ヴィンセント・ヴァン・ゴッホによろしく
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホによろしく
拝啓、お元気ですか。胸騒ぎを感じるので、こうして君に手紙を書くことにした。
この手紙は新人賞に出した小説と共にポストに投函した。
僕は2つの言葉を残した。
1つの言葉は、この手紙に綴られているが、これは、君に対して。
もう1つの言葉は、君以外の全ての人に対して。
僕はいつも、目の前のことに本気だった。目の前の事柄に僕の全てを注ぎ続けていた。分かってくれるだろうか。君だけには分かってもらいたい。
君の誕生日の時、僕が自分の不甲斐なさから、君を酷く怒らせてしまったね。
あの時、誕生日プレゼントを買うお金が無い僕は、誕生日プレゼントとして、僕が見えなくなってからこの手紙を読んでくれと言って渡した手紙があっただろう。君はあの手紙を読み、電車の中で一目をはばからず号泣したと言っていたね。
それはあの手紙に書かれていた文章が巧みだったから、君の胸を打ったということは決してない。超絶技巧なんて、たかが知れてる。そんなものは犬に食わせてしまえ。
達者な言葉の念仏なんぞ、馬にでも唱えていればいい。
真に心を揺さぶるのは技術ではない。むしろ技術があると、それが邪魔して真に辿り着けない。真の芸術。それは生に対する情熱だ。生命の持つ熱いエネルギー。
小手先だけの技術では決して辿り着けない極致。
情熱の前では巧みなんてものは、情熱の炎で燃やし尽くされて跡形も残らない。
あの手紙が君の心を打ったのはそこに存った言葉に、不屈の愛が宿っていたからだ。
そしてそれ以外には何も無かったからだ。
新人賞を受賞すれば、作家の道は開かれる。みんな僕を応援はしてくれど、まさか僕が作家になるなんて誰一人として信じてくれやしない。それは彼らの言葉の端々から聴いて取れる。
僕はただ、信じて欲しいだけなのに。
「まさか、あの幸太が」という邪念を拭いきれないのだ。それほどまでに僕の人生は落ちぶれていたのだから、当然だ。
しかし、僕の奥底に確かに存在する何か(それはまるで、僕では無い、確かに在るもの)
が、僕にこう訴えている。
「為る」と。その経った2文字の言葉の威力はまるで僕を圧倒する。
僕が新人賞を受賞し、作家に成った暁には、結婚しよう。回りくどかったが、この手紙は『告白』の手紙だ。もう1つの君以外の全ての人に向けた僕の言葉も、同じく『告白』である。
僕は、不屈の愛で、生涯を賭けて、生涯を掛けて、生涯を翔けて、君を愛する。
決して消えることの無い炎で、君を永遠に。永遠に。
敬具
(1日目・月曜日)
繊細とは一体何なのか。ただ弱いだけではないのか。
まるで弱さを格好良く飾ったような言葉じゃないのか。ただ心臓が小さいだけなのではないのか。僕は繊細な自分を否定する。
僕は良く僕に「前を向いて歩け」と言うが、それが出来るのなら、すでにそうしている。それが出来ないからこそ、下を向いて歩いているのではないか。
何が良くて、何を選べば幸せになるのかなんて知っている。しかしそれを選べないから、苦心しているのではないか。僕はそれに気付いているはずなのに、もう片方の僕は全くもって鈍感で気付いていない。
夜になるにつれてやってくるこの胸の痛みは一体どうしたら除去できるのだろう。
孤独という病魔は不治の病なのか。僕という人間はただ一人、僕しかいない。それ以外は他人である。よって僕のことを他の誰かが本当の意味で理解する術は無い。例えドッペルゲンガーであろうと、それは僕ではない。僕とそっくりな遺伝子を持つ他人なのだ。
つまるところ、他人のことを分かったつもりではいても、本当の意味で分かるはずはない。他人なのだから。他人である限り、分からない。
だから認められたいなんて思いは捨てるべきだ。有名になりたいなんていう思いは捨てるべきだ。もしも有名になってもその孤独は1mmとして埋まることはないのだ。
マイケルジャクソンを見よ。彼が幸せだったか?彼の孤独は埋まったか?
寧ろ孤独は増すのだ。女性と寄り添いたいなんて思いは捨てるべきだ。女性と寄り添っても孤独は増すばかりだ。裏切り、裏切られ、お互いが傷付くだけなのだ。
孤独を埋めるために行った結果、その孤独は増してしまうのだ。
富と名誉を手に入れたフレディマーキュリィも死ぬ間際に「全てが虚しい」と言っていたではないか。栄華を極めたソロモン王も全く同じ言葉を吐いている。
欲の果てに手に入れるものはきっと、虚無と孤独だ。
それなら、これ以上、この孤独という腫物に触れないほうがいい。今よりこの孤独が大きくなるなんて考えただけでも発狂してしまう。ということは分かっている。分かっているにも関わらず、僕は仕事を退職し、自分の唯一褒められたことがある文章というものを使って作家になることを志している。
それも孤独を埋めるための手段。芸術は自己表現。僕は自分を分かってもらいたいという思いと、地位と名誉が欲しいという思いで作家を志している、つもりではないが、その思いが、大きくあるのもまた事実。だけど土台にあるのは「使命を全うする」ということなのだ。地位と名誉なんてドブに捨ててしまえ。
仕事を退職したことにより、何処にも所属していない(つまり無職、無所属)という状況は不安と焦りと孤独が一挙に押し寄せてくることになった。特に夜になるにつれ、それは酷くなる。
さぁ、ならず者の明日はどっちだ。吹けば飛んでいってしまいそうな脆弱な心で、僕は必死に飛ばないように地面を這いつくばる。
いっそのこと、飛んでいってしまえば楽なのに。と思いながらも僕は一生懸命地面に這いつくばる。何故なら、僕の使命は書くことなのだ。飛んでいくわけにはいかない。
取りあえず、書かなければ。今は一心不乱に書くだけだ。今に見てろ、今に。
女にフられたぐらいで寝込んで時間を無駄にする訳にはいかない。僕には時間が無いんだ。
しかし、信じられないぐらいの虚脱感が襲ってくる。僕は自分を奮い立たせるために自分に語りかける。
僕よ、心して聞くが良い。お前には時間が無いんだ。分かるな?書け。書くんだ。
人生を意味のあるものとするためには、書け。生きたければ、書け。
一時の孤独を埋めたいのなら、書け。書き続けろ。夢はその彼方にあり。
僕は今にも寝込んでしまいそうな自分を必死で力付ける。貧弱な心の唯一の支えとなるのは自分自身だ。頑張れ。書け。書け。
念じるようにそう言い続けたが、やはり貧弱に変わりはない。そして自分自身が一番頼りにならないことを思い出す。自分自身が最も自分を裏切ってきたことを思い出す。
僕はそのままベッドに突っ伏し、そのまま起き上がることは出来なかった。
ダメだ。受け入れよう。それもまた僕だ。レットイットビーの曲が頭の中でこだまする。
LET IT BE,LET IT BE, THERE WILL BE AN ANSWER LET IT BE
(なすがままにしなさい、なすがままにしなさい。答えはそこにある。だからそのままにしておきなさい)
ダメだ。昔はロックに助けを求めていたが、ロックは僕を救ってくれやしなかった。
ロックイズデッド。否、ブルースもロックも初めから生きていないから死んでもいない。ただの幻だ。ロックは始めから泣きも笑いもしない。愛は地球を救うなどといった戯言と同じレベルだ。
あらゆる歌の歌詞に共感を覚え、その歌に励ましてもらおうと聴き続けるが、それは結局無駄だった。それだけ共感の出来る言葉や歌詞を持ってしても孤独は埋まらなかった。
その時は埋まったと錯覚を起こすのだが、翌日には空っぽだった。
今は違う者にすがっている。僕が昔、最も敵対していた者にすがっている。それは僕に平安の心を与えてくれる。孤独が埋まるのを感じる。
「主よ、あなたがいつも共にいてくれます。あなたに助けを求めます。平安を与えてください。イエスの御名によって、アーメン」
そう祈りながら僕は布団の中で眠ろうと格闘していた。
祈りながら寝ると、おそらくすぐに眠れるだろう。分かっていながらそれをしなかった。
あれやこれやと何かを考え始める。考えると、考えるだけ不安が募る。そして自己憐憫に陥る。センチな気分に感情が支配され、その感情に酔いしれる。
――あぁ、そうか。せっかくだ。眠れない今のうちに、僕が一体ぜんたい何者で、今どういう状況なのかということをお話しでもしようか。
僕の名前は瀬戸幸太
小学生の時の僕は明るく、走るのが早く、それなりの人気者だった。小学生というのは、走るのが早いだけでかなりの英雄になれるものだ。成績もそれなりに良かったし、中々の天狗だった。
しかし、どうしたことか、中学生になった途端、僕はてんで暗くなってしまった。いつも前髪を目がかかるほどに伸ばし、授業中はひたすら寝て、休憩中は漫画をひたすら読んでいた。家に帰れば一目散にインターネットだ。当時はまだネットが普及し始めて間もない頃だった。ネットをすると電話料金が恐ろしくかかる時代だ。
毎月2500円で夜の11時から朝の7時まで無料でネットし放題というテレホーダイというプランがあった。僕はそれに入っていたのだが、夜11時とはいかなるものか。遅すぎる。我慢出来なくて、学校に帰ってきてすぐにネットを2時間ほどやっていた。
おかげで毎月の電話料金が高くなり、母に良く怒鳴られた。
一度Q2ダイヤルを使ってしまい、電話料金が4、5万もかかり、母に烈火のごとく怒られたことがある。
友達に聞けば「俺も同じことして怒られた」と言っていたので、当時の思春期の子供たちは日本中で同じように烈火のごとく怒られていたのであろう。
それにしても夜11時から朝の7時まで使い放題なんて非人道的ではないだろうか。
まるで廃人要請プログラムである。
中1からネットにハマった僕は四六時中チャットをしていた。
夜の11時から深夜2時か3時までチャットをするのは、ざらである。
そして学校ではもちろん寝不足なわけで、授業中はほとんど起きていることが無かった。
思えば、あの頃から僕の人生は崩壊の一途を辿っていたのだろう。
おかげで成績はズタボロ。部活の青春はパスし、誰よりも早く家へと帰り、TVゲーム、インターネット、漫画、映画というここでは無い何処かへと旅をする。
逃げ込める先は無数にある。日本という国は現実逃避に持ってこいのワンダーランドだ。
ネット、ゲーム、漫画、映画三昧の日々。他に何をしていたかほとんど覚えていない。
音楽は聴いていた。パンクロックを俗に言うヴィジュアル系を。
友達と遊んだことなんてほとんど無かったと思う。根暗一直線だ。
それになんだか対人恐怖症のようになっていた。
同じクラスの少し悪ぶった奴に「ホリアキ、お前今日の体育の補修どうすんねん?」
と聞かれた時に、なんだか言葉が出なくて「どうしようかな」と言いたかったのに「ど、ど、ど」と次の「う」の言葉が出なかった。初めての吃音ってやつだ。
『自分より各上』と自分で認めた人に対して、怖くて喋ることさえままならなかったのである。
だが、キレたら殺す勢いという難癖を持っていた。
僕は中学へ入学してから2週間ほどテニス部にいたのだが、ある日、昼休みから教室へ帰ってくると、自分の机の横に置いてあったテニスラケットが無くなっていた。
しばらくすると同じクラスの奴が非常に申し訳なさそうな顔をして僕の泥まみれで変わり果てた姿のテニスラケットを差し出してきた。僕はその時にキレた。
「お前やったんか?」
と震える声で言うと、彼は
「ちゃうよ。西野がやってん」
とのこと。
西野は典型的な不良だ。ボンタンを履き、髪の毛を茶髪にしてタバコを吸い、奇妙なモミアゲを伸ばしている。授業にはあまり出ない。僕は彼をぶっ殺そうと思った。
西野が教室に入ってき次第、このテニスラケットを奴の頭上に、脳天を直撃するばりに、おもいっきり振り下ろして、後はもう誰かが止めに入るまで頭を執拗に乱打しようかと思っていた。だが、待てど、暮らせど、奴は来なく、次の日も来なかった。
そのうち僕は怒りが冷めてしまった。未だに何故急にあんなことをされたのかイマイチ分からない。僕は、からかわれることは何度かあっても、そのキレやすい性質からイジメられることは無かったからだ。西野は命拾いをした。ちなみに西野は少年院に2度入り、2度目の少年院で成人式を迎え、そこで回心し、出所した後は真っ当に生きるようになり、今では立派に就職をして結婚もしている。僕よりも数段も立派になっていることに、理不尽さを感じる。
そんなこんなで中学の暗黒時代は進んでいき、受験シーズンだ。僕は成績が悪すぎて、公立の高校に進めなかった。
いや、下から数えて一番下の豊北高校にはなんとかいけたのだが、バカのトヨキタと呼ばれるほどに頭の悪い高校に行くなんて。それはインテリで高尚な思想を持っていると勘違いしていた僕のプライドが赦さなかった。
僕は学校と社会と人間というのを徹底的に見下していた。そして私立に行かせてもらったわけだが、私立はお金がかかる。だが、家はお金に困っているわけでもなかったので僕は悠々と私立の頭の悪い高校へと進学することが出来た。その時、親に感謝なんて全くしていない。感謝のkの字すら無い。
結局はバカのトヨキタとランク的には変わらないのだが、私立ということで僕のプライドは落ち着いた。
俺は他のやつらと違う。特別な人間だというプライドが僕を束縛し、僕の人生を崩壊へとエスコートしてくれたといっても過言では無い。
私立の久留米高校へ入学するが、僕は相変わらず根暗まっしぐらだ。
それでも、それなりに友達も出来た。あの時、バイク好きな奴と少し仲良くなり、車の公道でレースをする犯罪助長的漫画を貸してもらったりしていたが、その時にもうちょっと彼と仲良くなって中免の免許を取るなどして、バイクに夢中になったていれば、それなりの青春をエンジョイ出来ていたのかもしれない。
と、考えてみたがやはり無理だ。何故なら何をやっても長続きしなかったのだから。
それに僕はスピード狂の恐れがあるので、今頃ガードレールをぶち破ってこの世からオサラバしていた可能性も高い。
そうだ、あの時僕はボクシングに挑戦したんだ。
僕が何かをやる時は、世界一を目指す以外に無かった。ボクシングの世界チャンピオンになる。そう堅く決意し、僕が憧れていた世界チャンピオンのボクサーが現役でいるジムへと通うことにした。
しかし、いつも途中まで一緒に帰宅している同級生に、ボクシングを始めたと言うのがなんとなく恥ずかしかった。始めたばかりだから「どうせすぐやめるんじゃないか?」と思われるのが嫌だったのである。(まぁ、すぐ辞めたのだが)だからある程度時間が経ち、強くなってから言おうと思っていた。これもプライドだろう。
僕の降りる駅は環状線の鶴橋で、そこから近鉄奈良線に乗り換えて弥刀駅まで行くのにも関わらず、ジムのある京橋で降りていた。
そんな僕を見て仲間たちは「いつもなんで、京橋で降りてんの?」
と訊いてくるが僕は「ちょっと用事がね」というだけで口を貝のように閉ざしていた。。
そのうち仲間たちは「彼女だ。彼女に違いない」と言うが、そう誤解されることも悪くなかった。16歳の男子校に通う高校生に彼女がいるというのは、中々のステータスになるのだから。だから僕は何も言わずに含み笑いをした。そうすれば、余計に彼らは勘違いをするのだ。
僕という人間はなんとも狡猾であり、それでいてなんとも滑稽なんだろう。
僕は体力というものが圧倒的に無い。いや、根気か。
朝4~50分かけて電車通勤で高校へ行きながら、ジムへ通うというのは僕の中で相当な重労働だった。そのうちジムも行ったり行かなかったりするようになっていく。
義理の親父に「何かするんやったら、最後までちゃんとせぇよ。行ったり行かんかったりじゃなくて、真剣にせなあかんわ」と説教された覚えがある。確かにその通りだが、その時義理の親父が嫌いだった僕は、心の中で腐るほどの言い訳を考え、義理の親父の言うことを一生懸命否定していた。
そろそろ眠くなってきた。この辺で昔話はお開きにして寝ることにしよう。また眠れない夜にでも続きを語ろう。なんだ、もう深夜の2時じゃないか。最近はやけに不眠気……
(2日目・火曜日)
――リリリリとスマートフォンのアラームがまどろみの中、耳につんざく。不快だ。不快このうえない。
目覚ましの音はどんな音にしようと、その音が嫌いになる。だから好きな曲を目覚ましにはしない。その曲を嫌いになる可能性があるから。
そういえば時計仕掛けのオレンジという映画で、主人公のアレックスを更生するプログラムの一環で、拘束し、目を開けっぱなしにさせ、暴力シーンを延々と観させ続けて不快な気分を与えることによって、アレックスがいざ、暴力をしようとすると吐き気がして、暴力が出来なくなるという非人道的な更生プログラムを行い、その時にアレックスの大好きなベードーベンの曲が映像と共にかかっていて、おかげさまでその大好きなベートーベンの曲を聴く度に吐き気を催すようになったというストーリーだったが、それに近い。
どうせ嫌いになるなら元から嫌いな音にしようと思い、そうしている。もしかしたら裏返って好きになるかもしれない。世の中から嫌いなものをなるべく無くしたい。
無くすにはどうすればいいか。それを消し去るか、逃げるか、好きになるかのどれかだ。
昔は消し去るか、逃げるかをしていたが、そうして消し去るか、逃げるかをしていると嫌いなものがみるみるうちに増えていき、もはや消し去ろうとすれば消し去られ、逃げようとすれば取り囲まれて逃げ場所が無くなってしまった。今は仲良くするようにしている。
合気道の伝説の達人と謳われた塩田剛三が、弟子に「一番強い技はなんですか?」と聞かれた時、塩田剛三は笑いながらこう言った。
「それは、私を殺しにきた相手と友達になることだよ」と。
涙が出るほどの武道の境地ではないか。まぁ、そんなことはどうだっていい。どうだって。
スマートフォンの時計は5時30分をさしている。僕はささやかな怒りをぶつけるかのごとく、スマートフォンをタップしまくりアラームを止めた。寝不足だ。圧倒的な寝不足。
だが、起きなければ。
ナマケモノのごとくのそりと布団から這い出し、ほとんど夢遊病患者のように、ぬぼぉっとした表情で布団を綺麗に治す。布団を綺麗にするのは施設暮らしが長かったからだ。
部屋から出て、病院の検査技師の仕事の勉強をしている母に僕は言った。
「おはよう」
それに対して、母は言った。
「おはよう」
さぁ、朝飯を食って教会に行こう。
キッチンに行き、食パンを一枚取り出し、そこにマヨネーズをかけ、とろけるチーズの類いをふんだんにかけまくり、オーブントースターで5分ほど焼く。
焼いているうちにヨーグルト2つとヤクルト1つを冷蔵庫から取り出し、机に置く。
そして母が用意してくれていたコーヒーをスナフキンの縦長のコップに入れ、ごくりと3口で飲む。ブラックコーヒーは苦いだけで美味しいとは思わないが、眠気覚ましに飲むことにしている。味合わないために3口でごくり、ごくり、ごくりと飲む。コーヒーというのは、カフェインというのは、眠気を覚ますのに何よりももってこいだ。圧倒的な力で眠気を克服してくれる。
それはまるで魔法のようだ。うーむ。ええい、もっとこう、たくさんの語彙を散りばめてコーヒーを讃えたいのだが、僕にはそれほどの文章能力と語彙が備わっていない。この歯がゆさにモヤモヤする。語彙の無さは作家として致命的なのではないか。もっと語彙を増やし、文章能力を磨かなければ、僕に未来は無いのかもしれない。
未来の無い僕なんて、ただの失敗した太宰じゃないか。失敗した太宰なんて、ただのクズじゃないか。僕はゾッとした。
太宰は成功したクズだ。いや、人のことをクズ呼ばわりするなんて嫌悪感がある。
クズなんて人間はきっといない。人間はみんな、平等に罪人だ。
それにしても、太宰は天国に行ったのだろうか。芥川龍之介はどうだろう。彼は聖書を枕元に置いて服毒自殺をした。意味深な死に方だ。
それは果たしてクリスチャンに対しての挑戦状なのか。それとも、最後に悔い改めてクリスチャンになったのという証明なのか。
後者であってほしい。
彼の小説ほど、この世で最も醜くて薄汚い罪に対して描いた小説は無いだろう。
聖書を枕元に置いての服毒自殺。果たしてそれは、この世には救いは無いという挑戦的なメッセージなのか、それともここに救いを見つけたりというメッセージなのか。
神のみぞ知る。死んだ後に分かるだろう。もしくは分からないだろう。などと考えているといつの間にか朝食は平らげてしまった。
皿を洗い、ノートパソコンをカバンに押し込め、その後に『作文技術を上達する法』という本を押し込める。そしてスマートフォンの充電器を押し込めて500ミリペットボトルのお茶を押し込め、最後に聖書を押し込めると、もう押し込めるものは何も無い。
聖書をぞんざいに押し込めるというのは少し抵抗がある。何故なら僕はクリスチャンだから。明日からは丁寧に押し込めよう。
次に、Gショックの腕時計を左腕にはめ、安全ピンの形をしたキーホルダーリングをベルトループに装着する。ジャララと音が鳴る。ジャララと音を鳴らすような年頃では無いかもしれない。しかし、鳴らしたい頃合いなのだ。
ワックスで髪を念入りにセットし、目がチカチカしそうな紫とオレンジのペイズリー模様を散りばめたカッターシャツを着る。ある人はこのカッターシャツを着た僕を「チンピラみたいだ」と言い、ある人は「オシャレだ」と言い、ある人は「可愛い」と言う。
チンピラみたいだと言う大半は男か、若しくは昔の彼女の由香ちゃんで、ボケ合って笑いあっているような仲の奴が多く、オシャレだという大半は澄ました関係か女性が多く、可愛いという99%が女性で、1%がゲイだ。
僕は自分でこういった服装にどういう印象を受けているかというと、奇抜、アブノーマル、少しズれたセンスと言ったところか。それはつまり、オシャレの領域に入る。
僕はヤンキーやチンピラ系をあまりオシャレとは思わない。彼らは派手で攻撃的なファッションが好きなだけで、彼ら自身も自分たちがオシャレだとは思っていないだろう。
しかし、僕のファッションスタイルはチンピラ系に見えないことはない。だけど、チンピラではない。サブカルチャー的なファッションスタイルと言えよう。
だが、サブカルチャー的ファッションスタイルという繊細な感性が伴っていない人からすると、残念ながらチンピラとしか受け取ることが出来ないのである。とは言ってもそんな彼らを鈍感な奴だと言っているわけではない。最初に言ったように僕は繊細というのは脆弱な魂なのかもしれないと思っている。
繊細だから脆弱な魂なのか。それとも脆弱な魂だから繊細なのか。どちらにしろ(どちらでもいい)、繊細な人が傷付きやすいというのは今では既に一般常識とも言える。
繊細の対義語として最も近い言葉は粗雑(精密でないこと。あらくて、ぞんざいなこと)と言われるが、僕はそれに対して意を唱えたい。それではまるで、繊細が良くてその逆は悪いみたいではないか。繊細な人はデリケートで傷つきやすく弱い反面、人の痛みが良く分かる。繊細の逆な人はデリカシーが無いところがあるが、痛みに強いところがある。
デリカシーが無く痛みに強いからといって人の痛みが分からないとも限らない。
それに繊細な人よりも繊細とは逆の人のほうがイザという時に人を助ける行動が早かったりもする。みんながみんなそうとは限らないが。人の持つ性質に限っては、ほぼ全てにおいて良いところと悪いところがあるのだ。「ほぼ」と付けたのは、例外が存在するかもしれないからである。
こっちのほうが良いとかこっちのほうが悪いとかはない。日本がずば抜けて良くてアメリカと韓国と中国がずば抜けて悪いなんて思わない。人は平等に罪人であり、国は平等に罪国である。しかし、そんなことはどうだっていいのだ。どうだって。否、どうだっていいことは無いが、この話に至ってはどうだっていいことなのだ。
世の中の大半がどうだっていいことで出来ている。おそらく僕たちの日常会話も7割がどうだっていいことだろう。
しかし3割は大事なことなのだ。その割合が大事だ。どうだっていいことで心を軽くし、大事なことの3割で地に足をつける。大事なことが4割以上になるとおそらく重すぎて地に埋まってしまうだろう。動けなくなり、そこには不幸しかない。だから7割はどうだっていいことで軽くしとかないといけない。(会話が極端に少ない家庭、職場、仲間にはどうだっていい会話がほとんど無いので例外も存在する)
しかしどうだっていいことだけだと飛んでいってしまう。空中をふわふわと飛んだまま、わけの分からないところに到着してしまい、その先には不幸と絶望しかない。
僕たちに大切なのはいつでもバランスだ。そして僕たちはいつもフラフラになりながらやがてバランスを崩す。しかしそんなことも今この場ではどうだっていいことなんだ。僕はいつも話が脱線してしまう。真っすぐ歩くというのは大変だ。あれやこれやと寄り道ばかりしてしまう。
「行ってきます」
僕は比較的大きく明るい声で母にそう言った。
「行ってらっしゃい」
母は比較的大きく明るい声で僕にそう言った。
奥のリビングから「行ってらっしゃい」と義理の親父の寝起きの声が聴こえる。
僕は電車に揺られながら閃いた小説のストーリーを、忘れないようにすぐにスマートフォンのメモ帳に打ち込んでいった。
車両には、まだ眠そうな男と女が数人いた。
2駅走ると瓢箪山駅。僕はここで降りる。瓢箪山駅。なんとユニークな名前だろう。
小学生の時に、女の子の転校生が来た。その子は瓢箪山駅という駅が最寄りのところから引っ越ししてきたと聞いた。それだけ彼女はしばらく笑い物にされ、ほんの少しのイジメを味わった。子供がイジメをする理由なんてほんの些細なことから始まる。
何か違う、変だと思えるようなことがあるとそれが引き金になる。
なんとも恐ろしいことである。『みんな違って、みんないい』の教育がもっと必要だ。
朝6時の瓢箪山駅は9月にしては少し寒く、そしてまどろんでいる。これが12月ともなればまどろみは消えシャキィンとした空気に一変する。
夏の朝はまどろみ過ぎて気持ち悪く、あまり好きではないが、冬の朝は結構好きだ。
悴む寒さが無ければ大好きだったのだが。肉体に堪える寒さのせいで『結構』以上の上にはいかない。世の中、スムーズに全てが上手くいかないように出来ているものだ。いつも何かが引っかかる。
クシャクシャになった切符(どうしていつもクシャクシャになるのか。僕はおそらく何等かの精神疾患や人格障害なのだと自覚している)を自動改札機に入れ、左に曲がり、瓢箪山の商店街を突き抜ける。しばらく歩くとスーパーが見えてくる。右の路地を曲がり、少し歩くと真正面に靴屋が見える。右折するとその隣に演歌のポスター等が貼ってはる。少し古びたCDショップ。その隣に、僕の通っているインマヌエルキリスト教会がある。駅から徒歩7分ぐらいだ。
教会と言えばどんなイメージがあるだろう。喫茶店を改築したようなイメージとしてとらえてもらえれば良い。白いガラス張りのドアを開けると、薄暗い縦長の部屋に椅子が整然と並べられており、左前の真ん中に講壇があり、講壇のすぐ後ろに木製の十字架が掛けられている。講壇の左と右にある、スタンド型の3つ連なっているスポットライトが、それぞれ照らすべき場所をぼんやりと照らしている。賛美のBGMが静かに流れている。
1つのスポットライトの電球が切れていて役目を果たしていない。既に事切れて3か月ほど経つが、こういうのを気付いた後、自主的にいち早く取り替える者こそが、器の大きい人と呼ばれる一端なのだろうと思う。
僕は気付いていながら取り替えないその他大勢だ。明日は必ず取り替えよう。しかしお金が無い。そりゃお金があれば、自主的に、尚且つ自費で、それでいて誰にも気付かれないように取り替えているところなのだが、残念だからお金が無い。
隠れたところで、誰にも気付かれずに善いことをすることこそが、キリスト者として最も神様に喜ばれる方法なのである。残念ながらお金が無いので教会から出してもらうほかない。牧師先生に「電球取り替えましょうか?」と聴くことにしよう。
その牧師先生こと、吉田牧師は奥の方で祈っている。もう1人、韓国の宣教師の先生が、部屋に入ってすぐ左横にあるドラムセットの近くで正座をして祈っている。
僕は講壇の目の前に腰を降ろして正座をした。そして目を閉じ、祈り始める。
祈りは自由だ。思ったことを祈る。例えば、今日一日全ての危険事故災いからお守りくださいであったり、作家になれますようにであったり、自分のことを祈ったり、そして色々な人のことを思い出し、祈る。その人の今の問題が解決するようにであったりと色々だ。
しばらく祈り、しばらく聖書を読む。そうして1時間が経つと午前8時だ。僕はいつも7時5~10分前に教会に来て、8時きっかりまで祈る。クリスチャンがみんなそうしなければいけないなんてことはない。クリスチャンはフリーダムなのだ。
聖書には『私には全てが赦されている。しかし全てのことが益になるわけではない』
と書かれている。クリスチャンは赦された罪人なのである。だから、「クリスチャンになったらこれをしなければいけない」ということは何一つとしてないのだ。何一つ。
7時50分になると、「幸太」と後ろから声が聴こえた。天使の声かと思ったがそれは吉田浩二牧師だった。天使とは程遠い風格をしている。天使を観たことはないが。
僕は後ろを振り返り「おはようございます」と言った。
「話かけてもええ?」
と吉田牧師。
「全然いいですよ」
と僕。
「小説ええ感じ?」
吉田牧師は椅子から立ち上がり、腰を左右にまわしながらそう言った。
身長187cm、体重90キロ近い吉田牧師が立ち上がると、それだけで迫力がある。
吉田牧師が10代の頃は東大阪で有名な暴走族のリーダーをしていたポン中だった。
喧嘩をする時にすぐにナイフで刺すことから『人刺し浩二』と呼ばれていた凄まじい過去を持つ。しかし、少年院にいた時に兄から聖書を差し入れてもらい、暇つぶしに読んでみたのがきっかけでクリスチャンになったというドラマチックな過去を持つ。
今では昔の面影を全く感じさせないほど腰が低く、おだやかで優しい。腰の低さは牧師随一なほどに定評がある。
「ええ感じですよ」
と僕は答え、椅子を吉田牧師の方へ向ける。
しばらく雑談をした後、吉田牧師は帰り、僕は教会の二階へと行く。
一番奥の右端にある木製の少し急な階段を、ぎしぎしと音を鳴らしながら昇っていくと、階段を昇り切ったすぐ左に、カーテンで仕切られた台所と冷蔵庫と机とその他色々がある6畳2間の部屋がある。祈り終わった後は大体宣教師の明先生がこの部屋で難しい本を読んでいる。今日も居るようだ。さらに奥にささくれが目立つ木のドアがあり、そのドアをミシリと開けると、また同じように6畳2間の部屋があり、ここが僕の1つ目の仕事場である。
この部屋には扇風機とダークブランのローテーブルしか置いていない。
薄緑のカーテンで仕切られた押入れにはたくさんの布団や、色々な雑貨類、工具道具などが乱雑に置かれている。
僕はカバンからパソコンを取り出し、テーブルに置き、電源を入れる。ファンのまわる音とともに画面が明るくなる。
僕はこのパソコンを立ち上げる時の音が好きだ。その音の先にはあらゆる可能性を秘めているからである。中学の時にインターネットを始めた時からこのかた、パソコンは僕の害にもなり、右腕ともなる。使い方次第、自制心次第である。害になるか益となるかは自分次第だ。
パソコンが立ち上がるまでにカバンの中から本を取り出す。文章技術の本と、作家になるためには系の本だ。そしてパソコンが立ち上がると、アイコンが散りばめられた、整理がされていないデスクトップが広がる。
その中の「タイトル未定」という名前のワードをダブルクリックし、開く。
そして準備完成だ。よし、寝よう。
僕は扇風機の強のボタンを押し、カバンを枕替わりにして布団の中にモゾモゾと潜り込んだ。2度寝の安らぎといったら計り知れない。しばらくこのまどろみを楽しみたい。
そうだ、また僕の過去のお話をしようか。夢の中に行くその時まで。
――えっと、高校1年でボクシングを始めたところだ。学校終わってからジムに行くのが億劫になってきて、そしてそのうち行かなくなってきたのだ。
授業中は相変わらず机に突っ伏して寝ていた。
この頃からネットゲームにハマりだし、2時、3時過ぎまでの夜更かしの頻度は度を越えてゆき、高校生活が眠くてダルくて、とんと、くだらなくなってきた。
ヤル気の欠片さえ見えない僕を見かねて音楽の先生が話かけてきた。
「瀬戸君はどうしてそんなにつまらなさそうなんだい?なんかやりたこととか無いの?」
成績は下から1位か2位で、授業中はひたすら寝ていて、帰宅部で、何の取柄の無い僕は先生からも全く相手にされていなかった、そんな僕に話かけてくれたのが嬉しくて、僕は心を少し開いて音楽の先生にこう言った。
「俺はヨーロッパを旅したいんです。スナフキンのように。ヨーロッパに行きたいです」
すると先生は怪訝な顔をした後に苦笑をし「もっと現実的なことでなんかないの?」
と言ってきた。僕はそこで再び心を閉ざし、口も閉ざし、そのまま机に突っ伏して寝た。少しでも心を開いた僕がバカだったと猛省した。
実際やろうと思えば出来る。留学やワーキングホリデー等の手を使って。馬鹿にするような夢でもあるまい。と思った。
僕を構ってくれたのはこの音楽の先生だけだ。高校の先生はみんな冷たかった。そして生徒のことよりも学校の体制を重視していたり、やたらと権利を振りかざしていたように見える。
中学までの義務教育とは打って変わったその態度に、冷酷な社会というのを垣間見た。
中学の時から社会を批判したような歌詞の歌や映画、漫画を好んで聴いたり読んだり見たりしていたが「やっぱりそうか、その通りなのか」と心の中で強く思った。
しばらく嫌々ながら学校生活を続けていると、僅か半年ばかりで留年がほぼ決まってしまった。そうとなれば辞めるしかない。
何故ならダブりなんて僕のプライドが赦さないのだから。同級生に敬語を使われてたまるか。それに僕は特別な人間だから普通に高校を卒業し、大学を卒業し、就職してサラリーマンになるなんていう轢かれたレールをはい、そうですかと何も疑問に持たずに生きていくことなんて出来ない。
ということで親もあっさりと承諾してくれ、なんのこともなく退学した。
退学した僕は自由人になった気がした。しかし引きこもりを許さない母はすぐにバイトを探せというので、すぐにバイトを探した。今思えば良心的な母である。もっとアメリカのお菓子のような砂糖べったりの甘い母だったら、怠け癖のある僕は今頃10年ぐらい引きこもっていたかもしれない。
早速、有名回転寿司チェーン店でバイトを始め、以前とは違うボクシングジムへと通い始めることになる。まだ世界チャンピョンの夢を諦めたわけではない。
週3,4ぐらいのバイトをしながら、ジムへ通う日々となる。
僕は一生懸命練習をした。最初は縄跳びを3分間飛び、1分休憩するのを何回も繰り返した。途中から残り30秒はダッシュで縄跳びをしろと言われ、そのようにした。
血ヘドを吐いてぶっ倒れるんじゃないかと思うぐらい辛かったが、僕は手を抜かずに死力を尽くした。
最初は全てが順調だったが、いかんせん対人恐怖症チックなところがある。まず、回転寿司のバイトからヒビが割れてくる。
バイト先での人間関係が恐ろしかった。何が恐ろしいのかと言われると良く分からないのだが、とにかく恐ろしいのだ。「お金を貰っているからちゃんとやらないとダメだ」というプレッシャーがやたらと僕を苦しめる。手が震えるほどに緊張をする。
「これはどうしたらいいですか?」と聴くことに極度に緊張する。人と会話をするのが恐ろしい。義理の親父に一度
「俺対人恐怖症かもしれん」
と言うと、
「同じ人間やから怖がる必要ないやろ」
と言われた。その通りである。理屈は分かっているが怖いのだ。理屈が分かって解決するのなら、この世から悩みの大半は一掃されるではないか。
何が怖いのかと問われると良く分からない。ただ、変な人と思われたらどうしよう、嫌われたらどうしようという思いが強かったのかもしれない。
自分で自分に極度のプレッシャーを与え、自分で自分の首を絞めて苦しんでいたようなものだ。それは傍から見れば実に歯がゆく、非常に滑稽である。
僕が人間よりも恐れていたことがある。それは人生に意味が無いということだ。無神論者だった僕は、無神論の行き着く先を知ってしまった。それは、最後に死(死は無という考え)が待ち受けているなら、人生にはなんの意味も無いということである。
どんな悪い人でもどんな貧乏な人でもどんな良い人でもどんな金持ちでも、最後はみんな同じ死という無。もしくは、無という死が待ち受けているならば、結局のところ何をしたところで同じだという悟りである。
僕はプライド、名誉欲の故に何かで成功したいと願っていたが、結局それも意味が無いことを知っている。ただ僕は果てることが無い欲によって動かされているだけである。
話は遡るが、小学校6年生の時のことを話そう。
何がきっかけかは全く覚えていないが、僕と、友達のユウ君と慶介の3人は先生に「あんたたちはもう授業に参加しないで体育館の外に出ていなさい!」
と怒鳴られた。あまりにもヒステリックに怒鳴る先生に怯んだ僕たちは、体育館の外に出て、放心状態のまましばらくぼんやりと運動場を眺めていた。
ちなみにユウ君とは、僕が中学の時にQ2ダイヤルで怒られた時に、「俺もそれで怒られたことある」と言っていた同士である。
僕はその時、何故だか頭が哲学的な気分になった。そしてきっとユウ君もそうなんじゃないかと感じたのだ。
「死んだらどうなんねやろ」
運動場を眺めながら、僕はボソっと言った」
死んだらどうなるのか。それは究極の問いである。死ねばどうなるのか。予想はある程度出来るにしろ、本当の意味でどうなるのかを知る由は無い。
「死んだらなんも無くなるんやろ」
とユウ君。
「そうやろうな」
とコウ君。
「でも死んだら無くなるってどんな感じなん?なんかさ、俺ってさ、自分しか今この世界を見てないやん?今、この風景を俺の目でしか見られへんやん?俺しか、俺が今考えていること分かれへんやん?分かる?てことはこの世で俺一人じゃない?他の人ほんまに俺みたいになってんの?分かる?それを小さい頃に布団の中で考えた時にうわあああってなってん」
と早口で言うと、ユウ君が目を丸くし、両手で大きく1回パンと叩き、軽く飛び跳ねて、水を得た魚のように叫んだ。
「分かる。それ分かる。俺もそれ考えてうわああってなったことある」
僕はその時背筋がゾクリとし、「せやろ!」と叫んだ。
そして三人で輪になって肩を組み、「すげぇ、分かる奴がいたなんて」と叫びながら感動を分かち合った。
あの時、慶介は僕たち2人に合わせて感動をしたフリをしただけで、意味は分かっていなかたっと思う。
僕はあの頃からユウ君とは無二の親友になったのだ。
どうしてあの時、頭が哲学的になったのか。どうしてユウ君にはこの意味がきっと分かってもらえると感じ、ユウ君が全く同じ恐怖を持っていたのかは分からない。
ただ、何らかの第六感によるシンパシーのシンクロニシティというのは存在するのだろう。ちなみにそのユウくんとは明日、7~8年ぶりに運が良ければ、おそらく会えるだろう。ユウ君と慶介とは小学校6年生の頃の青春を満喫した。悪いことばかりして先生に怒られていた。慶介は最近SNSで見かけたが、結婚をして、それなりに良さそうなところへ就職をしていた。幸せな人生を満喫しているのがSNSの文体や写真から想像出来る。
どちらかというと、おそらく勝ち組だろう。
ユウ君はもっと若くに同級生の優子と結婚し、服屋を経営していたが、今は服屋を店じまいし、コンビニのバイトをしながらアル中みたいになっていると、ちまたで聞いた。どちらかというと、まぁ負け組なのかもしれない。
僕はどうなのかというと、間違いなく負け組だが、どれほどの負け組かはこれから分かってくるので、今、話すこともないだろう。
僕たち3人には共通していることがある。それは家庭不和だということだ。
ユウ君と僕にもう1つ共通することがあり、それは根暗だということだ。
2人で色々な深いことを考え、言い合っていた。
その哲学的な頭が僕たちを根暗にさせ、僕たちを陥れて気がす……
リリリリとアラームが鳴る。9時だ。起きる時間だ。渾身の力を振り絞り、スマートフォンをタップし、右にスライドさせるが、寝ぼけているため上手いこといかない。
アラームの不快音が僕の精神状態を苛立出せる。舌打ちをしながらスマートフォンが壊れる一歩手間ぐらいの力で押しながら右にスライドした。そうしてようやく止まった。
そのままうつ伏せになり、僕は再び夢の世界へ。行ってはいけない。今、起きなければ未来は無い。僕は作家になるんだ。それを誰が信じている?
