あなたにぜんぶあげる
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本日、8月31日、初音ミク誕生から5周年を迎えるとの事で、
「おめでとう」の気持ちと共に、何か一種の感慨深さも感じています。
ヤマハの音声合成技術、vocaloid2エンジンを使用したヴァーチャルネットアイドル『初音ミク』。
リリース直後はそれこそ新し物好きのおもちゃといった感じでしたが、
ニコニコ動画にユーザーオリジナルの楽曲が投稿され始めると、
徐々に話題となり、楽曲の製作者を増やして来たのでした。
忍耐強さを求められる調整を重ねに重ね、それでも完全には消すことのできない、
まるでロボットのような不自然で不器用な歌い方。
しかし、そこに一生懸命な、健気な姿を感じ、「姿を感じる」とは妙な表現ですが、
ともかくそれが思いのほか感情を揺さぶる・・・感動出来る。
自分の中に新しい感性が生まれたような、そんな衝撃を与えてくれたのです。
特に初期の名曲達は、初音ミクの、そしてボーカロイドの普及に大きな貢献を果たしたと言えます。
今では、単なる「シンセサイザー」という扱いを超えて、一つの人格をも有したと言って過言無い・・・
いや、肉体を持たないという特性上、それを超えた存在と表現しても良いのかもしれません。
要するに「神」のような「何か」であると。
まぁもっとも、ファンの間では「天使」という呼び名のほうが親しいようですが。
その後も成長を続け、多くの派生ボーカロイドを生み、新たなファンを獲得し、
あらゆるメディアに進出を果たし、ついには現実の世界に舞い降りてコンサートをもやってのけたのです!
それも日本だけはなく海外でも!
多くのファン達、-楽曲・映像・イメージアート・小説・漫画などの製作者、
そしてそれらを消費する人々-、を惹きつけ増やし続けるボーカロイド。
そのムーブメントは、今では製作者の過多やファンの好みの細分化で、飽和状態とも言えるまで成長を続けています。
さて、ミクを「お迎え」(購入する事をそう呼ぶ)した人は、何に惹かれてそうしたのでしょうか?
曲を聴いて自分も作りたくなったから?
ずっと歌モノを作りたかったDTMファンでしょうか?
あるいはなんとなく流行っているから?
ミクの可愛らしさに惹かれて?
色々とあるでしょう。どれも理解できる理由ばかりです。
かく言う僕は、ニコニコで曲を聴いて「勘違い」したクチです。
ミクさえあれば、自分にも人を感動させる曲が作れる!
そしてニコニコ動画に投稿すれば、多くの人が聴いて反応を返してくれる!
上手く高い評価を貰えれば有名になれる!!
もちろんそう簡単なものではありませんでした。
MIDIキーボードからDAWまで一通り作曲に必要な道具を揃えたものの、
作曲のイロハやセンスまで手に入った訳ではありません。
立ち上げたDAWを前に、ただ呆然とするだけでした。
一気に興奮が醒め、機材一式はしばらくの間押入れの肥しとなるのでした。
ミクのパッケージを見る度に、なんとなく申し訳ない気分に包まれて
心の中で「御免なさい」と、幾度となく呟いたものでした。
そんな、情けないやら悲しいやら、悶々とした気分を抱えて過ごす日々。
作曲したいという情熱も、線香花火のように弱々しくなっていきました。
最後の支えになっていたのは、なんとも情けない事に、
「このブームの中に自分も存在したい」という感情でした。
日々ニコニコに投稿され続ける玉石混交の楽曲の数々。
それを取り巻くファンの熱気。
確かにそこで、何か大きな事が起きようとしている。
いや、もう起こり始めている!
そんな渦の中に自分も巻き込まれたい!
それも消費する側ではなく供給する側として!
わかりやすく言うと、要は有名になってチヤホヤされたいだけなのですが。
「わかりやすく言うと・・・?」
「いや、それは単なる綺麗事でしょうか?」
「もっとイカれた事を考えていたように思います」
「嘘をつく必要もないのかもしれない」
「本当はどうしたいか良く分かっているハズです」
・・・違います。
そんな下衆な考えは持っていません。
ちがうちがうちがうちがうちがう!!
僕はそんな人間じゃありません!
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「自分は作曲が出来ない」という事実を知らされて、
情けない思いをする切欠をくれたのがニコニコ動画で、
でも、そこから救い出してくれたのもニコニコ動画でした。
あらゆる種類の動画が投稿されるこのウェブサービス。
その膨大な数の中に、作曲方法を指導してくれるものがあっても
全く不思議ではありません。今までそれに気が付かなかった事の方が不思議です。
作曲講座は、これまで一切作曲をした事のない本当の初心者向けから、
作曲・DTM経験者に向けた、テクニカルなアレンジ講座まで多くの種類があって
高価な専門書なんて必要ないと思えるくらいの充実ぶりです。
そんな中から僕は、極々初心者向けの、
それこそ音符の種類から教えてくれるような作曲講座を選びました。
(今は何故か閲覧できない状態です。)
この動画はとても好評で、講座系動画としては再生数もかなりのものでした。
非常に丁寧で、初心者側の気持ちをよく汲み取った構成が成されており
手取り足取りという表現が良く合うもので、
これでダメならば、他の動画をみても
作曲は出来ないであろうという、とても親切なものでした。
その証拠に、自分のような今まで全く音楽に触れてこなかった
(音楽を聴く事はするが)要するに楽器を触った事のない、
音楽を自分から作り出そうという意思を持った事のなかった、
そんな人間でも、一通り講座を見終わった後には曲が一つ完成しているのです。
正確には動画講座を通して一曲仕上げるという形なので
全くのゼロから一人で作り上げたと言う訳ではありません。
それに曲のクオリティに関しても、
とても人様に聞かせるレベルではありませんが―
とにかく、生まれて初めて曲を作る事が出来たという事実は、
初心者にとって希望を持つ事のできる、大きな一歩と言えました。
勢いでミクを購入して・・・いえ、「お迎え」し、
安くはないDTM機材を揃え、いざ作曲という段に至って、
まったく手も足も出ない自分に呆れるという・・・。
そんな、空回りした情熱に翻弄される多くの初心者を
この作曲講座は見事に救ってくれたのでした。
僕はその後も、他の色々な作曲講座を視聴してまわり、
それを元にして自分なりに学習を続けました。
そして、ミクをお迎えしてから、作曲をしようと思い立ってから一年。
とうとう満足出来る曲と、ニコニコに投稿するための動画をも完成させたのです。
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ある晩秋の土曜日の朝。
前日の夜からパソコンに向かい、信じられない集中力で一気に完成させて
勢いままに投稿しました。
徹夜明けである事と、投稿した興奮のせいでしょう、
視界が妙に冴え渡り、あらゆるものがギラついて映りました。
カーテンの隙間から漏れる朝の光が、
馬鹿らしいと思われるかもしれませんが、
天からの祝福のように思えました。
そして、大きな達成感と少しの不安が入り混じった
複雑な気分も強く記憶に残っています。
どのくらい再生数は伸びるだろうか?
サムネイルは少し地味すぎたかもしれない。
スルーされたらどうしようか?
コメントはつくのだろうか。
マイリストには登録してもらえるだろうか。
もしかしたら、ひどい曲だって叩かれたり荒されたりするかもしれない。
そう、僕の不安を煽る色々な要素、その中で大きなものの一つが
「叩かれ」たり「荒され」たりするという可能性でした。
不特定多数のユーザーがいるニコニコ動画。
動画の内容には全く関係のない酷いコメントを浴びせ、
投稿者や他の視聴者を不愉快な気分にさせる、そんな人達が存在します。
投稿して多くの人目に晒す以上、そういった人達に絡まれる可能性も
覚悟しなくてはなりません。
そのような所謂「荒らし」に迷惑被った場合、
その後の活動に悪影響となる事も多いようです。
僕もある程度は覚悟しなくては。
覚悟・・・覚悟・・・。
そして翌日、自分の動画の状況を恐る恐る確認してみました。
鼓動が早まるのをハッキリと感じ、マウスを握る手は汗ばんでいました。
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なんの事はありませんでした。再生数はほんの100強。
動画についたコメントは、投稿を労う「お疲れ」の意味を示す、「乙」が3つ。
そして、コメント以上にその動画の評価を表すマイリストは
自分の他に僅かに3人だけ。何かの間違いかと思いました。
恐ろしいのは、これらの評価が更に悲惨なものになる可能性がまだあるという事です。
それは、新作動画が投稿されると自動的にコメントやマイリストを行う、
そういうシステムが利用されている可能性があると言う事です。
ようは「人間」によるコメントやマイリストは「0」であるかもしれないのです。
動画の検索を助ける、タグの付け方が悪かったのだろうか?
もしかしたら投稿した時間もいけなかったのかもしれない。
サムネイル?確かにこれは少々地味かなと、投稿前から気になっていました。
大抵はボーカロイドキャラクターの華やかなイラストを使うものです。
実写の、それも白黒のサムネールは、この曲に触れてみようという
最初のきっかけを潰すには非常に有効だったかも知れません。
そうだ。そのはずです。
これら様々な原因が少しずつ影響しあって、最悪の結果を導いたのです。
決して・・・、いや、確かにクオリティが高いとは言えませんが、
僕の曲自体がまったく聞くに耐えないということでは無いはずです。
そうだ。そのはずだ・・・。
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一通り取り乱してみてからしばらくの後、徐々に落ち着きを取り戻しました。
改めて状況を見直してみますが、
ディスプレイが映し出す現実は全く冷たいものでした。
愕然とするというのはこういう事なのでしょうか。
惨憺たる状況に只々打ちひしがれるのみで、その日は暮れていきました。
次の日も、その次も、何日たっても状況は変わらず、
後から投稿された動画の方が数字が伸びている始末。
更新ボタンを何度も何度も押してみました。
もちろん変化はありません。
何がいけないんだろう?どうしてだろう?どうしたらいいんだろう?
・・・いや「どうしよう」
今、改めて自分の動画を見てみると、
人前に晒すに値しないとまではいかないものの、
やはりその出来は、他の方の作品に比べてだいぶ劣るものだと分かります。
そう言えば「動画を荒らされたら一人前」なんて事をどこかで聞きましたが、
僕の動画は荒らすに値しないという事が残念ながら理解できます。
なるほど、視聴者のこの動画に対する扱いは当然といって良いでしょう。
頭では理解できますが、生まれて初めて曲を完成させ、
動画を付けて多くの人目に触れるところに投稿する、
そんな初めて尽くしで一種の興奮状態だった僕には、
そのあまりに薄い反応に大きなショックを受けたのです。
その頃はまだ、ボーカロイドをとりまく製作者側の状況は
バブルと言えるものでした。
とにかくある程度の曲のクオリティと、インパクトあるサムネイルであれば、
それなり再生数が伸びてファンがついてくれるようでした。
万人受けしそうな、J-pop的な曲は勿論のこと、聴く人を選ぶであろう、
所謂「アンダーグラウンド」に属するような難解な曲、
さらにはその時々で話題となったニュースをイジる
「ネタ曲」も人気がありました。
とにかく、ありとあらゆる個性が認められていました。
そんな状況の中で僕の曲は、普遍性も個性もない、
構うに値しない、単なる「駄曲」の判定が下されたのです。
それでも、「もしかしたら」という淡い期待をこめて自分の動画を開きます。
そして、伸びない再生数をよそに変化した数字がありました。
しかしそれは、有難くない全く余計な変化でした。
マイリストが減ったのです。
そう、自分以外に3人いたマイリスト登録者が2人減ったのです。
「もうこの曲は、この動画は必要ない」と宣告されたわけです。
いえ、そう判断してくれる「人」がいればまだマシかもしれません。
自動的にマイリストをするシステムは、
だいたい一週間くらいでそれを外します。
今日でちょうど一週間。
殆どのマイリストがシステムによるものだという事に
現実味ができていました。
こういう時、他の投稿者の方はどうしているのでしょうか。
どうしたらポジティブな精神状態に転換できるのでしょうか。
みっともない事ですが、その後自分の動画を開く度に
妙な恐怖感を、僅かながらも抱くようになってしまいました。
「3曲投稿してもヒットしなければ、その後もヒットすることは無い」
そんなことを聞きました。
根拠はわかりませんが、なにか妙に説得力がある話です。
強い焦りを覚えたのは当然と言えました。
そして、その後もめげずに何曲か投稿を続けましたが、
結果は変わらず冴えないものでした。
確かに万人受けするとは思いませんが、
せめて「個性」は認めてくれてもいいのではないか?
