意向だけのようだ。それにしてもエシカを人質に取るという提言を思いついたのが鳴子だということに少なからず二人は驚いた。

翌日は、アイヌ一行と矩広の対面が大広間で行われた。矩広はもちろんのことアイヌ一行もすべて和装であった。この広間にいるものは一心同体であることを演出していた。ただアイヌ人は正座に慣れておらず、その点は大いに苦労したが、これもシャモの生活の第一歩と心得て足の痺れを耐え忍んだ。
「ナタレシ殿、遠路はるばる大義であった。われらが条件をすべて快諾していただいたと聞いているが、誠に道理の分かったお方と心得る。ナタレシ殿に期待するところ、我ら松前も大であるからして、早速本日より策を練りたいと存ずる」
単刀直入な矩広の切りだしにナタレシもむしろ好感を持った。
「左様でござるな。幸い我らもここに控えまする三名の選りすぐりの家臣を同行させております。道東への勢力拡大に一役買えるものと思います。また私自身、根室界隈の商いについては長年精通しておりますゆえ、何か疑問があればお答えもできましょうし、場合によっては水面下で動くこともできようかと」
矩広はジッと耳を傾け微動だにしない。
「さて、その根室のニタリにはご子息がおられますな。確か名前はウタリと記憶しております。ご子息をどうなさるつもりか?」
ナタレシは間髪入れず答えた。
「討ち取ります。息子は人間の仮面をつけた悪霊、必ずや将来災いをもたらします」
隣ではエシカも頷いている・
「ナタレシ殿、お言葉ですが息子を討ち取るというのは尋常ではありませぬな。何かあったのですか?」
「ここですべては語り尽くせませぬ。しかしウタレを亡き者にすることは酋長の務め、そのためには松前藩のお力がぜひとも必要でござる。矩広殿、どうぞ私を信頼してお力をお貸しくだされ」
もちろん矩広はナタレシ親子の確執については聞かされている。しかしその根深さを今知った。この男は復讐に燃えている。私怨と義憤を混ぜ合わせながら巨大な炎となっている。自分の妻を差し出してまで息子を討ち取ろうというのだから、その覚悟のほどは知れる。ナタレシの復讐と松前藩の商いがうまく噛みあってくれれば、矩広としてはしてやったりである。藩内では家老筆頭の内村を始め、ナタレシ受け入れ反対派が控えている。それを藩主の権限で賭けに出たのだから、財政緊縮の折でもあり失敗したら藩はこれまで以上に動揺する。しかしもし成功すれば、松前藩の道内での勢力は格段に上がり、また同時に幕府に対する発言力も強まることだろう。矩広は目の前に控えているナタレシが博打で使うサイコロのように見えた。丁か半か、最後にどういう目がでるだろうか。

奇遇というべきかどうか、その後の矩広とナタレシは大変に親しんでいった。矩広はナタレシの芯の強さに打たれた。エシカを差し出せ、と申し伝えればきっとナタレシは激怒して恥辱にまみれながらもニタリに戻るのではないか、と思った。豈(あに)図らんや、それを受け入れてまで宿願を果たそうというのだ。もっともこの芯の強さはエシカも同様である。夜半に使者から承諾したとの報を耳にし、大きく頷いたのは彼らに対する畏敬の念を抱いたせいもある。
一方のナタレシも倅のような年齢の矩広ではあるが、実の息子のウタレと違ってウラ表が無いところに好感を持っている。初対面のナタレシに対し、腹蔵なく自らの考えや展望を開陳するところは、信頼のできる男だと見て良かろう。そして家臣の意見によく耳を傾ける男でもある。ウタレのように唯我独尊を是とするような不埒な態度は見せない。もちろん家臣から強い支持を受けている。しかし今回のナタレシ受け入れについては真っ二つに藩内は割れているらしい。そう思うとナタレシも矩広のために一肌も二肌も脱ぎたくなるのだ。
城内ではほとんど毎日のように重臣会議が開かれている。題目はニタリ奇襲作戦である。それと副題はもちろん根室の産業、産物、交易、気候、風土などの情報提供である。この副題については松前側も大いに得るものがあった。なにしろ長年にわたり一帯を支配していた部族の重要人物からの情報提供は信用度が高い。しかもついこの前まで酋長の座にいた男から出てくる人脈は何にも代えがたいものだ。

「されば矩広殿、初夏からはオホーツクの海を渡り、国後島付近にシロナガス鯨が回遊し始めます。鯨の肉はもちろん大量の油も貴重な生活物資でありますので、一頭のクジラを求めてアイヌ族の争奪戦は熾烈を極めまする。アイヌ族の決め事で、まず最初に鯨の頭に投槍を刺し込み、潮を鮮血で染めた者がその鯨の所有者となります。したがって槍の名手を幼いころから育て上げるのです」
「ふーむ、そうであったか。しかしあの巨大なクジラを岸まで生け捕りのまま引き寄せるのは容易でなかろう。どうやって運ぶのだ?」
「はい、そこが槍投げの腕なのです。鯨の頭部には天間というツボがあるのです、ここに突き刺されば一瞬のうちに絶命するのです。絶命して動かなくなれば後は四方から縄をかけて船で引っ張り、浜辺で引き揚げるだけです」
「なるほど、そういうものか。して今はどこが有力な部族なのか?」
「残念ながら今ではニタリは劣後しており、三番手です。一番手は国後島を支配するコナヌ族です。かれらはここ数年、知床、国後、択捉、根室近辺で海賊のような荒稼ぎをして、急成長している部族です。首長は露西亜人だと聞いておりますが、ロマノフの最新鋭の技術や用具を駆使しているようです。投槍の代わりに火薬を使った鉄砲のような槍を使っています」
ナタレシの情報は具体的かつ実用的なので対策も練りやすい。また彼は当方の弱点も躊躇することもなく指摘するので、矩広も臣下たちに改善命令を直ちにできることが有難かった。こうしてナタレシと矩広は長年の盟友であるかのごとく二つの歯車として、日々目標に向かって邁進していた。