信じてくれないというのは深く傷つくものだ。例えそれが僕のためを思っていってくれるにしても傷つくのだ。
悔しさをバネにしろ。みんなに一泡吹かせてやるんだ。「どうだ。見たか!」って。「僕は作家になったぞ。どうだ!」って。さぁ、そのためには今起きないと未来は無い。
起きろ、未来を選べ。
イギーポップの「Lust For Life」が頭の中で鳴り響く。
――俺が苦しんでのたうっているフイルムは100万ドルの賞金の値打がある
GTカー 現代社会の制服 どれも政府ローン
道ばたで寝るのは卒業した
酒とドラッグで自分をごまかすのも卒業した
これからはただ がつがつ生きたい 何がなんでも生きたい――
※イギーポップ「Lust For Life」の和訳
僕は布団をおもいっきり剥ぎ倒し、そのまま緑のカーテンを開け、しわくちゃになった布団を押入れの中に押し込んだ。押し入れというぐらいなんだから、押し込まないと嘘になる。それに僕は押し込むのが好きだ。なんでもかんでも押し込んでしまえ。過去も現在も未来も憂鬱も鬱屈も虚無も何もかも、この布団とともに押し入れに押し込んでしまえ。
錆びた体をギシギシと鳴らしながら、僕は机の前まで這いつくばって移動する。
そこで胡坐をかき、パソコンのエンターボタンを中指で跳ねるように、押す。無反応なのでもう一度、跳ねるように、押す。
パソコンのファンが再び鳴り、画面が明るくなる。さぁ、続きを書くぞ。数分間考えた後、キーボードをカタカタと跳ねるように小気味好いリズムで疾風の如く打ち込んでいく。
文字がワードに目にも止まらぬ速さで刻まれていく。ドーパミンが頭の中で、ぱちぱちキャンディを食べたかのように弾ける。こうなれば誰も僕を止めることは無い。リミッターは解除され、後はもうただ、何かに取り憑かれたように、何かの力に全てを委ねて打ち込んでいくのみ。
僕は最初、何を書こうかとウンウン唸りながら考えていた。
町中を歩きながら、公園のブランコを漕ぎながら、腕立て伏せをしながら、梅干しを食べながら、そして鏡で自分の顔を覗き込んでいる時に思いついた。
ロックンローラーを書く以外にあり得ない。
僕の夢は作家だが、もう一つ僕が今も大好きでなりたい夢があった。それはロックスターだ。僕はロックンローラーになりたかった。かなり昔、それはもう7年前ぐらいに一度バンドを組んでスタジオで音合わせをしたが、あの時のビリビリ感と言ったら他に類がない。
ライブに行ったり家でロックを聴くのとはわけが違う。聴く側と聴かせる側では、やはり聴かせる側のほうがロックというものを感じる。
今俺はロックをしているんだ!と肌で感じる。
エレキの歪んだ音とドラムの激しい音に合わせて僕の重低音のベースが見事に重なり、足のつま先から頭のてっ辺まで電流が走る。音が僕になり、僕が音になる。
ロックが僕を支配し、僕がロックを支配する。これをライブハウスで演ったら、もっともっと最高のビリビリを味わえるに違いないと思った。
しかし、色々あって結局僕はバンドを途中で抜けてしまい、ロックスターどころが第一歩の第一歩であるライブさえ一度もせずに終わってしまったのだが。
僕らしいと言えば僕らしい。いつもそうだったのだから。
31歳で作家になるのはまだ可能性は十二分にあるが、31歳からロックスターになるのは非常に難しい。しかも才能があるのかどうかも定かではない。
文才については、何度も褒められたことがある。
客観的に言うと、文才に関してはあらゆる人からここぞとばかりに褒められてきた。よって天才の域だと自負している。とは言え日本人は高慢が嫌いで、謙遜で無いと村八分にされるのでそんなことはもちろん公言しないが。ただ、井の中の蛙でまだ大海は知らない。
僕の情熱とセンスが大海で通用するかどうかは大海に出てみないと分からない。
だが、僕は全ての人に可能性があるということを信じている。
だから僕はまだ可能性の高い作家になろうと日々奮闘しているが、ロックスターも同じようになりたいのだ。
それならば成ってしまえばいい、本の中で。一石二鳥じゃないか。なれぬなら、書いてみせようホトトギス。
ということでロックスターになる男の話を書くことにして4日が経つ。滑り出しは順調だ。タイトルは「真っ明」
まっかと読む。造語だ。底抜けに明るいというイメージである。
主人公は吉岡太陽。名前の由来は吉岡は、僕の友人のギタリストの吉岡君から。
太陽は、主人公が底抜けに明るい性格という設定なので太陽という名前がちょうど良いと思ったからである。
この太陽はまさに自分がなりたい僕である。底抜けに明るく、底抜けにバカで、底抜けに天然で、底抜けの信念がある。自分の信じる道を突き進むのである。
僕はパチパチとリズム良く音を鳴らしながら文字を、その文字の中にある世界を創造していく。僕の頭の中が文字によって再現されていく。現実世界二歩手前の一次元まで創造されていく。想像を創造する快感といったら無い。聖書には人は神に似せて造られたと書かれている。
想像を創造出来るのは確かに人間だけだ。
腕時計をチラっと見ると12時40分だった。気が付けば3時間40分も経っている。今日はやけにヒートアップをした。
少し休息を取ろう。最初のほうは、集中力を維持出来る最も効率の良い方法という科学的根拠に乗っ取って、30分集中して10分休憩というリズムを取っていたが、アーティストに理論詰めの科学的根拠は合わない。
そのうちに無制限に打ち続け、キリの良いところで休憩を挟むという時間に縛られない方法にいつの間にか変わっていた。
自分で決めたにせよ、他人に決められたにせよ、決められた時間の中でやっていけるのなら今頃サラリーマンだ。それが出来ないのが芸術家じゃないか。どうやら勘違いをしていた。人間を、芸術家を理詰めで解明するのには限界があるもんだ。既に一端の芸術家気取りである。
休息中に情報系サイトの波に乗っていると、朝食はしっかりと食べないほうが良いという記事に目が留まった。なんでもトップアスリートとして活躍している人のほとんどは朝食をバナナとヨーグルトだけといった具合にしっかりと食べないらしい。
栄養学の観点から見ると朝食は量より質であり、排泄の時間にして、内臓を休ませたほうが良いとのこと。
朝からふんだんのチーズと、マヨネーズをかけた食パンは不要ということか。
ヨーグルトとバナナとヤクルトだけにしよう。これこそ量より質。バナナは一本だと少ないかもしれない。二本が妥当か?いや、それだと食べ過ぎている気がする。などと考えていると、はっとした。さっき僕は、人間を理詰めにするには限界があると悟ったばかりなのにすでに栄養学という理詰めに惑わされているじゃないか。なんと忘れやいんだろう。
さて、そんなこんなで休憩をして10分が経った。ダラダラしてはいけない。時間を大切に。時間はこの世で唯一平等に与えられている貴重な代物だ。31歳、背水の陣の僕にとってこの時間を有効に活用せねばならぬ。
まず太陽はイザヤと会う。これで元インディーズバンドのエリートの経歴を持つイザヤという強力な戦力を手に入れる。さて、残りのメンバーはどうしたもんだろう。
意外性とリアルの狭間の設定を考えないと。行き過ぎた意外性は現実離れをして世界に入り込めなくなり、リアル過ぎると何も物語が生まれない。ご都合主義とリアリズムの狭間。
超絶的なバランスを保て。
頭を絞れ。レモンを絞るかのごとく。酸っぱくてサッパリとした調味料をこの料理に加えるんだ。この料理はコテコテではない。サッパリとして尚且つ、癖のある味に仕上げないと。
などと考えながら、僕はパソコンをシャットダウンし、カバンに押し込み、本を干し込み、部屋から出る。一階に降りる前に隣の部屋にいる明先生に明るい声であいさつを忘れずに。
「申先生、帰りまーす」
「はい。お疲れさま。お大事にネ」
申先生は流暢な日本度で応答する。お大事にネは少し使い方を間違っているが重箱の隅をつつくようなことはしない。
ミシミシとなる階段を速足で下っていき、教会から出る。
外はすっかり太陽の眩しい光に支配されている。そう暑くもなく、寒くもない季節。
最も過ごしやすい季節かもしれないが、僕は、はっきりしているほうが好きだ。暑いか寒いかはっきりしてくれ。何処へ向かうかというと、僕は今から駅前のマクドへ向かうのだ。
最近のマクドといえばご丁寧にコンセントが付いている店が多数存在する。僕の第二の仕事場である
マクドじゃなくてマックだって?大阪ではマクドなのだ。最もほぼ大阪だけの略語なのだが。大阪人というのはプライドが高い。意味不明なこだわりをたくさん持っているのだ。
自動ドアが優しく、それでいて無機質に開くと、笑顔の店員が僕に向かって明るい声で「いらっしゃいませ」とメリハリの良い笑顔でいう。僕はいつものように「えーっと」と言いながら少し迷う。少し迷った挙句、いつものようにテリヤキマックバーガーのセットを注文する。
それなら、テリヤキマクドバーガーじゃないのか?という屁理屈は聴きたくない。
そしていつもの席……は取られているので、その隣の席に座る。
さぁ、次は読もう。作家になるためその2。あらゆるジャンルの本を読むべし。読むべし。太宰治の畜犬談を読み終わり、次は前に読んだことあるロックンローラーの小説だ。
ロックやインディーズ、メジャーの世界の知識を身につけなければ。
僕のロックの知識は浅はかだし、インディーズやメジャーやライブハウスのことなんててんで分からない。深みのある小説にするには知識は必需である。
ちなみに作家になるためには~が必要だなどと言っているが、全て受け売りの知識である。そりゃ僕は卵なんだから、受け売り以外にあり得ない。
僕はハンバーガーをがっつきながら、読む。チキンナゲットを一つずつ口に放り込みながら、読む。コーラ、音を立てて飲みながら、読む。空いた右手で本を持ち両手で、読む。
読む、読む、読む。たまにスマホでSNSに浮気する。そしてまた読む、読む、読む。
時計を観る。15時3分。キリの良い時間だ。次の職場へ行こう。さっそうと本をカバンに押し込み、ゴミをプラスチックのゴミ箱のところにはプラスチックを放り込み、その他のゴミをその他のゴミ箱に放り込む。そしてトレイをさっと拭き、直す。
昔の僕はトレーごと、その他のゴミ箱に放りこんでいた悪党だったのだ。今の僕は善良な市民を目指し日々奮闘している。
トレーごとゴミ箱に放り込むと、8割の奴は爆笑し、2割の奴は怪訝な顔をして注意をされた。類は友を呼ぶが、たまに違う人種が混じっているものだ。
次の職場は……電車の中だったが今は違う。150円の切符を買い、奈良方面の普通へと乗る。そして奈良駅まで行き、折り返して実家の最寄り駅である若江岩田駅まで行く。電車に揺られながらアイディアが舞い降りてくるのを待っていた。
というのを3日ほど行っていたが、昨日鉄道マニアの友人にこの話をして、いやぁ良い職場を見つけたぜ。へへ。と言うと、君、それは折り返し乗車といってルール違反であり、キセルにあたることもあるで。とお叱りを受けた。なんと知らなかった。全くもって僕は常識外れの世間知らずである。面目無い。一寸先は犯罪者だ。
昔なら構わずに折り返し乗車をしているところだが、今はきちんと社会のルールを守りたいのだ。やりたいようにやるのが自由だなんていう間違った浅はかな考えの幼稚な頃の僕ではない。
なので、この職場はただちに撤退し、第3の職場へと行こう。
第3の職場はなんだと思う?なんでもいいって?連れないなぁ。そう、第3の職場は図書館だ。どうでもいいって?そんなこと言うなよ。
2駅先の東花園駅まで行き、そしてその足で図書館目がけて早歩きをする。
徒歩15分ほどだ。歩いているうちにアイディアが舞い降りてくるのを待つ。振ってきたアイディアをスマホのメモ帳に刻み込む。歩きスマホは危険なので、立ち止まっては刻みこむ、の繰り返しだ。おかげ様で15分程で行ける距離の図書館に30分もかかってしまった。図書館の自動ドアが優しく、静かに、無機質に、僕を歓迎する。
図書館の中は別世界のごとくに静かで整然としている。この時間にこの図書館に居る人は大抵おじさんだ。しかし、今僕の目の前にOLが通り過ぎていき、2階の司馬遼太郎館へと行った。なかなか良い趣味を持っているOLである。
後は何かの試験勉強をしているであろう、若い女性が一人奥の机で、かなりの前かがみになりながらひたすら何かを書き込んでいる。イヤホンを耳に装着したまま、ひたすら。
未来を掴むために全ての誘惑を断ち切って、孤独な戦いをしている彼女に共感を覚える。
さぁ、僕も戦闘準備。音楽関連の本があるところまでいき、その中のロックンローラーの自伝系を探す。エルビス、フレディ、マイケル、シド、……スピッツ。これだ。日本のロックバンドの小説を書くなら。邦楽のロックバンドの自伝が良いだろう。
僕はスピッツの自伝本を、横にいるお婆ちゃんに気を使いながら本棚からそっと抜き出す。さぁ、読むぞ。空いているソファーの椅子に座り、読む、読む、読む。
そして半分近く読んだだろうか。そろそろ集中力の限界だ。さぁ、本棚に戻し、家へ帰ろう。気張って歩いて電車に揺られて、気がついた時には実家のマンションへと到着している。17時5分。第四の職場へと到着。マンションの外にはライオンの銅像が住人を守ってくれている。鍵を鍵穴にぶっ刺して回すと、おかえりなさいと言わんばかりに自動ドアが開く。エントラスホールを突き抜け、エレベーターのところまでいき、エレベーターのボタンを連射する。1回押すごとにエレベーターの速度が0.5キロ速くなるのだ。という妄想をして楽しむ。
最上階である15階のボタンを押す。エレベーターはぎゅいんぎゅいんと上昇していく。
僕の好きな音だ。このまま天国まで行ってくれたらいいのに。などと考える。
ドアに鍵をぶっ刺し、ガチャコンと鍵をまわし。ドアを開ける。家には誰もいないようだ。僕は自分の部屋に行き、早速カバンからノートパソコンと本を取り出し、パソコンをセットして、寝る。ベッドに軽くダイビングする。タイピングとダイビングは好きだ。
布団に抱きつき、足を絡ませる。こうしないと落ち着かないのだ。僕は心が病んでいるのだと思う。30分、30分だけ寝よう。アラームをセットする。
さて、また眠りにつく前に過去の話の続きをしようか。
――覚えているだろうか?17歳の頃、回転寿司でのバイトをしながらボクシングジムへ通う日々だ。回転寿司でのバイトが苦痛になってきた。しかし頑張るしかない。
憂鬱で重い胸を抱えながら、いつもバイトへ行っていた。そしてその後ジムへ。ジムへ行く時は気分爽快だ。僕は誰よりも一生懸命練習をしているという自負があった。
早くスパーリングをさせてもらえないだろうか。誰よりも走り、誰よりも縄跳びを飛び続けているんだから、僕ほどのラッシングパワーは誰も持っていないはず。
そう思いながら練習に励んでいると、「瀬戸、そろそろスパーリングしよか」とお声がかかった。僕はどぎまぎしながら準備し、リングに上がる。
リングに上がってみて驚いたのはリングが思ったより小さいということだ。
そして僕と対戦する相手がリングに上がる。
ゴングが鳴る。僕は様子を見ながら相手に近づいていく。
何発かジャブを繰り出す。しばらくすると、相手がいきなり突っ込んできた。
その瞬間、天井が見えた。僕は一瞬何が起こったのか分からなかった。しばらくすると痛み。そう、僕は右ストレートをまともに喰らったのだ。
一度クリーンヒットを喰らうと、相手のパンチの重さと衝撃に怯む。僕は亀になる。
しかしトレーナーに「ビビったら終わりやで!パンチ出せ!」
と言われ、腰が引けたジャブを出す。すると相手のパンチがまた続けざまに1発、2発と当たり、僕はそのまま地面に膝をついた。そこでゴングが鳴り、スパーリングは終わった。屈辱的だった。相手は僕と同じぐらいに入った同期なのだ。いや、しかし体重差は15キロはあったのだからと心の中で自分を慰めるも、ショックは大きかった。ボクシングは才能の世界。そして僕には才能が無い。そう思い始め、そのうちジムへ行く頻度が減っていった。唯一の僕の心の拠り所が風前の灯となり、それにより回転寿司へ行く苦痛度は倍増した。
そして僕は家出をした。何故家出かって?何もかもが嫌になったからだ。
とにかく誰1人として僕のことを知らない新世界へ行きたかったからだ。新世界へは誰も連れていってくれない。だから自分で行くしかない。自分で桃源郷を見つけるしかない。ビッグになるために何処へ行けばいいのか。そうだ、それはビッグシティー東京だ。
荷物をまとめ、バック掲げて東京へ上京。などと頭の中でラップをしながら、ご機嫌気分で電車に揺られた。
最後の見納めとして大阪の余韻に浸ろうと思い、梅田駅の周辺で夜を明かすことにした。
深夜の梅田には大人に見捨てられた若者たちがし、騒いでいた。
彼らの輪に入りたい。しかし自分から声を掛けたら変な人かと思われる。声を掛けてくれないだろうか。僕も大人に見捨てられた1人なのだ。と彼らの近くに居座っていたが、声は掛けてくれなかった。見捨てられたというより自分から逃げているだけだからかもしれない。彼らの第2の嗅覚が奴は同じ匂いじゃないと察したのかもしれない。
仕方なくネットカフェで一夜を過ごし、そして朝だ。ようやく東京に行くことにした。
初めての東京。これからのビッグにのし上がっていく人生を妄想し、期待で心が膨らむ。
そして2週間後、僕は実家へと強制送還へとなっていた。
ネットの知り合いの家に泊めてもらうが、彼は内密に親と連絡をしていたのだ。
バイトを探していた僕に「ちょっと飯を食いに行こう」と言い、東京ゲートブリッジを横断している時に、前方から母と父が現れた。義経でも二人の弁慶には勝てまい。僕は逃げる気力も無く、そのまま大阪へと戻っていった。
その後、ユウくんの紹介で新聞配達をすることになった。ユウ君は高校を中退し、僕と共に通信制の高校へ行っていた。僕が行っていた通信制の高校は、例え、どれほどのバカであろうとも、授業を受けて、レポートを出し、テストを受けてさえいれば卒業させてくれるという、歪んだ愛の溢れたゆとりまっしぐらの高校だった。おかげでこの高校にいる奴らの9割は愛を知らないギャルとギャル男とヤンキーで形成されている。
ユウ君はどちらかというとヤンキー路線かもしれないが、オシャレにも興味があるという特に何処かに所属しているというわけでもなく、何処にでも所属しているという立場だった。僕はといえばヤンキーでもヲタクでもファッションヤローでもない。
まぁ、ロックンローラー系統だが、ロックンローラー系統の友達がいるわけでもない。
つまり余所者だった。新聞配達をしていたのはユウ君と僕を含め後2人、中学の頃の同級生がいた。朝早くに起きて新聞を配り、同級生の奴らと店で屯しながら、みんなでタバコを吸い、どうでも良い下劣な会話に華を咲かせるのが日常だった。そして週3日の高校へユウくんと電車に揺られながら行く。
学校は夏休みが2~3ヵ月あり、冬休みが2ヵ月ほどある。そして基本的に週3日ほど。つまり、一年のうち半分以上は休みだ。
学校の無い日は近くの若者向けの服屋に行き、そこで屯をするか、もしくは大学前にある1ゲーム20円という世界一安いのに定評のあるゲーセンで屯する。
屯をしている連中のほとんどは高校中退組だ。そのまま適当にバイトをしているか、夜間か通信制の高校へ行っているかのどちらかである。僕らがどうして負け犬となったのかは分からないし、誰もそんなテツガクテキなことは考えていなかった。取りあえず、今を楽に生きることしか考えていなかった。
僕が心を開いていたのはユウ君だけで、他の連中とは付かず離れずの立場を取っていた。
一度、中学の頃のヤンキーと道端に鉢合わせになったが、その時彼は僕を見るとすぐに声を掛けてきた。
「幸太、お前、前に家出したらしいやんけ。なかなか根性あるのぉ。見直したわ」
と僕を褒め称えてくれたのだ。そうか、僕は家出したことによりハクが付いたのだ。
家出の内容と事の顛末はお粗末で恥ずかしいものではあるが、家出をしたというのは事実だ。17歳にして僕も立派なワルになったのだ。認められたハクが付いた僕は早速、髪の毛を金髪にしてピアスを開けた。金髪ピアスの自分を鏡で見てウットリとした。最高にカッコイイじゃないか。それから僕はファッションに目覚めていくことになる。
これが僕の17歳から19歳にかけての青春である。思い出す度にあーと叫び暴れたくなるほどに恥ずかしい青春だ。自惚れと勘違いとナルシズムの数々である。
過去は忘れて寝てしまおう。過去は過去、今は今だ。
ダメだ。今もロクなもんじゃないぞ。未来に期待しよう。明日のことを言えば鬼が笑うと言うが、しかしながら未来を想念するのは大切だ。人は想うようになるのだ。
――りりんりりんとアラームが僕を仮死状態から生き返らせる。
明日のために、今、大事なのは怠惰に打ち勝つこと。これ以外に無い。
僕は、ふんぬという掛け声とともに布団をはじき飛ばし、ベッドから飛び降りる。
そして布団を綺麗に畳み、パソコンの前に座り、エンターボタンを軽く弾くように叩く。 いつものごとく、ファンが鳴り、画面がぼんやりと明るくなる。
しばらくパチパチと打ち込んでいるとリビングから声が聴こえる。
「幸太、ごはん出来たよ」
有難い。僕は「分かってる」と大きい声で応答する。「分かった」ではなく「分かってる」というのはプライドの現れだ。知っているフリをするのは惨めなプライドだ。
飯の匂いが僕の腹を刺激し、腹はそれに対してぎゅるると合図する。リビングのドアを開けると、ソファーには義父が寝っ転がっていて、キッチンをいそいそとあっちこっちへチョコマカとしている母がいた。
「おかん、今日、何?」
と僕。
「親子丼とキュウリの浅漬けとおでんと昨日の残りのソーセージとハンバーグあるで」
と母。相変わらずメニューが豊富だ。
僕は椅子に腰かけ、1畳ほどもない小さなテーブルに並べらていく料理をぼんやりと眺める。
「ご飯出来たよ」
と母が親父に声を掛ける。
義父は「ん」と言い、重い腰をあげる。僕は親子丼の入った器を手にもってスプーンでがっついた。丼ぶりものを食べる時は、ほぼ確実にスプーンである。僕は箸を上手に使えぬほど落ちぶれた現代の若者代表だ。されど、侍魂を忘れたわけではない。僕は司馬遼太郎の小説が大好きだ。彼の小説を読んでいると、眠れぬ侍の血が騒ぎ立つ。家系は代々百姓だが。
母と親父とテレビを観ながら飯を食べる。たまにテレビに突っ込みを入れる。
それにしても、最近のゴールデン番組と言えば下劣な内容の番組ばかりではないか。
「そういえば明日、弥刀の家に片付けしにいくんやろ?」
と母が梨をシャリシャリ食べながら言う。
僕は小さい頃から、母は夕飯の時に、7割は果物で3割は野菜しか食べていないように見える。小さい頃はキッチンで果物をシャリシャリと食べているイメージがほとんどだ。
健康的な偏食だ。おかげで健康に痩せている。いや、少し痩せ過ぎかもしれない。
「せやで。後ユウくんにも会いにいくわ。おるかわからんけど」
と僕は親子丼の9割9分を食べ、残りの1分を箸でツンツンして、食べようか食べまいか迷っている。僕はご飯を少し残すという癖がある。前よりかマシになったが、実家に帰るとその癖がまた出てくる。これはおそらく贅沢病だと感じている。食べるものが多いといつもこうなっている気がする。そして母の作る夕食は必ずメニューがやたらと多い。
「ほんまぁ。ユウ君によろしくゆっといてな。ユウ君元気してんのかなぁ」
「酒飲みになってるらしいで」
僕はテレビをジィっと見つめながら言う。
しばらく雑談した後、「ごちそうさん」と言い、部屋へと戻る。結局親子丼は一分を遺したまんまだ。そしてまたパソコンのエンターボタンを人差し指が飛び跳ねるように押し、キーボードをパンと弾いた音とともに、ファンが鳴り始める。
youtubeでクラシックでも聴きながら優雅に小説を書こうではないか。
音楽によって脳波をアルファ波にして、副交感神経を優位に立たせるのだ。
何がいいだろう。クラシックか。賛美か。JPOPか。洋楽か。この便利になり過ぎた世の中では選択肢は無限大だ。
カチカチとクリックしながら、思うがままに動画を見ていく。お、なんだこれは。この新作映画面白そうじゃないか。カチ。お、これはなんだ。カチカチ。お、これは。これはいかん。誘惑だ。カチカチカチ。なんだこれ?酷いな。カチカチカチカチ。
などとしてる間に時計を観ると既に30分が経過していた。
いかん。政府の陰謀に惑わされるな。無料動画は全て政府の陰謀だ。アホ顔曝け出して無駄に時間を費やして深く考えさせないようにするんだ。かくして貧富の差は激しくなり、貧しい者達は金目当てに戦争に行かざる負えなくなる。そして戦争でくたばるか、国に戻って非国民扱いされてくたばるかのどちらかしかない。これはまるでベトナム戦争だ。日本も順調にいけばこうなるだろう。国というものが出来た時代からここまでずっと、民衆は国に狡猾に洗脳され、そして裏切られ続けているではないか。3S政策は国が存続する限り続くのだ。テレホーダイの頃から政府は格差社会を造るために愚民政策に力を入れている。陰謀だ。陰謀だ。などと思いながら頭を振る。
僕が使命を全うするために大切なのは『楽な方』に流されないことだ。テレビもゲームもネットも『楽な方』である。創造するというのは決して楽ではない。
しかし僕は小説によって希望の世界を創造することこそが自分に与えられた使命なのだ。
僕はベートーベンの運命に標準を合わせる。
ダダダーンという誰もが聴いたことのあるフレーズとともにベートーベンが勢い良く運命の扉を開く。そして僕はパチパチと爽快にキーボードを打ち続ける。ベートーベンの運命の波に乗せて、僕の10本の指は痛快にキーボードのあちこちをリズム良く叩く。運命の扉を叩くかのごとく。僕の運命はこのキーボードの彼方にあるのだ。
僕の行く末は全てこのキーボードの中にある。キーボードを打てば打つほど運命の扉が開く可能性が高くなるのだ。しかし、ただ闇雲に打てば良いというわけではない。
僕がどの言葉を用いてどんな文章を描き、そこにどのような世界を創造するかにかかっている。
パチパチとキーボードを連打する。僕の5本の指は打つべきところを正確に、かつ目にも止まらぬ速さで打ち抜いていく。良く考えると人間の脳は常軌を逸している出来栄えだ。
ふと「アイスあるで」と母の声が聴こえた気がした。しかしそれは今の僕にとって雑音でしかなかった。僕は何にも気を留めることなく、打ち続ける。
ふぅと短くため息をつき、椅子に腰かけて背伸びをした。
時計を観ると10時になっていた。寝るには良い頃合いだ。一日中本を読み、うんうんと考えながらパソコンに向かってキーボードを打ち続けるというのは中々大変なものである。すっかり疲れ果てた僕の脳と肉体が休ませろ、寝かせろと訴えている。
しかしながら、さすが僕の体だけあって天邪鬼というか。ベッドに横になればなったで、眠気が覚めるという現象が多々ある。
元々、僕は物心ついた頃から不眠症だった。中学の頃に夜更かしをしていたから不眠症になったわけではない。5歳の頃から不眠症なのだ。大分とマシになってはいるが、最近はまた不眠チックになっている。
僕はパソコンをシャットダウンし、消灯し、ベッドに横になる。僕は例え夏であっても毛布と布団を用意する。毛布は僕の抱き枕代わりだ。毛布に足を絡ませ、両手で毛布を抱きしめる。そして布団を被る。こうしないと落ち着かなくて寝れないのだ。
さて、寝ようとするが、おそらくこの体感でいくと、1時間以上は眠れないだろう。
――さて、また昔話を話そうか。何処まで話したか覚えているだろうか?僕さえも覚えていないので、おそらく覚えていないだろう。えーっと。ああ、そうだ。17歳の頃に、金髪にしてピアスを開けたのだ。そうして新聞配達を朝と夕にしながら、配達以外の時間は近所のみんなが良く屯している服屋に行ったり、大学前の1ゲーム20円のゲーセンに行って屯したりしていた。
そうしてこの頃、僕は初めての彼女が出来た。この彼女は僕が夜な夜なチャットをしていた所で知り合った女性で、1歳上の専門学生だった。名前をミーちゃんという。本名は忘れた。
僕はこのミーちゃんの掴みどころのなさに辟易としていた。2人でデートしたいにも関わらず、大抵、友達を連れてきたり、1時間や2時間平気で遅刻したり、デートの当日にドタキャンしたり。全くもって予想だにつかない行動ばかりしてくれるので、女性と言えばこの女性しか知らなかった僕は、女とはみんなこんなもんなのだろうかと、酷く当惑した。
ある時、またしても僕は家出をした。理由なんて覚えていない。きっと母に怒鳴られたのだろう。給料を貰った矢先なのでちょうど良かった。バイトはバックレだ。何のバイトかも忘れた。
今回の家出は、ミーちゃんがいるために大阪から離れないことにした。彼女に家出をした旨を伝えると、ミーちゃんは
「えぇ?どーして?どうすんの?何処行くの?」
と困惑していた。今までのお返しである。ザマーミロ。
「泊まるところないからどっか寮住もうと思ってんねん。でもそんなにすぐ寮に住めるのってやっぱり夜の仕事かな」
と僕が言うとミーちゃんは、同じく家出をして関東の何処かから(何処だったかはすでに忘れた)大阪に高飛びして来て、今は風俗で働き、その寮に住んでいるという友達に手配してもらった。
すると、あるホストの仕事を紹介してもらった。彼女はいいのか?と思うかもしれないが、ミーちゃんは少し渋るぐらいで「良い」というのである。僕達の価値観は少し歪んでいるようだ。
今過去を振り返ってみてそれが分かる。
そしてそこのホストで働くようになる。目指すは伝説のホストだ。
しかし、口下手で対人恐怖症チックな僕にホストなんて向いているはずがない。それでも頑張った。努力をした。新人ホストの一番の仕事と言えばとにかく飲むことである。毎日バカみたいに飲まされる。飲めない僕はいつもゲーゲー吐いていた。
そこにいる先輩たちもゲーゲー吐いていた。古株の、ある先輩は良く腹付近を押さえながらうずくまり、ううっと悲痛なうめき声をあげていた。
僕はこんな仕事続けていれば、早死にするのではないかと恐れをなした。ミーちゃんがそれを察したのか僕に家に帰ることを促した。しかし、はいそうですかと帰れるわけがない。するとミーちゃんが僕の親と連絡を取り、みんなで話し合いの場を設け、それによって僕は結局家へ帰ることになった。今回の家出はわずか2週間足らずで幕を閉じた。ちなみに、前回の家出は10日である。
一体僕は何をしているんだと、余りの情けなさに穴があったら入りたい思いだった。この頃から僕の心の中には「何をやってもダメな奴は何をやってもダメ」という思いが擦りこまれていくようになる。このことがきっかけでミーちゃんとの関係がギクシャクし始め、ついには別れてしまうこととなった。
僕はニューシネマ・パラダイスという映画が好きで、その映画の中で、主人公のトトがエレナという女性に一目惚れし、告白するが、エレナは「好きだけど恋じゃない」と言って、トトはフられてしまう。それでも諦めきれないトトは、
「仕事が終わったら毎日、君の家の前に立って君を待っている。もし気が変わったら、窓を開けてくれ」
と言う。これは映画の中に出てくる『100日間、姫を待った兵士の話』をトトが参考にして行った行為である。そしてトトは雨の日も、風の日も、彼女の部屋の窓を見つめては立ちつくしていた。そして3ヵ月が過ぎ、新年を迎える日、周囲からカウントダウンが聴こえる中、その時、彼女の部屋の窓が開かれるような気配がして期待した。しかし、窓は逆にきつく閉められてしまい、トトは彼女を諦めて家に帰った。しかし、翌日、トトの前にエレナが現れたのだ。そしてトトとエレナはそのまま抱き合い、愛し合った。
僕はミーちゃんのことが諦められなかった。だからこの映画を参考にし、ミーちゃんにメールで
「君が学校から帰る道程にある、大きい交差点のところで毎日君を待つ。気が変わったら声をかけてくれ」
と言った。そして同じようにして毎日待ってみたが、ミーちゃんの姿が一向に見えない。