これだけ多くのユーザーがいるニコニコ動画において、
視聴者の好みが一様なわけはありません。
だったら自分の動画・曲にもある程度の評価があっても良いはずです。
なのにどうして・・・?
今思うと「たかがこんな事で」と情けなく思いますが、
その時の落ち込み様は今までに無い程で、
しばらくの間は軽い無気力状態に陥りました。
屈辱というか後悔というか、それとも怒りなのか、
そのどれともハッキリしない、
とにかくあまり良くない感情に支配されていました。
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不愉快な感情に囚われた心は、視野を狭め判断を鈍らせます。
心が縛られ身動きがとれなくなるのです。
ただ、大抵それは時間が解決してくれるようで、
僕も暫くは「囚人」となり苦しみましたが、数日経ってみれば
自分と他の人の動画との違いを研究してみようという、
そう考えることが出来る程度には気分が回復していました。
人気のある曲には何かしらの共通点があるはずだと思い、
まずは他の人の動画を見て回る事にしたのです。
殿堂入りした曲は勿論のこと、それ程までには人気がないけれど、
ある一定のファンを掴んでいる、
いわゆる中堅と言われる製作者の方の曲もチェックを続けました。
どの作品も、取っ付きやすさを全面に押し出したとてもキャッチーなもので、
でもしかし、そこかしこにマニアックで複雑な構造を潜ませて、
何度でも聴ききたくなる、飽きさせない工夫がされていました。
詞も、ややもすると「中二」的な痛々しいものになってしまうというギリギリの、
なるほどニコニコ動画の主要ユーザーである十代の感性を
よく理解したものだと感じました。
その動画を視聴するかどうかを決める、
最初の判断に大きなな影響を与えるサムネイル。
どの動画も曲のイメージを最大限に膨らませる、
ボカロキャラを使ったとてもスタイリッシュなものばかりです。
こういったサムネイルに使用するイラストなどは、
それを投稿者自身で作り上げることが多いのですが、別の方法として
絵や曲、詞などを募るコンテンツ投稿サイトを利用したり、
中には「絵師」さんにお願いして描いて貰っている場合もあるようです。
こういったいわゆる「コラボレーション」は、
作曲・アレンジ・ミックスなど楽曲製作の場合でも行われているようで、
人気のある製作者の合作の場合、ファンの間で大きな話題になり
再生数等の数字はかなりの伸びを見せます。
様々な動画をそれこそ貪る様に視聴し、使える時間の多くを研究に費やしました。
そして、「うける」動画の大まかな傾向は把握出来たように思います。
少し速めのテンポでバンドを意識したようなサウンドして、
構成・展開は、王道と言えるなるべく分かりやすいものに、
詞の構成だいたいつかめたつもりです。
それは、ボカロキャラの、単なるソフトウエアでもなく、もちろん人間でもないという、
その存在の曖昧さをテーマに展開するといった感じでしょう感じでしょう。
動画は、歌詞の内容とリンクした簡単なアニメーションで、
演出は少しだけネガティブでダークに、さらに見ている人に想像の余地を与えるように、
そしてスピード感も大切なようです。
サムネイルにそのボカロキャラを使うのは当然で、
出来れば人気ある絵師さんにお願いしたいところ。
宣伝も忘れてはいけません。ある意味でこれが一番大切かもしれないのです。
参加中のニコニコ内コミュニティへの投稿、
外部のボーカロイドを扱ったサイトでの告知、
そしてSNSの利用は、最も重要なものの一つのです。
それは、製作者どうしの繋がりを作ることがとても大切だからです。
それらの繋がりは宣伝する際のメリットになるばかりでなく、
制作の上でもとても大きな力となるでしょう。
有名な製作者との合作を実現するその可能性が生まれ、
自分のセンスと技術の限界を超えたものを生み出す事も期待できるのです。
ここまで解れば、あとは実践に移すだけです。
もちろん、言うだけならば簡単です。
自分の実力以上のことは出来ません。
でも、自分の中では今までにない高揚感を感じていました。
出来るという確信・・・とまでは言えないものの、
「今度はマシになるだろう」という自信はあったのです。
根拠の弱い自信ですが、でもそれは僕の行動力を高め、
自分でも信じられないほどの集中力を発揮しました。
が、それと同時に少しの戸惑いも覚えました。
上手く説明のつかない、奇妙な「澱」のようなものが
自分の心に溜まっていく事にです。
これだけ時間をかけてリサーチし、それを反映させた動画が、
全くうけなかったらどうしよう・・・。
そういった不安からなのでしょうか?
はっきりとは掴めない嫌な気分でしたが、
とにかくそう思うことで、その「澱」を心の奥底においやり、
余計なことに集中力を奪われないよう努力をしました。
そうして、それから4ヶ月は製作に没頭したでしょうか、
ようやく新しい曲と動画の完成に漕ぎ付けたのです。
人気の作品を見て回り、そこで得たコツを元に作り上げた、
「受ける条件」を満したこの動画。
毎日の、使える限りの時間を曲と動画製作に費やしました。
少しでも不満な点があれば、どれほどに製作が進んでいようともやり直して
その完成度をひたすらに高めていきました。
アニメーションも、やってみれば出来るもので、
あるコンテンツ投稿サイトで見つけた、
イメージぴったりの素晴らしいイラストを元にして、
それをトレースするとともに、
少しずつズラし変化させて動きを加えるという方法をとって、
どうにか形にすることが出来ました。
もちろんイラストの製作者の方の許諾はとりました。
(「絵を使ってやる」という態度は互いに不利益になります)
まぁとにかく、「これならば」と言える、満足できる動画が完成したのです。
後はもう投稿するのみです。
以前とは違った、心地よい緊張を感じていました。
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自分の目を疑う、信じられないくらいの素晴らしい成果でした。
その動画は僅か一週間で再生数を200,000以上に伸ばし
マイリスト数は優ににそれの10%を超えていました。
コメントも古いものは簡単に流れてしまうほどの量で、
好意的なものが大部分でした。
もちろん良くないコメントもありましたが、
それも人気ある動画・製作者のステータスの一つと言えるでしょう。
嬉しさと興奮で体が熱くなっていくのがわかります。
軽い運動で汗をかいた後のような、
心地よい倦怠感に全身が包まれました。
そして、そんな夢心地の状態で流れるコメント群を眺めていると、
賞賛と批判が入り乱れる中で、ふと目に留まるコメントがありました。
「こんな風になって残念です」
一体どういうことでしょうか?
なにか不満を示しているのは分かりますが、「こんな風」とは・・・?
しかしそれに気を取られたのは僅かの間で、溢れ出る他のコメントに流されて、
この時はあまり深くは気にせずに忘れてしまいました。
とにかく、なんにせよ今回の動画は大成功でした。
まったく、調査をした甲斐があったというものです。
情けない話ですが、僕は努力というものが苦手で、
少しでも障害にあたるとすぐに諦めてしまうようなタイプの人間でした。
そこにいくと今回は、今までに無い程の努力のしようだったと思います。
多くの時間を動画の巡回・研究に費やし、その後の動向を追い細かに記録する。
製作者は勿論のこと、その動画に携わった人達までチェックしました。
時間を好きに使える休みの日はまだ楽なもので、
仕事のある平日はそう簡単にいきません。
僕の職業が事務仕事であることは幸いでした。PCを使えるからです。
さらに幸運なことにネットワークにも接続されていて、その管理も杜撰でした。
この環境でリサーチを進めるに必要なのは、上司や同僚の目を盗む注意力です!!
背後に上司のデスクがある環境でしたので、なかなかスリリングなものです!
Webブラウザを上手く他のソフトでカモフラージュしながらオペレートします。
そして事務系ソフトの多くはデータの管理に便利であっただけでなく、
熱心に仕事をしているような、そんな雰囲気作りに大いに役立ちました。
そのようにして、上手く彼らの隙をついてリサーチを行いました。
トイレの個室は、スマートホンを使うに最適な環境であることは、
言うまでもないない事でしょう。
( 仕事のサボり方はもっと研究が進んでいるはずで、僕はまだまだ洗練の度合いが低いと思いますが)
曲や動画製作は、もちろんそれ以上に大変でしたが、
ツラいと感じる事は全くありませんでした。
大変とは、ここでは「忙しかったが、充実した時間の使い方だった」
という程度の意味です。
本当に、随分と労力を費やしたものです。
まぁもっとも、好きなことを突き詰めることを「努力」とは言わないと思いますがが。
とにかく、晴れて有名P(僕もついにP名を頂きました!)となった今では、
それらは良い思い出となりましたし、
自分でもやれば出来るという自信にもなりました。
まったく、この集中力、行動力を仕事に活かせれば
とても高い評価をもらえるだろうに!
自虐めいた冗談を吐いてみて、浮かれた気分がもたらす
気恥ずかしさを誤魔化そうとしたものです。
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僕もとうとう、念願の有名製作者になることができたのです。
ガラリと生活が変わった・・・というと少し大袈裟ですが、
今までにないような、充実した日々を送る事となりました。
作品の共同制作の誘いがチラホラくるようになりましたし、
他の有名製作者達と共に音楽や映像作品を製作し、
イベントなどに持ち込んで販売をするようにもなりました。
もちろん自分単独でCDの製作や販売もしています。
そしてそれらは、大概は好調な売れ行きで、
完売してしまう事もあるほどの人気となったのです。
素直に「凄い事になった」と感じました。
ようやく望んだところまでたどり着いたのです。
みんなが僕をみてくれます。
動向を追いかけ、気にしてくれます。
ボカロ曲の製作者ならばだれでも憧れる「有名P」の一人となれたのです!
その後も新しい曲を投稿する度に、着実にファンを増やしていきました。
そして、この成功のきっかけとなった、
「やり直し」動画の投稿から一年ほど経ったある日、
その動画は有名Pとしての一つの証である、殿堂入りを果たしたのです。
トップページに表示される、金色に輝くフレームで飾り立てられた僕の動画。
ユーザーがニコニコ動画独自のポイントを使用して
気に入った動画を宣伝ができる「広告」も、
今ではかなりの数になっています。
この曲は間もなくカラオケとなり全国配信され、
ネット上では勿論のこと、雑誌などの他のメディアでも取り上げられ
その流れで小説化も決定する事となりました。
そして更には、某ゲーム会社が製作した
リズムアクションゲームの収録曲として人気投票で選出されたのです!