大奥では少し趣が異なっていた。名目とは言え鳴子とエシカは矩広の妻ということになっている。正妻はもちろん鳴子ではあるが、エシカも側室という扱いはなされていない。もともと人質として形式上娶っているだけのことなので、いわばその中間ともいうべき存在である。正妻と側室が仲睦まじかった例は古今東西皆無といってよいが、鳴子とエシカだけは例外であった。
鳴子はエシカを妻の鏡だと敬服している。自分で具申したこととはいえ、まさかエシカが矩広の妻になることを応諾するとは思わなかった。自らを投げ打ってでも夫の決意を遂げさせようとする女、それがアイヌ女の魂にも宿っていたかと思うと、その姿を仰ぎ見る思いである。武家育ちの鳴子にとってエシカは心の許せる友として強い友情を感じている。
一方のエシカは少し女らしい気持ちで鳴子を見ている。あの簪をニタリの家で受け取った時の感激を今でも忘れていない、本当は矩広の指示で贈られた簪だが、エシカは鳴子からの贈り物だと信じている。鳴子も敢えてそれは否定しないが、鳴子にしてもエシカも女らしい優しい心も持っているのだな、と一人ほくそ笑んでいる。
初夏の城内を二人はよく歩いた。若葉の季節、緑風の吹き抜ける中この町の美しさは格別である。城門を出ると坂下に紺碧の空と藍色の海、そして城下の瓦屋根の商家たちが軒を連ねているのが一望できる。松前藩は幕府の最北端に位置するが、アイヌ人から見るとやはり文化の香りがする。朝早くから町の至る所で市場が立ち、魚介類は言うに及ばず珍しい野菜や穀類も量り売りしている。また豚やヤギなどの家畜も小柱に繋がれて売られたりしている。淡い陽射しを浴びながらエシカは一時自分が亡命者であることを忘れ、鳴子と女同士の時間をしばし楽しんでいる。
「鳴子様、この松前は私の育った北の荒地とはずいぶんと違います。穏やかで本当に羨ましいですわ」
鳴子も微笑みながら答えた。
「他人事のように言ってゴメンなさいね。でもこうやってエシカ様と平和な町を歩いていると、親子の確執って何かしらなんて思うわ。なんとか和解する道はないものかしらねぇ」
そう、それは他人事です、とエシカは言いたかった。これまで息子のウタレから受けた屈辱は恨み骨髄となって沁みついている。この恨みを晴らすことはニトリ部落民にとっての幸福になる。不肖の息子を育てた親の責任として、息子の首を討ち取ることは親の責任だと自覚している。そのために自分はどうなっても構わない、と決意しているエシカであった(続く)

第八話 綱吉

第八話 綱吉

ナタレシらが松前藩に身を寄せてから半年が経った。晩秋の蝦夷は野山を次第に白灰色に変えて行き、人々も屋根に葺く藁を幾重にも重ね始めている。これから長い厳しい季節が始まろうとしているのだ。藩の財政は相変わらず苦しかった。主財源であるアイヌとの交易が思うように伸びないことが大きな要因である。これまで松前はアイヌに和人製品である米、鉄製品、木綿、漆器などを売っていたのだが、苦し紛れに値上げしたのがアダとなった。アイヌは即座に松前との交易を止め、本土の弘前藩や八戸藩に交易舟を出して商い始めたのである。アイヌの持ち込む産物である獣皮・鮭・鷹羽・昆布などは、当時の本土ではまだ珍しく貴重で、飛ぶように売れた。こうしてアイヌは新たな交易相手で潤ったが、松前藩は先細るばかりである。

連日、事態の打開を図るべく城内で御前会議が開かれた。更に悪いことに今年は天候不順で農作物が不作であったために、年貢収入の激減はもとより農民たちの飢餓が予想される。矩広は崖淵に立たされた。鎮痛な空気の中、家老筆頭の内村が発言した。
「蝦夷は松前藩が渡島半島をわずかに領有しているに過ぎず、ほとんどの地は幕府の領有にはなっておりませぬ。しかしながらこの蝦夷は広大にして開発すれば大きな資源をもたらすものと思量致します。この思惑は江戸におわす将軍も同じはずです。しかし今すぐ武力でアイヌを制圧するのは得策ではありません。まずはアイヌとの交易をわが松前が独占する朱印を幕府から賜ってはいかがか」
内村の話に耳を傾けていた矩広は目をしばたたかせながら訊いた。
「さすれば、わが藩の財政を立て直せるというのか?」
内村は畏まりながら言った。
「左様でござります。朱印を幕府から賜ればアイヌはわが藩としか交易ができなくなり申す。彼らの産物や交易品はわが方へ持ち込む以外になくなり、当然わが藩に有利な交換比率となりまする」
「ふむ、しかしそれで幕府に何の利があろうか」
「財政が再建されればそれを踏み台に、松前藩は北へ領土を拡大できましょう。蝦夷の恵みが江戸にまで及ぶという算段でござります。すなわち松前、徳川の一挙両得でござりまする」
列席した老中たちは内村の知恵に一斉に唸った。
「さすがは内村じゃ、良いところに知恵が廻ったのう。よし、早速将軍様に嘆願書をしたためる故、筆を容易せよ」
久しぶりに矩広の声が弾んだ。内村は年寄の東屋の方をチラリと見たが、東屋は少し俯いたまま、晴れない顔色であった。なにやら思案顔であることに矩広も気が付き、
「東屋、何か心配事でもあるのか」と問うた。
「いえ、ただ城内にナタレシというアイヌを預かっておりますがゆえ、このことは極秘になされなければ。将軍様にあらぬ誤解を受けては元も子もありませぬ」
「うむ、そうであった。皆の者、この書状のことは極秘である。もし口外するものがあれば厳罰に処するが故、しかと心得よ」

翌日、御前会議で書状内容が吟味され矩広の裁可を得た。今回の書状は藩の命運を握る重要なものであるがゆえに、二通作成され二人の飛脚が江戸まで運ぶことになった。万一、片方が殺害されてももう一人が届けるということにしてあるのだ。二人は松前藩の秘密の使者の印である黒子姿で風のように去って行った。
江戸幕府の五代将軍、徳川綱吉はこの案に乗ってくるだろうと矩広は踏んでいる。安定期を迎えた幕府は領土拡張期に入っている。松前藩の蝦夷北進は綱吉の心にも符号するはずだ。しかし新たにアイヌと交易し始めた弘前藩や八戸藩が反発するかもしれない。そこが難所ではある。矩広はもし綱吉から応諾が得られなかったら、自らが江戸に乗り込んで将軍と直談判するつもりでいた。いや、応諾するまで江戸に居座ってやると本気で考えていた。