そのうちミーちゃんから電話がかかってきて「怖いからやめて」と言われ、僕はやめた。
どうやらストーカーと思われたみたいだ。人生、映画のように上手くはいかないということを、恥を忍んで学んだ。映画は映画、現実は現実である。ロマンチストとストーカーは紙一重のところで存在している。
確か、僕はこの頃初めてドラッグに手を出した。まず映画の中で、外人がドラッグを吸ったり打ったり売ったりしているシーンを観て、格好良いと思った。ドラッグはファッションだ。
そして、インターネットのアンダーグラウンド系のサイトを通して、ドラッグの知識をたくさん蓄えていた。僕にとってドラッグは反社会の象徴であり、快楽の極致だった。反社会と快楽。この二つは僕の人生においての美学だったのだ。それにセックスもロックンロールも知っている。後はドラッグを知ることによってセックスドラッグロックンロールの三種の神器を持つことになる。
ということで僕はまず心療内科に行き、睡眠薬を貰った。ネットに載っていた情報を元に医者を欺き、ネットに書いていた比較的幻覚を見ることが出来、酩酊状態になれる睡眠薬を貰ってきた。次にマジックマッシュルーム。危険ドラッグと呼ばれる先駆けのドラッグだ。これには驚愕した。本当に幻覚が見えてしまう。今まで体験してきた全てのものとは全くもって次元の違う現実逃避の方法だった。ネットもゲームも映画も現実逃避といえどもそれは二次元の世界だ。僕の体感はこの世界にある。しかしこのドラッグというものは僕の全てが別の世界へと連れて行ってくれる。まさに三次元の現実逃避。
これが僕のドラッグにハマっていき、人生がぶっ壊れていく狂気のスタートとなった。
ドラッグとともに女にも依存していく。僕はミーちゃんという比較的可愛い部類に入る女性と付き合うことが出来たことによって男としての自信を身に付く。それ以前の僕は自信がなかった。小学生の時は自信があった。それに、それなりにモテていたた。
しかし、中学生になってからは自信がてんで無くなった。馬鹿にされることも良くあった。僕は小さい頃から性に対する関心が異常に強かった。俗的に言うとエロガキだということだ。そして何故かは分からないが、物心が付いた頃からサディストだった。
女性が痛めつけられるシーンを観て興奮を覚えていた。何がきっかけなのかは分からない。先天的なものかもしれない。先天的に同性愛の人がいるということは、先天的にサディストというのがあってもおかしくないだろう。
中学生の頃から一日に5回も6回もマスターベーションをしていたほどだ。
そんな僕だから、女性と性的な関係を持てば、それはもうセックスにも依存するだろう。セックス依存もそうだが、恋愛依存でもあったから大変だ。
それはそうと、世はまさしく、インターネット普及時代。世紀末、政府はE-JAPANを遂行。
月額、僅か数千円という破格の値段で常時接続が可能になるという、僕がネットを始めた当初では考えられないサービスが実施されたのだ。もちろん僕は狂喜乱舞。これで何時でもネットの世界へ現実逃避が出来るのだ。定額制の高帯域インターネット接続サービス、ブロードバンドによって僕はネットの世界へ入り浸るようになる。また、時ほぼ同じくして、携帯電話によるインターネットへのアクセスが可能となった。
そして出会い系サイトが蔓延した。僕達の出会いの場はお見合いから、ナンパ、サークル、合コン……etcに加えて新しく出会い系が追加されることになった。
もちろん恋愛依存&セックス依存の僕がそれに乗らないはずがない。ネットで出会う方法はその時、大きく分けて2つあった。1つは出会い系サイト。もう1つはオフ会だ。(ネットワーク上ないしオンラインのコミュニティ(SNS・ネットニュース・電子掲示板・チャット・メーリングリスト等のインターネットコミュニティ、MMORPG、またはパソコン通信・草の根BBS等)で知り合った人々が、ネットワーク上ではなく現実世界(オフライン)で実際に集まって親睦を行うことである。オフ会(オフかい)、オフミ、オフ等と略される。ウィキペティア参照)
友達がいなかった僕は、彼女に加えて友達も出来る一石二鳥のオフ会を頻繁に出るようになった。そしてそこで女漁りの日々。
だけど、そんなことばっかりしていても仕方が無い。母との折り合いが悪く、18歳の頃に京橋に住んでいる親父のマンションへ引っ越し、そこで新聞配達をしながら通信制の高校へ通学することにした。
というのも、僕は専門学校へ行きたかったのだが、専門学校はほとんどが高卒の資格が無いと入らせてくれやしないのだ。まったく、酷い話である。
「んでーさ、通信制の高校行こう思てんねん」
僕は事の顛末をユウ君に話した。
「ほんまかー。じゃあ俺も行こかな。やっぱ中卒ってまずいでしょ」
「おぉ、一緒にいこや」
ユウ君も暇だったのだろう。こうしてユウ君とともに通信制の高校へ通うことになる。
ネット以外の友達と言えばこのユウ君ぐらいだ。
この時代、僕のような根暗で人付き合いが極端に苦手だが、寂しがり屋という性格の人達にとって、ネット上で友達や彼女を作るというのは密かにブームとなっていた。
この当時は、実際に友達がいなくて、ネット上のオフ会で友達や彼女を作るなんてのは、自分だけじゃないのか。
と思っていたが、そのうちに案外そうではなかったことを知るようになる。
「そんなことは恥ずかしい」と思っていたので僕も公言していなかったし、僕のようにしている人たちも公言していなかったのだろう。しかし、実際今でも恥ずかしいと思っているので公言はしない。ただ、2015年の今頃だと、案外若者の間ではそれが普通になっていたりもするようだ。毎日新聞を配りながら、週3日、午前中の2時間だけ、更に夏休みと冬休みと春休みが2ヵ月近くあり、この通信制の高校に来ている奴と言えばギャル男とギャルか、ヤンキーか、オタク達だけでマナーなんてつゆしらずの僕達は、「取りあえず中卒はヤバそうだから高卒ぐらい」という安直な目的で卒業を目指す。もちろん、友達なんて出来ないし、作る気も無いし、作りようもない。
僕は、京橋の親父の家に移り住み、新聞配達をしながら通信制の高校に通いつつ、ネット上で女を漁る日々だ。そしてドラッグは常用から乱用へと変わりつつある。
僕はネットのあるサイトにおいて有名人になりつつあった。何に有名だったかというと、そのイカレた書き込みだ。イカレた書き込みといってもただの荒らし
(荒らしとは「ネットワークの場にふさわしくない投稿を繰り返し続ける者、こと」であり、多くは「非生産的な要因による悪意」によってなされ、場の議論・コミュニティの破壊を試み、機能不全に陥れることを直接の目的としている。ウィキペティア参照)
というわけではない。支離滅裂とした会話を続けるわけでもない。
コミュニケーションはちゃんと取っている。返信に対しての切り替えしや、絶妙な皮肉、ユーモラス溢れた文体によってイカレた天才と謳われ、一躍スターへと成ったのだ。とても狭い世界での話だ。
若干の対人恐怖症だった僕にとって、リアルであまりアピールが出来ないが故に、顔と顔を合わせずにも言いたいことを言えるインターネットは自己顕示欲を満たす絶好の場所であった。
これによって自信が付いてきた僕は、実際のオフでもそれなりの会話が出来るようになってきた。ネットやオフの世界では順調だった。しかし、職場でも高校でも孤立の一途を辿るばかりである。
僕はオフによって2人目の彼女を作ることが出来る。小百合というその彼女は、18歳の僕よりも4つ上の22歳だった。最初に出会った喫茶店で雑談をするだけのオフで隣同士になり、映画の趣味が興じて仲良くなった。
映画の話になった時に小百合は「私はキューブリックやリンチの映画が好きだな」と言ったことに僕は武者震いをするほどに嬉く「俺もその2人大好き!」と小声で叫んだ。
僕が好きな映画は、あまりにもマニアックであったため、ごく少数の友達の間で知っている者はいなかった。彼女はまさしく僕のこのマニアックな嗜好を満たしてくれる存在だと確信した。
彼女は僕よりも更にコアな映画や漫画、音楽を好んでいたおかげで、僕はサブカルチャーの深みへとのめり込んでいく。
僕達は出会って3日後にデートをした。しかし、小百合は重度の鬱病だったために、デートの当日、鬱が酷くなると布団から出られなくなる時が度々あった。
小百合の家庭はプロテスタントのクリスチャンだった。しかし小百合は信仰を持っていなかったようだ。聖書とイエスについて興味を持っていた僕はあれこれとたまに質問をしていたが、いかんせん彼女の知識では満足を得ることは出来なかった。
パッションというイエスキリストが十字架に掛るところをメインとした映画を2人で観に行ったことがある。その映画は全米で敬虔なクリスチャンがショック死をするほどだと聴いていたので、期待に胸を膨らませ、喜び勇んで観にいったが、大きく期待外れとなった。イエスが鞭を打たれ、数々の拷問と恥辱を受けているシーンが大半であったが、僕にとってそれはただ肉体的な痛みを感じて目を逸らしたくなるだけに過ぎなく、何の感動も産まなかったのだ。
僕は「エレファントマンが精神的マゾ映画だとすると、この映画は肉体的マゾ映画に過ぎず浅はかだ」
と痛烈に批判した。
小百合とは3ヵ月あまりで別れた。とくに喧嘩したわけでもないが、重度の鬱病の彼女との付き合いは難しいものがあった。別れた後も友達として仲良くやっていた。たまにセックスもした。何度か二人でマリファナやケミカルドラッグを楽しんだこともある。
次に付き合ったのは由香ちゃんだ。彼女は25歳。僕は19か20ぐらいになっていた。放っておけないという母性本能を燻らせる雰囲気と性格と見た目のために、年上にモテた。彼女もメンタル的に病気がちなところがあった。極度の寂しがり屋だけど、面倒臭がりだから交友関係が少ないという2つの特徴が酷似していた僕達は気が合った。
由香ちゃんは車を持っていたために、暇があれば親父のマンションまで車で走らせてきていた。彼女第一に生きていた僕にとって、いつも唐突に会いに来るサプライズは嬉しいものがあった。それとは反対にドタキャンが大嫌いだった。ドタキャンをされるとやり場のない怒りと虚しさに心が支配されるのである。1番目の彼女と2番目の彼女はドタキャンや遅刻の常習犯なので僕にとって苦痛なことが多かった。しかし由香ちゃんは違う。毎週僕の定休日の水曜日に合わせて携帯ショップで働いていた由香ちゃんは合わせて定休日にしてくれ、水曜日は必ず会い、それ以外にも頻繁に会いに来てくれた。
面倒臭がりの僕達2人が過ごす場所はほとんどがラブホテルだ。
2人ともそれなりにセックス依存で肉体的(というよりも性癖というべきか)の相性が合うために、会えばヤるのが当然だった。セックス前提の付き合いだ。
しばらく怠惰な付き合いをしつつ、堕落した生き方をしていた。僕にとってそのぬるま湯は本当に心地が良かった。
そのうち、いつの間にか高校の単位を全て取り終え、無事卒業することが出来た。
ユウ君は途中で高校を辞め、行きつけの服屋の店長とともに、服屋を経営することになっていた。ユウ君はそこの店長を務める。いつの間にか差を付けられた気分だった。
そして僕は頻繁にユウ君の服屋に顔を出し、くだらない話に華を咲かせていた。
僕は彼女が出来ると、必ずオフから離れるようになる。なので、この頃の交友関係はユウ君と彼女の由香ちゃんぐらいしかなかった。
高校を卒業してしばらくすると2年半勤めていた新聞配達を辞めることにした。意味は特に無い。ただ、僕にとって新聞配達は今までのバイトの中で最も楽なバイトだったので名残惜しい気持ちはあった。
一人で気ままに仕事が出来るというのは僕にとって天職だったのだ。
そうして、しばらくブラブラとするが、貯金なんてしていない僕はそのうち金が尽きる。
金が尽きると彼女の金に頼るようになる。働くのが面倒なので、チャットボーイ(ウェブカメラを付けてボイスで一対一でチャットをするホストのようなもの)をするようになるが、口下手な僕にはほとんど稼げなかった。
この頃から由香里ちゃんの精神的な調子が悪くなってき、精神安定剤を大量に飲んで深夜に車で暴走するという危険な嗜好に走っていた。
ある時は突然「しばくぞ」と言いながら、足で蹴られたりした。
「何するん?」と言うと、「うっさい」と言ってまた蹴られた。
それに、なんだか由香ちゃんとの付き合いもマンネリ化(付き合った当初からマンネリしているのだが)してきて、次第にオフにも出るようになる。そうしてると、由香ちゃんに別れを告げられた。理由は「なんだか、いつも幸太を車で迎えにいって、デート代も全部私が出して、バイトをしているみたい」とのことだった。意味は良く分からなかった。
1年ほどの付き合いがあったので、言われた時はショックだった。15分ぐらいは落ち込んだ。しかし、オフで良い感じになってきた亜里沙ちゃんというストックがあったので特に問題は無かった。亜里沙ちゃんはカラオケのオフで出会った。神戸の良いとこの大学生でそれなりなお嬢様だ。僕はその時クスリでハイになっていたので、亜里沙ちゃんの横に座り、ひたすら話かけ、笑わせていた。周囲のオフの参加者の一部は怪訝な顔をしていた。そうして亜里沙ちゃんと仲良くなったのだ。亜里沙ちゃんは僕のルックスがタイプだったらしい。僕のルックスがタイプという大半はマニアックな趣味を持っているか、病的な女の子ばかりだ。どうしてだろう。
しかし、ある時、ドラッグでラリって亜里沙ちゃんに対して勘ぐり妄想が入ってしまい、訳の分からないメール(お前は俺をからかっているだろう。お前はグルだ。みんなで俺を騙そうしている等)を連投してしまったために、相当引いてしまい、しばらく連絡が途絶えてしまった。
亜里沙ちゃんは小柄で目がぱっちりとしていて、前髪がパッツン、それなりにマニアックなロックやカフェ巡りが好きという、これは、いわゆる、俗に言うサブカル女子ってやつで、その全ては僕の好みとする女性のタイプだったために、一生の不覚と相当悔やんだ。
それにしても何もしていない状態というのは不安と焦りでいっぱいになる。
こんなところで燻っているわけにはいかない。ユウ君も服屋のオーナーにまでノシアガッタんだし、僕も何かしなければ。僕は中1の頃からインターネットをしていた。それならば、僕の武器といえばパソコンに強いことではないか。それに僕はハッカーに憧れていた。伝説のハッカーとして名を轟かせたかったのだ。
そうして僕は、母に金を援助してくれるように頼み、神戸のコンピューターの専門学校へ行くことにした。
「神戸のコンピューター専門学校へ行きたいねん。俺は中1からパソコンしてるし、今まででずっと続いてるのはパソコンだけや。だから自信がある。それにこれからの時代はITやで。行くしかないやろ。だから学費と後、神戸やから、一人暮らしやから毎月10万ほどの仕送りが欲しい。今のままじゃ将来は無い。資格が無いと。これからの時代、資格やし」
言葉巧みに母を説得し、晴れて神戸の専門学校へ行くことになった。これは僕にとって最高の環境だ。
父の家に居た時に、一度ドラッグのオーバードーズによってマンションから飛び降りようとし、兄と父に取り押さえられ、救急車で運ばれて病院に半日入院したことがある。それを機にドラッグをやりずらくなっていた。
しかし、神戸で一人暮らしということは誰も僕を止めることは出来ない。思う存分好き放題出来るのだ。それに夢にまで見た一人暮らし。親元を離れた神戸。まさにフリーダム。僕の心は弾んだ。神戸の三ノ宮駅から徒歩15分。二宮町という、新神戸駅と三ノ宮駅の境にあるワンルームマンション。家賃3万7000円。5階建て。エレベーター無しの4階。すぐ近くにはラブホ街が続き、所々に小さいヤクザの事務所が乱立するという治安の悪さ。
僕はここに決めた。手続きは完了し、荷物が届く当日に1人で再度、このマンションに来た。
僕は鍵を差し込み、ガチャリとドアを開ける。何も無いガランドウな部屋。ベランダから少しばかり見える二宮町の町を眺め、そうして部屋の真ん中に大の字になって寝てみた。
その時僕は、今までの生涯、真骨頂の自由を感じていた。思わず笑みがこぼれた。
何も無い狭い部屋かつ、不便なマンションだ。しかし、この部屋には将来の希望がギッシりと詰まっていた。ふとあるロックバンドの歌のタイトルが頭に響いた。
「未来は僕達の手の中」
それにしても、今日は中々寝ることが出来ない。ふと時計を観るともう深夜2時ではないか。早く寝ないと明日に響くぞ。明日は僕が18……。
(3日目・水曜日)
――特別な人間には二つの道がある。
1つは、社会の底辺として泥水を啜って生きていくか。
もう1つは、大成功者として泥水を啜って生きていくか。
という言葉とともに目が覚める。意味は分かるようで、分からない。
まだ暗くて静かだ。深淵たる静けさ。調子が良い時は心地よく、調子が悪い時は酷い孤独感に苛む。そんな静けさ。布団から手だけをにょきりと出し、ベッドサイドに手を伸ばしてスマホを探す。しかし、見当たらない。この場合、スマホはベッドサイドから落ちている可能性が高い。どうして落ちているのか分からない。僕が寝返りを打った時にスマホに当たって弾き飛ばしてしまうのか……
次に目を開けた時、外はすでに明るくなっていた。町中のほんの少しばかりの喧噪が聴こえる。その瞬間、アラームの音。音はベッドの下から聴こえてくる。
やはりそこにいたのか。僕はベッドから転がるように這い出て、スマホを救い上げ、目障りなアラーム音を止める。それと同時に電車が駅に止まった音が聴こえる。
レールと車輪の擦れる独特の音。僕は好きだった。皿とフォークの擦れる音と似ているが、僕は皿とフォークの擦れる音が大嫌いなのだ。少しでもあの音がすると耳を塞ぎたくなる。陶器や磁気の重なり合う音が特に苦手であのガチャンという音が大きいと鼓膜がビクンと反応して痛いのだ。僕は音に敏感だ。嫌いな音と好きな音が余りにも多すぎる。どうでもいい音が少ない。だから大変でもあるし、楽しくもある。
朝の部屋から聴こえてくる喧騒、特に電車の音が好きだ。そして夜、深夜にふと起きた時の静寂が好きだ。などと考えながら今日の支度をする。今日は17年間住んでいた弥刀の家を売りに出したために、まだ家の中にあるタンスやクローゼット、その他大勢を粗大ゴミに出したり、色々しなければならない。作業は僕と兄に託されている。兄は僕と5つ歳が離れていて36歳だ。介護福祉士であり、結婚していて二児の父となっている。
兄と僕の関係と言えば格別仲が良いわけでもなく、仲が悪いわけでもない。僕は兄のことを格別好きなわけでもないし、格別嫌いなわけでもない。まぁ、兄弟というのは何処でもそんなもんだろう。
僕は髪の毛をワックスで立て、ダメージジーンズを履き、ギターのピックが散りばめられた絵の黒いTシャツを着る。そして、ドアを開けキッチンへと向かう。
隣の部屋で勉強をしている母の勉強部屋が開いていたので、比較的明るい声で「おはよう」と声をかける。母はそれに対して比較的明るい声で「おはよう」と応答する。
僕は冷蔵庫からヨーグルト2つを取り出し、机の上にあるバナナを1つ捥ぎ取る。この家では毎日ヨーグルトを2つ以上食べるのが義務なのだ。母はいつも「ヨーグルト2つは食べなあかんで」と言ってくる。食べないといけないらしい。
バナナとヨーグルトを食べ終え、コーヒーを啜っていると、兄からメールが来た。僕は少し残ったコーヒーを捨て、母に言う。
「もう、にーちゃん着いたらしいから行くわ」
「行ってらっしゃい。和也に玄関に置いてるゆいちゃんのプレゼントとチョコレート渡してな」
と勉強部屋から母の声が聴こえる。僕はそれに対して「分かってる」と言う。
ドアを開けると、少し肌寒かった。だから僕は部屋に戻り、上着の真っ赤なカッターシャツを着た。まだ少し寒かった。天気は晴れていた。秋の匂いがスンとした。マンションの外に出ると、すぐ左には商店街があり、右に踏み切りがある。踏切を渡ると右手に駅があり、真正面の道路を横切るとスーパーとパチンコ屋とコンビニがある。
兄はそこに車を停めていた。僕は兄の車に滑るように乗り込む。車の中はウーハー聴いていて、キングギドラの公開処刑というラップがガンガンと流れていた。
僕は「おはよう」と兄に言う。兄はそれに対して「おはよう」と応答する。
兄は今日の予定を淡々と喋る。僕はそれに対して、ふんふんと頷く。一通り予定を喋り終えた兄はそのまま黙った。僕はなんとなく沈黙が気まずいので言った。
「この歌ってkjのことが嫌いな人の奴やん」
と僕は言った。
「そうやで」
と兄は少し笑っていった。その後、いつもしているように最近のコアな映画や漫画の話をして沈黙を潰していった。コンビニで昼弁当を買い、またしばらく車で走っていると、懐かしい風景が見えてくる。そしてそこからまた5分ほど走ると、実家へと到着した。
僕は車から降りて、辺りを見まわす。何一つ変わっていなかった。
車を停めている横には二階建てのガレージがあり、前方に中川という果物や駄菓子が売っている、小さな小さな店がある。一見観た限りではやっているかやっていないかすでに分からないぐらいの廃れようだった。この店は外から中が良く分かるようになっている。
駄菓子が少し置いてあるのが分かるが、野菜や果物類はすでに置いていない。
いつもレジに立っているはずの、おっちゃんか、おばちゃんは居ない。が、奥の方にいることが後になってわかった。おっちゃんではなく、既におじいちゃんへとなっていた。
おっちゃんだったのは15年前だ。時は刻一刻と刻まれていく。この辺りも変わっていないと思いきや、しっかりと10年分の時間が刻まれている。10年前のサビは10年分のサビが新たに刻まれていたり、逆に真新しくなったりしているところが多々あった。
進化しているところは進化し、退化しているところは退化しているのだ。
車の停まっているところと、中川の中間の辺りに曲がるところがあり、そこには左と右にズラッと家が左右合わせて8つほど連なっている。当時はなんとも思わなかったが、今観ると不思議な空間である。アパートや団地ではなく、全て3階建ての一軒家だ。その一番奥の右側に僕達が住んでいた家がある。懐かしい道を歩いていく。
入ってすぐの家の前に、小学生の女の子が2人、ランドセルを地面に放っぽりだして、話をしていた。一人はその家の2つ先輩だった、中学の頃はバリバリのヤンキーだった小野君にそっくりだった。小野君の前に小野君にそっくりな女の子がいるのなら、それはもう導かれる答えは1つだ。そしてもう一人はユウ君の嫁のサッちゃんにそっくりだった。
「こんにちは」
とあいさつすると小野君とそっくりな子はサバサバとした態度で「こんにちは」と言い、サっちゃんにそっくりな子は怪訝そうな顔をして何も言わなかった。
その性格までもが、2人とも小さい頃とそっくりだった。まさに歴史は繰り返すというのは自然の法則でもある。両隣にある家を、過去を振り返りつつ、じぃっと見比べながら。そして1つの家に目が留まる。それは僕の元実家の真向かいにある家だ。
ここにユウ君が今、住んでいるのだ。ユウ君は僕のこの元実家の隣に住んでいる幼馴染であるさっちゃんと結婚し、そして今のこの家に住み始めたのだ。事実は小説よりも奇なり。
さっちゃんと僕は別に全然仲は良くなかった。ユウ君とは仲が良い。なので、繋がりは皆無なのだ。そんな隣人の幼馴染のさっちゃんと、僕が地元に住んでいた時に一番仲が良かったユウ君とが結婚し、しかもちょうど、賃貸として売りに出されていた僕の向かいの家に住み始めたのだ。実にユニークな話である。ちなみに僕が神戸の専門学校へ行き始め、神戸へ一人暮らしをしてから、しばらくは、ユウ君が当時やっていた服屋に寄っていたりしていたが、薬物中毒が酷くなってきた24歳頃からは全く連絡を取らないようになっていた。そこから、かれこれ今の今までの7年間、連絡は取っていない。ユウ君は今、コンビニのバイトをしていると聞いた。今いるのだろうか。後でインターホンを鳴らしてみるつもりだ。
僕と兄は早速実家の鍵を開け、中に入る。相変わらず小さい庭の辺りから猫の糞の臭いがする。1階はほとんど、ガランドウになっている。2階と3階にあるタンスやクローゼット、勉強机、他、まだ処分していないその他諸々を1階に全部集めていく。タンス、クローゼットは分解しないと狭い階段につっかかえてしまう。入れる時は2階のベランダから入れたらしい。兄がタンスやクローゼットを分解していき、僕は3階から降ろせる物を1階へと降ろしていく。中々の重労働で途中から真っ赤なカッターシャツを脱ぎ捨てる。
3階から1階へと降りる中、子供の頃を思い出す。この家は17歳まで住んでいたはずなのに、思い出すのは子供の頃ばかりだ。どうして昔の思い出を振り返る時、胸が痛むのだろうか。
郷愁というのは酷く切ないのは何故だろう。そしてそれは酷く優しくも感じる。僕の心の中にいつまでも残るであろう、子供の時の記憶。それがこの家に詰まっている。今の僕を形成した家といっても過言ではない。
兄がタンス等をハンマーで破壊する音が部屋中にこだまする。それはまるで僕の思い出も壊されていくようだった。前に進むために、過去に捕らわれないために。ふと3階の勉強机を退けた時に、奥から埃に塗れたガン消しが出てきた。
ガンダムの形をした消しゴムだ。消しゴムとは名ばかりで、これで文字なんて消せやしない。ただの置物だ。僕はこのガン消しをたくさん集めて、1階の居間でご飯が出来る間、ひたすらガン消し同士で戦わせて遊んでいた。頭の中で物語を構成し、両手に持ったガン消しで物語を進行する。その遊びに熱中していて、夕ご飯を食べるのがいつも煩わしかった。
そうしてご飯をロクに食べなかったせいか、僕は幼少の時から酷く痩せていた。そして幼少の頃の体格によって大人になってからの体格が大体決まると訊く。
僕は25歳まで酷く痩せている自分の体格がコンプレックスだった。鍛えに鍛えまくり、細マッチョとなった今となってはそんなコンプレックスからも抜け出すことが出来た。
対人恐怖症だったのは、色々な劣等感からそうなっていたのだろう。
唐突にクシャミがでた。僕は鼻が敏感でクシャミを良くする。埃に塗れたこの家は僕の鼻には刺激が強すぎたようだ。マスクもしていない。
新鮮な空気を吸おうと、一度家から出た。家に出てすぐに、真向かいの家から人が出てきた。カジュアルな服装で服屋の店員のような身だしなみの……
「あっ」
と僕。
彼はその声に振り返った。彼も「あっ」と言った。
「ユウ君!」
と僕。
「幸太!」
と彼。
僕は満面の笑みでユウ君に近づき、握手をした。
「元気?」
と僕。
そう言ってみたが、元気そうな顔では無かった。
ユウ君は頬がこけて明らかに痩せていた。
「うん、まぁ、」
とユウ君。
「何年ぶりかなぁ」
と柵にもたれかかって僕。
「何年ぶりやろなぁ」
とユウ君。
「痩せた?」
こけた頬を指差し、言ってみた。
「大分痩せたねぇ。幸太は大分ガタイ良くなってるやん」
「いや、でも最近めっちゃ痩せてん」
「そうなんや。まぁ、それぐらい会ってないってことやなぁ。一回太って、一回痩せるぐらいにまで」
「あぁ、確かにそうやな。ハハ」
「なんかやってるなぁ、うるさいなぁと思ったら幸太やったとはびっくりした」
「この家売りに出したらしいからさ、家の片付けしてんねん」
「そうなんやぁ。大変やなぁ」
「大変やで」
「ユウ君今コンビニのバイトやってるん?」
「せやで」
しばらくお互いの近況報告に華を咲かせた。それはもう、7年分ぐらいの近況報告があるから大変だ。その全てをするにはあまりにも時間が無い。
ユウ君曰く、今は大分マシになったが、相当な精神的に絶望の淵を彷徨っていたと言っていた。ユウ君とは波長が合うために話している時も沈黙になった時も気まずい思いをしない数少ない人間だ。
「ユウ君さ、小学校の頃、覚えてる?死んだら無くなるってどんな感じか、自分しか今この世界を見ていない感覚、俺しか、俺が今考えていること分かれへん、この世で俺一人、他の人ほんまに俺みたいになってんのかみたいな、テツガクテキな話をした時に同じことを考えていて衝撃受けたやん?」
「あぁ、もちろん覚えてるで」
「俺はあの答えが分かったで。全てじゃないけど」
「なんなんそれ?」
「ちょっと待ってや」
と言い、僕は兄の車の方へ走っていった。車の中から本を取り出し、また戻ってきた、
「これやで」
と僕はユウ君に本を渡す。
本には「Yes!Future!」と書かれていて、僕がマンションのベランダから景色を眺めつつ、分厚い本を持っている写真が表紙となっている。
「俺、作家になりたくてさ。自伝の本を自主制作で造って本にしてん。別に何処の出版社も通さんと、自分で作っただけやから誰でも造ろう思ったら造れんねんけど。この中にその答えが全部じゃないけど載ってるで。俺が本当に分かったこと。体験を通して」
ユウ君は興味深そうに本をペラペラめくり、へぇそうなんや凄いなぁと言っていた。
そして僕達は携帯の番号を交換し、その場で別れた。7年ぶりの友との再会は立ち話で終わったのだ。しかし僕達はそれで満足をしていた。僕達にはそれだけで十分だったのだ。
片付けは一通り終わり、1階の居間で昼食を兄と食べる。
僕はコンビニで買ってきたサーモンの寿司ばかり入ったサーモン尽くしなるものを食べていた。兄はハンバーグ弁当だ。タンス等を分解した破片をヒモで縛った物や、勉強机、瓦礫で埋まった居間だ。この家で兄と食事を共にするのは何年ぶりだろうか。
最後に覚えているのは僕が中学生の頃で、兄が福祉の専門学校に行っている時だ。
いや、高校生の時だったかもしれない。僕が家から帰ってくると、スキンヘッドにした兄がドライカレーを食べていた。
僕は思わず
「え、なんでハゲにしてるん?」
と言った。兄は何も言わずドライカレーを口に放り込んでいた。青白い兄の頭が酷く違和感を感じ、印象的だったから覚えている。あの頃、兄は嗜む程度にドラッグをしていたが、知っているのは家族の中で僕以外に居ないだろう。兄は僕と違いドラッグにハマることなく、その時限りだったと思う。賢明な判断だ。兄がこの後の作業の内容をポツリと言う。僕は相槌を打つ。それ以外は特に会話をしなかったが、僕は沈黙が気まずかったので何か漫画の話を少しした。生まれ育った家での兄との最後の晩餐は特に感慨深いものではなかった。だけどきっと、何十年経っても鮮明に思い出すだろう。何故かは分からない。
1階から屋上まで、全てを空にした。ガランドウになった家は酷く孤独を感じた。
「全部窓開けてるから屋上から順に閉めていってもらっていい?」
僕は1階から2階へ、2階から3階へ、3階から屋上へ駆け上がっていった。
最後に屋上を見ようとドアを開ける。無機質なコンクリートの地面と、無機質な錆びた鉄の柵で囲まれた屋上だ。ここにいつも洗濯物を干していた。
小さい頃はここでビニールプールを広げ、従妹と一緒に入っていた記憶がある。
洗濯物とビニールプール。そして兄が柵の外の死角となっている隅でアダルト雑誌を隠していたのを盗み読みしていたこと。屋上の思い出はそのぐらいである。
3階に降りると、二間の部屋。階段を降りてすぐのところには、僕の勉強机があり、パソコンが置いてあった。僕はここでインターネットに明け暮れていたのだ。地味な青春である。そして奥の部屋で、僕と兄は寝ていた。良く見てみるとなんと狭い部屋だろう。
こんなところで2人して寝ていたなんて。そもそも、この家がこんなにまで小さいとは思わなかった。僕が大きくなったからか。それとも、思い出の中で部屋が大きくなっていったのか。
僕はそのまま階段を降りようとしたが、足を止めて、振り返った。
17年間住んでいたが、思い出すのは小さい頃ばかりだ。そして小さい頃の僕とこの部屋の思い出を思い返すと、何故だろう。切なくなるのは。胸が痛いのはどうしたことか。
僕はしばらく立ち止まっていた。感じた。
僕はこの家と、小さい頃の僕と、その時の思い出を、愛していたのだ。