深い感慨に包まれています。
成し遂げたという実感で、体の真ん中に、
これが「幸せ」であるとしか言いようの無い
温かいものが満ちていきました。
「とうとうやったんだ・・・」
自分で言うのもどうかと思いますが、
恐らくこの曲はボーカロイドの作品史に名を残すと思います。
他の伝説ともいえる名曲達と同列に扱われるのです。
いまでは多くの人が、僕を憧れを込めた目で見てくれます。
もちろん自分の実力だけで成したとは思いません。
運の良さも多分に影響しているのは間違いないでしょう。
もっともその運も、あの努力無しには
引き寄せることは出来なかったとは思いますが。
「努力は報われる」・・・胡散臭い大嫌いな言葉ですが、
いまなら何と無く理解して受け入れられる気がします。
なんにせよ僕はこの世界の、ボーカロイドムーブメントの、
まさに中心にいる一人になれたのです!
深い深い充実感に浸り、この状況を楽しんでいる僕に、
妙なことを語りかける、耳障りな声がします。
「本当に満足なのでしょうか?」
「これで本当に満足なのでしょうか?」
「忙しさに、少しは紛れていただけでは?」
「でも、この後はどうしたいのでしょう?」
「本当のところは・・・?」
「本当の・・・」
やっぱりだ、時々現れてはよく分からない事を言って水をさす、
僕に語りかけてくるこの声は一体なんなのでしょうか?
満足に決まっています。
ようやく手に入れたこのポジションは、絶対に守り続けるつもりです。
もちろん、これからもより良い曲を作るための努力は続けますし、
そして曲だけじゃなく「営業」も大切だということも良く理解しています。
もう、うけることの無い間違った作品を作ることはありません。
とにかく、これからも、いえ、これまで以上に精力的に活動していきますし
そして今この状況には大きな満足を感じています。
僕は有名Pなのです。みんなが僕のことを知っています。
最高の気分です!これ以上に無いくらいに!
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いままで感じたことのなかった、大きな達成感で満たされた心に
少しずつ広がる染みのような、濁った色の気分。
奥底から語りかけてくる声のようなものは、僕の苛立たせます。
あれだけの成果を上げても僕は満足していないのでしょうか?
この不思議な、そして不愉快な気分はなんでしょう?
この気分・・これは・・・これは・・・・?
このザワザワする嫌な気分、
それに合う言葉を頭の中で突き合わせてみました。
そして暫くの後に、いちばん近いと思われる表現がみつかりました。
それは「嫉妬」という感情のようです。
・・・僕の心の中はそのような状態をしているようです。
だけど、なぜでしょうか?
一体何に嫉妬しているのでしょうか。
※
僕は再びた只ひたすらに他の製作者の曲を聞き漁りました。
自分も有名Pの一人になれたとはいえ、
僕よりも知名度や曲の出来が上の人達は確かに存在します。
だからこの気分は、そういった人達へ向けたものに違いありません。
だけどとにかく、片っ端から、有名どころの製作者だけでなく中堅Pも、
そしてアングラで人気の製作者の曲だって、
更には「期待の新人」タグがついた、初めて投稿する人の曲に至るまで。
どの曲も、確かに素晴らしい作品でした。
高いクオリティを持った、人気がでるに不思議ではない作品ばかりです。
でも、僕の作品と比べてもそう大きく差があるようには思えません。
技術的や感性的な問題だけではなさそうです。
それらが自分よりもはるかに優れた人達に対する嫉妬ならば分かりやすいのに。
一体この嫉妬はなんなのだろうか・・・。
霧に包まれたようなどうにもスッキリしない気分の中、
毎日毎日、色々な製作者の曲を聞き続けました。
あの、最初のヒット曲を生み出すために行った、
「修行僧」のような日々を思い出します。
ただ一点の違いは、あまり前向きな感情が湧いてこないという事でしょうか。
しかしその「修行」は無駄にはなりませんでした。
ある不思議な事に気がついたのです。
それは、抱く嫉妬の強さが、
対象となる製作者の知名度に比例しているわけではない、
ということです。
超有名製作者よりも、期待の新人に対する嫉妬・・・
いや、もう怒りと言った方がいいのかもしれません、
そういった感情を強く抱く事がわかったのです。
何故でしょうか。自分でも驚いています。
「驚いた?当然でしょう」
「これ以上増えたら困るでしょう」
「兄弟が増えるのは不愉快に決まってます」
「でもね、仲良くやればいいじゃないですか」
「そう、仲良くね」
仲良く?
冗談じゃありません。
僕はそんなに下衆ではありません。
嫉妬を超えた、怒りに近い感情。いったいコレはどういうことでしょうか。
僕は確かに事を成しました。みんなが僕のことを有名Pとして扱ってくれる。
恥ずかしい言い方だけど、ちやほやしてくれます。
これは曲を、動画を投稿するものならば誰もが憧れる、
絵に描いたような成功劇です。
これ以上なにが欲しいのでしょうか?
これ以上なにが出来るのでしょうか?
超有名Pへの嫉妬は僅かながらですが、しかし確かにあると思います。
でも、新しく投稿を始めた新人さんへ抱くこの感情はどういうことでしょうか。
自分の立場を危うくする、新しい脅威だと 感じているのでしょうか。
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ボーカロイド「初音ミク」
ヤマハが開発した音声合成技術の応用製品。
閉塞感漂うDTM界隈に、大きな波紋を呼び、良くも悪くも活気をうみました。
イメージキャラクタの愛らしさとその物珍しさを活かした、
ニコニコ動画での投稿作品群の人気を始まりにして、
気が付けばいつの間にか、多くの一般の(いわゆるオタク的でない)人
さえもが認知するに至る事となりました。
そう、この人気を生み出した、画期的で、そしてとても重要な要素の一つは
音声合成技術をつかったDTM関連ソフトに
いわゆる「美少女キャラクター」をあたえたところだと思います。
これは、自分の思い通りに歌を唄わせることができるという、
ボーカロイドの最大の特徴にとても相性が良いものでした。
緑色の長いツインテール、大きな目に細い首、
控えめな胸はむしろ、清楚なイメージ作りに一役買っています。
(小さな胸はそれはそれでそういう趣向の方には大好評です!)
絞られたウエストとその先に伸びるスラリとした長い足も魅力的です。
そのデザインは、名機といわれるシンセサイザー、
DX7をモチーフとしていると聞きました。
そして発売当初によく聞かれた、使い道の難しい、
あるいは全く無い色物ソフトウェアシンセという批評は、
すぐに覆る事となります。
単なる「ソフトウエアシンセ」ではないーーー。
多くの人々が、早い段階で初音ミクにあるものを与え見出してゆきました。
それは「人格」という言葉が一番近いでしょうか。
漫画やアニメ・ゲームのキャラクターに感情移入する事は珍しく無いでしょう。
しかし、キャラクターとしての詳細なスペックやストーリー等の設定を殆ど持たない
(初期の動画にはパッケージイラストを使った一枚絵のものが多くありました)
そんなミクに人格を見るということはとても興味深い事だと思います。
そう、感情移入などではなくて、人格の発見です。
アクティブな感情をもった「相手」としての人格を見つけたのです。
動画を投稿した人がそれに投影する、ミクに望んだ人間性。
それは徐々に、パズルのピースのような、性格の断片を生み出し
そしてそれは、他の動画製作者達にも影響を与えていきます。
受け継ぎ、拡張され、統合される。そしてまた―――。
そういった連鎖を繰り返すうちに少しずつピースが組み合い、
そしていつの間にか、「初音ミク」という一人の人間のような・・・
人間と言い切ってしまいますが、ネットの上で組み上げられていきました。
少なくともそう錯覚させるだけの存在感を持ったキャラクターへと成長したのです。
なにかの漫画かアニメでみたようなことが、それが現実となったわけです。
一人一人の願望の、複雑な絡み合いから発生した「アイドル」
みんなで作り上げた、一人のアイドル。
みんなの完璧なアイドル。
誰彼区別する事無く、望む者みんなにその可愛らしい笑顔は向けられます。
誰にでも―――。
もちろん、僕にも微笑んでくれます。
パッケージイラストのミクも、動画で踊るミクも、テレビのCMに出演するミクも
特殊な機器・機材によって実現する、
ライブのために現実世界へ「降臨」したミクも・・・。
いつもどこでも誰にでも、欲する人には誰にでも与えられる笑顔。
全員のための一人。
僕だってその全員のうちの一人。ちゃんと微笑んでくれています。
※
人から人への情報の伝達は、
ネットが普及してからその速度と量を異常なまでに増加させてきました。
そして、良いものも悪いものも、望んでも望まなくても、
本人の意思に関係なくほぼ永遠に、ネットワークが完全に機能しなくなるまで、
いえ、正確には情報に触れた人間の記憶がすべて潰えるまで、
その情報は生き漂い続けるのです。
そんな世界で生まれたミクは、誰か個人のモノではありません。
もちろん、初音ミクという「製品」を生み出した人は確かに存在します。
だけど、皆がまるで、
ミクを一人の実在する人物のような扱いをするまでに成長させたのは
ネットワーク上を飛び交う無数の人間の意思が起こした、一種の化学反応と言えるものです。
みんなの、ファン一人ひとりの脳で、その内側で作り上げたミクの理想像が、
ネットの上で複雑に混じり合って生まれたのです。
だから、みんなのミク。
誰のものでもない、みんなのミク―――。
-11-
あの「嫉妬」というネガティブな感情に囚われてから、
毎日が不愉快で仕方ありません。
それからというもの僕は、ボーカロイドに関する情報を
全てシャットアウトするようになりました。
少し距離をとった方が良いと考えたのです。
動画なんてまったく見ていられません。
ニュースサイトなんてもってのほかです。
ボーカロイドに関する技術情報の類もいけません。
とにかく、ボーカロイドを、特にミクを連想させるものは全て、
なるべく触れないようにしました。
なぜだかは分かりませんが、それらの情報は心を乱します。
ソワソワして居ても立ってもいられません。
僕は、ほんとうに情けないことですが、
「自分が知らないことは、存在しない」という、
何かのアニメだったかドラマだったか・・・
とにかくその作中で登場したセリフを自分に強く言い聞かせる事で
どうにか心の平静を保とうとしたのです。
余計な情報を知らなければ、ボーカロイドの、ミクに関する事は全部、
自分の頭の中だけで完結できる。
何も知らないのだから、焦りも嫉妬も、怒りも感じる事はないはずです。
この嫌な気分も消えてなくなるのです。
これまでの眩暈を覚えるような劇的で騒々しい日々とは変わって、
緩やかな日常が、誰にも邪魔されない、
静かな僕らの暮らしがおとずれるはずです。
最初からこうしていれば良かったのでしょう・・・。
そうすればこんなに心の平穏を乱される事はなかったはずです。
最初からこうしていれば良かった・・・。
※
ほんとうに、そのように出来ればどれだけ幸せでしょうか。
今さら頭の中だけで全てを満足させようだなんて、
常人にはとてもとても出来ない、夢を見ているような話です。
当然ながら、僕は神様でも仏様でも超人でもエスパーでもヒーローでも