再び一日千秋の日々がやって来た。師走に入り渡島では雪が舞い散り始めている、領民はなんとか燻製の肉や魚、アワやヒエで食いつないでいるが、このままでは春まで持ちこたえることができるかどうか。それどころか城内の食糧庫もかなり厳しい状況になっている。食事は昨年の半分ということでしのいでもらっているが、それでも領民たちよりは遥かに恵まれている。最近ではアイヌも松前藩の窮状に乗じて、藩の産物を半値で押買いきている。泣く泣く松前の商人たちは言いなりになっている有様である。その話を聞くにつけ矩広はいつか立場を逆転させてやると屋敷の外に吹雪く風に当たるのであった。
発状してから七日後、待ちに待った返信が矩広の元に届いた。徳川の家紋の入った封筒を開けると、意外なほど短い文章が綴られていた。
「江戸に参内されたし」
この短い文章の末尾に綱吉の署名があった。
早速緊急会議が招集された。短い手紙ではあったが家臣たちは「脈あり」との意見で一致した。江戸に来て事情を説明しろ、ということに違いないと一様に思った。
矩広も同じ意見であった。この重要案件、当方からの書状一通で即採用されるなどとは矩広も考えていない。短い文章であるが、今のところ綱吉は中立であることが透けて見える、松前藩を支援する為にはそれなりの大義名分と幕府の実利、そして弘前や八戸らの諸藩を説得させるだけの材料がなければならぬぞ、と言外に申し渡されているように思える、日本の頂点に立つ将軍とはそういうものだと、曲がりなりにも小さな藩主の矩広は思った。
「うむ、ワシも良い感触だと思う。江戸にはワシと内村の二人で明朝出向くこととする。その旨直ちに返信せよ」
家臣たちはどよめいた。
「お二方だけというのは不用心でござる。護衛の者を最低でも二人つけねばなりますまい」
矩広は自分に言い聞かせるように言い放った。
「藩がこれほどに困窮している折に、護衛を二人も付けるなど言語道断。前回、綱吉様には松前は困窮を極めていると直訴したばかりではないか。しかるに四名で参内すればそれが偽りであったと将軍に思われても仕方がない。内村、ご苦労だがそちは筆頭家老であるので随行を願いたい」
一同、思わず納得顔をした。この藩主は本気で、体を張って松前藩を救おうとしている。口だけではなく命を懸けて領民を守ろうとしている。家臣たちはこの藩主に仕えることを誇りに思った。

翌朝、松前の波止場から矩広と内村を乗せた小舟が出帆した。相変わらず粉雪が舞う津軽海峡であるが、風は本土への順風である。家臣一同に見送られた二人は、笠をかぶった頭をわずかに上げて目礼をした。藩の命運を賭した旅がこれから始まる。吉報を持って帰還することを全員は祈願した。
小舟は無事に津軽港に到着した。奥州街道を日本橋までの百九宿、180里(約720キロ)を行く旅路へと向かう起点、三厩宿に立った。二週間の長旅であるが、藩の窮地が救えると思えば二人の足取りは重くはなかった。またこの旅の途中、二人は念入りに作戦を練ることができた。最大の難関は弘前、八戸両藩への説得である。もし松前がアイヌとの交易を独占してしまえば、彼らはそれに反比例して損を蒙ることになる。何か見返りがなくてはならぬ。その点を将軍は突いて来るかもしれない。
「これは難問じゃな、内村。何か良策はないかのう」
この話題になると矩広の顔も曇る。
「ここは難しいです。わが松前から見返りは出せそうにもありませぬ。むしろ今回のことで利を得る幕府で何か彼らに便宜をはかってやることはできますまいか」
「むろんそれができれば都合が良い。しかしそれでは答えにならぬと綱吉様にお叱りを受けそうじゃ」
二人は旅籠の炉端を囲みながら、いつ果てるともない議論を続けた。しかし結論は出ないまま遂に日本橋に到着した。橋近くに投宿するとすぐに袴に着替え、二人は江戸城へ向かった。

緊張した面持ちで「平川門」をくぐり指定された「西ノ丸」の前に立った。矩広にとって江戸城参内はこれで二度目であり、数年前の参勤交代の時もこの西ノ丸が指定されていたので馴染みのある内郭である。正面入り口には既に門兵たちが待ち構えており、丁重に中へ通された。長い廊下を渡りきった奥の間に将軍綱吉が居るらしい。案内人の足が止まり、尾形光琳の杜若(かきつばた)の襖を開けた、果たして綱吉はそこに家臣を従えて座っていた。
「うむ、ご苦労であったのう松前。江戸到着早々で済まぬが、先日の書状の話、今一度ここで説明してくれぬか」
時候の挨拶もなく単刀直入で無駄がないところがいかにも綱吉らしい。矩広は暗記している説明を、なるべく淡々と話をした。北進政策で幕府に大きく利することを強調しておかなければならない、松前はそのおこぼれにあずかるという立場でなければならぬ。綱吉は目をつむりジッと聴いていたが、矩広の話が終わるとおもむろに口を開いた。
「して、ロシアにはどうする?」
思いも寄らぬ質問であった。というより綱吉の質問の意味が分からなかった。松前の二人は顔を見合わせるがどうにも答えようがない。綱吉は続けた、
「ふむ、二人とも分かっておらぬようじゃの。アイヌを北へ追いやれば更に北方のロシアの領土にまで踏み込むつもりか、とロマノフのピョートルは懸念するであろう。のみならずアイヌとの交易で栄えているアムール河沿いのミレーワフ族などにも影響がある。アイヌの弱体はロシアには利益をもたらさぬ。幕府は大国ロシアと対峙はしたくないのじゃ」
さすがと言うべきか、日本だけでなく世界地図までも綱吉の頭には入っていた。松前にとっての最北はせいぜい宗谷であり、そこから北の国ロシアなどは版図にないのだ。てっきり弘前、八戸両藩対応策について御下問があろうかと思っていたところだったので、即答もできず二人とも意気消沈した。
「まぁよいわ、それは外交問題であるがゆえに、こちらでも考えてみるわ。ところで話は変わるが、そちのところでアイヌ一派を匿っているそうだな。何故だ?」
もう綱吉の前で隠し立てしても始まらないと観念し、矩広はすべてを包み隠さず話した。すると意外にも綱吉はしたり顔で言った。
「そのナタレシという酋長はうまく使えるかもしれない。朱印を松前に与え、アイヌとの交易を独占すれば松前の財政は再建できようが、逆にアイヌは不利な取引条件で商うことを余儀なくされるので不満が高まるであろう。過去に何度かアイヌ族は結集して和人に蜂起した歴史があるが、今回も反乱を起こすかもしれない。まさにその時ナタレシを王政復古の旗印、正義の旗印にして彼らを鎮圧すれば松前の北進に絶大な効果がある。しかも実の息子を討つとなれば、その迫力も増しアイヌ族も震え上がるだろう。彼らの反乱を逆に利用して北進を確固たるものにできようぞ」
それを聞いて矩広は震え上がった。これほど冷徹、いや冷淡な心を持つ男だとは知らなかった。世界地図を俯瞰しながら明晰な頭脳を駆使し、人を徹底的に手足や道具のように使うところは、将軍の中の将軍と謳われた綱吉である。蝦夷地の南端で家臣を縦横に使いこなし、いっぱしの殿様ぶっていた自分は綱吉の前でただひれ伏すしかなかった。

