妄想遊戯

確かにまだ17歳。しかし17年間春夏秋冬を繰り返し、何人もの人間に出会っていれば、その中にあるどうしようもない虚無的な何かがあることが分かる。
僕は人一倍それに敏感だから気付いているだけだ。
みんな『どうしようもない虚無的な何か』を必死で埋めようとするんだ。
嗚呼、『どうしようもない虚無的な何か』を埋めるだけが人生なのだ。
僕はそう気付いてしまった。気付いてしまったからこそ、もう取り返しの付かない。
忘れようとも忘れることは出来ない。気付かないほうが、知らないほうが良いことも世の中にはあるもんだ。僕は知性よりも野生を。賢者よりも愚者になることを激しく望む。
「最後に、笑ったのはいつだっけ?」
遠い空に向かってそう呟いてみた。河川敷から見える夕暮れの夕焼けは見事なまでに美しく、僕の心をセンチメンタルなハートにしてくれる。
「嗚呼、世界が明日終わるとしたら、僕は力一杯笑いたい。この生に対しての絶望を」
と言ってみた。決まった。最高に切ない美だ。最高に、儚い退廃的、美だ。
「アホじゃん?昨日ここで下卑た笑み浮かべてたよ?」
という冷えに冷えきったような声で後ろから比較的大きな声で言ってきた。
はっと振り返る。
同じクラスの高岡ツグミだ。
こいつはいつも僕の雰囲気をぶち壊してくれる中学からの同級生。

僕は退廃的美を追求しているというのに、ツグミはそんな僕をたったの一言で気取ったアホなピエロに仕立て上げる。
どれだけクールにイカしてみても、誰か1人がバカにする冷めた一言を発すると、それは笑いの的となってしまう。
ベートーベンは死ぬ間際に「諸君、喜劇は終わった。喝采せよ」
と言ったらしい。
彼は自分の決して喜劇とは言えない波瀾万丈な人生を喜劇だと言ってのけたのだ。
彼は自分の人生を皮肉ってみせたのか。或いは本心からコメディだったと思っていたのか。
つまり人生はコメディだということか?実際、ツグミの一言によって僕の創りあげた退廃的美は一気にコメディに変わってしまった。
「なんだよ、河川敷に架かったこの夕焼けの美しさをお前は分からんのか?」
「それは分かるよ。でもあんたがさっき言ってた発言はアホまるだしだよ。恥ずかしすぎる。そしてダサ過ぎる。いや、恥ずかし過ぎるからこそダサすぎる。ダサすぎるからこそ恥ずかし過ぎる。陳腐中の陳腐。どうしてそこまで自分大好きになれるわけ?ねぇねぇ」
と言って僕のブレザーをぐいぐいと引っ張ってくるツグミ。
「俺はお前がどうしてそこまで人をバカに出来るのか知りたいよ」
「べつに馬鹿に仕立てあげているわけじゃないよ。バカにバカって。自己愛性人格障害にナルシストって言ってるだけだよ」
「もう、知らん。お前無視な」
と言って僕は早歩きで帰路へと向かう。河川敷の夕焼けも台無しだ。
しかしツグミはそんな僕をおちょくってくるのだ。
「ねぇ、あんた太宰好きって言ってたじゃん?太宰とあんた似てるよ。太宰は悲劇を気取ったナルシズムだからね。駄目過ぎる自分に酔いしれてるという救いようのないバカよ奴は。何度も女と心中してそしていつも自分だけが生き残って。顔も2流だし。ちょっと文章に長けていただけのバカじゃん」
2流じゃない。太宰は男前だ。
早歩きで帰る僕に対してツグミは歩調を合わせて僕の横から僕の顔を覗きこむようにして嫌味ったらしい口調で喋り続ける。
「太宰なんかより芥川龍之介のほうがよっぽどイケメンだし、よっぽど人間の残酷さに対して鋭く描写されてるよ。そして彼は何よりも自分に酔ってない。ただひたすら人間の罪を残酷に表現している。それに彼のフィアンセに送った手紙なんてホント素敵。それに対して太宰はタダの気取ったクズよ」
そこまで言わんでも。僕は泣きそうになった。太宰のために涙を流しそうになった。
太宰が浮かばれない。彼も自分の罪と戦って苦しんでいたはずなのに。
この女、鬼過ぎる。
ツグミは息切れしながらもまだ喋る。
「あ、あんた今泣きそうなってるでしょ?何?高校生にもなって女に泣かされて。情けないと思わない?」
僕は思わず立ち止まった。
「なんでそこまで言われなあかんの?」
と肩を震わせて震える声で言った。
「あんたがキモいからストレス解消よ」
と言い放ちツグミはそのまま先を歩いていった。
なんという女だろう。一体彼女はどうしてあそこまでひねくれてしまったのか。
親の責任か、学校の責任か、社会の責任か。
否、全ての流れは社会にある。国家自信が今の世代を創りあげているといっても過言ではない。しかし、全ての責任は一個人にあると僕は思う。
影響はあるが、責任は個人だ。
僕も太宰に影響された。しかし太宰に責任がある訳ではない。影響された僕に責任がある。
選んだのは僕なのだから。
例えば殺人系のゲームを好き好んでプレイしていた青年が殺人を犯したとしても、責任は青年にある。殺人系のゲームの責任にするのは責任転嫁である。
『助長する何か』なんてあげだしたらキリが無いぞ。
そんなことを気にするようになればしまいにはこの世から芸術の類と娯楽の一切は無くなってしまう。だけども、事実、殺人系のゲームは殺人を助長はしているのだ。
見境なしに殺人をするゲームなど、倫理に外れた行為を行い、それで良しとするゲームや本、漫画、映画などは規制するべきであろう。
だから娯楽にも芸術にも規制は必要なのだ。リベラルの行き着く先は秩序の崩壊だ。
何に対してもバランスというものが必要な訳である。
などと考えながら家に着く。
安全ピンの形をした赤いキーリングをブレザーのズボンのベルトループから外し、マンションの鍵を手に取り、軽く上に放り投げて、キャッチをしようとするが手元が狂い地面に落とした。
周りを見当たし、誰にも見られていなかったことを確認し、颯爽とオートロックを解除する。
こういうところがおそらく人生が喜劇なんだろう。人生とはこういうドジの積み重ねなのかもしれない。そして、格好付けて失敗したところをたまに誰かに見られるのだ。
それはとても悲惨なことだ。
僕は夕飯を食べ、部屋に篭って難しい本を難しい顔をして読んでいた。
僕は難しいことが好きなのだ。僕はきっと難しい生き物なのだ。
僕の本棚は上段は日本文学、ロシア文学、下段にはドープな漫画の数々で埋め尽くされている。
これが僕のアイデンティティだ。おそらく僕は誰よりも難しい人となるだろう。
難解な問題を解き明かしていき、そしてノーベル賞とか取るような、そんな人になるだろう。などと考えながら、スタンドの電気を消す。一瞬にして暗闇。そして一瞬にして朝日。
人生はこれの繰り返し。
小鳥の囀りと4月の薄寒い気温。窓辺から、ぼんやりと、朝日。
僕はいつもアラームが鳴る2、3分前に必ず起きるのだ。
アラームに負けたくない一心なのだ。しばらくすると金属を物凄い速さでぶっ叩いたような耳障りなアラーム音。僕は唸り始めた置時計を右手で払い落とし、騒音を止め洗面所にて顔を洗い、歯を磨き、髪の毛を水で濡らし適度のセットを施し、ブレザーを着て、リビングに降りていく。ご飯は食べていかないの?という母に向かって時間が無いと言う。これはもはや、いってきますの代わりのあいさつと化している。
外はまだ寒くて僕は短く震えた。朝の冷たい空気をゆっくりと吸い込んだ。
僕の肺は冷たい空気で満たされる。
―― 私立佐久間高校。森山駅から徒歩10分。僕の自宅から徒歩20分。中学から大学までエスカレート式の有名私立だ。僕は中学から佐久間高校の世話になっている。
2年B組。僕のクラス。講壇から一番後ろ、そして入り口のドアから一番離れの窓際の最も存在感の薄い席が僕の席だ。
これは僕が望んでいた席であって、僕がチョンボをしてゲットした席でもある。
方法は実に簡単だ。クラス長の山田がクジで席を決めると決定した。
そしてクラス長山田はクジの箱に工作をした。
この席の番号のクジを箱の右横の壁にテープで貼り付けて置いた。
そしてそれを知っているのは僕だけ。

僕がクジを引く時にテープを剥がし、そのクジの番号を引く。
僕はクラス長の山田を5000円で売っただけだ。
クジで席を決めると提案したところから既に僕とクラス長の山田の裏工作が始まっていた。
これで1年間ずっと僕はこの席を確保することが出来る。
僕はなんだかこの悪事をやり遂げた時に、とても狡猾でクールなことをしているようで(実際そうなのだ)テンションが上がり、前歯がやけに出ていて細い目をしてキキキッと気味の悪い下品な笑みが特徴のクラス長の山田に「お主も悪よのう」と言い、それに対してクラス長の山田は「お代官様には叶いませんわ」と言い、僕達はククク&キキキと笑いあった。
クラス長の山田は越後屋止まりの器である。
ところで、朝の教室はみんな寝惚けている。テンションはそれなりに低い。
教室までも寝惚けている感じがする。いや、実際寝惚けているのだ。
これは僕の推測だが、恐らく無生物は生命体の影響を受けている。特に人。
水の結晶は人の話す言葉の類によって美しくなったり醜くなったりすると本で読んだ。
毎日、「ありがとう」という言葉を話しかけた水は綺麗な結晶で、飲むとおいしいのに対し、毎日、「バカ」と話しかけた水は汚い結晶で、まずいのだ。
確かテレビでやっていた。テレビでやっていたから本当に違いない。
その番組ではちゃんと実験もし、結果も出ていた。間違いない。
おそらく今のこの教室はこの寝惚けた愚民どもの影響を受けて、空気がそのように変化したからこそ教室の視界もぼんやりとしているのだろう。
実際、先生が怒鳴り、皆が静まり返った時は空気がピンッと氷のように固まっている。
ピシピシッキィーンと音が聴こえてきそうだ。いや、実際聞こえている気がする。
そして、ざっとこのクラスにいる者どもを観察してみよう。
昼過ぎよりも言葉数が少ない者と昼過ぎと言葉数が変わらない者とで別れる。
低血圧とそうでないものはこれで大方区別が出来る。
そして低血圧の奴に、朝にはあまり話かけないほうがいい。
チラホラと生徒がのそのそと教室に入ってくる。
朝の動きはみんなスローだ。昼になるに連れてスピードは上がっていく。
学校が終わる頃にはまるで朝の動きを早送りしているのかにまで快速になっている。
愚民どもの特徴だ。
僕のすぐ右隣りの席にある小説を机に突っ伏して体たらくな姿勢で読んでいる輩がいる。
2年になって3週間ほどが経つが、奴とはあまり話をしたことがない。
僕が奴と距離を置いているからだ。
奴は1年の頃から無駄に知名度が高い。僕は奴を蔑んでいる。
それは奴がいつも読んでいる小説があまりにも低俗過ぎるからだ。余りにも、余りにも。
そう、奴の読んでいる小説はあの知性の欠片も無い、幼稚極まる、何の真理の深みも無い、ゆとり教育の生み出したシロモノである「ライトノベル」を読んでいるのだ。
茶髪のアホは、そのロクでもない、日本の学歴低下の象徴である本と呼ぶには余りにも、余りにも……
僕は小さく唸った。
「ねぇ、たっちゃん。何読んでるのぉ?」
そこに色目を使った茶髪の売女が猫撫で声で詰め寄って来た。
「ん?あぁ、これ小説」
「えぇ~小説なんて読んでるのぉ?たっちゃんすごぉい。賢ぉい」
吐き気がする。白痴ノベルなんてどんな阿呆でも読める。
どうしてこんな愚かを絵に描いたような茶髪がモテるんだ。
僕のほうがよっぽど難しい本を読んでいるというのに。あんなの子供の絵本じゃないか。
いや、小学生の夏休みの絵日記だ。
これが日本を駄目にしたB層という愚民中の愚民どもだ。
コペルニクスが地動説を唱えた時、無知な学者どもは彼を嘲笑った。
そう、いつの時代でも高貴な真実は支持を得ない。
実際それはバレンタインデーに統計が出ている。
奴はバレンタインデーにおびただしいほどのチョコを貰っていた。
僕はというと、1つだ。いや、それは嘘だ。0なのだ。
帰る途中にいつもの河川敷でツグミと出会い、ツグミは恥ずかしそうにモジモジと体をくねらせながら、下を向き「あの、これあんたに……やるよ。今すぐにここで開けて欲しいの」
と言って、僕に比較的大きめのハート型のチョコをくれたのだ。
僕は天地が逆さまになったんじゃないかと思ったほど驚嘆した。
僕が震える手で受け取るとツグミは走り去っていった。
僕はツグミの言われた通り、今すぐにここで開けた。
手紙でも入ってるんだと、そしてそれはラブレターであり、これは本命のチョコであることは犬が西向きゃ尾は東、と言えるほど間違い無いことである。
僕は箱を開けようとしたが、なんだか、箱が何かに引っかかっているように固くて違和感を感じた。
しかしそんなことは何の気にもせずに、これから僕とツグミの高校の青春、ラブストーリーを思い描きながら、箱を勢い良く開けた。
開けたと同時に次はビッグバンが起きたかのように驚いた。いや、実際ビッグバンに似たことが起きたのだ。
箱はボンッと音を立てて爆発し、僕は顔から全身真っ黒のべとつく甘ったるい液に塗れた。
ツグミとの恋愛ストーリーはお互いが社会人になり、婚約指輪を渡すところまでいっていたが、一気に全てが吹き飛んだ。
なんという手の込んだ悪戯だろうか。
ポジティブな愚民はこれを気があるからこそそこまでするんじゃないかと思うだろう。
しかし、違う。実際このイタズラは危険過ぎる。僕は顔に少し火傷を負った。
火傷を負ったんだ。僕はその場で「酷い、酷すぎる」と叫び、大泣きをした。
ツグミのこのイタズラは完全に悪意なのだ。僕でストレス解消をしているだけなのだ。
まぁそんな話はどうでも良いのだが、とにかくこの茶髪、遠藤達也は女に人気がある。
それもそのはず、まず顔はジャニーズ系。髪の毛はサラサラで茶髪。(馬鹿な女は茶髪でサラサラが好きなのだ)身長175センチ。スマートだが筋肉がある。俗に言う細マッチョ。
そして部活はサッカーでフォワードでかなり活躍している。
成績は学年で常にベスト10以上に入るほどの優秀さ。
いつも奴の練習風景を取り巻きの女どもがギャースカパースカと騒いでいる。
僕は負けじと抵抗してカバンの中からショーペンハウエルの「存在と苦悩」の本を取り出し、読み始めた。
この本の内容は生の苦悩を説くと共にその救済を芸術と宗教に求めた哲人の珠玉の短文や警句の数々が書かれている非常に有益で崇高な本なのだ。馬鹿女どもには分かるまい。
「たっちゃん、その本なんて言うやつ?」
違うギャルギャルしい女が達也のところにきてそう言っている。
ギャルギャルしい女は僕に一瞥もくれない。当然だ。住む世界が違うのだ。
次元が違うからきっと僕のことは見えないのだろう。
2次元の奴は3次元を見ることは決して出来ない。
しかし3次元は2次元を見ることは出来る。僕が漫画を読むが、漫画にいる人間は僕を見れないのと同じ原理だ。
と思うと心がすっとして少し落ち着いてきた。
遠藤は面倒臭そうにギャル馬鹿女に言う。
「これはなぁ、『俺には実は妹が50人いた』っていう本だよ」
えーやだー面白いタイトルー超ざんしーん。なんて騒いでやがる。
僕は顔面の右上辺りがヒクヒクと痙攣していた。なんというふざけたタイトルだ。
どうせ作者のような冴えないクズみたいな主人公があり得ないほどのハーレム化状態してるような感じのストーリーなんだろう。
今の貴様のようにな。
「前はあたしが貸してあげた吉田花子の憂鬱っていう本読んだんだよね。たっちゃん」
とまた別の太り気味の馬鹿女が二人の馬鹿女に視線を送りつつ、勝ち誇ったような笑みを浮かべて後ろから詰め寄ってきた。馬鹿女は鼻息荒く遠藤を後ろから舐め回すかのように下品極まりない顔で遠藤を見つめている。可哀想な遠藤。
遠藤を中心に三角の形で取り囲み、お互いがお互いに牽制しあい、火花を散らしていた。
朝から穏やかじゃない。イケメンあるところに戦争あり。
見てみろ、僕の周りはなんて平和なんだろうか。
僕のせいで殺し合いは始まらないが、遠藤のせいで殺し合いは始まる可能性を秘めている。
ところで、押井守はこう言っていた。
『僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで『表現』の体をなしていない』
遠藤の読むラノベなんてまさにその通り、コピーのコピーのコピーでしかなくて斬新なんて口が裂けても言えないものだと言うのに。
というか貴様はそんな小説を読んで楽しむ権利は無いぞ。
現実世界でもモテているのだから妄想に耽る必要もあるまい。
なんなんだ一体。ラノベを読んでいるだけでも非常に腸が煮えくりかえるというのに。
おまけに奴はラノベの世界から飛び出てきたようなボンクラではないか。
僕はもう血管が切れて脳味噌とかパァーンと弾けてしまうぐらいキレそうだった。
そうなればそれでいい。隣にいる馬鹿女どもに僕の血液や肉片が飛び散り大惨事となること請け負いだ。
「あのなぁお前ら。そんなに周りで騒がれたら本読めないだろぉ」
と溜息をつくバカ也。
おお、羨ましい悩みだこと。僕なんて誰にも邪魔されずにまるで透明な存在かのようでおかげで本がスラスラと読める。
お前は女子どもに邪魔をされて勉強が疎かになり将来はコンビニ店員。
僕は誰にも邪魔されないおかげで勉強がはかどり、将来は官僚だ。ザマーミロ。
なんて言ってみるがやはり虚しさは隠せなかった。本当は僕も女に囲まれたい。
馬鹿女でいい。一度で良いからハーレムというのを体験してみたい。
実は妹が50人等といったタイトルのライトノベルはそういう夢を叶えた小説なのだろう。
だから人気があるのだろう。それはあまりにも哀れな妄想を小説にしたものではないか。
それに満足する輩の気持ちがどうしても理解出来ない。
それでいいのか?若者よ。小説の中の妄想止まりで良いのか?もっと大志を抱けよ。
と言いたくなる。
僕はそんなに開き直って妄想小説を読みながら涎を垂らしている情けない男になることは出来ない。
かといって遠藤のようにもなれない。まさに存在と苦悩だ。
はっと気が付くと、遠藤達也は椅子ごと僕の真横に来て本を読んでいる僕の顔を覗きこんでいた。
僕はどきりとした。
「な、なんだよ?」
遠藤は眉間に皺を寄せてこう言った。
「なぁなぁ、その本面白いの?」
僕は鼻で笑った。
「遠藤、楽しいかどうかじゃない。僕はもっと深いところを追求してるんだ」
「深いところって?」
「真理だよ」
「真理って何?」
「たった一つ。この世の真実みたいなやつだよ」
「それは何なの?」
「まだ分からないから本を読んでそれを学んでいるんだ」
「今わかってることは?」
「それは一概に言えるものじゃない」
「簡単に言うと何?」
「真理は簡単じゃない。難しいんだ」
「じゃあ難しく言うと?」
「難しいから一概に言えないだろう」
遠藤は僕を質問責めにしてくる。一体なんなんだこいつは。
「まぁいいや。俺も本が好きだから仲良くしようぜ。俺の持ってる本貸すから良かったら読んでみてよ」
と言いながら遠藤は僕にタイトルから、その表紙からまんまライトノベルの本3冊を笑顔で僕の机に置いてきた。
なんだこいつむっちゃいい奴じゃないか。なんか、ごめん遠藤。
困った。僕は遠藤を憎悪の的にしようと思ったのに。
今はただ、自分の偏屈さに穴があったら入りたい気分だ。
ライトノベルを僕が読むなんて大嫌いなピーマンを丸かじりするようなものだが致しか無い。社会見学も交えて読んでみることにしよう。
「あ、ありがとう、遠藤。読んでみるよ」
と僕は緊張のあまりロボットのような笑顔を造って言った。ウィーン、ガシャ。
遠藤はニカッと少年のような無邪気な笑顔を見せた。こいつ絶対めっちゃいい奴。
僕はなんだかとても嬉しくて、帰りしなに二宮金次郎のごとく遠藤が貸してくれた本を読みながら帰っていた。
ちなみに僕の名前は二宮一郎だ。『覚えやすい名前№1』として高校1年の時になんでも格付けランキングで載ったことがある。
しかし『イケメン』と『セクシーな男』にはランクインしなかった。
その代わり『前髪がウザい男』と『面倒臭そうな男』はナンバー・ワンだった。何にも代わっていない。しかし僕は3冠を取っていることに変わりはない。
ちなみに遠藤は『イケメン』と『爽やかさ』と『付き合いたい男』のナンバー・ワンの3冠の何の面白みも無いバカヤローである。
僕の3冠のほうがよっぽど面白い。
それと、関係は無いがツグミは『ぶっ飛んでる女』と『何を考えてるか分からない女』と『実は博学な女』ナンバー・ワンの3冠で『可愛い』では№6だった。
不思議系という部類に入るのであろうか。ただのイカレ系の気がするが。
などと考えていると後ろからタッタッタッと駆けてくる誰かの足音が聴こえた。
噂をすれば。噂をすると言っても僕の脳内での独り言なのだが。
夕方の河川敷で後ろから来る奴は1人しかいない。
僕はまだあの女の昨日の言葉を赦していない。赦せば太宰が浮かばれない。
だから無視することにした。何を言われても無視しよう。泣くまで赦さん。
駆け足音は近くなってくる。僕は何にも気付かないフリをして小説を読んでいた。
僕の間近までその駆け足音が聴こえてきた時に、いきなり後頭部に衝撃が走った。
ガゴォと耳の奥にまで響き渡るような鈍い音。
一瞬何が起こったのか全く分からなかった。僕は前のめりに倒れそうになり、読んでいた小説は手から離れ、地面に落ちた。
頭を抑えて後ろを振り返る。ツグミがカバンを僕の頭に振り落としたと分かった。
ツグミは腹を抱えて笑っている。こいつはもう、事件だろ。警察呼ぶか?
「何するんだ!」と僕は声を荒らげて叫んだ。
ツグミはヒィヒィと笑いながら言う。
「だって、あんた、あれだけラノベ馬鹿にしてたくせに、ラノベ読んでるんだもん。ヒヒッ……お腹痛い……あたしを笑い死にさせないで」
こいつは一体何処までイカれた女なのだろう。道理の欠片も無い。
僕は震える声で答える。
「カバンで後頭部おもっきり殴って笑い死にするほどのことじゃないだろ。ホントお前メチャクチャな奴だな。お前の頭の中をパカッと割って脳味噌を覗きみたいよ」
「エッチ!変態!ストーカー!人殺し!猟奇殺人!」
とツグミはさっきの笑っている姿とは打って変わって真顔でそう叫んだ。
僕は焦った。辺りを見回して声を潜めていった。
「おい、何言い出すんだよ。そういう意味じゃないって」
「あんたこそ滅茶苦茶じゃん。いつもラノベはクソだ。日本の恥だとか言ってたでしょ」
「いや、これはだね、俺の席の隣の遠藤ってやつがさ、ラノベ読んでて俺も最初頭の中で馬鹿にしてたんだけど、なんか話してみたら凄いいい奴だったんだ。そして貸してくれたの。いい奴だから読んであげないといけないと思って」
「訳の分からない言い訳ね。あんた遠藤みたいな勝ち組の中の勝ち組に好意持たれて嬉しいんでしょ?あんたのような劣等感のある人間にありがちパターンだよ」
僕は眉間に皺を寄せて顔を赤くして言う。「うるさい。俺は負けてるなんか思ってないわ。俺のほうが深い思考力を持ってるわ。アホボケカス」
「違う違う、あんたが文学青年気取ってるのは、無理して難しい本を読むのはコンプレックスでしょ。そして自分は人と違うと思いたいのよ。自分で陳腐だと気付いてない陳腐な人種よ」
僕はツグミから顔を逸らして無視をすることにした。
「はい、図星~」
とツグミは歌うように言った。
その後、河川敷を終え、途中で別れる交差点のところまでツグミは僕を挑発してコケ落とす発言をずっとしていたけど僕はひたすら無視して小説を読んでいた。
でも僕は半泣きだった。
「あ、今日は泣かなかったんでちゅねー偉いねー。おうち帰ってママに慰めてもらいなちゃい」
とぬかしてツグミはいつもと同じ別れ道で自分の家のほうへと向かって帰っていった。
僕はそのまま家に帰っても読みつづけ、夕食の時も読み続けた。
本を片手に夕飯のサンマを突く僕を見て溜息をついた母。
「あんたねぇ、ご飯食べてる時ぐらい漫画読むのやめなさい」
「これはライトノベルというジャンルの小説だよ」
と訝しげに言った。
「漫画みたいなもんでしょ」
とやれやれといった顔で言う母。
否定出来ない。というか本当はライトノベルなんて読みたくない。
遠藤がいいやつだから調子を合わせて読んでいるだけだ。
まだ毛嫌いしている。しかし面白いことは面白い。読み応えはある。
しかし、やはり稚拙に感じる。僕のプライドだろうか。分からない。
まぁ読みやすいということは稚拙なのだ。そして悪文も多い。
しかしライトノベルの定義はなんだろうか。いまいち決まっていない。
それはヴィジュアル系と似たようなものではないだろうか。
抽象的、曖昧、YESかNOかはっきりしない、グレーが好きな日本独特の文化が産んだモノだろう。
僕はそのまま自分の部屋へ戻り、ライトノベルを読み耽た。
ライトノベルごときの小説は一日で読まないと文学青年の名が廃る。
深夜2時までかかり、3冊を読破した。
ライトノベルに圧倒的勝利を遂げた気分だった。
文学青年を舐めるなよ。と今しがた読み終えたライトノベル本に向かってボソっと言ってみた。
そしてベッドで横になり、スマホをぼぅっといじりながらうつらうつらしていると、いつの間にか眠りに堕ちていた。

――見渡す限り真っ暗で何も無い場所へ二宮一郎は居た。
前方からパッと光が差し、誰かが歩いてきた。
それは、ぼんやりとしていて黒くて良く分からないがとにかく人間の形をしていた。
「やぁ」とそれは話かけてきた。
二宮も「やぁ」と言った。
「君の定義する文学とはなんだい?」
と『それ』は唐突に聴いてきた。
二宮は手を顎に当てて、眉間に皺を寄せて少し考えた。
「文学となると、かなり幅が広くなる。純文学でいいかい?」
と二宮。
「それでいいよ」
と『それ』。
咳払いをして二宮は話始める。
「純文学、定義は様々で一概に言えるようなものではないけど、大雑把には芸術性の高い小説であり、売れることを目的としていない。人の心理的描写を鋭く描いていたり、心理であったり真理であったりを捉えようとしている。ストーリーの起伏が少なく、淡々としているのが多い。人間について生々しく描かれていて陰鬱さを提供するのが多い。なんとなく消化不良に終わって憂鬱な余韻を残すのが多かったりもするね。でもそれこそが芸術だよ。そういう生々しさこそが芸術さ。だから純文学の主人公には感情移入しやすい。人間の心理的描写がリアルだからね。特に人間の罪の部分が。純文学は芸術さ。大衆を気にして創るんじゃない。独り善がりといえばそうかもしれない。しかしそこに真実が照らしだされている。分かる人には分かるというなげやり的なところがあるね。人の見たくない所をあえて見せつけようとするところがあるね。だから一般大衆には流行らない」
「なるほど、では大衆小説とは?」
と『それ』。
「大衆小説とは芸術性よりも娯楽性に富んだ通俗的な小説のことさ。起承転結がしっかりとしていて、SF、ファンタジー、コメディ、ホラー、ミステリー等といった感じにジャンル分けされているのが多い。ジャンルがあるからこそ、お決まりってのもある。
ストーリーの起承転結がはっきりとしていてストーリー重視といった感じかな。人間の心理的描写、生々しさというのはそこまで無いと思う。僕的には芸術というよりもほぼエンターテイナーだ。つまり大衆が楽しめるように創った娯楽施設のようなもんだよ」
「ふむふむ。ではライトノベルとは?」
と『それ』
「ライトノベルねぇ」
と僕は鼻で笑って続けて話す。
ライトというのは読みやすいという意味だね。内容が難しくなく読みやすいというところから「ライト」な小説と表現されている。軽小説とも呼ばれている。表紙や挿絵にアニメ調のイラスト、俗に言う萌絵的なのをを多用している若年層向けの小説さ。中高生をターゲットに読みやすく書かれた娯楽小説かな。アニメを想起させるようなキャラが特徴かもしれない。ライトノベルで酷いのはもはや小説の体をなしていないのもある。3ページぐらいどかあああんといった効果音ばかりだったりするのを見たことがあるよ。もはやなんでもありだね。ルール無用の残虐ファイトだよ。
それには一番自由があるように見せかけて実は一番自由がないんだ。
はっきり言って僕はライトノベルを見下している」
『それ』はふむふむと頷き、言った。
「しかし、アレだね。なんかあんたの世界はどちらかというとライトノベルっぽくないか?」
「なんだって?」と二宮は素っ頓狂な声をあげた。
「だってさ、君たちの周りにいる人物ってなんだか言動に生々しさがないというか、非現実的というか、どちらかというと僕から見たらアニメを想起させるよ。君の世界はなんだかアニメチックじゃないかい?」
二宮は怪訝な顔をした。
「何言ってんだよ。実際この世界は生の現実の世界なんだからそんな訳ないだろう」
「そんな訳ないけどさ、でも君の言動やこれからのストーリー展開によっては君の嫌悪する軽小説、ライトノベルにジャンル分けされる可能性も充分あり得るんだよ。そのことをよくよく覚えておくことだな。想像してごらん。自分の嫌悪し、見下しているものが自分自身という恐ろしさを。例えばヒトラーが実はユダヤ人だったというぐらい屈辱的じゃぁないかい?」

