憑くね、君に。
走るのが楽しい。ついでに観光スポットも巡ろう。でも、何かが違った。大いに違っていた。
大好きなマラソンで観光スポットを巡ってはいたが・・・。
私の名前は唯井聞(ただい もん)。年齢は31歳、性別は男、職業は店頭販売員。
結婚経験は無い。唯一の趣味は”走る事”であった。
でも、あの事が起きてから走る事はやめたのだ。
私は19歳でこの函館にやって来た。
住むなりすぐ、函館朝市の海産物のお店に勤めた。それからと言うもの、もう13年目になる。
最初の頃は店頭販売も面白かったが、最近では観光客をだます事にも嫌気がさしてきた。
”よし、走ろう!”
と、思い立ったのが3年前。
ちょうど、仕事に対して”ストレス”を感じ始めた頃だと思う。
そんな理由から、仕事が終わった夕刻からお気に入りの藍色のジョギングスーツに身を包み、たっぷり汗をかいてから家路に着くというのが日課になった。
こじんまりとしたこの街は観光スポットがひしめき合っており、走っていても飽きない。
中でも”西部地区”には夜景で有名な、かの”函館山”があり、著名なカレー屋やラーメン店があり、二十軒坂などの”坂”が並んであり、外人墓地、啄木一族の墓、碧血碑・・・など挙げればきりがない。
ハンバーガーが食べたい、などとはピエロのモチーフの店の前を通るたびに感じていた。
だが、走って気持ちが良いのはやはりロケーション抜群の啄木一族の墓の横を通り抜けて立待岬、碧血碑から函館山のすそを抜けるコースであろう。
ある暑い夏の日の日暮れ、私はいつもの様に立待岬に向かって走っていた。
”う~ん、誰かが私を見てる?”
と、ふと、感じて走りながら後ろを振り返った。
誰もいなかった。
(・・・・・・・・・・)
考えてみれば薄曇りの墓地の中を走っているのだ。妙な感じがしてもおかしくは無い。
気の迷いだと言い聞かせても、墓地を通り過ぎるまで何度も振り返った。
墓地を越えると眼下に見えるのは立待岬の駐車場である。
岬の先は断崖絶壁になっており、聞くところによるとつい最近までは自殺の名所だったらしい。
なのでその岬まで降りる事はせずに右の道に入る。
その道は函館山のすそを函館山の中心に延びている道だ。
少々のアップダウンを繰り返すと左手に車両通行止めの脇道がある。
その脇道を進むと途中に、碧血碑が現れる。岩の様に大きい碑に”碧血碑”と文字が刻まれている。
碧血碑とは、戊辰の役で維新軍に敗れた旧幕府軍の墓だ。
官軍、つまり維新軍の墓が函館山の入口にあるのに比べ、函館山の隅の方にひっそりと佇み賊軍とみなされた旧幕府軍の墓があるのは対照的だ。
この碧血碑の地面からたった20センチ下からは200体程度の骸骨がゴロゴロ埋まっていると言ったのは誰あろう一時名を馳せたあの”G愛子さん”である。
オフレコの話しだったそうなので、余計に説得力があったのを覚えている。
そのすぐ脇をくぐり抜け山道を横断するとやがて函館山登山道入り口に到達する。
その函館山、地元の人はこんな事を言っていた。
”昔はよく、動物の死骸を捨てに行った”と。
山中を走っているとたまに、大きな木の下なんぞに花束が添えられている時もある。
そんな時は”オイオイ・・・”と思うのたが、どうであれこのコースはよく利用した。
でもよくよく考えるとこのコース、確かに観光ルートではあるが言い換えるとこうも言える。
”心霊スポットコース”
次の日私は魚屋さんに立ち寄った。
店主が一人でやってる小さな店であるが、何より鮮度がいい。
だが、店が閉まっている事がほとんどである。。
理由は簡単で、
”魚が無い”
のだそうである。
営業時間もまちまちで、鮮魚にありつける事はおろか店内に入った事すら滅多にない。
そんなふうであるから、その日は幸運だった。
「こんにちは~」
私は久しぶりのお刺身を予感した。
『おっ、毎度さん・・・相変わらず、マラソンかい・・・』
店主は細くて長い包丁で何やら魚を捌いている模様だった。
「ええ、そうです、マラソンです。・・・あの、お刺身が食べたいのですが、何がありますか?」
と私が訊ねると店主は大きな声でこう答えた。
『もちろんあるよ、ほら、ヒラメ入ったよ、ヒラメ、安くしとくよ、ところで・・・』
「ところで、なんですか?」
私はヒラメを覗き込みながら店主に聞き返した。すると店主は包丁を自分の左手の親指の爪にあてた。
『昨日、おにいちゃんを見かけたんだけど、あれだな、大勢で走ってんだなぁ』
「えっ・・・」
店主は何か勘違いをしているらしかった。私は大勢で走った事は過去に一度も無いのだ。
「何かの間違いですよ、私はいつも一人でしか走りませんよ」
店主は爪にあてた包丁をスッと横に滑らせた。
『いや、確かにおにいちゃんだったな。昨日の夜8時半頃花屋の前を通ったろ?』