「話はようわかった。幾つかの課題はあろうが松前の申し出を受けることとする。細部は三日以内に詰め、簡潔に報告せよ」
これだけ言うと綱吉は立ち上がった。するとあの襖が自動扉のように開き、そのまま出て行った。
矩広と内村は歓ぶ前に、一体何が起きたのかわからずぽかんとしていたが、側近から次回の打合せの段取りについて訊かれて初めて松前の提案が受け入れられことを実感した。これで松前藩は救われる。そしてナタレシを引き取ったことがこんなところで役に立ったことを望外の喜びとして西ノ丸の松を眺めながら矩広は快心の笑みを漏らした(続く)

第九話 さかずき

第九話 さかずき

1691年(元禄4年)、松前藩は念願の朱印を幕府から賦与された。この朱印を賜った藩だけがアイヌとの交易が許されることとなる。逆に言えばアイヌは松前藩以外の和人とは交易ができないことを意味する。朱印は当然のことながら松前藩に有利に働く。アイヌは交易品を以前のように例えば弘前藩の商人に持ち込んでも、弘前の商人はそれらの交易品を購入することが禁じられているので、アイヌは結局は松前藩に持ち込むしかない。朱印という独占交易権を得た松前は、アイヌの交易品を買い叩いた。昨年まではアイヌは松前藩の窮地に乗じて押買いなどを迫った復讐もあり、松前の逆襲は日ごとに熾烈さを増していった。朱印を賦与されて半年後、交易レートは一方的に従来の米2斗(1俵=30kg)=干鮭100本から米7升(1俵=10.5kg)=干鮭100本と変更されアイヌ側にとって極めて不利なものとなっていた。事実上、松前は言い値でアイヌの産物を手に入れることができるようになったのだ。したがってアイヌが餓死する一歩手前の値段を一方的に押し付け暴利を貪った。朱印という幕府の後ろ盾を得て、松前藩の財政も急速に回復していった。また、朱印のみならず幕府からは農作物栽培の技術援助などもあり、交易だけではなく稲作やトウモロコシ、大豆などの穀類も函館平野で育ちつつある。幕府としても松前藩の財政再建は喫緊の課題であった。北進させるだけの体力を早急に松前につけさせなければならない。

さて、東の根室のニタリ部落である。この部落では主に獣皮やニシン、ホッケなどの海産物を本土に持ち込んでいたのだが、松前藩が朱印を得て後は、本土の津軽藩や陸奥藩は交易を断ってきた。もしアイヌとの密貿易が幕府に知れれば、厳罰を食らうことは過去の歴史が物語っている。陸奥藩の商人たちは今では目を南の関東に向けて方向転換を図っている。
ニタリで週に一度開かれる市場では、次第に松前商人の傍若無人ぶりが目に余るようになってきた。松前の持ち込んだ和人の産物を法外な値で売りつけようとするので、アイヌは拝み倒すように幾らかでも値引いてくれるように懇願するのであるが、松前は決して譲歩しない。そして最後にこう言い放つのだった。
「今日は値引き価格で引き渡してやってもいいが、差額が払えるまでお前の子どもを預からせてもらう」。なんと子供を人質に取るというのだ。鬼や蛇でも考えつかないようなやり方に、アイヌ民族の怒りは次第に燃え上がっていった。
ニタリの若き酋長ウタレはこの由々しき事態を悲壮な思いで見つめている。このままではアイヌは松前の奴隷と化してしまうだろう。しかし自分と同じ危惧を抱いているアイヌ酋長は多くいるに違いない。一方で朱印を賦与されたということは江戸幕府が松前の支援をしていることは明らかである。松前藩と幕府が結託して、アイヌの弱体化を図り支配下に置くことによって、漸次北へ版図を広げようとする謀略が見え隠れする。松前を敵にすることは幕府とも対決することになり、ニタリのような一小部族だけで反乱を起こせるものではない。

ウタレは動いた。まずは蝦夷地のアイヌの人口と部族数を把握しなければならない。これまでアイヌ部族はそれぞれ生計を立てることに腐心していた。したがって蝦夷地の各地で同胞たちがどれくらいの人数を擁して活動しているかを纏まって把握している者はいなかった。己の現状を把握せずしては戦いにならない。ウタレは臣下たちの先頭に立って調査作業を開始した。文字を持たないアイヌ民族であったので、調査作業は思いのほか手間取ったが、近隣の各部族の惜しみない協力もあり、一か月後には概要を得た。それによると蝦夷地に居住するアイヌ人は約2万5千人、そのうち大半は胆振(いぶり)、日高、釧路、石狩の各地方に拠点を置いている。ニタリはその中では少数部落で約800名で構成されている。ウタレはこのうち渡島半島に近い石狩の部族と接触することにし、石狩のカムイ酋長に「至急面談を賜りたし」と書状を向けた。するとすぐに応諾の回答がウタレの手元に届いた。察するにカムイも松前藩の横暴に手を焼いていることが想像される。ウタレは返信を受け取るなり、腹心の臣下一人を連れて一路石狩に向かった。道中、釧路、日高や胆振などで生活するアイヌ族たちの話も聞いて回ったが、一様に松前に激しい恨みを抱いていることが分かった。中には娘を人質に取られたままで泣き寝入りしている憐れな一家もいる。ヤクザやチンピラでも思いつかないような極悪非道な松前のやり方にアイヌ族たちはかつてないほどに憤っている。まさに一触即発である。