はっと声を出して僕は目が覚めた。背中が汗でぐっしょりと濡れていた。
なんだか覚えていないが悪夢を見た気がする。
僕は汗を拭いベッドから這い出る。汗で濡れたせいで余計に寒い朝だった。
あまり寝た気がしない。おまけに今日は曇りだ。少し憂鬱な気分になる。
追い打ちをかけるかのごとくアラームがけたたましく鳴り始めた。僕は置き時計を床に叩きつけた。置き時計はリンッと短く鳴ったのを最後にその生涯を終えた。
下から母の声がする。「何してんの?」
僕はなんでもないってと声を荒げる。
リビングに降りると母がお決まりの文句を言う。
「ご飯は食べていくの?」
「時間無いから食べない」
中学の頃はまだ時間に余裕を持って朝は起きて、父と母と3人で朝食を取っていた。
しかし高校に入ると朝に時間に余裕を無くしてきた。
朝起きる時間は変わらないが、用意の時間や始まる時間の関係だ。
こうやって僕は徐々に時間の余裕を無くして生きていくのだろうか。
小学生の頃は時間に余裕だらけだった。それが中学に入るとテスト勉強という社会の歯車に乗り始め、時間に余裕が無くなり、高校になると更に加速して余裕が無くなっていった。
そう、全ては大学受験、そしてその後の将来、日本を動かす企業戦士になるために時間を取られているのだ。
見渡す限りの砂漠。約束の地へと目指して僕達はひたすら前進する。
キャンパスライフによって一時の安息を得る。
そこが僕達日本人のオアシスである。
しかし大学を卒業するとまた砂漠の日々へと戻る。
就職した僕達は朝から晩まで奴隷のごとく働いて、家に帰れば落ち着く暇なく嫁に愚痴を聞かされて、子供は親の言うことを聞かずに酩酊と淫行に耽る。
そしていつしか白髪が生え、皺だらけの顔に背骨はひん曲がり、杖を突きながら棺桶へ目指してダイブするのだ。
僕達は砂漠で死ぬのだ。青い海に青い空、緑が溢れ果実の匂いがする約束の地を見ることなく。
嗚呼、無常。なんつって。
などと思いながら朝の河川敷を練り歩く。なんとなくフランク・シナトラのマイ・ウェイを口ずさんでみる。
後ろにツグミがいないかを確認する。

「遠藤、読んだよ。ありがとう」
学校に着くと先に席について小説を読んでいた遠藤にそう声をかけて、小説を遠藤の机に置いた。
「えぇっもう読んだの?凄い集中力だなぁ!凄いなぁ。俺なんか小説一冊読むのに頑張っても3日はかかるよ。二宮は凄いなぁ尊敬するよ」
と心から言う遠藤に、僕は自分の器のちっぽけさが歯がゆくて全裸になって校庭で叫びたい衝動に駆られた。
それと同時にツグミには僕のこの恥ずかしい滑稽な内側の全てを見破られてるんじゃないかという気がして更に心が重くなった。
「で、どう?面白かった?」
「凄い面白かったよ」
と少し声を小さくなって言う僕。
「でしょ?面白いよね」
と喜びがたくさん伝わってくる表情をしてはしゃぐように言う遠藤。
「じゃぁさ、次これ読んでみてよ。このラノベも面白いよ。
といって遠藤はまだライトノベル小説を3冊貸してくれた。
やばい。このままじゃ僕は立派なライトノベラーへと化けていく。
「なんかいつも貸してもらってばかりだから悪いから俺も貸してやるよ」
と遠藤に太宰治の人間失格と斜陽と夏目漱石のこころを貸してやった。
「ありがとう。文学とか難しい本は読んだことないんだけど読んでみたかったんだよ。すげー嬉しい」
と本当に嬉しそうだった。
僕はゲイじゃないけど遠藤と結婚したいと思った。遠藤と付き合う女って一体どんな素晴らしい外見と内面を兼ね揃えたような人なんだろうと想像した。
ツグミみたいなイカれたアンダーグラウンド系とは住む世界が違うだろう。
ドアを乱暴に開け、数学の藤原が面倒くさそうに天パのだらし無い頭をボリボリと掻きむしりながら寝惚けた教室に入ってきた。
「早くみんな席つけよー」と間延びしたやる気の無い声で言う。
やる気の無い藤原にやる気の無い生徒。教室の中はやる気の無い生ぬるい雰囲気が漂う。
前の席の吉田はこっくらこ、こっくらこ、と居眠りを始めた。
隣の遠藤は真面目にノートを取っている。吉田はまた遠藤にノートを見せてもらうのだろう。
遠藤は嫌な顔一つせずにその几帳面なノートを愚民どもに貸してあげるのだ。とんだ芸当である。僕なら間違い無く金を取る。
2時間目、3時間目と授業はダラダラと進んでいく。やる気のある先生もいればやる気の無い先生もいる。やる気のある生徒もいればやる気の無い生徒もいる。至極当然のことだ。
おそらくどの高校でも比率の違いはあれど、そうであろう。進学校なので或いはやる気のある生徒が多いのかもしれない。
3時間目から解放されるチャイムが鳴り、ガヤガヤと騒がしくなる。
まだ終わっていないぞとお決まりの先生の言葉。そして早く終われよてめぇと言わんばかりの生徒の焦り様。
先生の終わりの合図とともにクラス長山田のやけに甲高い起立の掛け声。
机に突っ伏していた生徒達は一斉に気力を取り戻し蘇り始める。
背伸びをする何人かの生徒。昼休みの歓喜が湧き上がり、一気にグループが出来上がる。
僕の昼食はいつも独りだ。それは僕がはぶられているという訳でも、クラスに馴染めないでいるという訳でもない。僕がネクリスト(根暗)だからである。
しかし今日は少し違った。
遠藤が僕のほうへ来て言った。
「なぁなぁ、俺達と一緒に屋上で飯食わない?屋上で食うの気持ち良いよ」
と屈託のない笑顔で遠藤が言う。
「あ、ああいいよ別に」
と僕は少し躊躇して言った。僕は人前であまり飯を食いたくないのだ。
そういうのを会食恐怖症というらしいが、別に恐怖症にまで陥っているわけもないが。
遠藤グループはほとんど話したことさえない奴ばかりだ。
うーんと唸りながら空に向かって拳を突き上げる遠藤。
「やっぱ屋上は気持ち良いねぇ。よっしゃ。飯食おうぜ」
遠藤は二宮は凄いんだぜ。小説を一日で3冊も読んじゃうんだよ。しかも難しい本たくさん読んでるし、凄い頭いいんだぜ。と僕をまるで自慢するかのように紹介してくれた。
僕はなんだかむず痒いものを感じた。どれぐらい痒いかというと蚊が3000匹ぐらいいる部屋に放り込まれて1時間ぐらいそこに監禁された後ぐらい痒かった。
なんだか二宮といると青春をしている気がする。
僕は退廃的な青春というのを好んでそういった生き様を心がけていたが、こういった健康な青春も悪くないなと思った。
屋上で感じる初夏の空は気持ちが良かった。日は抜群に照っていて、空は青く、雲の加減もちょうど良い。
近くにいた愚女グループどもが大きい声で声をかけてきた。
「たっちゃーん。こっちで食べようよー。ねぇー」
と体をくねらせながらギャッギャッと引き笑い混じりに弾けている。何がそんなに可笑しいのか。
10代の男女は良く笑う。特に中高の年頃の女は箸が転げただけでも大笑いしている。
今のうちに笑っておくがいいさ。そのうち人生、笑えなくなってくるぜ。
などと小声で呟いてみる。
遠藤グループは遠藤を小突きながら、「遠藤は忙しいから俺達が一緒に食べてやるよー」と弾ける愚女どもに近づいていった。すると愚女どもは、お前らはこっちくんなと叫びながら更に狂ったように笑いながら転げまわっていた。馬鹿げた笑い声のせいで頭痛がしてきたので僕は先に教室へと降りていった。
そして、お決まりの惰性授業を受け続け、6時間目のチャイムが鳴りようやくこの圧制から解き放たれる。
みんなは席を立ち、思い思いに散らばっていく。
男子は男子で小突きあったりして、女子は女子でピーチクパーチクはしゃいでいる。
遠藤は5~6人の男子に取り囲まれてぎゃははと笑い合っていた。
お察しの通り、僕はネクリストなので必要以上に人とつるまない。
遠藤は颯爽と帰る僕を見て、取り囲まれた男子の中から顔をひょこんと出し、「ニノ、また月曜な!小説読んでおくよ。ありがとう」
と雲一つ無いブルースカイを連想させるようなフレッシュな声で言った。
僕は前髪を掻き分け、鞄を肩に担いでロンリーロードを進むのであった。
廊下に出てしばらく歩くと、階段の手前の窓からの景色を見ているツグミがいた。
僕は一瞬怯んで2,3歩後ろに下がった。
ツグミは元気が無く、青い顔をしてうつろな目で窓の外を見ていた。
僕は恐る恐る近寄り、声をかけてみた。
「おい、ツグミ元気無いな?」
ツグミは虚ろな目でボソボソと何かを言っていた。
「え?何?」と問うてみる。
するとツグミは僕に気付き、僕のほうをゆっくりと振り向きたどたどしい口調で言った。
「こ、好奇心をこれ以上無視することは出来ない……」
「はい?」と僕は耳をツグミのほうに向けて聞き返す。
何を言いたいのか分からない。
「これをしたらどうなるんだろうとか、あれをしたら本当にああなるんだろうかとか、頭の中で思ったことを全部実行したい。いや、全部を実行したら死人が出るかもしれない。でも、その中の1割は実行したい。でないとあたし、好奇心を禁欲し過ぎたせいでノイローゼになっていつか、ショック死する……」
相変わらず摩訶不思議な悩みを抱えている。ツグミにはおそらく一般的な悩みは皆無なのだろう。その代わり、頓珍漢な悩みを良く抱えている。
いや、分かることは分かる。僕もこれをやったらどうなるのだろうというのは良く妄想する。しかしそれは妄想止まりでスルーすることは出来る。ツグミはそれが出来ないらしい。
「じゃぁやればいいじゃん」と僕は素っ気なく言った。
ツグミは口を鯉のようにパクパクしながら死んだ声で喋る。
「そんな簡単じゃないのよ」
そう言ってからツグミはまた窓の方を向き、ぼーっとしていた。ちょっと哀れな気もするが、太宰を罵った罰だ。太宰の祟りだ。
僕は鞄を背負ってツグミを放っておいてそのまま帰った。
土日を挟んで、月曜日、学校に到着し、ドアを開け、前髪を掻き分けて教室に入ってきた僕に待ち構えていたかのように、すかさず遠藤は声をかけてきた。
「ニノ(いつのまにか付いた僕のアダ名)!全部読んだよ。俺、人間失格読んでこんなに苦しんだ人間がいるなんて。と凄く悲しくて泣いて、斜陽でもその没落して様子が悲惨で悲しくて泣いて 夏目漱石のこころで人間の心の汚さ、罪の深さに、自分にもそういった汚いところが確かにあるから胸がエグられる思いだったよ。いやぁ、別の世界を見せてもらったって感じだね。いや、別の世界じゃない。確かにここにある世界の現実なんだと、みんな目を背けたい、そのような現実を直視させるような小説だね」
と遠藤は的確な感想を言った。
「凄いな遠藤、そういうところに俺は気付いて欲しかったんだ。いや、正直ライトノベルとか読んでる奴って俺ちょっと蔑んでいたところがあったんだけど、遠藤のおかげでその偏見が全部とは言えないけど取れたよ」
と頭を描きはにかむ僕。
「そうなんだ。いやぁでも俺も小説って読み始めたばかりでさ。ライトノベルは読みやすいって聞いたから読み始めたばかりなんだけどね。読み始めたら結構ハマってさ」
「なんでまた小説を読み始めたの?遠藤のキャラに似合わないな」
遠藤は頬杖を突き、哀しげな目をして言った。
「俺部活の練習中に靭帯損傷してドクターストップかかって、サッカー辞めたんだよね」
なんだって。そいつは悲しすぎる。僕は心が重くなった。
「それから凄い憂鬱になってさ。何かしてないとサッカーのことを考えて辛いから本でも読もうと思って。そんで書店に行くと漫画のような表紙の絵の小説があって、読みやすそうだなぁって思い買って読み始めたら面白くてハマったんだ」
僕は少し声を落として言う。
「そうか。そんな理由があったのか。いつも明るいから全然気付かなかったよ」
「でも、なんだか物足りないんだよね。やっぱり小説は小説止まりじゃん?楽しむには良いけど、のめり込むと虚しくなるっていうか。何かしたいんだけど、何をしたいのか分からないんだよね」
何をしたいのか分からない。それは僕も同じだった。
果たして本当に僕はニヒリストを気取りたいのだろうか。
それとも部活で汗を流す青春をしたいのだろうか。
それともロックンロールをしたいのだろうか。
それともヤンキーになって風を切って街を歩きたいのだろうか。
それともアイドルの追っかけをしたいのだろうか。
良く分からない。それはただ、心からやりたいことが無いからそうなのかもしれない。
自分が何を望んでいるのか分からない。ただ芥川龍之介が言っていたようにぼんやりとした不安が僕の目の前にいつもあるのは確かだった。
放課後、いつものように颯爽と、それでいてのっそりと帰る僕。
また明日なと声を掛ける遠藤。
そして昨日と同じように廊下の窓から景色を眺めているツグミ。大丈夫かこいつ。
僕はツグミに声をかけずにそのまま階段を駆け下りていった。
河川敷の夕日を眺めながら、僕は問うてみた。
「俺は一体何をしたいのだろう。俺は一体何ができ……」
とそこまで言ったところでかなり速い駆け足音に気付き僕は後ろを素早く振り返った。
「チャレンジ!トゥ!デリューショーン!」
と叫ぶ声と同時にツグミのドロップキックをまともに食らって僕はそのまま勢い良く吹っ飛び、豪快に地面へ倒れた。
「おい!何すん……」
ツグミは僕に馬乗りになって両手で胸ぐらを掴んで言った。
「イチロー!たまには良いこと言うじゃない!やりたいと思ったことやればいいよね!そうだよね!」
と満面な笑みで叫ぶツグミ。
「あんたもあたしの裏部活に入りなさい。強制だからね。あんたがやればいいって言った んだから」
「なんだよそれ。強引過ぎるだろ。何するんだよ?」
「付き合いなさい。分かった?」
と胸ぐらを掴んだまま僕のほうへ顔を近づけて言った。
僕の顔とツグミの顔との距離、実に20センチ。
いくらなんでも僕はどきりまぎりとした。そりゃそうだ。僕は17だぞ。思春期真っ盛りの乙男になんてことをするんだこの野蛮な女は。
「Challenge to delusionという非公式の部活を作るの。少なくとも後4~5人は部員が欲しいわね。どんな部活かというと」
と言ってツグミは僕から離れ夕日を指さす。
「やってみたいなという妄想を現実化するの!」
「どう?シンプルでしょ?」
と倒れてる僕を見上げながらご満悦そうに言うツグミ。
「う、うん」
なんだかこいつの存在感に圧倒されてそれだけしか言えなかった。
「どうせあんた暇だからいいでしょ?それに楽しそうでしょ?」
確かに暇と言えば暇だし、楽しそうといえば楽しそうだが一体どんな妄想を現実化するのか。犯罪にはならないのだろうか。
「例えばどんなことするんだよ?」
「例えばね~」とツグミは顎に手を置く。
「例えば、現実ではあり得ないことよ。平々凡々とした日常がぶっ壊れるような出来事。机で寝てたやつも驚いて目が覚めるような出来事。それが学校内で起こるの」
「なんで急にそんなことしようと思い出したんだ?」
「私は頭の中でこれをやったらどうなるのかというくだらない妄想をやりたくてウズウズしてたらイチローがやってみたらいいじゃんって言ったからよ。それだけ」
「イチロー、数揃えておいて。私も出来るだけ揃えておくから。じゃね」
と言って走り去るツグミ。
僕はツグミが米粒のように小さくなるまでその背中を眺めていた。
仕方がない。ツグミの茶番劇に付き合うことにしよう。
中学の時も何かとツグミの思いつきに振り回されたものだ。
取り敢えず二人誘えるやつがいる。

次の日、学校へ着くと遠藤は相変わらず机に突っ伏して、夏に動物園にいるやる気の無い動物たちのようにライトノベルを読んでいた。
「お、ニノ。おはよー」
僕が来たのに気が付くとそのままの姿勢のまま爽やかな笑みを浮かべてあいさつする。
僕は自分の机に鞄を置いてから、遠藤の机の真ん前に自分の椅子を持っていき、座り、遠藤と対面して言った。
「なぁなぁ、高岡ツグミって知ってる?」
「え?なんだい急に。知ってるよA組のはっちゃけた可愛らしい女の子だろ?」
「俺と、ツグミでさ、部活作ろうと思ってさ」
遠藤は突っ伏した状態が起き上がって興味津々といった具合いで聴いてくる。
「へぇ。何すんの?何すんの?」
「とはいっても、公式の部活を作るのは大変だし、俺達のは絶対通ることは無いから、非公式の部活を作るんだよ」
「なんだそれー。面白そう。勿体ぶらずに早く教えてよ」
とソワソワする遠藤。
「妄想を現実化にするんだ」
遠藤は怪訝そうな顔を浮かべる。
「え?妄想を?何それ?」
遠藤の顔からやっぱり駄目かと思ったが続けて話すことにした。
「現実ではあり得ないこと。平々凡々とした日常がぶっ壊れるような出来事。机で寝てたやつも驚いて目が覚めるような出来事。頭の中で今これが起きたらどうなるんだろう。とかそういう妄想したことあるだろ?そういうのを学校内で起こすんだ」
「見つからないように。そして退学にならない程度にね」
と付け加えておいた。
「おぉ!」と遠藤は叫び、机から立ち上がって、爛々と目を光らせた。
何人かが遠藤と僕のほうを振り向いた。
そういえば最近、僕と遠藤が良くつるんでいるのをみんな不思議そな目で見ている。
そりゃそうだ。僕と遠藤が仲良くやってるのは猫とネズミが添い寝しているようなもんだろう。
一部の女子からは疎まれている。前は後ろから舌打ちされたし、前に出る時に足を引っ掛けられた時もある。愚女共め。
「すげぇ楽しそうじゃん。さすがニノ。面白いこと考えるなぁ」
と感服し、僕に両手で握手をしてくる遠藤。大げさに褒められると居心地が悪くなる。
「いやいや、俺が考えたんじゃなくて、まぁ、ある奴がリーダーなんだけど……そんで遠藤もどう?っていう話」
「もちろんやるよ!ちょうど学校生活にカンフル剤が欲しいと思っていたところなんだ」
「それは遠藤の朝の調子を見てれば分かるよ」
遠藤の大きな声に反応しだした、5~6人の机で突っ伏して寝ていた女子がムクリと起き上がり、「たっちゃん何の話してるのぇ?私も混ぜてぇ」とニタニタと笑いながら言い、両手を前に突き出してのそり、のそりと遠藤に近づいてきた。
僕と遠藤は怯んだ。
「ニノ、逃げるぞ!」
僕達は急いで教室から出て、廊下を走った。後ろのほうからゾンビ女子がスピードを上げて追いかけてくる。
「だづやーまでー」というおぞましい声が廊下にこだましていた。
僕達は体育館の裏まで走って逃げた。
僕は息を切らしながら言う。
「それで、遠藤にも部員を集めて欲しいんだ。1人でも良いから。こういうのは多いほうが楽しいからね。」
「おぉ、任しとけって!楽しくなりそうだな」
と僕達は手をガシっと掴み合った。
――昼休みの図書館。中央に円卓のテーブルが2つ、角張の机が2つあり、図書館の隅から隅まで本で埋め尽くされている。まるで本の館だ。だからこそ、図書館なのである。
本棚が均等に分けられて、奥のほうまでズラっと並んでいた。
入り口と反対側の窓から光が差し込んでいる。クーラーが調度良い加減で効いていて非常に心地が良い。難しい本が好きな僕にとってこの図書館は欠かせない存在なので常連となっている。
一時期は『図書館に、二宮あり』と呼ばれ、図書館に二宮一郎の銅像を建てようという話まで出ていたほどだ。もちろん茶化されているだけである。
もう1人、僕と同じような本の虫がいる。
そいつを探している。
隈なく探していると、そいつは『歴史学』のジャンルのところにいた。
「おい、山P」
僕が山Pと呼んだ奴はびくりとして僕のほうを振り向く。
前歯が出た細い目をして厚底のメガネをかけた、明らかにモテなさそうな顔の奴は山Pというアダ名を呼ぶには余りにも、余りにも、
「おや、二宮君」
とクラス長山田はキキッと短く笑った。
「山P、リーダーは誰かは言えないけど非公式の部活造ったんだ」
「へぇ、どんなのだい?」
「学校内で愉快犯を繰り広げて日常をぶっ壊して寝てる奴等を起こす部活」
クラス長山田は愉快犯という言葉に反応した。
このクラス長山田は表は真面目な顔をしているが、その裏では人が何かアクシデントが起きたところを見てはキキキと笑って喜ぶ変態野郎なのだ。
「なるほど、それに僕を誘ってくれるという訳だね。でも、それは余りにも下手をしてバレると退学。下手をしてバレると、内申に響いてくるね?僕はこのまま大学に進学するつもりだし、馬鹿なことをして自分の人生にヒビがいくようなことはしたくないな」
僕はクラス長山田の肩をガシっと掴み、睨むような真顔でクラス長山田の細い目をジィっと見る。
「な、なんだい?」と焦るクラス長山田
「山P、正社員で安定した職なんて望むな。たった一度の人生だ。だからこそ、安定した人生なんて望むな。お前も男だろ。大志を持っているだろう?」
「え、え?もちろん大志はあるけど、それとこれとはどういう関係が……」
とたじろくクラス長山田。
「関係大ありだよ。それはアレだぞ。学校の勉強なんて将来の役に立たないと言う浅はかな持論をしている奴らと同じレベルだぞ。いいか、石橋を叩いて渡る奴は管理職止まりだ。
もっと上を目指す奴は恐れずに何事にも挑戦していくことが出来る度胸と勇気という名の無謀さが必要なんだ。その恐れないという無謀さを養う訓練になる」
「ふむ。一理あるね」と感銘した顔で言うクラス長山田。
もう少しだ。
「それにこの事業は汚い社会を生き抜いていくために、犯人を悟られないようにする工夫を考える狡猾さ、そしてこの寝惚けた学校をハイにさせるためにいかに面白いアイデアを考えるかという発想力が鍛えられる。山P、この資本主義を渡っていくには必要な資質だろう?そのような資質は学校の授業では鍛えられない。だから大学出の頭でっかちは使えないと良く言われるだろ?」
クラス長山田は眼鏡を右手でクイッと上げ、眼鏡を光らせた。
眼鏡を光らせることなど出来ないが、奴の瞼の中にある細い目の眼光の輝きが眼鏡を光らせたかのごとく、見えた。しかしまだ顔に躊躇の余地がある。
あと一息。
「山P。社会風刺のドキュメンタリー映画を創り続けているマイケル・ムーアはこんなことを言っていた」
僕は図書館では注意されるレベルの力強い声で言った。
「どんな馬鹿げた考えでも、行動を起こさないと世界は変わらない」
クラス長山田の眼鏡は音を立ててピシピシとヒビが入りだした。
「二宮君、僕やるよ!いや、僕にもやらせほしい!仲間に入れて欲しい!」
落ちた。
「さすが、山Pだ。それでこそ日本の将来を担う勇士だよ。この事業は人が多いほうが良い」
「任せてくれたまえ!」
僕達は手をガッシリと掴みあった。
「あの、そこの二人、図書館では静かにしてもらえますか?」
とその時、図書委員の清水由貴子が近寄ってきてそう言った。
髪を後ろでひっつめて背筋をピンとした清水由貴子はいつの間にか背後に忍び寄り、図書館の秩序を乱す者に静かに注意をする。
クラス長山田は「すすすす、すいません」と激しくドモり、顔を赤らめて挙動不審にしながら、その場を立ち去った。
察しの通り、クラス長山田は清水由貴子のことが好きなのだ。
しかし今そんなことはどうでも良い。
それから何人かに声を掛けてみてが、恐れをなして誰も参加しようとはしなかった。
放課後、教室のドアを乱暴に開け、有無をいわさず僕の方へヅカヅカと駆け寄って来るツグミ。
あまりに力強くドアを開けたために、何人かがツグミのほうを向いた。
ツグミは相当至近距離まで来て、僕の方を見上げて言う。
僕は身長168センチ。ツグミは身長160センチ。8センチ差で僕はツグミを見上げることが出来る。
「イチロー、どうよ?」
「2人誘ったよ。結構戦力になると思う」
「誰?」
「遠藤と、クラス長山田」
「でかした!」
と言ってツグミは僕の肩を力強く何度も叩く。
「早速、来週の月曜の放課後にミーティングをするから、都合合わせるようにみんなに言っておいてね」
「相変わらず君主制だなぁ。分かったよ」
と溜息混じりに言う僕。
僕は遠藤とクラス長山田にミーティングの日程を伝えた。
そして月曜日までの間、何事も無かったかのように、いつものような日常が繰り広げられていく。ただ、水曜日に少し騒ぎがあったようだ。
誰かが3階の窓から飛び降りようとしたらしい。
僕は月曜日から日曜日まで、しばらく眠り、しばらく微睡み、しばらく手をこまねいて、また休むような生活を繰り返した。周りの奴らも同じような感じだ。
平和ボケという言葉で片付けたくない。平和なのは良いことじゃないか。
ただ不景気の波は続き、格差社会は広がっていき、夢や希望を語ると笑われるような時代には惰性で生きる人間が見事に完成されてしまうのだ。
そんなぬるま湯から抜け出すのは難しい。
微睡んだ状態から自力で起き上がるには並大抵の精神が必要なのだ。
殻を打ち破らないと。
などと考えつつ、月曜日の放課後がやってくる。
集合場所は旧本館にある視聴覚室。最も薄暗く、最も目立たぬ場所。
本館から出て、少しは慣れにある旧本館まで歩いて行く。
楽しい下校を満喫する生徒達。僕はなんだか胸が高鳴り、緊張を覚え始めた。
旧本館に入り、廊下をしばらく歩き続ける。すると視聴覚室が見えてくる。
既に人がいるようで声がヒソヒソと窓から聴こえる。
高鳴る鼓動を抑え、僕は視聴覚室のドアを開けた。
教室と同じような風景の視聴覚室には、7~8人の男女が席に座っていた。
馬鹿げた部活を始めた張本人のツグミは講壇の横にいた。
「おっす。イチロー。やっと来たか」
ツグミは辺りを見回して言った。
「これで全員ね」
ツグミは手を叩いて言う。
「じゃあみんなそっちの端から順に自己紹介してもらおっか」
と、ツグミが遠藤を指さした。
え?俺から?という顔をする遠藤。
遠藤は立ち上がって自己紹介を始めた。
「えっと、俺は遠藤達也と言います。同じクラスのダチのニノこと、二宮に誘われて、好きなサッカーも続けられなくなって暇してて、すげー楽しそうだから入部することにしました。よろしくお願いします」
と爽やかな笑みを浮かべてフレッシュに言う遠藤。
誰かがボソッと、へぇ。あの遠藤が。と言っていた。
まばらにぱちぱちと拍手をする。
「じゃあ次あんた」とツグミはクラス長山田に指を指す。
「えっと……僕も二宮くんに誘われて。2ーBのクラス長兼、学年長をしている山田です。どんなことをするか詳しくはまだ分かっていないけど、愉快犯的なことだと聴いたので、バレると退学がもしくは内申に響くのでそこのところ注意してやっていきたいですね」
次に、クラス長山田から一つ離れた席に座っていた、幸の薄そうな顔をした女が立ち上がる。女は俯き加減で、貞子のような髪を掻き分けて、言った。
「あの、私、浅井鈴香と言います。先週、取り乱して校舎の3階から飛び降りようとしていたところをツグミさんが私を止めてくれて、どうせ死ぬなら今から私がやろうとしている面白いことやってみようよと言われて、そうか、じゃあそれをやってから死ぬことにしようと思って入部することになりました」
次にその後ろにいた、顔も体格も大岩のような男がずんぐりと立ち上がり、ハスキーな声で自己紹介を始めた。
「柔道部の主将を務める、村井武志と申します。山田に宿題やテストの件でお世話になったことがあるのでその借りで入部させていただきました。不束者ではありますが、よろしく頼んます」
そして次にその前にいた体の線が女のように細く、尖った狐のような顔をしたロン毛の男がゆらりと立つ。
「私は茶道部の伊集院世阿弥と言います。ツグミさんに誘われました。私は幼い頃から茶道を嗜み、三味線を弾くことだけに生きてきたのですが、ツグミさんに色々なことを試して世界をたくさん知ったほうが弾ける世界も広がるよと言われて、入部してみました」
そして最後にその横で机で突っ伏していた女が立った。
目がばっちりとしたアヒル口の小柄な女だった。オタクにウけそうだ。
「えっと、えっと。あたしは山口維菜と言います。あのぉ、えっと、ツグミちゃんに紹介されましたぁ。お話を聴いてみるとなんだかとっても楽しそうだったので」
とアニメ声の女はスマイルプリキュアな笑みを浮かべた。
ライトノベルの世界から出てきたような女で僕は少しイラっとした。
彼女は全学年可愛い娘ランキングで第3位という輝かしい栄光を持っている。
遠藤と同じくファンクラブが存在する。
それにしても、揃いも揃ってなんという個性派揃いなのだろうか。
「あんたも自己紹介しなさいよ」
とツグミは僕をビッと指を指した。
僕は慌てて立ち上がって自己紹介をした。
「えーっと、二宮一郎と言います。ツグミは自分の妄想を実現したいという夢を持っているらしくて、僕がそれに対してやればいいじゃんと言うと、じゃあやろうと言うことで僕はほぼ強制的な形で入部することになりました。はは……よろしくお願いします」
まばらな拍手とともによろしく、よろしくねぇとの声。
「えっとね。私考えたんだけど、まず、一つ、頭の中の妄想でやりたいことを誰かが提案して、それを達成するまで実行するの。そんで達成したらまた次の課題に取り込んでいく、みたいな感じでやっていこうと思う。シンプルでしょ?それだけ」
「それでミーティングを基本的に毎週金曜日の放課後に持っていこうか」
とツグミ。君主制である。
「妄想を実現化ということですが、それは例えばどういったものですか?」
とクラス長山田。
ツグミは手を顎に当てて考えた。
「そうね……例えば、私が良く妄想するのは授業中に突然隕石が落ちてくるとか、いきなり像の大群が校舎を通り抜けるとか……」
一同は少し静まり返った。
ツグミはすかさずフォローするかのように言う。
「分かってるって。そんなのは無理ってことは。私の妄想はあまりにもロマンチック過ぎて現実化出来ないの。だからみんなで現実に出来そうなレベルまで近づけて欲しいのよ。普段過ごしていたら絶対に起こり得ようのないことを私達が起こすの。そうして眠気を覚ますの」
ロマンチックの定義が良く分からなくなってしまった。
「せっかくだから、みんなが幸せになれるようなことをしない?」
とフレッシュマン遠藤。
ツグミは「オォッ」と言ってぽんと手を叩いた。
「なるほど、ただの愉快犯だけに終わらせないということですね。素晴らしいです」
と言いながらキキッと笑うクラス長山田。
「じゃあ、根っこには幸せになる。そして、現実には起こり得ようのないこと、というのがあることにしよう。それで、なんか思いつくのある?」
とツグミ。
「朝学校に着いたら教室がお花畑になってるなんて素敵じゃない?」
とアニメ声で維菜。
これはロマンチックだ。というかこういうのがロマンチックだろう。象がなんとかとか全然ロマンチックじゃない。
「いいわね。そんな感じ。でもなんだかありきたりね。取り敢えず候補に入れとこう」
「悪党が学校に襲ってきてそれを我が柔道部が倒すというのはどうですか?」
と腕を組みながら村井。
「ヤラセはお門違いだしあんたの柔道部の株が上がるだけじゃん。駄目よ」
と一蹴され、むぅと唸りながら塞ぎこむ村井。
そう、愉快犯とヤラセは似て非なるものと似ている
それはゴキブリとカブトムシが似て非なるものと似たようなものだ。
「こんなのはどうだろう」
と静かな声で伊集院が言った。
「なになに?」と興味津々にツグミ。
「私は、世界史の岩下先生がいつも機嫌が悪く異常なほどに神経質なのが気になります。驚くのは、私は岩下先生が笑ったところを見たことがありません。その岩下先生を笑わせる。というミッションはどうですか?」
いいねと小声で遠藤。
伊集院は少し間を置いてからまた話しだす。
「私はこの『チームChallenge to delusion』で遂行するミッションは意外性があればあるほど面白いと思います。人気のある先生が構ってもらうのは至極当然なことです。しかし岩下先生のような偏屈な人を笑かせたりしようと思う人はいないでしょう。ここに意外性があり、かつ幸せというのがあります」
遠藤は「すげーいいねそれ!」と言って拍手をした。
思わず僕は口を開いた。
「伊集院の提案は素晴らしいと思う。それに言い得て妙だ。僕は個人的にこの非公式の部活を通してある思想を含めている。それは、例えばこの高校が気に食わないとする。僕は気に食わないのだ。金に物を言わせて生徒のことを考えずに組織の拡大をはかったやり方にね。僕のようにこの高校の方針に気に食わない者はたくさんいると思う。だからこの部活を用いて困らせてやろうかと思っていた。しかし、この部活を用いて愉快犯を起こし、困らせるのは良く考えると3流のやることだ。
そして個人的にだが、2流はこの学校の気に食わないところに改革を起こすことだ。
半ば強制的にでも変えてやるという意識だ。しかし僕は革命家が好きなので2流とは思わない。だが、達也が言ったことはもっとレベルが高いと思ったんだ。
すなわちそれは、この気に食わない学校に対して祝福を与えるということだ。これこそ1流じゃないだろうか」
「イエス・キリストだね」
と満面の笑みを浮かべて遠藤。
「イエスキリスト?」
と聞き返す僕。
「そうだよ。僕は実はクリスチャンなんだ。聖書ではイエス・キリストが、私はあなたがたに言っておく。あなたがたの敵を愛しなさい。 そしてあなたがたを迫害する者のために祈りなさい。とあるんだよ。僕はこれは本当に凄いと思うんだ。何故かというと、さっきニノが言っていた2流の改革というのは、半ば強制的だから反発もあるし、その中には争いが生じるんだ。必ず。でもさ、敵を愛するのって反発の仕様がないじゃん。それに愛された敵はそのうち敵じゃなくて味方になっていくんじゃないかと思う。愛の力は大きいからね。そうするとどうなるのかというと、何の強制も無しに物事が良い方向へと変わっていくんじゃないかな?」
僕は遠藤がクリスチャンだということに驚いたと同時に、愛によっての革命という思想に舌を巻いた。