静かな埃に塗れたガランドウの部屋に、何かを感じる。シンと静まっている部屋が、僕に何かを訴えている。それは「行かないで」か。いや、違う。「ありがとう」に近い何かだ。
僕はシンと静まり返った部屋の中で、優しい何かに包まれた。顔が一瞬崩れたが、僕は堪えた。バカ。一体なんの涙だと言うのだ。アホらしい。そう思った。アホらしいけど、なんだか恥ずかしいけど、何かを言いたかった。
僕はかすれた小声で「バイバイ」と言った。なんだかそう言わないといけない気がして、なんだかどうしてもそう言いたかったのだ。この家は、優しい思い出で満ち満ちていた。
その後、僕達は粗大ゴミに出せる量だけ出し、兄の軽に乗せられるだけのガラクタを載せ、市のごみ処理場へ向かい、ゴミを投げ捨て、僕は教会まで送ってもらい、兄は家に帰った。
ユウ君とはもう会わないかもしれないし、また会うかもしれない。
寂しい気もするが、あまり寂しくない気もする。だけど僕はあの本を渡すことで使命は全うしたと感じた。ユウ君が真理の深みを知ることが出来るようにと。
それは僕達が一番必要で、それは僕達が一番持っていなくて、それは僕達がいつも渇望しているもの。それは無条件の愛というものだ。僕達はいつもその無条件の愛に包まれているという真理を。それに気付けば『自分だけ、自分しか』という絶望的な孤独から救われるし、その絶望的な孤独から救われるにはそれしか無い。それしか無いんだ。
それを最も求める者が、最も苦しみ、それを最も求める者が、それから最も離れていく。
そうだ。ユウ君と僕の共通点はそこにある。
僕は教会のドアをガチャコンと開ける。腕時計を観ると午後5時。祈祷会まで後2時間。
2階に上がると明先生と伸江先生と伸江先生の娘、要するに吉田達也牧師の娘である恵がいた。ということはつまり伸江先生とは吉田達也牧師の夫人である。
「あ、幸太。おかえり」
と伸江先生。僕はただいまと言う。教会はキリストの体であり、天国に近い場所だ。そして僕達の本当の故郷は天国なのだ。だから教会に来ると「おかえり」と言う。僕達はこの世においては寄留者なのだ。という原理である。
「幸太、今日は朝教会行かんかったん?」
「はい。実家の片付けしてました」
と僕。
僕はポットにお湯を入れる。
「何作ってるん?」
と恵。9歳の目がくりっとした可愛らしい娘だ。何かをしていると必ず寄ってきてそして邪魔をするオテンバ娘。
「今から夕飯のカップラーメン作るねん。ちょ、どいてや」
恵はポットを掴んで離さない。僕は脇をこちょばせる。恵は無邪気に笑いながらポットから手を離す。
「それ何味のカップラーメン?」
と申先生。
「なんかトリュフ風味らしいです」
「トリュフ風味?トリュフ入ってんの?」
と笑いながら伸江先生。
「さぁ?珍しいから買いました。250円もしたけど」
「さすがトリュフ風味。高いなぁ」
と笑いながら伸江先生。ポットのお湯が沸き、カップラーメンにお湯を注ぎ、5分待つ。
5分間話をする。5分後、蓋を開ける。化学調味料の臭いがする。ずるずるとラーメンを啜る。
「トリュフの味する?」と申先生。
「そういえばトリュフを食べたことないからトリュフの味かどうか分からないけど、不味いですね。買わなきゃ良かった」
僕はよく冒険をする。自分の食べたことないのを食べたがるのだ。特に変わったやつや激辛に挑戦をしたくなる。斬新なものというのは当たり外れが大きい。大体外れだ。
しかし、僕は挑戦をやめないのだ。特に最近の僕はそうだ。夕飯のカップラーメンを食べ終え、下に降りて行き、聖書を読む。ふと時計を観ると6時40分だ。時計を観た瞬間に教会のドアが勢い良く開いた。
教会のドアが勢い良く開くと僕は少し驚き、ほんの些細な嫌悪感が芽生える。だからどちらかというとゆっくりと開けて欲しい。僕の心臓は思いのほか小さい相当なチキンなのだ。しかしあまり動じないフリをしている。すぐに動じる男は恰好悪いと思っているからだ。
ドアからにょきっと現れたのは吉田達也牧師だ。
「おっす明」と低音の効いた声。
「オツカレッス」と僕は言う。
祈祷会にはほとんど人は来ない。日曜日の礼拝には20~30人の人が来るが、祈祷会は5~8人だ。その後、賛美を僕は心から歌い、メッセージを心から聴き、祈りを心からした。
そうして祈祷会は終わった。祈祷会が終わった後、しばらく教会で立ち話をするのが主流だ。
この辺りの夜は族車やコンビニの前に茶髪やピアスが屯していることが多い。
夜の商店街を通りぬける。たまに族車が大きな音を出して危なっかしく通り過ぎる。 電車に揺られ、家に着くと夜9時。夜、1人になると得も言われぬ憂鬱、孤独感が僕の心に忍び寄ってくる。それはクリスチャンとなってから大分マシになったはずだが。
最近、彼女にフられたことによってまたその孤独の憂鬱の闇が現れ始めたのだ。僕はその孤独という名の憂鬱の魔物に気力を吸い取られ、ベッドに倒れ込む。胸にドシンと乗っかる魔物。孤独に上乗せして色々な陰鬱な思いがやってくる。
本当に作家になれるのか。今の僕の立場と言えばなんだ。これで社会復帰したなんて言えないだろう。31歳。資格も学歴も無し。本当に自分は作家になれるのか。なれなかったら?なれなかったらこの先どうなる?悪魔の囁きだ。余計に気力は吸い取られる。が、しかし。クリスチャンたるもの、逆境にこそ力が発揮されるのだ。
僕はふと思った。こんなんじゃ全然ダメだ。本気か?これで僕は死にもの狂いか?これで僕は背水の陣か?怠惰に負けている。憂鬱に屈している。
「主よ。前進するための力を。僕には悪に打ち勝つ力はありませんが、僕は万軍の主であるあなたの子供です。あなたの御国を相続するものです」
僕は意を決してベッドから這い出る。僕はすぐにデスクに向かい、パソコンを開け、ワードを開く。
もっと書かないと。もっと書けるだろう。僕はそう思いながらパチパチとキーボードを鳴らし始める。次第にキーボードを打つ速度は加速していく。
心の奥底から力強い声が沸いて聴こえてくる。
「書け」
例え、憂鬱が僕の心に蔓延してきたとしても、書け。
何故ならそれしか出来ないし、それが出来るし、それをしなければいけないからだ。
それを、人は使命と呼ぶ。
認められるとか認められないとか。そんなことは二の次で。僕はただ書き続けるのみ。
描くように書け。賭けるように書け。駆けながら書け。
翔け、書き続け、駆け抜けて、書けヌケロ。
頭の中から無尽蔵に降って湧いてくるその言葉を。
書け、それはまるで、描くように書け。文章を描くんだ。
描け、無条件の愛をそのキャンパスに、その空白に、描き続けろ。
僕は一心不乱に書き続ける。僕の全てをそこに注ぎ込むかのように。
書いていると、顔が熱くなり、動悸がしてくる時がある。身体の違和感を感じることにより、僕は余計に熱がこもる。一層のこと、血でも吐けば、もっと情熱的に書き耽るだろう。昭和初期にでも産まれていれば、吐血の1リットルや2リットルしていたかもしれない。
目がかすれてきた。ふと時計を見ると、2時になっていた。僕のキーボードを叩く音以外は何も聴こえなくなっていた。僕は布団にダイブした。ぼふんと体が少し跳ね上がった。
それでは、眠りにつけるその時まで、また昔話を語ることにしよう。
神戸の専門学校へ入学するというのを口実に、僕は三ノ宮で一人暮らしを始めた。そうして数日後、専門学校の入学式があり、いよいよ僕の新たな門出がスタートする。
しばらくすると、孤独になる。そうして思い出す。そういえば、亜里沙ちゃんは神戸の娘だった。あれから数か月経つし、ほどぼりも冷めただろう。連絡してみよう。
「亜里沙ちゃん、元気?幸太だけど。俺、三ノ宮に引っ越ししてきたんだよ。家近くでしょ?遊ばない?」
とメールを送る。半日経たずして、亜里沙ちゃんから連絡が入る。
どうやら変なメールを送ったことももう気にしていないようだ。そうなるともうこっちのもんだった。神戸といえばお洒落な喫茶店。亜里沙ちゃんはそういったやつが好きだった。
僕は家に出る前にドラッグでハイになる。そうして僕達はオシャレと言われる喫茶店でお茶をしながら、カラオケに行く。そこでキスをする。そこまで来たなら家に呼ぶ。そうしてセックスだ。新しい人生、恋もセックスも順調だった。
そうして学校でも友達は出来ないが、誰よりも熱心に勉強をし、好成績を残し、成績の良いクラスへと入ることも出来た。全てが順調このうえない。僕はいつも目の前のことに全力なのだ。
神戸は大阪とは一味違う。一味どころか五味は違う。大阪の街並みと言えば一言で言えば汚い。街並みがゴチャゴチャとしていて建物が不規則に並んでいる。路上にはゴミがそれなりに落ちているし、何から何まで何処かが汚い。しかしこの三ノ宮というと、何から何までオシャレに気を使っている洒落神戸である。三ノ宮駅付近は大きいビルがたくさん建っているが、大阪のように乱立はしていない。ある程度の規則性とその中に美がある。それに大阪のようにせまぜまとしていない。
広くて優雅で華やかで綺麗だ。
僕はこの街とこの人生に大いに満足した。ただ、学校の人間達とは馴染めなかった。
しばらくして、月10万のライフスタイルでは満足出来なくなり、近くのコーヒー店で働くことになった。そうして、亜里沙ちゃんだけでは満足出来なくなり、何度か浮気をした。亜里沙ちゃんは亜里沙ちゃんで、誰かと浮気をしていたことを後で知った。
そのうち、僕は勉強に付いていけなくなった。内容が応用に入ってくるといつも僕はついていけなくなるのだ。いくら説明を聞いても訳が分からない。居残りをして先生に分からないところを徹底的に教えてもらうが、それでも全く意味が分からない。それに、コンピューターといえばやはり理数系が得意でないと辛い。僕は数学が苦手だったのだ。どう考えても文系の脳みそをしている。いくらやっても分からないと嫌になる。
そうして僕の自信を砕いたのは、その専門学校に唯一いた、ある友達のおかげである。
彼は他の人と違い、女に興味があって、それなりに女に興味があるルックスをしていたので気が合った。彼は見た目は遊んでそうで、そして遊んでいるにも関わらずに、成績はズバ抜けて良かった。
プログラマーやシステムエンジニアを目指す当学校において、最も大切とされたのは国家資格の情報処理技術者試験だ。これを3年のうちに取らないやつは、ほとんど就職を失敗したのと同じようなもんだった。優秀な奴は1年のうちに取ってしまうし、努力をすれば取れる範囲なのだ。だから僕は必死で勉強をした。しかし、やればやるほど情報処理という勉強は分からなくなっていった。そうして迎えた国家資格。僕の結果といえば惨敗だ。何も分からなかった。
遊び人の奴はといえば、意図も容易くこの国家資格を取ってしまったのだ。
「お前、勉強相当したん?」と僕が聴くと
「いや、全然してないよ。授業出てたら、大体分かるやろ」
と全く自慢めいた様子もなく、当たり前のように言ってのけた。
良く、徹夜に近い勉強量をして期末試験に挑んだくせに
「俺全然勉強していないからダメだ」
とほざく詐欺師がいるが、奴の場合、本当に勉強をしていないのだ。
そんなものを見せつけられれば、自分にいかに才能が無く、それでいて要領が悪く、頭の回転が悪いかということが良く分かる。幼き頃からの劣等感が芽生えだした。
そうなると、もう僕は伝説のハッカーになることは、ほぼ諦め、遊び呆ける日々となる。
1年の終わり頃には学校にも行かなくなる。それと同時にコーヒー店でのバイトも、ピエロとして自虐ネタによって笑いを取ってそれなりの人気を取っていたが、店長に嫌われていて、その店長が怖かったので、嫌になってきた。そうして「鬱病が発症してもう働けない」と書き置き的メールを残してバックレた。彼女は彼女で大学を卒業と同時に上京して働くとのことで、環境の変化による心情の相違というありがちなパターンで別れることになった。
一つのことが上手くいかなくなると、ドミノのごとく連鎖的に他の事柄も崩れていくのがいつものパターンだ。そうして僕はどうしたかというと、引き籠っていたり、オフに出たりしていた。
その間に、2週間足らず交際した女性や、肉体関係を何度か続けただけの女性等が存在する。
僕が当時ハマっていたのはネットゲームと、ショートムービーやバンドのプロモーションビデオ等の映像作品だ。ネットゲームは、大航海時代を基にしたネットゲームでその世界で交易をしたり、何かの職人になったり、商人になったり、軍人になったり、海賊になったり出来るというネットゲームだった。僕はそこで海賊を目指した。そのゲームで言う海賊とはプレイヤーを襲う行為をすることだ。ネットゲームの世界ではプレイヤーキラー(PK)という。僕は一風変わった海賊をしていた。その一つは演説だ。人気の多い町で演説をするのだ。そうして、このネットゲームのブログを始めた。僕のこのキャラは非常にウけ、そしてブログの文章の面白さからファンが急増し、僕は一躍スターへとなったのだ。僕は一端の海賊団を立ち上げ、その海賊団も有名になっていった。相変わらずネットの世界では有名になれる。
そうしてもう一つのハマっていたものが現実世界で今後のキーパーソンとなる。
僕はバンドのプロモーションビデオを制作する映像作家になりたいと思い始めた。アメリカで有名な映像作家のクリスカニンガムという人物がいた。彼の創るプロモーションビデオは恐ろしく美しいか恐ろしくグロテスクで気持ち悪いかのいずれかであった。
その美しい映像の中には狂気があり、そのグロテスクな映像の中には特殊な美と嫌悪感を増幅させる何かがあった。それに、グロテスクといっても、臓器物を曝け出したりなどといった、「あたかも」な陳腐なことはしない。人が心から嫌悪するような映像を創作する天才だった。僕はこんな映像作家になりたいと心から思った。そうして、この専門学校にはCG学科という分野があるのだ。3DCGというジャンルには興味が無かったが、そこでは映像についての授業も学べる。
そしてここから映像関連の仕事へと就くことも出来る。もってこいじゃないか。あいにく伝説のハッカーになるには才能が無いみたいだし。
僕は母に上手いこと、騙し騙しで、来年から編入したいという趣旨を伝えた。お金のことに関して、揉めたところがあったが、渋々了承してくれた。
さぁ、また新しいスタートだ。次こそはしくじったりはしない。元々、僕は芸術肌だ。それを思うと、ようやく自分にとって本当に進むべき道に来たような気がする。
そうして新しい学科へと編入し、授業を受けるが、絵を描いたり、3DCGの勉強であったり、自分にとって苦手な分野ばかりが立ちはだかる。一生懸命取り組むが、なんだか取り残されている感が否めない。絵は苦手だし、3DCGを制作するには空間把握能力や計算能力が必要だ。数学はとても苦手だし、空間把握能力に至っては脳に障害があるのを疑うほどに欠如していた。
かなり失望していたが、ある映像制作ソフトを授業の一環で必要だったので買ったのだが、この映像制作ソフトは自分で撮った動画を編集するのに優れたソフトだった。
僕はこのソフトと、父親から貰ったビデオカメラによって映像制作を始めていくことになる。僕はこれに熱中した。まさしく、自分がやりたかったことが出来たのだ。
ちなみに、亜里沙ちゃんと別れてからは、オフで出会った女性や友達との行きずりのセックスは何度か会ったが、彼女が出来なかった。そんな中、あるオフである20歳の女性と出会った。一目みて可愛いと思った。ドラッグでハイになっていたので、自虐的ネタ等を連発し、笑いを誘い、気に行ってもらったみたいだ。
僕は番号とメールアドレスを訊き、早速デートにこじつけた。彼女の名前を結衣と言う。
「デートなんて初めてだから緊張する」
と三ノ宮の交差点で信号待ちをしている時にそう言った結衣に僕は驚いた。
「え、じゃあ処女?」
と軽いノリで訊くと、そうだと言う。この性の乱れた現代社会において、20歳で処女というのに驚いた。話を聞くと結衣は高校を卒業して、今は何もしていないという。しかし、そんな不埒な人には見えないし、何か訳ありな雰囲気を臭わせた。そうして彼女は絵を描いていて漫画を描いていると聴いた。
「じゃあ、今度遊ぶ時、その漫画見せてや」
と僕は言った。これで次のデートにもこじつけた。それからそのデートの日、結衣ちゃんが描いた漫画やイラストを見せてもらって度肝を抜かれた。僕は絵に関してはさっぱり分からないが、その辺の書店に置いてある漫画となんら変わらないほどの出来栄えだったのだ。
「すげー!結衣ちゃん絶対プロなれるよこれ! 」
と僕は絶賛すると、結衣ちゃんは下を向いて赤くなっていた。次に喫茶店にて俺は映像作家を目指していて、こういった映像が好きなんだと、僕の自慢のクリスカニンガムのプロモーションビデオを見せてやり、この映像の何が凄いのか、彼が天才たる所以なのは何処なのかといううことを熱く熱く語った。僕は自分の好きなこと、特に自分の好きな世界については熱く語らずにはおえないのだ。結衣ちゃんは尊敬のまなざしで僕を見つめて頷いてくれていた。
それから結衣ちゃんと付き合うことになった。
「あたしは幸太さんが自分の世界を持っていて、そして夢を追いかけてる姿が大好き」
と、結衣ちゃんは言ってくれる。そして、僕はそれが一番言って欲しい言葉でもあった。
結衣ちゃんは今までの女性とまるで違っていた。僕の自分が大切にしている自分だけのものを好きでいてくれるのだ。僕は初めて恋をした。
僕は無我夢中で映像制作に励んでいた。初めて造った作品は、自分のゴミ屋敷のような部屋の状態をまずカメラを固定して撮影し、そしてその状態から一つ物を取って綺麗にした状態を撮影し、というのを、永遠と続けていき、整理された綺麗な部屋になるまで撮影し、そして撮った写真一つ一つを映像制作ソフトでつなぎ合わせていき、コマ撮りにした作品だ。それをモーツァルト:交響曲 第25番 ト短調 K.183 第1楽章の曲に合わせてスピードの乗った映像に仕立て上げるという途方もない労力を費やして出来上がった自慢の作品だ。タイトルは、もう忘れた。
「クリーンマイル」とかそんな感じだったような気がする。これは学校以外の友人からも絶賛され、結衣ちゃんも「アキさん凄い!」とベタ褒めしてくれ、しまいには、CG学科のある授業を教えてくれている、僕が最も尊敬する深谷先生に「これ、観てください」とCDを渡すと、大層感動してくれて、生徒達の前で僕の作品を見せてくれた。
「みんなもこのような発想力があり、型破りの作品を創っていきましょう」
とお褒めの言葉を授かった。1人の最も成績が優秀でみんなに一目置かれている田中君という生徒が
「瀬戸さん凄いですねこの映像!どうやって創ったんですか!」
と感動してくれた。田中君は僕の作品をいつもベタ褒めしてくれる。
「凄い表現力。どうやって創ったのか全然分からない」
といつも心から感服している顔をして、絶賛してくれる。他の生徒は、その時どう思ったのか定かではない。人の評価を気にする僕は、それで自信を付け、課題そっちのけで狂ったように1日中映像制作に没頭するようになった。次第に腕も上がっていく。
ある日、結衣ちゃんが泊まりに来ることになった。結衣ちゃんはまだ処女だ。キスを何度かしたぐらいだった。
「でも、まだ怖いから、何もしないで欲しい」
と言われ、僕は何もしないことにした。ちなみに結衣ちゃんは摂食障害だった。
過食嘔吐で、狂ったように食べた後に、全部吐く。僕の前では抑えているので、ほとんどしないが、どうしても我慢出来ない時に何度かしていた。彼女が大量の食べ物を無心に食べている姿を見て胸が張り裂けんばかりだった。食べ終わった後はトイレで音を立てずに吐いていた。どうしてこんな良い娘がこんな悲しい病気になったのだろう。それを彼女のせいにするには余りにも残酷だった。僕は日本の責任だと感じ、その歪みを造った日本を、世界を、思うがままに恨んだ。
そんな結衣ちゃんは僕の家に泊まりに来て、僕たちは色んなことを話した。
そして僕がやっているネットゲームや、そのネットゲームのブログや、映像作品や好きな映像作品を見せてあげた。つまり、僕の好きで自信のある全てを見せてあげたのだ。
僕の語る一つ一つの言葉を結衣ちゃんは熱心に聴いていた。一つも聞き逃すまいとして。
夜、交互にシャワーを浴びた後、ふと僕が子供の頃から持っている、ある絵本に目がいった。
それは「うちゅう」というタイトルで、宇宙の想像を絶する広さが良く分かる絵本だ。まず、僕達の大きさから始まり、そこから色々な物体を経て、地球が描かれている。
その後に地球よりも大きい星の数々が現れ、そのうち地球なんて大海の1滴ほどの大きさになってしまう。それだけでも驚きなのに、地球が存在するこの天の川銀河には星が3000憶個ほどあると書かれている。更に、その銀河が、宇宙には7兆憶個ほど存在すると書かれ、最後には「今、わたしたちが観測出来るのはこれが精一杯です。壮大な宇宙の旅はまだ始まったばかりです」と締めくくり終わる。
髪の毛の濡れた良い匂いのする結衣ちゃんを隣に置いて「すげー!」と連発する。
何故だか分からないが、あの時の結衣ちゃんの香りだけは鮮明に思い出せる。
何度も見たことがあるはずなのに、改めて見ると、やはり宇宙の壮大さに恐ろしさを感じるのだ。僕は武者震いをした。絵本を読み終え、僕は言う。
「わけわかれへんな。どうなってんねんやろこの世界」
「凄いね、神様」
結衣ちゃんは簡単にそう言った。神様、僕は神様が嫌いだった。嫌いだったあまり、神様の存在を否定していた。しかし、この、結衣ちゃんと一緒にこの無限の彼方の宇宙の感動を共有している今この瞬間は、神様を認めても良いと思った。
その後、僕達は寄り添って布団に入った。約束通り僕は何もしなかった。
結衣ちゃんはそのうち週3日泊りに来るようになり、その時は必ず夕ご飯をせっせと料理をしてくれた。
一度、みなとこうべ海上花火大会に行った。海の音が聴こえる暗い夜空を、いまか、いまかと花火を待っていると、ドンッという音とともに花火が打ちあがった。
花火のドンッという音と一緒に結衣ちゃんの肩がビクッとなる。花火の音が鳴る度に結衣ちゃんは条件反射のようにビクッと肩が震えていて、僕は笑って、結衣ちゃんは恥ずかしそうにしていた。そんな結衣ちゃんが大好きで愛おしかった。僕が一番鮮明に覚えている記憶だ。
そろそろ微睡んできた。今は何時だろう。もうすでに時計を見るほどの気力も無い。眠りという、惰性の境地へといざ、行かん。いや、惰性の境地は死か……
(4日目・木曜日)
――喜劇、実に喜劇だ。という言葉と共に目が覚める。
ベートーベンは死ぬ間際にこう言った。
「諸君、喜劇は終わった。喝采せよ」
僕の寝起きは悲惨なほどにその感情が冷え切っている。夜は逆に情熱で燃え上がっている。
よって、夜に書いた文章や思ったこと、喋ったこと、行動した一つ一つを寝起きに思い出す度に、激しいほどの後悔に苛まれる。夜に起こした全ての事を破り捨てたくなる。しかしそれはまさに覆水盆に返らず、なのだ。分かっているのにやってしまう。
まるで夜の自分と朝の自分は別の生き物のようだ。自己顕示欲剥き出しの僕と、徹底的に自己抑制をした僕のアンビバレンスはどうして存在するのか。なんだか、ズドンと心が重かった。
重力というのは物質だけに働くものだと思っていたが、どうして物質では無い僕の心までもが地面に引っ張られているのだろうか。
僕の心は憂鬱という魔物に支配されていた。そして、今まで隠していたが、四六時中胸が痛むのだ。僕の心が憂鬱なのは2つの理由から来ている。1つは、31歳にもなって僕が穀潰しであり、なんの地位も持たないということ。しかし、これに関しては胸のズキズキとはあまり関係が無く、この憂鬱の引き金とはなっていないだろう。
もう1つの理由こそが僕の憂鬱の引き金となっているのだ。
それは何かと言うと、恥ずかしいことだが、恋人にフられたことだ。これが相当な痛手となっている。まるで乙女チックな事なのであまり言いたくはない。
しかし、僕の喉は日に日に通らなくなり、僕の口は日に日に重くなり、僕の胸は日に日に痛くなる一方なのだ。それから分かることは、僕が梨香子を愛していたということだ。
僕がそれほど真剣だったということだ。素晴らしいじゃないか。今日今現在に至っては、もうなんとか朝は起き上がり、足を引きずるようにして教会に行き、呻くように祈り、半死半生のまま執筆活動を行っている次第である。
今まで僕は何人ともの女性と付き合ってきたが、99%相手からフられるのだが、もちろん、フられた時はショックを受ける。そして多少なりとも失恋の痛手に陥る。しかし、それから1時間以内には、ものの見事に綺麗サッパリとその痛手からは立ち直ってしまっているのだ。
だが、ある2人の女性だけは違った。1人は1年程、否、それ以上引きずっただろう、神戸に死んでいたころに付き合っていた結衣ちゃんだ。僕は彼女の心の純粋さに魅かれていた。
そしてもう1人は今現在引きずり進行中である、梨香子である。僕は彼女の心の純粋さに魅かれていた。そしておそらく、この2人の女性に最も傷を与えたのは僕ではないだろうかと思う。当然ながら、フられる原因は100%僕に問題があるのだ。
100歩譲って相手にも責任があると考えても、100%僕に問題があるのだ。つまり、相手に責任は一切無い。
6時きっかりだ。6時キッカリ。
僕は何十と寝返りを打った後に、這うようにして布団から出た。ここ1週間足らずで朝はもう寒い季節となっていた。露出した肌に当たる少しばかりの寒さにたじろいだ。寝る時に半そでハーフパンツだと、もういけないようだ。
ジーンズを履き、Tシャツに紫のニット付きジャケットを羽織る。頭が少し重く、痛みを感じた。風邪かと思ったがそうではないようだ。6時20分の電車に乗るために10分で用意する。カーキ色のリュックに聖書とコンタクトを無くした時、或いは目が痛くなった時用のためのワインレッドの眼鏡を入れ、リュックを背負い、洗面器で歯を磨き、寝癖を手グシで直し、そうして時計は6時15分なので、顔は洗わずに玄関まで行き、母に「行ってきます」と言い、母は「いってらっしゃい」と言う。
ぼんやりとしたホームで6時20分の電車に飛び乗る。そうすると6時34分には教会に着く。真っ暗な教会にスタンド電気の明かりを灯し、僕は頭を垂れ、祈る。意識を集中し始めると、ハッカを口に突っ込んだかのように、頭がスーッとしてくる。空気がまるで澄んでいるかのようになり、それはとても不思議だ。そのまま祈っていると、ドアが開く。おそらく申先生か吉田牧師だ。「主ヨー」と呻くような声から申先生だと分かる。そうしてまたしばらく祈っているとまたドアが開く。吉田牧師だ。僕は気にせずに祈る。思い出せる範囲の教会員、知人の祝福のために祈る。自分自身の祝福と、薬物等の悪いものの誘惑から守られるように祈る。未来のために祈る。祈って祈って2時間が経つ。そうすると僕は最後に『主の祈り』を祈る。
「天にますます、我らの父よ。願わくは、御名を崇めさせたまえ。御国をきたらせたまえ。御心の、天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪を犯すものを、我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より、救い出したまえ。国と力と栄とは、限りなく、なんじのもの、なればなり。アーメン」
僕は頭を上げ、教会から出る。そうすると、来た時よりも景色がすっかり変わって見える。8時40分の晴れ渡った空を見上げる。太陽の光を浴び、帰路に着くまでの間の今のうちに吸収しておく。だけども、僕の心は一向に晴れ渡らない。どんよりとした何かで僕の心は満たされている。
僕は一目散にノートパソコンを立ち上げ、何かに憑りつかれたかのごとく、無我夢中にキーボードを打ち続ける。僕にとって、人生とは、1文字でも多く、最高の愛と、最高の情熱を、文字に、言葉にしていくことだ。それが僕の人生における使命。
究極の愛と燃え滾る情熱をその文章の中に表現する。それが僕の人生。
しばらく没頭していると、腹が無意識に空腹を合図する。なんか食わせろと囁く。僕はその腹を無視して打ち続ける。タカタカ、トントン、ダンダン、タカタカ、このキーボードを打つ音は好きだ。1時間近く録音して聴きたいものだ。きっとそれは、脳からα波を出すためにもってこいの音になるだろう。
などと思いつつも、まだまだ打ち続ける。たまに立ち止まって考える。主人公の太陽はこの時、どう動くか。どうするか。なんと言うか。僕はほとんどプロット(物語の筋。しくみ)を練らずに突っ走っていく。小説を書く上でプロットを書き上げるのはとても大切だと聴いたが、僕はそれを無視している。何故かというと、プロット無しで今まで出来てきた小説をみな愛しているからだ。果たしてそれは自己泥酔でマスターベーションなのか、分からないが、取り合えず、無理矢理読ませた知り合いには好評価を得たので、良しとしている。
はたと、集中力が途切れる。頭がスコーンとしている。疲れた。時計を見ると15時にもなっていた。僕は幽鬼のように立ち上がり、キッチンへと向かう。ご飯を、食べよう。キッチンの上の棚にカップラーメンがずらりと並んでいる。ランダムに手を取る。なんと、トリュフ味のカップラーメン。嬉しくない偶然だ。このカップラーメンのおかげで、トリュフを食べたいと思わなくなった。昼のダイニングルームはシンとしている。みんな職場へと出かけ、あくせくと働いているのだ。僕は一体何をやっているのだという思いが脳裏をよぎる。
ニートや引き籠り生活を5年以上続ける人の精神構造は一体どうなっているのだろう。
相当気力が無いのか、もしくはそれとも豪胆な精神をしているのかのどちらかだ。
どちらも無いと出来ない気がする。ヤカンの音がひゅるると鳴る。お湯をカップラーメンに注ぐ、じゅっとお湯がカップラーメンに染み渡る。
ずるずるとカップラーメンも食べる。カップから、僕の口へ、そして胃の中へと。やがては厠の中へ。下水に流れ、海に辿り着き、プランクトンや魚の餌となり、魚は僕の餌となる。素晴らしき哉、繰り返される生かし合い。
食べたら、少し寝よう。ある程度の安逸が必要だ。音を立ててカップラーメンを食す。
心、ここにあらず。胸がズキズキと痛む。その胸の痛みを必死で吹き飛ばすかのごとく、小説のことを考える。最高のラストはすでに決まっている。後はその最高にラストにいかに繋げていくかだ。終わりのために物語は進んでいくのだ。最高の終幕のために物語は進んでいく。
僕の物語だってそうだ。今まさに終わりに向かって進んでいる。それこそ、最高の。
携帯でネタ探しにでも3流ゴシップのようなニュースを見ていると、ある、お笑いの女性タレント(36)歳が、あるスポーツのインストラクターの一般男性に告白したと載っている。
彼女は36年間恋人がいなかったらしい。告白をしても愛情表現と体格が大きく重すぎていつも断れるとか。一生誰とも付き合うことは出来ないんじゃないかと落胆していたらしい。
僕にとってそれは絶望的な人生だ。そんな孤独は想像するだけで恐ろしい。僕は彼女に心から同情した。ニュースを読み進めていく。その男性は自分のことを一人の女性とみてくれているとのことだった。そうして、いざ告白をすると、告白すると、どうなるんだ。まさかごめんなさいだなんて、そんなことが書いてあれば僕はもう立ち直れないぞ。そうして、いざ告白すると、次を読む。
「1つのことにまっすぐに全力でやっている姿を見て人として魅力的だなと思ってました。よろしくお願いします」とOKの返事だったとのこと。
僕は心の底から安堵し、彼女の祝福のために祈った。良かったなぁ。
カップラーメンを食べ終え、ゴミ箱に捨て、自分の部屋に戻り、うずくまるようにしてベッドに潜り込む。大きく、ため息を吐く。日を重ねるごとに心が少しずつ重くなってきた。明日は起きることが出来るだろうか。弱きになるな。目を強く瞑る。
それでは、いつものように過去を振り返ってみよう。
伝説のハッカーを諦め、映像作家になるため、日々奮闘中である。