石狩川の中流、平野の中央にカタンヘムというアイヌ部落がある。ここを拠点に蝦夷地最大の部族が居住していた。その歴史は古く、樺太や千島列島からアイヌの先祖たちが13世紀頃に蝦夷地に移住したのがこのカタンヘムである。爾来、豊かな石狩平野の恵みとともに人口は増え続け、江戸時代には蝦夷地最大の勢力を誇るまでになった。今ではカタンヘムは全アイヌ族の盟主的な存在である。
ウタレと腹心がこのカタンヘムに到着すると、すぐにカムイ酋長のもとに案内された。カムイは子息に恵まれなかったため還暦を過ぎた今でも酋長を務めているが、その分だけ経験は豊かである。また盟主としの自覚も強く、蝦夷地のアイヌを束ねるには最適も人物とかねがねウタレは崇拝していた。
カムイはニベツ(アイヌ語で集会所)という建物でウタレを待ち構えていた。出入り口は小さいが、内部は広く天井も高く造られている。壁からはカタンヘムの守護神として祀られるツキノワグマのはく製がガラス目を光らせながら下を睨んでいる。カムイは鷲のような鋭い目つきを隠そうともせず、ウタレに向かっていきなり言い放った。
「われら蜂起の時が来たようじゃの、ウタレ」
ウタレもたじろぎもせず大きく頷いた。道中に見聞した惨状は既にカムイの耳にも入っているはずだ。アイヌ族存亡を賭けた一大決戦になることはお互いに言わずとも分かっていた。
ウタレもカムイの決意に応じた。
「カムイ酋長、時機を逃してはなりませぬ。松前は日に日に肥え、アイヌはやせ細っております。一刻も早く蝦夷のアイヌを結集させねばなりませぬ」
カムイはすぐに応えた。
「実はな、そなたがその向きでカタンヘムに来ることは分かっておった。明日の朝、胆振(ラリス族)、日高(テミヌ族)、釧路(ラウス族)の酋長がここへ到着することになっておるのじゃ。皆の思いはそなたと同じ、早急に狼煙(のろし)を上げるということで一致しておる」
さすがに蝦夷を束ねる大酋長である。老齢といえども機敏に動き、その権勢は衰えていない。カムイの号令に即呼応した各部族酋長の決意のほども伝わってくる。豪快で鳴らしたウラレもカムイの前では小部族の長でしかないことを自覚した。

翌日、石狩川の河原で五酋長による最初の会議が行われた。それぞれの酋長はまず各部落を含めた近隣の現況について報告し合った。話題の焦点は当然のことながら松前からの経済的圧迫、横暴である。朱印を突き付けられ、酷い商いを松前から強要されていることはすべてのアイヌ部族に共通した怨念であった。そして五酋長は今こそ蜂起すべきであると誓い合った。カムイは厳かに宣言した。
「これより蝦夷全域のアイヌ族に蜂起を呼び掛けることとする。ワシの見るところ、我らを含め二十の部族は呼応するはずだ。軍勢にすればおよそ二千名となろう。まずはこのカタンヘムにその軍勢を整えることだ。ここに今日集結した酋長は、ご苦労だがそれぞれの地元に戻って、近辺の部落に決起を促してもらいたい。そして呼応した軍勢を引き連れ、十日後にまたここへ戻って来てもらいたい」
遂に反乱の狼煙が上がった。武器や火器類で劣るアイヌが松前に勝てるかどうかは分からない。しかし蜂起を躊躇していれば、いずれシャモの奴隷となる。誇り高き血を受け継ぐアイヌ族は隷属より死を選ぶ民族である。必勝をアイヌの守護神に祈願し、五酋長の間で盃が交わされた。

さてここは松前城の奥座敷である。蝋燭の灯る暗い部屋で矩広が一人の斥候の報告に耳を傾けている。その横にはウタレの父親、ナタレシも陪席している。
「ふむ、遂にアイヌも痺れを切らしたようじゃ。蜂起の決定は意外と早かった。これで奴らも飛んで火に入る何とかじゃのう」
矩広は静かに笑っている。松前藩の術中にまんまとはまってくれるアイヌに感謝の念さえ湧いてくる。矩広とてアイヌに敵意や悪意を抱いているわけではない。しかしまずは御身、御藩大切、アイヌに犠牲になってもらい和人の勢力拡大に寄与してもらうしかない。少数民族とは所詮はそういう命運にあるのだ。
「さて、ナタレシよ。そちの息子のウタレも参戦するようじゃが、息子を討ち取る絶好の機会が訪れたようだ。ニタリ軍との対決にはそちを当ててもよいが、どうじゃな?」
ナタレシは即座に答えた。
「有難き幸せ。ぜひとも私にその役をお与えくだされ」
半年前に武力でニタリ部落を追い出されたナタレシは、息子を討つことだけを生き甲斐に松前城で生き延びていた。宿願を果たす機会が来たのだ。
矩広は畳み掛けるように言った。
「実はな、江戸の綱吉将軍と話をしたときにそちの名前が出たのじゃ。将軍はそちに大きく期待しておるようだ。何しろアイヌの酋長が息子を逆賊として討伐するのだからな。松前兵たちの士気も上がろう。アイヌ連合軍もナタレシが松前軍の一大将と分かれば、早速寝返り者がアイヌから出たと足踏みするにちがいない。そちの存在が役に立つのよ」

ナタレシはすっかり反アイヌの旗印にされてしまっている。ナタレシは今まで息子を憎み、討ち取ることで積年の怨念を腫らすことができる、そしてそれはニタリの部落民のためだと信じてきた。ところが今のニタリは幕府を後ろ盾とした松前藩に殲滅される寸前である。おそらく松前軍に敗北し首謀者の一人としてウタレの首は討たれるであろう。その役目もナタレシは仰せつかっている。しかしその後、ニタリは自分の時代のように幸福な部落に戻れるだろうか。否、松前に隷属することとなり屈辱的な時代が訪れよう。これまでは息子への怨念だけで生きてきたナタレシであったが、我に返り冷静に考え始めると、激情に身を任せ松前藩に亡命したことが大きな過ちであったことに、やっと気がついた。しかし時すでに遅し、松前軍を率いて北進しウタレと相討ちする運命となっていたのだ(続く)

最終話 簪(かんざし)

最終話 簪(かんざし)


1691年(元禄4年)初冬の朝、蝦夷各地から集結した約二千名のアイヌの軍勢が石狩平野を望むカタンヘムの丘麓で一斉に鬨の声を上げた。アイヌの兵士たちは死を恐れぬ勇敢さでこれまでも和人を脅かしてきた。弓の扱いも和人に引けを取らない。幼いころから訓練された弓術は、遠方の小さな獲物であっても一発で腹を打ち抜く技量を誰もが持っている。また彼らは「鷹の目」と和人から恐れられる遠目が利いた。そして夜陰に潜みながら僅かな星明りで部隊を動かすことができる機動力を持っている。しかし一方で、アイヌは鉄砲を所有していない。種子島に16世紀にポルトガルから持ち込まれて以来、信長、秀吉、そして家康らの合戦では主役となっていた。鉄砲による殺傷力は弓矢の比ではない。いくら勇敢なアイヌ軍でも鉄砲隊の前に壊滅するに違いないと矩広らは軽く見ていた。この油断が後に大きく響いてくる。