「あんたたち何訳の分からんこと言って盛り上がってんの」
とゲンナリとして溜息を吐くツグミ。
「少し地味な気もするけど、まぁ最初はそんなので良いでしょう。じゃあ岩下を笑わせる。でいいわね」
「せめて先生を付けるのが礼儀として……」
と言いかけたクラス長山田をツグミはギロっと睨んだ。
そして僕達は今村先生を笑かせるためにどうすれば良いかを真剣に考え、そして今村先生の趣味趣向を調べる係を選んだりと夕日が沈むまで話し込んだ。
明くる朝、僕はいつもより早く目が覚めた。それは僕の胸が踊っていたせいだ。
そう、早くも今日からChallenge to delusionが本格的に始動するのだ。
今日、世界史の今村先生は2-Dのクラスで授業がある。
2-Dは伊集院と村井がいるクラスだ。この二人が今日考えてきた渾身のネタを披露することになっている。
それだけのことなのに、僕はまるで学校の遠足の時に早起きをするかのごとく喜び勇んでベッドから飛び起きたのだ。それはいかに日常がマンネリ化しているのかということが良く分かる症状である。
リビングに行くと母が少し驚いていた。
「珍しいわね。こんな早くに起きるなんて」
キッチンに父がコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。
「父は僕を一瞥しただけで無言でコーヒーを新聞を読んでいる」
しかし今日はそんな父にも腹ただしさを感じなかった。
僕は朝食の食パンにバターと砂糖を塗りたくり、ばくばくと食らう。
「そんな塗ると体に悪いぞ」
とぼそりという父。
「ご忠告ありがとう」
とぼそりと僕。
むしゃりむしゃり食べ終わり勢い良く家から飛び出す。
最近言わなかったせいか。行ってきますと言うのがこっ恥ずかしくて言えなかった。
「ニノ、いよいよ今日からだな。楽しみだな。岩下先生笑うかな?あの先生が笑ってるとこなんて奇跡だよね。いやーしかし笑ったところを生で観れないのが残念だが僕の出番の時に笑ってほしいなぁ」
と遠藤は興奮してしゃべり続けていた。
そしていつものように日常は終わっていく。いつもの日常。いつもの火曜日だ。
しかしいつもと違うのは、自分にはミッションがあるということだ。
それだけでいつもの火曜も何気に楽しかった。
そして放課後、結果を報告するために視聴覚室に集まる部員達。
ちなみに結果は伊集院がスマホで隠れて撮っていてくれている。
岩下先生が声を上げて笑ったらミッション達成である。
「さぁ、結果を報告してもらいましょうか!」
とソワソワしながら言うツグミ。
伊集院と村井は結果をもちろんのごとく知っているが、何も言わない暗黙のルールである。
だから角刈りだった村井がスキンヘッドになっていたことにもあえて誰も触れなかった。
もし触れてしまうと何か結果が分かってしまうのが怖かった。
「分かりました」と伊集院はいつもと変わらぬ冷静な口調で言い、ノートパソコンを鞄から取り出し、USBでスマホと連携する。
しばらくすると、ノートパソコンのモニターにスマホのムービーがパッと写る。
「それでは、再生します」
ノートパソコンの前に顔を近づけ、固唾を飲んで見守る一同。
伊集院がマウスをカチリとクリックし、ムービーが再生される。
みんなが席についている。まだざわついている。授業が始まる前だ。
前の席にいるスキンヘッドの村井をチラチラと見て、何人かの女子、男子が含み笑いをしている。村井は恥ずかしそうに頭を数回撫でる。
安直過ぎる。と僕は思った。体を張った一発ギャグだが岩下先生を笑かすには余りに不十分。そのぐらいで笑っているなら既に幾度となく笑っているはず。
しばらくすると、ドアを開けて、岩下先生が入ってきた。
四角い顔で四角い眼鏡を掛けている。なんとなく全体的に全てが四角い白髪の多い57歳。
口はへの字に曲がっていていつも怒っているみたいだ。
岩下先生が入ってくると空気が張り詰める。ざわついていた教室が一気に静かになる。
整った二足歩行で講壇の前まで行き、手に持っていた教科書、出席簿等を講壇に置く。
「出欠を取る」と厳かな口調で言い、1人ずつ読み上げていく。
「伊集院」と名前を読む。
「はい」と伊集院。
ここでは何もしないみたいだ。
そして村井の番がまわってきた。
「村井」と岩下先生が点呼し、村井のほうを……見る。スキンヘッドの村井を。
岩下先生は一度見た後、二度見した。
「はい」と村井は答え、岩下先生の方を真顔でジィっと睨むように見る。
岩下先生は微動だにせずに、村井から顔を背けて続けて出欠を取っていく。やはり。
カスりもしない。
この程度の実力か?村井よ。と僕は思う。
何事も無かったかのように授業が始まる。岩下先生の厳粛な授業が淡々と進んでいく。
すると、予想だに出来ない出来事が起こった。
岩下先生が黒板に書き写した後に、説明をしようと後ろを振り返った時、スキンヘッドの村井がいつの間にか大層なアフロへと化けていた。
そう、村井はアフロのカツラを鞄に忍び込ませ、岩下先生が振り返ろうとした瞬間に、アフロのカツラを装着したのだ。
もし岩下先生が振り返る前にアフロのカツラを装着していると、生徒が笑ってしまい、生徒が笑った反応で岩下先生が振り返ってしまうのでそれを考慮したのだろう。
アフロを装着した瞬間、生徒の何人かが噴き出す。
岩下先生はまた村井を二度見し、今度は村井を見たまま固まった。
村井は無表情のまま岩下先生を見つめる。岩下先生も無表情のまま村井を見つめる。
二人が見つめ合ったまましばらく時が流れた。
なんという空気。
静寂の中、周りから笑いを押し殺した声が聴こえる。
岩下先生は周囲をギロリと見回し、眼鏡が嫌光した。
「何が可笑しい」と少し大きめのドスの聴いた声で岩下先生。
シンと静まり返る教室。
そして村井のほうを睨めつけ、言う。
「村井。今すぐカツラを取れ」
村井はすぐにカツラを取り、鞄に仕舞い、謝罪した。
「申し訳ありません。つい、頭が寒くて」
「ならば初めからスキンヘッドになんてするな」と岩下先生。もっともである。
「スキンもアフロも、そしてカツラも校則違反だ」
と言い放ち、また授業が淡々と進んでいった。
「……そして、1649年に清教徒革命が起きたわけだが、これを指導した人物が誰か分かるか?」
と生徒に質問する岩下先生。
すると、すかさず、迷いもなく、勢いよく手を挙げる伊集院。

「伊集院、答えろ」
「フランソワ・ポ・コ・チン」

生徒の何人かが噴き出す。パソコンの前で小さくガッツポーズをするツグミ。
岩下先生の表情は……無表情だ。そして2~3秒時が止まる。
「……何?」と岩下先生。
「フランソワ・ポ・コ・チンです」
と次は何故か席を立って堂々と、そしてはっきりとした口調で真顔で答える伊集院。
そこからまた2~3秒時が止まった後、岩下先生は「違う」と言い、そのまままた授業は進んでいった。
「す、凄い」とツグミ。
「初っ端から難易度高いな」と遠藤。
「戦いは、まだ終わってません」と伊集院。
伊集院は少し早送りをする。
チャイムが鳴り、授業が終わったところまでいき、そこで再生する。
休息時間に入り、騒がしい教室。
岩下先生は職員室への帰り支度をしている。
そこへ伊集院は講壇付近にいる岩下先生に近づいていき、無謀にも話かけた。
ちなみに岩下先生に話掛けるやつを僕は見たことがない。
「岩下先生」
黒板を律儀に消していた岩下先生は後ろを振り返る。
「なんだ?」
「具志堅用高をご存知ですか?」
「なんだと?」と岩下先生は怪訝な顔をして聞き返す。
「具志堅用高、ご存知ですか?」
「元世界チャンピオンのボクサーだろ」
と苛々とした口調で岩下先生。
「そうです。その具志堅用高です。これは実話なのですが、彼は幼少時代、お母さんから一つだけ戒めとして言われていたことがあったそうです。それはなんだと思いますか?」
「知るか」
と岩下先生。
「人を殴ってはいけない。だそうです」
と伊集院。
岩下先生はしばらく伊集院を見る。
ムービーを観ている誰かが生唾を飲み込んだ。
「だから、どうした?」
「いえ、失礼しました」
と言い、深々とお辞儀をして、その場を立ち去る伊集院。
そこで動画は終わっていた。
しばらくの沈黙。
伊集院が乾いた声で口を開く。
「申し訳、ありません。結果的に、火に油を注ぐ形となりました」
と言って肩を落とし、うなだれる伊集院。
「良くやったよ。本当に良くやった」
と遠藤は震える声で言い、伊集院の肩に手を置く。

「校則違反を犯してまでの渾身のギャグが玉砕。一生の不覚。恥を知れ」
と「おうっおうっ」と嗚咽しながら男泣きをし始める村井。
「村井さんは、ひっく、頑張ったよ。頑張ったんだから、ゔぃっく、いいんだよ」
と維菜がしゃっくり混じりに泣きながら村井の背中を擦る。
「俺達の戦いは、まだ始まったばかりだ。安心しろ伊集院、村井。お前達の死は無駄にしない」
と僕。
「そう、まだ始まったばかりよ。明日は世界史の授業あるとこいる?」
とツグミ。
「明日は2-B。俺と遠藤と、山Pだ」
と僕。
僕と遠藤と山Pはお互い視線を交え、やってやろぜと目で合図をし、そして手を上げて叩き合った。

その夜僕は晩飯を食べた後すぐに部屋に戻り、椅子に座り腕を組み、目を閉じたまま何時間とそのままでいた。
時計が深夜1時を指したところで僕はカッと目を開いた。
「よし、決まった」
明日で勝負を付けるのは難しいかもしれない。しかしやらなければ可能性は0だ。
朝、教室に着くと、既に臨戦態勢だという顔つきの遠藤とクラス長山田がいた。
教室に立て掛けてある時計をチラっと見る。授業開始まで、後3分。
生徒達はぞろぞろと席につき始めた。
僕は大きく深呼吸をし、ポケットから適当な長さに切った爪楊枝を二本取り出し、口に加え始めた。
そのまま下唇の筋肉を使い、それぞれのもう片方の先を鼻の穴に入れた。
どじょうすくいで良く見るアレだ。
古典的でシンプルだが、張り詰めた空気の中ではこういったシンプルでストレートなのが一番効果があるのだ。3時間掛けて編み出した力作である。
しかし岩田先生の場合、丁と出るか半と出るかのどちらかだ。
ドアを開け、四角い顔の岩田先生が四角い表情をして入ってくる。
あのへの字の口をひっくり返すことは出来るのだろうか。
教室の空気は一気に氷点下へと到達する。
先生はまだ僕に気付かない。
「出欠を取る」と岩田先生。
順番に名前が呼ばれていく。
「遠藤」
「ひゃい」
と遠藤は裏返った声で返事をした。何人かがクスっと笑った。
岩田先生は完全にスルーをした。遠藤は僕にパスを渡したのだ。
僕がシュートを決めないと。
次は僕の番だ。名前が呼ばれていく。そして僕の番が来た。
「二宮」
「ふぁい」
僕は爪楊枝を鼻に入れているので空気が抜けたおかしな返事となり、岩田先生を含め、何人かが僕のほうを振り向き、そして生徒達が噴き出す。
僕と遠藤とクラス長山田には緊張が走った。
岩田先生はしばらく無言で僕を見、「クッ」と発して僕から視線をそらし、出欠簿に戻し、続けて点呼を取っていった。
僕達ははっとした。今のは、笑いを堪えたのではないか?
しかし、僕達の判定では声を出して笑てもらうのが目標なので、まだ全然不足している。
後はクラス長山田に任せた。
しばらく、点呼が続いていき……山田の番が来る。
「山田」
「ピュヒョー」

と空気が抜けた笛の音が教室に情け無く響いた。
山田はホイッスルを口に加えていた。
何人かが山田のほうを見て引き笑いをした。
岩田先生の口は、への字から少し変わろうとしているかのように、ヒクヒクと口元が動いていた。
これはまるで笑いを堪えているような……
「昨日からなんだか、おかしな奴が何人かいるな」
とボソッと岩田先生。
「真面目に授業を受けないと呼び出しするぞ。二宮もその鼻にさしてる爪楊枝を抜け。次、馬鹿なことをしたら呼び出しだ」
と岩田先生は一蹴し、口元はへの字のまま変わらず痙攣も止まった。
僕は無表情のまま鼻から爪楊枝を取り出す。
村井と伊集院の結果は、-になっていない。岩田先生は昨日の出来事が面白かったのだ。
そのダメージを負っているのが目に見えて分かる。これは後ひと押しかもしれない。
出欠が終わり、授業が始まる。
どうする?僕はもう持ちネタが無い。後はアドリブでなんとかしないと。
岩田先生の授業にいきなり突っ込みを入れて豪快に椅子からずっこけるか?
いや。危険過ぎる。遠藤のほうを見る。遠藤は頭を抱えている。奴もすでに持ちネタが無いようだ。
クラス長山田のほうを見る。彼のその横顔は凛々しかった。まだ何かを持っているかのようにその瞳の奥は光っていた。
クラス長山田は僕のほうを見て、任せろと頷いた。
どうする気だ?奴に任せよう。
授業は進んでいく。
「……そして、1649年に清教徒革命が起きたわけだが、これを指導した人物が誰か分かるか?」
と生徒に質問する岩下先生。
すると、すかさず、迷いもなく、勢いよく手を挙げるクラス長山田。ま、まさか。
僕は目を見開いて遠藤をガン見する。
(だ、駄目だ。二度漬けは危険過ぎる。よせ!)
僕は心の中でそう叫んだ。
「山田、答えろ」と岩田先生
「フランソワ・バ・カ・チン」

や、やりやがった。しかも少し変えていて、それがなんとも面白くない。
生徒もなんだか苦笑いをしている。
これは最悪の状況だ。
僕はガタガタと震えながら岩下先生のほうを見た。
しかしなんと、岩下先生は「はっ」と短く笑い、そしてへの字がひっくり返った、そう、笑ったのだ。
生徒がみんな驚愕の表情を浮かべている。
奇跡が起きた。山田は短くガッツポーズをした。
岩下先生はすぐに四角い表情に戻る。
「お前たち何か企んでいるのか?」
と言って、またすぐに授業へと戻った。

――放課後、みんなで今日の試合を昨日のようにパソコンで観戦した。
岩下先生が笑った時、みんなから歓喜の声が湧き上がった。
「いや、喜ぶのはまだ早いわ。まだ、浅い。声を上げて笑うにはカウントされない」
確かにと言い、みんなは憮然とした表情で頷く。
「次は私に任せて」と胸を張って自信満々のツグミ。
「しかし、これはみんなの協力がいるの。せめて用意するまでに一週間は必要ね。」
「よし、やろう。奴はもう弱っている。最後に必殺技で止めを刺すんだ」
と遠藤。
早速ツグミはその大きなプロジェクトをみんなに説明した。

――「という計画よ。異論はある?」
「完璧だ」
と僕。
「じゃあ、サクラ役は村井が柔道部から集めて。後、維菜のファンクラブにも応援を頼みましょう」
「合点承知」と村井。
「がんばるよー」と可愛らしく拳を突き上げアニメ声の維菜。
そして僕達は一週間バナナを食べ続けた。
毎日5本。朝、昼、晩。来る日も来る日も。
遠藤は夢でバナナの雨が振ってきてうなされたそうだ。
僕は好きでも無いバナナを食べつつけノイローゼになりそうだった。
そして、来るべき一週間後がやってきた。
6時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り、僕と遠藤とクラス長山田は急いで準備へと向かう。
まず、一階へ降り、正面玄関へと走る。
そこには既にみんなが揃っていた。
「全員揃ったね。じゃあ、村井と維菜は時間になったらサクラ達を渡り廊下まで歩かせるように準備させておいて。遠藤とイチローは袋を持って渡り廊下の辺りに隠れて待機していて。伊集院は職員室の辺りで岩下先生が来るまで待機よ。私と鈴香は岩下先生が職員室と渡り廊下の中間地点で待機して隠れているから、そこを先生が通る間際にイチローにワンコールするね。鈴香は何かアクシデントが会った時に携帯でみんなに報告するように備えておいて」
僕達は言われた通りに持ち場へと移動し始める。
岩下先生はいつも遅くまで職員室で事務作業をしている。
そして帰宅する時間はいつも夕方7時きっかりだ。
僕達はその時までひたすら待つことにした。
僕と遠藤は渡り廊下前で黒いポリ袋を手に持ったまま、その時が来るまで待っていた。
その期間、何人かの生徒がこの渡り廊下を渡り終えて、突き当りを左に曲がると校舎に出てその先に正門がある。
職員室から先生が帰る時は必ずこの渡り廊下を通って帰るのだ。
僕達は大きな黒いポリ袋を持ったままここにずっといるとさすがに怪しいので、渡り廊下の前にある階段の下がちょうど死角となっているのでそこで二人で身を潜めていた。
埃の匂いが鼻をむず痒くさせる。
チラっと腕時計を確認すると時間は7時2分になっていた。
「そろそろだな」と遠藤。
僕は生唾を飲み、神妙な面持ちで頷く。
そこから数十秒後、携帯が震えた。
すかさず携帯を確認する。伊集院からのメールだ。
「ターゲット、今職員室から出ました」
ツグミのいる中間地点まではすぐのはずだ。
僕は携帯を右手に持ち、すぐに走れるように構える。
遠藤を見て無言で頷く。
そしてそこから3分後、ツグミからワンコールが鳴ったその瞬間。
「今だ!」と小声で叫び、遠藤と僕は渡り廊下まで駆けていき、ポリ袋からバナナ大量のバナナの皮をまき散らし、渡り廊下に満遍なく敷き詰める。
ある程度終えると僕は言う。
「遠藤、そこのでかい柱に隠れていろ!俺は様子を確認する」
遠藤はすぐそばにある白のペンキが剥げかけた柱に隠れる。
僕はさきほどまで遠藤といた死角へと移動し、その先の廊下をちらっと見る。
柔道部員と維菜ファンたち約10名が和気あいあいと下校しているフリをしている。
彼らは岩下先生が長い廊下を歩いていると、その前にある教室から出てきて下校しているという設定だ。
おそらく、サクラ達の後ろの岩下先生がいるだろう。
完璧だ。僕は再び渡り廊下まで走る。
渡り廊下の真ん中辺りで右のほうを見上げると、そこから見える窓からツグミと維菜と伊集院が少し押し合いながら、今か今かと待ち受けていた。僕は彼らに親指を立て、問題が無いことを告げる。
そして遠藤がいる柱へと身を屈めて小走りする。身をかがめる必要は無いのだが、そこは気分だ。
柱には遠藤と村井がいた。ちょうどおそらくもう一つ隣の柱には鈴香とクラス長山田が隠れているだろう。後はただ、祈るばかり。
しばらくすると、サクラの生徒達がハシャギながら、現れた。バナナの皮は渡り廊下を半分ほど渡り終えたところから敷き詰められている。
渡り廊下を彼らが歩き始めた時に、岩下先生の姿も見えた。
サクラ達は300本に及ぶバナナの皮が敷き詰められていることに全く気付かないフリをしている。
フリをしているだけだ。気付かないわけがない。ただ、岩下先生は彼らで死角となって前にバナナの皮があることに気付かない。
そして、一番先頭を歩いている生徒3人がバナナの皮の領域に足を踏み入れた。
前にいた生徒3人が大げさに上手いこと左右に割れて滑って転ける。その転びようは見事であった。
ある者はバナナの皮を踏んだ瞬間に1メートルも吹っ飛んで転んだ。
そして次にいた後ろの3人もしばらくバナナの皮ロードを歩いてから豪快に転け、ところどころに散らばる。
岩下先生はビクっと退き、驚いた。
そして最後の3人もバナナロードに足を踏み入れてしばらくしてから、ツルッという音が聴こえてそうなぐらい上手に滑ってくれた。
9人の生徒は滑って転んだままその場で身動き一つしなかった。
僕達は岩下先生を見る。
岩下先生はクックッと口に手を当てて笑いをこらえながらも、我慢できずに、そのうちワッハッハと声を上げて笑っていた。
「お前ら何やっとる。そんなもんで滑るわけないだろう」と笑いを堪えながら言い、生徒の屍を避けながら、バナナロードを難なく歩いていった。
途中に何度も後ろを振り返ってバナナロードと、そこで倒れている生徒達を見てはハッハッと笑い余韻を楽しんでいるようだった。
岩下先生の姿が消えるまで僕達はそのまま息を殺して見守っていた。
そして姿が見えなくなってしばらくすると、二階の窓からツグミが叫んだ。
「成功ね!」
隠れていた僕たちはその声と同時にワッと一斉に渡り廊下に駆けていく。
サクラ達も起き上がり、みんなで手を叩いて喜びを分かち合った。
僕達はみんなで自動販売機でジュースを買い、公園で祝杯を上げた。
「いやーみんなの演技が素晴らしかったよ」
「ツグミちゃんの計画は抜かりなかったよな」
「岩下先生の笑い声を初めて聞いた」

とみんなでこのプロジェクトの成功を喜んだ。
こうして”チームChallenge to delusion”(語呂が良いので何時の間にかこう呼ぶようになっている)の初任務は大成功に終わったのだ。
出だしは完全だ。出だしが躓くとモチベーションが大幅に下がってしまう。
しかし初っ端でスタートダッシュを切れるとモチベーションは倍増する。
僕達は早速次のプロジェクトを考え始めていた。
河川敷の夕日。ツグミと肩を並べて帰るのは久しぶりだ。
最近は後ろから殴られてそのまま通りすぎていくか、言葉の河川敷が終わるまでひたすら言葉の暴力を振るわれるかばかりだった。
肩を並べて普通に会話をするのはいつぶりだろうか。
「ツグミは次のプロジェクト何か考えてるのか?」
「何よそのプロジェクトって。あんた本当に影響されやすくてすぐ演じるわね。その呼び名はなんかダサいよ。なんかやだ。キモい」
「じゃあ、次の妄想実現化計画?」
「なんか最近のアニメに出てきそうな単語ね。却下」
「じゃあなんて呼べばいいんだよ」
と僕は口を尖らせる。
「次の妄想でいいんじゃない?」
とサラっとツグミ。
「なんか味気ないなぁ」
「なんでもいいよ」
「なんでもいいならプロジェクトでも妄想実現化計画でもいいじゃないか」
「イチローの考えたやつ以外」
僕は無言になってツグミから距離を置いていく。
「何?もう拗ねたの?もっとイジメさせてよ」
とツグミは後ろを振り返って微笑を浮かべる。
どうしてこの娘はこんなサディストになってしまったのだろう。或いは元々の性か。
「あ、明日早速ミーティング始めるからよろしくね」
と言い放ち、そのまま走っていった。