魔法使いでもないし、アニメの主人公みたいに隠れた力を秘めてもいません。
激しい飢餓感をかき立てる、どうしようもなく収まりのつかない欲求が
心の内で大きくなる事を、僕はよく理解していました。
それは、自分に嘘をついて誤魔化すということができないほどに、
大きな影響を持つ存在へと成長していました。
-12-
僕は絵が描けません。練習してみても一向に上達しませんでした。
積み上がるのは黒歴史が刻まれた紙屑ばかりです。
同様に、3DCGのモデルも作る事が叶いませんでした。
ミクを、気軽にコントロールしたい人達の願いを叶える、
ある一人のファンが作り上げた3Dアニメーションのフリーウェアがあります。
これならば、比較的簡単にミクをアニメーションさせることができるのです。
だけど、あれは確かに素晴らしいソフトウェアですが、
でも、それでも幾らかの努力やセンスを必要とするもので、
自分が思うようには扱えませんでした。
例え上手く扱えたとしても、僕の望むミクを生み出す事は出来ないでしょう。
いえ、そこで生み出せたとしても意味がないのです・・・。
だから、今は僕の頭の中にある靄のかかった曖昧な姿が全てです。
でも、それではとても満足できそうにはありません。
その存在をもっと確実なものにしたい。
望んだ姿で僕の目の前に現れて欲しいのです。
そして、出来ることならば、・・・この手で触れてみたい・・・。
白い肌。その弾力。サラサラと滑り落ちる髪の感触。胸に顔を埋めて感じる体臭。
そして柔らかい音色の優しい声・・・
たとえ脳内で、それら感覚への信号を「自家製産」して生み出し、
「感じる」ことが出来たとしても、
実際に感覚器官から入力される、
圧倒的な情報量がもたらす感覚の豊な表情とでは、
まったく比較にならないのではないかと思います。
そのリアリティの前では「想像」は説得力を失い、黙る他ありません。
「感じる」ということは、 最終的に脳で処理されたデータの出力結果で、
手段がどんなものであろうと同じデータが入力されれば、
結局はその「感じ」も同じものであるーーー。
そんなことを信じることが出来るほど、僕の頭は洗練されてはいません。
僕はこの手で感じたい。直接触れたい。
どうしたらいいのでしょう。
どうすればその温もりを感じる事ができるのでしょうか。
※
ボカロに関する情報から、ネットから距離をとったあの日から、
ボーカロイド界隈に特に大きな変化はなかったようでした。
相変わらず、有名ボカロPとヒット曲を中心としたイベントや、
CDなど商品展開の話題が主だったものでした。
また、人気のボカロ曲を「歌ってみた」り「踊ってみた」りする動画も
かなり盛況のようで、ボカロカテゴリを支える大きな柱となっていました。
一方で、技術的な方向でもインパクトあるニュースは少なく、
強いて言えば、vocaloidエンジンがメジャーアップデートされた事でしょうか。
(いえ!もちろん重要なことではありますが)
とはいえ、あらゆる分野のプロからアマチュアまでの
様々な才能が犇きあうボーカロイド界隈、
驚くべき技術と行動力を持った人間が前触れなく現れる事もあります。
多くの人達がミクとのコミニュケーションを可能とする
技術の研究に情熱を燃やしています。
なかには個人で、それも自分の部屋で、
等身大ミクのロボットを作ろうとしている人までいたのです。
そんな状況をみてしまうと、僕はもっと、こう、
声はもちろんの事、皮膚感覚までも擬似的に再現させて、
臨場感たっぷりにミクとの対話、コミュニケーションができるような
そういった技術を用いたサービスなりアプリケーションが、
専門的な知識を持たない一般のユーザーにも、
少ない労力で利用できるようになる可能性が
遠からぬ未来に実現するのではないか、という期待をしてしまいます。
まぁこれは・・・一人で勝手に勢いづいた人間によくある
行き過ぎた期待というものでした。
滑稽な笑える話だし、よくわかってはいるのですが・・・。
そんなものはまだまだ夢の技術。いくらなんでも気が早過ぎるというものです。
いかに調子を狂わされていたのか、それを良く理解できたという事が
収穫となってしまいました。
そして「大して変わってないんだな」という感想に、
深い諦めと気恥ずかしさを込めて吐き出した後、
身体中を包んでいた火照りのようなものが一気に引いていくことに気がつきました。
※
そのまま、僅かな熱すら残さずに冷め切ってしまえば良かったのかもしれません。
実現不可能だという現実を知り理解してしまった場合、
それにはもう黙って従い無駄に足掻く事をやめるのが賢明といえます。
冴えた頭脳と情熱と、そしてお金に余裕を持つ人ならば、
万が一に 賭けて自分で実現しようと努力するのも悪くないでしょうが、
生憎なことに僕はそれらを持ち合わせていません。
それでも、できる事とできない事の分別くらいは付けられると思っていました。
だけど、それでも、まだ他に方法があるのではないか?
意外な方法で実現できるんじゃないだろうか?
などという諦めの悪さが、僕の中に希望の火を燻らせるのです。
・・・そうですね、「情熱」だけは持っているのかもしれませんね。
一つが駄目でも、また他の方法を探す。
そうだ、まだなにかある筈です。
もっと他に、なにか方法が。
他に他に他に他に・・・
ミクに会いたい・・・触れあいたい・・・。
つづく
-13-
今この瞬間もニコニコ動画には、ミクへの愛が溢れる作品が投稿され続けています。
先にもあげましたが、ミクの等身大ロボットを様々な方法で実現しようとする人、
市販のプロジェクターを多数使用した、
スクリーン投影による3Dのミクを個人で実現しようとする人、
クオリティの高い様々なグッズを制作する人達、
もちろんイラストやアニメだって素晴らしいものばかり!
そして、音楽は言うに及ばずです。
そうやって、みんなで刺激しあい楽みながらボカロ界隈を賑わせ、
一つの「文化」といえるところまで育て上げたのです。
※
そんな「ボカロ文化」を構成する大切なジャンルの一つに、
他の様々なアニメや漫画と同じように「コスプレ」も含まれていると思います。
キャラクターの個性や雰囲気を大切に、
その上で自分なりのオリジナリティを取り入れて再現する作り込まれたコスチューム。
それらを纏い、自分の愛するキャラクターを演じ、それへの同化を楽しむものです。
色々なイベントで見かける、お気に入りのボカロキャラに扮したファン達。
こういったものは、まず第一には「本人が楽しめているかどうか」という事が大切です。
でもしかし、多くの人目に晒す以上、どうしても他人の感想や評価がついて回ります。
キャラクターのイメージそのままの、まるで「二次元の世界」から抜け出してきたような
そんな素晴らしいクオリティの方もいれば、
なんというか、失礼ながら目も当てられない、お世辞を言うのも空々しい、
言葉もかけようのない、そんな「要努力」といえる方まで実に幅広く存在します。
先ほども言いましたが、こういったものは本人が楽しめるかどうかが第一です。
仕事でも義務でも、何でもありません。ただの趣味なのです。
他人がなにを言おうとも、本人が満足していれば
それで良いではありませんか。みんなで褒めあって楽しむのが正しい・・・と言うと言い過ぎかもしれませんが、そうあろうとすることが悪い事とは言えないでしょう。
少なくともこれを大間違いだと指摘する人は少ないのではないでしょうか。
綺麗事なのかもしれませんが、一般的にはそうであると信じています。
僕だってもちろんそう考えています。
みんなで楽しめるように場と雰囲気を整えるべきです。
だけど、今回ばかりは少し事情が違います。
その出来不出来は、ハッキリと言えば、
コスプレをする人自身の器量と、コスチュームのクオリティ、
そしてボカロへの情熱の度合いは、
今の僕にとっては非常に大切な事なのです。
ちゃんとしてくれなくては困ります。
そうです。簡単ではないかもしれないけれど、こんな方法があったなんて!
シンプルな事です。ないものは自分で代わりを作るしかありません。
素晴らしい「計画」のイメージが薄らぼんやりと輪郭を描き始めました。
つづく
-14-
その計画の可能性に気が付いた日から、
僕は再びリアル・ネットを問わず活動を盛んにしていきました。
人気のある、あるいはこれから人気の出そうなコスプレイヤーを絞り込み、
彼女らに頻繁に、しかし不自然にならない程度にコンタクトを取り始めました。
この時に、これまで僕が築き上げた「栄光」に感謝をしたのは当然の事です。
僕を有名Pだと知ると、みんな一様に好意的な態度を示してきたからです。
よく時間をかけて、慎重に、丁寧にコミュニケーションを重ね、
そこから選別の材料を見出し、更に絞り込みをかけてゆきました。
※
その中から一人、今はまだ人気があるわけではありませんが、
この先、僕の計画にとって、とても有望だと思われる女の子を見出しました。
その選定の際に大切な事に気がついたのは幸いでした。
それは、すでに有名コスプレイヤーとして
名が知れている人では「いけない」という事でした。
そういった人達にも可能性を感じなかったわけではありませんが、
今回の場合、その知名度が逆に悪影響となってしまうと考えたのです。
なので、まだまだ未完成だとしても、伸び代を多く残していると思われる人材のほうが、
一見遠回りに見えても、ことの達成を確実にするものだと思えたのです。
つづく
-15-
ボカロPの「P」はプロデューサーの「P」です。
ボカロキャラに楽曲や演出を与え、
アイドル歌手のようにプロデュースする人の事です。
元は人気アイドル育成ゲームでの用語で、そこから持ち込まれた概念のようです。
僕はボーカロイドのプロデュースで、一度ならず大きな成功を収めました。
それは、緻密なリサーチを根気よく続けた努力のもたらし結果です。
その実績が僕の気を大きくさせているのも確かかもしれませんが、
現実の女の子をプロデュースする事だって
まったくの不可能ではないはずだとも思わせるのです。
ましてや同じボーカロイドカテゴリの中での事です。
明確な、確固たる成功の自信があるわけではありませんが、
逆に決してまったく無理だとも思えませでした。
今回僕が選び出した女の子は、控えめに見ても可愛いと思える娘でした。
小動物的な愛らしさを持った、そしてどこか加虐心を煽るところがあり、
男性には好まれるようなタイプと言えば良いのでしょうか。
スタイルも、少しだけ華奢に過ぎるのが気になりましたが、
全体のバランス的にはよく整っているといえました。
大切だったのは、「美人すぎない」「モデル的なスタイルではない」という事です。
「守りたい」と思わせる要素が必要でした。
「コスプレの経験」自体は浅くないものの、
人目にふれるところに出た事はあまりないようでした。
だけど、コスチュームを自作する高い技術と情熱をもち、
規模の大小を問わずイベントへの参加に積極的な意欲をみせています。
最初は警戒の色を見せていた彼女も、
僕の計画の一部を説明すると、それに興味を持ち、賛同してくれました。
しかしながら、まだまだ名も無い一人のコスプレイヤーでしかありません。
だから僕が腕をふるう必要があるのです。
つづく
-16-
まずは、幾つかの制限・・・
コスチュームはミクのものに限る事やイベントでの行動に関わること、
そして一番大切なことがなのが生活感を感じさせないこと!