アイヌ軍の総大将はカムイ酋長である。その指揮下に蜂起に呼応した二十の部族が配置された。松前の軍勢もおそらく同数くらいであろう。矩広は鉄砲隊を送り込み、アイヌを急襲し殲滅させる作戦に出てくるとカムイは睨んでいる。渡島半島南部の函館平野までおびき寄せて、松前城へ西進するところでアイヌ軍を鉄砲隊で囲ませる戦法だと想像している。
「皆の酋長に申し伝える。我々は決して函館平野に近寄ってはならぬ。ここに入れば我らは奈落の底に落ち全滅じゃ。石狩から渡島半島の西海岸沿いに山道を伝わって南下する。シャモの主力部隊はおそらく函館平野で待ち伏せしているであろう。敵を欺くには険しい山道を南下するしかない。」
各アイヌの酋長たちも同じ考えであった。鉄砲の威力は彼らも分かっている。真っ向勝負では負ける。夜陰に乗じて松前城を奇襲するしか勝利の道はない。黒子を纏った二千名の兵士たちは、アイヌの守護神ハナスに祈りを捧げ、カムイを先頭に遂に松前城に向かって歩み始めた。

石狩を出発した軍団は、そのまま海岸沿いに歩を進め積丹半島で休止した。ウタレの強い憤りが石狩のカムイを動かし、蝦夷の酋長がそれに呼応して蜂起した。自ら呼びかけた蜂起ではあるが、ウタレはアイヌに分が悪いと思っている。アイヌ側の士気は高く、地の利を生かした戦いに持ち込めば引き分けにできる可能性はある。しかし今回の戦いは敵側に幕府が控えている。幕府が号令すれば本土の弘前藩や陸奥藩も加勢してくるだろう。それに長期戦となれば兵糧でアイヌは不利である。しかしだからと言って黙って松前の横暴を黙って見ているわけにはいかないのだ。この思いは全アイヌ民族で共有されている。
積丹半島には神威岬(カムイミサキ)がある。全方向から強い風を受けながら、ウタリは深い碧さに厳粛な神を感じた。ウタレの心は静かであった。一年前にニタリでクーデターを起こして酋長である父を追放したことを思い返している。当時、自分のやり方に悉く邪魔をしてくる父親はもはや老害だと信じた。若く機動力もある自分が酋長になるべきだと信じて疑わなかった。実際、クーデターは自分だけの発案ではなかった。臣下の中にはナタレシ殺害をも仄めかす者までいた。
父は直後に亡命した。松前藩に身を寄せていることは斥候の報告ですぐに知れた。松前藩が父を匿っている魂胆もおおよそ見当はついている。今回のアイヌとの戦は蝦夷全域を支配下に置こうとする松前と幕府の方便なのである。しかもその松前の軍勢には父親が松前の御旗を振って北進してくるに違いない。そして憎き息子のウタレを討ちにくるに違いあるまい。戦に私情など挟む余地など最初からない。しかし父と息子が合戦で敵味方になり、槍を交えるなどということに、何か意味があるのだろうか。いつからわれわれ親子は殺し合いをするまでに憎悪し合い始めたのか。

碧い海は波を半島の岩に静かにぶつかり、しぶきを上げている。万一、父と一騎打ちになればウタレは勝つ自信はある。しかし今はそれを避けたいという気持ちになっている。松前には勝たなければならないが、父を討ちたいとは思っていない。この矛盾した気持ちは言い表しにくい。土壇場に来て生まれて初めて肉親の情が湧いてきたのだろうか。

アイヌ軍は雷電山、大平山の麓を伝わりながら静かに進軍した。今のところ松前軍の気配は感じられない。カムイ大酋長の予言通り、彼らの主力は函館平野に集結しているとの斥候からの報告であった。「このまま函館平野から動かないで欲しい」、アイヌ軍の大将から一兵卒まで強く願った。鉄砲隊さえ出て来なければ、松前城を落すことはそれほど困難ではない。奇襲はアイヌのお家芸である。
とうとう江差まで到着した、もう松前城まで半日の距離である。アイヌ軍勢は武者震いをしながらカムイ酋長の最後の檄を聞いた。
「われらがアイヌの守護神ハナスのおかげで、ついに松前の牙城目前まで無事に到着した。斥候の報告では鉄砲隊は今、函館平野に集結して動かないとのことである。今夜半、我らは一挙に松前城に攻め入る。そして必ずや矩広の首を討ち取り、松前藩の暴政を知らしめてやることとする。よいか、狙いは矩広の首だ。女や子供に手出しは厳禁とする。また、投降した者の命を奪ってはならぬ。」
これは聖戦である。無用な殺りくは厳に慎むべしというアイヌの伝統的な軍規が兵士たちの襟を正した。聖戦で死ぬことは男たちの誇りでもある。松前が最も恐れているアイヌ軍人魂である。まさにその時、斥候が一人飛び込んできた。なにやら早口でカムイに申し伝えている。カムイは時々頷きながら目を閉じていたがやがて重い口を開いた。
「松前軍は、ワシらの動きを察知しおったようだ。鉄砲隊は函館を今朝出発し、昼頃には古木内に到着したということじゃ。この分で西進すれば今夕にも松前城に戻れてしまう。これよりアイヌ全軍は直ちに南下し鉄砲隊の来る前に松前城を包囲する。よいか、全速力で進め!」
これまでアイヌ軍は黒子を纏い、出来るだけ目立たぬように行軍してきたつもりだが、二千もの大軍ゆえに相手側の察知されるところになってしまったのだ。こうなればどちらが早く松前城に到着するかが勝負の分かれ目になる。アイヌ軍は隠れながらの山腹路の行軍はもはや意味がないので、ひたすら海岸線を走った。上の国の関所にはもはや誰もいなかった。番人たちも松前軍に加わるべく城に戻ったものと見える。夕陽が西の海に沈みかかる頃、アイヌ全軍は松前城を望める近くの丘に陣を張った。まずは鉄砲隊が城に到着しているかどうかを確かめなければならない。すぐさま二人の斥候が飛んで行った。そして戻って来るなり、「既に城内を固めている」との知らせを受けた。

カムイは酋長を集めた。「攻め入るべし」という意見と「退却すべし」という意見に分かれた。カムイは考えた。鉄砲隊が守るハリネズミのような城内に攻め入ることは自滅行為であろう。しかしここで退却すれば戦わずして松前藩の勝利に終わる。一方で松前もこの絶好の機会にアイヌを殲滅させ、蝦夷地での覇権を確立したいと考えているはずだ。この丘で陣を張っていれば、いずれ彼らは丘を目指して進軍してくるに違いない。そこで乾坤一擲の勝負に出ればアイヌ側の勝機があるかもしれない。
「皆の者、ここで陣を張り時機を待つこととする。松前は必ずや城外に出てくるはず、いやこちらから誘き出すのじゃ。それについてはワシにも考えがある」
アイヌの得意技は夜襲である。しかし城内で戦っては分が悪いので、オトリの部隊を日没後に城に近づかせ、退却すると見せかけ鉄砲隊を門外に出してアイヌの丘陣地付近までおびき寄せるという作戦である。
「ウタレよ、そのオトリ役のそちがなってはくれまいか。駆動力に一番秀でているのはニタリじゃ。もちろん危険は伴うが、そちしかできぬ役だからのう」
ウタレは躊躇なく応えた。
「承知つかまりました。手勢200名を率いて今夜突入致しまする」
生きるか死ぬか、ウタレにも分からない。しかしここで松前藩の鉄砲玉に倒れても悔いはない。彼に従う兵士も同じ思いであった。
「ウタレよ、もしお前が死んだらワシらも死ぬ。全員突撃命令を下す覚悟じゃ。頼んだぞ」