「最近、あんたが顔色良いねぇ」
夕食のカレーライス(中盛)をほふほふと頬張っていると母が突然そんなことを言ってきた。
「そう?」
「ねぇ、お父さん?イチロー顔色良いよね」
と久しぶりに早く帰ってきた父にそんなしょうもない振りをする母。
「なんだ。恋でもしてるのか」
と全く声のトーンも口調も通常のまま何の感情も込めずにそう言いながらカレーをほふりながらバラエティ番組を観ている父。
「恋なんてくだらないよ」と同じように声のトーンも口調も通常のまま何の感情も込めずに言ってみる。
「くだらないからいいんだよ」と同じように父。
僕はそのとんちの効いた悟り系の父の返答に無視をし、カレーを家族三人仲良くほふほふとほふりながら、ご飯をたくさん食べて競い合うという飽食と競争社会の末路を思わせる内容のバラエティ番組を終始観ていた。
母が合いの手を打つかのごとく時折「良くこんなにたくさん食べれるね」と驚きの感情とともに言い放つ。
僕は飢えてる国に足を向いて寝れないと思った。
しかしそれだと僕は足のやり場が無いことに気付く。
寝る前にベッドの上で、最近いそがしくて読めなかった遠藤オススメの「魔王は実は勇者で、勇者が実は魔王でそんな実は勇者だった魔王は、実は魔王だった勇者に恋をする」という非常に難解なタイトルのライトノベルを読み始める。
そして気付けば朝だ。この世界は非常にシンプルだ。夜が来て、朝が来る。
以降それを繰り返す。いつまで?僕が死ぬまでか。それもまた、シンプル。
などと考えながら学校に行く準備をし、朝食を食べ、学校に行く。
今日は次のミッションのためのミーティングだ。ペースが速い。みんな参加出来るということはみんなそれだけ暇を持て余しているということか。
そういえばみんな帰宅部だ。まてよ。村井は柔道部の主将なんだから忙しいんじゃないのか?それもまた出会った時に聞いてみよう。
と思いながら5時間目の休憩の時にトイレへ入るとすぐに図体のでかいごっつりとした体に否が応でも目に入った。
太く大きい手を洗いつつゴチゴチな大きい顔を両手でブルシャァと洗っているスキンの村井がいた。
僕がよぅと声をかけると村井はおいすと返した。
「なぁ、村井って柔道部の主将なんだよね?部活忙しくないの?」
村井は少し申し訳無さそうにして言う。
「自己紹介の時、少し嘘をついてしまった。かたじけない。実は私はもう柔道部を辞めてるんです」
「え?でもサクラの人たち柔道部員だろ?」
「そうです。私は自分で言うのもなんですが、それなりに人望がありまして」
「どうして辞めたんだい?」
村井は両手をグッと握りしめ、宙を仰ぎながら言った。
「怪我に……泣きました」
スポーツというのは恐ろしいものだ。
いくら才能があろうとも、再起不能の怪我によって全てを諦めねばならなくなる。
遠藤しかり。
村井も苦しんでいて、その苦しみから抜け出すために、何かやらねばと藁にもすがる思いでChallenge to delusionに入ったのかもしれない。
世界はシンプルだが単純ではない。シンプルイズベスト。
バッド、シンプルイズディフィカルト。なんて小声で言いながら廊下を歩いてるといつの間にか後ろにいたツグミに「変態」とボソッと言い捨てて僕を抜かしてスタスタと歩いていく。一体何が変態だというのか。何か勘違いされたようだ。
そして、僕達はまた、視聴覚室に集結する。
彼らは以前より増して気合の入れようが変わっている気がする。
その証拠にクラス長山田の眼鏡の縁の色が黒から赤に変わっている。色付き眼鏡を掛けているのを初めてみた。
維菜はなんだかシュッシュッとか言いながらワンツーを空に打っている
「さぁ、次いきましょう。次。こういうのはバンバンやっていくのがいいのよね。何か案ある?」
僕達はうーんうーんと唸りながらしばらく考える。
「先生が教室に入ってきた時に黒板を頭に落とすあの古典的な悪戯をこの平成の今、あえてしてみるのはどうでしょう?そして1人1人の先生の反応を見るのです」
とクラス長山田。
「リスクが大きすぎるし誰も幸せにならないしそれに地味過ぎる。却下」
とバッサリを切るツグミ。
シュンと小さくなるクラス長山田
維菜は蝶々がどうのとか言っていたが少し支離滅裂としていて意味が良く分からなかった。
他様々な提案が出されるがどうもしっくり来ずにしばらく議論は続いた。
妄想の実現化。それは非常に難しいのだ。出来る範囲と出来ない範囲の境界線がある。
そこで出来る範囲を絞り出す。そして出来る範囲でも面白くてやり甲斐があって誰かが幸せになれるものでないといけない。
その頭の隅に確かにあるであろう妄想の何かを見つけ出すのが至難の業なのだ。
「あのさ、少し私事になってしまうかもしれないんだけど、」
「勿体ぶらずに早く言いなさい」
とソワソワするツグミ。
「俺が入部していたサッカー部がさ、俺が辞めてから物凄いモチベーションが下がってしまって、このところ連敗してるんだ。それにその負け方が本当に酷くて。5対0とかで普通に負けたりしてるんだよね。俺もなんかちょっと責任感じちゃって、なんとかこのサッカー部を直接関わることなく、面白くモチベーションを上げて勝たせる方法無いかなっ
て考えてたんだよね」
「その方法は?」とすかさずツグミ。
「その方法は、練習や、試合の時に女子の応援が常にあるっていうの、どう?」と遠藤。
「ふむ」と険しい顔をするツグミ。
「サッカー部に入部するやつって結構ミーハーな奴が多いんだよね。モテたいからという不純な動機の奴もいるし、野球部なんかと違ってかなり軟派なんだよ。そのデメリットを逆に利用してしまうんだ。
「なるほど、実際、男は若い女がいるだけで結果に違いが出るらしい。
オックスフォード大学のグーデル教授は、ある実験を行ったんだ。それは、まず中距離走でほとんど同じ体力とスピートの健全な男を10人集めた。
そして2000メートルの中距離走を、5人2組に別れて、1組目のグループには1位の人には優勝賞金100ドルを与えるという条件で走らせた。
そして2組目のグループには優勝賞金は無しで、その代わり、各自1人ずつに若くて美人な女性2~3人の声援を付けて名前を実際に呼ばれて応援してもらうという制度を取り入れた」
「なんという破廉恥な実験だ」
と怪訝な顔をするクラス長山田。
「結果はどうなったの?」
とワクワクしながらツグミ。
「結果は優勝賞金を賭けて戦った1組目よりも若いセクシーな女性に応援された2組目のグループのほうが桁違いにタイムが速かった。しかも、2組目の5人は1組目の5人の1位だったやつよりも全員タイムが勝っていた。他にも男性だけの職場に女性を入れると社員の遅刻が減るとか大企業で一般職の女性に美人ばかりを採用するのは社員の士気を上げるためであったりと、女は男の士気を上げるために最も有効的な手段と言える」
「なんという、なんという、恥ずかしいほどの男の煩悩さよ」
と溜息をつく村井。
「男はエロの塊というわけですか」
と頭を抱える伊集院。
「男の子てやっぱりかぁいいねー」
と、クスッと維菜
「ただの変態ね」と言いながら横目で僕を見るツグミ。
勘違いされるようなことをするのはよせ。と僕は心で叫ぶ。
「確かにそれは面白い。やり甲斐があるわ。女子を集めるのはいけるわけね。遠藤のファンクラブから借りてこればいいし。しかし、まず応援する女性陣のモチベーションを高めるのが難しいわね。実際やるとなると、せめて何かの大会まで応援してもらわないといけないんだけど、女子達が練習を毎日応援するほどの気力を保つのがね」
ツグミは「しかし」と少し大き目の声で言う。
「それ面白いわね。それにしましょう。」
エイエイオー!と維菜。誰彼無しに拍手が始まる。
「6月23日から爆裂!関東高校サッカー大会という大会がある。その大会を目指して取り組んでいきたいな」
と遠藤。
「へんななまえ」と欠伸しながら維菜。
「23日が一次予選、30日が二次予選、7日が準決勝で14日が決勝だ」
とスマホで確認しながら遠藤。
「まず、多少誇張してでもサッカー部の魅力を伝えないといけません。私、実はデザイナーを目指していまして写真の加工やチラシ、フライヤーを製作するのに慣れています」
とボソボソと言う鈴香。
「え、あんたそんな才能あったの。やるじゃん」と言って鈴香の背中を叩くツグミ。
鈴香はキャッと小さく悲鳴をあげる。
「いいねぇ。楽しくなってきたじゃないの」
と目をギランギランと輝かせるツグミ。
「大会まで後1ヶ月ちょっとね。気合入れていきましょう」
エイエイオー!と維菜。
サッカー部は現在10連敗中らしい。以前はサッカー部のはりきった掛け声が聴こえていたが、今は掛け声が全く聴こえない。あろうことかグラウンドで練習している姿さえ最近あまり見かけない気がする。
グラウンドの隅にあるサッカー部の部室だけ何か陰鬱なオーラが漂っている気がする。
「二宮君、私は以前撮ったサッカー部の写真があるのですが、この写真のサッカー部員の1人1人を鈴香さんに加工してもらい、それをファンクラブの宣伝用に用いたいのです。しかしまだ現像をしていないので、放課後写真部にて現像をしたいのですが、手伝ってもらえないですか?」
『実は高校生の俺は魔法使いで実は中学生の俺の妹は血が繋がっていなかった』というライトノベルを昼休みに読んでいる俺にそう話しかけてきたクラス長山田。
「ああ、そういえば山Pって写真部だったっけ。分かったよ。行くよ」
と気怠く僕は言う。
きんこんかんこんと今日の学校の終わりの鐘が鳴る。
それにしてもこのキンコンカンコンという学校の終わりと始まりを告げるチャイムは一体誰が発明して、どうしてほぼ共通のものとして使われているのだろうか。
後でグーグルで調べよう。
佐久間高校の小奇麗な廊下を山田とともに練り歩く。
クラス長山田は首からぶら下げた高級そうなカメラを大層に持ち、撫でまわしている。
この廊下には真ん中に線が引かれていて先生と生徒の歩く場所が区別されているのだ。
しばらく進んでいると前方から細身の長身の男がスタリスタリとモデルの如く、歩いてくる。
その顔に見覚えがある。
クラス長山田ははっと息を飲み、その場で立ち止まった。
「山P?」と僕は声をかける。
クラス長山田は苦虫を潰したような顔をして握りこぶしを作っていた。
前を向くと男は僕達に気づき、2メートル程の距離を置き、目の前で立ち止まった。
佐久間高校3年、生徒会長の及川だ。
及川はトムフォードの眼鏡をキザな手つきでクイッと上げて言う。
「おや、おや、おや、誰かと思えば、二宮君に山田君」
及川は怪しい笑みを浮かべながら少し笑った。
「なんだ?校長の犬」
と邪険な声で僕。
山Pは俯いて震えている。
「校長の犬とは心外だ。そんな口を聞いていいのか?」
と刺のある声で静かに言う及川。
「なんだか、最近授業中に奇妙なことをして授業を妨害する輩が居ると聞きまして、それと同じ頃、視聴覚室で何人かの生徒が謎の会議をしているという情報も耳にしましたが。貴方たちは何かご存知ありませんか?」
となんだか全てを知っていそうな微笑を浮かべながら僕と山Pを見つめる生徒会長。
及川は実質この高校の裏の支配者である。その権力は先生以上のものだ。
校長の右腕として恐れられているこの生徒会長、及川は佐久間高校で起きるほぼ全てのことを把握している。及川は佐久間高校で起こるちょっとしたことでも見逃さず徹底的に消火していく。そのおかげで佐久間高校の秩序は完璧に保たれているが、生徒達はその息苦しさから、何かこう気力というのを削ぎ落とされているように感じる。
つまり問題は何も起こらないが、何事も起こせないという、何も変わらないという実態となっている。
そんな怖いもの知らずの及川だが、一つ怖いものが存在する。
それは高岡ツグミの存在だ。
全てを計算の内におく及川でさえ、ツグミの行動はいつも想定の範囲外なのだ。
今回の授業の妨害、視聴覚室での怪しい会議の一見も、ツグミが首謀者ではないのかと睨んでいる。
しかし確証が掴めていないようだ。
なんにしろ、もう視聴覚室でのミーティングは出来ない。
ツグミと仲の良い僕から何かを探り出そうとしているのだろう。
「何のことだか分からないね。前を通してくれるか?」
ふぅっと短く溜息をつく及川。
「まぁ良いでしょう。しかし、これから秩序が乱れることが多発するのであれば、必ず私は首謀者の尻尾を掴むでしょう」
そう言った後で及川のポケットから携帯の音、ショパンが鳴り響く。
及川はキザな手つきでスマートフォンを取り出し、電話に出る。
「もしもし、おぉなんだ、愛しの清水由貴子か」
クラス長山田はビクッとする。
清水由貴子。図書委員長だ。及川と付き合っている。そしてクラス長山田の初恋の人。
わざとらしくフルネームで呼び、山田のほうを見下ろし、ニィッと笑う及川。
なんというヘドロのような心を持つ男なのだろう。
山田が清水由貴子のことを好きなのを知っていて陰湿な嫌がらせをしているのだ。
「分かった。では日曜日はデートをしよう。またね、愛しの由紀子」
と言い、電話を切る。及川。
「おっと失礼、話の途中だったね」
クラス長山田はたぶん泣いている。
「それでは失礼する。山田君、君はそのままじゃ学年長止まりだねぇ。もっと学年長らしく2年の秩序をまとめてもらわないと困る」と言いながらクックックッと笑う及川。
僕は堪忍袋の緒が切れて、怒号を飛ばした。
「なんだと!誰か越後屋止まりだ。俺の友達にそんなことを言う奴は赦さん!」
「え、越後屋?そんなことは一言も言っていないが……」
とわけの分からないことを言われ、戸惑う及川。
及川の頭の中は全て計算され尽くしているので、自分の予想外のことが起こると一瞬頭が混乱して焦るのだ。
やったぜ。ささやかな抵抗だ。僕は計算して言った訳ではなくていつもクラス長山田は越後屋止まりだと思っていたのでつい口に出してしまっただけだが。
及川は戸惑いながらもその場から立ち去った。
クラス長山田はやっと顔を上げて涙を手で拭いながら言う。
「ありがとう、二宮君。僕のために」
さすが越後屋止まり。
「気にするな。それよりも早く現像しよう。そしてこの任務を遂行させよう」と僕。
生徒会長及川。これから奴の動向に気をつけねばならない。
僕は後ろ少し振り返り、及川の背中を睨んだ。
クラス長山田の写真の腕は見事だった。伊達にアマチュア写真家としていくつかのコンクールに受賞しているだけはある。
そして、鈴香の画像の加工、編集の腕前も見事だった。
僕達はサッカー部の非公式ファンクラブ設立のために、それぞれの才能を生かし腕を振るった。
まずサッカー部部員達の魅力を集めた小冊子を作成することにした。
鈴香のデザインは素晴らしかった。プロ顔向けの出来である。
そして文章といえばこの僕だ。
僕はこれでも作家を目指している。部員1人1人の情報を遠藤から教えてもらい、そこからプロフィールを創っていく。ポジション、特技、趣味、好きな食べ物を事細かく、格好良く、時に面白おかしく創りあげていく。
そうして一週間をかけて魁!佐久間サッカー部と大きく書かれたタイトルの小冊子を完成させた。
ページをめくると出だしには「佐久間高校サッカー部を日本一にするにはあなたの応援にかかっている!」と書かれている。
取り敢えず、手始めに遠藤のファンクラブの女子どもを遠藤が、サッカー部に活力を取り戻して、連敗街道から抜け出すために彼らを応援して励ましてあげてくれと頼んだ。
もちろん恋狂いの女達は承諾する。しかしそれだけならサクラだ。サクラは所詮サクラで、サクラの応援はサクラ止まりなのだ。彼女達がサクラではなくて、真のファンとなるために、この魁!佐久間サッカー部で存分を配り、存分に魅力を伝えた。
そして今日から女子達はサッカー部の練習を応援することとなった。
まだ遠藤のサクラしかファンはいないが、これからこの小冊子を通して徐々に増えていくだろう。
早速、放課後にグラウンドのほうへと行ってみた。
佐久間高校のグラウンドは8つある。その第4グラウンドがサッカー専用のグラウンドだ。
申し分の無い広さのサッカー専用のグラウンドが辺り一面に広がっている。
しかしそこにサッカー部の連中がいない。
「ちょっとー。肝心の部員がいないよ?」
と女子達は不満の声を上げている。そしてグラウンドはところどころに雑草が生え、それにサッカーボールやその他の備品が無造作に転がっていた。
「ちょっと待っててくれ」
と言って遠藤は50メートル先にあるサッカー部の部室へと向かっていった。
僕も遠藤の後をついていった。
部室の目の前に着くと、中から声が聴こえてくる。どうやらいるようだ。
遠藤は遠慮無しにドアを強引に開け、中にズカズカと入っていく。
僕もおそるおそる中に入ってみた。中ではトランクス一枚の奴や上半身裸で下だけ練習用のサッカーパンツを履いてるものなど約10人が寝そべって漫画を読んだり、ゲームをしたり、パソコンをしていたりと思い思いにエンジョイしていた。
「お前たち、何やってんだよ」
と声を荒げる怒り心頭の遠藤。
一斉に遠藤の方をみる部員達。「あ、達也だ」とところどころから声が上がる。
「おぉ、遠藤。久しぶり」
と熱中してサッカーゲームをしている奴がいる。彼がリーダーらしい。
「深沢先輩何してるんですか!」と遠藤
「いや、サッカーゲームしてシミュレーションしてるんだ」と真顔で言う深沢。
「このまま負けっぱなしじゃあ佐久間高校の恥になりますよ」
「大丈夫。一見だらけているように見えるがみんなはサッカーに関することをしている。例えばほら、そこで寝っ転がって漫画を読んでる田中はキャプテン翼を読んでいる。
そこでパソコンをしている三井はYouTubeでドーハの悲劇を観ている。
そこで物凄い体勢で床に転がっている寝ている吉田はたぶんストレッチをしているんだろう。3年の俺と隣の大友はPS3で新作のサッカーゲームをしてるんだ」
といって深沢は大友の肩に手をまわす。
「先輩、いい加減目を覚ましてください。このままだと卒業してから後悔しますよ。もっと一生懸命やっていれば良かったって」
深沢は頭を掻く。
「そう言われてもなぁ。俺もエースストライカーの遠藤が辞めてから一時は頑張ったんだけど、やっぱ勝てないんだよ。遠藤という大きな柱が抜けてしまってからサッカー部は音を立てて崩れてしまったのだ。顧問の末次先生も愛想つかして最近めっきり見なくなった」
「先輩、サッカーは団体競技です。1人の力じゃありません。それはモチベーションの問題で技術の問題ではありません。それに今日は女子達が応援に来ているみたいですよ」
「女子?」
部室にいた約10人が声を揃えて言い、遠藤のほうを目を丸くして見ている。
大友はコントローラーを投げ捨てて部員達を掻き分けて急いで部室のドアを開けて、グラウンドのほうを観た。そしてそのまま大友は固まった。
「ど、どうした、大友」と深沢。
大友はそのまましばらくして震える声で言った。
「お、女が10人……グラウンドの土手に座ってる」
それを聞き、部室は水を打ったように静まり返った。
「何をしている!お前ら!さっさと練習するぞ!」
と深沢先生は大声を張り上げた。
うおおと叫びながら彼らは一気に部室から飛び出ていき、グラウンドまで全速力で駆け抜けた。
そしてそのまま、うおおと叫びながらサッカーボールを蹴りあげてフィールドを走りまくっている。
それと同時に女子達の黄色い声援があがる。
僕と遠藤はキョトンとしていた。
「な、なんという浅はかな思考回路」
と僕。
シンプルイズ、ベスト。
「取り敢えず成功のようだね」
と苦笑する遠藤。
次の日からみんなで魁!佐久間サッカー部を学校中に配布した。
配布というよりも、学校のそこら中にまき散らしたのだ。朝早く学校に行き、各教室の机の上一つ一つに置いていったり、トイレの個室の一つ一つに置いていったり。
そして僕達がやっているという形跡を一切見せずにそれを行った。
マンネリとした日常に変化を求めている生徒達はその思わぬ事態に敏感に反応し、彼らの好奇心を刺激した。
それから数日経つと学校はサッカー部の話題でもちきりとなった。
しかし事の発端は全く分からないといった具合である。
それだけにとどまらず、伊集院が着物姿で「天上天下・佐久間蹴球」というタイトルの歌を作詞作曲し、津軽三味線で放課後に正門の前でゲリラ的に弾き語りをしたりした。
彼の演奏技術と歌声の素晴らしさにたくさんの人だかりが出来て、ワーワーと歓声が上がったおかげで先生が何をしとるかと怒鳴りこんできた。
伊集院はで三味線を担いで、3メートルもある後ろの壁を飛び越えて、まるで忍者の如く姿をくらました。
奴は何者なんだろう。
更に週一のペースで魁!佐久間サッカー週刊という部活の練習の様子等を掲載した新聞までも作り、学校中に撒き散らすようにした。
昼休み、『魁!佐久間サッカー部始動!連敗から抜け出せるか?」という見出しの佐久間サッカー週刊を読みながら僕達Challenge to delusionは共に屋上で昼食を食べていた。
「大反響だね!凄いよ。もう練習中には毎日30人以上の女子達の黄色い声援が飛び交う事態となっているよ」
と昼飯を頬張りながら太陽のような笑顔を見せる遠藤。

「まだまだこれからよ」
と言いながら卵焼きを一口でパクっと食べるツグミ。
「遠藤どのから見て佐久間サッカー部の実力は如何程のもので?」
と自分のこぶし大ほどもあるおにぎりをムシャリッと頬張りながら村井。
「いやぁ、僕が居たころはまだモチベーションを保って、みんな頑張っていたけども。それでも地区大会の準決勝止まりだね」
と大きく首を横に振る遠藤。
「俺は一応レギュラーとして頑張っていたから責任感じるんだよね」
「大会は勝てそーなの?」
と言いながら梅干しを食べてすぼませた表情をする維菜。
「難しいね。なんてたって、ここ最近4連敗でしかも前試合10点差以上で負けてるからね」
「じゅ、じゅってん?そんなアホな」
と呆れ顔で僕は言った。
「うん。俺は一年の途中で辞めたんだけど、俺が辞めてからは4連敗で最初は0対10。次は0対15。その次は0対18。そして4戦目は0対20。別に俺が辞めてから弱くなったって訳じゃないけど、俺が怪我で辞めてしまったせいでモチベーションが一気に下がってしまったんだよね。だから責任感じてるよ」
「それにしても0対20は無いでしょう。それはもはや笑えないギャグの領域です」
と眉を潜めて言う伊集院。
アスファルトの上にあぐらを掻いたまま頭を垂れて遠藤は言う。
「大会で一回戦だけでも勝つというのがいかに大変かということを分かってもらえたかい。フフ……」
「男の本能の力を信じましょう」
とガッツポーツを作り、目を輝かせて言う鈴香。
「エロの力ですか。情けないです」とクラス長山田。
「いや、しかし本能だ」と僕。
「煩悩ではあるまいか」と村井。
「何にしろ、力は力です」と伊集院。
次の日の放課後、サッカーフィールドの土手には多くの女性陣と、そして三味線を弾きながら『天上天下・佐久間蹴球』を歌う伊集院が居た。

――ホッ ベベンベンベンベン
島国ジパング 東の京に在りて 我ら佐久間高校蹴球団 秘めた未曾有の実力 
稀有の才能 兼ね揃えた勇士達 諸行無常の中にあれど 
我らの心に永久の勇ましさを 与えたまへや 
――アイヤッ ベンベンベベベベンベン
夜桜のように美しき かつ 吠え猛る獅子のごとく 我ら蹴球団 ここに在りき
天上天下・佐久間蹴球! 天上天下・佐久間蹴球!
天上天下・佐久間蹴球! 天上天下・佐久間蹴球!
――イィャァッ ベベベンベンベンベン 
着物姿の伊集院の超絶テクニックの津軽三味線と美しい高音でかつスィーっと伸びた歌声とともに女子達が黄色い歓声を上げ、サッカー部の練習は異常なほどの盛り上がりを見せる。
部員達も燃えに燃えている。
「先輩、お疲れ様です。これ私達で作ったお菓子です。食べてください」ときゃぴきゃぴとしながら3年のリーダー深沢に手作りお菓子を渡す女子。
顔の形が変わるほど表情筋がたるんでにやけている深沢先輩。
物凄いアホの顔をしている。
特にキーパーの田村の暴挙っぷりが凄い。
ゴールをキャッチして「田村さーん素敵ー」と歓声が上がると。
凛々しい顔をして、おおおおんと叫びながらゴールキーパーにも関わらず、敵陣へと攻めようとするのだ。
これは逆効果にはなっていないだろうか。明らかに冷静さに欠けている。
遠藤に技術の程を聞いてみると、正直良く分からんらしい。
機敏なことはずば抜けて機敏らしいが、動きがサッカーのそれをしていないとのことだ。
全員がその狂った動きをしているため、通常のサッカーをしている人に通用しているのかどうか試してみないと分からないとのこと。
ということは一か八かの賭けだということだ。
しかし、もう人事を尽くした。後は二週間後の大会に向けて天命を待つばかり、なかりけり。

閑静な住宅街に佇む、比較的大きめののどかな公園がある。
僕達のミーティングルームはそこだ。
木で出来た割とお洒落な屋根とベンチがある場所もあるので、雨の時も安心だ。
細くて長い、綺麗な手をしているツグミがコーラの缶をペプシッと開け、喉を鳴らして飲む。ぷはぁと息を漏らしてから喋る。
「取り敢えず及川に動きに注意しないと。あいつら私達のこと嗅ぎまわってるわね」
「なんでも最近、少し風紀が乱れていて乱している張本人とそのグループが存在すると及川は睨んでいるようです。私達のしでかした岩下先生の一件や、今回の件によって生徒が賑やかになったのでしょう」
とクラス長山田。山田は学年長で生徒会議に出るので、生徒会長の動向を伺うことが出来る。
「あの程度で風紀が乱れていると言えるなんて、この高校がよっぽど変に保守的で、人としての何かを失っている証拠だな」
と僕は苛々としながら言った。
「生徒が目を覚ましはじめている証拠ね」とツグミ。
「それはどういうことであろうか?」と首を傾げる村井。
「彼らにとって生徒は眠っていて欲しいのよ。半分寝惚けたまま学生生活を送ってもらえると、楽だからね」
ふむぅと唸る村井。
「たけちん、シーソーしようシーソー」
と村井の服を引っ張る維菜。
「おぉ、維菜どの」とがははと笑いながら維菜と村井は少し遠くにあるシーソー台まで行って乗り出した。
「しかし私達は別に処分を受けるほどのことはしていないわ。いや、たまにちょっとしてるけどあのぐらいなら大丈夫でしょ」
「それにしても、及川琥珀という人物。私が今まで会った人間の中でも、ずば抜けて不可解であります。なんだか、人として何処かが、圧倒的に欠如しているのです」
と手を顎に当てて維菜と村井のほうを見つめながら言う伊集院。
「俺からしたらお前もかなり奇人変人の類に入るけどな」
と僕。
維菜は「たけちん、重すぎてシーソーにならないよー」といってほっぺたを膨らませている。
村井は頭を掻きながら「すまぬ維菜どの」と言っている。
「ニノが言うには生徒会長はツグミのことを恐れてるんだよね?」
遠藤はすぐ隣にあるブランコに座り漕ぎをしながらそう言った。
「あぁ、奴は予測不可能な出来事に出くわすと頭が混乱して動揺するんだ。奴はツグミとすれ違っただけでいつも動揺している。俺は人の動きに敏感だからそれが見て取れて分かる。つまりツグミという人物が全くもって自分の想定の範囲外過ぎるのでツグミの醸し出す空気からそれを読み取って混乱するんだろう」
「なにそれ?私が超変人とでもいいたいわけ?」
とツグミが後ろからその長い手で僕の頭を掴んで力をググッと入れてきてドスの効いた声で言ってきた。
「じょ、冗談です。すいません」とドモりながら言う僕。
「それはそうと、そろそろ中間テストだね」
と青褪めた表情で言う遠藤。
「余計なことを思い出させてくれたな」
と僕。
そう、みんなChallenge to delusionのミッションのせいでテスト勉強を全くしていないのだ。
キィコキィコとブランゴの揺れる音と、夕焼けの空と、テスト勉強という重みが嫌なほどに郷愁を漂わせてマッチしていた。

――ホッ ベベンベンベンベン
佐久間高校 西に在りて 我ら英雄佐久間蹴球団 世にはばからん 生きる伝説  
天下を睥睨 大和魂ここに在りき 東雲の空 輝けし一筋の光
我らの歴史に残されたり 栄光 築きたまえや 
――アイヤッ ベンベンベベベベンベン
夜桜のように美しき かつ 吠え猛る獅子のごとく 我ら蹴球団 ここに在りき
天上天下・佐久間蹴球! 天上天下・佐久間蹴球!
天上天下・佐久間蹴球! 天上天下・佐久間蹴球!
――イィャァッ ベベベンベンベンベン