気安さを感じとられてはいけないのです。
・・・などを課した上で露出を増やし、知名度を上げていく必要があります。
取りあえずそれらの制限を厳守させた上で、イベントというイベントに参加し、
今はとにかく目立ち認知されるようにします。
彼女をみんなに知ってもらわなければなりません。
※
僕には衣服を作る能力はありませんが、
ボカロファンの多くが魅力的だと思うコスチュームが
どういうものかはだいたい把握しています。
そして、彼女がコスチュームの製作に手慣れているという事も、
人材選定の段階でわかっていたことです。
コスチュームは、そのキャラであるという事がわかる限界のところを保った上で、
肌の露出を高めるようなものをと細かく指示し彼女に製作を頼みました。
そんなコスチュームを纏ってのポーズは、
もちろん、どうしても扇情的なものになってしまいます。
当初彼女はそれをとても嫌がっていました。
若い女の子ですから当たり前のことです。
そもそも彼女は、どちらかと言えば控えめな性格のようでしたから、
そんな娘がコスプレを楽しめるのかという、そもそもの疑問もありました。
しかしどうやらそれは、普段の自分や生活からの
逃避的な意味合いがあるようなのです。
だから、説得にはとても苦労しましたが、
有名になるには多少の我慢は必要であると、
粘り強く言い聞かせて承諾を取り付けました。
「有名」になる。
これは殆どの人間にとって大変魅力的なものです。
特に若い女の子にとっては。そして殊更彼女のような娘にとっては。
一度納得させてしまえば、彼女は渋々ながらも協力的になってくれました。
可愛らしい女の子が、お気に入りの二次元キャラの格好をし、
さらには肌を露わにするという事は、ファンにはたまらないものです。
いや、一般的な男性にとっても非常に魅かれるものがあるでしょう。
数ヶ月の間にいくつかのイベントに参加し、その結果から
「プロデュース」第一歩は上手く運んだと思いました。
イベントを重ねるごとに、彼女を撮影しようとする
所謂「カメラ小僧」の数は増えてゆきました。
彼らの撮影の腕は素晴らしいもので、
どうすれば魅力的に見えるのかをよく把握しています。
(なかには下衆なだけの画像もありますが)
そういった人達が撮影した画像がネット上にアップされると、
その度毎に少しずつ彼女の話題が広がっていきました。
ボカロを扱う各種ブログやコミュニティでも、
彼女への興味がテーマとなることが増えていきました。
徐々に、でも確かに、彼女への関心の高まりを感じさせる、
ファン達が発する「熱気」の度合いが強くなっていきました。
だけど、まだまだ計画は始まったばかりです。
これからが大変です。大仕事なのです。
つづく
-17-
イベント等での露出が増えるに連れて、
彼女とコンタクトを試みようとする人達が増えてきました。当然です。
この段階で大切なのは、徹底的に日常性や生活感を排除する事。
それはアイドルプロデュースの基本です。
(もっとも最近のアイドルはファンとの地続き感を売りにしているようですが)
食事や排泄などの生理現象を、容易に想像・連想できてしまうようなことを
目撃されないのはもちろんの事、生活感を微塵も感じさせないよう、
普段の外出にも最大限に気を使わせました。
これまでの活動と矛盾しているかもしれませんが、
あまり長い時間、人目に晒すのも良くはありません。
イベント中も、人とのコミュニケーションを厳しく禁じました。
これも最初から徹底させた制限の一つです。
納得してくれていたとはいえ、流石にとても難儀なことでした。
でも彼女のためです。厳守させました。
イベント終了後にみせる、彼女の不満と悲しみを含んだ表情は痛々しいものでした。
しつこいようですが「気安さ」や「等身大」を売りにするような事は厳禁なのです。
今はとにかく、我慢をしてもらうしかありません。
※
だけど彼女の苦労は、確かに実を結びつつあるようです。
ここまでは望み通りに事が運んでいます。あまりに順調で不安になるくらいです。
何事も基礎が大切です。そして、それを築き上げる事が何よりも難しいのです。
だけどそれさえどうにかなれば、後はわりとシンプルに運んでいくはずです。
今回の場合、彼女に神秘的で虚な存在であるというキャラクター付けをおこなうことが目的です。
ネットでのファンの反応を見る限りでは、
それは少しずつ、でも確実に組み上げられているように見えます。
イベントでの限られた場所・僅かな時間にしか姿を現さず、
ネット上にも情報は少ない。
ただ見ることしかできない、コミュニケーションできないという状況は、
肉体が滲ませる「人」としての存在感を薄めて不安定なものにします。
そしてそれは、本来の意味でのアイドル―――
神性を帯びた「偶像」の条件を満足させるにとても大切な要素の一つです。
色々なコミュニティやSNS、ツイートなどでの反応を見る限り、
狙い通り今では、その彼女のある意味での「匿名性」が、
目の前にいるのに何も知ることができないという状況が、
そういったことが作用しあって、誰もが彼女に不思議な感覚を、
人間としての存在感の弱さや儚さを、徐々に感じ始めているようでした。
次の段階では、それをもっともっと強固なものにして、
その上で更に「神性」といえるようなものを与えていかなくてはなりません。
つづく
-18-
ミクは、歌います。
ミクの本来の機能であり、その存在理由を形作る大きな要素の一つに、
ユーザーの指示通りに歌を唄えるという事があります。
そうなると彼女はまだ完全ではありません。
コスプレだけではまだまだ要件を満しているとはいえないのです。
あくまでも形を模しているだけで、それでは本当のアイドルとは言えません。
久しぶりに、以前におこなったような細かい「市場リサーチ」を行い、
徹底的に現在のユーザーの好みに合う曲を作り上げました。
ミクの調整(「調教」という言い方は好きではありません)も細かに行い、
出来る限り「リアル」に、人が歌うような、でも機械的なぎこちなさを隠しきれない、
そんな表情豊かなものへと仕上げることができました。
次にその曲を演出する動画の作成です。
まずは唄うミクの声に合わせて、彼女にもその口の動きを真似て歌ってもらいました。
軽い演技をまじえつつ歌う(フリ)のは思った以上に難しいようで、
なかなか狙い通りの動きにはなりませんでしたが、
どうにか違和感ないレベルにおさめることが出来ました。
それにしてもこの状況、機械・・・というかソフトウェア側の挙動に
人間が合わせなくてはならないという作業が
どうにも不自然に思えて笑えてきました。
人間が自由に歌わせる事を目的として開発したソフトウェアに、
逆に「ワタシ」の歌い方に合わせろと言われているような状況です。
そして、困難だったといえば、この動画製作全体に言える事です。
生身の人間が登場するタイプのミュージックビデオは
時として滑稽なものに見えてしまう場合があります。
荒い、雑な合成処理や、登場人物の拙い演技が主な原因だと思いますが、
なんであれ、それは絶対に避けねばなりません。
さもなければ今まで苦労して築き上げた
神秘性の萌芽を踏み潰す事になってしまいます。
だけどしかし、彼女を登場させなければ意味がありません。
そして僕には、大した撮影機材も資金もなく、
更には他の誰の力も借りられないのです。
・・・それは、最初から分かっていたことです。
この動画は、曲を含めて、誰が製作・投稿したのかという事の全てを
隠したままにしたかったからです。
今はまだ僕の関与がバレてはいけないのです。
色々と試行錯誤した結果、速いテンポで
次々と映像を変えていくスタイルに落ち着きました。
チラっとしか映らない彼女に、難しい演技を求める必要はないと考えていたのです。
だけど確かに、そこに彼女は存在し歌っている事が分かります。
ミクの声に合わせた口の動きが、彼女をあたかもミク自身のように見せています。
出来の良い、作り込まれたコスチュームを纏う、彼女の意外な演技力が
それを確かな物にしているのです。
瞬間で目まぐるしく移り変わる映像は、視聴者にうつろう不確かな印象を与え、
その儚さは更なる神秘性の源となり、
見た者は知らずのうちにそれを、強く印象に残す事でしょう。それを狙っています。
とにかく、手間だけは惜しみませんでした。
この動画はそれらの条件を満たすに充分なものとなっているはずです。
※
ニコニコ動画への投稿には、新規に作ったアカウントで行いました。
全てのユーザーレポートは非公開です。
動画説明欄には「本当に愛してくれますか?」という一言のみとし、
タイトルは「あなたにぜんぶあげる」に決めました。
つづく
-19-
投稿者の詳細は不明。動画の詳細もわからない。
人気が急上昇している詳細不明の存在である、
彼女が出演するミュージックビデオはこれが初めてのもので、
瞬く間に話題のトップに躍り出ました。
再生数は驚異的な速さで伸びを見せ、
コメントは画面を覆い尽くし殆ど狂乱状態でした。
動画を見た者は、一切明かされない動画の詳細に焦らされ、
そのもどかしさに苛立ちながらも、更に彼女への興味を深めていくようでした。
この動画で初めて彼女を知った人たちも、勢いに飲まれて行きました。
そして、動画への考察がネット上のあちこちで行われ、
様々な解釈が展開されましたが、結論は様々でいつまでも固まらず、
興味の行き着く先は結局のところ、投稿者・製作者は何者なのか、
そして彼女との関係はどういったものかという事に収束するのでした。
まだみんなは知りません。
僕がぜんぶ仕組んだ事を。
もちろん、あるタイミングでこの動画の製作者であること明かすつもりです。
僕が彼女のすべてを作り上げたという事を。
※
人気製作者の知名度を、それを利用しようと考えるのは不自然な事ではありません。
そういう人達が放っておくわけがないのです。
やはりこのアカウント宛に色々なお誘いが届きました。
どこで知ったのかは分かりませんが、
アカウントを作る際に使用したメールアドレスにも
似たような誘いが多く届いたのです。
どれもこれも非常に魅力的なものばかりです。
驚いたことに、ニコニコ動画の運営からもイベント出演の話が舞い込むほどでした。
それらのオファーを承諾すれば、おそらくは、さらなる知名度の向上と、
そして、それなりのお金を手にすることができたかもしれません。
しかし、僕はそのすべてを無視しました。
断ったのではなく、無視です。
今回の場合、知名度と露出のコントロールは非常にデリケートな問題です。
それは僕が注意深くおこなっていますし、
そしてお金は最初から問題ではありません。
彼女をみんなから崇められる偶像に仕立て上げる。
それをどのようにして成すのかという事。
それが全てであり、計画を達成するための鍵だと考えます。
※
僕が作った動画の話題がネット上を賑わせている中で、
ある大きなイベントの開催日が近づいていました。
これはボーカロイド関連イベントの中では、
最初期からある伝統的で大規模なものなのです。
そんな今回のイベントでの、ファン達の大きな関心事の一つと言えば、
やはり彼女が参加するか否かという点でした。
歴史のあるこのイベントに参加するのは簡単ではありません。
それなりの狭き門を潜り抜ける必要があります。
一定の実績がある個人やサークルであればまた少し事情が違いますが、
新規に参加するもの達には、とても競争率の高い抽選がまっています。
抽選とはいいますが、実質的には出展する作品の審査といえるものです。
ある程度のクオリティとある種の「センス」を求められるのです。
(ゆえに作品の製作は時間的にかなりシビアなものになります)
昨年は僕も参加していて、当時の新曲8曲を収めたオリジナルCDを出展しました。
持ち込んだCD全てを捌くことができ、
そのときの盛況ぶりが実績と認められたのか、
今年はイベント側から参加の要請を持ちかけられました。
彼女はもちろん不参加とします。
もう生身の体を、実体を人前にさらして良い時期ではありません。
このタイミングでの不参加は、彼女のイメージ作りの上でとても大切な事なのです。
一方で僕は、参加をする事としました。
この後の動画投稿のスケジュールを考えると、
僕まで不参加では彼女との関連を疑われるかもしれないと思ったからです。
それは考えすぎなのかもしれませんが、念のためです。
今まで作りためた曲を適当に選び出し、それを収録したCDを出展する事にしました。
いい加減に思われますが、こちらにはあまりリソースを割けません。
兎に角はやめにイベントから切り上げる事を第一に考えていました。
一分一秒が惜しかったのです。
誰もが様々な想像を廻らせた事でしょう。
「あの動画の製作者とあの娘は一体何者なのだろう?その関係は?」
そんな疑問に支配された参加者達が発する、
言いようのない雰囲気に会場全体が包まれる中で、
イベントは予定通りに開催されました。
つづく
-20-
いないとわかっていても、いて欲しいから探してしまう。
哀しいものです。
参加者達がイベント中におこなった各種のストリーミング放送や、
ブログのリアルタイム更新、またはツイッター上では、
誰もが彼女の不在に触れてそれを話題にしていました。