ニタリの軍勢が松前城に向かっている。三日月と星明りがかすかに城の姿を映している。夜陰に紛れて奇襲するには絶好の気象である。黒子を身にまとった兵士たちは音も立てずに城壁下に集結した。そしてそれぞれ手に持った松明を城内に投げ込んだ。アイヌの奇襲を察知した城内からはけたたましい太鼓の音が鳴り響き、間もなく大正門が開けられ松前の鉄砲隊がどっと外へ流れ出た。ウタレは敵を十分引き寄せてから全員退却を命じた。これはアイヌ側の作戦ではあったが、意気盛んな松前兵士は逃がすものかと、全速力で追ってくる。ニタリ軍との間は四町(約400メートル)、鉄砲玉の有効距離外であるのでまだ撃ってこない。
ウタレは後ろを振り返ると、松前の大軍がどんどん押し寄せてくる。しめた、カムイの作戦が大当たりした。もうあとちょっとでアイヌの陣営に到着する。彼らは今頃弓矢を引きながら、手ぐすね引いて松前軍の来襲を待っている。
ニタリ部隊は陣地の丘を一気に駆け上り、頂上に辿り着くや否や左右に転げ落ちた。下から追ってくる松前軍は頂上で突然消えたアイヌたちの行方を訝しながらも、そのまま駆け上ったが、そこには誰もいなかった。キツネにでもつまされたような気分で月明かりの丘に目を凝らすが人っ子一人見当たらない。そのうち後続部隊が同様に駆け上ってくるが事態は変わらない。
「変だ。確かにこの辺りにやつらは逃げ込んだはずなんだが…」
すると突然、空気を切る鋭い矢の音がし始めた。丘の下斜面から無数の矢が飛んできたのだ。松前軍は弓の的となってしまったのだ。しかも木々で覆われた斜面からは射手の姿は見えない。丘の上でただ弓矢に射られるだけの悲惨な有様である。
「敵は斜面に隠れている。撃て、撃ちまくれ!」
敵将の号令も虚しく鉄砲玉は木々をかすめるだけである。このままではアイヌの餌食になると判断した敵将は、直ちに退却を命じた。
「退けえ。この場はひとまず退却じゃ」
丘から松前軍は退却し始めたが、アイヌ軍は追いながら弓を放ち続けた。背中に矢を受け、バタバタと倒れてゆく。松前の恐れていたアイヌの夜陰の弓攻撃、カムイの術中にはまってしまった。半数以上の兵を失った松前軍は、城の中に敗走し固く門を閉めた。

松前軍にとって痛恨の初戦敗退であった。しかしここで反撃に出なければ盟友幕府との関係が崩れることになる。アイヌを武力で鎮圧し北進しなければ朱印を賜った意義は失われる。しかし相手は蝦夷を知り尽くしたアイヌ族、鉄砲だけで鎮圧できると思った自分が甘かったと矩広は焦った。そしてある一人のアイヌ人を思いついた、ナタレシのことである。
矩広は臣下たちには内密に、一人ナタレシだけを肌寒い中庭の縁側に呼んだ。東の夜空には昨日と同じ三日月が松林の間に輝いている、合戦のあった翌日とは思えないような静かな夜である。庭に積もった雪が仄かに白く光っているのが少し無気味だ。
「ナタレシよ、そちの息子は相当のやり手だな。それにカムイとかいう酋長も敵ながら天晴れじゃわ。ああいう奇襲作戦はアイヌのお家芸、それを知っていて進軍させて我が軍勢に大きな痛手を負わせてしまったのはワシの責任じゃ。しかし反省ばかりしていても始まらぬわ。何とか反撃したいところじゃ。そこでな、そちに一役買って欲しいのじゃが」
ナタレシは矩広からの命令であれば何でも受け入れるつもりである。もう自分はアイヌではなく松前なのだから、先陣を切って進軍する覚悟を決めた。息子と斬り合うことは宿命であると思った。
「矩広殿、なんなりとお申し付けくだされ」
矩広は一呼吸置き、三日月の方角を見ながら話し始めた。
「そちに和睦状をカムイに届けてほしいのじゃ。そちとカムイは昵懇の仲であると聞いている。アイヌのそちが届けるのであれば、カムイたちの態度も軟化するであろう。しかしな、ここからが大事なところじゃ。ワシは和睦するつもりなど毛頭ない。そちも知っての通り、将軍綱吉との密約があるからな。そこでじゃ、カムイに和睦状を手渡す瞬間にその場でカムイを殺してしまうのじゃよ。エシカに贈ったあの簪(かんざし)に毒を塗り、カムイの首に突き刺すのじゃ。もちろんその場でそちは捉えられ斬り殺されるだろう。しかしカムイが死ねばアイヌ軍の損失は計り知れない。どうだ、やってくれるか」
正直に言ってナタレシは動揺した。まさか密使を装って敵将を謀殺するなど考えてもみなかったからだ。命などは惜しくない、しかし永年の盟友カムイを自分の手にかけるとは思ってもいなかった。
ナタレシも同じ三日月を見ながらきっぱりと言った。
「承りました。必ずや仕留めます。それで老い先短い私が松前の役に立つなら本望でござる。」
矩広はその答えを当然のように聞き流した。
「エシカやアイヌの家臣たちのことは心配するな。松前で最後まで面倒を見るからな」
二人はあの白い三日月を眺めている。いつまでも沈黙が流れた。