伊集院の津軽三味線、そして村井の和太鼓の音、更には吹奏楽部の演奏によって「天上天下・佐久間蹴球」の歌が扇町球技場に響き渡る。
周囲にチラホラと観客席にいる人達は唖然としている。
そりゃそうだ。爆裂!関東高校サッカー大会は対して大きい大会でも無いのにも関わらず、この盛り上がり様。しかもただの一次予選。
それなのに、ざっと100人の魁!佐久間サッカー部ファンクラブ会員の女子が集結して、声援を飛ばしつつ、天上天下・佐久間蹴球の歌を歌っている。
その光景はただ一言、こう思わせる。
『狂っている』と。
しかしサッカー部員達は相当気合が入っているようだ。オーラと目の輝き様が相手選手と明らかに違う。相手の甲西高校の連中達はその光景に唖然としている。
しかしどうやら佐久間高校のことは舐めているようだ。それもそのはず。
甲西高校とは10-0で敗れているのだ。
いくら相手が気合が入っていようと、歓声が凄まじかろうと、実力の差を埋めることは出来ない。と踏んでいる。
なんでも、人間は本来の力の10~30%しか力を出すことが出来ないらしい。
例えば何かを殴った時に反動で自分にも同じダメージが加わる。
もし100%の力で何かを殴ったのなら、腕がへし折れる。
なので脳が無意識で制御して10~30%しか力を出すことが出来ない。
火事場の馬鹿力という言葉がある。
人間は脳内で興奮した時にアドレナリン物質が分泌される。
危機的状況、人を助けねばならないという時に、ドーパミンが溢れて制御のネジが弾け飛び、100%の力を出せるのだ。
マラソン選手は長期間走ることによって限界を超え、ランナーズハイというのを体験するが、あれはまさにドーパミンが溢れて疲れが吹き飛んで逆に快楽で満たされる症状だ。
スポーツ選手はリミッターを外すために色々な工夫をする。
ハンマー投げ選手はリミッターを外すために大声を出す。
ボクシング選手のモハメド・アリは寝る時に天井に「俺は世界一強い男だ」と書いた紙を貼り、その言葉を繰り返していたらしい。練習中でも、試合前でも常に言葉に出して繰り返していた。
要するに大切なのはアドレナリンだ。
アドレナリンによって実力の差を埋めることが出来る。
僕達は抑えつけているネジを外すために女子を使った。
佐久間サッカー部よ。今こそ、人知を遥かに超えた力を見せる時だ。
「いよいよですね」
と生唾を飲み、震える声で鈴香。
「甲西のボンクラどもをぶっ潰せー!」
と叫ぶツグミ。
そしてホイッスルの音が扇町球技場に力強く響いた。
ボールを持っていた深沢は大友にパスをする。
女子達が「大友先輩ー!」と狂ったように叫ぶ。
太鼓の音が激しくなり、ロック長の伊集院の三味線が激しさを増す。
大友はうぐおおおと叫びながらドリブルをし、1人目を颯爽を交わし、次に横からスライディングをしてきた2人目をジャンプで交わし、物凄い速さで敵陣へと突っ込んでいく。
3人目をフェイントで交わし、そしてゴール前にいる深沢にもシュートに近い威力でパスをした。
ボールは深沢目掛けて強烈な速さで飛んでいく。そのパスを捕らえようとした奴達が弾かれて次々に吹っ飛んでいく。
深沢はそのボールに頭を合わせてジャンプをし、渾身の力でヘッドシュートをした。
威力を増して高速回転をするボールは相手のネットに突き刺さった。
もはやキーパーは立ち尽くすのみ。
開始10秒後の出来事である。
女子達の絶叫、村井の和太鼓、伊集院の三味線、吹奏楽部の演奏の中、口を大きく開いて呆然と立ち尽くす甲西高校の奴ら。
もはや何かを凌駕していた。漫画の世界だ。そのうち羽とか生えてくるんじゃないのか。
モンスターと化した佐久間サッカー部は容赦なく相手チームのネットを揺らし続ける。
前半が終わる頃には甲西高校の連中は20歳ぐらい老け込んでいた。
それでも後半も容赦をせずにシュートを決めていく。
後半はキーパーを含め11人全員が敵陣へと攻めていっていた。
そして、試合終了のホイッスルが鳴り響く。
結果は34-0で佐久間高校の勝利。
34-0。34-0。
嘘だろ……なにそれ。
ツグミはいぇーいと叫び歓喜の声をあげている。
甲西高校の連中は全員フィールドに倒れたまま動かなくなっていた。
大丈夫か?死んでないか?
まるで戦場跡だ。その有り様は筆舌に尽くし難い。
まさか本当に人知を遥かに超えた力を見せてくれるとは。
そういえばなんだかこんな感じ映画観たことあるな。
恐るべし、女子の威力。これはもう佐久間サッカー部の力じゃなくて女子の力だ。
男を翻弄する女子力は世界を制するのかもしれない。
そしてそれは歴史が証明している。
三国志における赤壁の戦いでは曹操は大喬小喬という美女を巡って起こったとい説がある。
トロイア戦争もそうだ。
トロイアの王子に奪われたスパルタ王妃ヘレネを奪還することが戦争の大義名分となっていた。
世の中の半分はラブストーリーで出来ているのかもしれない。
悪く言えばエロの力だ。
翌日、「魁!佐久間高校サッカー部34-0の圧倒的勝利で1次予選突破!」と大きな文字で書かれた号外が校門前で「号外!号外!」と叫びながら10人ほどの生徒が配っていた。
彼らもChallenge to delusionが雇った回し者である。
「何の騒ぎだ!」と及川生徒会長が部下と先生を引き連れて彼らを引っ捕らえていた。
そう、奴は先生を「引き連れて」歩くのである。狂った権力。
僕はその様子を二階の自分の席の窓辺から眺めていた。
「こりゃぁ優勝出来ちゃうね」
と僕の机の上に座って含み笑いをしながら号外を読む遠藤。
「優勝出来たら初優勝じゃないの?」と微笑をして僕。
「そうだね。佐久間高校サッカー部は最弱として有名だから他の高校は舌を巻いて驚くと思うよ」と遠藤。
「最弱から最強か。いいね」
と僕。
「嬉しいけどちょっと、残念。はは」
と悲しい顔をして弱々しく笑いながら言う遠藤。
「でも遠藤のおかげだし、遠藤が辞めてなかったらこうはなってなかったんだぜ」
と僕。
「ありがとう」
といつもの笑顔を取り戻して遠藤。
昼休み、弁当を持って1人で屋上へ行こうと廊下を歩いていると、前方から部下を複数引き連れた及川琥珀が僕を睨みながら歩いてきた。不機嫌そうな顔をしている。
生徒達は及川を避けて小走りに去っていく。
前から近づいてくる及川一味を僕は避けずに立ちはだかった。
「無礼者!誰を目の前にしていると思っている!避けい!避けい!」
と後ろの何人かの部下が僕の目の前に来て叫ぶ。
及川は片手を上げ部下達を退かせ、僕を睨みながら静かに言った。
「最近、無許可で誰かがサッカー部の記事を書いた雑誌や号外を学校中に撒き散らしているようだ」
「へぇ、そうなんだ」とすました顔で僕は言った。
「誤魔化すな」と強い口調で及川。
「お前たちが仕向けていることだと分かっているんだ」
僕は頭をポリポリと掻いていう。
「何処に証拠が?でっち上げるなよ。生徒会長さん。それに、結果的にサッカー部が優勝出来るかもしれないし良いんじゃない?」
「結果なんぞどうでもいい。私は風紀の乱れを懸念しているのだ。結果が良ければ校則違反を犯しても良いと言うのか?倫理感の欠けた低俗な発言はよしたまえ」
と僕に向かって指をさす及川。
「学校に悪影響が出ているのか?良い影響が出ているじゃないか。それに独裁的なほど保守的な佐久間高校の校則は絶対に変わらないし、俺達は何一つ新しい事が出来ない。向上心が無い人間は問題を起こさない。俺達を半分寝惚けた様で何も考えずに、疑問を何も持たせずに死んだように生かせるのがお前たちだ」
と及川を睨みながら僕は言った。
「水掛け論はよしたまえ。風紀が乱れているのは確かだ。生徒達が騒がしくなっている」
と声を荒らげて及川。
「今までの生徒の静けさが異常だよ。まるで何かに怯えているように感情が抑えこまれてさ。今のほうが人間として生き生きしているじゃないか」
と僕。
「校則は守る。それが社会の常識です」と及川が僕に額を当てて押してきた。
「個人の尊厳を守るのが基本的人権の尊重。それが日本国憲法だ」と言いながら僕は押し返した。
火花がバチバチと散り、僕と及川の周囲の空気がユラユラと揺れ動く。気がする。
その時、背後から「あんたら何してんの?」とツグミの声。
及川はツグミを観た瞬間に動揺し、後ずさりをし始めた。
「きっと、後で後悔することになるだろう」と冷酷な声で言い、及川は部下を引き連れてその場を後にした。
それにしても冷徹冷酷な奴である。奴の額も心なしか冷たくて硬かった。
「及川の奴、大分ムキになってるな。気をつけないと」
と及川とその部下達の小さくなっていく背中を見送りながら僕。
「あっそー」
と気にも留めないでツグミは昼食のサンドイッチをもぐもぐと食べている。
「せめて屋上着いてから食べたらどうなんだよ。はしたない」
と言うとツグミはうるせぇと言い僕の背中を殴ってきた。
それから一週間後の2次予選も35-0で相手をぶち破った。
そして準決勝も強豪高校を25-0で圧勝。
そしていよいよ決勝を迎えた。決勝前夕。
公園でのミーティング。この日は雨が強く降っていたので公園の屋根のあるところへ避難した。
「いよいよ。明日勝てば優勝ね」とツグミ。
「もう優勝間違いないでしょうな」ワッハッハと痛快に笑う村井。
既にみんな優勝気分である。
しかし遠藤は険しい顔をしていた。
「どうした?遠藤」と僕。
「それが、明日の決勝の相手なんだけど、極魔高校と言うんだが、かれこれ全国大会10連勝中の伝説の高校なんだ……」
「10連勝って凄いな。っていうかそれ以前に凄い名前の高校だな。でも佐久間高校サッカー部は既に人間を超えてるから大丈夫だろ?」
と言いながら遠藤の肩を叩く僕。
「いや、正直言って奴らも人間を超えた実力なんだ。奴らは2軍も3軍も含めて全員物凄い体つきをしている。まるでステロイドでも打ってるんじゃないかという。そしてその実力は凄まじい。奴らと対戦するとその鬼攻によって必ず負傷者が出ると恐れられているんだ。人呼んで地獄の使者達と呼ばれている」
「誰よそんなダサい呼び名を付けたのは……赦せない」とツグミ。
そこが赦せないのか。
「実際ステロイドは打っているのですか?アスリート、武道家にとってそれは在るまじき行為」と低い声で唸るように村井。
遠藤は首を横に振って言う。
「いや、ステロイドかどうか、何なのか分からないが。一度奴らの試合を観たことあるんだが、試合が始まる前にみんなで何かの錠剤を飲んでいた。
その錠剤を飲むと奴らの筋肉が痙攣し、大きくなったように見えた。
ちなみにその試合は54-0で極魔高校が勝った。試合が終わる頃にはほぼ全員が担架で運ばれていた」
「もうなんかサッカーの試合の点差じゃないだろそれ。本当にお前はその時サッカーを観戦したのか?」
と僕。
「あぁ、そして奴らは何か間違いなく筋肉増強剤なのか、卑怯な力を使っている」
と握りこぶしを作る遠藤。遠藤は卑怯なことをする奴が嫌いなのだ。
この前もじゃんけんで後出しをして結構本気で怒られた。
「本来人間が持っている自然の力と奴らの自然をねじ曲げた科学の力か。勝負してやろうじゃないの」
と胸を張るツグミ。
伊集院が静かに口を開いた。
「極魔高校は10年前にシマヅというマッドサイエンティストとして裏の世界で有名な科学者の権威を持つ男を雇いました、シマヅは物理の先生としてそしてサッカー部の顧問としてそこに居ます」
伊集院の目が心なしか睨んでいるかのように鋭く感じる。
それにしても、展開がだんだんと飛躍してきて疲れてきた。
「取り敢えず、ドーパミンを上げるためにいくつか手を打っている。それに期待しよう」
と遠藤。
人間が本来兼ね揃えている超自然的な力か。或いは人間が何千年と培ってきた人工的な力か。自然VS科学の勝負ということか。

「ちょっとちょっと、あんたんとこのサッカー部凄いらしいわね。井戸端会議で聞いたわよ。明日決勝戦でしょ?」
と夕食のカレーを食べている時に母が言ってきた。
「あぁ、そうだよ」と何食わぬ顔で僕。
「ねぇねぇ、お父さん。凄いと思わない?今まで弱小サッカー部が一気に強くなったんだって。ドラマチックね」と嬉しそうに母。
「お前は何か部活はしないのか?」
とカレーを一心不乱に食べながら、しかし声は冷静に、父。
してるといっちゃぁしてる。それもそのサッカー部に大きく関連性がある。しかし言えない。
「してないよ」と言いながらカレーをぱくりぱくりとリズム良く口に放り込んでいく僕。
「部活はしたほうがいいぞ。特にスポーツ系をオススメする。私は陸上部に入ってそれなりに活躍したものだ」とカレーの湯気で曇った眼鏡のまま食べ続ける父。
「そうなんだ。それは意外だね。それにしても、何故スポーツ系の部活に入ったほうがいいんだい?」と僕。
「そこには理不尽なことがたくさんある。先輩のユニフォームを洗わされたり、運動場の整備をいつもやらされたり、顧問の先生からは水も飲まされずによしと言われるまで延々と走らされたり。そういった理不尽さに耐えていくことで社会に出てからの理不尽さに耐えていくためのハートが鍛えられる」と淡々と語る父。
「社会とはそんなにも理不尽なものなのかい?」と僕。
「そう、社会とはそんなにも理不尽なものなのだ。それが現実だ。しかしそんな現実に逃げていると、社会的地位が低くなり不自由な暮らしを虐げられることとなる。もっともスポーツ系の部活に入らないと社会的地位が低くなるということではない。ただ、理不尽な社会で生きていくためには或いはそれも有効な手段だということだ」
と父。
いつの間にかみんな夕食を終え、くだらない芸能人の格付け番組を観ながら余韻に浸る。
「一郎は将来何になりたい?」と爪楊枝を加えながら父は言う。
「そうだね。夢は作家だよ。なれると思っていないけどね」と僕。
「そうか。それなら今から本を書くべきだ。本を書いているか?」と父。
「書いていないよ」と僕。
「そうか。それなら難しいな。今日、本を書いているなら、なれるだろう。しかし、今日、本を書いていないなら諦めたほうがいいだろう」と父は冷静に言った。
言わんとしていることが分かった僕は、なんだか腹が立ち自室に篭った。
明日はとうとう、決勝戦。相手は人造人間のようなものだ。勝てるのか。

――朝の扇町球技場は盛り上がっていた。
既に女子達は到着し、観客席で部員の顔がでかでかと載った恥ずかしいウチワを仰ぎながら、応援幕や応援旗をせっせとセットしている。
かなり本格的である。ファンクラブの数は100人超。
そして吹奏楽部、村井の和太鼓、伊集院の津軽三味線、それぞれ準備をしている。
グランドを挟んで前方の敵側の観客席には極魔高校の応援団が20人ほど整列している。
真っ黒な制服に白い手袋をはめたやたら体格が良く人相の悪い、ギラギラとした目の20人は迫力があった。奴らも変なクスリやっているんじゃないのか。
他にも極魔高校の応援に来ている柄の悪い奴らがたくさんいる。
約8割がリーゼントとモヒカンとスキンヘッドで構成されていて制服は全員が長ランやボンタンを着用している。
女子(?)はドクロの模様のマスクを着用して全員スカートの裾がやたらと長い制服を着ていて何故か竹刀を持参している。
たまにミーハーヤローどもぶっ殺すぞというヤジが飛んでくる。
絶対偏差値低いだろあの高校と僕は思った。
女子達はやだーこわーいと眉を潜めながらヒソヒソと喋っている。
さすがの女子も意気消沈気味だ。こいつはマズイ。
「イチロー、あそこだけ昭和だよ」と僕の服を引っ張りながらまるで天然記念物を発見したかのように目を輝かせているツグミ。
しばらくすると、アナウンスが入る。
「それでは、爆裂!関東高校サッカー大会、決勝戦を始めていきます。始めに極魔高校サッカー部の入場です」
極魔側の応援席から一斉にうおおおという荒々しい雄叫びが扇町球技場を包んだ。
応援団の太鼓が腹の奥まで響くほどの爆音でドゴンドゴンと鳴り響く。
「キラー!キラー!極魔サッカー!ぶっ殺せぶっ殺せ極魔サッカー!」
という応援団員の犯罪的を助長する掛け声。
極魔側の応援席だけ明らかに空間が歪んでいた。
黒い霧のようなものがトグロを巻いているかのような雰囲気である。
そして彼らの目が怪しくギラギラと光っていた。
地獄からの使者という呼び名はあながち間違ってはいない。
僕達は圧倒されて声がでなくなっていた。
そしてフィールドに極魔高校サッカー部が現れた。
黒いユニフォームに身を包んだまるでボディビルダーかのような肉体の彼らは何故か全員がスキンヘッドで眉毛も剃り落としていた。しかも何故かみんなほとんど白目で黒目が無いかのように見える。
その光景はまさに異様。
ウゥウゥゥという獰猛な野獣のようなうめき声が奴らから聴こえる。
立ちすくむ僕達。
「続いて、佐久間高校サッカー部の入場です」
というアナウンスの声。しかも誰もかれも声が出なかった。
「みんな!昭和の奴らに圧倒されてどーすんの。応援するよ!」と大声でツグミ。
昭和とかそういう問題じゃない。
伊集院が三味線を掻き鳴らすのと同時に極魔高校に負けないほどの村井の迫力のある太鼓がこだまする。
そして吹奏楽部の洗練された演奏。天上天下・佐久間蹴球の歌が始まる。
――ホッ ベベンベンベンベン
世界の片隅 名門校に在りて 我ら佐久間高校蹴球団 光の子とし地上に舞い降り 
闇の圧制 打ち破る神の子達 悪逆無道の世界にあれど 
我らの心に救いの勝利を 与えたまへや 
――アイヤッ ベンベンベベベベンベン
カトレアの花のように美しき かつ 悪をねじ伏せる聖者のごとく 
我ら蹴球団 ここに在りき
天上天下・佐久間蹴球! 天上天下・佐久間蹴球!
天上天下・佐久間蹴球! 天上天下・佐久間蹴球!
――イィャァッ ベベベンベンベンベン 
佐久間高校サッカー部がフィールドに現れるとともに女子たちの熱狂的な声援が扇町球場を揺らした。
奴らが憎悪の塊とすると僕達のそれは正義の光に包まれているかのようだった。
両チームは互いに中央で整列する。
審判が何かを言っている。
極魔高校の奴らは殺意に近い睨みを効かせて佐久間高校を威嚇していた。
佐久間高校も負けじを睨み返す。フィールド中央の空気が音を立てて揺れ始める。
すると、極魔高校11番が手で合図をするとともに、全員が一斉に手に握っていた何かを口の中に入れ、飲み込んだ。
すると遠目でも分かるほど彼らの身体が痙攣を始め、顔に血管が浮き出始めた。
そしてまるで悪魔のような唸り声が響き渡る。反則だろ。
どう考えてもドーピングの類じゃないか。審判注意しろよ。注意というか反則負けだろ。
佐久間高校はそれを目の当たりして全員が足を震わせ、一気に縮み上がった。
彼らの動揺っぷりが観客席からも見て取れるほどだった。
蛇に睨まれた蛙とはまさにこれ。
「深沢せんぱーい!素敵ー田中さーんかっこいー!」
という女子の声援が聴こえたと同時に彼らは勇気を取り戻し、極魔高校の連中をキッと睨み返した。絵に描いたような単純。
しかしそんな佐久間高校をまるで子供扱いするかのようにニヤニヤと不気味な笑みを浮かべる極魔高校。
そして、審判が腕時計を見、それと同時にホイッスルを吹いた。
戦いの火蓋は今、切って落とされた。
ボールは極魔高校からだ。ボールを保持しているリーダーの11番が深沢をジロリと見、そしてニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
そして11番は大胆にも足を大きく振りかぶり、目にも止まらぬ速さでボールを蹴りあげた。
ボールは深沢を直撃し、そのまま深沢はボールにえぐり込まれながらロケットのような速さで飛ばされていく。爆裂音とともにボール(+深沢)は佐久間高校のゴールネットへと一直線で飛んでいく。
1人がそのボールにかすり、バスンと音を立てて豪快に弾き飛ばされた。
ボール(+深沢)はゴールネット目掛けて、そしてキーパーの田村目掛けてマッハの速度で飛び込んでくる。
田村は足が震え、その場から動けなくなっていた。
そしてそのままボールと深沢は田村を捉え、ボールと深沢と田村は仲良くゴールネットを揺らした。
数秒ほどの沈黙。そして審判のホイッスル。極魔高校の雄叫び。固まる僕ら。
「む、無理だろこれ」
と僕は呟いた。
「まだ始まったばかりで諦める馬鹿が何処にいる!」
とツグミは胸ぐら僕を掴んで叫ぶ。
「そうだよ。ニノ。諦めたらそこで試合終了だ」
と遠藤。何処かで聞いたことのあるセリフだ。
女子の悲痛な声援によって深沢と田村はフラフラとしながら立ち上がる。
鼓舞させようと女子達がやっけになって声を張り上げる。
その中でも『ベッカムよりもネイマールよりもあなたが素敵』という声援が彼らの脳を刺激し、ドーパミンが溢れ始めた。
しかし、そんな声援も虚しく極魔高校のイカレた猛攻に為す術の無い佐久間高校は攻めるのなんて到底不可能で死守するだけに必死であった。
しかしそれも虚しくゴールネットを揺らされ続ける佐久間高校。
そして何度もボールで吹き飛ばされる。
1人は極魔高校とぶつかり5メートル吹き飛んでそのまま担架で運ばれていった。
しかしファウルにはならなかった。
だが極魔高校の選手がボールを持った佐久間の選手の服を強引に引っ張ると、その佐久間の選手は投げ飛ばされたように吹き飛んでいき、それはさすがにイエローカードが出されたようだ。いやいや、レッドカードだろ。
そんなこんなで5人ほどが担架で運ばれ選手交代をしていた。
まるで全員ボロ布のようになっている。
必死でゴールを守っていた田村は何度となくロケットのようなボールを受け止めようと突っ込み、そして吹き飛ばされ続け、もはや血塗れである。
「おいおい、ゴールキーパーの田村ヤバイんじゃないか?なんで交代しないんだ?」
と僕。
遠藤は顎に手を当てて、言う。
「田村は今、友達以上恋人未満の関係の女子がいるんだ。彼女の名前は百合という。ちょうど、この大会の1回戦が終わってから百合と田村の仲は一気に深まった。田村はその百合のことが1年の時から、否、入学した時に目が合った時から恋をしていた。そして田村はこの試合が始まる前に、控室にねぎらいの言葉を掛けに来た百合に対して田村はこう言った。『この試合が終わったら俺とデートしてくれないか?』と。百合は顔を赤らめて頷いたんだ」
「それ、死亡フラグというやつだろ」と震える声で僕。
「奇跡を、信じよう」と静かに遠藤。
その時、前半の終わりを告げるホイッスルが鳴った。
極魔高校は何の疲れも見せずにベンチへと戻っていく。
一方佐久間高校はみんなで肩を組んで支え合いながら、足を引きずりながらベンチへと戻っていく。
それを見て極魔高校の応援席からどっと笑いが起こる。
遠藤は極魔高校の応援席を鋭く睨みつけて叫んだ。
「必死で頑張ってる奴を笑うな!」
その遠藤を見て更に下品に笑う極魔高校。
臭い3流スポ根ドラマのようなセリフだが、遠藤が言うとサマになる。
僕はいきり立った遠藤をなだめた。
前半戦の結果は……35-0。もはや絶望的である。
モーセが海を割ったほどの奇跡が起こらないと勝てないだろう。
「ニノ、行くぞ」と遠藤は僕の腕を掴み、何人かの女性陣も引き連れて、佐久間チームのベンチへと駆け足で向かって行く。
フィールドに降り、屋根が掛かったベンチまで辿り着くと、そこには酷く破けたユニフォームを身にまとった傷だらけのサッカー部員達がいた。
みんな息絶え絶えにその場ね寝そべっている。
その光景を上から見下ろしながらぎゃははと下卑た爆笑するをする極魔高校の観客席の奴ら。
女子達が懸命に彼らを看病する。「先輩、大丈夫ですか?」と女子に触れられた深沢リーダーは「まだまだ、これからだぜ」と言いながら膝を立てて起き上がろうとする。
百合が血塗れ(とまではいかないが)の田村キーパーに駆け寄る。
「田村君、もう交代して。観ていられない」と涙目の百合。
差し伸べてきた百合の細い手を田村は握り返し、言う。
「俺は今まで一度も戦ってこなかったんだ。今までいつも俺は逃げてきたんだ。どうせ遠藤がいないから勝てないとか、万全ではないから勝てないとか。何かと理由をつけて戦う前から試合を放棄していた。もしくは誰かを頼みとしてきた。それはサッカーに限らず、なんでもそうだった。俺はいつも誰かについていくんだ。先頭を誰かに頼んで、引っ張ってもらうんだ。それが楽だったから。そして百合、君に関しても俺は逃げていた。
どうせこの俺が百合と付き合えるわけがないとか告白する前から諦めていた。
俺はいつでも逃げていた。それは正々堂々と戦って負けるのが怖いからだ。だから戦う前から試合放棄をして、ヘラヘラと笑っていた。でももう違う」
田村は百合の手を握ったまま、よろめきつつも立ち上がる。
ちょうどその時、ベンチに置きっぱなしの誰かのスマホのアラームが鳴り出した。
アラームの音楽はロッキーのテーマソングだ。
田村は続けて話す。
「もう俺は逃げない。真の敗北とは逃げることだ。それは試合に負けて、自分にも負けたことを言う。正々堂々と戦って負けたのなら、胸を張って帰ればいいんだ。それは試合に負けても、自分には勝利したんだから。試合の勝ち負けよりも大事なのは自分に負けないことだということに、さっきの試合で気付いたんだ。試合の勝ち負けなんて二の次なんだよ」
田村は百合の目をまじまじと見つめて続ける。
「俺はさっきも曖昧なことを言って逃げていた。はっきり言おう。百合、この試合が終わったら、俺と付き合ってくれないか?」
百合は涙を流しながら、しずかにコクリと頷いた。
深沢が立ち上がり、振り絞って言う。
「みんな、試合はまだ終わっちゃいない。最後の最後まで全力を出し切るんだ。全てを出し切ればきっと悔いはない」
「行くぞ!佐久間高校!」と深沢は叫んだ。その声は佐久間高校の観客席にまで届き、そして天上天下・佐久間蹴球のテーマソングが流れる。
女子に看病されたことにより、彼らの士気と体力は完全に回復したようだ。否、回復どころかメーターを振りきっている。闘士が爆発した。うおおおんと彼らは雄叫びをあげた。
極魔高校の連中はまだ佐久間高校のやる気が損なわれていないことに驚いているようだ。
そして、後半戦のホイッスルがけたたましく鳴った。それと同時に雨がポツポツと振り出し、すぐに豪雨と変わった。しかし、観客席からは誰1人として帰る者はいない。
鳴った瞬間深沢はドリブルをして、1人目をフェイントで抜かす。
そして前にいた大友(3年のやつ)にパスをするが、何処からともなく現れた極魔のDFに呆気無く取られてしまった。DFには鬼のようなドリブルをして、ゴールに向かって行く。
何人かが止めようと近づくが、そのドリブルに発生する竜巻のような風で吹き飛ばされてしまう。
「やはり、駄目か」とうなだれる僕。
「いや、まだだ。田村の目を見るんだ」
と遠藤。
雷がピカっと鳴る。
田村の目はりんりんと輝いていた。
DFは前方にいた極魔リーダー11番に豪快なパスをした。中間にいた佐久間部員が軽く吹き飛ぶ。
そして11番はゴールに向けて猛攻する。
怖気ずにゴール中央に腰を据えて、手を広げたままの田村。
そして、11番と田村は一対一となる。11番が笑みを浮かべ、ボールをおもいっきり蹴り上げた。
ボールは高速回転をしながらビョオオと音を立てながらゴール目掛けて突っ込んでくる。
11番は余裕綽々でボールをゴールど真ん中田村目掛けて飛んでくる。
「駄目だ!田村避けるんだ!」と遠藤が叫んだ。
雷が何処か近くに落ちて爆音が辺りに響く。
田村はそのキャッチをしようとボールに触れた瞬間、田村は宙高く舞い上がり、そこで木枯らしに舞う枯れ葉のごとく宙で高速にダンスをし、容赦なく地面に叩きつけられた。
ボールはころころと転がり、再び11番の足元に来た。
奴は遊びやがったのだ。本来は一発で決めれるシュートを村田に当てて遊んだのだ。
遠藤はワナワナと震えている。
田村は倒れこんだまま、立ち上がろうとするが、ダメージが大きくて中々立ち上がれない。
そこにまた、11番は冷酷にも田村目掛けて蹴り上げようと足を振りかぶったその時。