僕は結衣ちゃんと映像制作に夢中になっていた。ネットゲームの世界でも相変わらず有名人だ。そのうち、映像作品を色々なコンテストに応募し、その応募した作品は見事に受賞していくことになった。アート色の強い映像作品8作品を紹介するというコンテストの1つに選ばれて、その作品達が六本木の麻生十番にあるカフェで上映されるまでになった。また、あるネットテレビの映像作品を紹介する「C」という番組の最初に流すために番組のタイトルの「C」と音を組み合わせてクールな作品を創って欲しいとの依頼も受けたこともあった。まだ知名度の低い分野だったからこそ、幾つか受賞は出来たのだが、僕はこれによって相当な自信を持つことになった。僕が最も社会に進出出来た時期と言ってもいいだろう。しかし、それで飯が食えるほどには進出はしていない。あくまでもアマチュア止まりだ。自分で飯が食えない限り、社会的地位は無いに等しい。これが僕の認識だ。
結衣ちゃんとは色々なところへ遊びに行き、初めてデートらしいデートをするようになる。心に余裕のあるせいか、他の友人たちともそれなりに仲良くやっていた。いつもなら彼女が出来れば、他の人との関係は全て断ってしまうのだが。
ある日、1年間の見納めとして、5分間ばかりの3DCGによるアニメーションを制作するという課題が与えられた。僕は今までCG学科にもかかわらず、3DCGが大の苦手でチンプンカンプンだったので一生懸命、放課後に3DCGを勉強するが、それでもサッパリ訳が分からない。
どうして自分はこんなに理解力に乏しいのか。それはその時ようやく分かったことではなくて、昔から分かっていることではある。その度に痛烈なる劣等感を感じていた。
毎度毎度、必死で頑張っても、何故か自分だけ出来ないという状況に追いやられるなら、自己卑下に走るのも当然ではないだろうか。そうして僕は、3DCGで課題を制作するのをすっかり諦めた。そして今まで作ってきた、ビデオカメラで撮った映像を編集して、音楽の波に乗って踊るような映像という作品達に手を加えて、その1作品を提出することにした。
つまり、課題そっちのけの作品を提出するという暴挙に出たのである。この課題は3DCG学科の全生徒と、全先生の前で発表という形になるのだ。生徒の名前と作品が呼ばれ、そして生徒が前に出てきて、その作品が目の前のドデカいスクリーンに映し出される。映像が終わると、先生達の批評をみんなの前で聴かされる。そして生徒は席へと戻る。の繰り返しだ。
先生達の批評は悍ましいほどに厳しかった。ほぼ全ての生徒がダメ出ししかされていない。みんなの前でさらし者にされているようだった。
僕はこの学校はバカじゃないのかと思った。そんなのじゃ、モチベーションなんて到底保てないだろう。どうして生徒の良いところに目を留めないのだろうか。こんなやり方は明らかに間違っている。生徒を育てる気はさらさらない。生徒一人一人の可能性を潰していくばかりだ。しかし、おそらく、この学校に限らず、何処の学校に至っても、この、自己評価が世界一低いと統計的に出ている大日本帝国ではこのような冷酷な殺人が繰り返されているのだろう。
「瀬戸さん凄いですね!」と僕をいつも絶賛してくれる、僕のファンである田中君だけは先生達の評価が違った。
僕が観ても他の生徒とそれとは一線を画していた。しかし、僕は「もう一歩足りない」と思った。(僕自身の作品は課題と趣旨が全く違うのでそんなことを言えた義理は微塵も無いということを理解している)
「田中君の作品は面白かったですね。良く作り込まれていて、ストーリーにも味があります」
とさっきまで批判しかしていなかった先生達も聊か高評価をしていた。
そうして、僕の番がまわってきた。僕は最初からある種の反骨精神としてこの作品を提出する気持ちだった。
僕の作品は5分を裕に越え、それでいて課題とは全くかけ離れた、3DCGでも無いという、最早評価の施しようのないものだ。
「これは課題とは全然違うではないですか。それに、自己泥酔したアーティスト気取りの作品で、商用ではとても使えない代物」
などと、先生達からは大バッシングを受けた。予想をしていたが、深く傷ついた。
傷付くぐらいなら初めからしなければ良いのに、「課題と全く違うのを堂々と提出出来る」という肝っ玉精神があるんだぞと(本当は脆弱な心の持ち主なのに)見栄をはって自己顕示欲丸出しでそんなことをするもんだから、僕は自分が生きているのも恥ずかしいぐらいに滑稽な生き物だと認めざるおえない。そうして、他の生徒達からは
「あいつの作品わけわかんなかったよな。気持ち悪い」
と所々から陰口が聴こえる始末である。しかし、田中君は相変わらず目を丸くして
「瀬戸さん凄いですよマジで!どうやって創ってるのか教えて欲しいです」
と感動するばかりである。僕は彼について、なんとも純粋な心の持ち主なんだろうと心の中で賛辞を惜しまない。唯一僕を評価してくれていた、あの深谷先生だけはやはり、僕に目をかけてくれていた。 僕だけを特別扱いしてくれるのである。
だけども、深く傷ついた僕はそのうち学校から離れていくようになる。自業自得の故に同情の余地が無い。それから一か月程、学校に行かずにネットゲームをしたり、ドラッグをしたり、クラブへ行ったり、彼女と遊んでいたりしていると、担任の先生からメールが来た。
「お元気ですか?深谷先生から、瀬戸君にとって、とても良い話があるので、是非学校へ来てください。瀬戸君は3DCGが苦手なようなので、瀬戸君に合った映像の授業を受けることが出来るかもしれません」
との、願ったり叶ったりの申し出だったが、既に拗ねてしまっていた僕はメールを無視して、ドラッグで現実逃避の日々だ。そうすると、深谷先生から電話があった。
「瀬戸君、もう全然学校に来ていないようだけど、元気でやってる?」
「まぁ、はい」
と僕は素っ気ない返事をする。
「僕は、君の可能性を延ばしたいと思っているんだ。あの学校では個人の可能性を伸ばすことは出来ないからね。特に瀬戸君のような個性的な人は伸ばすことが出来ない。是非、学校に戻っておいでよ。僕が道を用意してあげるから」
「先生、ありがとうございます。でも、もう僕は行く気力が無いんです。僕は、何処か映像制作関連の仕事に就職しようと考えています」
「中退だと難しいと思うよ。どうしてもというならしょうがないけど、一度考えを改めるのも念頭に置いていてね」
深谷先生とはそれっきりだ。僕はバカである。もしあの時、自分でなんとか出来るという自信過剰のプライドを捨てて、へりくだって学校へ行き、深谷先生を師匠として自分の個性を伸ばしていれば今頃……と過去を思い出すと悔やまれる。されども、僕にとってこの世で最も必要だったのはキリストと出会うことだったので、それはこの酸鼻極まるマイウェイを通してでないと、きっと出会うことは無かったので、それを考えて結果的に良しとしよう。
案の定、怠惰の僕は就職活動をするはずもなく、しかしながら映像制作はそれなりに続けていた。だけど以前のような熱は無くなっていた。自信の喪失である。
『狂信的な思い込みがなければ、何も成し遂げることなんてできないわ』とアルゼンチンの女優であり、政治家であるエバ・ペロンという人が言っていたが、その通りである。
人の評価を気にして「天才だ」という思い込みがすぐに崩れて「愚人」に早変わりしてしまう僕には「我は天才なり」という狂信的な思い込みが足りなかったのだ。
人の評価もなんのその、自分には天賦の才があり、この為に産まれてきたのだ。
と、ひたすら我が道を行くほどの豪胆な精神とイカれた思い込みが必要だった。
夢を半ば諦め、呆然自失として、おそらくクスリをしているのだろうと思われる僕に、結衣ちゃんは困惑しながらも、励ましてくれていた。
「幸太さん、大丈夫だよ。幸太さんには幸太さんにしか無い世界、幸太さんにしか創ることの出来ない世界があるんだから」
と僕の肩を揺らす結衣ちゃんに対して、曖昧な返事と覇気の無い微笑を浮かべるだけであった。
僕はそのうち映像作品も創らなくなり、ネットゲームも疎遠になりつつあった。そしてドラッグに溺れていた。
学校を辞めたことを親に告げたので仕送りはストップだ。働かねばならない。
ハローワークに行き、近くのカマボコ屋で働くようになる。毎日毎日、揚げ物やカマボコを袋詰めし、そして三ノ宮駅周辺の店へ配達をし、戻ってきて明日の準備をする。朝6時からから、夕方の3時まで。朝早いのは新聞配達で慣れっこだ。夕方の3時という早くに帰れるので得した気分になる。そこで、何十年と働いている60代の若者嫌いのじいさんと喧嘩をしつつも、なんとか頑張っている。今の楽しみと言えば、ドラッグと、週3日、僕に会いにきてくれる結衣ちゃんだけだ。ちなみに結衣ちゃんと遊ぶ時はドラッグはしない。それは結衣ちゃんが悲しむからだ。
よって、週4日ドラッグで過ごし、週3日は結衣ちゃんと過ごすのだ。僕の2つの現実から逃れる術。どっちも離せない。どちらかが無くなれば、僕は駄目になってしまう。
しかし、覇気が無くなり、映像のことや自分の内に秘めている熱狂的な思想や夢も、とんと語らなくなった僕に比例して結衣ちゃんの笑顔も少なくなってきた。
「幸太さん、もう夢諦めちゃったの?」
悲しい顔をして、そう結衣ちゃんが聴いてきた。
「そんなことないよ。俺は映像作家に絶対になる。今はちょっと気力が乏しいからさ」
僕はそう言った。そうして僕は結衣ちゃんに抱きつく。彼女と居る時、僕は四六時中スキンシップを取り、五七時中、甘えている。僕はとにかく触っていたいし、触られていたかった。結衣ちゃんが僕の家に泊まりに来るのが週3日から週2日へと変わってきた。だから僕から結衣ちゃんの方へ行くようになった。しかし、次第に結衣ちゃんは何かと理由を付けて会う頻度が減っていく。そうしてしばらくすると、結衣ちゃんから「大事な話があるから喫茶店で会おう」と言われた。そんなこと、察したくなくても察する。それしか考えられない。
案の定、結衣ちゃんは「別れたい」と言ってきた。理由、理由なんてものは忘れた。本当の理由は、結衣ちゃんの好きだった僕ではなくなったからだ。
僕はその時に「人はみんな条件付きの愛であって、条件付きの愛なんて、愛ではない。愛というものは、どんな条件下であろうとも、その人の存在を愛するものだ。しかしそんな愛を持っている者は居ない。故に、愛は存在しない。愛は、幻想だ」
などと言った気がする。それに対して結衣ちゃんは「そんなことないよ。みんなその時は愛し合っていたんだよ。みんな弱いからしょうがないよ。でもそれも愛なんだよ」
と言っていた気がする。僕はエゴイズムの人間の残酷さや社会の冷たさ、果ては地球の、宇宙の存在を否定するようなことを話し出した。それはつまり、目の前の結衣ちゃんが僕を捨てた残酷な女。裏切り者だと言いたいが、そんなことはとても言えないので、目の前の結衣ちゃんを否定せずに、この世界の全てを残酷だと言って否定しているのだ。そしてその世界の全ての中に結衣ちゃんも含まれている。結衣ちゃんは最後に「今までありがとう。さようなら」と言って、スッと立ち上がり行ってしまった。
この言葉を思い出して、なんだか最近聞いたことがある台詞だな、と思えば、そういえば梨香子にフられた時も最後にそう言わている。
僕は喫茶店でしばらく固まっていた。1時間も2時間もそこで呆然としていた。
初めての失恋だ。今まで「失恋で鬱になるやつなんて馬鹿なんじゃないか」とか、世にたっぷりとある失恋ソングを小馬鹿にしていたのだが、あながち、これはバカに出来るもんじゃなかった。こんなにも辛いことがあるとは。恋愛というのは僕の中で最もβ-エンドルフィンが放出され、失恋というのは僕の中で最もノルアドレナリンが放出される気がする。
それはおそらく、恋愛をしている時、彼女は僕に最も夢中になり、僕は彼女に最も夢中になり、そこには完全無欠の愛、お互いがお互いを永遠に愛するだろうという幻想の渦の中に巻き込まれるからだろう。
しかしながら、そうは問屋が卸さない。幻想の渦中にいる時は、それが幻想だなんて思わない。それはきっとリアルで確かだと勘違いをしているのだ。弱い僕達は、お互いがお互いを裏切り続け、そうしていく間に、その永遠の愛だったはずものに亀裂が入り初め、どちらかが痺れを切らして「別れよう」と言うのだ。そうして「裏切られた。もう誰も信じない」と決意し、舌の根の乾かぬうちにまた誰かを好きになる。学習をせずに、また永遠の愛という幻想の渦中に。
僕達は、救いようのないほどにか弱い生き物なのだ。
しばらくは何もする事が出来なかったが、なんとか精神安定剤や睡眠薬の過剰摂取により、正気を保つ。否、違う。辛い感情を薬で無理矢理麻痺させて誤魔化しているだけだ。
結衣ちゃんにフられてしばらく後、カマボコ屋をバックレることにした。時期社長となる、社長の娘と結婚した32歳の中井さんが僕に良くしてくれていて、将来はきっと中井さんの右腕となって働いていくであろうというところだったのに。そういったチャンスも失う。
バックレたものの、何かをしなければ、食いっぷちがない。給料もあっという間に消えていく。湯水のごとく。しかし、何処かで働くというのに嫌気がさしていた。
いつも僕は人間関係が上手くいかない。必ず一人以上いるであろう、「嫌な奴」と喧嘩をするし、しばらく働いていると、仕事自体も、仕事に行くことも、明日の仕事のことを想像するだけで吐き気が覚えるほどになる。さぁ、もう働くのが嫌になってきた。どうするか。何か手があるはずだ。何か手が。
今日はこの辺りにしておこう。睡魔が言うことを聞かなくなってきた。
(5日目・金曜日)
ベートーベンの田園が、微かに聴こえる。日曜日の朝、二階のリビングで骨董品のような真空管アンプが剥き出しのオーディオコンポで父がいつもクラシックを掛けていた。
その中で最も朝に掛っている頻度が高かったのがベードーベンの田園である。
そのせいか、日曜日の朝、目覚めた瞬間、ベートーベンの田園が微かに聴こえてくるという幻聴をたまに体験する。
しかしながら、今日は日曜日ではなく金曜日だ。どうしたことか。などと思いながら、僕はけたたましく鳴り響くアラームを食い止める。今日の予定は教会で祈ることと、小説を書くことだ。大体いつもそうだが。それ以外に無いのだが。心と体が鉛のようだ。起きたくないが、起きなければならぬ。僕は勢いづけて、振り子のように体を揺すりながら起き上がった。
歯を磨き、着替えて外に出ると刺すような寒さが僕を待ち受けていた。僕は家に戻り、ヒートテックという防寒具を下半身と上半身、つまり全身に身に纏う。そうして、ようやく和らいだ寒さに立ち向かい、向かい風もなんのその。そうして教会に着き、祈る、祈る。意識を集中し。目には見えないけれども、確かに存在する万物の創造者へ。十字架という名の我が罪を背負われ、瀕死のままゴルゴタの丘へ向かったナザレのイエスへ。
しばらく祈っていると、何処からともなく声が聴こえてきた。
「幸太、祈ってるとこ、ごめん。コーヒー飲みにいかへんか?」
ブルーカラーの服に身を包んだ吉田牧師だ。
「いいですよ。今日仕事ですか?」
「せやで」
吉田牧師は牧師をやりつつ、たまにゴミ収集車のバイトをしている。また、当教会では少年院や刑務所から出て、身寄りの無い人達の身元引受人となり、彼らが自立できるまで面倒を見るという働きをしている。彼らの身元引受人になると、国からお金が支給される。が、そのお金だけで彼らを自立までサポートするにはギリギリどころか少し足りないのだ。足りない分をバイトで補っているのだ。その働きをするにあたって何か得になるかというと、何の得にもならない。得にならぬ真の愛を持って彼らの自立までのサポートが出来るのは、それが使命だという揺るがぬ確信が無いとすることは出来ない。だから僕には出来ない。一片の欠片でしかない僕達の愛と器を突き動かすのは使命だ。
僕と吉田牧師は、まばらに人が増えてきた商店街を歩く。吉田牧師は原付を引きながら。
「幸太、最近調子どうや?」
と吉田牧師が訊いてきたのにはわけがある。それは僕が2週連続して、日曜の礼拝が終わった後、「めちゃめちゃ調子悪いです」と言って、すぐに帰ってしまったからである。本来ならば、教会のスタッフでもある僕は昼食を終え、その後の聖書勉強に参加し、その後みんなでコーヒーと茶菓子を嗜みながら雑談をし、夕方の5時頃、教会が閉まる時に帰るのだ。しかし2週連続すぐに帰った。2週連続してすぐに帰ったのは、教会に来た4年間のうちで初めてだったのである。
「今んとこは大丈夫です」
「そうか。なんで最近、そんな鬱になるんやろかなぁ」
「なんでですかね」
と言ってみたものの、僕は自分でその理由を知っている。最近、僕の心臓がズキズキと痛み、不眠と頭痛を訴え、心が鉛のように重いその理由は、既に述べた通り、梨香子と別れたことが原因だ。おそらく、四六時中の創作活動による精神的に疲弊しているというのも加わっているだろう。しかし思い出して胸が痛むのは梨香子だ。その後に鬱がやってくるのだから。眠る時も過去のことを思い返していないと梨香子のことを考えてしまう。
もしも僕が間違いを犯していなければ、今頃はなどと。歴史にもいち人生も「もしも」なんてあるはずがないのに。あるのは、ただ、摂理だけだ。疑いようの無い、起こったことが過去には積み重なっているのみである。
だけども梨香子と別れたことが原因だなんて恥ずかしくて言えない。恥ずかしくて言えないのも、別れて胸がズキズキ痛むのも、それはプライドが来ているものだった。
そうこう考えつつ歩いていると喫茶店へと着いた。小さい喫茶店でカウンター席しか無く、店員と客との距離が近い。店に入るとコーヒー豆のふんわりと柔らかく、それでいてコクのある、癖になりそうな匂いが僕と吉田牧師を包む。僕と吉田牧師は席に着く。
「一番高いコーヒー頼みぃ」
と笑いながら吉田牧師。
「ありがとうございます。じゃあ遠慮なく」
と言って一番高いコーヒーのなんとかというのを頼んだ。吉田牧師は一番安いコーヒーを頼んだ。愛想の良いお姉さんが返事をする。目の前で豆から挽いたコーヒーを提供してくれる。
しばらく会話をしていると、いつの間にか純文学の話になっていた。
僕も吉田牧師も特に太宰が好きだったのだ。元暴走族の人で太宰が好きというのも珍しい。というより他に聞いたこともない。
「俺はトカトントンも好きやで」
と言った吉田牧師に僕は激しく共感した。
トカトントンのその奇妙な世界観と言えば、ドラッグでラリった時のそれに似ている。
そして僕はトカトントンを読んだ時、バカな悩みで人生を台無しにしている青年に爆笑しつつ、奇妙な嫌悪感を抱きつつ、その世界においての共感を覚え、この著者は天才だ、一体誰なんだ(確か何かの短編集で読んだのだ)と調べてみると、太宰治だと分かった。それから僕の太宰好きに熱が入っていき、人間失格を読み、それはしばらく僕のバイブルとなっていた。まだ僕がキリストを信じる前の話である。
「そういや、芥川龍之介って聖書を枕元に置いて自殺しましたよね。芥川龍之介の小説って、なんだか僕は、彼の小説って嫌になるほどに、人のヘドロのような罪についての追及をしている気がして、読んでいるととても憂鬱になるんです」
と僕は肘をカウンターテーブルに付いて、コーヒーカップを親指と人差し指で持ち、クラクラと回す。意味も無く。
「せやなぁ。それに苦しんでいたのかもしれんなぁ。ぼんやりとした不安というのが、一体何をさすのかは分からんけど。前に明が言っていたように、聖書を枕元に置いての服毒自殺っていうのは、それはクリスチャンに対する挑戦状やと思うけどなぁ」
遠い目をして続ける。
「人のエゴイズムの現実を見つめ続けて生きることは出来んかったんやろ」
そう言って吉田牧師はコーヒーを飲み干す。
「ところで良太、前言ってた19歳の子、明日公判でネンショ―行くか、もしくは教会来るか決まるから祈っててな」
と吉田牧師。
「はい、分かりました。ヨシキ君でしたっけ」
と言って僕もコーヒーを飲み干す。
そうして僕と吉田牧師は席から立ち上がり、吉田牧師は会計を済まし、僕はごちそうさまと言う。
「じゃあまたな」
と言って吉田牧師は原付にエンジンをかけ、颯爽と仕事に向かった。
僕はその足で帰路を急ぐ。家に着き、一息を付き、お湯を沸かし、コップに注ぎ、そこに紅茶のティーパックを漬ける。コップに入った透明なお湯が染まっていく。僕はしばらく無心にその様子を眺める。
ちょうど良い色合いになったところでティーパックをゴミ箱に捨てる。少しでも遅れると渋くなるそれは、とてもデリケートな奴だ。そうして目の前のノートパソコンを立ち上げる。ファンが鳴る。熱い紅茶を一口啜り、なんとなく結衣ちゃんのことを思い出した。
そして本当に何気なく、検索エンジンに結衣ちゃんの本名を入れてみた。
『立原結衣』
なんの前触れも無しに唐突に結衣ちゃんのことを思い出し、そしてほぼ無意識に近く検索エンジンに結衣ちゃんの名前を打った。
僕はそのまましばらくボンヤリとモニターを見つめたまま、紅茶を2,3啜る。
そして、キーボードのエンターボタンを弾くように押した。一瞬に画面が切り替わる。
モニターに現れた文字を確認していく。はっと僕は一つの文章に目を留まった。
『友人の立原結衣ちゃんが、LEGOというオシャレなカフェで初の個展を開いたとのことで言ってみることに』
僕はそのページをクリックする。そこにアップされている写真の絵は間違いなく、あの結衣ちゃんのタッチだった。僕はなんとも奇妙な感覚に陥った。そのブログの日記をスクロールしていくと。一番最後に 立原結衣 イラストレーター という名前の後にアドレスがあった。僕はクリックをする。徐々に結衣ちゃんに近づいていっている気がする。
彼女は友達の喫茶店でたくさんのイラストを飾っているようだ。他にも色々と活動をしているように見受けられた。あろうことか彼女のメールアドレスまで掲載されているのに気づいた。
僕は一瞬送ろうかと思った。映像作家から映像を抜かした作家を今目指しているなどと書き、僕が自主制作で造った自伝本のYes!Future!を送ってやろうかなどと考えた。
僕はそこに掲載されているメールアドレスをクリックした。
そして、画面が切り替わる前に、パソコンの電源を消した。
一体、今さら何をしようというのだ。それをして、全体どうするというんだ。
浅ましく、女々しい行為だ。そんな僕を僕は全力で否定する。
頭をブンブンと力強く振り、立原結衣の名前を頭から吹き飛ばした。立原結衣は窓を突き破り、忘却の彼方へ飛んでいった。そうしてからパソコンを再び立ち上げ、ワード開いて小説の続きを書き進めた。否、打ち進めた。これは執筆活動ではない。何故なら僕は筆を握ってはいないし、筆を握るのも煩わしいほど書くことが嫌いだ。これは執筆ではなく執打だ。キーボードを打っているのだから。
フロイトが言うように『芸術は抑圧された性欲により表現されたもの』ならば、今の僕は芸術家としてはベストコンディションにある。憂鬱と孤独感という病魔に苛まされ、不眠による一定リズムの軽い頭痛、焦り、焦燥感、たまに来るタバコ、酒、ドラッグ、セックスの誘惑を振り切ってひたすら文章を打ち続ける。まったくもってこれ程までに抑圧された今は無い。
僕は打ち続けた。僕の頭の中に詰まっている全てを吐き出すかのごとく。
全ての感情を、全ての知識を、全ての思いを、全ての情熱をここに注ぐ。
くしゃみが5回連続立て続けに出た。モニターに少し唾が飛ぶ。僕は手で唾を拭き、変わらぬ速さで打ち続ける。まるで僕の半径1㍍だけ時の経つ速度が違うようだ。浦島太郎もなんのその。僕に今残されているのは、小説を書くことのみ。
僕がこれから出来ることは、小説を書くことのみ。くしゃみがまた出た。
時計を見ると12時になっていた。そして僕は打ち続けた。机に肘を立てて、しばらくその姿勢で考える。ここからどうするのか。主人公は何処へ行くのか。僕が彼ならどうする?危機に立たされた時、彼はどう出るのか。彼なら、どうするか。
20分ほど考え、閃き、また打つ。少し止まり、また打つ。
唐突に頭の後ろを、ガツンと鈍い頭痛。梨香子のことを思い出し、胸に痛み。腕に慢性的な痛み。痛みがあらゆる箇所から僕を強襲する。時計は14時になっていた。
小休止を取ろう。僕は立ち上がり、立ちくらみ、机に腰を打つ。頭を抑える。フラフラと歩き、バナナを一本頬張る。テレビを付ける、眼鏡をかけたでっぷりと太った中年が「前向きに検討しましょう」と言った。テレビを消す。何が前向きに検討だ。イェスかノォかはっきりしろ。と小声で呟く。そしてバナナの皮をゴミ箱に捨て、部屋に戻る。
くしゃみが出る。おかしい。鼻水を噛む。ゴミ箱が鼻紙で溢れてきた。鬱蒼とした気分を纏わりつくのでカーテンを閉め切っているのも或いは関係しているのかもしれないと思い、カーテンんを開ける。日の光が窓を通して入る。少し心が晴れる。しかしまだ欝々としているのに変わりはない。書かなければ。書いている時は、打っている時は、どっちでもいい、その時、欝々とした気分は吹き飛び、圧倒的な脳内麻薬とともに僕の手はリズムに乗ってキーボードを叩き続けるのだ。産まれてきた理由。産まれてきた意味。これこそ、僕の産まれてきた理由。空白のキャンパスに、文章を描き続ける。やがて命が尽きる、その日まで。産まれてきた意味を知った者は幸いだ。彼はもう、迷う必要は無いのだから。血を吐いてぶっ倒れるまでそれをやるがいい。血を吐いてぶっ倒れてもそれをやるがいい。僕が血を吐いてぶっ倒れたなら、その血を筆の代わりにして使おう。
携帯が煩く騒ぎたて始めた。僕は放り投げてやろうと思ったが思い留め、電話に出た。
吉田牧師だ。
「良太、昨日言ってたヨシキ君な、教会で面倒見ることになったから、たまに飯とか行ったってな。お金出すから」
「はい、分かりました」
少年院や刑務所から出て身元引受人のいない者に身元引受人になり、自立支援をするこの働きでは、国からの規定で毎日1時間以上その者と会わなければいけないのだ。
僕は携帯を切り、再び小説の世界へ浸かる。どっぷりと、足のつま先から頭のてっぺんまでその世界へと浸かると、自然に物語が産まれ始める。
しばらくするとドアが開く音がする。「ただいま」と声がして僕はそれに対して「おかえり」と言った。またしばらくすると、「幸太、ご飯やで」という大きめの声。僕は「分かってる」と大きめの声。返事から10分後、リビングへ向かう。足が少しもつれる。くしゃみが出る。
僕は無心でご飯をかきこむ。テレビで男児の遺体が家で発見されて父が逮捕と言っている。「可哀想になぁ」と母。僕も可哀想だなと思った。僕はご飯を食べる手を止め、「ごちそうさま」と言った。「もういいの?」と母。「もういいよ」と僕。
「あれ?髪染めた?」と母。「いや、色落ちてきて金髪に戻ってきた。また染めなあかん」と僕。僕は部屋に戻り、手を叩き、両手で摩り、摩擦を起こした。手が少し暖かくなった。
そしてくしゃみをしてからまたキーバートをパチパチと打ち始めた。モーツァルト の《レクイエム》を聴きながら。カラヤン指揮のもと。
モーツァルトは言った。
「高尚な知性や想像力、あるいはその両方があっても、天才の形成に至りはしない。
愛、愛、愛。それこそが、天才の神髄である」
そう、愛こそ全て。
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この3つは、いつまでも残る。 その中でもっとも大いなるものは、愛である。」 コリント信徒への第1の手紙13章13節
と聖書にも書かれているように、愛こそがこの世で最も優れている存在なのだ。愛無しでは何も語れないし、愛無しでは何も創造することなど出来ない。
僕はその愛と情熱をもって、文字を1文字1文字刻んでいる。1文字1文字に色を。1文字1文字に旋律を。創造することにより、喜びと苦痛が生じる。だからこそ、創造はやめられないし、やめてはならぬものなのだ。
ふと時計を見ると、23時30分となっていた。くしゃみをして、鼻を噛んだ。
最近不眠を訴えると母がホットレモンを買ってきてくれたので、それを飲むことにしよう。リビングに行くと、義父がテレビをぼーっと眺めていた。僕はヤカンに水を入れ、沸騰させ、ホットレモンの粉末をコップに入れた。そしてリビングのテーブルでホットレモンを飲みつつしていると、義父が話かけてきた。
「今日婆ちゃんから15回電話あったわ」
「すごいな」と僕
「しんどいよーしんどいよーって迫真の演技でな。後で行くわなー待っててなーって声を真似して言ったら笑ってたわ。電話取らな、警察とか救急車呼ぶからなぁ。幸太も暇な時婆ちゃんに掛けたってな」
「うん、わかった」
その後、義父は若い頃、虫歯になったことが無くて、上京した時に虫歯になって痛いから歯医者に行くと聞き、虫歯とはそんなに痛いものなのかと思い、試しに虫歯になってやろうと、毎日寝る前に羊羹一つ食べて寝るとすぐに虫歯になって、本当に痛くてビックリしたという話をしていた。この話を聴くのは10回以上だ。僕は10回目も笑った。11回目もおそらく笑うだろう。12回目も。そして部屋に戻り、ベッドに倒れこんだ。いつもと違う疲労が見える。胸の痛みは相変わらずだ。夜になるつれ、そして書くのを止めると、なんとも酷い孤独感が襲ってくるのも相変わらずだ。僕は布団に足を絡ませ、布団を抱き寄せる。
では、胸の痛みと孤独を和らげるために、過去の話をしよう。大いにしよう。
――僕は専門学校を辞め、カマボコ屋でのバイトを辞め、彼女にフられ、そして何もしていない。しかし、働かないと食えない。働かざるもの、食えぬべからず。前途多難だ。タバコをくゆらせ、万年床に大の字に寝転ぶ。そんな時『せどり』という商売を耳にした。
それは要するに、本の転売である。某有名本屋の100円コーナーには、某有名ネットショップのサイトで1000円以上の値段によって売れる本がふんだんに眠っているらしい。
このしのぎはうってつけじゃないか。人間関係なんて無いし、時間にも何にも縛られずに自由きままに働くことが出来る。しかし、元手が必要だ。かくなるうえは、親にせびるしかない。
だけども、母にお金を出してもらうのは気が引けるし、おそらく出してくれないだろう。
それならば、狙いは親父だ。新しいビジネスを始めるために軍資金を貸してくれないかと言おう。そして、思い立ったが吉日。すぐさま電話をし、親父にそう言った。
「20万!」と言うと渋ったので、「15万!」に値下げすると了承してくれた。
翌日、僕の銀行には15万が振り込まれていた。僕の心は踊った。
一気に金持ちだ。取りあえずドラッグを買って一発キメようではないか。僕は元町の高架下の商店街の行きつけの店で危険ドラッグを買い、同じく高架下の店で髑髏模様のゴツゴツとしたピアスと指輪を買い、売人に電話をしマリファナを買った。
そして独りだと聊か孤独なのでジャンキー仲間である裕也を呼んだ。
裕也との出会いはこうだ。僕がいつもオフで利用しているサイトに最近神戸のオフ付近の掲示板に書き込みをしているイキがっている奴がいた。一度オフで会ってみたが、奴は背が低く、龍だか蛇だかの柄模様のシャツを着て、長髪で原住民のような、もはや耳たぶを失っている程に大きなピアスをしていた。そして挙動不審でいかにも暗かった。僕はそいつが気に喰わなかったので、掲示板で「80年代のチンピラみたいな服装したイキがったチビ」と煽りに煽った。そうすると、行きつけの喫茶店で裕也とその仲間が待ち伏せをしていた。
僕が席に座ってドラッグによって、ぼおっとしていると、いきなり裕也が僕のテーブルにやってきて拳をテーブルに殴りつけた。「お前何が80年代のチンピラじゃコラ。なめんとか」
と舌を巻きながら怒鳴ってきて、それすらも80年代のチンピラだった。
しばく、殺すなど煽り合いの末、近くの駐車場で喧嘩することになったが、裕也は近くあった鉄パイプを持ち出しやかがった。僕はファイティングスタイルを取り「なんでも使ったらええ。俺は素手やけどな」と卑怯者でチキン野郎と遠回しに言って煽りまくった。
しかしお互いどちらも牽制したまま時が過ぎ、いつの間にか仲直りした。