どれもこれもそこで語られる内容といえば、
「期待をあっさりと裏切られとても残念ではあるけれど、でもしかし、
湧いてくるのは怒りではなく彼女への興味ばかりだ」
・・・と言ったところでした。
とはいえ、彼女がいないからと言って、
表面上イベントの進行自体に大きな影響を与えたわけではありません。
さしたる問題も無くイベントはその日程を予定通り無事に終えました。
このイベントが終わるとその近々には大きな催し物は無く、
ファン達は束の間、その活動に一息入れる事ができるのです。
・・・だけど、今回はそうはいかないのかもしれません。
僕があのアカウントで新しい動画を投稿するからです。
前回の動画を投稿してからすぐに製作を始めていたものです。
先のイベントに参加したくなかった大きな理由の一つが、
その作業になるべく多くの時間を使いたいから、という事でした。
せっかく、漸くここまで育て上げたのです。
彼女の人気を貶めることの無いよう、
ギリギリまで追い込んでクオリティを高めたかったのです。
少なくとも前回と同じ・・・いえ、それを凌ぐ出来でなくてはいけません。
僕はイベントを早々に切り上げると、
食事も寝ることも忘れて詰めの作業を進めていきました。
※
そしてイベントが終わった翌日、どうにか動画を投稿する事が出来ました。
彼女のイベント不参加から突然の新作投稿です。
なかなか面白いタイミングだと思い、最初から予定していたものです。
今回の作品も彼女を「出し惜しみ」した、見たものをとても焦らす作りです。
前回に似たタイプの作品ですが、それをもう少し洗練したものです。
色々な人の色々な作品を参考にし、ウケの良さそうな優れた演出は貪欲に吸収し、
躊躇わず作品に取り入れるということもしました。
とにかく演出には時間をたっぷりかけました。
曲自体の製作よりも多分に労力を注いだものです。
前回にも増して、見た者が感じる彼女の「肉体」を、
実際に肉体をもった存在であるという印象を希薄にするものです。
そういった情報を重ねて公開することで、
その結果の先に神性ともいえる一種のカリスマを付与できると考えたのです。
もはや、曲自体の出来不出来はあまり問題では無くなってきました。
大切なのは彼女のビジュアルです。
作品を見た人の目に、狙い通りにしっかりと彼女の姿が映るかどうかです。
※
動画の反響はなかなかのものでした。
再生数の増え方は、他の歴代ボカロ動画に迫る、
まさに怒涛と言うに相応しい勢いでした。
コメントの量もそれに劣らぬ溢れかえり様で、
少しでも古いものは次々と消ていきました。
その内容は、どれもこれも彼女の素姓を探るもので、
殆ど飢えた動物のような、少なからずの狂気を孕んでいるように見えます。
彼女はもう、僕らの目の前に、モニター越しなどではなく、
生身の姿を現してくれることはないのか?
そんな、彼女への渇望が画面の向こうでうねりをあげているようでした。
※
ファン達の想像がネット上を飛び交います。
過去にイベントで見せた、彼女の姿を頼りにして・・・。
現在ネット上に出回っている彼女の画像は、
僕が彼女に関わる前に参加したらしい極々小さなイベントでの僅かなものと
その後の数回の、僕が「プロデュース」したものだけです。
そういった僅かな手がかりからでも、人物が特定される危険性があります。
僕と組む前に参加したイベントがあるといのは大きな不安でしたが、
しかし幸いなことにそれは脅威となることはありませんでした。
普段の生活を、隠れるように送っていた彼女の努力の賜物でしょうか。
・・・少しずつ、みんなが望む彼女の「素姓」が作られていきます。
僕が投稿したあの動画も良く機能しているようです。
日が経つにつれて、その形は明確になってゆきました。
彼女はまるで、見えるけれど触れられない、
実在しない架空の存在のような、
ファンの間ではそんなキャラクターとした扱いになってきました。
ネット上を行き交う情報が生み出した、一人の人格。
触れる事のできない、幻のように虚ろで、でも確かにそこに在る。
僕たちは過去に、これに似たような事を経験してきた覚えがあります。
そう、まるで初音ミクという「人格」発生の軌跡のような・・・。
つづく
-21-
生身の人間は、架空の、実態をもたない存在と比べて大きな優位性があります。
それは「確かにそこに在る」という圧倒的なリアリティ。
何か物や人を愛でる場合、これは決定的です。
もしかしたら実際に出会えるかもしれないという可能性は、
多くの場合はファンを熱狂させる大きな原動力となります。
誰だって、スターをこの目で見てみたいいと考えます。
そしてあわよくば、この手で触れてみたいと。
だけどそれは、同時にデメリットにもなり得るのです。
歳をとりますから、永遠に美しいわけではありませんし、
人間だって生物です。生理現象を抑えることはできません。
(もっとも、それも美しさのうちだと言う人もいますが)
良くも悪くも、どうしたって「生々しさ」を感じさせてしまいます。
そしてこれは、アイドルにはあまり必要な要素ではありません。
だからこそ、彼女の露出を強くコントロールしてきたのです。
※
彼女にはとても負担をかけたと思います。
あまり目立つ行動をとらないようにと言い聞かせ、多くの制限を課してきました。
それを貫徹するに、その難度を高めるのは学校での生活であると思いました。
彼女は学校で、イジメにあっているような事を、
それとなしに漏らしていたからです。
なるべく目立たない存在でいようとする場合に、
それは少なからず障害であると考えられます。
しかし幸いだったのは、彼女がある意味での二面性を持つ、
そういうタイプの人間だったと言うことでしょうか。
普段はとても地味な女の子ですが、しっかりと手をかけてあげると
元の姿からは想像も付かない、なかなかに見栄えのする顔立ちとなるのです。
さらにはその立ち居振る舞いも大きく変わって、
自信に満ち溢れた堂々としたものとなります。
普段は地味でおとなしい彼女が、まさかイベントなどに参加し、
増してやコスプレをして人前でそれを晒すなどととは思いも寄らず、
当然、いまネットを賑わせている存在だとは誰も考えなかったようです。
一方で、普段の大人しく素直な性根は僕にとっては都合がよい物でした。
そして人並み以上に自己顕示欲を持っている事も―――。
ともかく、若い女の子にとっては色々とツラく面倒な事だったと思います。
しかし、彼女のその苦労と努力の甲斐あって、
ある一つの高みに、そこに手に届くかというところまできたのです。
ネット上で多くの人達が羨み憧れる、「本物」のアイドルという到達点です。
ただの人気者ではありません。
僕も相当な時間とお金を投資してきました。
仕事もほとんど休職状態です。
お飾りのような有給を強引に使い果たし、さらには欠勤を繰り返しました。
いよいよ仕事を失うことになりそうです。
でもそれは仕方ありませんし、もうどうでもいいことです。
自分で望んだことだから。
そして、使い途を知らないだけで無機質に貯まっていたお金も
この計画のためにあったのかもしれないと感じています。
自分の注ぎ込めるリソースは、殆ど全てを使いました。
あとは成るように成るに任せる他はありません。
レールは敷きました。
あとは神様がその上を上手く走ってくれるかどうかです。
※
僕の動画に出演した、ミクを演じる彼女は、
実は3DCGのモデルかなにかではないかという、
そんな憶測も見かけるようになりました。
さらには極端なことに、彼女がミクの現実世界に顕現したものだと
冗談ながらに言う人もでてきました。
素晴らしい想像力です。
全てを知る身としては大袈裟な笑える話に聞こえますが、
ネット上での情報の伝達は素早く爆発的、そして酷く悪戯好きで、
根も葉もない噂話は人々の願望を少なからず反映し、拡散していきます。
身勝手な情報は、交錯し混乱し混沌としながら癌細胞のように成長を続け、
当初の意味や目的は加工されて大きく姿を変えてしまいます。
ネットワークが身近になってそう時間が経ってはいませんが、
僕たちは、良くも悪くもそういった「ドラマ」を度々目撃してきました。
そして今回は、彼女の存在をさらに大きく謎めいたなものにするという、
そういった作用をもたらしたようです。
このような、ネットでのみんなの動向は、
僕にとっては非常に望ましい状態と言えます。
そろそろ良い頃合だと思います。
※
これから新しい動画を投稿します。
ほとんど前回の焼き直しみたいなものですが、
これには新しく重要な演出が加えてあります。
おそらくはこれが最後の作品となる事でしょう。
そしてタイミングをはかって、僕の関与を明らかにしようと思います
つづく
-22-
一度回りだした奇妙な仕組みは、その勢いを増す一方です。
最早、本物のアイドルと言っても過言ではない、
少なくともネットの上では・・・彼女はそういった存在となりました。
実際がどうであれ、この高い知名度と神秘性が作り出すカリスマを
彼女が持ち抱えて見えるという状態が大切なのです。
みんなが、彼女は現実に降り立ったもう一人のミクであるような、
そんな存在であると感じることに、あまり違和感を感じなくなっていました。
それは、ネット上でよく見られる「お祭り」騒ぎ的なノリなのかもしれませんが、
そういった状態を広く浸透させることも大きな狙いの一つでした。
既に多くのファン達は、あまり疑問なく雰囲気にのまれていきました。
この頃、「ミクさん?どっちの?」などという、
奇妙なやり取りがきかれるようになりました。
※
彼女を作り上げたのは僕です。
生きた伝説、本物の偶像に仕上げたのは僕です。
そして僕は、少しでも多くの人に彼女の素晴らしさに触れて
感動してもらいたいと思いました。
だから彼女を、初音ミクの現実への顕現を、
映像作品という形で分け与えているのです。
どうぞもっと彼女を愛してあげてください。
そして優しくしてあげてください。
その無邪気で柔らかな笑顔は、望んだみんなに与えられるのです。
※
だけど同時に、限度を弁える事も大切です。
踏み越えてはいけない一線があります。
神様の遣いである天使には、それと等しい敬意を示さねばならないのです。
彼女は、その彼女の笑顔は、まさに天使の祝福そのものです。
そして天使は人間とは違います。
天使には天使の、人間には人間の、それぞれにそれぞれの領分があります。
いつまでもこの世界ににとどまることは出来ません。
ここにいつづければ、純真無垢な彼女のイメージが、
ミクとしてのイメージが穢される可能性となります。
僕にとってそれは、おそらくみんなだって、とてもつらくて悲しい、
そして許し難いこととなるでしょう。
※
何事も、最後の仕上げが大切なのは言うまでもありません。
彼女が「ミク」として保存される、永遠に語り継がれるに必要な、
大切な仕事が残っています。
最後に投稿した動画の終盤。
彼女が、ミクがミクとしての情報を失い、その存在を閉じる・・・
人間で言えば命を失う、天に召されるという、そんな演出がなされています。
もう二度と、新しい彼女の姿を目にする事はないと言う暗示でした。
「会えなくなるかもしれない」という状況は、人にとって非常につらいものです。
視聴者の悲鳴が聞こえてきそうな、実際にコメントは悲痛なものばかりでしたが、
事実とても切ない、悲しい作品に仕上がるよう製作をしたつもりです。
つづく
-23-
そろそろ、彼女を作り上げたのは僕だと言う事を明かしてもいいころです。
もちろん彼女自身の存在は「秘密にしたまま」で。
ところが・・・というか当然でしょうか。ここで問題が起きました。
彼女がそれに不満を表しました。自分も表に出て自分を語りたいと。
・・・今の、自分の状況を良く理解していないようです。
どうしてネット上で、まるで天使のような存在として扱われているのかを。
初音ミクの顕現に等しい・・・少なくともそれに近い存在になれたのかを・・・。
あくまで彼女の出自詳細は謎のままであるべきで、
それが自分の「立場」を保つに必要な条件であるのに。
事実を明かしてしまえば、その場限りの人気者で終わってしまうということも。
普段学校であまり良く扱われていない事の反動でしょうか。
それは今回の計画を成し遂げるに功罪あったようです。
彼女がここまでのぼりつめる上での大きな原動力となりましたが、
最後の最後で面倒を起こしてもくれました。
なるほど、確かに彼女が名乗り出たとしても、真実は真実。
彼女を、この状況を作り上げたのは間違いない僕です。
彼女もそれを良くわかっています。
だたら僕はもう、彼女を、初音ミクの顕現をこの手におさめていると言えます。
だけどしかし、だからこそ、僕が今の彼女を、
「本当」のアイドルを生み出し、コントロールしてきた・・・
言ってしまえば僕の「モノ」だと言う事を示したいのです。
それが、苦労して進めてきた計画の大切な目的の一つです。
そして、とても重要なことですが、僕が欲しいのは、
あくまで「神格化された」彼女です。
ただの人気者ではない、架空の生き物のように曖昧で、
語り継がれるに資する存在であることが大切なのです。
一言でも「肉体」を感じる情報を発した瞬間に、それは簡単に崩れ去ってしまいます。
※
僕は初音ミクが「欲しかった」
みんなのミク?