「田村君!自分に負けないで!」
と百合が立ち上がって絶叫をした。その声は扇町球技場を包み、全ての騒音が掻き消された。みんな驚いて百合のほうを見た。
次の瞬間、田村はうぉおおんぎゃあすと、腹の底から、地の底から全てを出し切って唸り上げるような叫び声を上げた。
それに気付いた11番は田村を睨みつけ、同じようにうぎぃやぉぉおと雄叫びを上げてボールを蹴りあげた。
なんと、田村はそのボール目掛けて全速力で突進していく。
ボールは竜巻のごとく、地面の表面を削りながら田村目掛けて突っ込む。
田村はそのボール目掛けて右腕を振り上げ、固く握った拳で今や遠心力で細長くなっているボールに目掛けて渾身の力で殴り飛ばした。
聞いたことのないような凄まじい衝撃音とともにボールは弾かれた。
そして目を丸くしている11番目掛けてボールはマッハ3ぐらいの速度で飛んでいき、11番はボールに触れた瞬間宙高く舞い上がった。そのボールは上手いこと極魔高校の連中だけに当たりながら、彼らは宙高く舞い上がっていき、ボールは極魔高校のゴールネット目掛けてビョフォォという音とともにぶっ飛んでいく。
それにしてもこのボール良く破裂しないなと場違いなことをふと思う。
極魔のキーパーが怯えつつもボールをキャッチしようと待ち構える。
しかしキーパーはボールを腹深くキャッチしたとともにそのまま飛ばされて、ゴールネットに突き刺さった。ゴールポストが宙に浮き、後ろに激しく倒れた。ゴィィィンという間延びした音がしばらく響き渡る。
審判のホイッスル。ワッ湧き上がる歓声。
それが、スイッチとなった。彼らは今や完全なるセーブの解放を遂げ、極魔高校を鬼神のごとく勢いで攻めまくった。次は極魔高校がボロ雑巾となる番だった。
ところでこれなんのスポーツだっけ。
観客席から見る佐久間高校は完全に弾丸のようだった。
11人全員(田村も含め)が弾丸となり、攻め上げ、ゴールを決める。
そして、ホイッスルが鳴った。
結果は佐久間高校74点。極魔高校35点。
「やったぁ」と喜び叫びながら遠藤は僕と熱く抱き合った。
みんながみんなで、抱擁をしあい、喜びを分かち合う。
僕達は一斉にフィールドに走っていく。フィールドで僕たちは互いにハグをしあい、部員達を胴上げをする。
「百合!」と叫びなら人を掻き分けて進む田村。
「田村君!」と叫びながら同じように人を掻き分けて進む百合。
そして二人はみんなが優勝を喜び燥いでいる中、フィールドの真ん中で抱き合っていた。
僕だけがその光景に気付いていた。
僕は彼らのために小さく拍手をし、微笑んだ。
あの日本トップクラスの最弱チームが日本一のサッカーチームに対して圧勝し、見事な優勝を果たしたのだ。
このサッカー(?)の試合は間違いなく、歴史に名を刻んだだろう。
扇町球技場はこの試合によって見るも無残な姿へと変えられた。
おそらくもう使えないだろう。ところどころに大きい穴が開いている。
その中でも一つの穴はまるで別の世界へと繋がっているのではないかというほど大きい。
扇町球技場を穴だらけにしてしまうとは。
なんという人間超え。
恐るべし、ドーパミンによる超自然の力。
「イチロー、やったね!」とツグミが僕におもっきりビンタをしてきた。
「ごめんごめん、ハイタッチしようとして間違えたと」言い、キャハハと笑うツグミ。
そして、恐るべし、全てを仕組んだツグミ。と思いながら涙目で頬を擦りつつ腹を抱えて笑うツグミを見つめる。
――Challenge to delusionがサッカー部から手を引いてからも、ファンクラブの勢いは衰えず、そしてサッカー部は入部者が殺到し、佐久間高校で最も人気のある部活へとなった。
文字通りの死合いが終わって、すぐに夏休みが来た。
夏休みに入る直前に僕達はまた公園でミーティングをした。
「夏休みは私たちも力を蓄えるために休んだほうがいいかもね」と手団扇をしながら、アイスを食べつつ、ベンチにだらしなく座るツグミ。
猛暑に比例するかのように蝉の鳴き声が激しい。
ミーティグの場所を考えないといけないなと僕は思った。
「ところで、それ誰?」
とツグミはそれのほうに指をさした。
そこには厚底眼鏡をかけたボサボサで天然パーマの髪の毛が目立つ、電柱柱のような痩せぽっちの男がベンチに座って居た。ツグミに指をさされてビクッとするそれ。
僕たちもみんなぎょっとして驚いた。いつの間に奴は存在していたんだ。
「しげちん。自己紹介しなさい」
と隣にいた維菜がまるで小動物でも扱うかのごとく、しげちんとやらの頭をポンポンとする。
「あ、あああの、ぼぼく、相川重信って言います。佐久間高校1年です」
「何の用だ。貧弱ヤロー」とワザと脅すように乱暴な口調でツグミ。
相川はひぃっと小さく悲鳴をあげすいませんと消え入るような声で言った。
「イジメては可哀想です」と困り顔の伊集院。
「この子ね、あたしが放課後の帰り道に、路地裏からなんだか、もっと金持ってこいよてめーとか、根性焼きすっぞこらとか怖い声が聴こえてきたから恐る恐る覗いてみたの。
すると同じ学校の3人の生徒が1人をよってたかって殴ったり蹴ったりしてて私思わず何してるの!警察呼んだよ!って叫んだの。そしたら奴らは警察っていう言葉にびっくりしてスタコラーって逃げていったの。その殴られてたのがこの子」
と相川の頭を撫でる維菜。相川は項垂れて挙動不審でいるが、心なしが嬉しそうだ。
羨ましい奴だ。お前は今佐久間高校のアイドルに頭を撫でられているのだ。それがどういうことか分かっているのか?と僕は相川を激しい妬みの心で睨みつける。
「それで、維菜はこのガキをどう調理したいわけ?」
とツグミはワザと冷酷な声で言う。
相川は調理という言葉に反応して、小さい声でえ?え?と言いながら泣き出しそうになる。
「ツグミー。しげちゃんイジメちゃだめー」とツグミは頬を膨らませて眉をひそめて怒った。
僕はもっとやれと思った。
「しげちゃん入学してからすぐに悪い奴らに目をつけられてイジメられだしたんだって。しげちゃんって凄い細いし、キョドってるし、弱々しそうでしょ?だから目を付けられちゃったんだね。だからあたし思ったの。もししげちゃんがこの夏休みの間にムキムキになって学校に戻ってきたらみんな目をまんまるにして驚くんじゃないかなって。それでもう手出し出来なくなるんじゃないかって」
ツグミはおぉっと小さく感嘆の声をあげて言う。
「しかし、一ヶ月半でそんなムキムキになれるもんなの?村井分かる?」
とツグミ。
「はい。私の父は元ボディビルダーでジムを開設していますが、そのジムではスーパートレーニングというプログラムがあり、それでは3ヶ月の間に別人のごとく筋肉を肥大化させています。そのメニューをさらに凝縮し、一ヶ月半ジムにに住み込んでもらい、付きっきりで専属トレーナーが訓練をするなら、おそらく出来るでしょう」
とムキムキ代表の村井
「たけちん、なんとかそれしげちゃんにしてあげれない?」と両手を合わせて涙目で懇願する維菜。
「維菜どのの頼みなら断れるわけないじゃないですか。それに武術というのは本来、弱者のためにあるものです。元柔道家の私としてもやり甲斐のあることです。筋力トレーニングに加え、身を守るために格闘技もメニューに取り組みましょう」
と村井はたくましい腕を組み、厚い胸を張って言う。
「このガキ、ガリガリだけどそれなりに身長があるから、筋肉付けると見てくれも良くなるんじゃない?やい、貧弱ヤロー。身長と体重を教えろ」
相川はツグミに完全に怯えている。
「し、し身長は170センチで体重はよ、46キロです……」
と枯れ枝のような手足に洗濯板のような胸の相川。病的な体だ。
「あんたもうイジメられたくない?」
とツグミ。
「はははい、イジメられたくないです!」
と相川。
「じゃあ、夏休みの一ヶ月半、猛特訓する根性ある?」
とツグミ。
「ぼぼぼ、ぼく、強くなりたいです!」
と相川。
「相川どの、過酷な訓練となるが、逃げ出さないと誓いますな?」
とベンチに座っている相川に目線を合わせて村井は山岡の目を見つめながら言う。
「ぼ、僕頑張るのでよろしくお願いします!」
と声を振り絞る相川。
「では、よろしくお願いいたす。私は村井武志を申します。私も夏休みを返上して、相川どののために人肌脱ぎましょう」
相川と山岡は握手をし合った。
さぁ、この相川がどう変わり、そしてイジメっ子達がどんな反応をするのか今から楽しみだ。


――「ニノは明日からの夏休みどうすんの?」と放課後帰り支度をしている僕に問うてくる遠藤。
「何も考えていないなぁ。取り敢えず本を読むよ」
と僕。
「あんまし引き篭もってると駄目だよ。どんどん根暗になるからね。たまには俺と遊ぼうよ。後、Challenge to delusionのみんなで何処か行ったりしようかと計画してるとこなんだ」
僕も人並みの青春を送れそうだ。根暗な僕でも人並みの青春に興味が無いことは無い。
悟り系男子の父は夕食のチキン南蛮を共にハフハフしていた時に言っていた。
「中学の青春は小学生の時とまた違う。そして高校の青春は中学の時とまた違う。さらに、 大学の青春は高校の青春とまた違う。いいか、後悔するなよ。全てはその時一度きりだ」でも無理もするな。背伸びも背縮みもするな。自然体のお前でいけ」
自然体。それが一番良いものなんだろうと思う。
ディス・イズ・ニヒリストも卒業しよう。
このままいけば大学生活はおそらく立派なデカダンサーになるだろう。
デカダンサーなんてただのひねくれ者なだけだ。もう少し素直になりたいものだ。
遠藤のように。
そう思いながら僕は書店に入りライトノベルの大人買いをした。

――「ニノ、ライトノベルにめちゃめちゃハマってるね」
と夏休みが始まって早速僕の家に遊びに来た遠藤はコップの中の氷をボリボリ噛み砕きながら言う。
僕の本棚の半分は既にライトノベルに埋め尽くされていた。
「あぁ、俺も背伸びをするのをやめてもっと普通の青春を送ろうと思ってさ」
と僕は照れながら笑った。
「え?ライトノベルを読み耽るのは普通の青春ではなくないかい?普通の定義は分からないけど、それはヲタッキーな青春だと思うよ」
呆然とする僕。確かに。
「俺、間違ってたよ。普通の青春ってどんなのだろう?」
「普通……それを平均的と受け止めるなら、いくらヲタクが多くなったとしてもやはり今でもファッションに気を使い、仲間とマクドやどっかでダベったり、女の子とデートしたりすることでないかな?」
と遠藤。
「なるほど……じゃあ俺、夏休みはそれを心がけてみるよ」
「まぁ、でも普通とかにとらわれないでニノが何をしたいのかが大事だよね。俺はニノが難しい本読んでる姿嫌いじゃないけどなぁ」
「あぁ、最近自分が本当は何をしたいのか分からなくてさ。俺は難しい本を読んで自分が特別優れているだという優越感を味わいたいんじゃないかなぁって。実際それはあるんだけど、一度そういうのを全て取り払って、純粋にこれがしたいというのを見つけたいんだよね。だから取り敢えず色々やってみようと思って」
遠藤は微笑みながら言う。
「それ凄い良いことじゃん。自分が『これが好きだ』と思うものって、遺伝子にそう刻まれてるってことだからね。なんで遺伝子にそう刻まれてるのかってそれが使命だからそう刻まれてるんだって俺は思うんだ。だからそれをやるべきなんだよ。だって好きなことってやりたいじゃん?これが好きだ遺伝子に刻まれてるって言わば神様がそれをしなさいって言ってるんだと思うよ。それはまさに使命だよ。そしてその純粋に好きなことって必ず人に役立つことだよ」
僕は遠藤の言うことに感銘を受け、胸に何か熱いものが込み上げるのを感じた。
「取り敢えず俺は本を読むのが好きだし、映画を観るのも好きだ。Challenge to delusionの活動も好きだなぁ。後は本を書いてみたいし、旅もしてみたい」と僕
「じゃあ取り敢えずやってみたいってことやってみるのはどうだろう?」と遠藤
「そうだな、そうしてみよう」と僕。
そうして僕はこの日からある小説を毎日チョコチョコと書くことにした。
夏休みは蝉の鳴き声とともに過ぎてゆく。
僕もそれなりの一般的な青春を謳歌するために遠藤とその仲間達と遊んだ。
遠藤の仲間達は僕を快く受け入れてくれた。
あっという間に8月に入る。森山駅の近くで大きな花火大会があった。
Challenge to delusion一派はその祭りに一緒に行くことにした。
「花火大会、夕方5時、森山駅で待ち合わせ」と素っ気ないメールがツグミから来た。
夕食の材料を買いに行った母に夕御飯は要らぬとメールをし、準備をして森山駅に向かった。
メールでお手軽に連絡が出来るこの時代。そのメリットとデメリットを考えつつ、メールという機能は人間を駄目にするのか。それとも良くするのかということを考えながら森山駅へと歩く。
しばらくすると、森山駅の南口のロータリーが見えてくる。ロータリー横の花壇で待ち合わせだ。
既にみんなは来ているようだ。
ピンクの浴衣を着て柄のある薄緑の簪を付けている維菜が僕に気付いて「にのみやくーん」と歌うように呼んでいる。
みんなの所に着くとツグミが腕を組みながら荒々しく言った。
「あんたいつも遅刻するわね。次待ち合わせに遅刻したらマジで置いていくからね。」
などと暴言を吐くツグミは赤い金魚が泳いでいる薄紫色の浴衣に赤い帯を締め、維菜とお揃いの簪をつけて、ロングの髪の毛は軽くカールをしていた。
可愛い。ツグミがまさかこんなにも浴衣が似合うなんて。スタイルの良さが際立っていた。
僕を睨んでいるツグミは少し照れるように伏し目がちだった。
「オソロの簪、あたしがツグミに買ってあげたの」と維菜
「なんでオソロなのよ」と眉をしかめて少し困り顔のツグミ。
「何見てんのよ。ぶっ飛ばすわよ。変態ヤロー」
とぼぅっと見惚れている僕の足をツグミは下駄で問答無用に強く踏んだ。
ウグゥッと僕は短く悲鳴をあげる。
こういうところが無かったら最高なのに。
「お前なぁ。すぐ俺に暴力振るうけど、それって小学生の頃に男子が好きな女子を苛めるのと一緒の心理だろ」
と僕が言うとツグミの鉄拳を僕はまともに食らった。
「ちょっとちょっと、花火大会が始まる前にニノが死んじゃうよ」
と遠藤がツグミと僕に割って入る。
「あの、仲良くしましょう」と恐る恐る鈴香。
鈴香も浴衣だった。鈴香の眼鏡と浴衣と陰のある雰囲気のマッチが何かこう、良かった。
などと僕はすぐに女子に目がいってしまう。変態なのだろうか。いや、健全だろう。
遠藤も浴衣。男前に浴衣はサマになる。伊集院は着物姿で桜吹雪の舞う模様の高級そうな扇子でもって江戸時代に出てくる歌舞伎役者のように靭やかに扇いでいた。
扇ぐとその長い髪の毛がその風に反応して少しだけそよぐのがまた絵になっている。
クラス長山田は学校のブレザーだった。なんでだ。
「山Pはなんでブレザーなんだ?」
「学年長としてのプライドですね」
と言いながらキキッと笑う山田。
冗談なのか本気なのか。
そして村井は柔道着だった。ど、どうして。
「村井、なんで柔道着なんだ?」
「浴衣が無くて、しかし浴衣を着たかったので一番似ている服を身に纏った結果です」
と真顔で村井。
「あんただけ私服ね。つまんねーやつ」
と軽蔑した顔で僕を見るツグミ。
可愛いから良しとする。
いつもの通学路である河川敷の土手の下の広場にはたくさんの屋台とたくさんの人で賑わっていた。
「金魚すくいやりたーい」と言いながら走リ出す維菜。
「ちょっと、維菜、迷子になるわよ!」と言って追いかけるツグミ。
ツグミは維菜の保護者みたいだ。
夜の祭りには心が踊る何かがある。
僕達は屋台を見て回り、小突き合いながら笑いあった。
ツグミは金魚すくいで信じられないテクニックを持って金魚を40匹ほど取り、金魚屋台のおじさんを泣かせていた。
そしてその金魚を子供たちにあげていた。なんだこいつ良いとこあるじゃないか。
僕は遠藤と的当てを楽しんでいた。
「イチロー」と声を掛けられ、振り向くと白いふわふわとしたものが僕の顔目掛けて突っ込んできた。
「ほら、奢ってあげるよ。食え食え」とツグミは僕の顔にわたあめを押し付ける。
「おい、何すんだよ。俺の顔ベタベタになったじゃないか」
と言いながら手で顔を拭く僕をツグミは指をさしてけらけらと笑っていた。
僕は可愛いから赦すことにした。
可愛いは正義などという差別的発言が一時期ネット上で流行っていたがそう言ってしまう気持ちが分かった。しかし僕は可愛いは正義などとは思わない。
しかしツグミを赦す僕はそれに心から同意していることになるのだ。
ならば僕は赦さない。とツグミの持っていたもう一つのわたあめを奪い取った。
「あ、何すんのよ」と言って取り返そうとしてきたツグミの顔目掛けて僕はわたあめを押し付けてやった。
「返してやったぞ」と含み笑いをしながら僕。
「てめーぶっ飛ばす」と言い、僕に本気で右ストレートを放ってきた。
「分かったごめん。っていうかお前からやってきたんだろ」
とツグミと揉み合っていると少し遠くにいた遠藤が僕のほうを見て何かを察したかのように笑顔で手を軽く振って、他のみんなと人だかりに消えていった。
「まもなく河川敷にて花火大会が始まります」とスピーカーから女性の声が聴こえた。
「おい、花火始まるぞ。もうやめよう。ギブするから」
と僕。
「仕方ないわね。あれ?みんなは?」
と辺りをキョロキョロと見回すツグミ。
「なんか先行ってしまったよ。こんだけ人いたら探せないなぁ。取り敢えず花火観覧席を確保しないと」
と僕。
「なんであんたと二人きりで花火見なきゃいけないのよ。とんだ厄日ね」
と溜息をつくツグミ。
僕とツグミは人混みを掻き分けて広場から少し離れた河川敷の土手に腰掛けた。
周り中人だらけだ。みんな腰掛けて今か今かと花火を待ち受けている。
隣のツグミは浴衣が汚れるのをお構いなしで土手の芝生に腰掛けて三角座りをしている。
「まだかな、ねぇイチロー、まだ?」と体を揺らしてソワソワするツグミ。
不思議なほど周りの雑音とはっきりと区別されたかのように隣のツグミの声は聴こえる。
「俺が分かるわけないだろ。じきあがるよ」と僕。
「イチロー、ここの花火観たことあるの?綺麗なの?」と花火の上がる橋のある方向を観ながらツグミは聴く。
「あるよ。綺麗だよ。結構は迫力だよ」
それから少しの間があった。
周囲のざわめきがあるのにも関わらずその僕とツグミの間の沈黙は静寂しているように感じた。
ふと思いついたようにツグミはボソッと言った。
「イチロー、ありがとね」
僕はぎょっとしてツグミのほうを見て言う。
「え?あ、ありがと?なんだそれ」
ツグミからありがとうなんて言う言葉は初めて聞いた。
「チャレンジ・トゥ・ディレーション、一緒にしてくれて、ありがとね、ってことよ」
と少し照れたように口をワザとらしく開いてカタコトちっくにそう言った。
その時、ヒュロロロロと花火の上がる音が鳴った。
そして胸に響く破裂音とともに前方の遥か遠くにある橋の辺りから、大きな赤色の花火が上がった。
おぉっという歓声が湧き上がる。
「あ、すごい」と指をさすツグミ。
一発の花火をきっかけに連続してテンポ良く花火が上がる、上がる。
花火は連続した破裂音とともに色と形と大きさを忙しなく変えていく。
僕はツグミのほうをチラっと観た。
「凄い。綺麗」と手を口に当てて感極まった声で嘆息するように言うツグミ。
その大げさでありながら、本当に素直に感動しているツグミに僕はなんだか胸の辺りがむず痒くなり、やり場の無い何かが込み上げてきた。
「イチロー、ちゃんと観てる?凄いよ、凄い」
と言いながらツグミは僕の腕を掴んで、揺らしてきた。
僕はドキっとした。
ツグミはそのまま何食わぬ顔で花火に見惚れている。
しばらくして、花火が落ち着いてきた時にツグミは僕のほうをチラっと見、自分が何をしていたのかを気付いたかのように、はっとして慌てて僕から手を離した。
「ご、ごごめん」
とツグミは言って不自然に顔を僕から逸らした。
ご、ごめん?ツグミからごめんという言葉を聞いたのは初めて聞いた。
初めて尽くしの夏、花火。青春。実は乙女のツグミ。
なんだか調子が狂う。いつもなら理不尽に殴られるはずなのに。
と思っているといきなり横からツグミのパンチが飛んできて僕の顎にクリーンヒットした。
照れパンチ。
近くにいた人がビクッ驚いて僕達のほうを盗み見した。
「なんだよ。ありがとうの次にごめんが来てそして殴るとか。まるで情緒不安定の女の子そのものだな」
と僕は頬を擦りながらツグミを警戒して言う。
いつの間にか花火は終わっていた。辺りには火薬の匂いがスンと立ち込めていた。
「あー綺麗だったー」
ツグミは僕の言うことを無視して両手をあげて背伸びをしながら目を細め、満面の笑みでそう言った。
花火が終わり、祭りは終焉を迎え、人だかりはそれぞれの家へと向けて散らばり、帰っていく。
人だかりが消え、前方からChallenge to delusionの連中が歩いてくるのが見えた。
「ツグミー何処いたのー」と泣き顔で維菜がとててーっと走ってきて、ツグミと抱き合い、維菜はツグミの胸の中に収まった。ツグミが維菜の頭を子供のようによしよしと撫でる。
「花火綺麗だったね」と遠藤はフレッシュ笑顔で僕にウインクをしながら言ってきた。
遠藤は何か誤解をしている。別にツグミとはそんな関係ではない無いぞ。
まぁ、この胸の疼きはおそらく僕はツグミに恋をしているのだが。
いや、別に今に始まったことじゃない。僕はツグミのことが中学生の時から好きだ。
そのまるで何にも縛られない怖いもの知らずの天真爛漫な性格が好きだったのだ。
僕達はそのまま駅まで適当に談笑しつつ歩いた。
花火大会の喧騒の後の夜道は静かで、僕達の心は何かが洗い落とされたかのように清々しく、そして夜の悪くない闇と同化していた。
僕の2年の夏休みの大きなイベントはそれぐらいだろうか。
それ以外は特に目立った事も無く淡々と過ぎていった。
蝉の鳴き声は夏休みが終わりに近づくとともに、その激しさは軽減していった。
そういえば最近高安山と言う、この地域にある観光名所の山に天狗が出ると聞いた。
なんでも木から木へと目にも留まらぬ速さで移動しているとか。
猪を素手で倒したとか。ツグミが飛びつきそうな話題である。
そんなこんなで夏休みが終わっていく。そして二学期は始まった。
まだ暑さは変わらず残っているが、所々に秋を匂わせる変化の兆しが見え始める、9月。
始業式が終わり、久しぶりの生徒達との再開にテンション上がるみんな。
昔の僕なら愚民どもがと思いつつそんな彼らを蔑んでいたが、今では僕は踊る阿呆と見る阿呆の理論で共にテンションを上げてはしゃぐようになった。
その日、早速Challenge to delusionのミーティングが行われた。
場所は公園から、森山駅の近くにあるカタルシスという喫茶店へと移った。
この喫茶店はツグミの友達が経営してる喫茶店で店長は元パンクバンドのヴォーカルをしていた。
その名残があり、店に入るとすぐにEpistolistのどでかいポスターで客を招いてくれる。
灰皿は全てドクロの灰皿で統一されていて、昔のパンク・バンドのレコード盤が飾られていたりする。
店員も耳に痛々しいほどの量のピアスをしていたり赤の髪の毛をツンツンに立てていたりするとても攻撃的な店である。
Challenge to delusionは4人掛けのテーブルをくっつけて8人掛けにしてそこでミーティングをすることにした。
「みんな、元気そうだね」と笑顔で氷をごりごりと食べながら遠藤。
「ところで、君誰だい?」と笑顔で問う遠藤。
隅っこにオールバックで一重の鋭い眼差しを持つ、まるで何かの格闘技をしているかのような、いや間違いなくしているであろう体格の男が居た。
「はは、やだなぁ。冗談でしょ?」と笑いながらコーラを一気に飲み干す男。
「も、もしや……」と僕。
「え、嘘」と手を抑えて鈴香。
「相川!?」
とツグミ。
「分からないほど変わりましたか?はは」と相川。
あの枯れ枝のような腕が今や面影が無いほどたくましい腕となり、上腕三頭筋が半袖のカッターシャツからはみ出てパツンパツンになっている。
胸板なんてカッターシャツから盛り上がりを見せるほどになっていた。
顔も真っ黒に日焼けし、顔の所々に傷があった。
そして口調さえも堂々としていて全てにおいて別人となっていた。
オーラからしてプロの格闘技を匂わせる。
彼に喧嘩を売るのは地上最強を目指すような輩ぐらいだろう。
僕らの反応を見てご満悦そうな村井。
「ちょっ、なんか手術とかしたりマッドサイエンティストのシマヅに変なクスリ貰ったりしてないよな?」
と僕。
がははと笑いながら村井は言う。
「そんな武道に反することはしませぬ。彼のために有名アスリートや格闘家を始め、スポーツトレーナーや専属栄養士など、プロの専門家の意見を集結した『最強の男プロジェクト』というプロジェクトが発足されたのです。40日という超短期間の間でいかに肉体改造し、いかに強くなれるかということを目標としたプロジェクトです。世界中の名だたるトレーニングを取り入れて練に練った鍛錬方法かつ究極のハードスケジュールなので、40日が限度とも言えます。
結果は彼をご覧になっても分かるとおり成功と言えるでしょう。
前半は私のジムに寝泊りしてもらい。そこで世界一流の名トレーナーが付きっきりでひたすら筋肉トレーニングをし、筋肉肥大化のために世界一流の栄養士によって大量の食事を摂取していただきました。そうして始めの20日を過ごします。
彼の肉体は経ったの20日で以前の面影は無くなりました。
この結果はギネス記録に載るでしょう。
そして次の20日は高安山で野宿をし、自給自足の生活を虐げられながらの修行です。
ここでは主に空手、柔道、合気道。骨法などといった格闘技を伝説の格闘、史上最強の武人と謳われた生きた伝説である小山倍達師匠から訓練を受けました。小山倍達師匠は弟子を取らないので彼が最初の弟子となったでしょう。小山倍達師匠は既に齢90の高齢であり、自分の寿命は長くないと悟っていました。彼は本来は自分の究めた武術を世に残そうとは考えていませんでした。だから私達の申し出も断ろうと思っていたそうです。しかし、相川君の目を見た時に、思いは変わったそうです。彼こそ私の全てを受け継ぐことが出来る。そして、受け継がないといけないと思ったらしいです。高安山で小山倍達師匠の地獄の訓練を受けながら、メンタルトレーニングのために滝に打たれたり、自給自足で動物を狩ったり等して、サバイバル生活をしました。
こうして彼は40日の間で完全に生まれ変ったのです。私達のプロジェクトもさることながら、この凄まじい猛特訓を最後までやり遂げることが出来た彼の精神力に敬意を表します。並大抵の精神力でないと、やり遂げることは不可能です。相川君の受けた40日の訓練は10年の修行に値します」
「な、なんだか凄まじいプロジェクトだけど、お金かからなかったの?そんなの無償で出来るものなの?」
と遠藤。
「はい。私の父は格闘技界では名のしれた著名人でして、最近父が学校のイジメに関しての対策と傾向を政府に要請されていました。そのための援助金が出されていまして、その資金で賄うことが出来ました。このプロジェクトは相川君がイジメっ子から自分を守ることが出来た時に初めて成功と言えるでしょう。ちなみに相川君は昨日、山から下山してきまして今日始業式に間に合わなかったのでまだイジメっ子とは遭遇していません」
てへへと頭を掻く相川は言う。
「今日、村井さんに僕をイジメてた奴らに手紙を渡してもらったんすよ。その手紙には金輪際あなた達にお金を渡しません。もしこれ以上、私に対して恐喝や嫌がらせをしてくるのなら、私は自分の身を守る手段として刑法に則って正当防衛をさせていただきますと書いた手紙ッス」
語尾が気になる。
「彼らは手紙を受け取り、読んだイジメていたリーダーの者は私の胸ぐらを掴み、あのガリヤローは何処にいると目くじらを立てて怒鳴ってきました。私は彼は2時間後に君達がいつも暴行をしていた所で待っています。と言い、私はその場を去りました」
と村井。
「私はプロジェクトの結果をビデオカメラで撮影するために現場で隠れて撮影しなければなりません。みなさんももちろん行くでしょう?そろそろ時間です」
「血が騒ぐわね。じゃあ行こう」と居ても立っても居られない表情のツグミはテーブルを叩き立ち上がった。
佐久間高校から森山駅に行く方面の遠回りにある人通りが少ないある路地裏に連れていかれ、相川はいつも暴行を受けていた。
彼らは既にいた。いつもは3人でつるんでいる奴らなのに10人もいた。
相川が仲間を呼ぶと思ったのだろう。彼らは俗に言うヤンキー座りをしてタバコを吸っている。
リーダー各の奴はピアスをした人相の悪いやつだ。おそらくわざわざ学校が終わって帰り道にピアスを付けているのだろう。ご苦労なことである。
僕達は彼らの背後に当たる方へとまわり、隠れた所で様子を伺うことにした。
「それでは、相川どの。最後の訓練です。訓練内容は、彼らに負けないことです」と言いながら村井は相川の背中に手を置いた。
相川は小さく頷き、彼らのほうへと向かっていった。
相川はポケットに片手を突っ込み自販機にもたれかかってタバコを吸っているリーダー格の側まで歩みよっていく。
相川に気付いたリーダー格は少し仰け反った。
「な、なんだお前!」と彼は必要以上に驚いた。
相川のオーラが彼らの野生の本能に危険を察知したのだ。
そこにいた10人はみんな一斉に立ち上がり、一歩、二歩と下がった。
相川は彼らの前で立ち止まりリーダー格のほうを向き、口を開いた。
「久しぶり、今田君」
「お、お前まさか……相川か」
今田は目をこれでもかというほど丸くして、口をパクパクとしている。
「はは、やっぱり分かんない?ちょっと夏休みの間に修行をさせてもらってね」
と余裕しゃくしゃくといった表情で相川。
「てめぇ。俺を倒すために修行したのか?」
「へっなんだよ。あの柔道馬鹿の村井とかいう奴と一緒になって仲間でも呼ぶのかと思ってこっちも数揃えたんだが、必要無かったな」
と言いながら不良が喧嘩をする時、相手に威嚇をして向かっていく時の両手をポケットに入れ、肩を入れ、少し大股で歩くという不良独特のファイティングポーズを取り、今田は相川の方へと詰め寄ってくる。
「愚かな。あんな好きだらけで間合いに入ってしまっている。本来なら既に奴は相川君にやられているだろう」と実況解説者になった村井。
「ぶっ殺すぞこらぁ!」と舌を巻いて大声で怒鳴りながら、今田は相川の顔に当たるか当たらないかすれすれのところまで顔を近づけ、ガンを飛ばす」
相川は怯み、昔のあの弱々しい表情に戻った。足が震えている。
それを見て今田は下卑た笑みを浮かべながら言う。
「なんだ、ビビってやがんぜ。見掛け倒しだな。おい、修行したかなんだかしんねーけどよ、お前は見てくれがちょっと変わっただけでなんもかわんねー弱虫のヘナチョコヤローなんだよ。あぁ?」
と更に睨みつける今田。
「相川君、恐怖はねじ伏せるしか無い。思い出すんだ。熊を倒した時のことを」と村井。
「え!?熊倒したの?」と僕は裏返った声で言った。
相川は弱々しい表情から、また精悍な顔つきへと戻った。
「俺とタイマンしたいのか?お?」
と今田。
「それは望んでない。穏便に事を済ましたい」
と静かに、落ち着いた口調で相川。
「穏便に済むと思ってんのかこら?ぶっ殺すぞ」
と今田。
相川は静かに笑って言う。
「合気道の伝説の達人で塩田剛三という人がいた。彼の弟子が塩田剛三にこう質問したんだ。合気道で一番強い技はなんですか?とすると塩田剛三は笑いながらこう答えた。それは、相手を殺しに来た者と友達になることだよ。と。俺はそれを望んでいる」
僕は震えた。遠藤が「サイッコー」と小声で喘ぐように言う。
今田が怯んだように、一歩引いた。相川の言葉に呑まれている。
「てめぇ、なめてんじぇねぇぞ。敬語使えや?コラ?」
と今田はまたヤンキーファイティングポーズを取り、相川に向かっていく。
「敬語、使えやコラァ!」と叫び、今田は相川に向かって突進した。
相川はまるで残像を残すかのごとく驚くべき速さで今田の背中に回った。
今田は突然消えた相川に驚き、辺りを見廻している。
余りの速さで消えたようだったのだ。
相川は進藤の背中に手を置く。ビクリとして振り返る今田。
「やめておこう。傷付けたくない」と諭すように相川。
今田の目が痙攣している。顔に浮き出た血管が今にも切れそうだ。傷付けたくないの一言にプライドが砕かれたようだ。
「おい、てめぇら!このクソヤローを囲め!ぶっ殺してやれ!」
と今田は相川から距離を保ち叫んだ。
彼らはポケットからメリケンナックルやナイフを取り出し、相川の周りを囲んだ。
「光もんを出すってことは覚悟が出来ているんだろうな?」
と相川の目つきが鋭くなり戦意のある表情へと変わった。
「いくらなんでも10人はヤバイんじゃないの?」遠藤
「しげちん」と涙目の維菜
「大丈夫です」と落ち着き払った声で村井。
相川が口を開いて何かを言っているが聞き取れない。
村井が相川の喋っていることを代弁しているかのように喋る。
「心を空にしろ。形なきものとなれ。水のように無定形に。水をコップに入れれば、コップの形となる。ボトルに入れればボトルの形に、茶瓶に入れれば茶瓶の形となる。水はゆらゆら流れる。水は破壊することもできる。水になれ、友よ」
「どうして相川はファイティングポーズを取らないの?」と遠藤。
「合気道の開祖である植芝盛平は言いました。『真の武とは、相手の全貌を吸収する引力の練摩。だから、わたしは、このまま立っていればいい』と。宮本武蔵はこう言っていました。『平常の身体のこなし方を戦いのときの身のこなし方とし、戦いのときの身のこなし方を平常と同じ身のこなし方とすること』。彼は既に構えているのです。いつでも」
相川がカッターシャツを破り捨てた。勿体無い。
相川の肉体を観て一同驚いた。維菜はキャアエッチなどと言いながら手で顔を覆っている。
生々しい傷だらけのその肉体は筋肉隆々で鋼のような、まるでダイヤモンドの美しさのごとくの肉体美を誇っていた。
相川の背中を観て二度、驚き息を呑んだ。
「なんだ、ありゃ?」遠藤は目を丸くした。
彼の背中はまるで……鬼の顔ッッ