その後、何故か裕也は僕を慕うようになり、裕也も同じくジャンキーだということで一気に仲が良くなった。裕也は僕のこと「幸太さん」と呼ぶ。結衣ちゃんと同じ呼び方だ。
そんな裕也と自宅にてドラッグをし、夜にはクラブへ行った。裕也とクラブへ行くのに電車に揺られていると、誰かが「お前俺にずっとメンチきっとったやろ」と裕也に喧嘩を売ってきて、裕也は「俺、靴底にナイフ仕込んでるけど?」と、はったりをかましていた。
そしてクラブへ行っても喧嘩を売られていた。彼はいつでも何処でも喧嘩を売られたり、喧嘩を売ったりするのである。
青や赤の光が交差する暗い室内に男女が入り混じり、僕達は爆音に揺られて踊ったり飲んだり、喋ったりする。それはまるでみんな、欝々とした何かを忘れようと必死なようだった。
彼ら、彼女らはそうして踊り狂って飲み狂い、バカ騒ぎをして淫行に耽っている時は欝々とした何かは忘れるだろう。しかし、いざシラフに戻ると、また、ひたすら虚無の現実がやってくるのだ。少なくとも、僕はそうだ。僕達は虚無を忘れるために生きているのだ。少なくとも僕はそうだ。
そんなことをしていると、いつの間にか親父から貰った15万のうち5万が吹き飛んだ。そうしてようやく僕はせどりを始めることにする。
某本屋の100円コーナーに行き、携帯でISBN番号を打ち込み、ネット上にていくらで売れるかを調べる。これの繰り返しだった。そうして2時間近く本を漁り、1000円以上で売れる本が少ない時は5冊。多い時で20冊以上は見つかる。
そしてそれを出品する。売れるか売れないかは分からない。当然のことながら大量に出品すればするほど売れる。始めは中々売れなかったが、量が増えれば増えるほどそれなりに売れるようになってき、やがて、なんとか、生計を立てれるレベルには達してきた。
しかしある時、ドラッグの過剰摂取により、パニックに陥った僕は、裸足のまま、電車で20分、徒歩15分かけて結衣ちゃんの家まで行き、そして結衣ちゃんの自宅の玄関前に倒れ込み、そこで眠ってしまったのだ。通りがかりの人が玄関前で倒れてる僕を見て、結衣ちゃんの家のインターホンを押し、そして結衣ちゃんと結衣ちゃんの母親が出てきた。そうして僕は救急車で運ばれ、そうしてそれから義父と母が病院まで来た。それからそれから、僕は実家へ強制送還されることになった。せどりを始めて2ヵ月後のことだった。僕のゴミ屋敷は一掃され、東大阪の吉田という所にある市営団地が我が家となる。
僕はすぐに働きだすことにした。近くの薬品関連を取り扱っている工場での検品、梱包のバイトだ。僕はそこで検便の時に使う容器に青い液体をひたすら入れたり、他にも色々したが、もう忘れてしまった。とにかく容器に青い液体をひたすら入れている記憶が強い。
給料はそれなりに良く、月に16万ほど頂いた。残業無しの8時から17時。
実家に少しのお金を入れれば、後は自由に使い放題だ。僕の辞書に貯金という文字は未だに無かった、23歳。今でも無い、31歳。
僕の給料の全ては服とドラッグと仲間とのバカ騒ぎに消えていく。オフの仲間達とミナミで夜な夜な遊んでは、マクドで朝を過ごす。彼らは皆、極端な寂しがり屋なだけなのだ。
しかし、それがたたって僕達は社会的に不適合と言える。このミナミの街で独りの寂しがり屋故に社会不適合者の女性と出会う。名前は結子と言う。結衣ちゃんに1文字、子を足した結子。これは偶然か。出会ってしばらくはただの友達だ。
ちなみに僕はまだ映像作家を諦めたわけではなかった。ただ、何もしていなかった。
ある日、母と些細なことで揉めて、またもや家出を決行する。
数日程、非合法のウリをしている17歳の友達の立派な2DKのマンションに泊まり、(そこには、もう2人ほど泊まらせてもらっている売春をしている男女が同居)しばらく後、風俗で働いていた友達から「すぐに働ける、寮付きの仕事は何か無いか」と訊くと。当然ながらそういうのは夜の仕事ぐらいしかないので、キャッチの仕事(道端の女性に声をかけてキャバクラや風俗店の仕事を紹介する)を始めることになった。
大国町に信じられないぐらいボロいマンションがあり、そこは外国人がルームシェアをしていたり、他、夜のお仕事をしている人がルームシェアをしていたりする。
ゴキブリが我が物顔でうろつき、トイレは和式を無理矢理改造した洋式トイレ。得体の知れない謎の蟲のミイラを発見出来る部屋だ。
僕はそこに住み着き、仕事を始める。完全歩合制なのでなんとか女の子を店で働かせないと食べていけぬ。街中にいるギャルギャルしい女性に声をひたすらかけまくる。ほとんどが素無視だ。まるで僕が見えないかのごとくに。相当な根気と精神的なタフネスさが必要となる。なんとかという高級バッグで頭を叩かれることも日常茶飯事の仕事で、僕はとにかく成り上がりたいがために、必死に声をかけた。しかしながらシラフの僕は余りにもチキンが故に、会話が続かないので、その点はドラッグと酒の力に頼るほか無い。
「この世界のトップに君臨する」などと戯けつつ、ひたすら声をかける。
そのうち、なんとか店に入れることも出来るようになってきたが、いかんせん、社会不適合者が集まる職なだけあって、みんなすぐにバックれる。
そんな中、少し浮いた服を着た美人なお姉さんがいたので声をかけると、愛想よく対応してくれた。しかもそのお姉さんは高級ソープで働いている人だった。すぐに電話番号を交換してくれ、しばらくすると連絡が来た。なんでも茨城から大阪に来たばかりで、今働いているソープは客がほとんど来なくて稼げないから、大衆ソープを紹介してほしいとのこと。合点承知した僕は、先輩に電話をし、すぐに三者面談をすることに。そして先輩から一番稼げるであろうソープ店を紹介してもらい、2人でそこに面接に行き、そしてすぐに働けることが出来るようになった。
この仕事で一番美味しいのは女性をソープに入れることだ。ソープが最も稼ぎやすいのだ。 自分が店に居れた女の子の給料の8%が自分の給料となる。、月100万は堅い。
ということは、何もしなくても彼女が仕事を辞めるまで月8万程の給料が自動的に入ってくるのだ。そうして僕は彼女を送るために駅へと向かったが、彼女は「終電がもう無くなるかも」と言っていた。取りあえず駅まで急いでいくが、彼女は携帯を見て「やっぱり終電は無いみたい」と言う。そうして僕達はホテルへ泊まり、行きずりのセックスだ。
その後、なんとなく僕は彼女と付き合うことにした。名前も忘れたその彼女は中々気性が激しく、僕は困惑することがしばしばあった。自信の付いた僕は積極的に声をかけるようになり、中々好調であったが、いかんせん、お金は無く、キャッチに行く時は、電車で移動となるが、その時にキセルを使ったり、100円マックとスーパーの試食コーナーで一日の食事を済ましたり、タバコはシケモクや貰いタバコで凌ぐといった悲惨なライフスタイルを送る。
だが、僕はこのミナミの街の人混みにいる時や、夜の煌びやかなネオンに照らされる、昼の奴隷から解放された者、昼の社会から追放された夜の蝶(或いは、蛾なのかもしれない)、それぞれの欲が蠢く駆け引きだらけの悦楽者達と共にいることにより、僕の心はなんとなく満たされた。と錯覚する。休みの日はソープ嬢の彼女とデートだ。もちろん、金は無いので全て彼女持ち。
しかし、やはり男は金が無いと頼りが無い。頼りが無いと恋は冷める。といういつものパターンによって、わずか3週間ほどで「店のオーナーが好きになった」と告げられ、それじゃぁ3流のスカウトマンは太刀打ちできないやってな具合に破局を迎える。3週間なんて付き合ったなんて言えるのだろうか。最近のご時世は何事もスピード時代で、スピード離婚もなんのその、2日、3日の付き合いで別れるなんていうことも多々あるのだ。何かがズレている。と思わずにはいられない。だけども、「近頃の若者は」という言葉はなんでも、2000年前のエジプトの象形文字にも書かれていたらしいので、「近頃の若者は」なんていうフレーズは使いたくない。
しかしながら、ソープ嬢の彼女は店を辞めないので、なんとか僕の給料はセーブされる。
他にも頑張って店には入れるが、入れてもすぐ辞めるの繰り返し。
以前、話にチラっと出たミナミで知り合った友達の結子ちゃんから仕事を紹介してほしいと頼まれた。そして僕は風俗の仕事を紹介したのだが、この頃から僕達の仲は深まっていき、次第に付き合うことになった。
この頃、仕事の先輩の監視(サボっていないかの確認で四六時中電話がかかってくる)の煩わしさに嫌気がさしてきた。そうして夜の世界に君臨するという夢を諦め、結子ちゃんの住んでいたマンションに夜逃げをすることにした。友達の諒太に頼みこみ、寮の前まで車で来てもらい、僕はなんとなく布団と何かのCDと大量のカップラーメンをかっぱらい、夜逃げをしたのであった。車の中で何かのCDを再生すると全てヒップホップで僕はヒップホップというジャンルを毛嫌いしていたため、車の窓からCDを円盤のように投げ捨てて遊んだ。
「おい!危ないやろ」
と諒太が語気を荒くした。ちなみに諒太とは一度オフで会った後に個人的に仲が良くなり、僕がキャッチをしていた頃、彼はホストをしていたので、良くミナミでナンパをしていた。
医者の息子で高そうなマンションに一人で住みながら同じくヤク中のギタリストだ。
あろうことか彼は自称クリスチャンで昔教会に行っていたらしい。
僕は「神が存在する。進化論は間違い」と論じるクリスチャンを根っからにバカにしていた無神論者だったので、いかにその考えがバカなのかということを問い詰めたことがあるが、彼は「イエスキリストが救い主であり神である」と譲らなかった。
「ヤク中が言っても説得力無いわ」
と吐き捨てた後、ドラッグを摂取し、共にラリっていた。
それはそうと、天王寺にある、結子のマンションへと到着し、同棲が始まった。
さぁ、新しい絶望の始まりだ。
(6日目・土曜日)
とめどなく流れる鼻水をティッシュペーパーで受け止めつつ、いつもと違う、ズゥゥゥンとした頭の奥から聴こえてくるその音ですぐさま悟った。僕は風邪をひいている。そして間違いなく、熱がある。しかしそれを言い訳にする材料にする時間なんぞ、僕には既に残されていない。
あるドラマの中で吉田松陰を演じる者が、「私には、一切の言い訳が無い」
と言っていた。本当に吉田松陰がそう言っていたかは分からないが、彼が言った言葉とは少しニュアンスが違うが、しかしながら、僕には一切の言い訳はない。僕がこの後、どう生きようが、それは僕の全責任なのだ。以前の僕は全てを社会と親の責任にしていた。
そうして責任逃れで笑ってモラルとマナーを捨てた行動を取り続けていたのだ。
風邪を引いたのも自己管理の問題。そしてもし今日「風邪を引いているから」という理由を盾にして、祈らずに、書かずに寝込み、そのことにより僕が作家になれぬのなら、その全ては当然ながら、僕の責任なのだ。ウイルスの責任には出来ない。
僕は激しく体を揺り動かし、起き上がった。口からヒューヒューと息の漏れる音が聴こえる。ちょうど階段を駆け足で上った後のようだ。いつもより厚着をしてニット帽を被り、ドアを開けようとすると風圧で重かったので一気に開けた。ビュホオという音が鳴る。15階という高さを自覚する。寒い。息を吸うと冷凍庫の中を吸ったようだった。
寒いけど、しかし、熱い。肌は寒いが内側が熱い。体が火照っている。そして重い。鉛のように。僕は一歩一歩踏み込むように教会へ向かう。教会の中はいつもよりシンとしている。
いつものように祈る。そうしていつものごとく祈り終わった後、帰路へと着く。
重い頭に耐えかねて、ノートパソコンの上に頭を乗せてしばらくボーっとしているが、自分にはボーっとしている時間が無いことに気付き、頭を振り上げ、ノートパソコンを開き、ファンの音を聴きながらエンターボタンを連打する。
書いていれば、書き続けていれば、可能性が消えることは無い。だが、書かなくなれば可能性は0だ。続ける限り、可能性という灯は消えることは無いのだ。
諦めるという言葉を僕の辞書から消してしまおう。なんでも中国には「遠慮」という言葉が無いらしい。だから中国人は遠慮しない。それと同じだ。遠慮という言葉が辞書に無いのだから、遠慮をしないのだ。それならば僕も諦めるという言葉を辞書から抹消しよう。そうすれば諦めることはない。言葉があるからその言葉に反応してしまうのだ。
諦めるという言葉が無ければ、やり続けるしかない。それ以外に選択肢が無いのだから、諦めるということを諦めるしかないのだ。いかん、諦めるということを諦めるのならば、そのうち、諦めるということを諦めないでいいという結論に辿り着き、結局諦めてしまう。
諦めないでもない。諦める?なんだっけそれ?これだ。
僕は伝えたいことがあるのだ。それを伝えるためだけに生かされているといっても過言ではない。すなわち、それは、それは、言葉にしてしまうとなんとも味気が無く嘲笑されてしまいそうだから、簡単に言葉にしたくない。しかしなんとか、極力馬鹿にされないように言葉にしていうのなら、それはただ一言、「光」だということだ。
熱に魘されながら書き続けていると、次第に謎の多幸福感がやってきた。自分というものを極限まで追い詰めるとβ-エンドルフィンが分泌されるアレだ。ランナーズ・ハイ、もとい、ライティング・ハイとでも言おうか。生きてて良かったと思えるほどの多幸福。天と地がひっくり返ったような気分を味わう
Queen のDon't Stop Me Nowが頭の中で流れる
エクスタシーの波に漂っているんだ
だから俺をもう止めないでくれ
俺は夜空を駆け抜ける流れ星
重力の法則に挑む虎の様に
俺は突き進む、俺をとめることは出来ない
太宰や夏目漱石といった文学者達は様々な肉体的、または精神的な不治の病の中、このライティング・ハイを経験しながら、逆にこれを益として燃えるように執筆活動をしていたのではなかろうか。そしてやがて燃え尽きる。真っ白に。後に残るのは真っ白な灰だけだ。なんて何処かの漫画のクレイジーボクサーの名言を思い出す。
僕が最も目指すべきである作家の故・三浦綾子はライティングハイを最も用いていたのではなかろうか。数々の病魔の中、ひたすら書き続けたのだ。
人間は極限状態まで追い詰められると、遺伝子を遺さなければと思う余り、限りなく性欲が湧き起こるかのごとく、僕ももっと極限状態まで追い詰め、一歩間違えれば死んでしまうほどにまで追い詰めるならば、死ぬまでに伝えなければならないと思い、僕の心の中にある全てを一気に吐き出すことが出来るのではないだろうか。火事場の馬鹿力理論だ。
僕の内に秘めたる、心に訴えかける何かを小出しにするよりも、一気に全てを吐き出し、それを一冊の本にしてしまったほうが、素晴らしいではないか。良いものが分散されるよりも、集結して一つにギュウっと絞ったほうが良いではないか。
1カラットのダイヤが100個あるよりも100カラットのダイヤが1つあるほうが、値段の差も遙かに違いがあり、そしてその感動も全く違うではないか。
つまるところ、量より質なのである。
僕は今にも途切れそうな意識の中、そう祈りながら書き続けた。
――いつの間にか僕の意識は何処かを彷徨っていた。
キーボードを打つ音が遠くから聴こえてくる。なんだ、まだ僕は執筆という名の執打をしているのか。しかし僕自身は何処か遠くにいるようで、僕はキーボードを今打っている感覚は無い。真っ暗で何も見えないし、今僕は小説と違うことを考えているではないか。
あの音は幻聴か。今が夢の中なのか。夢にしては意識がはっきりとし過ぎている。
僕は今何処にいるんだ?声を出そうとしても声は出ない。体は一体何処にいったのやら。
良く分からないが、取り合えず今出来ることと言えば、昔の話を思い出すぐらいだ。
では、続きを始めよう。
――僕は友達の手を借りて、キャッチの尞から天王寺にある結子のマンションへと夜逃げをした。そうして、結子との生活の幕が開ける。
結子というこの女性は、今まで出会ってきた女性の中でも非常に複雑な女性だった。
今分かっていることは、彼女も僕自身も『境界性人格障害』という人格障害を抱えているということである。要するに人格的に問題がある人間だということだ。この人格障害の特徴は「異常なほどに不安定」だということだ。そしてこの人格障害は僕と同年齢に驚くほどに多いこと。
社会の責任にするつもりは無いが、環境というものは確かにある。
80年代産まれの僕達が生きてきた時代というのは非常に時代の波が激しい。バブル期に産まれ、産まれてすぐにバブルは崩壊し、平成へと年号が変わり、デフレ、就職氷河期時代へと突入。アダルトビデオ、テレクラ、ブルセラ、売春等の性の乱れの普及、 サリン事件といった無差別テロの急増、インターネット、テレビゲーム、そして携帯電話の爆発的な普及。自殺者が急増し、3万人を突破。世界一の自殺大国となり、そして世界で唯一の過労死という死因が産まれた国となる。激しい時代の波が生み出したのか、それが出来る環境が整ってしまったのか、不登校・引きこもりの問題が深刻化。少年による暴行・強盗「オヤジ狩り」頻発。
時代の変化と情報の波に溺れながら、溺死しそうになりながらも、確かなものとなる救いの船による救助を求めていた。しかし、今日の常識は明日の非常識となっていく中、僕達は信じた瞬間に裏切られる体験を重ね重ね続けていく。
僕達は混乱していた。まるで逃げ場が無くて、そのうえ逃げ場があった。
僕達は何処へも行けなくて、そして何処へでも行けた。本当を言うと僕達は何処にも逃げたくないし、何処にも行きたくないのだ。だけども、此処には居たくないし、何処かへ行くしかないのだ。此処では無い何処かは結局此処と変わらない。僕達は此処では無い何処かを探し求めるジプシーになっていた。僕達は彷徨っていた。当惑し、失望し、満たされぬまま虚無を抱えている。
それはつまり、愛の不在である。
その最たる象徴が「境界性人格障害」と言っても過言ではないだろう。ちなみにこの人格障害の目的というのは人の注目を集めることだ。いつも自分のことを気にかけていてくれないと満足しないのだ。しかし例えそうであっても満足はしないのだが。だから自分がこの人格障害なんだということも堂々と伝える。まるでそれが誇りでもあるかのように。それも人の気を引き、同情を買うためである。自分は精神的な病を抱えているのだと。死に至らない程度の自殺未遂も繰り返す。それも哀れみを貰うためである。自分は死ぬ程苦しんでいるのだと。次第に周りの知人、友人達はその繰り返される、故意的な同情を誘いこませる行為にウンザリして離れていくのである。境界性人格障害の一つの特徴である、一人の人に見捨てられることを病的に恐れ、そして一人の人を異常なまでに依存し、一人の人に愛されようと極端な程の努力をする。最後はその人を殺したい程にまで憎むようになる。結子にはまさにそれがあった。
結子は非常に素直な子で、僕の駄目人間として生きる美学の思想も簡単に信じ込んだ。或いは初めから知っていたのか、もしくは知っているかのように振る舞った。僕の教えるデカダン的な映画や漫画、そういった世界観に共感を覚え、僕の言うこと一つ一つを崇高な哲学者の「正しい」意見として受け止める。彼女は演技ではなく本当に共感し、敬愛しているように見えたが、それは彼女が無意識のうちに僕の好きなものを好きになろうとしていたのだ感じる。
結子は風俗の仕事を1週間で辞め、僕も働いていない。金が無い。
「誰かから金貰われへん?俺はもう親父から金貰ったから無理や」
結子は考えた末、祖母から金を貰うことに決めた。結子の祖父から貰った30万で、僕達はドラッグと酒をふんだんに買った。そうして笑い合いながら帰っている時、僕は「婆ちゃんに貰った金でドラッグ等を買う。その最低さがまたクールなのだ」と思った。
敏感な結子が僕の思いをどうやったのか分からないが、察して言った。
「あたしら、ほんま最低やな。お婆ちゃんに貰った金で」
と言いながら、また共に爆笑していたが、結子のその笑顔の中にあからさまな罪悪感の陰が見えた。分かってないな。罪悪感を持つ時点まだ結子は分かっていないなどと僕は思った。
僕は必死に罪悪感を心の奥底へと押し込めていたので自分にはそんなダサい感情は無いと勘違いをしていた。家に帰り、僕達は享楽に身を任せ、夜通し快楽に耽った。
ひとしきり楽しみ、昼に起きてすぐに結子は言った。
「こんなこと最低だ」と
今更、何を分かり切ったことを、と僕は落胆した。
「そうやで最低やで。でも俺、言うたやん。最低であれば最低であれば良い世界があるって」
と、説得を試みたが、良心に負けた結子は中途半端なままの気持ちだった。
しばらくすると当然ながらお金は尽き、そうして僕達は仕事をすることにした。嫌々ながら派遣に登録に行き、3日後、仕事が入る。肉体労働のため僕だけだった。その朝、具無しのカレーを食べ、なんとか電車賃だけギリギリの状態だ。しかし、駅まで行って確認してみると、帰りの電車珍が微妙に足りないことに気付いた。その時、僕は吹っ切れた。
ありったけのドラッグを体内にぶち込み、裕也に電話する。
「幸太さんっすか。お金もクスリも無いっすよ俺」
とヘラヘラと笑う裕也に
「分かってるよ。だから一番手っ取り早く強盗しよってこと」
裕也はためらうことなく了承し、僕達は早速強盗へ。
狙いはワンルームマンション。今考えると相当な愚弄である。ワンルームマンションへ強盗して、一体いかほどの大金が出てこようか。僕達は若い男をカッターナイフで脅し、財布にあった5000円ばかしを手にいれた。その足でタクシーを拾い、そのまま結子のマンションまで帰った。僕と裕也が上機嫌で酒を呑み、「良いシノギが見つかった」という僕を見て結子はなんだか悪いことをしたんだろうなと思ったけど、久しぶりに愉快そうにしている僕を見て、安堵したような表情をしていた。しかしその安堵もつかの間、気を良くした僕は2件目のアパートの侵入を試みた。ドアをノックすると中年の男性が出てきたので僕はカッターナイフを手に持ったが、ドラッグでヨレヨレだったためにすぐに取り押さえられた。
そして警察を呼ばれ、しばらくすると4~5人の警察官が駆けつけてき、被害者に取り押さえられた加害者の僕はそのまま警察に取り押さえられ、一人の若い警察官が言った。
「君はこのカッターナイフでその男性を脅迫したのは間違いないな?」
まさにその通りだったのだ僕は「はい」と言った。
すると警察官は手錠を取り出し、腕時計を見「何時何分、なんとか容疑で逮捕する」
とご丁寧に説明してくれ、手錠を掛けられた。僕は何かを言わないといけないと思い、取り合えず「あ、はい。分かりました」と言った。それからしばらくして裕也も逮捕されたとのことだった。僕は留置所に入れられ、しばらくして私選弁護士を通して結子に連絡をしてもらい、手紙が届いた。携帯に何回電話しても電話に出ないし。危ないことをしに行ったと思っていたから死んだんじゃないかと思って気が狂いそうになったと言っていた。良心が麻痺していた僕も、さすがに、少し悪いことをしたと思った。少し。留置所で朝、昼、晩とそれなりの食事をいただき、毎朝タバコを3本吸い、刑事さんとの取り調べの時はタバコを吸い放題だった。週三日はお菓子を購入できる。お金さえあればそれなりの生活が出来るし、お金が無くてもご飯は食べれるし、誰かから恵んでもらう乞食として生きる者もいる。これじゃあ、悪いことしたのにワリが合わない。それに本が好きなら一日中読書に耽ることも出来るので読書家にはもってこいの環境ではないか。もちろん刑務所にまで行けば働かねばならないが、留置所、拘置所という場所は体たらくな人間にとっては天国とは言えぬども、働かなくて良いということでは限りなく怠惰の欲を満たせる場所だ。日本一ホームレスと覚せい剤が多い西成は天国と呼ばれている。
しかし彼らの欲を満たす場所としては天国とは言えるが、その実は地獄なのだ。
天国が幸福な場所で地獄が不幸な場所ということは、欲を満たせる場所が天国という訳ではない。彼らは欲の奴隷となり、内面には悍ましいほどの虚無を抱え込んでいるのだ。
昔、アカルイミライという映画の中でのセリフが頭の中でこだまする。
「君達が逃げ込める先は、夢の中と、もう一つは檻の中だけなんだ」
僕は夢の中だけでは飽き足らず、檻の中にまで来てしまった。
「強盗とか、強姦とか、強が付いたら刑務所行き確定やで」
と同じ房にいた覚せい剤の売人に散々言われたが、僕は奇跡的に執行猶予で出ることが出来た。
法廷に来ていた母と結子は涙を流していたらしいが、僕は後ろを振り返ったりしてはいけないと勘違いをしていて、顔を見ることは出来なかった。
留置所と拘置所に4~5ヵ月ほどいた僕は、その間に司馬遼太郎や他戦国時代ものの小説を浴びるほど読んだ。出所祝いに家族と結子と僕達は焼肉屋に行った。
僕がその時イメージしたのは、ドラッグムービーとして名高いトレインスポッティングの主人公、レントンが、出所祝いに友達や家族に囲まれているところ、一人だけ浮かない顔をして周囲は早送りのように時が進んでいるが、レントンはそのまま取り残されているという場面だった。
僕はその場面に当てはめて、レントンを気取った。レントンはそのままヘロインを打ち、オーバードーズで救急車に運ばれた。だから僕もその日の夜、ドラッグを摂取した。救急車で運ばれることはなかった。だけどしばらくして精神病院に入院することになった。
(7日目・日曜日)
ベートーベンの田園が微かに聴こえる。そうだ、日曜日だ。目を開けると、まず始めに積まれた本が目に入ってきた。状態を起こして分かったが、僕は机に突っ伏して気を失っていたようだ。どういうわけか熱は下がり、体は軽くなっていた。時計を見ると9時になっていた。11時から礼拝が始まるのでそれまでに準備をしなければならない。僕は急いで準備に取り掛かり(と言っても着替えて歯を磨き聖書を持つだけだ)家を出て教会へと向かった。このうえなく快晴だった。雲は3つぐらいしかなかった。
教会に着くと既にチラホラと人が見える。中年、ご婦人、茶髪の青年などに「幸太君おはよう」などと声をかけられ、僕はおはようございますと元気よくあいさつをする。
なんかヤツれてない?と訊いてきたご婦人に、最近、物書きの調子が良いんでと言うと、程々にねーと言われる。しかしご婦人、程々だと、程々のことしか出来ないんです。僕は程々に出来ないし、程々で終わらせるつもりもないんです。1つのことに、全てをかけたいんです。このロマンが分かってもらえますか、本当の意味での生きるって、生命を削ることだと思うんですよ。と頭の中で反論する。礼拝が始まり、賛美が終わり、吉田達也牧師のメッセージへと入る。そうしてメッセージは終わり、報告の時間となる。僕は報告することがあったので手を挙げた。そうして、会衆の前に出ていく。
「こんにちは」とあいさつをし、僕はもう一度「こんにちは」とあいさつをする。そうしてもう一度「こんにちは」とあいさつをする。すると、ささやかな笑いが起こる。
「僕は昔、自伝の小説をプリントアウトして何人かの人に配っていましたが。それは結構好評価でした。そうして、僕はこれを本にしたかったのですが、待てど暮らせど、何処の出版社からもオファーがきません」
少し笑いが起こる。
「痺れを切らした僕は、この自伝を自主制作で大枚叩いて本にしました」
と言って僕は本を見せる。
「この本は表紙から隅から隅まで全て自分で制作した本です。700円で販売します。お金無い人はプレゼントします。ちなみに、この本を受け取らないと、そこの教会のドアが開きません。この教会から出たい方は、速やかにこの本を手に取るようにご協力お願いします」
周囲から笑いが起こる。僕がいつも周囲を笑わせることを考えるのは、自己顕示欲の現れだ。僕は僕に注目してほしいのだ。それはきっと、僕が酷く寂しがり屋だからだ。
そうして礼拝が終わり、昼食を2階で食べる。今日は理香子の作ったカレーだった。
僕が礼拝堂をモップがけをしていた。
「幸太君はカレー食べるよね?」
と食べる者の人数確認のために1階に降りてきた理香子は何食わぬ顔でそう訊いてきた。
「いや、食べない」と僕。
「え、食べないの」
と少し驚き目が大きくなる彼女。僕は彼女を少しでも失望させたいのだ。彼女を少しでも悲しませたいのだ。一体、別れたばかりの者がこんなに何気なく、明るく、振る舞えるなんてどういう風の吹き回しか。理香子は別れて1週間程は気まずいような雰囲気を醸し出していたが、それからしばらくすると、別れたことなんてまるで忘れたかのごとく、平然と僕に話かけてきた。僕はそれが理解できなかった。何故かというと僕は彼女と会う度に、彼女と話す度に胸が痛いからだ。そこから僕が考えられることと言えば、彼女は僕に対して恋愛感情なんて既に無いということだ。彼女が話かけてこようとすると、僕はその場から離れる。彼女が話かけてきても、僕は素っ気ない態度を取る。それは僕が彼女と話すと胸が痛いからというのもある。
だけど、彼女を少しでも傷付けようという『こころ』も働いている。僕は自分が傷付くように、彼女にもこの傷を擦りこませたいのだ。しかし、先に彼女に対して傷を与えたのは僕なのだが。
2階にて10人程度でカレーを食べる。理香子ちゃんが作ったカレーは美味い美味いと一同声を揃えて言うが、僕がカレーを作った時でも美味い美味いと大げさに感嘆して言うし、牧師夫人の伸江先生がカレーを作った時も美味い美味いと大げさに言うではないか。つまるところ、カレーは誰が作っても非常に美味しいということである。気付きやすいはずであるその真理に気付いているのは、果たして少ないのか、多いのか。日本人は絶妙なまでに「罪なこころ」といふものを隠すので真相のほどは分からない。
僕は2階に上がってきたが、カレーを食べない。お茶を取りに来ただけだ。アキラ、食べへんの?と聞かれ僕は食べないと言った。お茶を取りにきただけなのだが、本当は「こころ」の中でご飯食べないのか?と聞かれたかったというのもある。そうして食べないと言って何故ご飯を食べないのか。体調が悪いのか。などと、僕のことを考えて欲しかったという『こころ』があったのは事実だ。しかし、そんな『こころ』を持っていたなんて、おそらく誰も分からないだろう。僕も『こころ』を隠して巧みに『人のこころ『を操る『罪なこころ』を溢れるばかりに持っているのだ。僕は自分の罪深さについて誰よりも知っている。
僕は下に降りていき、グランドピアノの椅子に座った。そうして、ピアノで弾き語りを始める。1年程前から始めたピアノ、楽譜は読めないがコードでの弾き語りは出来るようになった。僕は自分の奏でる音色が何よりも好きだ。その腕前はといえば初心者だろう。しかし僕以上に色のあるピアノを奏でる者はいないと自負している。お婆ちゃんピアニストのフジ子・ヘミングは1つ1つの音に色があると訊いた。
僕は自前の小説を友人に読ませた時「幸太の文章はカラフルだ」と言われたが、その褒め言葉が最も気に入っている。僕は誰にも真似出来ないような独特の色使いにまで達したいのだ。
個性。最近では個性という言葉が乱用されていて、個性という言葉に個性が無くなってしまうほどであるが、自分にしか出来ないものを産み出したい。他の誰とも違う、僕だけが持っているもの。僕だけに与えられた色。されども、世に出るには個性を無くさねばならないとも訊いたことがある。フジ子・ヘミングが類まれな才能を持ちながらも、晩年になってようやく認められたのも、彼女の個性がそれを妨げてしまったというのもあるだろう。
彼女の個性が彼女を生かし、彼女の個性が彼女を殺していたのだ。僕は僕の個性が僕を生かし、僕の個性が僕を殺すかもしれない。だけども僕は自分の個性を無くさずして、世に出ることを望む。それで世に出られなかったとしたらそれは本望だ。
個性を無くし、自分を殺し、世に媚びを売って生きるよりかよっぽどマシである。
僕の個性と、伝えたいこと。この2つは譲れない。悪魔は取り引きを持ち掛けてくるだろう。その2つをよこせば、世に出してやろうと。しかし僕はそんな取引には応じない。