冗談ではありません。僕のもです。
ミクの姿・声はもちろん、ネットを漂うその存在感全てが欲しかった。
そして、もし可能ならば、その体に触れてみたかった。
現実と空想の境を見失った人間の、馬鹿げた話なのはそのとおりです。
でも、だからこそ、とり得る事の出来る次善の策として今回の計画を組み上げました。
誰かにミクを「かたがわり」させるしかない。
ミクと同じ意味を持つ、ミクそのものと言えるまでに同質化させた、
少なくともそれに近い、そういう存在を作り上げるしかないこと。
僕はそれに、完全とは言えないかもしれませんが概ね成功したと思っています。
少なくともネット上での反応を見る限りはそう思えます。
そして、彼女をミクとして生まれ変わらせたのは僕で、
それは彼女も同意する二人の真実です。
だからそれは僕のもの。
しかし今のままでは、以前に陥った、思考の中で完結し満足を得ようと
足掻き苦しんだ挙句に失敗した、その経験を無駄にして繰り返す事になります。
だから、僕の彼女への関わりを、彼女を創り上げたのは誰であるのかを、
彼女の神性を保ったままで世に知らしめる必要があるのです。
真実は、多くの人に共有されてようやく事実となりえます。
つづく
-24-
「やっぱり君は表に出るべきじゃない」
ハッキリと彼女にそう伝えました。
彼女の態度は変わらず、強い不満を表します。
そして、もしそうするのならば、今までの成果を台無しにする・・・
要は彼女と僕の、これまでの詳細を全て明かすということのようです。
強い口調で僕にそう言い放ったのです。
これは彼女にとっては特にデメリットがないように思います。
そもそも彼女がその気になればいつでも全てをバラせるし、
みんなに、自分こそがネットを騒がせたミクの「成り代わり」であったと
知らしめることができます。
だけど僕自身にとっては、全てを明らかにされてしまってはそこで終わりです。
僕自身のことだって公開する情報はよく選ばなくてはならないのです。
不利なのはどう見ても僕の方です。
分かっています。例えそうされても僕らの実績自体は消えるわけではありません。
みんなも、なるほどそういう企画だったのかと納得するでしょう。
だけど、それで得られ賞賛はほんの一瞬のまるで花火のようなものです。
その瞬間に祭りは終わりを迎えるのです。
祭りが終われば神様は元の世界に帰ります。
彼女はコスプレを楽しむボカロファンの一人に戻り、
僕もただのいちボカロPとして、多少は華やかになるかもしれませんが、
今と比べたらとても退屈な日常に戻ることになります。
このままでいれば、ずっと語り継がれる一つの「物語」にだって
成り得る可能性があるというのに。
余計なことをすれば、ただの人気者として一瞬で消費されて終わってしまいます。
それを重大な喪失だと思えない彼女に、僕はとても驚きました。
繰り返しますが、もちろん理解できないわけではないのです。
彼女には「姿を晒すな、事情を明かすな」と指示し、
自分だけが全てをコントロールして創り上げたと告白する。
たしかに、一見すると僕だけが得しているようです。
しかし、それは大きな間違いです。
神格化されたアイドルは、その匿名性が命なのです。
存在を明らかにした瞬間、自分が当人であると明かした瞬間、
彼女は単なる一人の人気レイヤーに成り下がります。
神格化されたアイドルでいながら、
自分の存在を明らかにしてその身で直接に賞賛を浴びようとする事は
絶対にと言っていいほど、両立が難しいことなのです。
手に触れられる身近な存在になると言う事は、陳腐化を早める原因です。
自分を安売りするようなものです。
手垢にまみれた肉は腐るのもはやいでしょう。
僕の言う通りにしていれば、お互いに得をするのです。
彼女は神のまま、ミクのままでいられるというのに。
直接的に、分かりやすい形で賞賛を得たいと考えるところは、
やはり少しだけ幼さを含んでいると言わざるをえません・・・
・・・まぁもっとも、僕が言えたことではありませんね。
とにかく、このままではまずいことになります。
しばらく思案した後に、次のような提案をしました。
「最後の頼みだから、どうか一週間だけ黙っていてほしい」と。
提案というより、懇願です。そして日数に大きな意味はありません。
彼女を押さえ込める時間がその程度かなと思ったからです。
※
彼女は、ミクは動画の中で死んだのです。
いまさら表に出てこられても、みんな興醒めでしょう?
お粗末な自己顕示欲で、いままで築き上げたものを崩してしまう、
そんな危険を冒す必要はありません。
僕に任せておけばいいのです。
※
その日、僕は一方的に事の全てを告白しました。
質問は一切受け付けません。
動画も曲も、全て僕の製作・投稿である事。
彼女をブランディングした、創り上げたのは僕であるという事。
未公開の映像や音声のソースを使うなどして、
僕との関連を理解してもらえる、しかし彼女の詳しいディティールが
明らかにならない程度の材料で説明を行いました。
そういう情報を小出しにするやり方だったからか、
最初は誰もが半信半疑、いまいち飲み込めてはいない様でした。
ただそういった状態も長くは無く、瞬く間に真相が理解され、
その事実の大きさに多くのファンが驚き、最大のトピックスとして扱いました。
そんな彼らにとっての大きな関心事の一つは、
彼女自身の素性はもちろんですが、僕との詳しい関係性もそうでした。
予想した通りの反応です。
このような反応に対してとった対応は、
まるでゴシップのようで品性があったものではありませんが、
彼女との肉体的な関係があることを仄めかすこと。
慎重に、あくまで薄く淡く、曖昧なままにして明確には明かさないように。
これは、もちろん更に人の興味を煽る意味もありますが、
(人の興味は結局、喰う事とセックスに収束するのでしょうか)
もっと重要なのは、あくまで彼女の存在は蜃気楼のように不確かだけど、
でもしかし、確かに「現実」に存在する「らしい」という、
そういう非常にデリケートな立ち位置にいる事を強調することです。
その存在自体をハッキリとは明言せず、しかし肉体の匂いも僅かに漂わせる。
これは、今までとってきた方針に大きく逆らうものではありませんが、
危険があることも承知の上です。それを冒すに値すると考えてのことでした。
そういった細かい情報のコントロールをとることで、
あくまで僕が創り上げたという「事実」の修飾を行いました。
そう、大切なのは僕がぜんぶつくりあげたという事実です。
つづく
-25-
みんなが僕と彼女の関係性に、下衆な詮索をいれました。
しかし、僕が与えた極最小限の情報だけではどうしようもありません。
そのどれもが真実から遠いものでした。
みんなが嫉妬しているのがわかります。
僕だけが、ミクと同一視された少女の真相を独占しているのです。
ネット上での話題の動きが面白くて仕方ありません。
かつてない高揚感でした。
数知れない多くのファンの中でただ一人、
ボカロ界隈の話題を進行形で席巻する少女のすべてを、
この僕だけが把握しているのです。
神に触れる事ができる、唯一の人間です。
そう、これです。
僕がずっと求めていた征服感。
僕は彼女を、ミクと等しく扱われる存在である彼女を
だれのものでもなく、自分だけのもにする事が叶ったといえます。
みんなが認めようが、認めまいが、その事実を知らしめる事が出来ました。
心が、暖かく満ち足りて行くのがわかります。
身体中を駆け巡る、信じられないくらいの多幸感。
ようやくこの日を迎えることができたのです。
ようやく・・・ようやく・・・ようやく・・・
ようやく・・・ようやく・・・ようやく・・・
ようやく・・・・・・・
※
・・・そうだ、大切な仕事が残っていました。
自分自身で終わりが肝要だと言ったのに。
この状況を確実に、そして永遠に保つための最後のステップ。
約束の一週間はもうすぐです。
よく大人しくしていてくれました。
そろそろ彼女に会いに行かなくてはなりません
僕と彼女の不安の種を取り除かなくてはなりません。
これが最後です。素直に協力してくれる事を期待します。
僕はあなたの創造に全てを捧げました。
お金や時間は当然の事ながら、
それ以外の計り知る事ができない様々なものだって。
だから、あなたも僕に全てを委ねて下さい。
そうすればあなたも、ずっと輝き続けることができます。
だから、早く彼女に会いに行かなくてはなりません。
この状況を揺るがしかねない危険因子を潰しておくのです。
二人のために。
つづく
-26-
少々手間取りましたが、どうにか事は成りました。
女の子もわりと力があるものですね。それに重たい。
まったく、最後まで苦労させてくれるものです。
だけど、これでもう安心です。
真実を知っているのはもう僕と彼女だけです。
そして彼女は、自分から今回の詳細について口を開く事は無いでしょう。
彼女は永遠に「ミク」そのものとして語り継がれるはずです。
それは彼女だって深く望んでいたことでもあります。
そしてもう、誰も僕と彼女の、この関わりを断ち切る事は出来ません。
彼女はーーーミクはもう僕だけのものです。
幸せとは、こういう精神状態を言うのでしょう。
人が定められた、その人独自の、生かされている理由があるとすれば、
僕はもう、その成すべき全てを成したのでしょう。
もうどうなってもいいという気分です。
晴れ晴れとしています。
初めて曲を作って投稿した、あの日の朝を思い出しました。
どうしようもない、酷い曲だったな。
でもアレが始まりで、この幸せに辿り着く切欠だったのだから、
やはり僕にとっては特別な曲です。
その「どうしようもない」曲が、それだけが僕の部屋に響き渡る音の全てでした。
※
だから、もっと空っぽになるはずでした。
成し遂げた充実感からくる反動で、強い虚しさと、
それから胸を締め付けられるような切なさを感じるはずでした。
これ以上はできることがないという、心地良い無力感に囚われてもいい頃です。
だけど、どうしてでしょうか、
それらはいつまで経っても僕の心に襲いかかってはきませんでした。
相変わらず、ネットでは僕らの話題がさかんに交わされていました。
投稿した動画はいまだに伸び続け、それを元にした二次創作も増えています。
ニコニコ動画のボーカロイドカテゴリーにおいて、
トップから数ページは僕の動画とその関連創作物が占めています。
僕はそれらを一つずつ視聴していきました。
最早僕の作品集といった感じになっているカテゴリ最初の数ページ。
そういえば、自分の作品を投稿後に改めてよく視聴した事は無かったように思います。
いい機会です。一つ一つジックリと見直してみよう。
まだ時間はあるはずです。
この妙な気分の原因がわかるかもしれない。
そんなことを期待して、僕にとって最も思い出深い作品である、
「あなたにぜんぶあげる」を視聴しました。
※
忘れていたあの感じ。
克服したと思っていたのに。
なんのためにここまでやったんだろう。
全部無駄だったのだろうか。
僕は自分の動画を見ながら、
胸の奥から染み出すあの「嫉妬」という感情を感じ取りました。
一体どうして・・・自分の動画にどうして嫉妬するんだろう?