メリケンを嵌めた体格の良い男が相川に向かって殴りかかってきた。
相川は当たるか当たらないか擦れ擦れで軽く交わし、彼の首筋に手刀を軽く入れた。
すると彼はそのまま一気に全身の力が抜け、倒れこんで気を失った。
「な、なんだぁこいつ?」と震える声で不良の1人が言う。
「ひ、怯むな!やっちまえ」という掛け声とともに一斉に相川に突撃する不良達。
相川は1人1人の攻撃を難なく交わし、ナイフの持った男の手を持ち、軽くねじり込むと男はナイフを離した。相川はそのナイフを蹴りあげて、遠くへ放った。
そしてその男をそのまま地面へと伏せさせた。
男は腕を抑えたままもがいでいる。
次に蹴りを入れてきた男の足をヒョイと持ち上げ、もう片方の足を足払いをした。
男は情けなく、尻もちをつく。尻もちをついた男のコメカミに軽く掌底を入れると、白目を剥き、意識を失った。
1人、また1人と次々と倒されていく不良達。
時間にして、約30秒足らず。
1人を残して不良たちは全てのされていた。
その場で立ち尽くし呆然としている今田。
「今田、もうやめよう。俺は君と仲良くしたいだけなんだ」
と相川。人格者である。
「決着か?」と遠藤。
「いいや」と首を振り、続けて話す村井。
「今までイジメてきて徹底的に見下してきた相手に対して、『分かったごめん』と言えるほど彼は強くないのです。彼は自分の強さを誇示することによって、自分の弱さを隠してきました。彼が本当の意味で強かったのならイジメなんて決してしないでしょう」
「ということはつまり?」と僕。
「まだ戦いは終わっていないということです」と村井。
「へっ。ふざけんなよ相川。てめぇ。俺はお前を毎日泣かしてたんだぜ。色々とイジメてやったよな。お前なんか怖くねぇんだよ。思いだせよ。俺がイジメてた頃のことを」
相川は俯いて震えている。怒っているのだ。
「ここからが本当の勝負です。相川どの。自分に打ち勝つのです」と村井。
「そういえば、一度お前のたった1人の友達も一緒にボコボコにしてやったよなぁ。その次の日からお前の友達は口を全く聞いてくれなくなってたよな。あれは傑作だったぜ」
と震える声で涙を目に浮かべて言う今田。
その瞬間、相川は今田に掴みかかり、足払いで倒し、馬乗りになった。
「いかん!相川どの!」
と思わず飛び出しそうになる村井。
相川は今田目掛けて右拳を振り上げた。瞬間、衝撃音とともに地面が揺れ、地面が揺れた。
そう、地面が揺れたのだ。そんな馬鹿な話があるのだろうか。それが今ここにあるのだ。
思わずみんな目をつぶり、地面に伏せていた。
はっと顔をあげると辺りに砂煙が立ち込めている。今田、死んだんじゃないのか?
「相川どの!」と思わず村井は相川のほうへ駆け寄る。僕と遠藤も続けて駆け寄った。
相川は今田の顔のちょうど横に拳を殴りつけていた。
相川が振り下ろした先の地面は大きく凹み、ところどころに亀裂が走っていた。
今田は白目を向いて失神している。怪我は無いようだ。
相川はボソッと呟くように言った。
「小山倍達師匠が言ってたんだ。『相手を憎み復讐するということ。それすなわち、相手の悪に呑まれているということ。最も強い者は相手を赦すことが出来る心である。自分の心を悪で染めるな。復讐を遂げた時、お前は敗北したことになる。勝つのだ。自分の悪に』と」
「相川どの……成功です。武を極めました」
と言いながら村井は目に涙を浮かべて相川の肩に手を置いた。
マジか。40日で武を極めちゃったのか。と思いながらつい今しがたバイブにより、メールが来たことを知らせているスマホの画面を開き、メールを確認する。母からだった。
『さっきテレビ観てた時地震あったけど大丈夫?震度は2だってテレビで言ってたけど大丈夫?』
んなアホな。
なにはともあれ、こうしてChallenge to delusionの二学期が始まった。
――見渡す限り真っ暗で何も無い場所へ二宮一郎は居た。
前方からパッと光が差し、誰かが歩いてきた。
それは、ぼんやりとしていて黒くて良く分からないがとにかく人間の形をしていた。
「やぁ」とそれは話かけてきた。
二宮は思った。
この光景に見に覚えがある。そう、あの悪夢だ。
やぁと話かけてきた『そいつ』は最後におぞましいことを言って、それから自分は目を覚めたのだ。と思い出した。
「またお前か。覚えてるぞ」
と二宮はそいつに向かて指をさす。
「良い感じに高校生活を送っているね」
と『そいつ』
「まぁな。楽しんでるよ。それなりに」
と二宮。
「それにしてもなんだか、ライトノベルっぽい雰囲気になってきたね」
とそいつはニヤリとして言う。
「なんだって!?」
二宮は素っ頓狂な声をあげる。
「おいおい、何驚いているんだ。何処からどう観ても、あんたの定義からするとこの世界はライトノベル臭プンプンじゃないか」
と鼻で笑う『そいつ』
「仕方無いだろ!実際に起こっているんだから」
と二宮は声を荒らげた。
「おいおい、何を慌てている?そもそもライトノベル臭がしたら何が駄目なんだい?」
と『そいつ』は馬鹿にしたように言う。
「ライトノベルなんて俺は認めない!あんなの小説じゃない!ドカアンだの陳腐な効果音を乱用したり、ページをめくるとたまに漫画チックな絵があるなんてどういうことだ!小説とは想像を楽しむものだろう。絵を入れるなら漫画やアニメを観たら良いじゃないか。ふざけやがって」
『そいつ』はカンカンカンと甲高い声で笑い出した。
「何がおかしい!」と二宮は唾を飛ばして叫ぶ。
「小中高生の読書量は、2000年代に入って急上昇している。最も読書量の多い県では人口1人辺りにつき、9冊も読んでいるという統計が出ているのだ。若者の活字媒体への関心と読書量は増大しているんだ。何故だか分かるかい?それはライトノベルの流行によるものなのだよ。一方純文学は衰退している。有名な文学賞なんかでは若者を受賞させることによって意外性でメディアを注目させるが、それも衰退の過渡を止めることは出来なかった。そもそもライトノベルが純文学に劣るというのは一体何を持って言っているのだ?文体?文章の美しさ?内容?人格的においてはあんたのような文学青年気取りのほうが劣っているだろう。ライトノベルを侮蔑している時点でな。純文学が衰退するのは商業主義ではないのだから、当然かもしれない。しかし純文学業界は純文学の信念を貫いていない。話題性を売りにしようとするなど、商業主義そのものではないか。衰退するのは彼らが信念を曲げるからだ。もはや今の純文学は純文学とは言えない日本語の美しさとやらが欠如したシロモノばかりだ。それはまるで君が言うライトノベルのようじゃないか。最も彼らの言う日本語の美しさというのは良くわからないけどね。そもそも彼らが良く言う正しい日本語ってなんだい?正しいの定義は?元々語学というのは相手との意思疎通のための道具だろう?それならば相手に通じる言葉こそが正しい日本語ではないのかい?
本来ならば機能美に優れているということこそ大事ではないのか?
いいかい。時代というのは変わる。どうしてその歳で頑固爺のようになる?いいことを教えてやろう。明治中期の新聞にはこう書かれていたことがある。
『近年の子供は、夏目漱石などの小説ばかりを読んで漢文を読まない。これは子供の危機である』などと批難され、悪書追放運動が行われた。歴史は繰り返されるのだ。
いいか。市場はもはや純文学を必要としていないのだ。純文学は死んだ。なんなら純文学と一緒に心中するか?純文学業界はそれを望んでいないで自らの信念を捨て、生き残ろうと必死のようだが」
と『そいつ』は言いながらカンカンカンと笑う。
二宮は頭の中が真っ白になっていた。まるで全てを否定されたかのようだった。
『そいつ』はとどめをさすかのように言った。
「あんた、なんだかんだ言いながらこの世界に馴染んでいるじゃないか。あんたなんて言った?まぁな、楽しんでいるよ。それなりにって言ってたじゃないか。素直になれよ。あんたの言う信念や真理を求める姿勢などといったものはつまらんもんだよ」
はっと声を出して僕は目が覚めた。背中が汗でぐっしょりと濡れていた。
なんだか覚えていないが悪夢を見た気がする。
汗を拭いベッドから這い出る。汗で濡れたせいで余計に寒い朝だった。
あまり寝た気がしない。おまけに今日は曇りだ。少し憂鬱な気分になる。
「一郎!いつまで寝てるの?」
と下から母の声。
僕達、Challenge to delusionは突っ走った。
『悪戯』とは悪ふざけという意味である。それは他人のためにならないことだ。
しかし僕らは悪戯ではなくて良戯だ。他人のためになる良ふざけによって眠気眼を覚醒していった。
2学期の始めに起こしたのは成績革命だ。学年で最下位争いをしている30人の生徒達を集め、彼らを全員トップ30にまでひっくり返してやろうという良戯だ。
まず、彼らを覚醒するためにあらゆる方法を駆使して彼らに成績向上の意欲を与えた。
高校の成績がいかに将来に響いてくるか。それを高校の勉強を怠った結果、相当路頭を彷徨っている30人を集め、彼らの悲惨さを写しだしたドキュメンタリー番組と、逆に高校の成績が優秀だった結果、社会のあらゆるジャンルで活躍し、充実、幸福、家庭円満な人生を送っている30人を集め、彼らの喜びに満ちた姿を映しだしたドキュメンタリー番組を創り、観せつけた。
それから、学年トップのクラス長山田を塾長とした裏佐久間塾を開講し毎日テスト勉強に励んだ。
駄目な人というのは何故駄目なのか。それは継続することが出来ないからである。
よって継続させるためにはこれでは不十分なのだ。彼らのモチベーションを維持することは出来ない。
しばらくすると彼らのモチベーションが途切れてくるのがわかった。
ここで僕はモチベーションを維持するためのあらゆる方法を考えた。
ここにサッカー部の時の経験を生かし、『女子の応援』というスパイスを与えることにした。
これによって彼らのモチベーションを維持することが出来たのだ。
自宅に帰ってからも女子の応援メールが暗躍した。彼らはそれはもう、四六時中勉強に励んだのであった。
そして9月の期末試験は見事この最下位争いを繰り返す30人全員がトップ30へと君臨することが出来たのだ。
先生達はこの非常事態に驚き、職員会議が開かれるまでとなった。
次は運動会では簡単な良戯を行った。
100メートル走でトップを走っていた生徒がゴール手前で走るのを止め、最下位の生徒を待ち伏せて、最下位の生徒と肩を組んでゴールをするという良戯だ。
これをいくつかの競技に交えた。
これは競争社会に対するささやかな反抗である。
次には、ある先生は生涯で一度も泣いたことが無いと言うのを自慢にしていた。
その先生を泣かせてその悲しいプライドを砕いてやろうという良戯を施した。
先生に対して2ヶ月掛けて手の込んだ感動的なドッキリを仕組んだ。
先生は僕達のドッキリにまんまとハマり、ドッキリが終わる頃には今まで溜めていた涙が全て流れたのではないかというほど泣きじゃくった。おそらくバケツ3杯分は泣いただろう。
このようなあり得ないということが次々と起こるうちに、生徒達も馬鹿じゃないので誰かが裏で糸を引いているというのに勘付いてきた。
政府の陰謀説、フリーメーソン説、果ては宇宙人説にまで色々な噂が飛び交った。
しかし事の真相は謎のままだった。
だが生徒会会長の及川だけは、僕達が仕組んでいることだと確信を持っていたようだ。
僕達の尻尾を掴もうと躍起になっていた。
一度、伊集院世阿弥がある良戯のためにトラップを張っていると、生徒会会長とその部下達が何処からともなく現れ、伊集院を取り囲んだ。
その時は夜だったので伊集院は持っていた上着を持って顔を隠して姿は見られていなかった。
及川は「お前は誰だ!顔を見せろ」と言う。
伊集院は隙を伺っていた。
及川は部下たちに奴を捉えよと命令し、部下達が伊集院を一斉に捕まえようとした時に、伊集院は常備していた煙玉を地面に叩きつけ爆発し、煙が辺りを包み込んだ。
数秒して煙が消えると、伊集院の姿はもうそこには見当たらなかった。
そんなこんなでまるでジェットコースターのごとく、高校生活は流れていく。


それは、12月に入ったばかりの頃だった。
めっきり寒くなったこの季節。今年の冬はいつも以上に雪が積もった。
河川敷のゆったりと真っ直ぐに続く道も真っ白なホワイトロードへとなっていた。
歩く度にざくざくと雪音が鳴る。
手袋をしていても悴むほど、この日の朝は冷えていた。
僕はニット帽にマフラーを首に巻きつけ、手袋をして体の何処にも冷たい風を通さないようにと工夫し、河川敷のホワイトロードを歩いていた。
後ろから小走りで足音が近づいてくる。
ツグミだ。僕が後ろを振り返えると、僕の頭の頭上に真っ白な大きな、それはもう大きな球状の物体があった。僕はそれを見上げながら「あ……」と声を出したか出さないかぐらいにその球状の物体は頭を直撃し、一瞬目の前に火花が散った。
僕はそのまま前のめりに、嫌になるほど冷たい雪の上にどさりと、倒れこみ、2~3秒気絶したと思う。
何が起こったのかと、ぼんやりとした視界の中で目を覚ますと、そこにはツグミがいた。
彼女は人を殺めかねないほど特大の雪球を僕の頭上に振り下ろしたのだ。
「イチロー、おはよー!」と満足そうな笑みを浮かべてツグミは大きな声であいさつをしてくれた。
「お前、パンツ見えてるぞ」
僕は腹が立ったので(当たり前だが)そう言ってやった。
その瞬間、本日二度目の火花が目の前で散った。そしてまた、暗闇。
ツグミは無情にも倒れている僕にかかと落としを食らわした後、そのまま僕の屍を踏み越えてMyWayを歌いながら元気に登校していった。
朝が始まってたったの1時間の間に2回も気絶したのは中々の世界記録ではないだろうか。
僕はこうしてツグミに幾度となく気絶級に頭を殴られているのでそのせいで大分頭が悪くなっていると思う。起訴したら勝てるだろう。
朝はいつもように登校した。遠藤は最近ミュージックにハマっているようで、最近いつも朝はヘッドフォンを掛けてロックやらシンガーソングライターの誰かやらなんやらを聴いているようだ。
そしてギターを弾き出した。一度聴かせてもらったがやり始めたにも関わらず中々の腕前で僕は賛辞を送った。
クラス長山田は朝から机の上で勉強道具をおっ広げて黙々と勉強している。
前よりも増して勉強熱心になっている山田だが、勉強している内容が少し変わっている。
以前はただひたすら学校の勉強に取り組んでいたが、今は学問を教えるために必要な勉強をしているのだ。
クラス長山田は最下位30人を見事にトップ30にまで導いたのをきっかけに自分がこの道に進むべきだと感じたらしい。
クラス長山田は山田塾という塾を本格的に開講した。土地は無いが、既に何人もの門下生が入門している。
学校の勉強が主体というよりも、人間としてどう生きるかなどといったものがメインとなっている人生塾のようだ。
遠藤がライトノベルを読まなくなったので僕はライトノベルを読むのをそのうちやめた。
付き合いで読んでいただけだ。そしてまた僕は純文学を読、いや、読んでいない。
特に何もしていない。ただ、一切は過ぎてゆく。なんて。
それは、放課後の事だった。僕が帰り支度をし、教室から廊下に出た時にいきなり腕を引っ張られた。
伊集院だった。
「お、おいなんだよ。伊集院。どうした?」
「ちょっと共に来ていただけませんか?」と伊集院は耳元で囁くように言った。
なんだか分からないが、行ってみると2-Dの教室の前まで連れていかれた。
「ここがどうした?」と僕。
「いいですか。今から私の言うことに注目していたください」
伊集院は腕時計をチラっと確認し、軽く咳払いをする。
「今から5秒後に、一番向こうのドアから及川琥珀が出てきます」
と言い、伊集院はカウントを始める。
「5.4.3.2.1……」
0と同時に及川が本当にドアを開けて出てきた。
「及川は右手でドアを閉め、閉めおわると、ドアが最後まで閉まっている確認するためにドアの方に一度右側から後ろに振り向きます」と伊集院。
及川はその通り、右手でドアを閉め、右側から後ろに振り向いた。
「及川は次に左手で髪の毛を掻き分けます」
及川はその通り、左手で髪の毛を掻き分けた。
「ちなみに及川が髪の毛を掻き分ける時は100%の確率で左手です」と伊集院。
「及川は向こうの階段へ向かって降りていきます」
そして及川は向こう側の階段へと向かっていった。
僕が口を開こうとしたら伊集院はもう少しまってくださいといって僕の口を塞いだ。
そして僕達は及川に気付かれないように、及川の後を付けていく。
伊集院はその後も及川の行動の一挙一動全てを言い当てていく。
「及川は階段を降りる前に、一度頭を右手で軽く叩きます」
「及川は首を鳴らします」
「及川は携帯をチェックします」
「及川は軽くジャンプします」
「及川は欠伸をします」
「及川は誰もいなければシャドーボクシングをする振りをします」
「及川は誰もいなければ『テスト・テスト、マイクテスト』と独り言を言います」
「及川は路地裏を曲がったところで誰もいなければ『THL-034』と言います」
そして及川の帰路へと向かうところを伊集院は実況し、途中で伊集院はここまでで良いでしょうと言い、及川を尾行するのをやめた。
「どうですか?」と伊集院。
「ど、どうって。凄いよ。一体全体これはどういう事なんだ?」
僕は信じられないといった顔で言う。
「及川の行動パターンは、何か人に邪魔をされない限り必ず同じなんです。まるでプログラミング化されてるかのごとく正確なんです。それはまるで」
伊集院は手を顎に当てる。
「そ、それはまるで?」僕は伊集院の次の言葉に注目する。
「それはまるで、ロボットかのごとく」
はは、ロボット。
僕は鼻で笑いながら言う。
「ロボットって」
「コンピューターの基本はプログラムです。そしてプログラムに組み込まれていない事は出来ません。それ以上のこともそれ以下のことも出来ない。ただ、プログラム通りこなしていく。それがコンピューターです。まるで彼のようではありませんか」
と伊集院。
「及川の遺伝子がコンピューターに近いほど真面目腐ってるってことだけなんじゃないの?伊集院、いくらなんでもロボットというのはちょっと現実離れし過ぎてて」
と怪訝な顔で僕。
「事実は小説よりも奇なり。と言うではありませんか。このご時世何があっても不思議ではありません」
と伊集院。
「いや、伊集院、お前の推理はイカれている。小学生の時にごっこ遊びで成りきり過ぎて頭の中で『ごっこ』を消去して本物にしてたタイプだろ」
と僕。
「言っている意味がいまいち分かりませんが、それでは彼のプログラム化されてるかのように正確な行動パターンをどう説明するんですか。いくら遺伝子が糞真面目だとしても、糞真面目の限度を超えています。人には不可能の領域です。私は彼を見ているとなんだか違和感を感じたのです。そして2週間ほど観察した結果、彼はロボットかのごとく変わらないのです」
と伊集院。
「じゃあどうやって奴がロボットだと暴く?」
と僕。
「あいつに直接聞いてみたらいいのよ」
と僕と伊集院の顔の間ににゅっと顔を入れて唐突にツグミが現れた。
「うわぁお!」
と僕は非現実的な叫び声を上げて飛び上がった。
伊集院はシュワッチみたいな奇声を発しながら2メートルほど後ろにジャンプした。
そんな僕達の慌てっぷりようを見て満足そうにケラケラと笑うツグミ。
「ツグミさん、よしてくださいよ。ここ10年で最も驚きました」
「今からあたしが走って及川を追いかけて直接聞いてみるわ。それで全部解決じゃん」
と言い、及川目指して走りだすツグミ。
「おい、ツグミ!馬鹿かお前。そんなもん、そうですなんて言う訳ないだろ!」
と僕は叫ぶ。
「コンピュータを混乱させるのよー」
と言うその声が遠くなっていくほど走りだしたツグミ。
僕と伊集院も慌ててツグミの暴走を止めようと走りだした。
しばらく走るとスタリスタリと一定の速度を刻むかのごとく歩いている及川が見えてきた。
誰かが走ってきたのを察知した及川は立ち止まり、後ろを振り返った。
ツグミだと知るとビクッする及川。
振り返った及川は何かジュースを飲んでいた。
「及川!あんた、ロボットでしょ?」
遅かった。
ツグミの肩に触れた時には既にそう言ってしまっていた。
3人で息を切らしながら及川を見る。及川もこちらを見ながら微動だにしない。
3人は及川の飲んでいた缶に注目した。赤い500ミリの缶だったのでコーラだと思った。
しかし、それはコーラでは無かった。そこには非常に分かりやすいように大きくこう書かれていた。
「非常用缶詰 ガソリン」
間違いなくロボだ。