僕の使命は世に出ることではなく、自分だけにしか生み出せない物を世に生み出し、そしてそこに秘められているメッセージを伝えることにあるからだ。
気が済むまで弾き、14時からの聖書の勉強会に出席する。15時になり、チラホラと帰り始める人が多くなる。まだ居るメンバーたちのためにインスタントコーヒーを作った。そうして、会話をする。僕と同い年の、同じ地元で育った、同じように元薬物依存症で、刑務所帰りの和仁は遅くまで残っている。彼は立派に更生し、工場で朝から晩まで働いている。
この教会では少年院や刑務所帰りの少年、青年、壮年が自立出来るまでサポートをするといった働きをしているので、一応のスタッフである僕としては、今の立場では気が引けるのだ。一応は手に職を就けないといけないのではないか、と思い巡らしていると、なんとも信じがたきタイミングで「幸太君、良かったら俺の工場で適当に働けへんか?」
と声を掛けてきてくれた38歳の田山さん。吉田牧師と同じ暴走族に入っていた仲間だったが、彼も吉田牧師に言われるがまま教会に来ているうちに、更生して、今では結婚をし、親父の工場の跡を継いでいる、確かな腕前の研磨師だ。
「週1日でも何日でもいいし、時間も1時間でもいいし、8時間でもいいよ。ただ幸太君が作家になるまで、幸太君が良かったら自由に働いてや」
「願ってもない話ですよ」
と僕は喜びを全面に押し出した表情で言った。「週何日の何時間働かなかればいけない」
と、『~しなければならない』と決められたことをやることは僕が何よりもの苦痛を感じることであった。少しでもそこに強制が入ると、途端に気力を失うのである。
それは、他に類を見ない我儘だと言われればおそらくそういうことだろう。そんな僕にとって、そんな僕を知ってか、田山さんが立ててくれた計画は、僕にとって絶好のスタイルだった。そうして、早速、火曜日から田山さんのもとで働くことになった。
帰路へと着いた僕は、真っ先にパソコンの前へと向かう。フード付きの上着を脱ぎ捨て、コンタクトを外し、眼鏡をかけ、パソコンを立ち上げる。ジジッと音を鳴らしながら立ち上げている合間にキッチンへ行き、お湯を沸かす。コップにティーパックを入れ、パソコンの前に行き、既に立ち上がっているパソコンのデスクトップから「真っ明」と書かれているファイルを立ち上げる。そうしてキッチンへ行き、沸騰しだしたヤカンを止め、お湯をコップに注ぎ込む。湯気が立ち上がる。ワインレッド色のフレームをした眼鏡が曇る。コップを持ち部屋に戻り、既に立ち上がったワードを見る。空白のページに、横棒の黒い線が点滅している。早く打てと言わんばかりに。早くこの空白を埋めてくれ。お前の独特の色使いを俺は見たいんだと、お前の色で俺は染まりたいんだと、ファイルが唸っている。望みを叶えてやると言わんばかりに、僕は超高速で文字を打ちまくり、空白を埋めていく。空白だったそこに物語が生まれ始める。
僕にしか生み出すことの出来ない物語が、そこに。感動的だ。70憶人の中で僕だけしかそれを創造することは出来ないのだ。それは、それこそがまさに奇跡というやつだ。
僕が創造しているその傍らでフジ子・ヘミングのラ・カンパネラの音色が鳴り渡る。
僕の部屋が彼女の色で染まっていく。しかし、されども、僕は染まらない。僕は彼女の色を参考にして、僕のキャンパスに付け足して塗るのだ。参考にしているだけであり、彼女の色をそのままコピーする、盗作のような愚かなことはしない。コピーしたのをバレないように所々をイジるなんてこともしない。それも手の込んだ盗作に過ぎない。参考にするとは、僕の一部にするということだ。盗作とは彼の一部になるということだ。それはきっと、魂を売るということだ。
ダダダッダダダットントンッダダダッ
マシンガンのようなキーボードが部屋に鳴り響く。
ダダダダッダダットントントンッダダダダッ
ふと気付いた。このキーボードのリズムでさえ、一つとして同じものが無いことに。
新たなる発見に僕の心は踊り、アドレナリンがまた僕の脳を満たしていく。そうして創作意欲をキープしたまま、前進していく。
「幸太、ご飯やでって言ってるやん」
ふと気が付くと、目の前に母が居た。
「何回も呼んでるのに」
「うん」と語気を荒げて僕は言う。
返事をした7分後に、キッチンへ向かう。僕はマヨネーズとケチャップを混ぜ合わせたものにチキンナゲットを浸し、そして半分齧り、ご飯をかきこむ。その動作を繰り返す。
食事も大体流れ作業だ。そうして最後に味噌汁をゴクリゴクリと飲み、胃の奥へ、奥へと流し込んでいく。奥というか、下というのか微妙なところだが。
「ごちそうさま」と飯も話も早々に切り上げ、再び自室へ引き籠る。
頭の真ん中辺りから目の奥辺りにかけて、頭痛が忍び忍び、やってきた。僕はそれを振り払うかのごとく、情熱的にキーボードを叩き続けた。そのうちやってくる睡魔。睡魔と頭痛と腰痛が一緒になって僕に訴えかける。「休め」とだけど僕はそれを無視して打ち続けた。肉体に気を使っていれば、生きてるうちに自分の全てを出し切ることなんぞ、到底不可能だ。「肉体が休めと言っているから休む」なんて妥協に過ぎない。もっと追い込め。ふと、キーボードを打つ時に爪がカチカチと当たっていることに気付いた。気にし始めると、止まらなくなる。今日はこの辺にして、爪を切って寝よう。いつも爪切りがありそうなパソコンの裏手を手探るが、爪切りが見当たらない。 辺りをキョロキョロと見まわし、探ってみるが、見つからない。仕方が無い。噛んでしまおう。そして裂いてしまおう。僕は爪を噛み裂き始めた。
7本の指までは順調だったが、8本目で裂き過ぎた。少しばかりの痛みと、大きな違和感。深爪だ。仕方無い。寝よう。ベッドに飛び込む。布団にくるまり、蓑虫になる。
子供の頃は足が布団の外に出ていると、化け物か幽霊の類が僕の足を掴んで引きずられるという妄想に駆られ、恐ろしかったので、必ず足を布団の中にしまっていた。その妄想が加速していき、しまいには体の一部が布団からはみ出していると、化け物の餌食にされるという恐怖を抱きはじめ、いつも布団にくるまって隙を作らないようにしていた。ヒヤリと風が当たるとそこが隙だということだ。だから完全に密封してしまうのだ。おかげで夏でも、例え暑くても、薄い毛布を蓑虫のように体に巻き付けていた。
今では化け物や悪霊の恐怖を感じなくなったので足やそのほかの部位が出ていても平気だが、それでも布団にくるまってしまうのは習慣と、もう一つ理由があって、それは、大人になるに連れて現れだした孤独という恐怖である。それは目には見えないものだが、目に見える物質よりも、より確かに存在する絶望だった。それは特に、闇のしじまに、僕の目の前に現れた。つまり独りの夜に最も現れやすい。僕は独りだということを紛らわすために布団に抱きつくのだ。幾らかは孤独というものが軽減する気がする。気休めだが、そうせずにはいられなかった。
それでは、また過去に戻ろう。過去を忘れるために、過去に戻ろう。
――僕は拘置所から出所し、シャバに戻ることが出来た。そうして結子と同棲を再開することになる。敷金礼金と、最初の2ヵ月ほどの家賃を払えないがために、真面目に働くからという理由で親から金を貰うことに。しばらくは働かずに済むと思ったが、僕達は二人してドラッグをするもんだから、一ヶ月分の家賃を使い込んでしまったため、早速働かざるおえなくなる。僕は兄から紹介してもらったコンビニで働くことになった。
最初はシラフで働いていたが、途中からシラフでいるのが辛くなりドラッグに手を出し始める。結子は結子で、一日中眠たいと言って一日中寝ていた。そうして一日中眠くて、綺麗好きの自分が風呂に入る間も惜しんで寝るなんてことはおかしい。だから病気だと思い、同じような病気があるか調べてみたところ、なんとかという睡眠障害の病気だと言い出した。僕は詐病だと感じた。
なんてたって結子と僕はまるでテレパシーのごとくお互い考えていることが分かる。
僕達の考えることと言えば、怠惰に浸かり、享楽に耽ることだ。
そういえば、一日中眠たいと言い出す前に、僕は浮気をしたのだった。今、思い出した。僕がキャッチをする前、家出をした時からの付き合いのある、女性である。彼女とは、たまに会い、会えばたまにセックスをした。会った時はいつもセックスをしたいのだが、どういうわけか女性と男性では考えることが違うようだ。僕も断れるのが怖いがため今日もセックスをしようと言うことが出来ずに、セックスが出来ずに終わった日は悶々としていた。自信の無い、気が弱い世の男達は決まってそうだろう。
その彼女から電話がかかってきたのだ。いや、違う。僕からメールをしたのだ。いや、どっちだ。分からない。取りあえず連絡が取れた。彼女は僕が強盗をして捕まっていたことを知っていた。出所おめでとうということでデートをした。しかしながら勘が病的に鋭い結子は既に何かしらの臭いを嗅ぎつけていた。だからこそ僕がシャワーを入っている時にメールを盗み見したのだ。シャワーから出た僕を責め立てた。盗み見したことを僕が責めることは出来ない。どちらが倫理に欠けているのかというと僕のほうなのだから。しかし、お互い欠けているのである。だけど責める権利があるのは彼女のほうだ。
結子は僕と浮気をした女に電話をかけ、ヒステリックに怒鳴り散らした。そうして電話を切り、僕の携帯から彼女の連絡先を問答無用で削除した。
しかし僕はそうされると分かっていたので頭の中で番号を覚えていて、独りになった時、浮気彼女に電話をかけた。僕と浮気彼女は懲りずに会い、そうして結子の悪口に華を咲かせた。僕はほとほと、結子との生活は精神的に参ってしまっていると浮気彼女に伝え、このままじゃ幸太君が死んじゃう可哀想。と同情を買ってもらう。しかし、病的な鋭さを持つ結子を出し抜くことなんて出来ない。またまたバレてしまう。修羅場という奴だ。「あたしと彼女、どっちを取るの」と迫られ、本当のところは浮気彼女を取りたかったのはやまやまだが、浮気彼女には実は彼氏がいたのだ。結局浮気彼女にとって僕は2番目なのだ。それならば結子を取るしかない。ということで結子を取った。それからしばらくして結子の眠たい病が始まったのだ。結子は精神的ショックから来るものだと言っていたがそれはつまり、僕が浮気をしたせいだと言いたかったのだ。
ならば僕には言い返す術は無い。だからそのままにしておいた。
結子は器用で賢い女性だった。何をやらせても人並以上に出来た。
特にセンスが問われるような仕事を得意としていた。しかしながら、境界性人格障害という厄介な人格障害を抱えていたせいで、それを生かすことが出来なかったのだ。仕事をしても不安定な精神面を抱える彼女は、続くことが出来なかった。それは彼氏と付き合いだし、そして別れたり、職場での人間関係での亀裂であったり、というのが大抵の理由だ。要するに人間関係が原因で精神的に不安定になり、仕事を辞めるの繰り返しであった。僕は結子ほどセンスがあり、賢い女性を見たことが無い。そして結子ほど人格的に破たんしている女性を見たことが無い。
結子は、どの道に行っても大が付くほどの成功者へとなれる実力があるのだ。
そんな結子と僕は、怠惰と享楽に耽る愚行の道を突っ走っていた。ある時は僕が部屋が滅茶苦茶になるほどに暴れたり、ある時は僕が仕事から帰ってくると結子が部屋中を包丁でぶっ刺していたりした。おかげで部屋の中は大地震が起こった後のような状態へとなっていた。
そんな生活をしばらく続けていると、結子はいつの間にか出て行ってしまった。
僕は仕方なく独りのままその生活を続行したが、そのうち耐えられないほどの孤独と虚無が僕を支配し始める。僕は「遺書」というタイトルの映像を制作した。ある部屋の一部を固定して映し出し、画面の右から僕が現れ、左へと消えてゆく。左へ消えたと思ったらまた右から僕が現れる。それが淡々と続くのだが、そのうち右から現れる僕の様子がおかしくなっていく。次第に半狂乱じみた行為をしながら現れ、最後には完全に狂った奇行をしながら終わっていくという映像だった。それが僕の最後の映像作品となった。
ちなみに、同棲をしているうちに結子との共同の作品も制作したが、それはもっとも出来栄えの良い作品だった。しばらくして、僕は無断で仕事を休みだし、心配した義理の親父と兄が僕の部屋に訪れた時、僕は睡眠薬をオーバードーズし、鍵をかけ、Foo Fighters のThe Pretenderを大音量で流し続けていた。僕がこの曲を聴いていると、必ず陥る感覚がある。
それは負け戦だと分かっていながらも、激しく反抗し続けるという類の感覚だ。何故そんな感覚に陥るのか分からないが、今でもこの曲を聴くと僕は、どうしようもなく憂鬱な気分になる。
憂鬱な気分になりながらも激しく何かに反抗するのだ。聴くだけでとても疲弊してしまう。何十回とリピートを繰り返しているうちに、兄と義理の親父は鍵をこじ開けて部屋に入ってき、昏睡中の僕を起こした。酷く怒られると思ったが、二人とも酷く優しかったため、僕は混乱した。仕事に行きたくないという意思表示だったのだが、結局説得され、仕事には行くことになった。
マンションは引き払って、母と義父が当時住んでいた駅近くのマンションへと移ることになる。そこは今、僕が寝っ転がっている、まさにここである。
思えば、いつも同じことの繰り返しである。僕の人生には起承転結があり、いつも同じ結末へと導かれ、そしてまた、希望を持って物語が起こる。最後は絶望のまま結末を迎える。
後何度こんなことを繰り返すのだろう?出来ればこれで最後にしたい。
いつもそう思っているのだ。しかし、最後の映像作品となった「遺書」のムービーのように、ひたすら右から左へ流れ作業のごとく同じことを繰り返している。しかも段々酷くなってきているという有様だ。どうしたもんだろうか。
家族会議の末、薬物依存症を克服しないといけないという話になり、僕は精神病院へと入院することになった。それも隔離病棟だ。隔離病棟とは内から鍵が掛かっている病院で、外に出ることが出来ない。ここでしばらく生活することになった。しばらくなのでいつまでか分からない。まずは隔離病棟のそのまた隔離である、鍵付きの独居部屋に入れられるのだ。
看護士さん達に身体チェックをされる。身体チェックをされることは初めから知っていた。だから危険ドラッグの類のハーブとタバコとライターとジョイントをパンツの中に隠しておいた。さすがにパンツの中までは調べないだろう。最近、人権問題等も煩いからとそう踏んだ。予想通り、パンツの中までは調べなかった。
そうして独居房に連れていかれるが、まず、大広間を通って、そこの奥にある鍵付きのドアの鍵を看護師さんが開ける。すると洗面所だけがある真っ白な廊下。4つぐらいのドアが連なっている。そのうちの一番手前のドアの鍵を開け、そこに放り込まれる。
部屋の中はこれまた真っ白で無残なほどにまで無機質。洋式便所が剥き出しのままあり、病院で良くみかけるベッドが置いてあるだけ。それ以外には何も無い。何も。
だけど僕にはタバコとハーブがある。やはり持参して正解だった。こんな部屋に何日も閉じ込められるなんて発狂することこのうえない。ちなみにこの独居部屋にしばらく入れられた後、みんながいてタバコも吸えてテレビも観れる大広間へと移される。
早速タバコに火を付け。思う存分吸い、ベッドの下の床に吸い終わったタバコを押し付けて、火を消し、次にジョイントにハーブをグッグッと押し込み、火を付け一気に吸う。そうして体内に毒を吸収させ、煙を吐き出している間に体の力が一気に抜け、天井が回転し始める。ベッドに沈み込み、そのまま何処までも堕ちていく。
とかなんとかやっていると、肩を揺さぶる者がいるので目を開けてみると看護師さんが2人、そこには居た。臭いだ。臭いでバレて誰かが密告したのだ。
看護士さんは辺りを見まわし、そして僕をベッドから降ろし、ベッドを引きはがすと、そこには隠していた一式が現れた。そして無言で(無言が怖かったが、看護師さんもなんと言ったらいいのか分からなかったのだろう)出て行き、僕の担当の医者がお出ましだ。
「とんでもないことをしてくれたね」
と言い、シュンとなってなんとも言えなかった。穴があったら入りたい気持ちとはまさにこれだった。
「バツとして少し長い間独居部屋に入ってもらうことになるね」
と先生は恐ろしいことを言ってのけた。すいません、それだけはご勘弁を言いたかったのはやまやまだが、それは恰好悪いので心の中にしまっておいた。
長い間とはいつまでだろう。ちゃんと言ってくれないのが辛い。それもバツか。
これがツミとバツってやつか。などと思いながら『発狂しそうなほど退屈』という洗礼を1週間浴びることになった。その後大広間に移り、そこはタバコも吸えてテレビも観れて、お菓子も変えて、みんなと楽しく雑談も出来る。精神病院と言えば、狂人めいた人達が居るのかと思うかもしれないが、そういう人が多いところもあるかもしれないが、僕が居たところは普通の人ばかりだった。否、普通に見えていただけかもしれないが。
友達も出来、楽しくやっていた。とは言っても1日が長すぎて暇すぎて、日も光を見れないというのはなかなか辛いものがあった。
なんだかんだあり、僕は早く出たいがために、ノートにドラッグをやめることによってのメリットをかきこんだノートなどを先生に見せたりした。そうして一ヶ月で退院し、3日後にドラッグに手を出した。2週間後にはオーバードーズにより家で暴れ、3週間後には謎の吐き気に苛まされ、1か月後にはパニック障害らしき発作が出た。僕は一体ぜんたいどうなるんだろう。ボンヤリと、不安。
親に金と精神安定剤や睡眠薬の処方薬を管理されることになった。
そうして、引き籠ることにした。部屋でパソコンと睨めっこしながら過ごす日々だ。
この辺りでおしまいにしておこう。そして過去の世界から、夢の世界へ。
8日目 月曜日
――朝は、好きだ。全ての始まりだから。だけども、朝は苦手だ。起きるという行為は怠惰とのまさに一騎打ち。昔の僕なら怠惰の言いなりだった。眠いから寝る。怠いから起きない。だけど今は怠惰と闘っている。怠惰以外のあらゆる罪へと繋がっていく欲に抗っている。惰眠を貪るその先に未来は無いのだから。欲へ打ち勝つその先に未来は大きな口を開いて待っている。だから僕は起きるんだ。精一杯唸りながら。
起きて、ベッドのすぐ下に用意されているジーンズと紫のジャケットを羽織る。歯を磨き、カバンに聖書を優しく入れ、母に行ってきます。母は行ってらっしゃい。ドアを開け、閉めて、エレベーター、ボタン連射。順調だ。改札を通り、階段を昇る。順調。
ホームで電車を待つ。寒い。この寒さは昼になると暑くなる。夜になると涼しくなる。
最近の僕の頭の中と言ったら、ほとんどが小説のことでいっぱいになっている。
小説のことじゃなかったら理香子に対する後悔や思い出だ。理香子のことでなかったら、何かよく分からない虚無かもしくはよく分からない多幸福。
心の隅から隅まで虚無で満ちていた過去に比べると天と地ほど心の状態は違っているが。しかし、生きている限り空虚からは逃れることは出来ないと見受けられる。
ならば飲み込まれないように対峙していないといけない。
教会に着き、僕は十字架の目の前で、今日はなんとなく正座をした。まだ誰も来ていなかった。暗い教会の中、赤い照明のスポットライトが輝く。そしてそれは何よりも十字架を照らしていた。赤い照明で染まった十字架はまさにイエスの十字架だった。
突如、僕はその十字架に圧巻された。
イエスはゲッセマネで捕らえられ、祭司長カイファスの家に連れてこられた。
そこにはユダヤ人の指導者、学者、宗教家がこぞって集まっていた。
誰かがイエスに唾を吐きかけた。イエスの頬に唾がべトリと付き、そのまま頬を伝う。
唾を吐いたのは僕だ。そして誰かがイエスに目隠しをし、そして拳で殴り付けた。
「救世主なら誰が殴ったか言い当ててみろ」と嘲笑し、叫んだ。殴ったのは僕だ。しかしイエスは黙っていた。そしてまた誰かがイエスを平手で打った。僕だ。イエスの顔が赤く腫れあがってきた。目隠しをして顔面を殴打すると反射的な受け身が出来ないが故、その痛みと腫れ具合は数段増すのだ。
総督であるピラトの裁判の前、イエスを鞭打ちをさせるために、ローマ兵達は、兵舎にイエスを引っ張っていき、
突如、後ろからローマ兵がイエスを蹴り倒し「ユダヤ人の王、万歳」と叫び、そして笑った。ローマ兵たちはイエスを嘲り、蹴り、殴り、唾を吐きかけ圧倒的に凌辱した。全て僕がやっている。イエスの顔が無残に変形する。
そしてローマ兵はイエスを縛りあげ、1㍍ほどの皮紐に、鉄や骨、ガラスを埋め込み、それを束にした鞭を使った。十字架刑の囚人は鞭で40回打たれるが、40回鞭で打つと死ぬ危険性が高いので、情けとして39度の鞭打ちとなっていた。
ローマ兵がイエスの背中目がけて渾身の限り、鞭を打つ。何かが張り裂けたような破裂音がこだまする。イエスの背中から血しぶきと、肉片が舞い上がる。
イエスの顔が苦痛で歪む。すぐさま、二度目の鞭が飛ぶ。イエスは呻き声をあげる。
次第に、肉が剥れていき、皮下の筋肉と骨が見え始める。酷い出血でイエスの体は赤く染まる。39度の鞭打ちが終わると、イエスは膝をつき、今にも倒れそうになるが、ローマ兵がイエスを起こし上げ、拳と棒で殴りつけた。そして兵士たちは、服の残骸を剥ぎ取って紫のガウンを着せ、頭には茨の冠をかぶせられた。冠が頭に食い込み、イエスの顔が歪む。新しい部位から更に出血を伴う。もはやイエスは血だるまの何かに変わり果てていた。その顔は原型を留めていない。告白しよう、全て僕がやったことなのだ。
それだけでは終わらない。
次はメインディッシュの磔の刑へと移っていく。
十字架刑は、当時のもっとも残忍な犯罪人、もしくはローマ帝国に反抗する勢力への見せしめのために行われた刑と言われている。
磔に使われた十字架というのは、木製の地面に突き刺され、垂直に立てられた縦棒と、50キロほどの重さの横棒からなる ものである。
横棒と縦棒は取り外しが可能であり、50キロの縦棒をイエスは背負わされ、ラテン語でヴィア・ドロローサ(苦難の道)と呼ばれた総督ピラトの官邸から刑場のあるゴルゴダの丘までのおよそ1キロの距離を歩いていくのだ。
出血多量状態で肉が剥がれ、背中の骨が透き通って見える状態で50キロの十字架を背負い、倒れれば殴られて起こされ、瀕死の状態でその道のりを歩いていく。
ゴルゴダの丘についたイエスはローマ兵達に丸裸にされ、腕を左右に広げられ、仰向けに寝かされ、そして30センチほどの巨大な釘で手首のぶっ刺す。
イエスは正中神経に釘を刺され、熱さを覚えるほどの激痛を覚え、声にならない声をあげる。手首と同じ30センチの程の釘を、足の甲側から、足の第二と第三指の骨の間に刺し、 足の裏を通って棒に打ち付ける。
1度打ち、半分まで刺されば、もう1度打ち付ける。
不自然な形のため、尋常ではない負担が腕首と腕と肩にかかり、関節は全て外れる。
イエスは激痛の余り口を大きく開けた。口の中から血の液が延びているのが見える。
肋骨が定位置に止まっているので、呼吸が困難になる。
そしていよいよ、十字架が上げられる。この時点で既にイエスは大量出血に加え酸素欠乏、そして痙攣を引き起こし、ほとんど失神状態だ。
その時、イエスは言った。
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からないのです」
十字架に掲げられたまま、衰弱死するまで、イエスは全裸のまま見せしめにされるのだ。糞尿も垂れ流し状態である。足と肺に強烈な痛み、極度の苦痛を伴い、イエスは衰弱していき、既に呼吸することさえ困難を覚える。イエスは態勢を維持することが困難で、体の節々に激痛が走る。
出血多量と、呼吸困難からの酸素欠乏により、極度の脱水症状に陥ったイエスは
「渇く」と言った。
しばらく後、イエスは息絶え絶えに、この世で最後の言葉を発した。
「完了した」
そう言い放った後、心臓は止まり、イエスは頭を垂れたのだ。
2000年前に起こった事が、僕の中につい今しがた起こったかのように、感じた。
イエスに唾を掛けたのは誰だ?僕だ。イエスを殴ったのは誰だ?僕だ。
イエスを鞭打ったのは?僕だ。イエスを嘲ったのは?僕だ。
イエスを十字架にかけたのは?僕だ。
全て、僕の罪がしたのだ。僕が犯した全ての罪がそれをしたのだ。
そして、イエスは十字架上で、十字架にかけた僕に対して言った。
「父よ、彼をお赦しください。彼は何をしているのか分からないのです」
神の子である救い主、イエスを十字架に掛けたのは僕で、イエスが十字架にかかる以外に僕が救われる道は残されていなかったのだ。
僕は罪人で、イエスは救い主。それ以外に僕がこの世で確かだと言えることは無い。
そう思った。
僕の頬に熱いものが流れ続け、教会の床に滴り落ち続けていた。
イエスの十字架の愛が僕の胸を突き刺したのだ。
この様な体験はこれが初めてではなかった。
一番最初に教会で祈った時もそうだった。僕は何度かこの体験をしていた。
そしてこれからも繰り返すのだろう。僕のために自己犠牲を払ってくれたお方を思い出すために。
僕はそのまま1時間程涙を流した後、水浸しの床をシャツで拭き、立ち上がって教会を後にした。いつの間にか太陽は陽気にこの町を照らしていた。
商店街の頭上に塗られた朝焼けを見つめていると、頭の隅の方からベートーベンの田園が流れ出した。この曲ほど朝の始まりと合う曲はおそらく、無いだろう。
唐突に酷い頭痛を覚え、頭を手のひらで2度3度打った。
電車から降りる時、座席から立ち上がると立ちくらみがした。一体どうしたというのだろう。頭を使い過ぎてブドウ糖が足りていないのだろうか。それではと思い、コンビニでチョコレートを買い、齧りながら作品に取り掛かる。一体、自分の作品が他人からどう見えるのか全くもって判断が出来ぬ。ただ一つ言えることは、僕は自分の作品が人類始まって以来、伝説の傑作だということである。
僕は書き続ける。最高のフィナーレに向かって。さぁ、ノートパソコンを開いて、創造の戦いだ。
歴史上、全ての芸術家たちは未完成のままこの世の生涯を終えた。
さぁ、今こそ感性を完成させろ。感性を完成させた時、きっとこの世は終わりを告げ、新世界の幕が開かれるに違いない。ユートピアの幕開けを目指し、感性を完成させるんだ。
などという世迷言を想いつつも書いていく。打っていく。描いていく。僕の言葉はドビュッシーのアラベスクに乗せて空白のキャンパスに舞っていく。
しかし舞っている中、途端の頭痛に襲われ、演奏を中止する。
僕は頭痛薬を飲み、横になる。すると頭痛は去っていくが次は理香子のことを思い出し、胸が痛み始める。僕の足のつまさきから頭のてっぺんまで、そして心の中にまで痛覚というのは存在する。この痛覚が無ければどれ程楽になれるだろう。特に何も出来なくなるほどの痛みと言えば、この心の痛みだ。しかし痛みがあるが故、生きている証拠なのだろう。
心の痛みは尚更生きている確かな証拠。
「良太、お風呂は?」と母の声が聴こえたが、今日は疲れたのでもうこのまま寝ると言った。寝てしまう。そしてその前に、また過去に遡ろう。不思議なことに、布団に入ると眠気が飛ぶ。布団から出て、何かをしているとすぐに眠気が訪れる。
眠気とともに布団に潜り込むと、眠気はまた何処かへ行ってしまう。
僕は根っからの天邪鬼だ。微睡もせず、はっきりとした意識の中、過去を思い出す。過去に縛られないため、過去を思い出す。
――僕は親に金と精神安定剤や睡眠薬の処方薬を管理されることになった。
そうして、引き籠ることにした。部屋でパソコンと睨めっこしながら過ごす日々だ。
必要な物がある時は母に言う。そうしてお金を貰える。僕は〇〇が欲しいと言い、お金を貰えると、すぐに薬局に走り、〇〇では無く、モルヒネの親戚にあたる成分が入っている薬を確認し、それを買う。そしてその薬を一気飲みする。これによって中々の酩酊状態を味わえる。薬を買う程のお金がもらえなかった時はガスボンベを袋に溜めて、吸い上げる。気持ち良くは無いが、脳が酸欠を起こし、一時的な幻聴、幻覚を楽しむ。
こうして僕はいつまで経っても脳と臓器を痛めつけていく。朝、昼、夕方はこれで凌ぐのだが、肝心なのは夜だ。夜を乗り切れるのがいつもやっとの思いだった。
虚無の化け物は夜に最も牙を剥く。僕の心を虚無という孤独の絶望で完膚無きまでに叩きのめされる。僕は睡眠薬と精神安定剤を持って対抗する。
毎日夜に飲む処方薬は母の手によって管理されている。
一日分を飲んだところで、僕の精神状態は何一つ変わることはない。だから僕は飲んだフリをして、自室に置いてあるコップの中に溜めておくのだ。3日分程ため込んだところで、飲む。これでなんとか凌いでいた。2日間は地獄を見、3日目に少しばかりの悦楽の中過ごす。
ある時、タバコを吸っていると急激な吐き気を催し、胃液を吐き続けた。そしてわけの分からない恐怖が僕の周囲を取り囲んだ。僕は叫び声をあげ、母と義父は僕をなだめながらベッドまで運び、強力な精神安定剤を飲ませ、僕はそのまま眠りについた。
これはもう、これ以上毒を体内に入れ続けるのはヤバいかもしれない。と今頃になって気付いた僕は、毒という名のクスリを辞めようかと考え始めつつ、駐車場の片隅でガスボンベを吸引する。そうして何週間経ったある日、本当の親父から久しぶりに連絡があった。親父は家においでと言うので、僕は親父の家に行くことに。根っからのマルクス主義だった親父はいつの間にかクリスチャンになっていた。
そんな親父は「こんなのがあるけど、どうだろう?」と1つのパンフレットを僕に渡してきた。それは沖縄にある『人生やり直し道場』と言う名の依存症の人が社会復帰を目指す更生施設だった。この施設の特徴は、聖書を土台として生き方を学び、社会復帰を目指すというプログラムだ。
こんなとこ、行くわけねーだろと思いつつも、ありがとう、考えておくよと言って、夕飯を食らい、帰路へ着いた。僕は根っからの無神論者のうえ、悪魔的なロックバンドを好んで聴いていて、そしてクリスチャンという生き物が世界一嫌いだったのだ。そんな僕がこんなキリストキリストしている施設に行くわけがない。
なんてたってマリリン・マンソンの大ファンなのだ。ポスターを部屋に飾るほど。
マリリンマンソンとはアメリカの悪魔的ロックバンドとして悪名を轟かせている。ライブでは講壇のようなところから、聖書をビリビリに破いたり、そのプロモーションビデオといえば、まるで本当に地獄で撮影したのではないかというほど、毒々しく、悪々しい、素晴らしいほどの悪魔的退廃美を醸し出している。その歌というと、タイトルがアンチクライストスーパースターであったり、その歌詞と言えば、こんなだ。
だけどオレは存在さえしない神様の奴隷なんかじゃない
だけどオレはなんの関心も示さない世界の奴隷なんかじゃない
とデスボイスを利かせて歌っていたりする。クリスチャンが多いアメリカで、その度胸は素晴らしい。僕は無神論者を決め込んでいたが、「神はいない」と言いながらも、その存在しないはずの神に対して、激しい憎悪を燃やしていたりした。
そんな僕がこんな施設に行けるわけがない。と思いながら家に帰ってくると、母と義父は「その施設に行きなさい」と強い口調で僕に迫ってきた。
行ったほうがよいではなく、行きなさいだった。それならば、行くしかない。親の脛を齧っている僕に選択肢は無い。再び家出をする気力も僕には残されていない。
彼らはすぐに沖縄行きの切符を手配し、僕は『人生やり直し道場』の理事をしているという、東大阪在住の吉田牧師と面接を行うことになった。
面接といっても何処かで待ち合わせをして、何かの紙に記帳するだけである。
そうして吉田牧師と喫茶店で待ち合わせをした。図体のでかい吉田牧師が小さい椅子に座り心地悪そうに乗っかっていたのが印象的だった。
幽鬼のように痩せ細り、口にまでかかる前髪を垂らした僕を観た吉田牧師は当時「幸太は完全なる世捨て人のようだった」と思ったらしい。