翌朝、ナタレシはエシカから簪を受け取った。もちろん昨夜の謀議は極秘なので妻であるエシカにも話さなかった。しかし今日で長年連れ添った妻との永遠の別れとなることから、エシカに何かしら感謝の言葉をかけたかった。
「エシカよ、お前と連れ添っては何年になるかのう。ワシはな、お前という伴侶がいたからこそ曲がりなりにも酋長が務まった。病弱だったにもかかわらずよくやってくれた。礼を言うわ」
エシカは思いもかけないナタレシの温かい言葉に敏感に反応した。
「これからその簪を持ってどちらへいらっしゃるのですか。簪など持ち歩くなど奇妙です」
「いや、ちょっと近場を散歩がてら偵察してくるまでよ。簪もたまには男の髪に刺すのも粋なものぞ。ほら、こうしての」
ナタレシはおどけて簪を濃い頭髪に刺して笑った。明らかに夫の様子が変だ。
「あなたが死ぬなら私も死ぬ覚悟です。それだけはお忘れなきように」
エシカの目はナタレシを突き刺すアイヌ女の目に変わっていた。さすがのナタレシも怯んだが、すぐに普段の表情に戻って言った。
「それでは散歩に出てくる」
エシカは黙ったままその後ろ姿を見送った。

簪にはハブの猛毒が塗られた。この毒が刺されば、ほぼ数秒後には息絶えるほどの強さである。古来より蛇の毒による暗殺は行われており、また伊賀忍者たちも敵に包囲された場合は自らの命を断つものとして用いた。
ナタレシは小雪の舞う道をアイヌの陣営に向かってひたすら歩いた。頭にはあの簪が刺してあるが、毛髪に隠れて見えないようにしてある。やがて陣営のかがり火が見えてきた。百戦錬磨のナタレシもこれから起きることを思うと足がすくんだ。かがり火が並んだ小道を進むと本陣のテントが張ってあった、かつての盟友はここでナタレシを待っているはずだ。テント内に通されるなりカムイは大きな声で歓待した。
「ナタレシよ、よう来てくれた。お前が来たと言うことは用件の察しがつくぞ。寒かっただろう。まずは火に当たって羊酒でも飲め」
ナタレシは硬い表情が崩れない。まさか自分の頭髪に隠した簪で目の前にいるカムイを殺害するなどと、テント内の誰もが思っていないはずだ。ふと斜め前を見るとウタレが控えていた。彼だけは何やら警戒するような目をしている。天性の勘が働いているのかもしれない。
「カムイ大酋長、一応ナタレシ殿の持ち物を改めてはいかがでしょう。いや、万一ということで他意はござらぬが」
ウタレは進言したが、カムイは取り上げなかった。
「何を言うか、ウタレ。この大事な話し合いの時に改めるなどと、松前に失敬ではないか」
それを聞き、ナタレシはますます顔を強張らせた。カムイを裏切り松前の為に働く自分とは何か。しかしもう戻れない。
「カムイよ、久しぶりだな。今日は察しの通り松前からの和睦状を持参したわい。これがそれじゃ」
ナタレシは畏まって書状を直接カムイに渡した。カムイは黙って目を通していたが、やがて、
「うむ、これまでの交換比率を緩めるのならばこちらも考えようがある。まずは話し合いじゃのう」
カムイは期待通りの和睦状を手にして、ナタレシに微笑みかけた。その時、ナタレシはもう一言だけ付け加えた。
「松前はもうひとつ重要なことをカムイに伝えよ、との仰せじゃ」
「ん?何だその重要な事とは」
「これはカムイの耳にだけ入れろ、ということなので、すまんがワシの口元にそちの耳を近づけてくれぬか」
カムイは怪訝な顔をしながらも前に乗り出し左耳をナタレシの口元に近づけた。
「悪いがカムイには死んでもらえ、との仰せじゃ」
その直後、ナタレシは素早く簪を右手でもぎ取り、カムイの左首筋に突き刺した。カムイは一瞬あっという声を上げたが、ほぼ即死であった。

ウタレがナタレシに飛びかかり、組み伏せた。ナタレシは抵抗せずそのまま動かなかった。
「ウタレよ、ワシの首をこの場で刎ねてくれ。男子の本懐じゃ」
ナタレシは静かに顔を床に向けたままで呟いた。抵抗しないと分かると縄で縛られることもなく、ナタレシはテントの外のかがり火の前に引き出された。早朝は小雪であったが、今は強く降り始めている。かがり火も横風で音を立てて靡いている。ナタレシは小道の真ん中で正座をして正面をみつめている。そして澄み切った目で正面に立つウタレに言った。
「ワシら親子はこれまで憎悪だけを生き甲斐に生きてきた。それが故にワシはお前に追放され松前に身を寄せ、お前を討つ機会を窺ってきた。立場が逆になってしまいワシがお前に討たれることになったが、ワシに悔いはない。これでやっと親子の確執に決着がつくのだからな。最後の最後で分かった。ワシはやはりアイヌの男、松前の手先になった自分を恥じている。その恥をウタレ、お前の手で雪いでくれ。そして必ずや松前との戦いに勝利してくれ。カムイとワシは天で見届けておるぞ」
ウタレはじっと父の最後の告白を聞いていた。ナタレシの告白が終わるとアイヌの一人がジェラヌという大酋長の太刀をウタレに渡した。ナタレシは目を閉じて黙っている。
「父上、ワタシもいま初めて父上の本当の心を知りました。あのニタリ部落でもう一度やり直せればどんなにか幸せでしょう。何かの歯車が噛みあわなかったのです。しかし父上はアイヌにとって謀反人となってしまいました。成敗するのは息子の役目かもしれません。それでは父上、さらばでござる」
ウタレはジェラヌを振り上げ、そのまま真横に回すとナタレシの首は音も立てずに飛んだ。すべては終わったと皆は思ったその瞬間、ウタレは隠し持っていたあの猛毒の簪を自分の首に突き刺した。
周りの者は驚いて近寄ったが、ウタレは
「父上、まもなく私も参りまする」とだけ言って息絶えた。

カムイ、ナタレシ、ウタレの遺体はアイヌの様式で手厚く葬られた。三人の死を聞きつけた矩広はしばし休戦としアイヌの英雄を弔った。

翌年、松前藩とアイヌとの戦争は松前藩の勝利で終わった。ただしアイヌ側の反発を招かないように交換比率は緩和された。しかしこの戦いを境にアイヌの勢力は次第に弱まり、松前藩による蝦夷支配の端緒となったことは確かであろう。こうしてアイヌ人は徐々に駆逐されてゆき、明治2年には蝦夷地は北海道と改称されアイヌ人たちも日本人として組み入れられる運命となった(終わり)。

相克

相克

  • 小説
  • 中編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-11-14

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自由に複製、改変・翻案、配布することが出来ます。

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  1. 第一話 ウタレ
  2. 第二話 部族
  3. 第三話 火の神「アペフチカムイ」
  4. 第四話 ハモテ
  5. 第五話 松前矩広
  6. 第六話 ナタレシ
  7. 第七話 松前城
  8. 第八話 綱吉
  9. 第九話 さかずき
  10. 最終話 簪(かんざし)