僕と伊集院はポカンと口を開けたまま固まった。
及川も固まっていた。
ツグミは「やっぱりね」と言い、ニヤリと笑っていた。
「戒厳令、戒厳令……正体がバレた相手は抹殺せよ」
その瞬間、ツグミはジッポを取り出し、火を付け、容赦なく及川に投げつけた。
ボッと軽い爆発音とともに及川は炎に包まれた。
ガソリンは、良く燃える。及川の鞄に入っていたであろうガソリン缶にも引火し、炎は及川を容赦なく燃やし続ける。
暴れる及川。
ピピピ、ギィー、ウィーンガシャッといったような機会音が鳴り響く。
苦しむ及川。
「殺……ギギ……貴様ラを……」
「向かってくるわ!逃げるのよ!」とツグミ。
僕達3人は一斉に逃げ出した。
なんなんだ一体。なんで僕がこんな目に。
僕はただ、ぼんやりとした絶望が続く平坦な道を歩むかのような、そんな退廃的な高校生活を希望していたのに。そういうクールな青春希望してたのに。全然そういうのと違うじゃん。仕舞いにはロボとか出たりして。なんやねんこれ。退廃的美の欠片も無いわ。
そもそも退廃的美というのがどういうものか既に思いだせない。
と思いながら僕は涙目で走っていた。
撹乱するかのように、左へ曲がり右へ曲がり、ひたすら走った。
「ここまで来たら安全ですね」とハァハァと吐息を漏らしながら伊集院。セクシーだ。
「おい、ツグミ。なんてことするんだよ。お前のおかげで殺されかけたじゃないか」
と僕。
「いやーごめんごめん。まさかバレただけで殺しにかかるとは思わなくて」
と舌をぺろっと出して言うツグミ。
「というか火を付けるなんていくらなんでも可哀想じゃないか。あいつも生きてるんだぞ」
と僕。
「だって殺すとか言うんだもん。それにあいつは生きてないよ。ロボットは生きてるって言わないでしょ」
と膨れながら言うツグミ。
それにしてもどうしてお前ジッポなんて持ってたんだ。と聞こうと思ったがあえて聞かなかった。
どうしてジッポを持っていたかという理由は必ずある。その理由を聞いたところで『ああ、そうか』と思うだけだからだ。マジックも種明かしをすると『ああ、そんな単純なことか』と思うように不思議なことの種明かしをすると『ああ、そうか』と思うだけなのだ。
ならばあえて謎のままにしておこうと思った。
「それはそうと明日の学校、どうするんです?及川はおそらく剥がれた皮膚を修復等して何食わぬ顔で登校してくるでしょう。しかし僕達を黙ってはおられないでしょう。既に殺るか殺られるかの状態ですよ」と伊集院。
唐突に映画・ロボコップの音楽が流れ出した。
僕のスマホのメールの着信音である。
なんと、及川だった。携帯無事だったのか。携帯は水には弱いが火には強いのだろうか?
『明日の放課後、君たちの馬鹿げたメンバーを連れて第一体育館の裏に来るように』
「だってさ」と言いながら届いたメールを伊集院とツグミに見せる。
「どうします?」と伊集院。
「行くしかないでしょ。武装して」とツグミ。
「そうですね。私は日本刀を持っていきましょう」
とさらりと言う伊集院。
「おい、それ銃刀法違法とかにならないの?ていうかなんでそんなん持ってんの?」と焦る僕。
「銃砲刀剣類登録証を持参しているならば大丈夫です。私の先祖は代々伊集院家の家臣の由緒正しい武家なので」
と言いながら親指を立てる伊集院。
お前は一体何者なのさ。いや、そういう者なのか。
「取り敢えず全員に武装させて行けばいいんじゃない?」とあっけらかんとツグミ。
なんだその他人事のような口調は。
「いや、待て。あいつは確かにロボットだけどさ、殺しても大丈夫なのか?いくらロボットだと言っても戸籍を持ってたら法律上は人間だろう?」
と僕。
「私は彼の素性を調べあげました。及川は無戸籍です」
と伊集院。
「なんだ、なら安心」と僕。
「心置きなくぶっ殺せるわね」と鼻息を荒くして言うツグミ。
恐ろしい娘である。
「明日はみんな学校を休ませよう。そしてカタルシスに集合し、みんなで放課後に第一体育館に行こう。後、相川も連れていこう」と僕。
かくして翌日、僕達はカタルシスに集合し、意を決して第一体育館裏へと急いだ。
他のメンバーはまだ及川がロボットだということを信じられないようだ。
そらそうだろう。
正直僕も未だに信じられないのだから。
僕達は他の生徒に気付かれぬように裏門から学校へ入り、第一体育館裏へと行く。
第一体育館からその裏へと続く雑草が生い茂る細い道を歩き、角を曲がり、そして第一体育館裏へと到着した。
僕達から10メートルほど離れたところに、及川琥珀とテッペンがハゲた白髪の目つきが鋭く、杖を突いている爺さんとその後ろに大勢の制服を着た屈強ではあるが、ただし雑魚臭の漂う10人ほどの男達がいた。
及川琥珀は昨日の火傷の痕を修復出来ていないようだ。無残にも爛れた顔の半分から剥き出しのシルバー色の髑髏に赤い目が怪しく光っている。
維菜と鈴香が悲鳴をあげ、持っていた金属バットを地面に落とし二人で抱きついた。
他のメンバーも動揺が隠せないようだ。
ブレザーを着ているので体の方は分からないが、おそらく溶けた皮膚からシルバーのボディを覗かせているのだろう。
「来たか」とロボット特有のダミ声で言う及川。発声回路にも支障をきたしているのだろう。
「やい、なんだその男たちとそのハゲたジジイは」と声を荒げるツグミ。
「ツグミさん、初対面の人にハゲは失礼です」と細い声で鈴香。
そのハゲたジジイはフォッフォッフォッとありきたりな笑い方をする。
「おい、ジジイ。ありきたりな笑い方をするな。俺はそういうのが一番嫌いなんだ」
と僕。
「失礼な奴らじゃの。老人は労るように教育されんかったのか?のう?伊集院よ」
僕らは一斉に伊集院の方を見た。
「えぇ、あなたが老人間ならそうでしょう。ただし、人間ならね」
と伊集院は腹の底から憎悪に満ちた凍てつくような声で静かに言った。
僕はその殺気に満ちた声に心臓がギュっと鷲掴みされたような感覚に陥った。
「し、知り合いですか?伊集院どの」と村井。
「ワシの事をおぬしの仲間達に紹介してくれんか?伊集院よ」
と言いながらフォッフォッフォと笑うハゲジジイ。
「その笑い方、癇に障るのよね。次その笑い方したら赦さないよ?分かった?」
とツグミ。同感である。今更だがツグミとは何かとセンスが合うのだ。
伊集院は心を落ち着かせるために深呼吸をし、そして静かに、しかしはっきりとした口調で語りだした。
「奴の事を語る前に、まず私の先祖、伊集院家のことをお話しましょう。
伊集院家は薩摩島津氏の分流であります。鎌倉時代に島津氏の一族、島津俊忠が薩摩国日置郡伊集院地頭職を得たことから始まりました。南北朝時代には争いを繰り広げておりましたが、第6代、伊集院久氏の時、島津宗家側につき今川勢を破り、それ以降は伊集院家は島津宗家の中で大きな発言力を持つこととなりました。
しかし続く7代、8代では島津宗家と対立し、8代目の伊集院煕久の頃に島津家に滅ぼされ煕久は亡命しました。
そして弟の伊集院倍久が島津家に仕え、以降3代まで島津家の家老として活躍しました。
戦国時代末期にはほとんど独立状態でありました。
その後、島津家が豊臣秀吉によって討伐され、伊集院家は豊臣秀吉の傘下となり、そして
伊集院忠棟は秀吉に大層気に入られ日向群之城に8万石が与えられました。
しかしそれが気に食わなかった島津忠恒が秀吉没後、伊集院忠棟を殺害。
その後、それを聞いた忠棟の子、忠真が憤り、日向群之城にて島津氏家中最大の内乱である庄内の乱が1599年に起こります。テストには出ません。
1600年に徳川家康の仲介により和解し、伊集院忠真は降伏し、集結。
再び島津氏に召抱えられます。」
伊集院は一度深呼吸をする。ハゲたジジイは怪しく笑みを浮かべている。
「しかし」と震える声で伊集院。
「しかし、関ヶ原の戦いの後のことです。慶長7年8月17日。
島津忠恒は上格のため、伊集院忠真に同行を命じます。そして日向国野尻で狩りを催した時でした。島津忠恒は卑怯にも部下達に命じて事故に見せかけて伊集院忠真を射殺したのです。同じ日に伊集院宋家は襲撃され、一族は皆殺しとなり、伊集院宗家は滅亡しました」(※以上、Wikipedia参照)
伊集院の唇は震え、目が潤んでいる。
「だがっ」と大きな声で伊集院。
「伊集院宗家は滅びましたが、薩摩大隅中に分家があり、伊集院家は島津家の家臣として密かに存続したのです。いつしか、島津に復讐を遂げようと一子相伝の武術であり、忍術でもある秘伝殺法、『空壊』を子から子へと受け継がれながら」
「愚かな一族じゃ」と吐き捨てるようにハゲたジジイ。
「そして私が伊集院家の末裔であり、そしてあの老人は佐久間高校の表は教師、しかしその裏はマッドサイエンティストとして裏世界に君臨しているシマヅ。そう、あの島津家の末裔である島津松久」
と言い、ハゲたジジイに指を鋭くさす。
「いや、戸籍上では彼は既に死んでおり、この世にいません。彼は一度心拍停止した後に、彼のマッドサイエンティストとしての今までの成果を発揮し、彼の弟子である医師と科学者達に命じた通りの方法のサイボーグ手術を施し、人造人間として蘇ったのです」

マ、マジかー。

なんという重厚な話なのだろう。ついていくのが精一杯だ。
維菜は既に目をまわして卒倒してしまった。

「愚劣極まりない一族よ。所詮、貴様はワシら一族の配下に過ぎんのだ。どうだ?もう一度召し抱えてやろうか?」
と言いながら人造人間・島津松久はフォッフォッフォッと声高らかに笑った。
その瞬間、細長い木を弾いたかのようなビィィンという音が鳴ったと思うと、島津松久の目に矢が刺さっていた。
後ろを振り返ると、いつの間にか何処からともなく取り出したボウガンを構えていたツグミ。
「次その笑い方したら赦さないって言ったでしょ?」

「お前ほんまに滅茶苦茶やな」と震え声で僕。
「恐ろしいほど規格外のお嬢さんよの。道理で、及川琥珀が恐れるわけじゃ」
と言いながらDr島津は矢を眼球ごと抜き取る。
眼球には細長い赤と青の無数のコードが繋がっており。そのコードを勢い良く引きちぎる。
バチバチと青白い電流が激しく弾け飛ぶ。
「ひっ」とクラス長山田。
「ツグミさんと二宮さんに謝らないといけないことがあります。私はこの部活に入部したのは島津と出会える可能性があると踏んだからです。私は及川と島津が何らかの関係があると睨んでいました。そして及川が唯一恐れる存在のツグミさんが非公式の部活を立ち上げた。これは及川が放っておくわけはないでしょう。及川がこの部を追う。ということはそこに島津の陰もある訳です。そしてここでやっと尻尾を出した。私がこの瞬間をどれほど待ち詫びたことか」
「それにしても、どうしてこの佐久間高校にお前は及川ロボを忍ばせたんだ?」
と僕。
島津は口を開く。
「忍ばせたなんて人聞きが悪いのぉ。ワシは佐久間高校の校長に頼まれたことをしたまでよ。ここのボスはなんとしてもどうしても今の地位から手を離したくないらしくての。そのためにはPTAや、外部からの体裁が必要じゃ。体裁を保ち続けるためには秩序が必要。秩序を保つためには生徒を抑えつける力が必要じゃ。更に今の状態を維持するためには改革は危険じゃ。そういった危険分子を生み出さないためにも全てを抑圧してしまうほどの力が必要となる。そのために及川琥珀は造られた」
島津の眼球を刺した矢を島津は及川の方へ向ける。
「そウ、ワタシハ、そのタメにツクラレタ」
と及川。
「及川はこの学校で起こる全ての事柄をあらゆる方法を用いて把握し、少しの秩序の乱れも赦さずにすぐに問題を解決していった。そして危険分子となり得る存在は全て退学に追い込んでいったのじゃ」
「まるで恐怖政治じゃないか!」
と遠藤
「しかし高岡ツグミだけはどうしようも無かったらしくての。1年の時に一度危険分子だと察知し、高岡ツグミを退学に追い込もうとしたが、なんとこの完璧な頭脳を持つ及川が返り討ちに合ってしまったそうな。詳しい事は分からん」

たぶん完璧な頭脳が仇となったのだろう。

「及川琥珀はこの佐久間高校に生徒として、忍びこみ10年間生徒会会長を務めている。及川は卒業する度に、姿形、名前を変えて再び生徒会会長として君臨するのじゃ」

「それも今日で全て終わらせてやる」と僕。

フォッフォッフォッと笑う島津。
「うぬら生身の人間がワシら、人間を超越した存在に勝てるとでも?ちなみに後ろに居る屈強な男も全てワシの造ったロボットじゃ」

僕達は戦闘態勢に入る。といっても前線で戦ってくれるのは村井、相川、伊集院。
他5人はその後ろで固まって襲ってくる敵を倒していくという戦法だ。

村井と相川が構える。
伊集院が鞘から刀を抜く。
鞘からすらりと抜かれた刀は恐ろしい、まるで妖魔のような光を放っていた。
「そ、それは……!」と刀を抜いた瞬間島津が度肝を抜かれたような声を出した。
ニヤリと笑う伊集院。
「おぬし、それは我が島津家伝来の宝刀、島津一文字ではないか」
「そう、島津貴久が島津宗家を継ぐ際に鹿児島に持ちだそうとしたが、神の御告によりそのまま伊作城の宝物殿に厳重に保管されることになったという島津家代々伝わる伝家の宝刀」
刀は怪しい輝きを放ちながら、まるで不穏な音がその刀から発せられているかのようだった。
「何故おぬしがその刀を」と島津は口をまごつかせながら言う。
「私達、伊集院家が島津家から出奔する際、伊作城の宝物殿にこっそりと忍び込み、持ちだした訳です。そう、島津家をこの自身の伝家の宝刀によって滅ぼすために」
「よかろう!やってみるがよい!ものども!かかれい!」
Dr島津の掛け声とともに及川軍団は一斉に僕達目掛けて飛び込んできた。
まず始めに相川が襲い掛かってきた3人をマシンガンのような正拳突きを放ち、3人は鋼鉄が歪むような激しい音とともに宙に飛び上がり、そのまま崩れ落ちた。
3人は頭から煙を放ちながらバチバチと音を立てまま動かなくなった。
また1襲いかかってくる敵を村井が掴み、豪快に一本背負い。後ろにいたもう1人、いや1匹に直撃し、2匹揃って地面に倒れこむ。しかし、浅い。2匹ともまた起き上がり、村井に襲いかかってくる。更に村井の後ろに回り込んだ1人が今村井を羽交い締めにした。
しかしその瞬間ツグミのボウガンの矢がその敵目掛けて突き刺さる。
敵は脳回路に命中したのだろう。そのまま崩れ落ち、バリバリと音と立てながら痙攣している。
伊集院の手が動いた。
と思った瞬間、前方にいた6匹が真っ二つに切り裂かれた。何が起こったのか全く理解出来なかった。伊集院は遥か彼方に居た。
わずか20秒足らずでショッカーの役割を果たしていた10匹はたたのポンコツとなった。
Dr島津は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「ワタシにお任セ……ギギ」
及川がついに前線に出てきた。
村井が及川の制服に掴みかかった。しかしその瞬間村井は及川の一捻りで関節を外され、その場で悲痛の声を持って転げまわっていた。
「村井!」と僕達は叫ぶ。
さすがラスボス。いや、島津がラスボスか。
次に相川が及川目掛けて豪快な後ろ回し蹴りを繰り出す。
物凄い風の音とともに砂煙が舞う。
相川の後ろ回し蹴りは及川の頭にクリーンヒットした。相川、及川とややこしい。
決まったか?いや、及川はギロリと相川を睨み、にたりと奇妙な笑みを浮かべた。
怯む相川。そして及川は自分の頭に直撃した足をそのまま持ち、片手で相川をぶんぶんと振り回す。空中で何回転もする相川。そしてそのまま体育館の壁に叩きつけられた。
物凄い音を建てて、体育館が揺れる。体育館からキャーやらワーやら悲鳴が聴こえてくる。
次に伊集院。直立の姿勢のまま、刀を片手で持ち、切っ先を地面に向けた構えをしている。
伊集院の形相はまるで鬼のようだった。
伊集院と及川は睨み合ったまま動こうとしない。
「及川君!」
後ろの方から大きな声がした。みんなが声の方を振り向く。
なんと、図書委員の清水由貴子であった。
「清水さん!?」とクラス長山田は素っ頓狂な声をあげる。
及川は清水のほうを感情の無い表情で見つめている。
「私、今日及川君授業に出てなかったし、連絡も無いしどうしたのかなと思って。でも放課後に私いつも第一体育館で本を読んでいたんだけど、すると及川君と、その島津って人が来て、私、咄嗟に草むらに隠れたの。及川君の顔が爛れていて、剥がれ落ちた皮膚からロボットのような金属の髑髏が覗かせていて心臓が止まるほどびっくりしたの。
そして話を聞いているうちに及川君がロボットだと知って、気を失いそうだった」

そりゃそうだ。恋人が実はロボットだったなんて笑い話にもならない。

清水は涙を浮かべながら続けて話す。
「私、どうしたらいいのか分からなくて。頭が混乱しちゃって。でも、一つだけ分かったの。及川君がロボットだったと知った今でもたった一つ言えることは、及川君のことが好きだということなの」

クラス長山田は青白い顔をして口を半分開けている。まるで魂が抜けているようだ。
どんまい。
そう告白する清水を及川は無表情の顔で見つめている。
ロボットに愛情は無い。何も感じていないのだろう。
いつの間にか周りに人だかりができていた。
生徒たちは及川を見て愕然とし、なんだありゃ。生徒会会長はロボットだったのか?
っていうかロボットってどういうこと?とざわざわと色々な声が聴こえる。

カッカッカッと下卑た笑いをする島津。
「ロボットに恋をする人間。ありふれた3流アニメの典型的パターンじゃな。しかしお嬢さん、及川に愛や恋などといった感情はプログラムされておらん」

「違う!私知ってるよ!及川君が私に見せてくれた優しいところ。それだけじゃない。私、一度及川君を駅付近で見たことあるの。及川君はその時、道端で車に轢かれた子犬を拾って、土に埋めていたの。あれはプログラムされていることなんかじゃない!人の持つ愛という何にも変えがたい、素晴らしく尊いものよ!」
と叫びながら清水。
「君が何を見たのか知らんが、及川はロボットだ。虚しい幻想は抱かんことじゃ。茶番にはもう付き合わん。及川よ!殺ってしまうのじゃ!」
及川は再び伊集院の方を向き直る。
伊集院はまるで気に留めていないように鬼の表情で及川を睨んでいる。
いつもの伊集院とは気迫がまるで違った。僕は震えた。
「お願い!二人ともやめて!」と清水は叫ぶ。
「及川君!私は知っているよ!及川君が本当は人の心を持っていること」
及川は口を開く。
「人ノ、ココロ?」

その瞬間、伊集院が刀を及川に振り下ろし、及川の左が飛んだ。バチバチと青白い光が美しく見えた。
切られた部位を抑えながら倒れこむ及川。
「隙あり」とボソッと伊集院。
「清水さんに免じて、これで赦してやる」
「及川君!」と泣き叫びながら清水は及川に走り寄る。
僕達は、完全に置いてけぼりを食らっている。
伊集院はヌラリと向きを変え、島津の方を何にも形容しがたいほどの殺気を込めて島津を睨んでいた。
「覚悟は、よろしいですか。島津殿」
伊集院が島津に詰め寄っていく。
「ま、待て、伊集院」
と震える声で言いながら島津は後ろにじりじりと下がる。
「伊集院家の長年の恨み、伊集院末裔、伊集院世阿弥が晴して進ぜる」
伊集院の声は今までの代々遺伝子に受け継がれてきた憎悪が全て出てきたかのようであった。
ひぃぃと言いながら、腰を抜かしその場に情けなく倒れこむ島津。
なんだ、サイボーグだから強いと思ったのに。戦闘型とかじゃないのだろうか。
伊集院が島津の上に非情にも刀を構え、そして、振り下ろした。
ヒィィィッという叫び声とともにガキンッという鋭い音。
伊集院は……島津の顔の真横に刀を振り下ろし、刀は地面に突き刺さっていた。
目を見開いて口をパクパクとしている島津。
何故?
伊集院はそのままの姿勢で口を開いた。
「私は、今まで復讐を糧にして生きてきました。しかし、遠藤さんはたわいもない会話の中でこう私に言ってくれたことがあります。『人間の最も強い精神は人を赦すことが出来る心だ』と。私はその言葉が胸に突き刺さりました。私に島津が赦せるか?答えはNOです。しかし、刀を振り下ろそうとしたその瞬間、唐突に遠藤さんの言葉が私の頭に響いたのです。そして私は人としてあるべき行為を取りました。島津は一度死んで蘇ったサイボーグとは言え、やはり人間です。私が一時の満足を得るならばトドメを刺すべきでしょう。しかし、しかし、後に残るのはきっと虚しさだけだ。そのために生きてきたのだから。島津。私はあなたを赦しましょう」
島津は呆然としている。そんな馬鹿なことがあるかといった顔だ。
そんな島津を哀れみに満ちた目で見つめる。伊集院。
そして伊集院は刀をそのままにして僕達の方を振り返り、そのまま僕達のところへ戻ってこようと歩みだした。
島津の顔が豹変し、怒りに満ちる。
島津は、なんと杖から何かを抜き取って捨てた。それは鞘だった。
杖に刀を忍ばせていたのだ。
「小童の愚か者がぁぁ」と叫びながら島津は悪に塗れた笑みを持って伊集院に刀を振り下ろした。
しかし、その前に立ちはだかる陰。なんとなんと、及川だ。
及川は島津の腕を抑え、刀を振り落とす。
「及川さん!?ど、どうして」
と振り返って伊集院。

省略しよう。

この後、及川は島津を片手で抱きかかえたまま、こう言うのだ。私は本来軍事目的で島津によって造られたサイボーグ。島津をこのまま放っておくと私のようなロボットを利用した第三次世界大戦へと突入する。それを避けるには私が島津を抱きかかえたまま自爆するしかない。みんな下がっていてくれ。よし、この距離なら誰も巻き添えを喰らわないと言う。
そして清水が駄目よそんなことと言って、駆け寄ろうとして村井が清水を掴んで引き止める。
及川は個人にメッセージを告げる。
まず僕とツグミにはこの高校を変えてくれ。人間らしい高校へと。

そして泣きじゃくる清水に向かってこう言う。
「人が何故泣くのか分かったよ。僕には泣けないけどね」
次に山田の方を見て言った。
「由貴子と、そして、この学校をよろしく頼む。生徒会会長、山田君」
最後に空を見上げて呟くように言った。
「この前 人間のまねをして…… 鏡の前で大声で笑ってみた……なかなか気分が良かったぞ」
及川の目が光り、警報アラームが鳴る。
「起爆スイッチ作動。爆発10秒前」と及川。
助けてくれーと叫ぶ見苦しい島津。末代の恥である。                                           
1 2.1、ドカーンだ。ギャラリーはワーワーと騒ぐ。
その後警察沙汰だ。事情聴取やらなんやらで満身創痍である。
事件にはならなかった。及川も島津も法律上、生きた人間ではないのだから。
なんとも薄っぺらい紙キレで重要な要素のほとんどが決まってしまうのだ。
それが国家であり、人間社会。

僕は思った。人間のエゴで造られたロボットの及川。そして感情を持ってしまった及川。
彼はロボットであり、そして人間になった。人となってすぐに死んでしまった。
戦争を食い止めるために自らが犠牲になった。人間よりも崇高な人間。それが及川琥珀。
遠藤は言っていた。彼は自分の十字架を背負って、そして戦争を防ぐために十字架に掛かって犠牲になったのだと。
僕もそう思う。

後で伊集院が調べて分かったことがあった。
マッドサイエンティストの島津は元々沖縄のある小さな離島で医者をしていたらしい。
その離島の医者は島津1人だけだった。
腕前も人柄も良い島津は村の人達から人気があった。
この村には島津先生がいるから安心だと。
しかし、ある時島津の妻が大病にかかった。
その病気を治すには本当の大きい病院へ行かないといけない。
しかし島津には金が無かった。何故かというと、その時、戦後まもない頃だったので村の住人はとにかく貧乏でお金が無かったのだ。生きるか死ぬかの極貧生活だ。
なので島津はほとんど無償で住人達を看ていた。
にも関わらず、島津がお金に困っていて、大きい病院へ行かなければ妻が死んでしまので助けてください。お金をカンパしてくださいと訴えたのに、みんなは戸を閉めて鍵をかけて誰もお金をカンパしてくれなかった。
みんな、明日自分が生きるためにお金をカンパすることは出来なかった。
島津は自分を犠牲にしたのにも関わらず、村人は自分を犠牲にしてくれなかったのだ。
そして島津は血の涙を流し、「こんなに苦しいのなら…悲しいのなら……愛などいらぬ!」と叫び、島津はその日からマッドサイエンティストになった。
それからしばらくして島の住人は奇病で苦しみ、たくさんの人が死んだ。
島津は愛深き故に愛を捨ててしまった男なのだ。
彼もまた人の罪の犠牲者だ。いや、人の罪の犠牲者ではない人間は誰1人いないだろう。

「そうだ、みんなが加害者で、みんなが被害者だ」
と大きいハンバーグにかぶりつきながら父。肉汁が父の口から溢れた。
「そしてみんながそれに気付いてないってことだね」
と言いながら僕はハンバーグの横の人参を口に運ぶ。
「そうだ、今そう言っているお前も、私も気付いていないのだ。だから悲惨なんだ」
と言った後に味噌汁を啜る父。
僕は父と重い話をした後に部屋に戻り、パソコンを開き、ほとんど何も考えずに思いつくままネットサーフィンを繰り返し、その後小一時間ほど夏休みから書き始めた小説を書き、薄く眠気が来たので電気を消し、ベッドに横になった。
そして、暗闇。

――見渡す限り真っ暗で何も無い場所へ二宮一郎は居た。
前方からパッと光が差し、誰かが歩いてきた。
それは、ぼんやりとしていて黒くて良く分からないがとにかく人間の形をしていた。
二宮はそいつを確かに知っていた。
この空間に来ると必ず奴を思い出す。
しかしこの空間から出た後は奴を忘れるのだ。

「なぁ、一体ここはなんなんだい?」
と二宮はそこに腰を降ろして、溜息混じりにそう言った。
「教えてやろうか?ショックを受けるなよ?」
と奴。
「あぁ、もう何が起こってもショックは受けないさ」と投げやりに言う僕。
「ここは俺の住む世界と俺の造った世界の狭間さ」と奴は言う。
「なんだい?その俺の住む世界と俺の造った世界ってのは」と二宮。
「俺の造った世界とはつまり、あんたが居る世界で俺の住む世界は俺の住む世界。あんたが決して行けない世界のことだよ」
二宮はきょとんとしている。
「なんだい、じゃあ俺の住む世界はあんたが造った世界ってことか?」
「その通り」と奴。
二宮は少し目を上に上げて何かを考えてから口を開いた。
「そうか、なんか変だと思ってたんだよ。次から次へと現実離れしたことが起こるしさ」
「悪いな。ライトノベルが嫌いな文学青年気取りの奴を主人公にして、しかしその世界がライトノベル風味だと面白いなぁと思ってさ」
と奴は全く悪そびれていない言い草でそう言った。
二宮は怒りを通り越して呆れていたようだ。
「酷い奴だね。ただ面白いってだけで俺を利用するなんて。俺も生きてるんだよ。文字の中で。まぁこれも人の性ってやつであり、罪ってやつなんだろうな」
「しかし悪くなかったろう?」
「ああ、悪くはなかった」
「楽しかったろう?」
「ああ、楽しかったよ。それなりに。しかし利用されたというのは癪にさわるがね。一つだけ」
と二宮は人差し指を立てて言う。
「なんだ?」と奴。
「無いとは思うんだけどさ、あんたの本物の世界に行く方法なんか一つ教えてよ?」
と二宮。
うーんとしばらく唸ってから奴は言った。
「無いけどさ、実験してみよう。もし、この夢をあんたが覚えていたら、こちらの世界に行ける抜け道ってもんを用意しておいてあげよう。それはこっちの世界とそっちの世界を繋ぐ穴だ。その穴にリンクしておくよ。その場所は自分で捜しな」
「ほぅ。夢を覚えていたらいいんだな?」と二宮。
「あぁ、絶対無理だけどね。何故かというと、俺が夢を忘れさせるから」
「絶対、か」
と言い、二宮は立ち上がって上を見上げた。
「小説ってのは、その中の登場人物が勝手に1人歩きをすると聞いた。つまり作者も予想がつかないことが起こるという訳だ」
二宮は奴を見てニヤリと笑った。
「もう1つ」と二宮。
「注文の多いやつだ」と奴。
「ツグミはせめて恋人にさせてくれよ」
うーんと唸り、頭を掻く奴。
「分かった。最後は告白したりされたりなんやかんやのラブラブハッピーエンドにしてあげよう。良くやってくれたしね」
と言って奴は親指を立てた。


はっと声を出して僕は目が覚めた。背中が汗でぐっしょりと濡れていた。
なんだか覚えていないが悪夢を見た気がする。
僕は汗を拭いベッドから這い出る。汗で濡れたせいで余計に寒い朝だった。
あまり寝た気がしない。おまけに今日は曇りだ。少し憂鬱な気分になる。
しかし休日だ。それを思い出し、一気に心が晴れる。人の感情の単純さよ。

「今日、小説を完成させよう」

そう心に誓い、早速パソコンを開き、パチパチとキーボードを打ち始める。
母の声、朝食出来た、昼食出来たの声もいらない、いらないの二言で済まし、全ての力を小説に注いだ。
そうして5時間後、「妄想遊戯」というこの小説が完成したのだ。
ノンフィクション。僕の体験した、嘘のような本当の話。
そして僕はこの小説を新人賞に応募しようと決めている。
文学の賞に出すか、一般大衆の賞に出すか。或いはライトノベルの賞に出すか。
いや、ノンフィクションジャンルの賞か。
なんでも良い。こんな駄文が賞が取れるとは思ってもいない。
ただある事を証明するために書いただけなのだ。

そこまで書くと、僕はファイルを保存してパソコンを閉じた。
書くというのはどうしてこうも体力を消耗するのだろうか。
憔悴しきった僕はそのままベッドに倒れ込み、気が付けば朝日。
ベッドから這い出て、ブレザーに着替え我が母校佐久間高校へ。
人間らしくなってきた佐久間高校へ。
チカチカと光るスマホを見てみると珍しくツグミからのメールだった。
「今日、登校の時かせんじきで待ってる」
なんだ?いや、分かってる。今日は2月14日、バレンタインデーだ。
去年のことは良く覚えている。なんせ顔に火傷を負ったのだから。
また度の過ぎた悪ふざけをお望みなのだろう。
かせんじきの冬は寒い。ましてや2月という日本で最も寒い時季。こんな時季にあまりいらんことはしてほしくない。
凍えながらかせんじきを歩いていると、前方に川を眺めるセンチメンタルチックな同じ高校の乙女がいた。近寄ってみてわかったがそれは乙女ではなくツグミだった。
いつもと様子が違う物静かな感じだが、騙されるわけはない。
なんせ顔に火傷を負ったのだから。
僕が近くまで歩いて来ると、僕に気付いたようではっと僕を見る。
目が合うとすぐに目を逸らして、僕を見ないで横顔を見せながら小さい声で「おはよ」
あざとい。騙されるな。
顔に火傷だ。思い出せ。
「なんだよ、魂胆はみえみえだぞ」と冷たく僕。
「ち、違うんだよ。去年はホント、ごめん。やり過ぎた」
とうつむき加減でツグミ。
ツグミのごめんは人生で二度目だ。
「いや、別にいいんだけどさ」
といつもと明らかに違い過ぎるしおらしいツグミについ体裁を崩してしまった。
ツグミは鞄をゴソゴソと探り、そして出てきた、薄赤い箱に入った何か。
「なんていうか、妄想遊戯を一緒にやってくれたお礼とか、後。。。」
言葉に詰まるツグミ。
僕はもう胸の高鳴りが大変だった。
「後なんだよ?」と僕。
「言わせる気?」とか細い声で言い、顔が耳たぶまで赤いツグミ。
しかも目まで潤んでいる。これが演技なら彼女は間違いなく日本が誇る大女優となるだろう。
「い、言わなきゃ分かんないだろ」と僕。
「言えないよ。バカ」とツグミは目をきゅっと瞑る。
しばしの気まずい沈黙。

「分かったよ!花火大会の時から気になってていつの間にかイチローのこと好きになってたんだよ!女に告白させるなバカー!」
と捲し立てるように叫んだツグミ。
ツグミの声は真冬のかせんじきの透き通った空気に良く響いた。
「受け取ってくれたらOKてことだからね。チョコとべんとーつくった」
「んっ」と言い、僕の目の前に大事そうに抱えた箱を両手をピンと伸ばして差し出した。
ツグミの両手にはバンドエイドがいくつかの指に巻かれていた。
ツグミは目をきゅっとつむっている。
断らない馬鹿はいないだろう。

僕はその箱を優しく受け取った。
ツグミのキズだらけの手に少し触れてトクンと更に胸が高鳴った。
受け取ったと分かるとツグミは目を開け、満面の屈託の無い笑顔へとみるみるうちに変わっていった。

ふと、時計のカチカチという音が箱から聴こえるのに気付き、なんだろうと思い、箱に耳を近付けた。
ツグミが後ろに二、三、四歩下がり、屈託の無い笑顔から、下ひた笑みへと変わっていく。
大物女優誕生の瞬間である。
諸君、喝采せよ。悲劇は終わった。

妄想遊戯

妄想遊戯

  • 小説
  • 長編
  • 青春
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-11-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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