「は、はい、確かにそこは通りましたが、・・・本当に私でしたか?」
『カッコも今のそのまんまだったぞ。先頭を走ってる姿がカッコいがったなぁ・・・』
「先頭って・・・、やっぱり私じゃないと思いますがねぇ・・・」
明らかな人違いなのだが、こうゆうタイプの人は頑固だから一度言ったら後には退かないのが常だ。
私の目的は鮮度のいいお魚を買いに来た、ただそれだけであるから適当に話しを合わせてこの場を切り抜けようと考えた。
「あっ、いや、そうだったかも、いや、そうだ、その通りだ、忘れてた、あははは、ごめんなさい、そうだった・・・」
私はわざとらしく頭を掻いた。
すると店主はしたり顔で、
『んだべぇ、おじさんはまだボケてねえがらな、何てったっておにいちゃんが花屋のそばの電柱に立小便したのは間違いねえべ?』
(あれ、当たってる・・・)
一瞬寒気がした。
『んでもって花屋の自動販売機でジュース買ってたべ?』
「そ、そこまで見てたんですか?」(当たってる・・・)
『そりゃそうだよおめぇ、あんなひと気の無いとこであんなに大勢でウロウロしてたらつい目に入ってまうべ』
(だからあのね、大勢ってのは違う・・・)
『ま、立小便した事は誰にも言わねえっから、な・・・』
店主はにやけ顔になっていた。
『いや、実はな、おじさんが見た訳じゃないんだよ』
(やっぱりこの人は嘘をついていた。全く何が楽しいんだろう、困ったものだ・・・)
『あのな、実のところおにいちゃんを見てたのはその花屋のばあさんなんだよ』
「えっ・・・・・」
店主は話しを続けた。
『そのばあさんが言うにはだぞ、毎日のように店の前を走る集団は何者ぞ、と、一度拝んでみたくなって昨日は店の中でカーテンの隙間からのぞいていたらしいんだってよ。するとそこにおにいちゃんが現れて、その後を追う様に20人位の昔の人達が・・・』
20人とは随分と大勢である。
私は虚言癖のある店主に訊ねた。
「昔の人って、何ですか?それに毎日って・・・」
店主は包丁を馬鹿デカイまな板の上に置いた。
『昔ってのはよ、つまり、なんだ、あれだ、和服姿の男性とか、兵隊さんのカッコだとか、女郎さんだとか、そんな事言ってたな』
それが本当ならば完璧に仮装行列である。
『でもな、おにいちゃん・・・』
店主はちょっと真面目な顔をした。
『でもなおにいちゃん、世の中には不思議な事ってあるかもしれねえな・・・』
店主はその神妙な目線を私からまな板の上のヒラメに移し替えた。
「は、はぁ・・・」
私は一人前の”ヒラメの刺身”をバックパックにねじ込み、魚屋を後にした。
一週間後、私はまたあの魚屋に向かった。
もちろんジョギングの帰りである。
店の前までたどり着くとガラスの引き戸に張り紙がしてあった。
するとその紙には驚くべき事が書かれてあった。
”店主急逝の為閉店 ~長い間の御愛好・・・”
(何と言う事だ!あんなに元気だった店主が亡くなった・・・)
その紙に葬儀日程が書かれてあった。
どうやら葬儀が行われたのは10日前の事だった。
(はひ?計算がおかしい)
私は少々気が動転していたのかもしれない。
辺りはすっかり暗くなっていたが、ふと、その足であの花屋に行ってみた、すると・・・、
そこに花屋はなかった。
あるのは例の電柱。
よく見るとその電柱の足元には花が添えられていた。
「な、何!気味が悪い・・・」
思わず声に出した。
するとその時誰かが私の肩を”ポンポン”と叩いた。
(だ、誰?)
恐る恐る振り向いたそこにはあの”店主”が立っていた。
(嘘だろ・・・)
こわばる私に向かって店主は静かに口を開いた。
『な?不思議な事ってあるだろう・・・ほら・・・』
店主が顎をしゃくった。
私は店主がしゃくったその先にゆっくりと視線を落とした。
そこには、老婆の姿が。
(お、驚かさないでくれ、お願いだよ・・・)
その老婆は真っ暗闇な中、電柱に向かってしゃがみ込んでいる。
正直泣きそうなくらい恐ろしかったが、それでも私は老婆を窺った。
背中越しではあったがどうやら何かに向かって手を合わせているようだった。
その老婆とは恐らく花屋のおばあさん。―――――
その老婆が手を合わせる先には添えられた花々。
その暗闇の中の花々の中にうっすらと小さな写真立てが見えた。
(まさか遺影・・・誰・・・気味が悪い・・・えっ!?・・・)
写真の人物が見えた。
それは紛れもなく、
(あっ、藍色のジョギングスーツ・・・・・)
・・・私だった。
終わり
憑くね、君に。
昔、マラソンをしていた(ジョギング程度の軽いものではあったが)。走りながら色々な事を考えていた。
考える内容によっては走るスピードがかなり違った。
物語の展開が順調だと早く走れた、様な気がした・・・。