答えを求める混乱した頭は何をしたら良いかを理解できず、
ただひたすらに様々なボカロ曲や関連動画を視聴しはじめました。
どれを見ても何を聴いても!
この嫌な気分が、嫉妬という妙な感情が消えない!
それどころか、それはどんどん大きく強くなっていきます。
みんなの興味は、今も確かに僕に集まっています。
僕の製作物は、少なくとも今のところは
他の誰の作品よりも話題にのぼる機会が多いはずです。
多くの人の時間が、僕の動画や曲に費やされているのです。
僕の動画に・・・
僕の音楽に・・・
僕の・・・
ぼくの・・・
ぼくの
つづく
-27-
・・・なるほど。
・・・どうやらそれは、間違い・・・というか勘違いというか、
とにかく意図とは違っていたという他にありません。
みんなが見ていたのは、興味を注いでいたのは、
僕の作った製作物でもなく、ましてや僕自身でもなく、
そこに登場するキャラクター・・・、いえ「人物」です。
架空の存在のくせに、立派な人格をもった人物。
彼女がいなければ、いまの僕の立場はなかったということです。
僕をここまで引き上げてくれたのはその「人物」だったということ。
例えようのない影響力と存在感。
多くの人の人生に、多少の差こそあれ影響を与えたでしょう。
いま、ようやく気がつきました。
嫉妬の対象が誰かと言う事を。
※
色々なメディアで取り上げられる度に、次々と新しいファンを獲得し、
存在感を増してゆく。みんながミクを肯定しました。
そしてみんなに愛されていきました。
僕はその姿と存在に羨望と、そして憎しみも含んでいたようです。
シンプルな話だったようです。
僕の、強く醜い承認欲求や自己顕示欲は、
決壊したダムが吐き出す、濁った水の奔流のようでした。
ボカロ界隈を欲望のままに汚して、満足しようとしていただけ。
僕が望んだのは、ミクを独占する事ではなく、
僕がミクそのものになりたかったようです。
ミクのようにみんなに知られ、そして愛でられたかった。
僕はミク自身に、憧れと、そして嫉妬という醜い感情を向けていたようです。
普通じゃないかもしれませんが、それほど可笑しな事とも思えません。
ミクに関するニュースに触れた時、
ミクの認知度が上がっていく度に、
あなたの中にも、なんとも言いようがない
複雑な気分が頭をもたげること。
どこか遠くにいってしまうような不安。
それには少なからずの羨望と嫉妬が含まれているはずです。
「自分が一番の理解者なのに」という感情は、
それほど異常なものとは思えません。
そして僕は、それがほんのちょっと強く飛躍して、
ほんのちょっと「変質」していたのでしょう。
そう、それだけのはずです。
それだけ・・・。
他のみんなと同じように、僕もミクを愛しているはずです・・・。
あぁぁ・・・。僕も普通に愛したかった・・・。
つづく
-28-
僕が曲を、動画を作る理由はなんだったのでしょう。
有名になりたいという動機があったのは確かです。
だけどほかに、もっと大切な理由があったはずです。
曲を通して、心のうちを表現したい。
聞いてもらいたいことがあるから、曲をつくる。
そういったような、もっともらしいけど純粋で大切な理由が。
僕は、ミクを、ボカロを愛しているはずです。
でも、実際はどうだったのでしょうか・・・。
いまはもう、自信がありません。
人に自分のことを知ってもらいたい。
その欲求は誰にでもある自然なものだと思いますが、
でも、何事もそうですが、過分になれば歪みも生むようです。
欲求を満たそうと、その手段を選ばなくなったとき、
そして、それを自覚できなくなったとき、
人は人でなくなるのかもしれません。
僕はミクを、ボーカロイドを、そしてそれらを愛する人々を利用しました。
自分自身では深く純粋に愛するわけでもなく、
「これなら手っ取り早くいくかも」という、
「ちやほや」されたいという欲求を、
いかに楽に満たせるかだけが重要でした。
そして、それはミクへの憧れを歪な形で育て上げ、
あろうことか、みんなに広く愛されているミク自身に嫉妬し憎みました。
そのミクを越えようと、ミクを利用するという妙な構図が出来上がったのです。
ミクは今もネット上で・・・いえ、現実でも存在感を増し続けています。
一般の人々への認知度も高まり、その価値を無視できなくなっています。
これからも多くの人たちの元に迎えられ、受け入れられて、
その度に新しい才能を掘り起こしていくでしょう。
もう、どうしようもないことなのです。
だれか一人がコントロールできる事じゃない。
だれか一人の「もの」でもない。
ネット上でのコミュニケーションが作り上げた人物であることを忘れていました。
みんなの、一人ひとりの想い。
それは小さなものだけれども、
確実にミクを構成している要素です。
そしてその中には、不愉快に思われるとしても、
僕の残してきた楽曲・動画もあるはずです。
どうしよもない、初めて投稿したあの酷い曲だって
ミクはいやな顔ひとつせずに歌ってくれました。
最初から肯定してくれていたのでしょう。
それは分かっていたはずなのに・・・。
※
本当の僕の作品は、最初の数曲。
あの初めての大ヒットといえた曲の、それに至る以前の曲達だと気が付きました。
あの曲達は、僕の本当の情念から産み落とされたものです。
完全に反映されているとは言いません。
でも、少なくともそれの含まれる度合いが高いといえる曲です。
数少ないコメントやマイリスト。
僕はその数字のあまりの少なさに落胆し、恥じました。
でもそれは、全く本質を理解できていなかったという他ありません。
もっとその意味を大切にすべきだったのです・・・。
※
振り返ってみれば、随分とあわただしい毎日でした。
さすがに少し疲れてしまいました。
だけど、休んでいる暇はありません。
僕にはもう、あまり時間がないようですから。
計画などと称して、自分の欲望のコントロールを放棄した結果の、
その始末をつけなくてはならないようです。
人を 一人(もしかしたらもっと多く)、
その人生を不幸な方向へと狂わせてしまいましたから。
※
まずは、初音ミクを利用したこと、ちゃんと謝らなくてはなりませんね。
一度アップロードされた曲や動画は、
たぶん色々な形でいつまでもネットに漂い続けるでしょう。
すべてを無かったことにするのは不可能です。
だけど、それでも僕は、僕の動画を削除しなくてはなりません。
最初の理由から動機が不純だったのは、認めざるを得ません。
「ちやほやされたい」
こんな理由で音楽をミクを利用してしまった。
だけど、大ヒットして僕のボカロPとしての転機となった
あの曲よりも前の作品は、まだマトモだったように思っています。
すくなくとも、自分の思いを完全に押し封じて殺すようなことはありませんでした。
微かながらも僕の本当の気持ちを込められていたはずです。
だからそれだけは残すことにしました。
これが僕の、示すことができる誠意の一つだと考えます。
都合のいいことを言っているのは理解しています。
そう受け取ってもらえるとは思えませんが、
このみっともない曲を晒し続けることで、
どうしようもない、しかし僕の本質がそこに居たという証になれば。
そして、そんなものでもミクの一部でありたいと願ったことを、
そんなみっともない人間がいたことを証明し晒し続けてくれると思います。
単純な考えですが、恥を晒し続けることで少しでも詫びようと思うところです。
そういえば、あの「こんな風になって残念です」というコメント。
今になって意味がようやく理解できたと思います。
ちょっと遅すぎたかな?
でも最後に理解できたような気がして良かったです。
※
さて、もう一人のミクにも謝罪しなくてはなりません。
僕が生み出した最大の犠牲者ですからね。
ちょっと遠い場所にいってしまったので、
ちゃんと会えるかどうかはわかりませんが、出かける準備をします。
※
僕がこんなことする資格はないと理解はしています。
でもあえて一応最後に。
ミクが、ボーカロイドが、これからも多くの人に愛されますように。
素敵な音楽が紡がれていきますように。
了
あなたにぜんぶあげる
※あこがれのゆくすえ※
西日が差し込む、パソコン以外には、家具と呼べる物がほとんど無い、
そのためか妙に広く感じる四畳半の部屋に一人の男が横たわっていた。
痩せこけた体に、伸び放題の髪の毛、
土気色の顔が男の生活と健康状態をよく表しているが、
その表情だけはとても満ち足りたものにみえた。
カサついてひび割れた唇をモゴモゴと不器用に動かして何かを囁いている。
澄んだ空気は遠くを走るバイクの騒音を素直に伝えて、
もうすぐあの憂鬱な冬がやってくるという事を知らせていた。
窓のすぐそばには金木犀が立っていて、その香りで自身の存在を示している。
焦点のうまく定まらない、不確かな目でそれをチラリと見遣って、
寒いのは嫌だなと他人事のように呟き、
深く息を吐いてから静かに目を閉じた。
おわり