吉田牧師と会話をし、何かの紙に記帳し、そうして家に帰り、しばらくして沖縄へと飛び立った。空港のゲートを通り、後ろを振り返ると心配そうな顔の義父と母の姿があった。彼らのこの心配そうな顔を僕は既に何度となく見てきている。少し悪い気がした。
次第にスカイブルーの目立つ海が迫ってき、そうして沖縄へと着地した。
空港でキョロキョロしていると、「幸太君?」と後ろから声が聴こえ、振り返る前に「はい、そうです」と答えると、背中を叩かれた。痛い。後ろを振り返ると、イカツイ顔のハーフ顔の40代ほどの男がいた。「沖縄センター局長の翁長です。よろしくね」とのこと。この翁長先生は昔、沖縄のハーフギャングに所属し、朝から晩まで暴力と盗みと覚せい剤に明け暮れ、およそ13年間毎日覚醒剤を打っていたらしい。医者からは「あんた30歳までに死ぬよ」とお墨付きのハンコを押されたほどだ。
そんな翁長先生は刑務所に居る時に、身元引受人がいなく、身元引受人がいない仮出所が無くなり、満期で出所するしかなかったのだが、身元引受人になってくれる教会の存在を知り、そこと連絡を取り、牧師が面会に来た。翁長先生は「早くここから出してくれ!」と懇願すると、牧師は毎週日曜日の礼拝に出ること、仕事を探すこと、そして教会のお仕事を一緒にすることという条件で身元引受人になってくれたのだ。
翁長先生はそこでイエスが自分の罪のために十字架にかかったことを知り、こんな悪を極めた者でさえ赦されるということに衝撃を受け、涙を流しクリスチャンになったとのこと。そんなことを信じるなんておめでたい奴だと思った。
しかし施設に入ってしばらくすると、僕はそのおめでたい話を信じることにした。
僕が信じるきっかけになったのは、聖書のある個所を読んだ時だ。
イエスが十字架に掛かった時、二人の強盗も一緒に十字架に掛かっていたが、そのうちの一人の強盗は
「お前はメシアではないか。自分自身と俺達を救ってみろ」とイエスを煽った。
もう一人の強盗は言った。
「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。 我々は、自分のやったことの報いを受けているんだから当然だろう。しかし、この方は何も悪いことをしていないんだ」
そして彼はイエスに向かって言った。
「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」ルカの福音書23章42節
すると、イエスは彼の方を見つめ、言った。
「あなたは今日、わたしと一緒にパラダイスにいます」
ここを読み、最初に天国に行ったのは自分の親戚である強盗であることを知った。
その時、僕は信じることにした。何故そこで信じることが出来たのか。
それは理では到底語ることが出来ない、何かがあるのだ。何も信じることが出来なかった僕は、この世で経った一つ、生涯を駆けて信じようと決意したことが出来たのだ。
それは、僕は罪人で、キリストは救い主だということである。
この施設では掃除、食事、洗濯等の身の回りのことは全て生徒達でやり、そして聖書を通しての学びや、運動、草刈り等の作業の時間があった。
生徒は少なかった。2人の時もあれば、7人の時もある。だけどそれ以上生徒が増えることもなく、大半の生徒はすぐに帰ってしまう。この施設は1年で卒業だ。
僕は必死だった。目の前にある全てのものに必死だった。それは昔から変わらない。
僕はいつも目の前にある全てのものに情熱で翔けるのだ。そして途中で力尽きる。だけど、本当は最後までやり遂げたいのだ。全力疾走のまま完走したいのだ。貧弱なハートは、少し躓くと、起き上がる気力を失ってしまう。しかし、次こそは。
僕はこの施設にしがみ付き、そうして1年間を無事に終え、卒業することが出来た。
想えば1年間、必死でやり遂げたことなんて今まであったろうか。
自分で言うのもなんだが、異常めいた情熱がありながらも、尋常では無い程に弱い心の故、早々にリタイアをしてしまっていた。程々でスタートすれば良いのにと言われるかもしれないが、僕には程々などといった加減が出来るほど器用ではないのだ。
行間を読ませるような工夫も出来ぬ。読んで欲しいことは、書かれている全てだ。
この施設で僕は生き方が根本的に変化した。
僕はこの世の全てが無意味という土台から、この世の全てに意味がある。という土台へと変わったのだ。偶然の中で生きているのではなく、節理の中で生きているのだと。
そしてこの摂理の中で起こる中で最も大切になってくるのは愛だと。
昔の僕は偶然の世界の中で、怒りと憎しみを最も大切にして生きていたのだ。
そんな僕が愛と赦しを持って生きるようになったのだ。
翁長先生は言った。「僕は幸太に幸せになって欲しいだけなんだ」と。
それは暖かい言葉だった。心が暖かくなった時、僕は生きていて良かったと思えるのだ。僕はそんな暖かい言葉を、生涯を通して遺していきたい。それが使命。
そう決意し、大阪の地へ戻ってきた。戻ってきた僕を観て、義父と母はその言葉の通り目を丸くし、喜びの顔を持って僕を迎えた。
体重が47キロだった僕は、日々の筋トレの成果により体重は60キロまで増え、がっしりとし、沖縄の地から浴び続けた太陽によって、褐色の良い青年へと変えられていたのだ。さぁ、大阪の地で第二のスタートだ。
(15日目・月曜日)
――僕の人生は幾つもの物語で連なっている。起承転結があり、最後は必ず失敗をして新しい人生の門出を迎える。今回はどうだろう。今回ばかりは全く違う結を迎える気がする。
神の溝知る。
取りあえず起きることが全ての始まりだ。起き、承り、一転し、そして結末を迎える。
怠惰を振り切って起きなければ、全てが始まらないのだ。だから今日も僕は朝早く起き、承るために教会の礼拝堂で祈り、そして、教会の2階に行き、書き続ける。想像を創造するため。今日の朝は1時間程しか書けない。この後は田山さんの工場で一生懸命働くのだ。駅を降り、踏切を渡り、線路沿いに歩いていく。年季の入った家から、年季の入った老婆が出てき、年季の入った植木鉢に咲いている雑草のような花にジョウロで水をやっている。おはようございますと声を掛けると、少し驚いた顔を見せた後、嬉しそうな、しゃがれた声でおはようございますと応答してくれた。
老婆が驚いたのは見知らぬ人にあいさつをされたことは、今まであまり無かったからだろう。喜びの表情を見せたのは、見知らぬ人の挨拶に孤独から解放される温もりを感じたからだ。
しばらく線路沿いに歩き、住宅街を左に曲がり、線路をバックにしてひたすら歩く。
次第に東大阪の音が聴こえてくる。鉄と鉄が打ち付け合う音、何かの機械が動く音、何かを削る音、僕の生まれ故郷、東大阪が誇る音。
4つの工場が連なり、一番端の工場の隣にはグラウンドになっている。
僕はその一番端の工場へと歩を進める。その工場の中からはゴオオという音に近い、とても雑で会話もままならないような音が鳴り響いている。
その工場の中へ入り、その音に負けないぐらい大きな声おはようございますと
と言うと、高速回転しているローラーの前で座って作業をしていた田山さんが反応し、おはようさんと返す。田山さんはボタンを押し、そうするとローラーの回転は緩やかになり、音も次第に緩やかになり、辺りに静寂が戻ってくる。
整理がされておらず、色々な物が積み上げられ、埃とサビの激しい小さな工場だ。
しかし僕は何処かの金ぴかの宮殿よりも、この工場に存在意義とある種の美を感じる。どちらで暮らしたいかと問われれば僕は間違いなくこの工場を選ぶだろう。
「幸太君、まいど。今日もよろしゅうな」
僕は奥にある、鍵が壊れた凹みの激しいスチールロッカーを開け、作業着に着替え、マスクと手袋を嵌める。埃に反応し、クシャミをする。
そうして田山さんの居る部屋へと戻り、田山さんの隣の研磨機の目の前にP箱を2段積み、それを椅子とする。パレットに置かれてる研磨をする部品が入った容器をP箱の隣に持ってき、そしてサンドペーパーを80番に取り替えて、赤いボタンを押す、すると研磨機がウゥゥゥゥと唸り声をあげながら、ものっ凄い勢いで回り始める。そうして俺はパレットに置いてある、何かの部品が入っている容器を隣に持ってきて、その部品を一つ一つ、研磨機に当ててキレイキレイしていき、空の容器にポイポイと放り込んでいく。
研磨機にあてる時の力の入れ具合が絶妙だ。力を入れ過ぎると品物が歪んでしまい、力が無さすぎると、角度がズレて線が入り、綺麗にならない。
田山さんはこの道20年の職人だ。その腕前ときたら。まず、研磨をする部品を股のところに2~30個程挟み、そこから3つ程を取り出し、その1つを両手で研磨機に当て、そして右に用意した空箱にポイっと入れる。そして残りの2つも同じ要領でスピーディにこなしていく。その動作1つ1つに寸分の狂いも無い。まるで機械のごとく精密だった。僕は早速研磨に取り掛かる。研磨機の爆音と共に、僕はその歌を歌いながら研磨る。研磨機の凄まじい音で僕の歌もほとんど掻き消される。
僕はブルーハーツの「ロクデナシ」を歌いだす。最後まで歌い終わると、次はロクデナシ2~ギター弾きに貸す部屋はなし~を歌いだす。それが終わるとミッシェルガンエレファント、次にエレカシ、セックスピストルズ、グリーンデイ、マイウェイを歌う。
そして次第に歌い疲れ、仕事に集中する。
しばらくすると、田山さんが研磨機の音に負けないような声を張り上げて「幸田くん飯くおうかあ」と叫び、僕は「わぁっかりましたあ」と口を大きく開けて叫ぶ。
田山さんがP箱を組み合わせ、机をセッティングし、二人してカップラーメンとコンビニのお握りセットを机に並べる。
田山さんは片手鍋に沸かしたお湯(その中に、てんこ盛りのもやし)を持ってきて、自分と僕のカップラーメンにお湯を注ぎつつ、もやしを均等に分けてくれる。
「田山さん、なんかまだこれ温いですよ」
「ほんまや。めっちゃ温いやん。しゃあないな」
田山さんは、僕が作家になることを応援してくれている。
昼飯を食べ終えた後、田山さんが奢ってくれた缶コーヒーを持って、2人で外で気分転換をしていた。隣のグラウンドにて、野球の試合してる中学生達を僕達は見つめていた。フェンスにもたれかかった田山さんは、遠い目をして言った。
「幸太君、作家なるの、頑張りや。応援してるで」
田山さんは東大阪の片隅の、誰の目にも止まらないような、この埃っぽい、古びて鉄クズだらけの汚れきった工場で、朝から晩まで一人で窓のサッシの部品や車の荷台をくくる部品等、誰も気にしないような部品を研磨している。
誰にも認められず、褒められない。日に当たらない孤独な仕事だ。
しかし僕から見ると田山さんはヒーローだった。その腕前に惚れ惚れする。
一流の腕前の職人さんというのは、芸術家と似たところがある。
「そしたら午後からも頑張ろかぁ」
と欠伸をしながら田山さん。
僕達はテーブルセットを片付け、赤いボタンを押し、再び研磨機の轟でこの世界は支配される。田山さんの世界。
僕は一心不乱に研磨する。
そんなこんなで休憩しつつも、16時50分ぐらいになると、田山さんがまた大きい声を張り上げて「幸田君、そろそろ終わろかあ」
研磨機のボタンを押して、辺りは静寂に包まれる。この世界に戻ってきた。
本当はは9時から17時までなのに、16時50分ぐらでいつも声かけてくれ、それでいて、きちんと7時間分の給料をくれる。田山さんはいつも自分から損をするのだ。
しかも田山さんは、まだ仕事があるにも関わらず、僕を駅まで送ってくれる。
駅まで着き、僕はありがとうございました。お疲れさまでした。またよろしくお願いします、と言い、定期を改札口に悠々とタッチして駅のホームへと吸い込まれていく。
最近では、家でシャワーに入り、夕飯を食べ、そして教会に行き、教会の2階で小説を描くというスタイルへと変わっていた。なので僕は家へ帰り、シャワーを浴び、夕飯を食する。
カレーを食している間、母と理香子の話をした。理香子は婚約相手だったということを母も義父も知っている。そして僕の責任で別れたという顛末まで知っている。理香子は教会で普通に、いや、付き合っている時と同じように僕と接してくる。それはつまり、僕に対しては既に恋愛感情は全く無く、友達として見ている証拠だと拗ねたように言うと母は言った。
「男と女は違う。女は一度別れた男で、もう好きじゃないのなら、話もしたくないもんやで。お母さんから見たら理香子ちゃんは幸太を待っていてくれるみたいに見えるけどなぁ。作家になって、自立出来るのを」
田山さんも全く同じ事を言っていた。
「理香子ちゃんは幸太のこと待ってくれてるように見えるけどな」と。
2人に同じことを言われるなんて、それは、どうしても、期待を持ってしまう。
「理香子ちゃんに聴いてみたらいいやん。もう、無理なのか。それともまだ可能性はあるのか。聴いてみないと、幸太も先に進まれへんやろ。次の恋に行くべきなのかどうなのか」と田山さんは言った。
「いや、それが出来ないんですよ。僕は白か黒かはっきりしていたい。曖昧なのは嫌いなんですけど。でも、もしも「もう無理」と言われた時のショックの大きさを考えると。それともう一つはプライドですね。こっちのほうが大きい」
と僕は言った。
理香子も僕もプライドが高い。故に、お互い、みなまで言うことが出来ずにいる。先に言うのを待っているのだ。(もしも理香子が僕のことを好きでいればの話)
プライドが高いというのはつまり、傷付くのが怖いということなのかもしれない。
などと考えながら教会に向かう。外はいつの間にか雨が振っていた。
傘を忘れたが、取りに帰るほどの気力は無い。書くことに関しては狂わんばかりの情熱を注ぎ込むのだが、生活に関しては無気力同然となる。特に僕は、寝ること、食うことに関してはとりわけ無頓着になる。寝ることは無頓着以前に7歳の頃から不眠症及び、過眠症なのだ。
みんなが「これは嫌だ」と思うことの大半は僕にとって「どうでもいいこと」なのである。おそらく書くことに気力を使い果たしてしまい、他のことに出来るだけ力を使わないように深層心理の中で働いているに違いない。
僕は濡れた髪と顔を教会備え付けのタオルで拭い、教会の2階でノートパソコンを開き、ワードを開く。実のところ「真っ赤」は既に完成していて、今は4作目を書いているとこなのだ。
研磨の仕事と寝ることと、食うこと以外のほぼ全ての時間を小説に費やしている。
最近では食うことと寝ることをどれだけ削るかを考えているほどなのである。
僕は何をそんなに生き急いでいるのだろう。しかし、書かざるおえないのだ。
キーボードを叩くパチパチという音と雨が屋根や地面、あらゆる所に落ちるパラパラという音が見事にマッチし、僕の中でそれはまるでオーケストラのようで、今日はクラシックを聴く必要が無いと感じた。
言葉は、言葉は、言葉は、言葉は、言葉は何よりの麻薬だ。
純度の高い言葉を文章という注射器で頭の脳内に打ち込む。
すると僕の心臓がトクンと高鳴り、多幸福感で満たされる。
ドラッグなんて必要無いではないか。創造するというのはどんなドラッグよりも脳内麻薬で満たされる。これ以上の喜びは無いのではないかと思う程に僕の心は踊り狂う。
谷川俊太郎は、ある時ファンの人にこう聴かれた。
「詩を書くときに何を一番感じて書くんですか?」
「自分を空っぽにすることを努力して、言葉が無い状態に自分を持っていく。言葉をなくすっていうのは、それが一番大変」
禅問答に近いものを感じ、感銘を受けるが、果たして自分はそうやっているのかと問われると、良く分からない。良く分からないということは自分もそうやっているということなのだろうか。
それとも詩と小説では、全く違う分野なのかもしれない。
時計を見ると0時をまわっていた。そろそろ寝るには良い頃合いだ。ノートパソコンをそのままにし、絨毯にごろんと横になり、教会に備え付けの布団を被り、カバンを枕にする。電気を消せば少し恐怖を感じるほどにこの部屋は真っ暗に包まれる。
そうして今日も過去を振り替えようか。
――そう、大阪の地で第2のスタートを切るところからだ。
僕は大阪に戻ると、吉田牧師の教会でインマヌエルキリスト教会に仕えることに決めていた。僕は神学校に行きたかった。神学校というのはキリスト教の牧師や伝道師になるための学校だ。そう、僕は牧師になりたかったのだ。何故ならそれが僕の天命だと思ったから。自分の十字架を背負い、生涯をかけて、自分を犠牲にして献身的な働きをしたいと心から思った。吉田牧師が卒業した神学校に自分も行こうと決めた。神学校は寮費、食費、学費、全て込みで月5万という破格の値段で行くことが出来る。とは言え、自分には貯金なんてものは無い。だからしばらく働いてお金を溜めてからいこうと思っていたが、1年足らずでは、まだまだ親も安心できないのか、寮での神学校生活という守られた環境というのに安心するのだろう。お金は出すから行きなさいと言われた。それでも僕は自分のお金で行きたかったのだが、吉田牧師も母も義父も口を揃えて行きなさいと言うので、それならば、ということで行くことにした。
キリスト教徒の多い国では神学校というのも大規模なものだが、この日本という国はいかんせん、キリスト教徒が異常なほどに少ないので有名なので、日本の神学校の規模というと、とても少数制である。
僕の入学した神学校ではそれでも多いほうで、30人ほどの生徒がいた。年齢はバラバラだ。19歳から60歳まで居る。
神学校生活も若い女性が何人か居たせいか、それほど禁欲的とも感じなかった。
(とは言え、若い女性と破廉恥なことをしていたということではない)
若くて綺麗な女性と共に授業を受け、食堂で食事を食べ、一日のうち、何度も顔を合わせ、会話を出来るということで僕の心には癒しがあった。
僕はこの神学校での成績は常に上位をキープしていた。全てにおいて、目の前に出される全ての課題において、熱心に取り組んでいくのだ。今までは途中でつまずき、やーめた、と全てを放棄してしまうのが常であったが、今回ばかりは途中でつまずいたとしてもサジを投げることはしなかった。
そうして3年間を無事に卒業し、嗚呼、それにしても今まで3年間やり遂げることは出来たものなんてあったろうか?しかも、最後の最後までその情熱は冷めぬことはなかったのだ。
僕が神学校を卒業するのと時同じくして、同教会の信徒であり、同い年であった理香子と結婚を前提とする清らかなお付き合いが始まっていた。
きっかけは、僕が肺炎で入院した時、理香子がお見舞いに来てくれ、その時に色々あったのだ。色々。理香子は今まで出会った女性の中でも、最も類を見ない女性だった。
まるで汚れというものを知らないような人間だ。それでいて、自分が罪深い人間だということを自覚している。
30歳になってして、優れた容姿を持ちながらも処女で男性と付き合ったことが無いという絶滅危惧種に値する価値観であった。
僕は梨香子と結婚するために貯金をすることにした。そのために就職をすることにした。伝道師として教会でも働くが、いかんせん教会が小さいがためにスタッフに給料なんて渡せる余裕はない。日本の教会は大抵何処もそんな感じである。
なので、僕は就職をするのだ。分かりやすい形で人の役に立てる仕事が良かった。
高卒で無資格の僕がそれを出来るとすれば、それはやはり介護の仕事だろう。
早速ハローワークへ行き、仕事を探すと、障がい者支援の就労支援B型の施設(サポーター)でのスタッフの仕事に目が留まった。まさしく、これは自分が最もやりたいもの。
僕はこの世において力無き者に献身的に仕えたかった。それでいて、自立してこんな外見も中身も容姿端麗の彼女と結婚が出来るのならば、最早僕の人生言うこと無し。自立が出来て、人に仕える。それだけで十分、だとは思えなかった。欲に忠実な僕はどうしてもこの世においての地位と名誉を確立したかった。僕は自分という存在を世に示したかった。どうしてこれほどまに自己顕示欲が強いのか。
それはそうと、早速面接に行き、僕は包み隠さず、自分は昔薬物依存だったけど、更生施設でクリスチャンとなり、回心した。僕は生涯、人の役に立つことをしたいと話すと、その情熱が通じたのか、即採用となった。
そこで半年程頑張っていた。情熱を持って仕事をこなしていたが、頭の中に常に疑問符があった。果たして、これが本当に自分のやりたいことなのか。
この仕事が楽しいと思っていた。思い込んでいた。
それは経済的な自立をし、立派な大人となることで親孝行をするため、そして理香子との結婚のためにはそう思い込んで続けなければならなかったのだ。
そうして、いつの間にか精神的に疲弊していることを自分で気づいていなかった。
職場に入る時の挨拶の時点から僕は演じっぱなしだった。
どのぐらいの声のトーンで挨拶をするか、ウットオシイと思われない、ほどほどの明るさ。ほどほどの人との距離。全てを計算して演じる僕は、そのうち、素面では耐えられなくなり、まず酒に手を出した。酒の量は日に日に増えていくが、酒よりも素面を無くせて尚且つ仕事も出来るものを知っていた。精神安定剤だ。そうして僕は心療内科に行き、不眠と鬱を口実に処方薬を貰い、仕事中も常に乱用することになった。
一度外れたタカは留まることを知らず、すぐに心療内科を掛け持ちをするようになり、しまいには非合法なクスリにも手を出す始末であった。
次第に様子がおかしくなった親が僕に注意喚起をするようになるが、僕は聞く耳を持たなかった。素面ではない僕は、理性が外れ、欲に忠実になる。僕の大きく抱えこんでいる欲と言えば、自己顕示欲から来る名誉欲と、そして性欲だ。
酩酊状態の時、名誉欲を手にすることは出来ないが、性欲を満たすために女に言い寄る度胸がある。そうして僕は職場にいる若い女性に手を出した。
1人、2人と手を出し、しまいには過去に関係があった友達もSNSを利用して探し出し、そうして、過去の女性とも手を出すことになった。悪いこと程上手く事が運ぶのは何故だろうか。それはすぐに親、牧師、理香子にバレることになる。
そして里香子とは別れ、薬に手を出し浮気をしてしまった自分の罪深さからのショックで職場を退職した。これからの人生がやっと真っ当な光の道を歩めると思ったのも束の間、また僕は同じ結末を繰り返してしまったのだ。
僕はやりたいことがあった。しかしそれは地に足が着いていないと思われるようなことなので言えなかった。それは、作家を目指すということだ。
神学校時代、夏休みになんとなく書き上げた自伝が思いのほか、絶賛され、その時から僕は自分の使命とは、物書きを続けていくことなのではないかという思いを秘めていた。
親に少しばかりのサポートをしてもらい、そうして作家を目指す。せめて1年はサポートをしてもらいたい。それでもまだ作家になれていなかったら、その後は自分で生活費を稼ぎつつ作家を目指すという旨を母親に伝えた。
僕は反対されるのを恐れていた。しかし母は言った。今まで聴いた言葉の中で、最も優しい口調で僕に言った。
「いいよ。作家目指したらいいやん。お母さんは幸太にクスリをしてもらいたくないだけやで。幸太、好きなようにしなさい。お母さんは応援してるよ。お母さんはいつも幸太の味方やで」
早く自立しなくてはいけない。それこそが親孝行だと思っていた僕にとって、まるで肩の荷が下りた言葉だった。ある人は甘いと言うだろう。しかし今まで僕に義務を押し付けてきた母にとって、それは大きな変革の愛だったのだ。
そうして僕は初めて『しなければいけないだけ』の義務から解放され、『したいこと、そしてするべきこと』である使命の道を歩むことが出来たのだ。
それからといふものの、僕は作家になるために、ひたすら書き続けている。それが駄文であっても、連ねていくうちに名文へと変わっていくことを信じて。
そうして、今の僕がいるのだ。そうして、明日の僕も在るのだ。
――ベートーベンが死ぬ間際、その日は台風だった。
ちょうど、彼が後もうちょっとで死ぬって時は台風の目の中。静けさが漂っていた。
しかしその時、雷がピカッと光った。それと同時にベートーベンは目をカッと見開き、腕を天に向かって突き刺して、言った。
「諸君、喜劇は終わった。喝采せよ」
一部脚色はあるであろうが、最後の言葉は僕のお気に入りだ。
確か遺書を書き終えた後に連れ添いの者達に対して「諸君、喜劇は終わった」と言っていたような気がする。どちらにせよ、その言葉は確かに言ったはずなのだ。
まどろっこしい意識の中、ベートーヴェン: 交響曲 第5番「運命」が僕の頭の中ではっきりと聴こえていた。
雨は上がり、太陽の光がカーテンの隙間から僕の部屋に申し訳なさ程度に差し込んでいた。
ベッドから起き上がり、カーテンを開けると、カーテンを開けた時のスッキリした音と共に、部屋中が光で満ちた。胸の高鳴りを覚え、悪しき存在の全てが淘汰され、素晴らしい存在で全てが満ちていくのを感じた。善く、美しく、優しく、穏やかで、安らかで、喜びで、爽やかで、全き愛が、二者択一が出来るうち、人が本質的に求める方の全てで、僕の世界が満ち満ちていた。
僕はしばらく途中の小説を書き上げ、完成をするとプリントアウトし、A4の封筒に入れ、ノリをふんだんに付け、指で何度も擦り合わせ、頑丈に閉じた。
そしてもう一つの洋封筒に手紙を入れた。
その二つを手に持ち、部屋の中で乱雑に転がっている荷物を全てバックパックに入れ、僕は教会を飛び出した。朝の冷気が僕の体を硬直させる。いつの間にか白い息が出る季節になっていた。いつも、ほとんど同じ時間に出ているのだが、街ゆく人々はいつも見慣れない人ばかりの気がする。おそらくそれは普段、気に留めていないからだろう。今日からゆっくりと観察してみよう。きっと大方は毎日すれ違っている人のはずだ。習慣性の強い人間なんだから。
僕は駅前のポストに二つの封筒を入れた。入れた瞬間からこの封筒が僕の目当ての人のところへ届くのを想像し、期待感で胸が少し膨れた。
階段を上がり、改札口で定期券をタッチし、ホームへと歩く。
ホームで電車を待つ人々を見渡してみる。混んだホームに居る人のそれぞれが今日行くべきところへ行くのだ。大半の人はおそらく、意気揚々と行くわけではないだろう。惰性と義務で行くのではないだろうか。今、この瞬間、幸せを感じている人は一体このホームに何人いるだろうか。一人でも多くが幸せを感じていて欲しいと願う。
制服を着た中学生が、居た。長い前髪を地面に垂らし、俯いている。
その雰囲気はまるで自分の中学生の頃にそっくりじゃないか。彼はホームの一番前に居て、僕はなんとなく少し異質な彼を観察したいと思い、彼の横の列に並んだ。
他の人が携帯を観たり、新聞を観たり、首を動かしたり体を動かしている中、彼は微動だにしなかった。そんなに学校に行くのが嫌なのだろうか。それにしても、学ランを着て電車に乗るのはなんだかあまり見慣れない気がする。中学校から電車通勤というのも大変なものだ。
しかし、今の今まで僕はこの駅で、朝に、学ランを着た者を観たことがあっただろうか。
その時、僕はなんだかドスンと黒いモノが胸を少し打った。それは彼に対する違和感と彼の陰気な雰囲気が、僕の潜在意識に反応し、そしてこれは敵意するものだと感じたからなのだろうか。他の人たちは、みんな彼に無関心だったが、僕は彼から目を離せなかった。
どうしてみんな、彼の違和感を感じないのだろう。みんなが鈍感なのか、それとも僕が神経質過ぎるのか。おそらく、神経質過ぎるのだろう。彼は学校が嫌でたまらなくなって、何処かへ行こうとしているような気がする。学ランで通勤している者を僕はこの駅で観たことが無いのだから。彼は此処では無い何処かへ気晴らしに、おそらく突発的に行こうとしているのだろう。僕も中学の時は良くあったことだ。しかし惰性と義務から抜け出す勇気が無く、突発的に何処かへ行くことは無かった。そんな発想をする程、心に余裕が無かった。
それを思うと、彼は中々勇気があるのかもしれない。
しばらくすると、踏切の音が聴こえ始め、そうして、ブツンッとスピーカーが入る音が聴こえた。駅員が告げる声。間もなく、2番線に、電車が通過いたします。危険ですので、黄色い線の内側……
そこまで聴いた時、僕は背中の方から寒気がやってきて、胸が大きく高鳴り、僕の全てが何かに対して全力で嫌悪した。危険?僕はすかさず全神経を学ランの彼に注いだ。
彼は未だ、微動だにしていない。しかし僕は彼から目を離せなくなった。
自分の第六感的な何かが反応している。勘違いであることを願う。踏切の音が、僕の恐怖を増幅させる。電車の音が近づいてきた。僕は冷や汗をかいている。
電車はホームに差し掛かる寸前まで来た。
そうして、一瞬だった。何の予備動作も無く、学ランの彼は足を前に出し、地面をおもいっきり蹴り上げ、全てを捨てて、そして全てを諦めた決死の覚悟とも言える、彼の全てを注ぎこみ、線路へと飛び立った。
それは勇気とは言えない、と思った。誰もがまだ何が起こったのかを察知していない時、僕には一寸の迷いも無く、彼が線路へと着地をしたと同時に、線路へと走り出した。
そうして黄色い線まで行くと僕も線路へと飛び込んだ。ここいら辺りで他の人たちは何が起きたのかをようやく察し、ホームに女性の叫び声と、男の怒声が混じったどよめきが起こった。
線路へ着地し、立とうとしていた少年は、僕が線路へ走り去ってくるのを見て、死ぬ程驚いた顔をしていた。今から死ぬって時に、死ぬほど驚いてどうする。
電車の音が容赦無く、近づいてくる。僕が線路へ飛び込み、着地すると、少年は小さくヒッと悲鳴をあげた。線路が揺れ、地響きが聴こえる。僕は少年を抱きしめると、そのまま彼を、これが火事場の馬鹿力というやつか、少年をそのままホームの方へ狙いを定め、頭の血管がブチ切れる程に渾身の力を籠め、それは31年間で最も強い力で、そうして僕はその時、友達に「幸太は本当に、低燃費で動いてるよな」と言われたことを思い出し、今まで僕がいつも力を温存して、出来るだけ力を入れずに生活をしてきたのは、この一瞬で温存してきた全ての力を出し切るためなのではないか、などということを思った。
グウウウという叫びに近い唸り声をあげ、少年をホームへと投げ飛ばした。ホームに居たみんなが、少年を黄色い線の内へと引きずった。僕はそこに愛を感じ、喜びで満たされた。
電車は既にホームに侵入し、今でに聴いたことの無い程の警笛が鳴り響いている。僕はもう間に合わないことを知っていた。そして、それでも良いと思った。電車は、もう目の前だ。
危機的な状況下で、時間の経過を遅く感じる、スローモーション効果というアレ、本当らしい。今ちょうど、経験をしている。警笛と一緒に聴こえてきたのは、その場に全く似つかない、ドピュッシーの『月の光』だった。ある時、理香子が家でドピュッシーの月の光を弾いていた。
僕はその音色を聴きながらその場に立ち尽くしていた。
弾き終わった理香子は、僕を見て、驚いていた。
「どうしたの?」
と理香子は聴いた。涙でびっしょりと濡らした顔で僕は、分からない、と答えた。その後に、でもたぶん、切なくて、好きだからだと思う、と言った。
分からないことは、たくさんあった。いや、ほとんどのことは分からなかった。
でも、そうであって欲しいということと、僕が生涯をかけて信じていることはあった。
少年と目が合った。涙を出さずに号泣している目だった。
僕は笑いながら気にすんなってと言いたかったが、それだけの時間は残されていなかった。
僕の作品がどうなったかの結果を知る必要は無かった。何故なら、全てを出し切ったのだから、そのための生だったのだから。そして彼を救うための生だったのだから。だからこれ以上望むものは何も無いのだから、もう、必要は無いのだ。
なんだ、思いのほか、最高のエンディングではないか。
友よ、これを悲劇だなんて言ってくれるな。
これ以上の素晴らしいハッピーエンドは存在しないではないか。天国に良い土産話が出来たもんだ。
かくして、僕は最高のフィナーレを迎えたのであった。
諸君、喜劇は終わった。喝采せよ。
一瞬の後、暗闇、でも、すぐにまた、光。
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホによろしく